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2025-12-05 20:35

#105 "サウナカルチャー現代史" 親方と振り返るサウナ界隈この6年| ゲスト:ととのえ親方さん

ゲスト:ととのえ親方さん

ととのえ親方は複数の会社を経営する傍ら、全国のサウナ施設のプロデュースを手掛ける

実業家にしてプロサウナーです。若者を中心とした幅広い層に受け入れられる

サウナ文化を根付かせたいという思いから、サウナ師匠(秋山大輔)さんと

共にサウナー専門ブランド[TTNE]を設立いたしました。


【今週のテーマ】

・2019年冬。出会いはスカイリーの下で

・12万円を握りしめTシャツ屋からスタートした「TTNE」

・親方のサウナ愛と挑戦「TTNE」の軌跡

・サランラップをまいてサウナに行った幼少時代

・”ととのい””あまみ”ルーツは北海道


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サマリー

このエピソードでは、サウナ文化の発展について振り返ります。トトノエ親方がサウナシュランやイベント型サウナのプロデュースに関わった歴史が語られ、コロナの影響や現在のサウナシーンの変化についても触れられます。また、サウナカルチャーの進化とその影響について親方とともに考察します。「ととのえ親方」の名前の由来や、サウナの服やアイテムがマーケットに登場する経緯についても触れられ、サウナ文化の成長が明らかにされます。

