劣等感の影響
どうもボブです。今日は介護の話と、あとちょっと心の話をしたいなと思うんですけど
劣等感、劣等感を持っている方について、いろんな問題、弊害が起こったりするな、気を付けないといけないなっていう風に思うことがありましたので、シェアしたいなと思います。
今、高齢者の方、介護しているんですけど、やっぱり劣等感を持っている方ってすごく多いなって思うんですね。
でもそれは本当に、病気になって、本当だったら老後こんな生活したいって思ってたのに、周りはそういう老後の生活を送って楽しく過ごしている方もいるかもしれない。
でも自分は誰かと比較をして、そして劣等感を持って比較することによってね、すごく惨めな気持ちになったり、悲しい気持ち、怒り、悲しみ、いろいろね、出てきてしまっている状況だと思うんですね。
それから、それがあって、普段生活している中でも、あれが思うようにいかない、これが思うようにいかない、イライライライラして、そのベースになるイライラが他の人たちとのトラブルになったりする、そんなこともあったりすると思うんですよね。
ただこの劣等感っていうのは2種類あるんです。内向型、ちょっとね弱っちい方の内向型と攻撃型の劣等感、ガミガミガッっていうような攻撃型の劣等感と2種類あるって言われてるんですよね。
思い当たる方いませんか?なんかネチネチネチネチずっと言い続けて、もういいの?もういいの?って言いながらもずっと言う人。
その反面、もうガーンと怒ったらもうカッカ来て血圧上がりそうな、そういうねガミガミ系の方は攻撃型劣等感、どっちも根本は劣等感なんですよね。
で、なぜかこの内向型劣等感の人と攻撃型劣等感の人って引き合うんですよ。
で、トラブルになっている人を見ると結構内向型劣等感と攻撃型劣等感の人たちがガーガー言っていて、で、怒った方がやっぱりね悪いみたいになっちゃうんですけど、
でもまあそれをね引き起こしているのはもしかしたら双方が共鳴しあってそういうトラブルが起こっている可能性があるんですよね。
どっちも劣等感を何か解消しようとする。
で、場合によってはこの内向型の劣等感を持ってる人は攻撃型の劣等感の人に好かれよう好かれようってする。
そういうパターンもあるようなんですよね。
で、職場で皆さんどうですか。
内向型でちょっと弱っちい、自信のない方、いつも怒られているような方が、いつも怒っている上司になんか好かれよう好かれようと擦り寄って言ってるような、そんな方っていませんか。
そういう方もちょうどね内向型と攻撃型が引き合ってるんですよね。
でもそれってなんかもうその人のこの劣等感、そもそものこの劣等感というものが引き合わせていてトラブルの根っこになってるんですよね。
劣等感の解消
じゃあこの劣等感っていうのは何でそもそも結構たくさんの方が持っちゃってるのかってなったらやっぱり生活歴をたどってたどっていくと、なんかやっぱり幼い時とか仕事してバリバリやっている時の話を聞けば聞くほど、
まずはその仕事バリバリの時もやっぱり会社組織、縦組織の中でずっとやってきたわけですよね。もう上の人の言うことが一番、上司に反発することができない。そんな感じで上のお伺いを立てながら立てながらっていう風にやっていく。
でもそれって劣等感を生むんですよね。自分より相手を優先しているわけですから、自分を大事にしていないし自分より相手の方が上っていう感じになると自分で思い込んでしまうと自分の本来の存在欲求っていうものが満たされないんですね。
そうなっていくと、やっぱり縦の関係がずっと続いてしまう。そしてその手前には兄弟関係とか幼い頃の家族関係、これも同じような縦の関係でずっと比較されたりとかね。
お兄ちゃんと弟とかね。お兄ちゃんだったらちゃんとしっかりしなさいとか、弟だったら兄の言うことをちゃんと聞きなさいとか、そういう教育をずっと受けてきた。こういうことで、劣等感の種をずっと生んできたんですよね。種を育ててきてるんですよね。
ただ、その最初の劣等感の種、ちゃんと目上の人の言うこと聞きなさいっていうのは、幼い時にちゃんと社会に出ていけるように親が良かれと思ってやってくれてたこと。
だけど、それをずっと大人になっても同じことを繰り返す必要はない。そこで自分で切り替える必要もあったんですよね。
