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2023-04-11 08:12

#4 記憶の印としての食事 01

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私が記憶を振り返る時の「きっかけ」「しおり」として「食事」があります。今回はベトナムのハノイで食べたBún Riêu Cuaについてお話しします。

ベトナムのお米麺文献
こんばんは。今を生きるSeize the Dayです。
昭和生まれの小林が日々の生活の中で感じたこと、思ったことをつぶやきます。
今日は、記憶の印としての食事というテーマで話をしたいと思います。
今までの私の生活を振り返ってみると、いろんな記憶がいい思い出だったり、悔しい思い出だったり、楽しい思い出だったり、いろいろありますけれども、
その思い出を振り返るとか思い出すきっかけとして、食べ物、食事だったり、風景だったり、音楽だったりというものがあります。
特に食事と音楽については、私の記憶のしおりみたいになっているなというふうに感じていまして、そのことをテーマにしながらお話をしていきたいと思います。
今日は記憶の印としての食事というのの第一弾ということで、ベトナムで食べたお米の麺のことについて少しお話をしたいと思います。
私は今から10年ぐらい前にベトナムの首都のハノイというところに仕事の関係で住んでいたことがあります。
その時によくお昼ご飯に会社の同僚と食べに行っていたものがありまして、それが文字コアというものです。
単語スペルで言うとBUN、RIEU、CUAです。
BUNというのは、ベトナムでお米をよく食べるんですね。
お米の麺という、日本だとビーフンというほうがわかりやすいかもしれないですけれども、それに近いものです。
BUNRIEUのRIEUというのは酸味というような意味合いで、最後のCUAというのがカニですね。
カニの風味、ちょっと酸味の入った米麺ですみたいな、そういう感じです。
カニの出汁と酸味というのが、ちょっと米麹みたいなのも入っているんですけれども、トマトが入っているんですよね。
その酸味が絶妙な感じで、かといって味がきつすぎないとか、味付けも比較的穏やかな感じ。
中にかまぼこみたいなものとか、練り物みたいなのが入っていて、あとは場所によっては揚げパンみたいなものを浸しながら食べるというような、そういう食事です。
当時値段はどれくらいだったかな。
当時の日本円の換算で、1杯200円いくかいかないかぐらいの感じでした。
その食事から私が思い出すのは、当時異文化の中で文化背景も違うお客さんと一緒に仕事をしていく。
その中でいろいろ悩んだりとか、日本では経験しないような困難だったりとか、そういったことがある中で、ちょっと大変なんだけどお昼のときは少しリラックスして、
みんなで時々愚痴を言ったりとかしながら、お昼ご飯をみんなで一緒に食べに行って。
そのときに食べに行っている中で、よく記憶に残っているのがこの文中という料理なんですよね。
私の場合は、この文中というのが大変だったけれども、すごい密度の濃い時間を過ごした、そういう時代のことを思い出すきっかけになる食事です。
地域の文化と人々との交流
味も穏やかな感じで、温かい汁麺なんですけれども、特にハノイの1月、2月って日本に比べたらばもちろん温かいんですけれども、
結構湿気がある状態で、気温が11度、12度くらいになるので、意外とそこびえをするんですよね。
そういう中で路上の横で、日本でいうお風呂で使うような椅子みたいなのに座りながら温かい麺を食べて、ほっとして、また午後も頑張ろうかみたいな風景を思い出します。
当時は大変だったんですけれども、今となってはいい思い出ですし、いい経験ができたなというふうに思っています。
今日は、私の記憶の印としての食事ということで、1回目、ベトナム北の方、ハノイの食べた文獣というお米の麺の温かい汁麺ですね。
ちょっと酸味の効いた汁麺のことについてお話をしてみました。
もし興味があったら、bunriucuaというキーワードでインターネットで探してみてください。
今日も聞いてくださってありがとうございました。ではまた。
08:12

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