サウナとの出会い
みんなでサウナ
はい、ということで、みんなでサウナなんですけども。
早いもんで、もう12月ですよ。
あっという間でしたね、1年。
あっという間ですよ。
怖い、もう12月なんて。
いや、今年はさ、どっちかって言ったら、そんなにサウナに行けてない時期が長くてね。
そうなんですよ。お互いにありましたよね。
あったよね。年末の時期といえば、サウナシュランじゃないですか。
はい。
で、こないだ話をして、今年はほんとにだいたい半分ぐらいはサウナシュラン行ったなっていうのがあるんですけど、
今年はなんかそれが3つしかなくて、すごい悲しいだったっていう。
むしろ勉強みたいな。
話をしてたと思うんですけど、なぜこういう話をしてるかというと、本日のゲストがですね。
ゲストは。
あの方についに来ていただきました。
ついに、もうみんなでサウナができた当初から来てほしいっていう話をしてましたよね。
いつかお呼びしたいなっていうことを言っててね。
ついに念願叶って。
ついに叶いました。
いらっしゃっていただきました。
はい。
それでは私の方から、トトノエ親方さんのご説明をさせていただきます。
トトノエ親方さんは、複数の会社を経営する傍ら、全国のサウナ施設のプロデュースを手掛ける実業家にしてプロサウナーです。
若者を中心とした幅広い層に受け入れられるサウナ文化を根付かせたいという思いから、
サウナ師匠秋山大輔さんとともに、サウナ専門ブランドCTNEを設立いたしました。
はい、ということでトトノエ親方です。
ようこそいらっしゃいました。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
こんにちは。
初めまして。
嬉しい嬉しい。
何か紹介の仕方したいって。
本当にずっと話してたんですよね。
トトノエ親方は呼びたいです。でも忙しいからみたいな話をよくしてて。
サウナ文化の進化
世界中飛び回ってるから。
飛び回ってる。
尊敬する顧客さんに連絡いただいて。
それはもう断れないぞ。
ありがとうございます。
ご家さんとはどういう出会いで結構もう長く。
なんかでもいろんなところでサウナ関係の、それこそそのサウナスパ協会とかもそうだし、
なんか新しいサウナとかのこととか、かつきさん絡みとか。
そうだったんですね。
いろんなことが。
一番最初は多分ですね、スカイツリーでご家さんたちがサウナを作った時があったんですよ。
スカイツリーで?
佐藤の。
2019年末。
そう、2019年末。
そうだ。
そこで。
そうだそうだ。
その時に僕らTTNEにサウナプロデュースというか、サウナそこに作ってくれと。
スカイツリーの下に。
で、そこで佐藤のサウナをやるからということで、TTNEの方に連絡いただいて。
そこ作ったのが多分ご家さんと僕初めた。
年末のそれこそこのぐらいの寒い時期で。
スカイツリーの下のイベントスペースみたいな屋外のところでテレ東のフェスみたいなことをテレ東にやりたいって言って。
いろんな屋台とか出て、フードとかあって。
その一環で佐藤のサウナ、プロデュースさんのTTNEさんにお願いしたっていう。
だから上にね、スカイツリー見ながら。
本当に来て整うみたいな。
あれちょっと今思えば最先端のやり口でしたよね。
そうですよね。
めっちゃ最先端。
だってテントみたいなサウナ、ビニールの要は上が見えるように。
いわゆるテントサウナじゃなくて、ちゃんと当時見えるような下北の高架下で最初に。
コロナウィンターフェスっていう。
コロナウィンターフェスっていうイベント。
そこでもドーム型のサウナをやられて。
多分そういうような形の外が見える。
サウナ室の中で?
サウナ室の中でテントっぽいんだけど、外が見える。
サウナ中もスカイツリーを見れるという特別な体験を。
すごい。
その時に五花さんが、あの人佐藤のプロデューサーだよって言って。
そうかそうか。
えーみたいな。
五花さんっていう人、あの人なんだみたいな。
お名前聞いてたんだよね。
はいはいはい。
でもあれ面白かったですよね。
面白かったですよね。
だってそれで浪流のストーブ。
そこの中に浪流できるストーブと、
あとやっぱすごい当時で思うと断神だなと思ったのが、
それを攪拌する扇風機も入ってた。
すごい。
今だったらそれこそココフロとかにある。
あるよココフロね。
さっき言ってきましたけど。
すごいもう。
あ、そっか。
もう行ってきた済みですよね。
みんなさ、やっぱさ、ガチの人たちは必ず行ってくる。
入ってきてくださるんですよ。
本当に。
入ってきてくださいますよね。
輝浴場5の方が多い。
多い。
本当に。
多いです。
みんなそこに一回行って。
熱々ですよね。
熱々でした。
そうだからそういう、まさにそれの走りっていうか、2019年ですか。
そうですね。
あれが。
6年ぐらい。
