1. セミラジオ ~生き物とサブカル~
  2. 群馬の郷土かるた「上毛かるた..
2022-12-19 1:04:46

群馬の郷土かるた「上毛かるた」(前編)

群馬県出身の方なら誰もが知っているという、群馬の郷土かるた「上毛かるた」について、山梨県民のせみやまが語ります!

上毛かるた(wiki)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%AF%9B%E3%81%8B%E3%82%8B%E3%81%9F

上毛かるた(amazon)
https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%8A%E6%AF%9B%E3%81%8B%E3%82%8B%E3%81%9F/dp/4903297195/?_encoding=UTF8

上毛かるた全札一覧とルール(KING OF JMK)
https://www.kingofjmk.jp/%E4%B8%8A%E6%AF%9B%E3%81%8B%E3%82%8B%E3%81%9F%E5%85%A8%E6%9C%AD%E4%B8%80%E8%A6%A7/

タロット・上毛かるた・デュエマで占ってみた(はちぽちヒッチハイク)
https://www.youtube.com/watch?v=d9PlDczjD9g

アニメ『星のカービィ』について話すよ!① 超カオス回『アニメ新番組 星のデデデ』(ジャンプとかの話をするよ)
https://stand.fm/episodes/5f95979132fcb3e1e71681c1


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00:01
みなさん、こんにちは。自然を愛するウェブエンジニア、セミラジオです。
今日は、群馬県出身の方なら誰もが知っているという郷土愛を育むかるた、上毛かるたについてお話しさせていただきます。
前回の配信から少し間が空きまして、手話すということで少しバタバタしていました。
本職のウェブエンジニアの仕事がバタバタしていまして、今年中にアップしなければいけないウェブサイトやシステムの設定をヒーヒー言いながらやってましたね。
実際には作業中に口に出してヒーヒー言っていたわけではないんですけども、
実際、作業中に口をついて出てきた言葉としては、「疲れたよー。」とか、「これ本当に今年中に終わるの?」とか、
この作業部屋という名の座敷牢から出たいよー。などが挙げられますね。
まあ、海の苦しみと言いますか、そうやって苦心して作り上げたウェブサイトやシステムをお客さんに使ってもらえたり喜んでもらえるのは、この仕事の醍醐味かなと思っています。
前回の配信から今日までの間に色々ありまして、このセミラジオでもおなじみのポッドキャストを通じて知り合うことができたお二人、
生物をざっくり紹介するラジオ仏作のトヨさんとイラストレーターであり、ポッドキャストすすむアートを配信されているすすむさんが山梨に遊びに来てくれました。
すすむさんには午前中に駅に来ていただきまして、山梨の観光名所小仙郷に一緒に行きました。
そこで巨大な岩や風景を眺めたり、ちょっと店内の雰囲気は独特だけど美味しいそば屋さんとかに行ったりしましたね。
このおそば屋さんについては近いうちにブログにもまとめようと思っています。
その後、弟であり底抜けに浅く歴史を語るゆうすけのラジオのパーソナリティーのゆうすけと合流して、
甲府の新店の喫茶店、起店間でコーヒーを飲みながら話をしていました。
喫茶店でコーヒーをいただきながらゆうすけのポッドキャストのコーヒー会の話なんかをしていましたね。
その後、当日のお仕事を終えられた豊さんにも来ていただきまして、
皆さんにうちの奥さんの幕子がやっていた絵の展示を見ていただきました。
その後、豊さんすすむさんと天ぷら屋さんで旬の天ぷらを味わいながらいろいろお話をさせていただきました。
いやー、本当に楽しい時間でした。
お二人とも遊びに来ていただいて本当にありがとうございました。
豊さんすすむさん、またよかったら一緒に遊んでもらえたら嬉しいです。
それと、前回の配信でジンバブエのハイパーインフレについてお話をしたんですが、
03:05
仏作のしろさんから感想のお便りをいただきました。
読み上げますね。
ジンバブエのハイパーインフレ会すごく興味深かったです。
ネタでよく陰言としてジンバブエドルとかペソとか言ったりしますが、
実際にそこに住まわれている方にとっては死活問題なのだなと考えさせられました。
紙幣不足の話もそりゃそうなるよなぁと。
今、日本も物価が上がり続けているので他人事ではないなと思いました。
経済のことを詳しくないので細かいことはよくわかりませんが、
今後の配信も楽しみにしています。
というとてもありがたいメッセージをいただきました。
しろさん、ありがとうございます。
いやー、そうなんですよね。
今のところハイパーインフレ下のジンバブエほどではないんですけど、
経済の変動が生活に影響を与えるという意味では、
僕らが住んでいるこの日本も同じなんですよね。
しろさんも経済のことには詳しくないのでと書かれているんですけども、
そう、僕も経済については全然詳しくなくて、
少しでも想像できるようになりたくて、
ハイパーインフレについて掘り下げてみたというところだったんですね。
一番極端な状況を知っていれば、
日本の物価高が加速した時にも、
サバイバルするためのヒントが見つかるんじゃないかと思ったんですね。
しろさんとは後で本編の方でもお伝えするんですが、
コラボさせていただく予定を立てたりもしています。
しばらく前にも、教育王ザクバランに語るラジオイクザクの方で、
ゲストに呼んでいただきまして温かく迎えていただいたんですけれども、
それとは別件でコラボさせていただく予定を立てています。
それでは早速本編に行きたいと思います。
今回のテーマは群馬県の郷土カルタ、
縄毛カルタなんですけども、
僕自身は山梨県出身、山梨県在住で、
群馬県には実は行ったことがないんですよね。
ただ群馬県出身の友人や知り合いは、
みんな気のいい人ばかりで、
行ったことはないんですけど、
