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2022-02-23 23:21

ニホンオオカミと日本人の不思議な関係

ニホンオオカミの生き残りと言われた秩父野犬や名著「日本人とオオカミ 世界でも特異なその関係と歴史」の内容を中心に、ニホンオオカミについて語りました!

・ニホンオオカミの生き残り?秩父野犬
・日本人とオオカミの関係性はとっても独特!
・貴族と農民のオオカミに対する意識の違い
・狼を崇拝した渡来系氏族・秦氏と稲荷神社
・狼は戦争が大好き!?
・半上村の襲撃事件
・昔ばなしに登場するオオカミ

【秩父野犬の詳細】
https://canischichibu.com/details/

【「日本人とオオカミ 世界でも特異なその関係と歴史」感想と考察】
https://semiyama.com/japanese-wolf/

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みなさん、こんにちは。自然を愛するウェブエンジニア、セミラジオです。
今日は、日本人と狼、世界でも得意なその関係と歴史という本の話を中心に、
ニホンオオカミについてお話したいと思います。
以前、このラジオの絶滅動物会で、絶滅動物が好きだというお話をしたんですが、
特にこのニホンオオカミは、僕が子供の頃から非常に興味を持ってウォッチしてきた動物です。
ニホンオオカミの確実な生息情報は、1905年に奈良県和鹿口というところで捕獲された若いオスの記録が最後になっており、絶滅したと言われています。
ただ、以前僕は、いや、どこかでニホンオオカミは生き残っているに違いないと確信して、いずれ再発見されるのではないかと考えていました。
その根拠となったのが、1996年に埼玉県秩父の山中で撮影された秩父野県です。
秩父野県とは、1996年にNPO法人ニホンオオカミを探す会の代表、ヤギヒロシさんによって埼玉県秩父の山中で撮影された犬科の動物です。
この秩父野県、概要欄にリンクを貼っておくので是非見て欲しいんですけども、普通の犬とはかなり雰囲気が違います。
撮影当時、僕の地元の新聞にもこの写真が載ったんですが、初めて見たときめちゃくちゃ興奮しました。
その秩父野県の写真は、自分の持っていたニホンオオカミのイメージに限りなく近かったんですよ。
もうこれニホンオオカミじゃん!生き残ってたじゃん!と大興奮して、いつか必ずニホンオオカミは公式に発見されると、その時は思いました。
その後、ネットで秩父野県について調べたときに、首輪の跡ついてるよね?みたいな書き込みを見つけて、え?って思ったんですけども、
NPO法人ニホンオオカミを探す会の公式サイトに秩父野県の写真が載ってるんですけども、言われてみると確かに首のあたりに割とくっきりと首輪の跡っぽいラインが見えるんですよね。
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まあ実際のところはわからないんですけども、秩父野県に限らずニホンオオカミの目撃例というのは決して少なくなくて、目撃した体験談を綴った本なんかもいくつか出版されています。
ただ現在の僕自身の見解としては、ニホンオオカミとされる個体群が日本の自然環境の中にまとまった数生き残っているというふうには考えていません。ただニホンオオカミがすでに絶滅しているとしても、かつての日本には数多くのオオカミが生息していました。
そして日本人とオオカミの関係性というのは、実は世界でもあまり例を見ない独特のものだったんですね。今回ご紹介する日本人とオオカミ、世界でも得意なその関係と歴史という本は、そんな日本人とオオカミの関係性にスポットを当てた本です。
この本の著者、クリス・タケシさんは、毎日新聞の記者として日本オオカミに興味を持ち、日本オオカミの実態を知る年配の方への聞き込み調査を行っていました。
日本オオカミと実際に遭遇したり、より上の世代からオオカミについて聞いていた方たちに取材をして収集した日本オオカミについての貴重な証言や伝承が、この日本人とオオカミという本に収められています。
