1. Run the World, by DogsorCaravan
  2. 「補員」と書き続けた十数年——..
「補員」と書き続けた十数年——平成山岳会・朝倉一朗監督が語る、富士登山駅伝37年ぶりの総合優勝【ポッドキャスト Run the World 176】
2026-08-26 1:08:13

「補員」と書き続けた十数年——平成山岳会・朝倉一朗監督が語る、富士登山駅伝37年ぶりの総合優勝【ポッドキャスト Run the World 176】

spotify apple_podcasts youtube

2026年8月2日、静岡県御殿場市で開かれた秩父宮記念 第51回富士登山駅伝競走大会。平成山岳会が3時間50分39秒で、総合10連覇を狙った御殿場・滝ヶ原自衛隊を2分7秒抑えて総合優勝を果たしました。一般の部と自衛隊の部が分かれた2005年以降、一般チームが総合トップでフィニッシュしたのは初めてのことです。

今回のゲストは、そのチームを率いる朝倉一朗さんです。

DogsorCaravanの岩佐が伺ったのは、勝ったチームの武勇伝ではありません。なぜ勝てたのかを、走らなかった人たちの側から聞いています。

十数年前から鍼灸院の壁に貼ったオーダー表の「補員」欄に、ある選手の名前を書き続けていたこと。区間賞を狙える実力を持ちながら、今年は給水係に回った選手がいること。山頂の山小屋に前夜入りし、6リットルの水を担ぎ上げて待っていたスタッフがいること。そして、かつては100チーム中100番、たすきもつながらなかった山岳会のチームが、どうやって今の姿になったのか。

朝倉さん自身は、40歳から走り始めたランナーです。UTMBやレユニオンに日本人として早い時期に足を運び、情報を持ち帰った一人でもあります。今は自分が走ることよりも、Mt.Fuji 100のコース整備や、トランスジャパンアルプスレースのスタッフとして山に入る時間のほうが長くなりました。32キロの荷物を背負って南アルプスに6泊する、その原動力についても語っていただいています。

強いチームの話であると同時に、支える側に回るという選択の話です。

【チャプター】

オープニング

逆転の瞬間——「うわマジか」

山頂区に、すべてを賭けた男

区間配置という設計図

十数年、「補員」と書き続けた名前

平成山岳会前史——山学同志会から

スカイランニングとの出会いと世代交代

100番から強豪へ

今年のオーダーの舞台裏

山頂の前泊とサポート体制

麓の宿舎「Bush」

集まれないチームの練習法

オーダーを決めた実務と金栗四三賞

北村選手、8秒差の区間賞

清水選手と新田選手、それぞれの区間

控えの層の厚さということ

他チームとの切磋琢磨

自衛隊への敬意、一般チームの可能性

富士登山駅伝の未来と海外勢

支える側に回った原動力

TJARでの1週間

テレビ放送情報とクロージング

【関連情報】

テレビ番組『クレイジーランナーズ』で第51回富士登山駅伝の1時間ダイジェストが放送されます。

・BSフジ:8月30日(日)

・テレビ神奈川:9月6日(日)

※テレビ静岡では8月22日(土)に放送済み

DogsorCaravanのウェブサイトでは、この収録をもとにした記事も公開しています。 https://dogsorcaravan.com

#富士登山駅伝 #平成山岳会 #トレイルランニング #スカイランニング #富士山 #駅伝 #DogsorCaravan #RunTheWorld #トレラン

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

サマリー

平成山岳会が37年ぶりに富士登山駅伝で総合優勝を果たした背景には、監督である朝倉一朗氏の長年にわたるチーム作りと、選手だけでなくサポートメンバーの献身的な支えがあった。特に、区間賞を狙える実力を持つ選手を「補員」としてオーダー表に書き続け、チームのために給水係に回らせた決断や、山頂の山小屋で6リットルの水を担ぎ上げて待機するスタッフの存在など、勝利のために選手一人ひとりの役割を最大限に引き出すための緻密な戦略が明かされる。かつては最下位争いをしていたチームが、スカイランニングとの出会いや世代交代を経て、どのようにして強豪チームへと成長したのか、その歴史と哲学が語られる。また、朝倉氏自身が40歳からランナーとして活動し、現在は選手としてではなく、Mt.Fuji 100のコース整備やトランスジャパンアルプスレースのスタッフとして山を支える原動力についても深掘りする。これは単なる強いチームの話ではなく、支える側という選択の重要性と、チーム一丸となって勝利を掴む感動的な物語である。