すごく親しみを抱いている県ではあるんですよね。
いずれ群馬県には行ってみたいなと思っています。
その際にはできれば栃木県まで足を伸ばして、
宇都宮餃子を食べたいなぁとも思っているんですけども、
結構餃子は好きなんですよね。
で、ですね、この縄毛カルタなんですが、
前後編に分けて配信する予定です。
今回は前編ということで、
山梨県民である僕が、
群馬県の郷土カルタである縄毛カルタを紹介する、
というコンセプトでやりたいと思っています。
僕はある意味で縄毛カルタについては、
部外者というか、
群馬県に生まれて子供の頃から、
縄毛カルタをやってという人ではないんですけど、
06:03
縄毛カルタの成り立ちですとか、
制作した方の思い、
絵柄や読み札の言葉の味わいなど、
全部含めて好きなんですよ。
なので、このセミラジオで語らせてもらえればと思っています。
で、後編はですね、
先ほどもお便りのコーナーで、
お名前を出させていただいたんですが、
この番組でもよくご紹介させていただいている、
生物をざっくり紹介するラジオ、
ぶつざくセカンドと、
先日僕がゲストとして出演させていただいた、
教育をザックバランに語るラジオ、
イクザクという、
2つのポッドキャスト番組のパーソナリティである、
シロさんをお呼びして、
縄毛カルタについて語っていただく予定でいます。
これについては、
シロさんに許可をいただいてお話しするんですけども、
シロさんは群馬県のご出身なんですね。
で、最近シロさんとお話しさせていただく機会がありまして、
その時に、
今度セミラジオで縄毛カルタ紹介するんですよ、
というお話を僕から振ったんですけども、
そしたらとても喜んでいただいて、
で、実はセミラジオのサブカルのネタとして、
縄毛カルタをリクエストしようと思ったことがあるんですよ、
というお話もいただいたんですね。
あまりにご当地すぎるのと群馬県民にしか伝わらない、
うちはネタっぽいのでやめちゃいましたが、
とおっしゃってたんですけども、
いやー、そんな風に思っていただいてたなんて全然知らなくて、
嬉しかったですね。
で、その時点では前後編に分けるという予定もなくて、
シンプルに僕が縄毛カルタについて話そうと思ってたんですけど、
シロさんが縄毛カルタについてお話しするなら、
ぜひこのこともご紹介してもらえれば、
という感じで、
縄毛カルタについていろんなネタを教えてくれたんですよ。
本当に地元で縄毛カルタを遊んでいた方じゃないとわからないことを、
たくさん教えていただいて、
最初はシロさんから提供いただいたネタとして、
自分で紹介しようと思ってたんですけど、
シロさんの縄毛カルタへの思いが、
とにかく熱いんですよ。
僕は僕で、山梨県民ながらも、
縄毛カルタに愛着を持っているつもりだったんですけど、
シロさんの熱量の凄さが想像以上で、
これはもうシロさんに来て話していただいた方が、
絶対面白くなるなぁと思いまして、
シロさんにゲストとして来てもらえたりしませんかと、
ダメ元でオファーしたところ、
心よく引き受けてくださいまして、
なので後編はゲストにシロさんをお呼びして、
縄毛カルタについていろいろお話を伺えればと思っています。
09:00
いやーこれは絶対面白くなると思います。
僕自身もめちゃくちゃ楽しみにしてるんですよね。
ご期待ください。
ということで、まずは今回は前編、
山梨県民である僕、セミヤマが、
群馬県の郷土カルタである縄毛カルタについて、
ご紹介させていただきます。
で、なんで山梨県民の僕が、
群馬県の郷土カルタを紹介しようと思うに至ったか、
ということなんですけども、
これについては順を追って説明しますね。
まず前提となる情報について、
ご説明しておきたいんですけども、
スタンドFMという音声SNSがありまして、
これはポッドキャストのように収録した音声をアップしたり、
ツイッターのスペースのように、
ライブでストリーミング音声配信を行うことができるプラットフォームなんですが、
このスタンドFMでジャンプとかの話をするよ、
というチャンネルを運営されているベリエさんという方がいまして、
このチャンネル、主にジャンプの連載漫画や、
読み切り漫画についてご紹介されてるんですが、
とてもわかりやすくかつ面白く、
それぞれの作品をご紹介されていて、
僕は結構このベリエさんのチャンネルを参考に、
作品を読んだり買ったりしているんですね。
このチャンネルでは、ジャンプとかということで、
ジャンプに関係ない作品の紹介もされていて、
僕が特にツボにはまってすごく好きな回があるんですが、
それは、アニメ星野カービィについて話すよ超カオス回、
アニメ新番組星野ででで、という回です。
スタンドFMのチャンネルは専用アプリやアカウントがなくても、
ブラウザから聞くことができますので、
概要欄にこの星野カービィのカオス回について貼っておきますので、
ぜひ一度聞いていただきたいんですが、
この回は、ででで大王というキャラクターが、
自分のアニメを作るためにカービィたちを強制ロードさせて、
セル画を描かせるというすごくシュールな内容で、
カービィが徹夜でアニメの動画を描かされて目にクマができたりしてるんですけど、
カービィのアニメでそんな超展開があるんだということにすごくびっくりして、
ベリエさんの語り口も込みでめちゃくちゃ面白くて爆笑してしまいました。
よく任天堂がOK出したなぁと思うくらいぶっ飛んだ内容なんですけども。
ベリエさんはハチポチヒッチハイクというコメディ集団に所属されているんですが、
このハチポチヒッチハイクのyoutubeチャンネルの動画で、
タロット、ジョウモウカルタ、デュエマで占ってみた、というタイトルの動画があるんですよ。
12:00
これはハチポチヒッチハイクのメンバーの方が、
タロットカードとジョウモウカルタと、あとトレーディングカードゲームのデュエルマスターズで占いをするという内容なんですね。
言うまでもなくタロットカード以外は占いをするためのものじゃないんですけど、
動画を見ると割とそれっぽく占っていて笑っちゃうんですよね。
この動画を概要欄に貼っておきますので是非チェックしてみてくださいね。
