「同時」を知覚する時、そこには必ず遅延が生じているはずで、つまり僕らが「いま」と言ったときそれは実は結構主観的な概念なのでは???
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ベビー日
はいする日始まりました今日もよろしくお願いします
先日
同僚と会社の同僚とリモートでラジオ体操ねしてた時に
話に出たんですけど
と同時に動いているつもりになっているけども
実はネットワークの遅延があって自分が画面越しのあなたと同時に動いていると思っている時
あなたには私が遅れて動いているように見えているはずだよねー
逆もしかり
ということは自分にとっての当時っていうのは相手にとっての当時とは違うんだなぁ
で
上の視点から見て同時っていうことをやろうとすると
二人とも相手よりちょっと早く動くっていうことをやってる状態なんだなぁってそれって誰にとって何のための当時なんだっていう話をしてたんですよ
でこの話で
東国も思い出した
話がを目指したことがあって
凄いちっちゃい頃にね僕おじいちゃんが数は化学好きな人で
まー科学に限らず何でもね
知識とか勉強とかそういうことが大好きな人でまーをである僕にもね色んなことを
長期休みで家に行く度に色々年教えてくれたんですけど
その中の一つにの一つの聞いてた話の中の一つにしっかりは
地球を一秒間で何周半するんだぞ
まーが支配するぐらい早いのだというぐらいの速さであるという話なんですけど
それと合わせて太陽の光っていうのはちょっと数字忘れちゃいました数字を忘れちゃいましたけど
太陽の光っていうのは結構びっくりするぐらい昔の光過去の光が届いているんだよとそれは今僕らは見ているんだっていうようなことを何度も
よく語ってくれてたんですけど
何かその話を思い出したんですよねそのと年小学生ぐらいだと思うんですけどねそうだ話聞いた時に何度も聞くもんだからそれについて色々考えるんですよね
じゃあそうかぁ過去の光を見ているそこに発せられた光を今見てるんだなぁそんなに時間がかかるんだなぁと思っているんですけど
一方で
光より早いものはないっていう知識もなんとなく持っているわけですよねしっかりで一番速い物質物質であると
とまあしっかりより早いものを望みがしっかりより早いぞみたいな話はあるんですけど
さくらとか瑞穂とかどうでしたね
それは置いといて
んとー
何だっけ
そうと光より早いものがないんだとしたらそれじゃあ今だっていう定義しても良くないかと
何かこう四冠というか上のしてみたいなものを想定して
今と昔とか未来とかを定義してるんだけど例えば太陽と僕の関係で言ったら太陽から発せられた光が僕に届いたこの瞬間これは太陽の今であるっていう風に捉えても別に矛盾ないんじゃないかなぁというか矛盾がないというかそれは別の体系として成り立つよ
なーみたいなことを考えてたんですよね
でもこれて
そうですよねー何かこう
と
上上というとなんか色々認識が
ごちゃごちゃしそうですけど
の客観的な観察者がいるとしたら
と僕のさっき言った今っていうてがおかしくて
えー何て言うんだなぁなぁ対応の今今僕が見ている太陽の光ってのは過去の対応したりであるという風に
有志がなくなってしまうんだけども
その客観的な観察者みたいなも想定しなかった場合
みんなにとって今それぞれの観察者にとっての今っていうものは定義されてますよね
僕にとって太陽の今っていうのは今僕が体を見て認識する今だし
他の人にとっての今はい
違う違う今である
かこう
そうなうまく言えないなぁ映像ぞ
こういうこと考えていると多分ね他にもいっぱいいると思うんですよねー
僕はそうそうだなぁだが客観的な
と時間の館はに
今いうのはみんなに客観的に同時に直感的な意味での同時に今というものは存在している
でそれに対して主観的な今感感が観察の観世界観の間ですね客観的な今と主観的な今かっていうのは両方成立するんじゃないかなぁと思ったんですよ
はめっちゃちっちゃい頃こんな風な言葉でそのことを考えてはいないですけどね今思うとそういうことを考えてたなぁっていう話いいですねー
そう考えるとそう考えるといえそう考えると
さっき冒頭にはネットワークの遅延がある環境でのラジオ体操について今考えるっていうことをやったんですけど
でもこれでよく考えると別に対面でもおんなじことが起こってるんですよね
対面での情報のやり取りてとても早いので
早いというのはしっかりの速さであるからということですね
とても早いので
遅延を感じていない同時に動いているというふうに錯覚するというの間には
自分が相手と同時に動いていると認識する場合相手にとって自分はちょっと遅れて動いてるんですよね
がちょっとねそれこそ認識できないぐらいだけど
んだから
の客観的ない今と今まで読んできたものを知覚できるちゃんと今とか同時とかっていう風にねー
厳密に
認識できる存在っていうのは
思考の中にしか思考実験として私が
存在しないのだから
時間
とか瞬間とかいうものを考える時の道具として便利ではあるけど
うーん本来あるものではないというかねぇっていうだ存在しないですよねー
そういうものはえっと
存在しないっていうと自分とか自分の認識とか出棺とかそういうものってについても存在とは何かみたいな話をしなきゃいけなくなると思うしそれは僕の手に余るんですけど
とにかくの客観的な島というものを何となくが番目の共通認識として時間について僕らは認識したり話したりしているんだけども
ねえそれって実は
スレだねぇととても少ない主観的なに今というもののすり合わせをしているだけ
なのではないかなぁということに気付きましたっていう話ですね
はい
単価
科学の分野からこれと似たような話をしている
人や文献があったら知りたいねー
じゃあこれ別にこれはすごい考えがみたいに思っているわけではなくてこれを奇麗にまとめているものがあればそれを知りたいという話になるですけどはい
か
はい
市長はいつもに増してこれは何を言ってんのか分かんのか心配になるような
話でしたけど
とにかくここまで来てくださってありがとうございました
それではまた