その時点でもすごいのに、じゃあサウナのどんな?って言った時に、公衆サウナを作る。
もう相当な合わせ技なことになってると思うんですね。
そうなんですよ、本当に。
しかもそれを実際に、その赤羽根の岩淵のところとかでも、実験がてらやってますし、
こういうのが実現できる環境にいるって本当にすごいことだなって思いますね。
面白いですね。
大実験ですね。
本当に社会実験をしてる感じがします。
本当ですよね。
社会実験ですよね、本当に。
で、またそういうところにゴカさんいるんですよね。
なぜいるんだろうね。
そうなんですよ。
例えば、別に無理くり話合わせるわけじゃないですけど、ドラマ作動。
もちろんこれは田中克樹さんの原作があって、田中克樹さんがある種開拓していった分野だと思うんですよ、作動は。
そうですね。
だけどそれが元々は漫画で連載されてるもので、それを実写でドラマ化する。
しかもすごく個人的に趣味で作るんじゃなくて、まあ言ったら地上波でやる。
しかもちょっと話を急ぐようですけど、その結果できたドラマが従来のドラマのスタイルとはちょっと違う。
端的に言って、これテレビとしては静かすぎるでしょっていうことなわけですよ。
確かに。
今ファーストシーズン始まって、その後ずいぶん経ちましたから、世の中でもありがたいことに作動のことっていうのは認知されて、
音楽とかね、私聞いていただいたりとかって、なんとなく作動のあのスタイルがあるってことですけど、
当たり前ですけど、それ以前にはなかったんですから。
そうですね。
むちゃくちゃ静かで、まるで環境映像としても見れるような作動でエゴサとかをすると、
BGV、つまりバックグラウンドVとしてビデオとして流してるっていう方とかもいらっしゃったりするじゃないですか。
なのでもちろんお話としての面白さとか、サウナを入門編として親しんでいくっていうドラマの内容もさることながら、
あの形?フォームを作ったっていうことがやっぱりなかったなって思うわけですよ。
でもなんかそれで言うと、やっぱりそこに一番貢献してるのは長島監督で、
やっぱり監督長島さんっていう人が全部撮ってるんですけど、ものすごいセンスがいいっていうのが一つあり、
やっぱりあの静かなトーンで、本当にその編集もすっごい細かいことをめちゃめちゃやってるんですけど、
音の出し入れっていう、どこに貼り付けるか。
ナレーションのトーンも原田さんのトーンも上げすぎないんですよ。感情入れすぎないんですよ。
確かに。
フラットでいくんですよ。
見てるときに一番それが心地よく撮れるように。
ちょっとやっぱ人間の感情が入ると語尾が上がったりとか下がったりとかすると、
見てる方も、それによってやっぱりフィクションのものとかって気持ちが動いてくるじゃないですか。
あまりそういう意味で言うと、気持ちをたくさん動かさないということをやってるし、
自分としてもプロデューサーとしてもやっぱりすごいなと思うし、
めちゃめちゃあったっていうか、自分もこういうものをやりたいかったなんていうのも、やっぱりすごく発見になった。
そのドラマ作動が始まる以前に、私個人的にミュージック・フォー・サウナというアルバムを作っていたわけですよ。
年代的には。2016年。今もシリーズとしてリリースし続けてるんですけど、そういうご縁もあって、作動にご一緒させていただけることになったと。
そのときに、じゃあまずは作ってみようということで、映像はないんだけども、軽い台本とかシーンとかを自分で想像しながら作るときに、
やっぱりテレビだし、ちゃんとある種の訴求力がないといけないっていう風に勝手にテレビっぽい音っていうのを想像して、
ミュージック・フォー・サウナにあるような音よりはもうちょっと派手めというか、もうちょっとテレビっぽい音のリストをお送りしたときに、
これがその嬉しいような驚きのようなっていう回答で、岡さんとね、監督の長嶋さんから、いつもの特撮さんのトーンでお願いしますって言われた。
寄せないでって。
すごいですね。
変にこうね、気を使いすぎてテレビ側に。寄せなくていいんで、いつものあのアルバムのトーンでやってほしいんですむしろって言われて。
むしろそれが欲しいっていう。
これは間違っていたなって思って、そっから大量産して、いろいろこう思うんでね、サントラがあるわけです。
ぜひ皆さんね、聴いていただきたいなと思うんですけど。
アップロードミュージックとかスポーツファイルが出てくると思いますね。
そこは結構監督も僕も最初にデモが上がってきたときに、本当に同じ意見。
なんかその、長嶋さんがやっぱりいいなと思うのは、その意見がわりと近いっていう方向性がやっぱりすごくあって、