この動画でジョウモウカルタの絵札を僕は初めて見たんですけど、
なんだかとても温かみのある色合いで描かれていて、
この動画がきっかけでジョウモウカルタというもの自体がすごく魅力的に感じたんですよね。
早速ジョウモウカルタを購入しまして、
以前もyoutubeライブでジョウモウカルタについてお話したりしていたんですけど、
今回改めてこのポッドキャスト、セミラジオでご紹介したいなと思ったと、そういう経緯になります。
それでは早速ジョウモウカルタについてご紹介していきたいと思います。
ジョウモウカルタは群馬県の人たち、子供たちが群馬の歴史や名所のことを知り、
共同愛を育むために考案されたカルタになります。
ジョウモウカルタは全部で44枚の札がありまして、
特徴としては絵柄が温かみがあってコミカルで親しみやすい。
読み札の言葉が語呂が良くて覚えやすい。
思わず暗唱したくなるというところがあると思います。
ノボルハルナのキャンプ村とか、県と前橋、糸の町とか、リズミカルでいいんですよね。
このジョウモウカルタはカルタということで、
通常のカルタと同じように読み札に対して絵札を取るという競技になっています。
カルタで遊びながら群馬のことを子供たちが知っていくことができるというものなんですね。
それとこのジョウモウカルタの作られた経緯なんですが、
後でより詳しくご説明させていただくんですが、
1947年戦後すぐに制作されています。
戦争で群馬県も含めて日本全体が荒廃していったんですが、
一一倍群馬のことを愛し誇りに思っていた浦野さんという方が、
子供たちに共同愛を持ってほしいという願いを込めて作ったのがこのジョウモウカルタになります。
続いて群馬でジョウモウカルタがどんな風に遊ばれているかなんですけども、
今回実際に子供の頃にジョウモウカルタをやっていた人の実体験を聞いてみたいなと思いまして、
群馬出身の友人にLINEでいろいろとジョウモウカルタについて質問をさせてもらいました。
15:00
地域や年代によって違いはあると思うんですが、
その友人が教えてくれたジョウモウカルタのエピソードについてご紹介させていただきますね。
いくつか僕の方で質問を投げさせてもらって、それについて回答してもらったんですが、
まず僕からどういうシチュエーション、年代にやるのか、小学校まで、小中高という質問をしたんですが、
それについての回答です。
小学校から。多分中高も。地域によって違うと思う。
ということで、始めるのは小学校からで、中学高校でも人によってはという感じですかね。
イメージ的には群馬県の方は小学生の頃にはほぼほぼ全員がジョウモウカルタをやるという感じなのかなと思います。
続いて、1年にどれくらいやるの?という質問をしたんですけど、
練習は年間通して何回かやってた記憶。回数まで覚えてない。4回くらいはやってたのかも。
ということで、練習が年に4回くらい、そして本番の大会が年に1回という感じみたいですね。
年に1回の大会、これはめちゃくちゃ盛り上がるんじゃないでしょうか。
続いての質問。読み札の内容を言える札は何枚?についての回答が、
当時は8割から全部覚えてたような、ゴロが良くて覚えやすいし、ということなんですけども、
当時は8割から全部覚えてたということなんですね。
これすごいですよね。全部で44枚あるんですよ。
それを当時は全部言えたかもしれないというのが普通にすごいなと思っちゃいますね。
ゴロが良くて覚えやすいというのは確かにという感じですね。
どの読み札も流れるようなテンポで、スルスルっと脳裏に刻み込まれる感じなんですよね。
その他、縄文を変えたりについてエピソードがあれば、という質問に対しては、
地の札で力合わせる200万があるんだけど、自分たちの時は力合わせる190万だったのに、下の世代では200万になってて、その違いでなんとなく年代がわかる、とか。
ということで、後で改めてこの札についてもご紹介するんですが、
時代によって文言が変わっている札も一部ありまして、その覚えている文言によって世代がわかったり、群馬の移り変わりがわかるというのも面白いですよね。
いやーやっぱり、実際に縄文カルタを遊んでいた人の言葉は説得力がありますね。
縄文カルタの練習が年に4回あるっていうのは、wikipediaとかにも載ってないですからね。
小学校で年に4回も本番に向けて練習するって、やっぱり群馬の方のコアな部分に相当根差している文化なんだなという感じがしますね。
18:04
いやー本当にその友人には、長文で質問を投げてしまったんですけど、詳しく回答してくれてありがとう。
いやー本当にありがたいです。
友人からもらった回答にもあったんですが、改めてまとめますと、
群馬県の学校では、学校内で縄文カルタの大会が行われたり、県大会が行われるなど、身近で親しみ深い競技のようです。
群馬県出身の方であれば、ほとんどの方が子供の頃に遊んだことがある、そんな競技なのかなぁと想像しています。
それでは早速、縄文をカルタ全44枚を50音順で、「あ」の札からご紹介したいと思います。
あ、浅間のいたずら、鬼の押し出し。
ということで、この札は天明3年、1783年に群馬と長野の県境にそびえる浅間山が大噴火して、幅2キロ、長さ5キロにわたって溶岩が流れ出したということがありまして、
その流れ出した溶岩が冷えて固まって、ごつごつした溶岩石による独特の景色を作り出しているのが鬼の押し出しなんですね。
この鬼の押し出し、写真で見たんですけど、一目見た時の感想としては、日本じゃないみたいって思いました。
なんか、南米とか巨石文化があるエリアに見えるんですよ。
建物が含まれている写真だと日本だなってわかるんですけど、人工物が入っていなくて、ただ鬼の押し出しを写した写真だと、いきなり見せられても日本とはわからないんじゃないかなと思いますね。
それぐらい独特な風景になっています。
鬼の押し出し、ぜひGoogle画像検索などで見ていただけると面白いんじゃないかなと思います。
続いて、イ。イカホー温泉、日本の名湯。
群馬県のイカホー温泉というのは、なんと万葉集にも名前を謳われていた、日本最古の温泉リゾート地なんですね。
万葉集といえば、7世紀から8世紀にかけて変産されていますから、なんと1000年以上の歴史があるんですね。