日本の自然の中に生きていた日本オオカミの存在を、生き生きとしたエピソードと共に感じて、オオカミのいた日本を仮想体験できる、そんな他では味わえない魅力がこの本にはあります。
今回のラジオでは、日本人とオオカミの中で特に印象深かったエピソードや見どころを紹介していきたいと思います。
ポイントその1。
日本人とオオカミの関係性はとっても独特。
日本人とオオカミの関係性は世界の他の地域、例えばヨーロッパや中国とはかなり違う独特なものでした。
日本人とオオカミの関係性、それは恐れや信仰心、親しみの入り混じったとても複雑なものでした。
お隣の中国では、家畜に害をなすオオカミを、ガロウエタオオカミと呼び、意味嫌っていました。
ヨーロッパでも昔話、赤ずきんちゃんで描かれるような、狡猾で凶暴、鈍欲な害獣としてのオオカミが基本的なイメージです。
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日本とそれらの国のオオカミ間の差はどこから来たのかということになるんですけども、
日本人とオオカミではその理由は、日本独特の気候と風土、それによって生まれた日本独自の農業にその原因があると論じています。
日本では弥生時代に稲作が伝わり、全国に伝播したんですが、当時の日本の農業は、そのルーツである中国では盛んだった食肉用の家畜、豚、牛、羊などを持ちませんでした。
これは世界の農業の中でも極めて珍しいことでした。
理由としては、日本人とオオカミの中でもいくつか挙げられているんですが、
一つの原因として、日本は産地や森が多く、家畜の餌の供給源である草原を維持することが難しいんですね。
例えば中国であれば広大な平原で豚や牛をローコストで養うことができるんですが、日本ではそれができないんですね。
また、日本への農業の伝来は、中国から朝鮮半島南部を経て伝わったという説が有力なんですが、朝鮮半島南部では食用家畜を持たなかったこともわかっています。
その後、日本でも農業に家畜を導入していくことになるんですが、それは他国の規模に比べれば小さいものでした。
こうした様々な地政学的な要因によって、独自の家畜を持たない農耕文化を発展させてきた日本では、現在でもそうなんですが、鹿やイノシシによる農業被害が深刻な脅威になっていました。
そして、鹿やイノシシによる農業被害に悩まされていた人たちにとって、それらを飼ってくれる狼は恐ろしいながらも頼もしい存在でした。
結果、日本人が狼に抱く感情は、家畜を襲う狼を害獣と見ていた他国とは違う、極めて独特なものになっていきました。
狼を神の使いとして崇める神社があったり、異形の念を抱くということは、日本人にとってすごく特殊という感じはしないんですが、世界的に見ると珍しいということなんですね。
この、農耕の民にとって狼は頼もしい存在だった、という話と繋がるのが次のポイント。
ポイントその2、貴族と農民の狼に対する意識の違いです。
日本人と狼が指摘する、日本人と狼の関係性の重要なポイントとして、農民と貴族の間で異なる、狼間の二重構造があります。
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中国の知識層と交流のあった貴族たちは、中国の狼間に影響を受けていたんですが、実際に遭遇する機会も少なく、直接的な利害関係がなかったため、貴族たちは狼に対しては無関心だったようです。
当時の貴族が狼に無関心であったことを示す間接的な証拠が万葉集です。
万葉集には狼が由来になった地名は出てきますが、狼そのものを題材にした句は収録されてないんですね。
この万葉集に取り上げられていないということが、逆を言うと貴族たちは狼に対して全くの無関心だったことを裏付けているということなんですね。
農作物を狙う鹿、イノシシを退治してくれる狼に親しみを抱いていた農民と中国の知識層と交流し、彼らの価値観に影響を受け、狼に対しては無関心だった貴族層、日本人の狼間はこの二重構造をベースに時代とともに変化していくことになります。
続いての見どころは、その3。
狼を崇拝した寅系氏族、羽田氏と稲荷神社です。
日本人と狼では、狼を崇拝した寅系の有力氏族羽田氏について述べています。
古事記には、応神天皇の代に朝鮮半島から羽田氏の祖先が渡ってきたとあります。