そのミュージックホールサウナーの楽曲も当然使わせていただいて、やっぱりすごくよく馴染むっていうか、
気持ちよさを体感するのを見ながらにしてどうこう、想起させるかみたいなところにすごくこう、合うっていうか。
だから多分徳津さんがミュージックホールサウナーを作っているときの感覚値に、もしかしたらシンクロしているのかもしれないなと思うんですけど。
そこで言うとどういう気持ちでミュージックホールサウナーが作られているんですか。
めちゃめちゃ自分用だったんですよね。
あの頃私はスカイスパー横浜によく行ってて、2015年ぐらいのことですよ。
だからブームがワーッと来る前ですよね。
だから個人的に、それこそ田中克樹さんとかのサウナ行くのおもろいなとかって言って、まだまだ小さなサークルでやっている感じですよね。
そうするとね、時間間隔を消失するわけですよ。
さあ、やってまいりました。時間間隔の消失、サウナと似てるわけじゃないですか。
もちろんね、12分経見たりするわけですけども、
ちょっともう暑いな、水風呂入って休憩してて、あれどれぐらい時間経ったっけ?っていうのに結構豊かさがあったりしますよね。
その概念的にも、やっぱり時計を置かない、例えばサウナ時計を置いてないですよね。
置いてなかったですね。
定期的にさすがにそれじゃあ事故るからっていうので置いてはいるんだけど、あんまり目立たない。
目に入らなかったかもしれない、私。
なのでせっかく音楽って時間芸術なんで、この時間の間隔っていうものを人間がどう感じるのかっていうのをちゃんとデザインするっていうのは、
2015年当時も未だに興味があり続けていて、やってるんですね。
それこそ渋谷サウナスに重低音とか流れてる場所とか、外の外のスペースのところでちょっとちっちゃく流れてる音とかが本当に心地よすぎて、
それこそ一応3時間枠とかかかりましたっけ?サウナスって。
だったんですけど、本当に過ぎちゃうんじゃないかっていうぐらいの時間の間隔の無さを味わったし、
すごい他よりも整ったしっていう思い出があります。
ありがたいですね。
新しいなって思って。
僕はそこに新しいっておっしゃってくれたように、音楽って散々擦られてるんですよ。
それはクラシックの世界もそうだし、クラシックの延長として現代音楽って。
いろんな技法とかコンセプトとか、最終的にはもう無音でもいいんじゃないかとかね、ジョン・ケイジとか。
それそこまで固い話じゃなくても、ポップミュージックにしても、いろんな技、このシンセの音はどうか、シンセをこう使ったらどうか、グラニューラー使ったらどうなるか。
もうすごいやられてるわけ。
でもジャンルも細分化されて、何をやってももう何かになるわけ。
それはある一つの音をマテリアルとして捉えるからそうなるんですよ。
この音って新しいか新しくないかっていった瞬間って、その人時間の間隔を捨ててるわけですよ。悪い意味で。音を物として捉えてるから。
音を眺めた時に新しいか古いか、新鮮かどうかっていうと、それはもう答えが見えていて、新しいものは出尽くしちゃってるので。
じゃあどこに可能性があるかっていうと、体験なんですよね。時間の体験のデザイン。
なので世の中の進行とは逆になるんですけど、例えば配信の世の中っていうのは最初の出だしが良くなきゃいけないし、
ちょっと数字忘れちゃったんですけど、何分ぐらいを再生してもらうと1再生になってお金になるみたいな。
だいたい今短いですよ。だいたい3分ないでしょ。
そうなんですよ。YouTubeもそう。なので短い時間の中にちゃんと人の印象を捉える。
人に印象を付けるようなデザインをしないといけないんですけど、それもすごい技術なんですよ。
誰もができることじゃない。私もできない。そんな簡単には。
そういう短い時間で人の興味や感情移入をどうもたらすのかっていうのはすごく掘られてる反面、がら空きなのが長い時間をどう過ごすか。
例えば1時間ぐらいの公共曲、別に私の曲じゃなくて、1時間ぐらいの長い曲があると最初のメロディを聞いて、
40分目ぐらいにもう一回帰ってきてみたときに、40分よりもはるかに長い再びの出会いみたいな気持ちになるわけですよ。
再会したなみたいな。たった40分ですよ。
人と人が40分前に会って、40分後に同じ人に会ってもそんな気持ちにはならない。
ここに音楽の魔法があるわけですよ。
なので、そういう時間間隔がもたらす人間の意識のトリッキーな部分っていうのがむちゃくちゃ好きなんですね。
その60分の公共曲、1曲を日常で聞こうっていう機会もないし、
そうですね。
そもそもそういうものがあるっていうことすらあんまり僕らは知らなかったりするじゃないですか。