いや、すごすぎますよね。
このイカホー温泉、日本の名湯の読み札は赤く染められているんですが、1000年以上前から続くこの群馬を代表する名所に、戦争からの復興の願いを込めて赤く染めたのだと言われています。
それとイロハニ、ホヘトジュンだと一番最初の札にもなりますね。
続いては、ウ。ウスイ峠の石書跡。
21:03
ウスイ峠は江戸時代に中専道の要所として石書が置かれていた場所ですね。
石書があった当時の建物は現存しないんですが、昭和34年、1959年に東門が復元されたそうです。
このウスイ峠の漢字結構難しいんですよ。
ウは石へんに唯一の唯の右竹みたいな漢字で、その字に氷と書いてウスイって読むんですね。
日本書紀や古事記にも登場する古い地名で、
ヤマトタケルノミコトが東西の岐路に、ヤタガラスに導かれて通ったという伝説も残っています。
続いてエ。縁起だるまの松林山。
群馬県高崎市には、だるま発祥の地と言われている松林山だるま寺というお寺がありまして、
お正月には七草大祭だるま市というだるまの市が開かれて、
だるまを売るお店がずらりと並んで、多くの方でにぎわうんだそうです。
だるまの店がたくさん並ぶという光景、普段なかなか見られるものではないので、なかなか爽快ですよね。
群馬県のだるま市は、このだるま寺以外にも高崎駅の周辺で開催される市もあって、
2023年の1月1日から2日に開催されるそうです。
続いてオ。太田金山子育て鈍流。
これはいきなり音として聞いても、前情報がないとよくわからないと思うんですけども、
これは群馬県の太田市にある大公院というお寺があるんですが、
これは慶長18年、1613年に徳川家康が建てたものだそうです。
このお寺に江戸からやってきた鈍流商人というお坊さんは、
食糧難に苦しむ子供たちに自分や弟子の食べる分を分け与えて、
多くの子供たちを育てたのだそうです。
鈍流商人は親しみを込めて子育て鈍流と呼ばれていたのだそうです。
いやー、こんな立派な人がいるんですね。
今話しているだけでも、あまりの清らかさに浄化されそうなんですけども、
偶成ですよね。
偶成というのはやや古いネットスラングなんですが、
2チャンネル界隈で使われていた言葉で、
偶の音も出ないほどの聖人、聖なる人の略なんだそうです。
子育て鈍流さんは間違いなく偶成だと思いますね。
24:00
続いて、
か、関東と新越つなぐ高崎市。
古来から関東と新越地方の間をつなぐ交通の要所だったのが群馬県の高崎市なんですが、
現在の話で言えば、東京の上野駅と群馬県の高崎の間を高崎線がつないで、
さらに高崎駅を起点にして長野、新潟につながる路線も走っています。
高崎はいろんな地域をつなぐ要所になっているんですね。
続いて、紀。紀流は日本の旗所。
群馬県の紀流氏は西に西陣、東に紀流と言われ、
昔から織物の名所として知られています。
紀流氏にある織姫神社には、この地に旗織りを伝えたと言われる白滝姫が祀られていまして、
この白滝姫の伝説というのは、
昔、現在の紀流に住んでいた農家の青年が宮廷の掃除係として都に行ったんですが、
その時に宮中であった白滝姫に一目惚れして、その思いを和歌にして姫に捧げたそうなんです。
最初は東国からやってきた身分の低い青年を相手にしていなかった白滝姫も、
宮内の和歌の才能に惹かれ始めて、その青年は天皇の前でも見事な和歌を読み上げるに至り、
白滝姫と結婚して一緒に故郷に帰ったそうなんですね。
そして白滝姫が身につけていた洋裁、旗織りの技が紀流氏の旗織りのルーツになったと、
そういう伝説が残っているそうです。
この紀流は日本の旗どころの絵札には白滝姫が旗織りをしている様子がイラストで描かれています。
続いてく、草強いとこ、薬の井出湯、温泉と書いて井出湯ですね。
温泉の名称といえば草津というイメージありますよね。
兵庫県の有馬温泉と岐阜県の下呂温泉に並ぶ日本三名島の一つとされています。
ちなみに余談なんですが、僕の地元の山梨県にも草津温泉という温泉銭湯があるんですよ。
山梨なのになぜ草津?と疑問だったんですけど、
こちらもともとは群馬県の草津から移り住んだ方が始めた草津湯という銭湯だったそうなんです。
その後ボーリング工事で温泉を掘り当てて草津温泉に改名したという歴史があるんだそうです。
僕は群馬県の草津には行ったことがないんですが、この山梨の草津温泉の近くは割と通ることがありまして、
27:06
車で通りがかっては、あー草津温泉かと思ったりしています。
県と前橋、伊都の町
群馬県の前橋市は江戸時代には十万石の城下町として栄えた政治経済の中心地だったそうです。
群馬県の洋産と製糸業の中心地となり、明治以降は県庁所在地にもなり、
群馬県の政治文化経済の中心地として全国的にも有名になりました。
今回初めて知ったんですが、前橋にある群馬県庁は33階建て、高さ153.8mで、
道府県庁舎として日本一の高さを誇っているそうです。
153m、めちゃくちゃ大きいですね。
ちなみに僕の地元の山梨県の県庁舎なんですけども、
複数建物がありまして、一番大きいのが防災神館という建物で、これは39mなんですけど、
それでも近くで見るとかなり威圧感を感じるので、153mというのはちょっと想像できないレベルですね。
ちなみに群馬県庁の前には群馬県のゆるキャラである群馬ちゃんの石像も置かれています。
続いて、古・心の灯台内村勘蔵
群馬県出身の宗教家・評論家として有名な内村勘蔵は、高崎藩の江戸屋敷に生まれ、
札幌の大学校に進学の後にアメリカの大学に留学しました。
日露戦争の前に内村勘蔵が発表した非戦論という戦争反対の意見は、
当時多くの人から反発や批判を受けたそうなんですが、
太平洋戦争の後でその正しさが証明されることになりました。
続いて、佐・三羽石と共に名高い冬桜
群馬県藤岡市の三羽石峡は1.5kmに渡って巨石や不思議な形の祈願が並び、
昭和32年、1957年には国の名称等を天然記念物に指定されました。
そしてこの地区にある桜山公園の桜の多くは、1年に2回、春と冬に咲くそうです。
珍しいですよね。1年に2度咲く桜って。
この桜山公園の冬桜なんですけど、山桜と豆桜の雑種と推定されているそうで、
30:00
一般的な春に花が咲くソメイヨシノとは種類が違うんだそうです。
