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2025-05-14 12:22

【介護361】行き過ぎた「正しさ」は「悪」にもなり得る

#介護 #ケアマネ
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サマリー

介護の現場において、正義の行き過ぎが個々の自由を制限することがあります。特に、施設内での効率や管理を優先するあまり、本人の意向が無視される状況が見受けられます。正義と悪は表裏一体であり、適切な柔軟性が求められています。

介護における正義の葛藤
どうもボブです。今日は介護の話をしたいなと思うんですけども、ふとですね、正義が強すぎる時って、介護の現場でありませんか?
正義、この人のためにっていう気持ちが強すぎる方って、たまにいませんか?
それが決して良いとか悪いではないんだけれども、その強すぎる時って、同時に正義も悪も表裏一体だと思うんですよね。
例えば、僕の経験で言うと、施設にいた時にですね、施設の中でしっかり全員をちゃんと回していかないといけないわけですよね。
職員を効率的に動かして、お風呂だったりおむつ交換だったりを、ちゃんとその日のうちにうまい形で
夜勤さんにつなげるとか、そういう形でやっていかないといけない。長年それでやってきた方にとっては、
ちゃんと回すことが正義だっていう意識が強くて、それによって、
新人さんとかがね、見た時に、この人今おむつ変えてほしいって言ってるんです。
それはね、おむつの時間決まってるんだから後にしなさい。そういう話になってくるわけですよね。
ある程度の決まりがありつつの柔軟な対応が、正義のこうしなければいけないっていうのが強いあまりに、
柔軟性がなくなってしまってる。そういう感じがするんですよね。
あとこの人の命を守らなければいけないっていう意識がすごく強いということで、
医療的な管理でもうガチガチになって、薬もバッチリ飲める、食事もしっかりとれるっていう環境は整ったんだけれども、
なんかこう本人としてはあまり喜んでない。そういう時もたまにあるんですよね。
本人の自由だったりとか許さみたいなものが、全て管理されて制限されてしまうような、そんな状況。
命が最優先だからちゃんと管理をしなければいけないっていう、そういう価値観。
その人、支援者がその価値観を持ってるんですよね。本人にその価値観がない状態で、支援者が本人の代わりに何か強い価値観を持っていて、それを押し付けようとしているような、
あくまで善意なんですけどね。良かれと思ってやっているからこそ誰もそれに対して否定はできないんだけれども、
本人にとってはそれは望ましいことなのかはまた別問題なのかなと思ったりします。
本人の意向と管理のジレンマ
昨日ですね、こういうことがありました。
亡くなった方がいたんですね。突然死をした方がいて、
事前に相談していた葬儀者さん、フリーで動いている葬儀者さんなんですけれども、大きな大手じゃなくてですね。
その方に報告までしていたらですね、この方は以前に自分であるお墓に入りたいって言ってあったんですね。
だけれども、口で言っているだけの状態で、
その葬儀者さんに事前に相談は1回だけしたんだけれども、契約はもうせず、その後ももうしておきませんか、しておきませんか、早めに言っていたんだけれども、
本人が悪い時になってから言うから、早く死ねっていうことか、
まだ今は頼まないって言って、拒んでたんです。
で、結局急に亡くなってしまった。そんな状況の時にですね、
葬儀者さんは以前本人の意向としては、別のところに入りたい、お墓入りたいって言ってた。
でも今のままだったら生活保護を受けているので、もう決まった合奏部に入ることになる。
だから本人の意向が叶えられないですよ。だから本人の意向を叶えるために、
今からでも僕動きますからって言ってくださったんですよね。でも、
本人が決めなかった。早いうちにこうしておいたら、ちゃんと自分の希望のところに入れますよっていうふうにしていたんだけれども、
それをもう本人は拒んだ。
契約を事前にしてるんだったら、もうお願いしますっていうことで本人の希望を叶えてくださいって、
こっちも言えるんだけれども、そういう状況ではないわけですよね。
固定観念の影響
そこで僕が動きますって葬儀者さん言ってくれたんだけれども、どういう形でって言ったら、
いろんな経験があるからですね、ちょっとグレーな方法で一応そういうこともやりますよ。
