まあまあそんな話はいいんですけど、 今日はね、あの皆さん、お待ちかねの、
人生気づいちゃったよシリーズ、 第4弾、ですかね、第4弾かな、多分、
まあ過去に何回か人生気づいちゃったよシリーズ ということで、
あのー、まあこうなんじゃないのかなー、 みたいな話をね、してきたんですけれども、
久しぶりにですね、もういつぶりやろう、 いつぶりかぶりにですね、
来ましたよ、人生気づいちゃったよシリーズ、 はい、まあ僕もちょっとまだ、例にも及ばず、
なんだ、まとまってない感じなんですけれども、 楽しく話していきたいなと思います。
で、まあ結論から言いますと、
規範、まあこれ規範とかルールとか常識とかを、 外すことなしに、
自分のやりたいこととか、したいこととかって、 出ないのではないのかなっていうのが一つ気づきました。
はい、ちょっとこれもあの僕の中では、 ちょっと一文が長すぎるんで妄想しきゅっとしたりとか、
言葉をこう選んだりしたいんですけれども、 まあ今日それをしつつ考えつつ、
まあなんでこういうふうな考えに至ったか、 みたいなのを話しできたらなと思います。
で、えっと、まあ今回常識とか規範とかルールとかみたいな、 まあ同じようなイントネーションじゃない、
ニュアンスで思ってもらえたらなと思います。
こう当たり前とされていることとか、 まあ社会ってこうだよねとか、
まあこういうことせなあかんよなみたいな、 まあ例えばで言ったら、
まあ小中学は義務教育やけど、 その後でまあ高校入らなあかんよなとか、
大学進学せなあかんなあとか、 それで4年間いったら、
社会人にならなあかんなあとか、 社会の中でも、
まあ営業成績上げなあかんなあとか、 営業人種が多いから営業に入りたいなあとか、
そう、せなあかんなあだけじゃなくて、 これしたいなあって思ってしまうことさえもね、
で、まあ29、30ぐらいになったら、 まあ結婚して子供欲しいなあとか、
えー、老後はおばあちゃんとおじいちゃんと ゆっくり過ごしたいなあとかね、
孫の顔見たいなあとかね、 まあいろんなことですよ。
まあそういった常識とか、社会規範とか、 ルールみたいなことをね、
あの、ことを、えー、なんて言ったらいいの、
当たり前と思って認識してるというか、 もうそれさえも当たり前と思わずに、
そうなってるんじゃないかなあっていうのが ありましてですね。
で、そこをこう、ちょっと外すというか、
そうじゃないのかもしれないみたいなことを 思うことがすごく大事だなあと思ってて、
で、あの、子供から大人になるにつれてやっぱり、
まあ親の影響とか、その学校とね、 学校での先生とか友達からの話だったりとか、
社会に出ても上司とか同僚とかの話から、
まあ嫌が往にも、そういう規範的なことに 浴びせられ続けてるというか、
そうなってくると、やっぱりその社会的な生物だから、
その周りに合わせないと僕たちは生きていけないというか、
生きていこうとする、周りと合わせて 生きていこうとするところも多々あると思うので、
で、そうじゃなかったらやっぱりムラハウチブになったりとか、
いじめられたりとか、話を聞いてもらえなかったりとかするので、
やっぱり周りに合わせて生きていく側面が 多々あると思うんですよね。
そうなってくると、やっぱり自分迷子というか、
自分のやりたいこととか、したいこととか、 自分の本質的なこと、
やりたいことだけじゃなくても、これ嫌いとか好きとか、
感覚的なものさえも得づらくなってくるのではないかなと思ってて、
それはやっぱり社会にどっぷり使われるからですよね。
社会におりすぎるから、おりすぎるし、
年次が経っていくにつれて、年が経っていくにつれて、
社会におる経験値が多くなるから、
その経験をやっぱり外すのって すごくすごく難しいと思うんですよね。
外すっていうのは、さっきから言っている常識とか、
規範とか、ルールとか、当たり前とかっていうのを、
疑うとか、そういう意味ですね。外す。
疑うとか、疑うないしは、疑うかつ手放す。
そのルールに抗ってみるとか。
その抗うっていうのも、
例えばそのルールについて疑問に思うフェーズがあるじゃないですか。
これって本当にそうやったんだっけ?