冬桜、周りの木が落葉した中で咲いているわけですから、すごく生えそうですね。
続いて、志・忍毛の国双子塚
この札は縄文カルダで一番古い歴史について読んだもので、絵札には馬の形をした埴輪が描かれています。
1500年前の5世紀前後、群馬は栃木と合わせてケノと呼ばれていました。
髪の毛の毛に野花なのでケノですね。
その後、群馬が上津ケノ、栃木が下津ケノに分かれたと言われています。
この毛というのは稲など農作物のことで、この地域が稲がたわわに実る豊かなところだったことを意味してるんですね。
群馬県内には双子塚や縁墳と呼ばれる豪族のお墓、古墳が8000ヶ所もあるそうで、群馬は奈良や宮崎と並ぶ古墳大国なんだそうです。
続いて、巣、巣園は流し赤城山。
長い巣園を持つ雄大な赤城山は、古くから多くの人の信仰を集めた霊山でした。
ここから発祥した赤城神社は赤城山の山陸を中心に群馬県内に数多く存在しています。
この赤城山、山頂にはカルデラ湖があり、冬は若さぎ釣りやスキー、スケートが楽しめるそうです。
続いて、瀬、仙峡、小瀬沼、花の原。
小瀬は群馬と栃木、新潟、福島の4県にまたがる本州最大級の質源を持ち、夏にはいろんな花が咲き乱れる継承地です。
小瀬沼は海抜1600メートルにあり、青い湖と原子林に囲まれた美しい場所なのだそうです。
小瀬いいですね。
行ったことないんですけども、Google画像検索で小瀬の写真を見ていたら、めちゃくちゃ行きたくなりましたね。
続いて、瀬、揃いの支度でヤギブシ温度。
ヤギブシ温度というのは群馬を代表する楽しい節回しの温度で、大正時代にはレコード化されて全国的に大ヒットしました。
元々は越後、つまり現在の新潟から上州、つまり現在の群馬の裕閣に売られてきた女性が伝えたもので、その越後出身の彼女たちが故郷を懐かしんで歌っていたのだそうです。
33:02
楽しい節回しの温度に故郷を忍ぶ裕閣の女性の思いが込められていたというのは、感慨深いものがありますね。
続いて、田。滝は吹き割れ、片隅渓谷。
群馬県片隅渓谷にある吹き割れの滝は、高さ7メートル、幅30メートルに及び東洋のナイア柄とも呼ばれているそうです。
片隅川によって浸食された川底に多数の割れ目が入り、まるで巨大な岩が吹き割れたように見えるところからその名前がつきました。
とてもダイナミックな滝なんですね。
この吹き割れの滝はNHKの大河ドラマ、青井徳川三代のオープニングにも使用され、テレビでの放送時には、あの滝はどこの滝ですか?という問い合わせが殺到したそうです。
続いて、地。力合わせる200万。
こちらは群馬県の人口について読んだ札なんですが、縄文カルタが作られた昭和22年、1947年の時点では群馬県の人口は約160万人だったということで、当初は力合わせる160万だったそうです。
人口が増えるたびに10万ずつ更新して現在は200万ということになってるんですね。
続いて、鶴。鶴舞う形の群馬県。群馬県の形について読んだ札ですね。
群馬県の形が右下に向かって飛ぶ鶴に似ているということから来ています。
縄文カルタ競技では、同点の場合、この鶴の札を持った方が勝ちというルールがあるそうで、実力が接近しているプロフェッショナル同士の戦いでは、この札が取れるかどうかが勝敗を分けることもありそうですね。
続いて、手。天下の偽人、モザエモン。
この札に読まれているモザエモンというのは、杉木モザエモンさんという江戸時代を生きた上津家の国、当時の群馬県の農民でした。
当時の沼田藩では、悪政によって農家の方が厳しく年貢を取り立てられていました。
それを見返ったモザエモンは、いろいろと手を尽くして江戸の将軍に直訴することに成功し、沼田藩主は戒役、つまり藩主を辞任させられるんですが、この時代、直訴は重罪です。
モザエモンは、妻子ともに張付の刑に処されてしまいました。
モザエモンの命がけの直訴で厳しい年貢の取り立てから救われた地域の人々は、モザエモンを弔うモザエモン地蔵村を建て、そこでは彼の魂を弔う意味で始められたモザエモン地蔵村縁日も行われているそうです。
36:16
なんというか言葉がないんですけども、モザエモンさんはそういうことになってしまったんですが、彼の行動で命を繋いだ方の子孫はきっと群馬に大勢いるんじゃないかと思いますね。
だから未だにモザエモンさんの魂を弔う縁日も続いているんでしょうね。
続いて、戸。戸根は坂道一の川。
こちらの札はですね、坂道は関東の古い呼び方ということで、戸根川は関東一の川ですよと、そういう内容なんですね。
流域160kmを誇る戸根川は関東一の大河で、昔は坂道太郎と呼ばれていたそうです。
戸根川は群馬県戸根郡水上町にある大水上山に源を発し、北から東へ下り、茨城県上須市と千葉県長須市の境のあたりで、太平洋に流れ込む長大な川なんですね。
続いて、那。中仙道を忍ぶ庵中杉並木。
那。中仙道というのは江戸時代初期に整備された五階道の一つで、東海道と共に江戸と京都を結ぶ重要な街道でした。群馬も那。中仙道の中継地点の一つになってるんですね。
この那。中仙道の庵中地域には当時700本以上の杉並木が植えられていたんですが、現在ではその数は減り、国の天然記念物に指定されているそうです。
この現在の庵中市で江戸時代に行われた安政東亜市というイベントがあるんですが、皆さんご存知でしょうか。
これは1855年、安政2年、庵中藩主の板倉勝明が藩主の訓練のため、藩主96人に庵中城門から烏水峠の熊野厳厳神社まで走らせた徒歩競走なんです。
走走行距離は約30km。フルマラソンには及びませんが、標高差が約1000mということで、慣れていない方にはかなりきついんじゃないでしょうか。僕は走りきれる自信は全くないですね。5km走るだけでも相当きついなぁと思ってしまうので。
この時の実感や着順は、1955年、昭和30年に烏水峠の茶屋で発見された、「庵中恩城内恩書誌恩東亜市着帳」という資料に記されているそうです。
39:16
恩城東亜市は、日本におけるマラソンの始まりと言われており、小説幕末マラソン侍、そして2019年の映画侍マラソンなどフィクションの題材にもなっています。
続いて、2、日本で最初の富岡製紙。日本で最初の近代的な製紙工場、富岡製紙場、2014年には世界遺産にも登録されましたね。