6年前。
で、水風呂と、あのウォーターのシャワー。
あった。
すごい。
そう、こう椅子と、みたいな。
そう、あれ大変なんですよ。
え、今思いました?
アンダースカイズリみたいなとこでやるのってむっちゃくちゃ大変なんですよ。
大変ですよね。
水とか引っ張るのも大変そうですけど。
そう。
それで排水もすごい大変で。
そうですね。
問題とかも。
ちょっとなんか未来っぽいね。
ネオンにしてね。
やりましたよね。
そうなんですか。
青色のサドルね。
青色のね。
ネオンにして。
最高ですね。
あれ本当にでも走りって感じでしたよ。
走りですね。
サウナのイベント?
イベント型でサウナを送って、しかも期間限定でやらないといけない。
あれは走りでしたね。
面白かったな。
めっちゃお分かりな。
すごいですね。
そうそう。
それを予約制で大体4,5人かな入れるっていうのを自分で予約して入るっていう。
もちろんお二方も入られたんですか。
もちろん入りました。
ですよね。
そうですよね。
すごい良い体験というか。
良さそう。
良い思い出になりましたね。
この6年の間でやっぱり親方すごいですね。
すごいですよ。
本当に。
もともと来るからもすごいなと思ってたけども、
やっぱり本当にいろんな世界中のサウナに回ったりとかプロデュースされたりとかして、
どうですかこの6年間。どんな6年でしたか。
自分が一番びっくりですよね。
このようになるとは思わないし、
もちろんこういう風になればいいなはありましたけど、
ただね、ご家さんもそうだと思うんですけど、
あの頃のサウナと今のサウナシーンってもうめちゃくちゃ変わったじゃないですか。
めっちゃ変わりましたね。
サウナの思い出と影響
あの頃本当に浪流できる施設なんか10軒もなかったよな。
そうなんですか。
やっぱりコロナもちょっとでかいんだよね。
でかかったですよ。
でかいですよね。
で、やっぱりね、佐藤で、僕らとかあとね、サウナ行きたいチームとか、
あの頃ってあとは。
サウキャンの。
サウキャンのお西とか。
お西君とかね。
はい。
っていうぐらいしかいなかったというか。
そうそうそうそう。
えー。
そっからだからね。
みんなね、なんかまんぺくもそうだけど、
なんかサウナっていうものでみんな引き上げてもらったというか。
うーん。
はい。
っていうのはあって、もう全然あの頃ね。
景色が一変してる。
一変してるっていうか。
だって世の中の人にあの頃ってまたサウナって言ったら、
一回説明しなきゃダメじゃん。
一回説明しなきゃダメ。
え、どういうこと趣味。
え、サウナが趣味ってどういうこと。
そっから入るのか。
そうそう。
いや、整ってなかったさみたいな。
そうそうそうそう。
広まってないですよね、そこまで。
そうそう。
サウナハットかぶった人?
はい。
誰一人いなかったんですよ。
あとなんかちょっとたまにいてもちょっと変わり者みたいな。
あー、逆にそれが変わり者に見えるぐらい流行ってなかったって感じなんですね。
今当たり前すぎて、むしろサウナハット欲しいじゃないですか。
みたいなね。
だって同意さんみたいな人あんまりいなかったですもんね。
いない。
めっちゃレアだったよね。
レア。
うーん。
今若者めちゃくちゃ多いですけどね。
多い。
多いです。
だからそれ嬉しいよね。
その話聞くと嬉しいんじゃないですか。
嬉しい。
嬉しい。
僕も嬉しいけど、お母さんもそうでしょ。
嬉しいですね。
うん。
もう昔からサウナが好きで、ずっと入られてたんですか?
昔からね、やっぱね、サウナ好きだったなあ。
あー、そうですね。
やっぱりすごい幼い頃の思い出で、僕、盲腸の手術とかしたことがあって、
盲腸の手術の傷口が塞がってないのに、お母さんにお腹にサランラップ巻いてもらって、
お友達とがみんな銭湯行くっていうから、小学校5年生とかの時にサランラップを腹に巻いて、
サウナ行ってた思い出とかある。
強すぎる。
それ、いまだに同級生たちがその話を僕にしたりする。
やばいですね。
サウナが好き。
そうそう。だからあの頃から本当好きだったよなみたいな。
でもやっぱ北海道って、たぶんこっちっていうか、本州よりもサウナがある家が多いんじゃないですか。
サウナがある家はでもね、そんなにやっぱないでしょ。
なじみが深いところがあります?
そう。なじみが深いのはやっぱりスーパー戦闘文化がすごく多いというか、
寒いですよね。
寒いから。
僕の家のすぐ近くにガトーキングダム札幌って、今はガトーキングダムですけどもともと札幌テルメっていうものができたんですよ。
もう自転車で行ける距離で。
いいですね。
そこはもうサウナ室が15、6個あって。
ドイツのタウナステルメっていうサウナ施設をドンって持ってきた施設だったんですよ。
だからそこで日本最古のアウフグースは実はそこなんじゃないかって言われてたところで、