優勝の瞬間と山頂区のドラマ
DogsorCaravanのポッドキャスト、Run the Worldでございます。今回のゲストは、朝倉一朗さんです。朝倉さん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
オールドトレイルランニングファンの方にとっては、朝倉さんのことをご存知の方は多いかと思うんですけれども、私ももう長くトレイルランニングを始めた時から、いろいろ教えていただいて、ご指導いただいております。
今回の朝倉さんにお話し伺おうと思うのは、8月2日に秩父宮記念第51回富士登山駅伝競争大会が5天場で行われまして、大いに盛り上がったんですけれども、そこで平成三学会が自衛隊のチームを上回って総合優勝したという会長がありました。
朝倉さんはそのチーム、平成三学会の監督として長くチームに率いてこられた監督でございました。ということで、選手にインタビューするというのも大事なことだとは思うんですけれども、今回はちょっと視点を変えて、このチームを率いてきた、あるいは支えてきた朝倉さんに、
ちょっとその辺の裏話であるとか、どういう思いでこのチームに変わってこられたかというようなところを伺えればと思っています。よろしくお願いします。
まずは冒頭なんですけれども、率直に今回の8月2日の富士登山駅伝優勝、さらに37年ぶりですか、自衛隊のチームを上回っての勝利という快挙だったわけですけれども、どうでしょう、どんなお気持ちでそのフィニッシュを先週迎えましたか。
そうですね、率直な気持ち、ロックの選手が滝ヶ原さんを抜いたっていうのを、2号発射区の中継点現地にいたんですね。その時にうわ、まじか、やべえ、やっちゃったっていうのが正直な気持ちで。
絶対に山頂区、今年情報では滝ヶ原さんが初めて走る選手を山頂区に入れたという、山頂区初めてってことですかね。それで情報を得ていたんですけど、だいぶ早い選手を入れてきたんだろうなと思ってたんですが、
なぜ山頂区で逆転したのかっていうのは全く情報がないまま、突然平成三学会がトップだっていうラジオが流れてきまして、かなり大げさではなく腰抜けすぎるびっくりしたっていうのは本当のとこですね。ちょっと驚きが一番でした。
その辺は、私もちょっと詳しく取材とかできていないのが正直なところなんですけども、先週にお話、平成三学会は上昌原雅人選手がドックの山頂まで行って戻ってくる区間を走られたわけですけれども、そこは何かおっしゃってましたか、どういう感じだったかというのは。
その前の前の週に野沢4100Dというレースがありまして、今噂になっている例の賞金レースですよね。3000円優勝したら金額大きいという。そこに私も十何年前から田中雅人さんと一緒にチーム組んで、チームイーストウィンドーという枠の中でですね。
スイーパーを今年も全部で私入れて13人運びました。いろんなカテゴリーがあってスイーパーをやるわけですけど、そこに上昌原君がいまして、なんで君は走らないのっていう話をしたんですよ。
いや僕は登山駅での山頂区に賭けているので、今年のこの暑い中で走るよりもやっぱり登山駅での山頂区でいい成績を残したいんだと。で、その翌週5日後の金曜日にあった富士登山競走をエントリーしていたけれども、実は走らないです。
登山駅での山頂区一本で行きますと。なみなみならぬ決意を聞いていたので、ここまで賭けていてくれるのかと。ちょっとそれも驚いたんですけど、他に野沢では上田瑠衣選手とか吉野大和選手とか北村光雄君だとか3区のみんな走ってたんだけど、上昌原君だけが全てのレースを回避して登山駅で一本で行きますと。
今から思えばそれが実は当日の伏線で、山頂区で大逆転劇が起きる前兆だったのかなと。本人も狙ってたのかなと思います。区間賞はちょっと取れなかったので、外国の方に持っていかれたみたいなんですけど。
それぐらい賭けてたっていうのは、実は2週間前に聞いていたんですね。後から思ったら、あの時は言ってたよなっていうのが分かったぐらいですね。
ここまで上昌原さんの思いがあったっていうところが。
そうですね。
そこはすごいですね。区間ということでオフィシャルではJ隊の部と一般の部が分かれて発表されてますけど、ちょっと通してみても、今ケサテ・ハブテシオン選手が彼がトップ区間賞だったのかな。