製紙工場としての運用は1987年に停止しているんですが、工場を管理する片倉工業という会社が、富岡製紙場について、「売らない、貸さない、壊さない」という方針を打ち出して、
多額の補修費をかけながら、この日本の歴史の中で重要な意味を持つ貴重なレンガ造りの建物を維持してきたからこそ、現在もこの建物が存続しているわけなんですね。
古いものはどんどん壊して建て直すという流れが日本では割と普通に起きていると思うんですが、そんな中で富岡製紙場の貴重さが際立って感じられますね。
続いて、ぬ。沼田城下の塩原助。この塩原助という人は江戸時代の大商人なんですが、かなりの苦労人でして、幼い頃に両親を亡くして義理の母さんともうまくいかず、18歳の頃に故郷の群馬を出て江戸に向かうんですね。
しかしなかなか仕事は見つからず、困り果てていたところに炭屋の主人に雇ってもらい、そこで一生懸命に働いたそうです。そして38歳の時に独立して自分の炭屋を始め、大成功を収めました。
で、塩原助はそうして築いた富を社会に還元するんですね。暗い道には灯籠を建てたり石畳を作ったりするんですよ。さらに塩原助はアイデアマンでもありました。
炭を作る時に出るクズや粉を無駄にしないために、それらに糊を加えて丸めたものをタドンという名前をつけて安く売ったそうです。このタドンは安く買える上に長持ちしたので、貧しい人たちの燃料として重宝されたそうです。
塩原助は自分が若い頃に本当に苦労したので、社会に貢献したり貧しい人の役に立つものを作ったりと、そういう発想が自然とできたんでしょうね。
続いて、根。ネギとこんにゃく、下荷田名産。群馬県の下荷田は苗木山や荒船山など山々に囲まれた土地なんですが、水はけの良い傾斜地を利用してこんにゃく芋が栽培されてるんですね。現在群馬県のこんにゃくの生産量は日本一なんだそうです。これ知らなかったですね。
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さらに下荷田はネギの産地としても適していて、甘味のある下荷田ネギは江戸時代にはすでに陳調されていて、ネギ200本支給遅れ、運送代はいくらかかっても良いという趣旨の手紙も残されているそうです。
余談なんですが最近下荷田ネギをうちの奥さんのバク子が買ってきてくれまして、ソテーにして食べてみました。
僕はわりと子供の頃から長ネギが苦手で、大人になってからそこまででもないんですけども、やっぱり長ネギのゴロッとした塊をそのまま食べるっていうのがちょっと苦手なんですね。ネギ独特の匂いというか、それが苦手で。
子供の頃は焼き鳥のネギも全部外して肉だけ食べてましたね。
そんな僕なんですけれども下荷田ネギは何だかいわゆるネギの独特の風味というものがなくて、とても美味しくて食べやすいネギでびっくりしましたね。
普通のネギと全然違うなと思いました。
普通のネギはネギでもちろん好み野菜としてなくてはならないものだとは思うんですけども、下荷田ネギちょっとハマっちゃう味でしたね。
またぜひ食べたいなぁと思っています。
続いて、の。
のぼるはるなのキャンプ村。
伊加保温泉があることで知られているはるな山は縄毛山山の一つに数えられています。
内輪山のはるな富士やはるな湖など美しい景色で知られ、昭和にはキャンプが盛んに行われるスポットになりました。
絵札には湖畔にテントがずらりと並ぶ様子が描かれています。
続いて、は。
花山公園つつじの名所。
花山公園はつつじが丘公園とも呼ばれ、群馬県東南部の建林市にあります。
花山公園はつつじの名所で、4月から5月にかけて1万本のつつじが咲き乱れるそうです。
Google画像検索で見てみたんですが、本当に色鮮やかで爽快なんですよね。
また昔、このあたりにおびき城というお城がありまして、
このお城は松類哀れみの例で知られる徳川綱吉も城主になったことがあるのだそうです。
続いて、ひ。
白衣観音寺陽のみて。
高崎の観音山の頂上にある白衣観音像は鉄筋コンクリート製で、高さ41.8メートルあり、
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高崎市のシンボルになっています。
これは1936年に実業家の井上康三郎が、戦争で亡くなった兵士の遺霊と高崎の発展を願って建てたのだそうです。
続いて、ふ。
文牧茶窯の茉林寺。
群馬県建林市にある茉林寺は、昔話の文牧茶窯の発祥の地と言われています。
この文牧茶窯のお話、タイトルは聞いたことがあったんですが、内容をよく知らなかったので改めて調べてみました。
文牧茶窯のあらすじなんですが、昔建林にある茉林寺に茶の湯を趣味とする和尚さんがいたそうです。
和尚さんはあるとき茶窯を買って持ち帰ったんですが、実はその茶窯は狸が化けていたものでした。
寺の小坊主たちは茶窯から手足が生えているのを目撃して和尚に訴えていたんですが、和尚さんは信じずに茶窯でお湯を沸かそうと火にかけたそうです。
火の熱さに耐えきれなくなった狸は正体を現し、驚いた和尚さんは窯を屑屋に売ってしまいます。
お寺で散々な目にあった狸は屑屋の夢に現れて、狩技や踊りの芸を人前でやるので大事に扱ってほしいと持ちかけるんですね。
そして狸の大道芸は多くの人を集める人気の見せ物になりました。
その後、元の姿に戻れないまま死んでしまった狸は森林寺で供養をしてもらい、その茶窯はお寺の宝として今も伝わっているというのが結末になります。
最後はちょっと悲しいんですが、結末には諸説はあるそうです。
この文牧茶窯の発祥の地である森林寺ですが、境内には20体以上の狸像が並んでいるそうです。
ここでこの森林寺の狸像の画像を見たんですけども、なんだかどれもコミカルで愛嬌がある狸像ばかりで、群馬県に行ったら是非行ってみたいスポットの一つですね。
続いて、平和の使徒、新島城。
明治の宗教家、教育者である群馬出身の新島城は、アメリカに留学後、京都に同志社英学校、後の同志社大学を設立しました。
同志社大学を作ったのは群馬県の方だったんですね。
続いて、穂。
群馬県出身の文学者、田山家泰。国語の教科書にも出てきましたね。
布団という田山家泰の代表作がありますが、これは田山家泰自身を投影した主人公の作家と、弟子の女学生とその恋人とのややただならぬ関係をセキララに描いたことで、当時大きな反響を読んだそうです。