僕の後輩とかがそこでアウフグースのイベントでタオル振ってたり、それが今から20何年前ですからね。
すごい。
そんな前ですか。
あったり。だから身近にはそのサウナってものが僕にはあったのかもしれないですね。
そうか、なんかそれを意識的にそこから行くようになったというか、
TTNAをそれこそ、ちょっとこれ前後しちゃうけど、始められるわけじゃないですか。
なんかやっぱ子供の頃から大人になってサウナだって目覚めるきっかけみたいなのあるんですか。
なんかやっぱり海外に僕の場合は、すごい昔はそれこそぬれずきんちゃんが。
ぬれずきんちゃん。
ぬれずきんちゃんが1回イベントで呼んでくれた時があって、何で呼んでくれたかっていうと、
その時は僕は海外のサウナをいっぱい知ってるお兄ちゃんっていう感じのカテゴリーだったんですよ、昔。
だから僕は海外に行くと必ずその現地のサウナというかスパを見るのが好きで、
必ずその第一優先がスパ。
サウナ文化の始まり
その後にご飯とか観光とかあるんだけど、
それをなんかしていた、若い時からしていたのがチリツモであったというか。
あったのかもしれないですね。
で、サウナのあそこの国はこういうサウナあるよ、あそこの国はこういうサウナあるよっていうのは言ってたので、
それが多分面白かったというか、2016年とか15年とかの時ですけど、
いろいろ呼ばれるようになったというか。
ちょうど漫画作動が出るぐらいですね、2015年とか。
だからトトノエ親方って名前も、
トトノエ親方って周りが言い出したんだけど、
なんで俺がトトノエって呼ばれてるのかがちょっとわからないというかね。
だからあまりトトノエという言語がそこまでね、あの時はなかったじゃないですか。
周りでその茶道を読んでいる人たちとかがトトノエ親方だっていう風に言い出したというか、僕のこと。
サウナブランドの成長
そこからトトノエ親方っていう名前が。
アサヒカワのあの人でしたっけ、最初のルーツは。
ルーツはそうですよ。
アサヒカワじゃないよ、カミフラの。
ぬれずきんちゃんの師匠で呼んでる人が美容室のおじさんなのよ。
トトヨのおじさん。
そんなことがありますか、すごい。
めっちゃ面白い。
あれなんかサウナ入るっていうよりはトトノエに行ってんだよなみたいなことを言ってたら、
みんなそこにいたぬれずきんちゃんとかが、確かにみたいな感じになったらしい。
ぬれずきんちゃんが使ってたんですかね。
それを克樹さんが漫画に書いて広めたみたいな。
そんな感じですよね。
そういう派生の仕方があるんですね。
面白いめっちゃ。
だからそのおっちゃんなんですよ。
実はアマミもそうなんですよ。
え、アマミもそう?
アマミも。
アマミって、僕その時ぬれずきんちゃんとかみんなでカミフラの師匠の家に遊びに行って豚さがりをいただいてたんですよ。
北海道同士だから。
そっかそっかそうですよね。
そしたらアマミも富山弁で、奥さんが富山の人だったんです。
奥さんが赤くなっているアマミを見た時に、なんでこんな風に赤くなるんだろうって言ったら、
ぬれずきんちゃんの師匠の奥さんが、それアマミよって言ったらしいんですよ。
すごい。そこから?
そこからこれアマミって言うんだってなって、あれ富山弁なんですよね。
そうだったんですか。
そう、らしいよ。
それはなかなか知らなかった。
知らなかったです。
なんか普通に当たり前の言語として存在するものだと思ってました。
思ってました。
医学的には同情脈分母っていうね。
めっちゃ難しい名前なんだ。
で、ととのえ親方って名前は、そういう整うみたいなことを親方も言ってたらみたいな。
そうです。で、まあ整うとは言ってないですけど、なぜかととのえ親方、けんちゃんってやつがいいんですけど、
俺のことをととのえ親方、ととのえ親方って言うようになって、
で、なぜかととのえ親方っていう名前になって。
えー、自分に名付けたとかではなかったんですか。
じゃないんですよ。
でも、ととのえ親方っていう名前が、その後仕事になってるじゃないですか。
本当にそうですよね。
まさに仕事になってるじゃないですか。
プロデュースして人を整えていく仕事じゃないですか。
すごいですね。
すごいですよね。
なんかでも、本当に同級生たちには、20代ぐらいの時かな。
その同級生ってよくお風呂に行くじゃないですか。
お風呂とかサウナ施設、スーパーセンターで行くから。
将来こんなお風呂とかに関われる仕事できたらいいなとかって言ってたんですよ、昔から。
叶えてる。
やっぱりね、すごいね。
なんかこの間、ナルビのプレゼン発表みたいなのにちょっと呼んでもらって行ったんですよ。
そしたら、セールスマネージャーの人にちょっと話聞いたら、
子供の頃からやっぱりサウナに関わる仕事をしたかったって言ってました。
ちゃんと皆さん叶えてて。
確かに。
