誕生日を前に―父と母から受け取ったもの、そしてこれからの私
2026-07-21 21:51

誕生日を前に―父と母から受け取ったもの、そしてこれからの私

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00:07
新庄さおりの開運ラジオ始まります。 こちらの放送は、九星気学・風水・薬膳を通して、
あなたのありたい自分で人生を送るためのきっかけになれるようなお話をお届けしていきたいと思っております。
はい、こんばんは。 今日は1月の21日、日の栄去る、四六木星中宮の火曜日です。
はい、皆様、本当に、あの、猛暑、酷暑ですけど、大丈夫ですかね?
本当に、私も、あの、この、京都のこの湿気と、暑さに、少しね、あの、ぐったり気味です。
なんかもう、朝もね、夜も気温が下がらずね、30度近くありますし、お昼間はね、37度とか、
38度とかね、あるみたいで、ねえ、本当に、
ねえ、涼しいのはね、北海道くらいでしょうかね。
北海道も暑いんですかね。 ねえ、どこもね、暑いですよね。
本当に、あの、皆様、ぼちぼちで、無理せずに、あの、乗り切るくらいの気持ちでいましょう。
はい、今日の、今日のお話は、私、あの、明日が誕生日なんですね。
で、あの、誕生日を前に、少し、あの、これからのこととかだけではなくって、今まで自分が歩んできた人生をね、ちょっと振り返って、
そんな、あの、少し私自身のことをお話しさせていただこうかなって思っております。
なので、誕生日を前に、また、父と母から受け取ったもの、そしてこれからの私、ということで、そのようなこのテーマでお話ししていこうと思います。
年齢は、あの、皆様のご想像にお任せいたします。
もうね、半世紀は、あの、生きております。
で、私は、あの、今、京都に住んでいますが、生まれたのは、地元は神戸で、神戸の日赤の病院で生まれました。
母がね、当時、その日赤の病院で、事務の仕事をしていて、そこで、あの、父と出会ったということなんですね。
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父とね、母が出会ってね、私という、この一人のね、人間が、この世に生まれてこれたんですけども、
今、改めてね、考えると、それだけでも本当に奇跡で、ありがたいことだなというふうに、あの、感じます。
で、私は予定より1ヶ月ほど早く生まれたんですね。
本当なら、8月の終わり頃に生まれる予定だったようで、
なので、2500グラム基準には満たない、小さな赤ちゃんで生まれたんですけども、少し満たない、あの、2400グラムだったかな、くらいだったそうで、
だけれども、とっても、あの、元気良くないって生まれてきて、また、あの、横断とかもね、なくって、
何より、髪の毛が真っ黒で、もうすっごくフサフサだったそうなんですね。
なので、医師からも、この子は大丈夫と言っていただいて、
保育器にもね、普通なら2500グラム以下入るんですけども、入らずに、普通に退院できたそうです。
今でもね、自分の髪はすごく強い方だなって感じていて、
それはなんか、生まれた時だったからね、だったのかもしれないなって、今も感じているんですけども、
旧生器学を学んでから、もし予定どおりに、8月の末に生まれていたら、
月明星もね、変わっていて、今とは少し違う、自分が性質を持っていたのかなっていうのもね、分かるんですけども、
月がね、変わると、月明星だけではなくって、傾斜とか胴体といった内側にある性質とか、
そういう細かいところがね、随分と変わってくるので、
もし、8月末の方に生まれていたら、もっとね、すごく強さを前に出すことができて、
人を引っ張っていく女性になれていたのかなっていう風にね、そんな風にも読み取れるんですけれども、
今の自分の誕生日のね、星や冠子を見ていくと、傾斜とか胴体も見ていくと、
人を育んだり、受け入れたり、支える性質が強くあって、
06:00
羊とかね、土の戸とかっていうものをね、監視でも持っているので、
なので、受け止めるとか、そういう力があるけれども、内側は芯の強さがあるっていうのがね、分かるので、
そういう性質なのかなっていう風にね、自分では受け止めているんですけども、
なので、看護師になりたいって言って、若い頃、子供の頃に話した時も、
家族とか親戚から、周りからも、本当、さおりちゃんにぴったりだねっていう風にね、
言われたことを覚えていて、そういう性格というか、そういうあれがあるのかなっていうのがね、思うんですけども、
今は看護師のね、仕事からは少し離れているんですけども、
人と関わって、その方の人生を少しでも支えたいっていう気持ちとか、