そうですね。
50秒、53秒差ですか。上昌原さんがそれに続いていたと。滝原の舟水浩さんもまだ若い選手ながら、この区間、ちょっと個体的にはもちろん上昌原さんたちに及ばなかったわけですけれども。
けどJ隊の部の区間記録で言うと4番手に入るぐらいですから、決して大ブレーキということではなかったんだけれども、上昌原さんの準備と規約がそこを上回ったということだったんですかね。
やっぱり上昌原君はユースのスカイランニングの大会とかではヘッドコーチをやっているみたいですね。海外にも実は行ってたんですよ。春先ぐらい、夏の前に。
で、コーチ巡路をしっかりやってるっていう話だったので、もうぜひ自分は3兆区をやりたいということで、申し込みがちょうど4月の終わりから5月ぐらいにかけて、富山駅での申し込み通知が来るんですけど、その頃にはもうすでに3兆区やりたいですっていうことはずっと本人が主張していたので。
で、ルイ君も実は上田ルイ選手も3兆区やりたいって言ってたんですよ。だけど、それは後でお話ししますけど、なぜ5区になったかとか、はい、いろいろちょっとありまして。
そうなんですね。いろいろあった。調整がちょっとありまして、なんとか説得をしつつとか。自分が見てて第三者的立場から山野選手を見ていて、もう適正的なものを考えたときに、
瞬発力の3兆区か、持久力の5区か、つなぎの4区かっていうところでの再配が、今回ぴったり当てはまったなっていうのはありました。ありました。
チーム編成の裏側と長年の構想
ちょっと最初、この収録始める前にちょっと進め方ご相談してお伝えしてたんですけど、ちょっとせっかくなんで、ちょっと順番を入れ替えて、朝倉さん自身のお話をちょっと伺う前に、その今の再配のお話をちょっと興味深いところ、あんまり聞いたことがない、監督の立場でどう考えるかっていうのがあんまり聞く機会がすごいないので、すごい新鮮だなと思うんですけど。
そうなると、やっぱり今回のメンバー集めみたいなところから話を始めるんでしょうかね。いかがでしょう。そこについては何か作戦あったんでしょうか。
動いていたのは去年の11月ぐらいから、前の年の打ち上げを兼ねて、ちょっといいお店でいいものを食べて、いいお酒を。
選手の皆さんは全てですね。
若手ですよね。来ない近郊に来て集まれる若い選手たち、何人か声をかけまして、ちょっとみんなで頑張って来年に向けて頑張ろうぜっていう形で話をする機会があって、
その時に上田瑠衣選手も、実はもっと遡ると2年前に一般の部で平成三学会を優勝したときに、終わってすぐ5分とか10分ぐらいに瑠衣選手からおめでとうございますって誰よりも先にメールがあったんですよ。
いよいよ、ずっと10何年前から当格を表してきて早い子がいるよって言われた時から、こういう早い子が富士山を走ったら絶対楽しいだろうなっていうところで、10数年前から実は声をかけさせてもらってまして、
平成三学会の本院としては上田瑠衣という名前はしばらく入れさせてもらってたんですよ。本人も興味があるところで。昔から。
某、名前出していいかわかんないですけど、北区十条にあるとても痛い針を打つ、名前言っちゃっていいんですかね。
いいと思いますけどね。内田治療院さんですよね。
内田治療院さんっていうところに自分は2009年から行ってまして、そこに毎年富士登山駅伝のオーダーを貼らせてもらってたんですね。
で、その時に当時走ってくれていた奥宮さんだとか小川壮太さんだとか大瀬さんだとか、ものすごく早い彼らの下に本院として上田瑠衣っていう名前を入れていたのがそもそもの始まりで。
十数年前から多分瑠衣くんが走ってくれたら、もうみんなびっくりするだろうなーっていう夢は持っていたんですよ。
ちょこちょこちょこちょかうたんびに登山駅で走んないって言われたけど、いろいろこう、当時彼は大きい会社のスポンサー、コロンビアさんとかついてまして。
他にもいろいろ小さいスポンサーさんがいるので、もし富士山走って怪我をしたらちょっと海外のレース行けないし、スポンサーさんに迷惑かけるだろうなって私自身が思っていたので、しばらく声をかけなかったんですね。