当たり前でよかったんやったっけ?みたいなことを思うじゃないですか。
でも自分はこれに対して、
そういう仕組みだから仕方ないなではなくて、
やっぱり自分はこれについてはこう思うから、
このルールに従おうって思うのならいいし、
このルールにはやっぱりちょっと違うなと思うから、
そうじゃないようにアクションなり思考なりしていこうって思うと思うんですよね。
そうなったら、それが自分の中のアイデンティティというか、
思いというか、思想というか、そうなってくると思うんですよ。
でもその疑いなしにはやっぱり自分がどう思ってるのかとか、
どう感じてるのかってすごく難しいのではないかなって思ってですね。
ちょっと長々と説明したんですけど、
そんなことをふと思ったんですけど、
というのも最近9月、たくさん人がまた来ていただいて、
人が来ていただいてというか、僕といろいろ話していただくことが多々多くてですね、
伊藤まで留学という、またネットで調べてもらったらいいんですけど、
僕の友人がやってる麦で、
地域おこし協力隊のインターン制度を使って、
麦で2週間滞在しつつ、麦の現状、課題みたいなのを知り、
自分自身とあてらし合わせて、どのように課題解決できていくかとか、
伊藤まで留学という名前なだけに、その伊藤を大切にしていこうみたいなところをやってたんですよね。
その2週間のプログラムの中に、僕のところに1、2日くらい来てくださって、
参加者が今回この9月は4人いたんですけど、その4人と夜な夜な喋ることもできました。
僕1人とその4人といろいろ喋ってたんですけど、
みんな学生でこれから社会に出ていくみたいなところだったので、
担当職にいる僕にね、「彼女おるんですか?」みたいなことを聞いてくれて、
いや、いないよーみたいな話をしてたんですよ。
じゃあ、結婚についてどう思いますか?したいとか思わないですか?みたいな話をしてね。
僕はね、少しちょっと偏った結婚感というか思想の持ち主だなと思いながらね、僕自身も。
みんなはそうじゃないだろうなって思って、ちょっと偏って、僕自身が偏らせて、
僕自身のこの結婚感について喋ったんですよ。
簡単に言うと、結婚っていう制度があるだけで、
それってその第三者、その当事者間、男性女性の2人のパートナー関係の外側にある第三者に向けての説明するための制度であるでしかなくて、
もしくは子供が生まれた時の親権とか公的婦女的な制度を使うために結婚というものをするのであって、
そうじゃなかったら結婚という契約をしなくてもいいのではないのかなと思っているという話をしたんですよ。
ただの制度であり契約であり、第三者に向ける説明のための道具であると僕は思っているという話をしたんですよね。
そうしたらホンホンみたいな感じでなってて、
だから僕自身は一番最初に大事にしたいのがパートナー間というか当事者間の相性だったりとか、
本当に一生付き合えるのかどうかでもそうやし、
一生付き合わないにしてもいつまでというか僕たちの関係性はこうだよねみたいなことを都度都度確認していくなり、
最初に付き合わせたくなるみたいな、段階的に踏んでいくみたいなことが大事だと思っていて、
ノリでするというか勢いでするものだけではないと思っているというかね、そんな感じで思っているんですよ。
彼ら自身にも4人にも逆にどう思うみたいなことを聞いていって、それぞれみんな違う意見があって、
結婚したいのかどうかもそうやし、その先に何で行きたいのかというのを聞いたら子供が欲しいからだったりとか、
1人信頼できる人が欲しいからだったりとか、いろいろあるんですよ。
結婚したくないというか、結婚したいけど子供欲しくない、欲しいかなみたいな感じの子もおったりとか、
本当に4者4様で、いろんな意見があるな、それさえもみんな感じてくれていて、4人全然違う価値観というか考え方だね。
僕自分も含めて、5人全然違うなみたいなことも含めて言っていて、面白いなと思って。
僕は結構偏った話をしたし、僕が偏った話をしながら別に今そんなことそんなに思っていないというか、
僕自身も結婚についてはそう思ってたけど、それ以降は別に考えてなくてアップデートしないというか、
過去に自分が思ってたことをもう一回言ってるだけみたいな、なぞってるだけみたいな感じで、