この羽田氏の一人、羽田の大土が、狼をたっとき神と呼ぶ話が日本書紀に収められていることから、羽田氏は狼を崇拝する一族だったと考えられています。
羽田氏の拠点だった京都盆地の北西部は、狼信仰が盛んな地域で、裏を返すと鹿やイノシシによる獣害がひどい地域でした。
羽田氏は養産を得意としたと伝えられており、草原・桑の畑を開いていました。
農業も営んでいたと考えるのが自然です。狼を信仰することになったのも自然な流れだなと思います。
この狼を信仰していた有力氏族羽田氏が開いたと言われているのが、狐の石像で知られる稲荷神社です。
稲作、農耕の神として狐を祀る稲荷神社は全国に多数存在しています。
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ただ、なぜ狐が農耕の神なのか考えてみると不思議ですよね。
日本人と狼ではこの問題について鋭く切り込んでいきます。
稲作、農耕の神を祀る稲荷神社、その神様としてふさわしいのは果たして本当に狐なのか。
田畑を表す鹿やイノシシを狩る力を持っていた狼こそがふさわしいのではないかと推理を展開しているんですね。
本来は農業の神イコール狼だったのが時代とともに意味が失われたり、
代々的に狼を崇拝することの難しさから狐に姿を変えて今日に伝えられているのかもしれません。
続いてのポイント、その4、狼は戦争が大好き。
狼と戦争、一見何の関係もなさそうな組み合わせなんですが、
実は狼と戦争には不気味な相関関係があることを日本人と狼は指摘しています。
ロシアの動物学者ビタリー・ビヤンキの小説、狼おじさんから引用された一節が、
日本人と狼で紹介されています。引用します。
ご承知のように戦争がありましたが、狼は戦争ってやつが大好きでね。
あれ以来あちらこちらでやたらと増えているんですよ。
人間のような大型の動物が大量に打ち捨てられるような状況は、戦争でもなければありえません。
とても不気味な話ですが、戦争は狼にとっては苦労せずに多くの食料を手に入れられる、またとない機会だったのかもしれません。
ちなみに狼が土葬された人の胃がいを墓から掘り起こして食べた、という記録は日本にも数多く残っています。
それを裏付けるように、狼の胃がいを掘り起こして食べた、という記録は日本にも数多く残っています。
ちなみに灰人の正岡式も次のような句を残しています。
狼の墓掘り探す落ち葉かな。
狼の墓掘り探す落ち葉かな。
続いてのポイント
その5
藩の上村の襲撃事件
日本人と狼に紹介されていた話の中で最も衝撃とも言えるのが藩の上村で起きた狼襲撃事件です。
割と生々しい話になりますので、ちょっとそういうのが嫌だなという方は飛ばしていただけたらと思います。
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藩の上村、半分の藩に上と書くんですが
この村は現在の鳥取県日野郡甲府町向こうという場所の一部です。
事件が起きたのは天明3年、1783年
四国返路に向かっていた7人の巡礼者が
山陰地方から中国山頂を抜ける道の途中、藩の上村のお堂を一夜の宿としていたところ
狼の襲撃に遭いました。
この7人、それぞれ故郷も違う人たちの集まりだったようなんですが
旅の途中で知り合い、行動を共にしていました。
内訳としては、長野出身の44歳男性、一助とその妻、息子、娘の4人家族、広島出身の男女3人
この7人が四国に向けて現在の鳥取の山中を旅していたわけです。
旅の途中、7人が藩の上村のお堂で休んでいたところ
午前3時ごろ、突如として狼が襲ってきました。
群れではなく単独の狼でした。
まず、長野出身の一助が全身を噛みつかれ、重傷を負います。
抵抗しようと立ち上がるも、何の武器も持っておらず、なす術がありませんでした。
狼はつついて、一助の息子亀吉をお堂の外に引きずり出して殺害。
さらにお堂に戻ってきた狼は、広島出身の女性里代も外へ引きずり出して殺害します。
傷が浅かった女性が朝になって村に助けを呼びに行き、
藩の上村の人々はようやく事態を知ったのでした。
この事件は地元の人々にも衝撃を与えたようで、
200年以上前に起きたこの惨劇のことを地元の方は語り継いでいました。
昭和55年、地元男性が作者の取材に語ったところによると、
