前回の放送、3回もお聞きました。
おはようございます、RYUJIです。 今日もよろしくお願いします。
今日は、6月25日金曜日、11時お昼です。
よろしくお願いします。 この後、僕は大阪行くんですよ。
ゆっくり喋りたいところなんですけれども、 駆け足になってしまうところもあるかなと思うので。
ただ、今日話したいことがありましてですね。 よろしくお願いします。頑張ります。
前回の放送、それこそ、日頃に比べればたくさんの方々から 反響をいただきまして、コメントだったりとか、
聞いたようだったりとかね、色々いただきました。 ありがとうございます、本当に。
僕も最初に言った通り、3回、4回くらい聞いて、 もう一回聞き直したりとかしてて。
それなりに、僕自身も話し合った時とかは、 よく喋れたなぁみたいなことも思いつつ。
ただ、その後もまた他の人と喋ったりとか、 そんなと考えることがあったりとかして、
今日はそのことについて話していけたらなと思うんですけれども、 前回どんな話したかっていうと、
社会が個人に内面化しすぎてるから、そうしちゃうと、 やっぱり自分がやりたいとか好きとか嫌いとか、
色んな感じをそもそも、それさえも、 社会の側に寄ってしまってしまう。
知らぬ間に社会人として、文字通りの社会人として 振る舞ってしまうみたいなことが、
気づかないうちにあるのではないかな、 みたいなことを話しました。
で、今日はその反論じゃないけど、 そこからまたちょっと考えたことを話そうかなと思います。
反論というかね、社会の側から、 前回は個人の側から見て問題提起だったけど、
今回は社会の側から実験的に見てみようではないのかな、 みたいなことを思います。
社会って言うとやっぱり個人じゃないから、
なんていうか、掴みどころがないというかね、 難しいところがあるかなと思うんやけど、
ちょっと実験的に、思考実験的に考えていきたいなと思います。
で、前回ね、社会に入り込まれすぎてるから、
個人の内発的なものだったりとか、 気づきづらいんじゃないかな、みたいな思ったんですよね。
でも、それを行きすぎるとね、やっぱり個人ベース、個人主義、 個人自由主義だったりとか、自由主義だったりとか、
そっちに走ってしまうわけじゃないですか。 それは別に批判したいわけじゃないんやけど、
ただ、個人主義、自分が良ければ、 まずは自分が良ければいいというか、
自由主義というか、自由が一番だみたいなことにも、 なりかねないじゃないですか。
そこに多分、僕も違和感があって、それこそ結婚の話。
学生4人とか、他の子らとも喋って、結婚の話になって、
突き詰めたら、エゴだよねみたいな、 自分個人の思いだよねってなったんやけど、
けど、やっぱり結婚とか、子供問題とかみたいな話って、 個人の問題だけでは済まされないところが多々ある。
その相手のパートナーだったりとか、 その奥、両親、自分の両親とか、
相手方の両親とか家族とかの関係性もあるから、 それだけでは済まされないところがあるから、
個人の問題から出てきてはするんやけど、 その集団を巻き込むことになっていくから、
それって良かったんだっけ?みたいな、 個人エゴ?
で、エゴでするんやけど、結局はエゴなんやけど、 集団を巻き込んだエゴになっちゃうから、
それって良いんやっけ?悪いんやっけ? みたいなことを思って、
そこにちょっと多分違和感を持ってたなと思います。 前回の、また聞き直してくれたら、
そこに僕多分違和感を持ってたと思うんやけど。
で、今回はその社会の側というか、 集団的に個人が自由にするのはどうなんだろう?
みたいな話をしようかなと思うんやけど、 僕もこの結論というか、
どうやって考えていこうかな?みたいなことは思ってて、 まずはでも最初の問題ですよね。
個人主義ばっかりになってしまうと、 個人同士のぶつかり合いが出てくるわけですよね。
で、社会では個人の意見ばっかりを採用すると 収集つかなくなるから、
だから規則とかルールとか決めるわけですよね。 制度とか法律だったりとか。
で、だから社会という漠然としたものから言うと、 個人というものはない方がっていうか、
うまくこちらの意図的に動いててくれた方がありがたい。
だからそのエゴとか出さんといて、 みたいな思うわけですよね、社会の側としては。
だから知らず知らずのうちにウイルスみたいに 内面に入っていくみたいなところがあるのかな?みたいなのを思うし、
でも逆に社会もやっぱり個人の集団から 機能的に出てくるというか、
この集団、個人個人個人個人個人が集まっての集団だから、 集団では社会だから。
その社会側にも個人が内面化してしまってるみたいなところ。
内面化というか、創世ざるを得ないというかね。
社会っていう存在自体が個人の上に成り立ってるから、 個人が入れざるを得ないというかね。
そのギブアンドテイクなのかな? わからんけど、似たり寄ったりというか、
行ったり来たりする感じなんかなと思います。
社会の側も、会社でいうと、やっぱり動いてて欲しいわけですよ。
何も言わずに働いて欲しいわけですよね。
規則に沿って、規律を守って、仲良く、 自分たちの利益を生み出したりとかして欲しいわけですよね。
自分自身、社会、会社自身が成長していくために、 個人、社員にはちゃんと動いてて欲しい。
社長でさえもね。
ステークホルダーとされる株主だったりとか、 購買者だったりとか、クライアントだったりとかにも、
ちゃんと良い関係で保って欲しい。
その良い関係を保つために、規律というかルールを決めて、 個人に働かせるみたいなのがあるから、そうですよね。
だから、社会としても、エゴを出されると、やめて欲しいわけですよ。
いや、そのルール、ちょっとこれって疑ってるんですけど、 個人からね。
個人からこのルールちょっと違うかなと思うんですけど、 みたいなこと言われて、え?みたいな。
社会の側としても、会社の側としても、 いや、そんなこと言われてもな、みたいな。
いや、これ決まってたし、みたいな。 決まってきたんやけど、みたいなことがあるから。
そういう気持ちになるんですよね、社会の側も。
面白いなと思った、それが。
だからまあ、個人は社会に内面化されるし、 社会は個人の土台の上に成り立っているから、
個人を入れざるを得ないし、みたいな。
これやっぱり、分けられないですよね、こうなってくると。