その場の言葉ではあるんだけど、出てなかったというか、そんな感じだったんですよ。
で、その後、僕はいつもね、来てくれる子とかと話してから、いつも反省するんですけど、
その後もお風呂入りながら反省したり、反省というか反省したりとか、寝る前に反省したりとか、
次の日も朝、かんせきとのんちゃんと散歩行って、その後もお寺の掃除してたので、
その時もちょっと考えてたんですけど、なんかちょっと違和感を持ってたんよなーみたいなことも思って。
僕自身もそうやし、彼ら4人の結婚の先はやっぱり、その人自身のエゴというかやりたいことだったりとか、
なんかそういうのを発露するんかなーっていうのが思って、
じゃあつまりエゴじゃんというか、自分のやりたいとかこうしたいとか、自分の欲を満たすためとか自分の満足のためかと思ったんですよ。
結婚ってやっぱり相手のことも思ったりとか、パートナーのことも思ったりとか、双方の両親だったり家族のことを思っての、
なんかそういうものでもあるじゃないですか。
けどやっぱり出発というか、その点で始まっているところは、自分の中にあるものなのかって思ったんですよ。
そこに若干の違和感じゃないんだけど、全部それになってしまうんかなーと思って。
でもそれは今の日本だからだと思うんですよ。
別の国とか別の地域とか違う時代に行ったら、そうやって自分の思いだけで選べたりとか選択できたりとか、
出社選択することができないところもまだまだ全然あると思うし、そうなる未来もなくはないとも思うんですよね。
だからなんか、英語英語なんやけど、英語かなーみたいな、英語だけなんかなーみたいな、それでいいんかなーみたいなことも思って。
さっき言いかけたんですけど、パートナー自身、パートナーとか周りの家族の思いもあるわけじゃないですか。
それと付き合わせていくのってすごくめちゃくちゃ難しいなーとか思いつつ、
勢いエイヤーで行ってしまって何とかなってるみたいなのもあるしさ。
個人のエゴから発露するんやけど、周りのエゴもあって、それが上手い具合に落ち着いてない時もあれば落ち着こうとしようとするというか。
その辺に言葉にしきれない、僕もまだ考えきれないところがあって、
次の日ぐらいにまた次、男の子1人と年下の男の子と、8個下の子と喋ってたんやけど、
その子すごく僕と近い思想というか、色々考えてることが似てたりとか、言葉にするのとか、迷いながら発言するのとかすごく似てて、
色々バーッと嬉しくて喋ってたんやけど、その時に彼が、こういう人って僕あんまり好かんのですよねみたいな話をしてくれて、
その後に色々バーッと喋って、悩みながらというか言葉を選びながら喋ってたんやけど、
僕がちょっとポロっと、それってさ、さっき自分があんまり好かんというか嫌いと思ってたことを自分にもやってないみたいなことを言ったら、
うわーって気付いたんですよ、その人が。うわーって思って。
で、なんかすごく、彼も言ってたんやけど、すごく嬉しい気持ちと悔しい気持ちとみたいな、
自分の癖というか矛盾みたいなのが分かって嬉しい気持ちもあれば、
自分が好かんとか嫌いとか思ってた人が自分の中にもいたみたいな、その悔しさがあったりとかして、
色々入り混じった感動みたいなのが出てきて、その時に僕も大爆笑しちゃったんやけど、
そう、すごく面白くて楽しくてね、そう。
なんかそれを見て、すごく楽しくて、
で、その前の前のね、学生4人と喋ってた時も、そういった感動はちょっとなかったんやけど、
でもなんか話すことは楽しかったし、でもそのもう1人の男の子と1人1対1で喋ってる時はすごく楽しかったりとかして、
何がちゃうんかなーみたいなことを思ってたりしたんですよ。
でまぁ、やっぱそれがあるかないかも。
そうやし、まぁ対話自体はそもそも楽しいなって僕は思ってるんで、
まぁその発見感動みたいなのがなくても全然いいんやけど、
なんかこう、もう少し言葉にしてみたいなーと思ったんですよ。
そんで、また次の日かな、次の日に、
次はまた同じように年下ないけど、親切な女の子と喋る時があって、
それはもう3、4年前くらいから知ってる子で、記者になってね。
そう、新人で記者になって半年もやってて、
それについて仕事の話だったりとかを話してくれたんやけど、
で、まぁその子と1対1で喋ることは2回目?