だって本人の意向なんだもん。亡くなってから本人は浮かばれますか?すごいね言ってくるんだけれども、
今の時点では警察も入ってるし、突然死だからですね、警察、ドクター、そして生活保護課の方が入ってるので、
僕としては、1回ちょっと相談しただけで契約してない状態の方にお願いしますっていうこともやっぱり言えないっていうことでお断りしたんですよね。
もうめちゃくちゃ怒られちゃって、葬儀者さんに。 あなたはどういうつもりですか?みたいなね。
あなたの電話を受けているほど暇じゃないんですよ!みたいな、すごい怒られちゃって。
でもこういう時に感情がすごい高ぶって感情がね、ザワザワするっていうのは、何かこうあるべきっていう、自分で設定した
固定観念みたいなものが必ずあるんですよね。 で、その自分が設定した固定観念とずれたことをする人に対してすごく攻撃したりとか、
すごくね、当たってしまうという部分がある。 その当たり前、固定観念っていうのが正義みたいな、これが正しいっていうものじゃないかなーって
思うんですよね。 本当は介護の現場において、これが正しい、こうあるべきっていうのは
その瞬間その瞬間、個別にあるかもしれないんだけれども、 でも
一律にこう、みんながこうあるべきっていうものって、本当はないんじゃないかなって思うんですよね。 なので
固定観念というものを持つことそのものが、 なんかリスクというか、もう争いを生んでしまうもののような気がするんですよね。
自分はこういう介護感を持っています。 こういう看護感を持っていますっていうようなものがあればあるほど、それが邪魔してしまう出来事とか、
それによって自分の感情を上下させて疲れてしまう、 疲弊させてしまうっていうことってあると思うんですよね。
なので その
正しい悪い、そういう二極的な考えじゃなくて、真ん中の中央っていう考えで真ん中を取っていくっていう風にした方がいいんじゃないかなって思うんですよね。
どっちかであるべきなんて答えが誰が出せるんだろうか
固定観念を取り払って こういう考えもあるよね、こういう考えもあるよね。今の時点ではどれがベストだろうか
そういう答えはあるんじゃないかなって思うので、争う姿勢 固定観念でこれが正しいって言ってるとその中央にたどり着くことって
不可能じゃないかなって思うので、何というか 自分が何か頭に来た、介護とかその仕事をしていて頭に来たとか
介護のその介護者もなんかカーッとなったっていう時は あ、ちょっと待てよ、そのカーッとなったっていう時に自分はどういう
当たり前固定観念を持っていたかな、そこに引っかかって
このイラッとした感情が生まれているんだとしたら、それは何かなっていうのをちょっと考えてみるのが大事じゃないかな
そういうふうに思いました すっごく怒られましたけど
僕その方すごく尊敬してるんですよね、すごい方なんです なんだけど今回この一つの出来事でもうあなたとはもう仕事しませんって言われちゃって
僕としては悲しいんです なんか自分だけいい人ぶってるような発言になっちゃいますけどね
でも怒らせてしまったのは自分のね一つ一つのこの対応言動がイラッとさせてしまったかもしれないんですよね
なので申し訳ないなぁとでももう怒ったものは仕方ないもので 自分としてはね、でも本当あの今回は申し訳ありませんでした
失礼な形になってしまって申し訳ございません ただ今までのねいろいろ助けてくれた部分はとっても感謝してます
ありがとうございましたということでお伝えはしてます がそんなこと言われたってもうカッカ来てるので火に油を注いだ言葉かもしれないんですけど
でももうあのわざわざねえっと無視したりとかわざわざ 向こうもそういう態度ならこっちもみたいな
それはそれでまた邪魔な固定観念が入ってるんだろうなぁって思うので
なんていうかね誰も本当は悪くない誰もみんなが一生懸命やっている その中でただこじれているあの固定観念が邪魔しているだけなんだ
でその正義っていうものの裏腹は
まあ悪でもあるんだ行きすぎると悪い方向に行ってしまう だから表裏一体なんですよね正義も悪も
悪い方向にいつのまにか行ってしまう a
猫の葬儀者さんもまあ いろんなケース対応してくださるけれどももしかしたらやりすぎて法に触れてしまうようなことも
出てくるかもしれないわけですよねだからまあそれもね 正義の行きすぎた部分
可能性が出てくるわけですがそういうのを気をつけたいといけないなぁ 感じました
ではではご視聴ありがとうございます
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