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割と刺激的な作品を書く人だったんですね。
続いて、馬。馬友と紀伊都は日本一。
先ほど出てきた富岡製紙場が稼働を開始した明治初期は、日本の海外輸出の半分が紀伊都で、またその3分の1が群馬県産だったそうです。
つまり当時、日本の海外輸出額の6分の1を群馬県が占めていたわけですごいことですよね。
続いて、美。美中美、谷川、スキーと登山。
群馬県北部の美中美町は温泉街として知られており、冬はスキー客でにぎわいます。
また、新潟との県境にある谷川岳は登山客を集めるスポットになっています。
続いて、無。昔を語る田後の古碑。
この古碑、古い碑ですね。碑は碑文の碑、石碑の碑ですね。
この古碑は奈良時代の711年に今の高崎市の山名町と吉井町に新しく田後群という群が作られたことを記念して建てられたものです。
その碑文の文章は改書体で漢文で書かれていて、昔から多くの書家に愛されてきたものなのだそうです。
古の歴史を感じさせる碑文なんですね。
続いて、名。名仙織り出す伊勢崎市。
伊勢崎市の名産である名仙は絹織物の一種で、縄文カルタについて調べていると、本当に群馬は製紙業や織物が盛んなところなんだなと思いますね。
明治の後半には群馬の織物業は向上化されていくんですが、複雑な模様や風合いを特徴としていた名仙は高織りという機械を使った手織り生産が続けられていました。
大正から昭和にかけて伊勢崎の名仙の生産量は全国の半分を占めており、一大産地になっていたそうです。
続いて、も。もみじに生える妙儀山。
群馬県の代表的な山である縄文三山のうち、赤城山、春名山のことを呼んだ札はすでにご紹介しましたが、最後の一つ、妙儀山について語った札ですね。
妙儀山は長年の風雨で削られた岩山の荒々しい見た目が特徴です。
とても力強いイメージを受ける山ですね。
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そんな妙儀山がもみじに色づくシーズンは本当に風情があって素敵です。
ちなみに全国的には小中学校の運動会のチーム名って赤組、白組で分けるところが多いと思うんですが、群馬県では赤城、妙儀、春名というチーム名に分けるところが多いそうです。
これ知りませんでしたね。
僕の地元山梨県の小中学校では赤組と白組でしたね。
体育の時に被る帽子が赤白のリバーシブルになっていて、それで組を分けたりしてたんですけども、赤儀妙儀春名だと帽子はどうするんですかね。
これについてはぜひ次回シロさんに聞いてみたいですね。
続いて、八羽渓しのぐ阿賀妻峡。
八羽渓というのは大分県中津市にある日本三大気象として知られる渓谷です。
気象というのは不思議な景色の場所という意味ですね。
八羽渓しのぐ阿賀妻峡という読み札の意味は、あの八羽渓をも上回る凄まじい景色、それが阿賀妻峡であると言ってるわけですね。
阿賀妻峡は阿賀妻川の中流約4キロに渡る一大渓谷で、昔から関東の八羽渓と言われてるんだそうです。
どちらも巨岩、奇跡が連なる不思議な景色の場所で、紅葉の時期なんかは本当に見事で功を継付がたいという感じなんですよね。
続いて、ゆゆかりわ古し抜崎神社。
抜崎神社は、なんと1500年前に作られた神社ということで、本当に歴史の重みのある場所なんですね。
この神社は日本初期などに登場する普通主の神と姫狼という旗織りの神様が祀られているそうで、旗織り産業が盛んな群馬県ならではという印象がありますね。
それとこの神社、山道を下った低いところに車殿がある下り宮という、全国的にも珍しい構造の神社なんですね。確かに珍しいですよね。
山道を階段で上がっていく神社は多いですけど、下っていくというのはあまり見たことがないですね。
神社を作ろうと決めた土地の構造上、くだらざるを得なかったのか、他に理由があるのか気になりますよね。
続いて、世。世の塵洗う島温泉。島温泉は島川の上流にある温泉で、
草津、伊加保、水上と並んで群馬県の四大温泉のうちの一つであり、4万の病気を治す霊泉と言われてもいる。何かと四が絡む温泉ですね。
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この島温泉にある関前館は、元六四年、つまり1691年に作られた日本最古の湯宿なんです。300年以上の歴史があるんですね。
ここは、かの有名なジブリアニメの千と千尋の神隠しのモデルになったとされている場所なんですね。
グーグル画像検索で外観を見てみると、本当に千と千尋の舞台そのまんまという感じで、すごく風情がある場所なんですよね。
やめ札の、世の塵洗うという表現。単に体を洗って綺麗にするだけじゃなくて、日頃のストレスや心のモヤモヤを世の塵として島温泉で洗い流しませんかと、そういう呼びかけのように感じて、本当に行きたくなりますね。
50音の順番的には、次はこの札なんですが、この札はジョウモカルタを制作された浦野正彦さんの思いが一際強く込められているので、最後にお話しさせていただきますね。
続いて、理。理想の電化に電源群馬。群馬県を源にする利川水系は、東京や近隣の県の生活用水であるとともに、水力発電から生まれる電気を供給するエネルギー源としても使われてきました。
現在の理想の電化に電源群馬の絵札には、昭和43年に完成した下久保ダムの工事現場が書かれているのだそうです。
続いて、る。ループで名高い清水トンネル。この清水トンネルなんですが、群馬と新潟の県境を結ぶ長さ9702mにも及ぶトンネルで、1931年に開通、当時日本一の長さを誇るものでした。
この読み札にあるループというのは何かというと、トンネル技術が発達していなかった当時、長いトンネルを掘るのは簡単ではなかったんですね。
そこで標高の高いところにトンネルを作れば、掘る長さを短縮できるじゃないかということが考えられたんですが、一つ問題があって、電車は険しい坂を登れないんですね。
そこで生み出されたのがループ線という構造の線路でした。電車は直線の険しい坂は登れなくても、山の周りに緩やかな円を描いて登っていくループ線路であれば、標高の高いところまで登っていくことができるんですね。