あ、過去にこのポッドキャスターも出てくれてて、エマって言うんですけど、
エマも出てくれて、エマと喋ってたんやけど、
僕の社会人時代の話をしたりとかしててね、その子が新卒になってたから。
で、えっと、そうやな、
なんか、その話どんなのかちょっと忘れたんやけど、
僕の気づきとしてはその子と話して気づいたこととしては、
僕自身がその前の会社に、新卒で入社した会社におった時に、
すごくその会社と、その会社を背負ってじゃないけど、
その会社の顔となるとか、その会社の一員感がすごく強いまんま、
その責任感も背負って、会社以外の人と接してたというか、ですよね。
で、そういう話もしたら、その子が、そのエマが記者やから、
そこまで先輩に連れて行ったりとかないらしくて、
で、その会社を背負ってるみたいなことはあんまり思わずに、
思うんやけど名刺渡したりするんやけど、
一個人として取材相手とか、情報を得る相手からは、
やっぱりその一個人として接してるみたいなことを言ってて、
そこまでないですねみたいな話をしたんよね。
そうなった時に、あ、俺、一社しか経験してないからってのもあるんやけど、
入れすぎるみたいな、
さっき一番最初に話した常識とかルールとか規範とか、
それこそそうなんやけど、その会社っていうのを自分の中に入れすぎてて、
自分の中の湧き出るもんとか、好き嫌いとか感情だったりとかを、
見えづらくしてたなぁみたいなことも思ったんよね。
距離感が近すぎたというか。
そういう教育でもあったと思うんですよね。
周りもそんな感じの子らばっかりやったから、
それが良いとか悪いとかではないんやけど、
なんならむしろ良いとは思ってたしね、当時は。
今も全然良いとも思うし、悪いとは思わないけど、
でも悪い面というかあんまり良くない面なのかもしれない点としては、
自分と同一視しすぎるなぁみたいなことを思って、
ああそうかと思って。
そこにまた気づいたんよね、そのことを喋っている時に。
自分自身の中の、当時の同一視した、
さっき言ってた常識を自分の中に入れすぎてた、
社会、会社を自分の中に入れすぎてた自分がおったみたいな。
それの延長線上でもある自分がおるみたいなのも気づいて、
確かになぁと思ったんですよ。
だからそのことを喋ってて、
エマと喋ってて、
それ多分会社とかその個人にもよるなぁって話もあったんですけどね。
というのもその個人、そのAさんとかBさんとかCさんそれぞれが
その会社にどういう向き合い方をしているかとか、
もしくは先輩とか研修人事からどういう教わり方とか
向き合い方をしようとさせられているかみたいなので、
個人個人は影響というかね、向き不向きだったりとか
あるんだろうなぁみたいなことは話しておったんやけど、
自分自身に落とし入れた時はそうかと思って、
これまでの話をこうギュッとすると、
いろいろ4人、大学生4人と年下の子2人と喋って、
どの話もすごく面白かったし興味深かったし、
僕自身も楽しんで話させていただいたんやけど、
僕自身が面白いなとか発見があったなっていうのが、
やっぱり常識とかルールとか規範とか、
僕自身もそうやし、話してる相手自身もそうなんやけど、
その子自身が自分じゃない何かによって
その選択をしてるっていうことを理解してるのかどうかっていうのが
すごく大事やなって思ったんですよ。
学生4人の話にも戻るんやけど、
結婚したいっていうこともやっぱり周りがそうしてるからとか、
第三者に説明するためとか、
向こうの親に言うためとか、
子供を欲しいからとか、
それってやっぱり自分の中から発露してる感じが薄なってるなというか、
もう2、3週そのことについてちゃんと、
結婚だけじゃないんですけど、
結婚って言ったらちょっと大きいんですけど、
結婚について2、3週考えた上でホームマネジメントしたいのかどうかみたいな、
それって社会にさせられてる?