50歳以上の人はみなおばあさんから、悪いことをすると古い狼が来て取ってくうと言われたことがあるそうです。
日本狼は世界の狼の中でも体が小さく、シェパード犬程度のサイズしかありませんでした。
それがたったの一匹で7人連れの人間を襲い、そのうち2人を殺したというのはかなり衝撃的なことのように思います。
しかしよく考えると大陸の狼に比べて体は小さいとはいえ、
日本狼は鹿やイノシシなど厳しい自然の中で生きる野生動物を倒すことができたんですよね。
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その力の凄まじさを感じさせる話だと思います。
それでもこの事件は普通ではないというか、
この狼は何かの理由で凶暴になったり、極度の危害に襲われていたのかもしれないなと思います。
最後のポイントです。
ヨーロッパでは赤ずきんちゃんなど有名な作品に登場する狼ですが、
日本のメジャーな昔話には登場していません。
恐れと共に信仰される神の使いであった狼は、
ズル賢い狐、狸や臆病なウサギなど、
昔話の中での立ち位置が明確な動物と違って扱いづらい存在だったのかもしれません。
ただ少ないながらも狼が登場する昔話は存在しています。
その中の一つに千匹狼というのがあります。
ある僧侶が日が暮れて人も少ないところを知人の孫エモンの家を目指して歩いていたところ、狼に遭遇しました。
狼の群れに囲まれた僧侶は高い木に登ってやり過ごそうとしたんですが、
大きな狼が来て我を肩車に上げようと言うと、
狼たちは股に首を差し入れて、縦に何匹も連なって僧侶に届きそうなほど高くなったので、
僧侶は小刀を抜いて一番上の大きな狼を突きました。
そうすると狼たちは崩れ落ち、散り散りになって逃げてしまいました。
朝になって僧侶が孫エモンの家に行くと、昨夜妻が死んだと言います。
死体を見るとそれは大きな狼だったそうです。
これから尋ねようとしていた知人の奥さんが狼に化けていたという話なんですけども、
一旦家に迎え入れておいて、寝たところを襲えばよかったのかなと思ったりもします。
もう一個別の昔話をご紹介します。
江戸の男が奥州、現在の岩手県の松島を見に行く途中で道に迷い、山の中に入ると貧しい家がありました。
中に入ると老夫婦とその娘が住んでおり、娘は二十歳くらいで美しく、男は娘に惹かれ妻として芽取ることになりました。
三年後、両親のことが心配になった妻が、
奥州に行って父母の様子を見たいというので、男は妻と連れ立って松島見物が寺、奥州に行くことにしました。
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その場所へ行き、家を探したものの、いおりはあるが柱は倒れ、ずっと人は住んでいなかったように見えました。
よく見ると大きな狼の死体が二匹重なって朽ちていました。
妻は、我が父母はすでに人のために殺されてしまわれた。
口をしや、と言って大きな狼に変化して夫に向かってきました。
驚いた夫は刀を抜いたんですが、狼に食い殺されてしまったというお話です。
狼が人間に化けるという役回りを演じることが多いんですね。
ちょっと昔話の中での狐の立ち位置に近いんですけども、
狼は変身した時、狐と違っていきなり人間を倒せる力を持っているので、化けた時の脅威の凄さは狼の方が圧倒的に上ですね。
ということで明朝、日本人と狼、世界でも得意なその関係と歴史のお話を中心に日本狼についてお話ししてきました。
現在は絶滅してしまった日本狼ですが、日本人と狼はその歴史の中で独特の関係性を築いてきました。
自治部などを中心に広く流行していた狼信仰や狼像、狼にまつわる風習など、近年でもそこに着目して研究されている方がいらっしゃいますし、とても興味深い読み物なども発行されています。
この日本に確かに息づき存在していた野生動物としての日本狼、そして日本狼と日本人の関係性、とても面白いテーマですし、今後もそのあたりに注目してウォッチしていきたいなと思っています。
今日は日本人と狼、世界でも得意なその関係と歴史という本の話を中心に日本狼についてお話しさせていただきました。
ご視聴ありがとうございました。
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