本当にこれは天職なんだなと思うときはありますね。
どのぐらいですか、もうTT&Eを。
TT&Eで今で8期目。
秋山大輔って僕らコンビなんですけど、
サウナ師匠こと秋山大輔とやり始めて、会ってからで約10年ですね。
感慨深いなと思いつつ。
だいぶ変わりましたよね。
だいぶ変わったですね。
だって最初TT&Eを始められるときって、そんな称賛とかってあったんですか?
最初だって6万円でTシャツ作るところからですから、僕らは。
だから秋山大輔と僕が、Tシャツじゃあ作ろうぜ、2人で。
ブランド作っちゃおう、みたいな。
サウナのブランドっていうか、サウナの服のブランドなんかないから、一個も。
そうですよね。
サーファーとかにあったりするのに、なんでサウナになるんだ、みたいな感じになって作ったのがきっかけで、
6万円ずつで12万円かな。
それでTシャツすって。
そしたらそれが、なぜかむちゃくちゃいろんな人からあれ欲しい、あれ欲しいって言われるようになって。
そこからだったんですね。
そこから。
あれがギャグなんですけど、1ヶ月に300万くらい売れたんですよ。
すごいですね。
12万円で作ったあれが、1ヶ月300万、だから年間で3000万くらい。
そんなに?
サウナのロゴTとかパーカーとかが売れちゃって。
でもそういうの作るのって初めて。
初めて、初めて。
ただ秋山大輔はファッション系のこととか仕事もしてたんですけど。
TJCのイベントのプロデュースとかね、やってたり。
だから慣れてはいるみたいな感じなんですね。
でもすごいですね。
すごいよね。
どうせだったらその日に、ととのえの日って言って勝手に、サウナの日じゃないですけど。
もう記念日協会に登録しちゃって、ととのえの日に服のブランドもデビューさせようみたいな感じになって。
すごい。
あれ記念日協会から何かに10万か20万払ったら記念日として登録してくれたりするんですよね。
あって認めてくれると。
知らなかった。
それでニュースを作って、ファッション業界にポンと流し込んで。
ファッションの人たちってカルチャーができてくるところからファッションを結びつくっていうのがすごく見てるんですよ。
音楽、ヒップホップ、ジャズとかそこから派生してファッションができてくるから。
だからそこのところからサウナですかみたいな。
あっちは。
サウナからのブランドができるんですかみたいな。
なんでそういうふうなんだろうみたいな感じで。
でもこうふんってなる違和感に。
でも売り上げがあるという事実は。
そうですよね。
公明感じゃないかとは思ってるんですよね。
サウナハットとサウナのTシャツから僕らスタートしてサーフィン用のポンチョをサウナポンチョとか言って名前勝手につけて。
あれ元々サーフィン用の。
そう。
あれポンチョ着てるでしょ。
着てます。
アウドドアサウナ行くときにサウナポンチョとか言ってるじゃん。
あんなのサウナポンチョって言葉すらないからね。
当たり前すぎて今原点を見てるみたいな。
めちゃくちゃ面白いです。
アパレルからアプローチするサウナ業界ってサウナって。
すごい。
めっちゃ斬新じゃない。
斬新すぎる。
そうか。
サウナハットもなかったから。
サウナの未来
だからサウナハットと。
やっぱりかつきさんもそうだったんですけど。
漫画に主人公にサウナハットをかぶらせて。
で、主人公がサウナハットをかぶってるじゃないですか。
あれで多分サウナハットってものが認識されたし。
そうですね。
あのときにサウナハットってなかったのはあれだったけど。
みんなガウンだったんですよ。
サウナハットとガウン。
サウナたちはちょっとサウナハットかぶってる人たちはガウンだったし。
サーフィン用のポンチョをサウナのロゴ入れてサウナのポンチョして売ったっていうのがあれだったし。
そこに女の子、女性にサウナハットをかぶってもらって。
確かに。
で、サウナポンチョで妖精っぽい感じの。
かわいいですよね。めっちゃシルエット。
あれをビジュアルを作って出していったっていうのが。
まずファッションから行こう。
ダサいって言われてるんだったらファッションから行こうって言って僕らはやったんですよ。
これめっちゃ面白い。
次回はこのままTTNE誕生秘話を続けてお伺いしたいなと思って。
最初はアパレルから入って。
サウナハットなんて本当に最初にたまにサウナ室15人ぐらいのサウナ室に1人ぐらいしかいなかったんですね。
それを女性にかぶってもらうことによってどういう変化が起きていったのかっていうのをちょっと次にお伺いできればと思います。
聞かせてください。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
20:35

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