そういうのは形を変えながらも、今も続いているのかなっていう風に感じています。
そして、子供の時は、本当に父母ともにね、かわいがってもらったなっていうのは思うんですけども、
父はね、3人兄弟、兄と弟がいるんですが、私は女の子だったので、とてもね、かわいがってくれた記憶があります。
母はね、もうすっごく厳しくって、弟と兄とは全然接し方が違うように感じていて、
子供の頃は本当にどこからか拾われてきたんではないかって思うぐらい、本当に私には母は厳しかったなって思うんですけども、
だんだん大人になっていくにつれて、自分も働くようになって、厳しさは私が困らないようにね、
いろんな母なりの愛情だったなっていう風に思えて、本当に感謝できるんですけどもね。
私を含めて兄と弟、子供3人ね、本当に父と母がたくさんの経験をさせてくれて、
いろんな習い事をね、兄弟3人ともさせてもらえたなって思うんですけども、
私は特に好きだったピアノとかね、年打ちとか歌も習わせてくれてね、
本当にいろいろ好きなことをさせてもらえたなって思ってるんですけども、
09:05
あとはキャンプとかスキーとかね、お魚釣りとか旅行もね、本当によく連れて行ってくれて、
決して本当に全然裕福な家庭ではなくって、本当に父と母は自分たちのためにね、
本当にお金を自分たちは使わずに、質素奸約に暮らしていて、
3人ね、旅盛りの子供を育てて、また住宅ローンとかね、教育ローンとか抱えながら、
本当に私たちには本当にたくさんの経験をさせてくれたなって、
本当に大人になるたびにね、年齢を重ねるたびにそんな思いが蘇るというか、
感謝の気持ちでいっぱいになるんですけども、
本当に子供ながらにもなんとなくはね、すごく父と母が頑張ってくれてるなって、
なんとなく子供ながらにも察していましたけどもね、
本当にどれほど苦労していろいろ育ててくれたんだろうなっていうのがね、
大人になることにね、分かるというかね、
で、またその美しい景色にね、心が動いたり、季節のつろいを感じれたり、
小さな暮らしの中に喜びを見つけられることとか、
っていうのは子供の頃にいろんなね、経験を通して感じる心を芽生えさせてくれたんだろうなって思って、
今、私が大切にしている感性とかそういうものの多くは、
父と母が育ててくれたものなのかなっていうふうにね、感じます。
当時はね、子供の頃は兄と弟に混ざって、男の子たちに混ざってキャンプとかね、
スキに行くのがすごく嫌だなって思ってたこともあったんですけども、
今振り返るとね、本当にたくさんの、いろんなかけがえのない経験をさせてもらえたなって感じます。
で、大人になって、私の人生はね、穏やかというか、
なことばかりではなくって、結婚してからはね、神戸から京都に移って、
慣れない土地での生活と、また看護師としての仕事とか、夜勤とかね、
いろんなことで無理を重ねすぎて、体調大きく崩したんですけども、
12:06
子供を授かることもすぐにできたんです。
すぐ授かったんですけども、6ヶ月で対バンもできてたんですが、
元気にね、その命を腕に抱きしめることはできなかったんですけども、
長い間ね、すごく、もっとね、きちっと自分を管理して大切にしていればね、
休んでいれば、誰かにもっと頼っていたら、何かが違ったんじゃないかなって、
そんな思いが心をめぐって、何か苦しい時間も続いていたんですけども、
何かね、もちろん来た原因をね、一つに決めることはできないんですけども、
ただ、今振り返ると、
当時の私は、自分の体が出していた小さな際にも気づけないほど、
頑張りすぎていたんだなっていうのがね、分かるんですけども、
その後ね、救世企画を学んだりね、いろんなことを学んで、
引っ越しした方や時期とか、運の流れを振り返る機会があって、
良くないことが重なっていたなっていうのもね、納得できた部分もあるんですけどもね、
またね、吠えとかそれだけではなくってね、
救世企画はね、本当は怖がるだけのものではなくって、
今は進む時とかね、立ち止まって静かに整える時とかね、
いろいろ自分を見つめて無理を減らすための知恵なので、
その運の流れとか整え方をね、その時は知らずに無我夢中でね、
進んでいたんだなっていうのがね、感じます。
そしてね、その後、だいぶね、してからなんですが、
最愛の自分のね、実家の母がコモマッカ出血という大きな病気で、
突然元気だったのに倒れまして、2度の解凍手術も受けたんですけどね、
1ヶ月近くの入院でね、本当に毎日京都から通ってたんですけども、
あのね、看護師として病状を理解しようとする自分とね、
本当にどうか助かってほしいっていう、もう一度母と話がしたいっていうね、
