デイサービスでの発言
どうもボブです。今日はですね、利用者さんに今日言われた一言が、結構ね、ズンときてるもので、ちょっと皆さんにもね、こう、どう感じるかなということで、ちょっとシェアしたいんですけども、
ある利用者さん、男性の方なんですけども、
僕たちはね、と。家畜じゃないんだよ。って言ってたんです。
ご自宅に訪問したときにですね、
デイサービス、今のデイサービスってどうですか?聞いたときに、
うーん、まあ、良くないねって言うんですね。
どう良くないですか?聞いたら、
なんか、あの、融通が効かない。柔軟性がないんだよ。って言うんですね。
どんなときに、その柔軟性がないって思いますか?って聞いたら、
ちょっとね、話を乱したりとか、ちょっと発言を間違えたりとか、そういったことですぐ排除する。
そういう傾向があるよね。って言ってるんですね。
みんな同じように同じことをして、
同じような結果を出す。
そういう風にしか、そういうことをしない人は、
このデイサービスにはいられないんだよね。
みんなと同じようにできない人は、この場所から外されるんだよね。
そういう風に言われているんですね。
利用者の思い
で、ただ、なんでこういうことを言ってるかというと、
この方、セクハラの、
この人自身がね、客観的に見たら、セクハラじゃないって言われるような行動、言動をするわけです。
それで事業所、デイサービスさんもすごく困ってある。対応に困ってあって、
周りの利用者さんからも、
色々とね、あの人は職員に対しても慣れ慣れしい言葉を使っているし、
見ててなんか嫌になる。
そういうクレームも来ている。
で、このまんまだと、
もうこの人は、ここのデイサービスにいられない。
もうセクハラだということで、いられなくなる。
実は今までも、何件かこういうことってあってたわけです。
今までもデイサービス、セクハラっていうことで、点々と変わってきている人。
なので、僕もですね、ケアマネージャーとして、
やっぱりね、もう他の利用者さんにもちょっとね、嫌な思いをさせている状況だったり、
職員にもちょっとエスカレートしている。
お風呂の時に、ここ洗ってとか、
そういうね、発言で茶化すような言い方でまた言うんですね。
で、それを毎回聞いていると、職員ももう女性職員なわけです。
もう全員が。
だからちょっとね、もう嫌だなっていうことで、
もうこれも十分セクハラっていうことでね、
もう本当は切られてもいい状態なんだけれども、
約束ごとをね、3つ決めて、
この約束を破ったらもうダメですよっていう風になったんですけど、
本人もギリギリ、もう半分ちょっともうね、アウトレベルな状態だけど、
明確にアウトじゃない程度で、
スレスレのところ行ってるんですよね。
でも他の利用者さんから、
もうちょっとあの人もう嫌だなっていう風な、
そういう声が出たもんだから、
今回ね、ちょっとデイサービスから改めてまた言われているところなんです。
ただ、これ単純に、
なんかこう、セクハラっていう感じでやってるのと、
またちょっとニュアンスがこの方違うんですね。
で、
今日じっくりその人と話をしたんですね。
僕が以前その注意をしたもんだから、
もうあんたはもうケアマネー、
もう混んでいい、ケアマネー交代だっていう風に散々言われたんですけど、
でもなんだかんだ交代をしないわけですね、本人は。
もう行動として映さない。
本当は自分の気持ちとか、
自分の本心を誰かに分かってほしいんだ、
っていうような気持ちが強いのはもう分かってたので、
もう嫌われながらも、
ドアなかなか玄関開けてくれないんだけれども、
何度か何度か通って、
ようやく今日お話ができたんですね。
そしたらこういう話が出てきた。
家畜じゃないんだよ、最初に言いました。
僕たちは家畜じゃないんだ。
みんな同じだと思ったら大間違いだよっていうことですね。
しかも柔軟性がないんだよ君たちは、
っていうことを言われてるんですね。
なんとなくね、セクハラ相手が嫌だ、
女性のされた側の気持ちって分からないわけだから、
された本人しか分からないから、
やっぱりされる側の精神的なショックとか、
そういったのは重々分かっていかないといけないんです。
だからこそ今までデイサービスで、
もう終了っていう形で、
もうセクハラだということで、
2カ所終了してきたんです。
もうあんたはもううちのところではダメですよっていうことで、
3カ所目今回ですね。
3カ所目になってるんですけど、
でも本人の訴えは、
本人はただただ若い女の子がいて触りたいとか、
そんな感覚ともちょっと違う。
キャラクター的にすごく面白くて盛り上げ役で、
美術的な才能もすごい方なので、
デイサービスにいてほしいなって、
どこに行ってもみんなそう思うんだけど、
唯一セクハラさえしなければみたいな、
そんな感じなんですね。
なのでただ単に、
若い子に慣れ慣れしいわけではなく、
年配の方とかにむしろちょっとちょっかいをかけるような、
そんな感じなんですね。
なんかこの方の訴え、窮屈だっていうね、
自分のこの日本はもう生きにくい国なんだよって言うんですね。
この制度、介護保険制度も、
柔軟性を求めて
なんとも窮屈な制度だ。
せめて僕は抗っているんだよっていうことを言うんですね。
でもこれ現実世界に戻していくと、
いやそんなこと言ったって結局やってることはそれでしょ。
で、切られちゃうんだけども、
なんかその方の訴えが、
今日ね直接いろいろ話をじっくりして、
なんか言ってることわかる気がするんですよね。
で、若干試してるところもあるなっていうのも思うんですね。
職員、柔軟性がない職員たち、
この制度そのもの、この法律、
すべてに対して柔軟性を求めている。
もっとそんなんじゃなくて、
もっと上手く上手に対応しろよと。
自分を上手にうまく転がせるぐらい、
対応しろよって言ってるような気がするんですね。
もしかしたら味方によってはセクハラに見えるものも、
もしかしたら受ける人によっては楽しいコミュニケーション、
冗談になり得るかもしれない。
それがうまいこといかないんですよね。
やっぱり決まりきった対応をする。
セクハラはいけないこと。
っていう風にカチッとなっていけばいくほど、
この人のセクハラはもしかしたらひどくなるのかもしれない。
この人のわがままって言われてるようなものはひどくなるかもしれない。
なんかそういう気もするんですね。
なのでこの方が言ってる自分は家畜じゃないんだよ。
高齢者は家畜じゃないんだよ。
みんな同じじゃないんだよ。
そういう言葉っていうのは、
もしかしたらこの方だけじゃなく、
セクハラ云々に限らず、
もっと広い範囲で大事なことを伝えてるのかもしれないな、
そういう気がしました。
皆さんどうでしょうかね。
この方の顔も様子も見たことがないので、
なかなか判断しづらいかもしれないんだけれども、
なんか単なるセクハラというのとまた違う場合、
僕たちはどう考えたらいいのかな、
どう対応したらいいのかな、
という風に考えさせられているところです。
また今後も対応だったり、
みんなで考えたこととかあれば、
共有させていただきたいと思います。
ご視聴ありがとうございました。