でも、今のね、今のというか、もう特に昔の会社組織っていうのはガチッと定義関係もしていたんでしょうし、断れないとかいろいろあったんだと思います。その中で順応していくことは大変だったと思うんですよね。
でも、全部それをね、会社の言う通りどんなに仕事が忙しかろうが、もう寝ずに仕事していた、そういうような状況を繰り返していくことで、最終的におじいちゃんおばあちゃんになった時もそれをまだ続けてるんです。
おじいちゃんおばあちゃんになった時にそんなの続ける必要ないんですよ。もう人生の中ではもう終盤地点で、もう仏様な状態ですよ。
なのに、そこで本来は健康で元気にやってきてたはずだったのに病気になってしまった。ここでまた非核をしてしまって、自分の本来の楽しみとかももう実現できない。
そういうことで、また本当にその種を育てて育てて育ててきたものが、もうある意味、形になってしまった。
劣等感という花を咲かしてしまっているのかもしれないですね。その花に引き合うような人とまた巡り合っていくんですよね。
でもこれを一旦気づいてやめませんかっていうことなんですよね。これがある限り高齢になればなるほど健康状態にまで大きな影響を及ぼすんですよね。
内科的な病気、精神的な病気、体の痛み、神経痛みたいなそういったこともメンタルってすごく影響するんです。
今日は介護の話なんで、調心セラピーのことはもうちょこっとだけにしておきますけど、こういう小さな劣等感の種、こういったものをちょっとずつでも摂っていけるように調心セラピーっていうのをできるようになったんですよね。
しかもこれは早いうちから、幼いうちからでもやっていく必要があるんです。だからずっとね溜め込んできて、磁石のようにどんどんその劣等感というものがお腹に溜まるんですよね、実は。
お腹に溜まった感情っていうのはずっと溜めている限りずっと引き寄せていくんです。
こういうね、溜まった感情を取っていくということで、同じような引き寄せることをもう中断するっていうことができる。
ただこういうセラピーをしなくても、まず自分にこういう劣等感があるんだ、気づくっていうことが大事なのかと思うんです。
自分の目の前に劣等感のあるガミガミ上司が出てきたとか、劣等感のあるねちねち系の人が出てきたとか、そんなことに気づけば、あ、自分にあるんだっていうサインなんです。
なので、分かったら、まず今までその人と離れるとか、あえて離れるっていう手段を取るだったり、ちょっとでもね、今までと対応を変えてみる。
何かね、今まで何でもこれやってあれやってって言われてたのを断ってみるとか、そういうね、ちょっと行動を変えてみることが大事なんだと思うんです。
ただこの劣等感というものがいろんな面で作用して人生をね、変えていく。
本当だったら、この日本に生まれて、ね、水もある。
蛇口しねればちゃんと水が出て、お風呂も入れて、デイサービスとかそういったね、いろんなサービスもまだ今日本にはある。
比較的ね、費用も安くて利用ができる。
そんな環境の中でご飯も自分で全部作らなくても、チンすれば食べれるようなものもたくさんある。
そんな環境の中にいて幸せだっていうことを感じれなくなるのは、比較をするからなんですよね。
ご飯すら食べれない国の方から見れば、おじいちゃんおばあちゃんになって体動けなくてもこんな生活ができてんだったら幸せじゃん。
そう思えるかもしれないんですけど、そう思えないんです。
劣等感を比較によって自分で作ってしまってるんですよね。
それは、あんたね、こんな身になってみるとわからんよって言うかもしれない。
でもそれは言えば言うほど、これはエゴなんですよね。そんなこと言っちゃいけないけど、本人には言いませんよ。
でも、そう思う限りその状況が続くんです。
なので、そういう、その思考から離れる。それが大事なんです。
でも、高齢になればなるほど、自力でそれをやるってなかなか難しいことだと思います。
だから、なるべくそういう引き合っている劣等感の方がいれば、話してあげるとか、距離を置かせてあげる。
あと、存在欲求。あなたはここにいていいんだよ。いるだけでいいんだよ。
今の日々の生活、実は幸せなんだよ。幸せを見つけていこうよ。
こういうことを気づいてもらう。きっかけを与えていくっていうのも大事な仕事なんだろうなって思いました。
ということで、今日は劣等感のお話でした。
なんかね、まだちょっと話したいこともあるので、またどっかでお話できたらと思います。
ご視聴ありがとうございます。