その先に一般で優勝した2年前におめでとうございますって来たので、もしかしたらこれは彼が走りたい合図なのかなというのをちょっと思いまして。
ずっと声をかけ続けてきたし、ご飯もずっとみんなでスカイの若い子たちとご飯を食べる機会がかなりありました。
結構あって、その辺の積み重ねの結果、千葉上田瑠衣選手が走りたいっていうふうに決断してくれたので、こういうオーダーになった次第なんですけれども。
結構歴史があるというか、ずっと前から本当に他にもスカイの若い子たちいっぱいいまして、牛角の焼肉屋さんで十何人集まってご飯食べたりとか、その時にやっぱり一番ちょっと貢献していただいていたのが、
岩立夫妻、特に岩立志穂さんがスカイママっていう、ずっと平成三学会のサポートで来てくれて、旦那さんの竹さんと合わせてずっとサポートしてくれてたのは十数年前で、岩立夫妻は松本大さんとかの依頼を受けて、やっぱりユースの帯同で、
ヨーロッパに若い子たち連れてってっていうふうに、だいぶ尽力されてた夫妻なんですけれども、その夫妻が上田瑠衣君とか、それこそ三兆区ずっと走っていてくれてた藤翼君だとか、鈴木龍也君とか名取君とか、いろいろな若手に声をかけてくれて、だいたい今の形の基盤ができてきた感じですかね。
歴史はありますね。
平成山岳会の成り立ちと進化
私も、朝倉さん、この平成三学会、あるいはこの富士登山駅伝に関わり始めてからどれくらいになるんですか。
ちょうど2006年のハセツネカップ24時間三学大級レースで、そもそもその平成三学会って名前を知ったのはですね、2006年に出るにあたり、いろんな方のブログ、どういうコースなんだろうっていうのを調べたのが始まりで、その時にたまたま平成三学会の田中範明さんという監督さんがですね、当時の。
そこでヒットしたら、なかなかその難しい字なんですよ。のりあきという字が。
はい。
言葉で言えないんですけど、この珍しい字は昔自分が22歳、23歳、24歳ぐらいに所属していた社会人三学会の三学同士会っていうのがあったんですね。
ちょっとやばい三学会だったんですけど、かなり先鋭的な、人が何にも信じないような三学会だったんですけど、その年大学出て終わってそこに入って、その間3年間ぐらいずっと材料を組んでくれていた先輩だったんですよ。
それで2006年の破雪に行ったときに、もう偶然何十年ぶりにお会いしまして、でもその時は10月だったんで登山駅では終わってまして、翌年の2007年から呼ばれて走らされることになるわけですよね。三学会だから走れと。
破雪に出るぐらい走れるんだから、選手として参加してくれと。
そうですそうです。
なるほど。
なんかムチャグリをされまして、それもひどい話があって、ずっと三区やれって言われて、当時三区の練習をしてたわけですよ。そうするとですね、前の日に桜お前は二区だと言われて、二区の試奏は一回もしてないんですね。
ちなみに三区は太郎坊から二号発射区でしたっけ。
馬返しから太郎坊ですね。
馬返しから太郎坊の区か。
激ザカが最後残ってるところ一生懸命走ってたんですけど、前日に二区って言われて、二区走ったことないんで前半緩やかなんですよ。
ペース上がっちゃって、後半に連れてツザラ折れになってくるところで角度上がってくるので、当然潰れるわけですよね。激沈して。
下りの試奏はするなって言われてまして、早すぎて筋肉壊れるからもう当日まで走るなと。
本番にとっておけた。本番確かに走ったら一週間、初めてフルマラソン走った以来の大筋肉痛で布団から起き上がれないぐらい全身バキバキになりましたね。
それぐらいぶっ飛んでたんですけど、もう絶対助けは繋がらないんですよ。
繋がらないチームだったんで、おじさんばっかり走ってて。
そのチームっていうのは平成山岳会っていう、ランニングのチームというよりは山岳会っていうのがあって、そこの名前でチームを作ってたっていう感じなんですか。
そうです。ガチな山屋ですよね。その山岳同士会っていう山岳の学は山を学ぶなんですよ。
岳っていう字じゃなくて山を学ぶ同士の会なんですね。そこのOB4人、自分も入れて4人がだいたいメンバーで、
山やってる方はわかると思うんですけど、黒部ダムの下に丸山峠壁っていう壁が500mぐらいの壁があったりとか、