こうしてトンネルを掘る必要のある長さをなるべく短縮して、それでも9702メートルもの長さだったんですけど、その長さを掘り抜いて作られたのが清水トンネルだったんですね。
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いやーすごいことを考えたなぁと思いますね。今は直線でより長いトンネルを掘る技術が発達しているので、主要な線路で新たにループ線路が建設されることはほぼないようなんですが、当時の人たちの工夫の結果生まれたのがループ線路であり、清水トンネルだったんですね。
続いて、レ。歴史に名高いニッタヨシサダ。ニッタヨシサダは戦国武将ですね。僕戦国武将とかあまり詳しくないので、ここだけゆうすけに代わりに解説してほしいなぁとか思うんですけど、さすがにここだけというのも悪いので、自分で調べてきました。
このニッタさんは当時光月の国と呼ばれていた群馬出身の人で、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将です。鎌倉幕府は今年の大河ドラマでも盛り上がっていたんですが、あの鎌倉幕府ですね。
で、この鎌倉幕府が1333年に滅びるんですけど、その滅びるきっかけになった元寇の乱という争いを主導したのが後醍醐天皇という人です。ニッタさんはこの後醍醐天皇に共鳴して武将として鎌倉を陥落させて北条家を滅亡させた人なんですね。
天皇が主導して幕府を滅ぼすって、令和の感覚から考えるとちょっとすごいなと思いますよね。
このニッタさんは群馬県のイクシナ神社で旗揚げをしたんですが、鎌倉へ向かう道中でどんどん行動を共にする仲間が増えていき、鎌倉に着く頃には5万人の兵力に膨れ上がっていたそうです。カリスマ性がある人だったんですね。
続いて、老。老の船津伝治兵衛。この方船津伝治兵衛さんなんですが、日本産農の一人ということで、縄文カルタには日本三名島とか縄文三山とかいろんなトップ3が出てきますね。
日本産農というのは明治時代に農書に基づいて在来農学を研究し、高い農業技術を身につけた農業指導者のことなのだそうです。
この方は赤城山の植林事業を行ったり、寺小屋を開設したり、地域の指導者として存在感を発揮していたようで、船津農法という農法を生み出し、その農法は群馬だけではなく日本中に広まっていったのだそうです。
続いて和。和産の大化、関江和。この関さんは江戸幕府に仕えた数学の研究者で、西洋の数学とは別系統で進化した日本の数学、和産の発展に貢献しました。関さんは円周率を小数点以下16位まで正確に計算していて、これは当時の世界的に見てもハイレベルなことだったようです。
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さらにスイスの数学者ベルヌーイよりも早くベルヌーイ数を発見していたそうです。
ということで、ここまで、和、雷と唐風、義理人情を除いて、全ての札についてお話しさせていただきました。
この最後に回した雷と唐風、義理人情なんですが、さっきも言ったように縄文をカルタを制作した浦野雅彦さんの思いが強く込められている札になります。
冒頭でも少し触れたんですが、縄文カルタが作られたのは1947年戦後すぐのことでした。
敗戦によって日本の国土は荒廃し、戦争で親を失った子どもや夫を失った女性も多く、簡単には言葉にできないほど生きることが大変だったと思います。
そして日本の軍国主義を警戒するGHQによって、学校教育での地理や歴史の授業は停止されていたそうです。
地理や歴史を子どもたちに教えることができなかったんですね。
群馬県阿賀妻郡出身の浦野さんは、満州から日本に引き上げ、戦争犠牲者の支援に取り組んでいました。
人一倍故郷の群馬を愛していた浦野さんは、この素晴らしい群馬の魅力を群馬の子どもたちに知ってほしいという思いから、
カルタを使って群馬の子どもたちに故郷の歴史や文化を伝えることを決意しました。
縄文カルタは未来を作る子どもたちに群馬の魅力を伝えたいという思いや情熱の結晶なんですね。
僕はそういう由来については知らないまま、縄文カルタを入手したんですが、
後からそういう浦野さんの情熱や思いを知って、胸が熱くなる思いがしましたね。
雷と唐風、義理人情なんですが、実は縄文カルタにはもともとは入る予定だったのをGHQに検閲されて入れられなかった人物の札が存在します。
それは高山彦九郎、国貞忠二という人物の札でした。
高山彦九郎は江戸時代の尊能思想家、国貞忠二は江戸時代を生きた教学でした。
高山彦九郎は尊能思想家ということで、GHQには日本の帝国主義の象徴のように見えたようです。
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谷佐田忠二は教学、つまり人教の人で、悪影響があると判断され収録を許されませんでした。
ちょっとびっくりしますよね。戦後の日本ではGHQがカルタの内容まで検閲してたんですね。
谷佐田忠二はGHQの厳しい検閲に対して抗議したんですが、あまり強く反発しすぎるとカルタの発売自体ができなくなってしまうと判断し、やむなくこの2枚の札の収録を諦めました。
しかしこの雷と唐風、義人状という札でこの検閲された2人を表現することにしたんですね。
そして検閲に対する怒りを込めてこのラの読み札を赤く染めました。
絵札も驚々しい表情をした雷神の絵にすることでGHQへの怒りを表現していたんですね。
裏野さんという人の未来を作る子供たちへの優しさ、情熱、そして反骨心が伺えるエピソードだと思います。
ということでここまで縄文をカルタ全編をお聞きいただきありがとうございました。
次回後編はシロさんをゲストにお招きして縄文をカルタについていろいろお話を聞けたらと思います。
セミラジオではお便りを募集しています。
概要欄のフォームかツイッターでハッシュタグセミラジオでご感想いただけると嬉しいです。
今日は山梨県民である僕、セミヤマが縄文をカルタを語らせていただきました。
ご視聴ありがとうございました。
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