今すごい面白いなって思うし、どういうふうに聞いたらいいんですかね。
そういう体験をしてみたいなと思う反面、どっから入ってったらいいかっていうのは。
これはもう完全にサウナの番組だから言うわけじゃなくて、
サウナ、水風呂、音楽鑑賞ですよ。
いい。
渋谷サウナスの私、鑑賞させていただいているサウンドサウナは、実際にサウナの中に音楽流れてるんですけど、
とはいえ、滞在できる時間っていうのは人間の生き物として限界があるじゃないですか。
暑いですからね。
なので、やっぱりサウナで整ってすごくほぐれた状態で、知ってるものもすごく楽しいですけど、
例えば美術館とか、なんだったらちょっと難しそうな現代美術見てみるとか、
普段だったらなんか難しくて何言ってるかわかんないよみたいなものも、
ちょっと柔らかくなってるから、体も心も受け入れられたりすると。
そうすると普段だったらスルーしてたなっていうものと出会える。
例えばこれはもう現代アートじゃなくて、クラシックの中ではもうドメジャー、ドポップってことですけど、
グスタフ・マーラーっていう作曲家がいて、1時間がもう普通みたいな。
1時間半とかね、公共曲第3番とかめちゃくちゃ長い。
夏の公共曲とか言われるんで、夏はマーラーの3番、いいですよ皆様っていうことなんですけど、
そういうの聞く機会なんてやっぱないですよ。なかなかクラシックとか放ってなければ。
あるいはブルックナーっていう作曲家もいます。この方も長いですよ。
長くてマーラーとは全然また世界観が違くて、マーラーは世界が果てしなく広がっていくようなものですよね。
あるいは意識の流れがずっと続いていくみたいな。
ブルックナーは閉じられてるけどずっと果てが見えない宇宙みたいな。
さっきもこの回廊を通った気がするけど、でもさっきとは違うかもしれない。
と思ってたらまたさっきと同じ回廊を歩いてるかもしれないっていう、ある種の変な崇高さみたいな世界があるわけですよ。
ただそれもね、じゃあブルックナー聞いてみましょうよって言っても時間ないですよ。なかなかね。
でも流れでいいんですよ。もうサウナで。クラシックオタクの方から言われると怒るのかもしれない。
サウナで整って水風呂入って休憩をして、じゃあ借り道にね、じゃあ今日ちょっとブルックナーなんか聞いて帰ってきちゃおうかなと。
完全な柄ではあるんですけど、あれ?っていう気持ちになれると思うんですよ。
なのでそのクラシック、例えばよく耳に馴染むポップなクラシックみたいなコンピレーションとかありますけど、
あれって要するにメロディーの良さとか、CMで使われたからみんな耳に馴染んでるでしょっていうチョイスだと思うんですけど、
今クラシック音楽の何が一番柄空きになってて、クラシックを掘ってない方にとってこれおすすめなんですよっていうのは長さなんですよ。
長い時間を付き合ってみるっていうことですよね。
なので私はこのミュージックフォーサーの1枚1枚公共曲ってつもりで、そのトラック分かれてるけどほぼ1曲みたいな感じでやってますね。
やっぱこれを聞くタイミングとしたら、サウナの後ですね。
サウナ水風呂の後にちょっとやってみたいなって思います私。
ちょっとそれを実践してみましょうか。
いいと思います。
一番おすすめはもう例えば3曲あげるとすると。
じゃあまずね、マーラー。
マーラー。
マーラーのね、公共曲の7番。
7番。
夜の歌って言われたりしてるんですけど、君を着てるつな世界ですよね。
本当にシュールレアリズムというか、どうしてこうなっちゃったのかなっていう世界がずっと続きます。
マーラー7番ね。
7番。
マーラー7番。
あとね、ブルックナーの2番か5番かな。
5番はね、やっぱブルックナー好きな人は最後5番だとかって言ったり野球番だとかね、いろいろあるわけですけど、
5番はね、なんでこんなものが世の中に存在するんだろうっていう不思議な繰り返しの世界です。
で、今の2曲が19世紀から20世紀にかけてですよね。
20世紀芸術として、これはもうね、サウナ好きな人、絶対聴いた方がいいのがある。
モートン・フェルドマン。
モートン・フェルドマン。
モートン・フェルドマンっていうのはアメリカの作曲家で20世紀に活躍した人で、とにかく今自分がどこにいるのかわかんないです。
音楽の中のどこにいるのかわかんない。
なぜなら、同じ音が微妙に音色だけ変わってずっと続くだけとか。
確かにそういう聴く機会がなかったですからね。
ロスコ・チャペルっていう、コマゴメのロスコじゃないです。
ロスコ・チャペルっていうのがあるんですけど、宗教を選ばない無宗教のためのチャペルのための音楽なんです。