そういう願う娘としての自分の心が同時にいて、
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本当、その時は医療の知識が看護師としてあっても、
本当に母の前ではただの一人の娘で、そんな感じだったんですけどね、
やっぱり一番身近で大切な家族の立場になって初めて、
本当にもっと患者さんとかご家族が抱えていた苦しさがこんな苦しかったんだろうなっていうのがね、
よりその時は深く気づくことができました。
でね、そんな母が1ヶ月近くで亡くなっちゃったんですけども、
何よりその元気な時が私が体調を崩した時に、
母がすごく私がね、さおりなら絶対運が強いと思うし、
また大丈夫って言って、また復活できると思うし、
今を楽しんだらいいよって言って、
看護師の経験も今の辛い経験もきっと役に立つ時が来ると思うよって言って、
いつもそんな風に言ってくれてたんですね、明るく。
その時はもうふんふんって言ってね、
ただ慰めてくれてるんだろうなっていう感じしか受け止めてなかったんですけども、
でも本当に母が言っていた運が強いっていうのはね、
何の苦労もない人生という意味ではなくって、
苦しい時とかもね、必要な人や学びとかと出会って、
また立ち上がれるよっていうのが言いたかったのかなっていうのを思えて、
で、また母が亡くなってからはね、
本当に私はより自分の性をね、自分が生きているということを強く意識するようになって、
もっと自分の人生を主体的に生きたいとか、
自分の人生のハンドルを自分で握りたいって言ってね、
すごく強く思うようになれたっていうのがね、今の私にもつながっています。
なので本当に亡くなってからもね、いろんなことをね、教えてくれますよね、親は。
でね、昨年ね、母のおうちで弟からね、ふとお母さんの声に似てきたねって言われて、
本当もその瞬間なんか涙が、どんな涙かわかんないんですけどあふれて、
で、本当にあの、私の中には母が生きているなって思えるようになって、
ね、そんなふうに感じることができました。
18:02
で、誕生日を前にしてね、やっぱり私はお母さんになりたかったなーって思いもね、あるんですけども、
育てたかったなーってのはあるんですけども、
でもありがたいことにね、すごく友人の子供たちとか、
お一個やメイたちのね、成長をね、身近で見守らせていただいたり、
で、約20年間ね、人間の子供とは違うんですが、
猫ちゃん、ワンちゃんと一緒にね、暮らして、
毎日ご飯を用意して、体調気にかけたり、守って愛しながらね、過ごせたので、
母という形ではなかったんですけど、
誰かを育んだり、愛したり、寄り添う経験は、私の人生の中にはあるなーっていうふうにね、
思えるようにね、なって、
本当に思います。
人生は、本当に思い通りにはならないことがね、たくさんあるなーって、
だけど、そのたんびに、なんか思いもしなかった景色をね、見せてくれることもあって、
本当、それがね、すごく今思うことなんですね。
なのでね、これからまた一つ年齢を重ねるんですけども、
なので、もっとね、これからどんな人生が待ってるんだろうなーって思うと、
すごくまた楽しみで、今までの人生もすごく全然悪くなかったなーってね、
すごくいい人生だなーって思えてるので、
そして何より、今もね、すごく楽しいんですし、
また、私だから歩める人生をね、大切にしていきたいなーっていうふうにね、思っていて、
何より、女性として今生まれてきて、女性としてすごく嬉しいなーって思えてるので、
こんな女性って素敵だなーって感じるようなね、年上の年齢の女性の方もいっぱいいるので、
素敵にね、年齢を重ねていきたいなーって思っています。
ね、本当にその、人生思い通りにならないんですけど、
その中でしか出会えない人や気づけない幸せもね、あるなーって今はね、強く感じているので、
そんなことを思いながら、また新しい明日からの1年もね、
私らしくなるべく楽しみながら生きていきたいなーって思っています。
何よりね、父と母にこの世に出会ってくれて、送り出してくれてね、育ててくれて、
21:07
本当にありがとうっていう気持ちでね、今はいます。
はい、ちょっと長くなっちゃいましたが、お誕生日を前にちょっとこんなお話をさせていただきました。
はい、今日も最後までお聞きくださりありがとうございます。
本当にあのね、酷暑ですけれども、皆様無理せずに、ぼちぼちで、お元気で過ごしていってください。
はい、それではまた。新庄沙織でした。
21:51

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