社会にしたいと思わせられてるんじゃないかなって疑うのって大事というか、
一つ思っといてもいいのではないのかなって思ったんですよ。
そういうことをちょっと気づいてほしかったから、
僕が偏った意見を言ったのかなっていうのも振り返りながら思ったんやけど。
だから色々会社に入るというか、
会社のルールに従うとか、
ほんまにみんな今喋った頃とか、
いい子らばっかりだったから、
言う人の言うことを素直に聞けたりとか、
ちゃんと上の人だったりとだろうが、
年下だろうが同い年下だろうが、
こう敬えたりとか、みたいな、
そういうのが見えるというか、
そんな子らばっかりだったから、
今も含めてね。
だからこそ、
社会にさせられてるみたいなのでいいのかなみたいなのを疑うみたいなのは、
必要とまではあまり強くは言わんないけど、
でもその視点、気づきみたいなのってあるんかなと思ったし、
僕はそれを与えるんじゃないけど、
問いかけられるのではないのかなと。
ちょっと難しい。
僕自身がその場に立ち会うのはすごく嬉しい、楽しい、面白いなって思うから、
いろいろな質問だったりとか、
僕自身の話ができたらなっていう、
そういう話ができたらすごく楽しいなって思えたっていうのが、
今日も気づいちゃったシリーズの結論なんですけど。
もう少しまとめるじゃないけど、
何が言いたいかっていうと、
常識とか規範とかルールとかやらなあかんとか、
もしくはこれ言うのしたいんだよねって思ってることさえも、
社会とか周りとか地域とか体裁とか、
そういうのから出てきてしまっているのではないのかなっていうのが一つ問いとしてあって、
それと自分がやりたいことが混同してしまってるっていうのがあるんじゃないかなと。
それに気づいたりとか隙間を空けてあげるみたいなのが、
大事なんじゃないかなみたいなのを思って。
そうしないとやっぱりこれが当たり前なんだとか、
これが常識だったんだとか、
これが自分の中で当たり前すぎて何も思わなかったことって、
ほんまにいっぱいあると思うんですよね。
それをやっぱりガッて何とか外さんと、
自分の中から出てくることってすごく見つけづらいんじゃないかなって、
僕自身が多分そういうタイプだからね。
そう思うよね。
そうじゃなくて普通にそれに邁進してるというか、
真っ直ぐ真っ直ぐそれに向かって突き進んでる人に対しては、
僕はあまり深掘ろうとは、
なんでそれがしたいんだろうみたいなことは深掘りたくなるんやけど、
邪魔したくはないなと思うんですよ。
だからこそ僕自身も悩んだり迷ったり考えたりしてるんですけど、
そういった人たちには常識とかその人の当たり前とかが入りすぎてるから、
周りのことが見れたりとか周りの気持ちが汲み取れたりとか、
それがゆえだと思うんですよね。
それだからこそ自分の当たり前は剥がしづらくなってるのかなと思うので、
そういうことを隙間に入れたら隙間に入るような質問とか、
僕自身の話ができたらなーみたいなことを思ったっていう感じですね。