それから元当期の白馬狩猟という雪の山を登ったりとか、屏風岩だとか、帆高の滝谷だとか、そういうところを、
北釜なんていうのはもう全然普通にただの重曹で割っちゃうぐらいのレベルの会だったので、
そういうところの人たちがトレーニングで富士山登ろうぜ、山岳会なんだぜっていうところで、平成山岳会っていう名前でずっと富士登山駅で出てた経緯がありますね。
もう今はそういうおじちゃんたちは1人抜け2人抜け、もう引退されてて、だけどノウハウは残ってるし、継続している参加年数っていうのもあるので、
このままタスキを切るのはもったいないっていうところからの若手に走る場をっていう、今のコンセプトにつながってるんですね。
そうすると朝倉さんがある時から自分が選手として走るところから、そういうガチの山屋さんたちのトレーニングというか夏の力試しみたいなところから、
ちょっと少し発想を変えて、トレーランナーとして才能のある若い人たちに活躍というか新しい才能を生み出す場にしてほしいというふうに、
そこは朝倉さんが考えるようになって、ちょっとこうチームの形成が変わってきたってことですか。
強豪への道のりとオーダーの舞台裏
100チーム中、もう101チーム100番とかそういうレベルで、もう最後ギリギリでもう5時間以上かかってしまうようなチームだったので、
サブスリーはいませんでしたからね、誰も。サブスリーがやっぱり3,4人いないとタスキ繋がらないぐらいに今レベルにどんどんなってきてるので、
だからそれだったら、出るんだったら、もう我々じゃないよね、新しい子たち。
ちょうど松本大ちゃんがスカイランニング立ち上げて、その松本大ちゃんが最初に学校の先生やってた頃からちょっと仲良く声かけてもらって、
アルパインかざわっていうのを松本大さんがやったんですね。
スキー場の下連れを登って降りる。
その頃に初めてスカイランニングっていう言葉を聞いて、
プレールランニングと何が違うの?2000m以上の山を走るんだ。
自分はそっちの方に実は高い山が好きなので興味があったんですけど、低山よりも高い山がいいなと思ったけど、
その時にはもうだいぶ自分も年齢が入ってたので競技に参加することはなく、松本大ちゃんのお手伝いはずっとしてたんですね。
仮装して下連で登って降りてくるとかリレー形式でやってて、
あれが今から思えばプレールランニングじゃなくてスカイランニングの始まりだったんだなと思います。
その頃から岩立夫妻とも司令だったので、
結構平成三学会は実は裏ではスカイランニングという言葉で繋がってるなっていうのは今でも思うところではありますね。
確かに先ほど名前をおっしゃった鈴木翼さんとか鈴木龍也さんとかも、
10年くらい前から学生の頃からスカイランニングに関わるようになってたかなと僕は思うんですけれども、
そういう若い選手たちとスカイランニングのコミュニティを通じて接点があって、
藤戸山駅伝というところで一つのチームとして走ってみようということだったわけですか。
そうなんです。
それ以来、それがたぶん2010年とかそれくらいですかね。
そうですね、2010年。
最初は鈴木翼さんとか小川総太さんとかそういうメンバーがリードする主力メンバーのところから始まったという。
そうですね、当時第一選級の選手たちにみんなで駅伝やってみないっていうところから、
もともとチーム総太っていうチームが今でもあるんですけど、自分がまだ走ってる頃にそこに所属して小川総太さんにいろいろ指導を受けて、
総太さんの指導で自分もプルマラソン3時間半をサクッと切ることができたぐらい、
教え方がとても上手な選手なんですけど、自分があと10年若ければまだ所属してたかもしれないけど、
だんだん走ること、今サブ4が無義理なので、本当に走ることよりもサポートに回ろうというふうにどんどん変わってきて、
いろんな大会のサポートはさせてもらってはいりますね。
15年以上には?
そうですね、最初2007年からたぶん20年ぐらい。
選手としてはまだ始めると。
選手としては2007年で、2008年からずっとサポート入ってますね。
徐々に徐々にそうなんですよ。
最初の頃はサブ3の人が1人とか2人とかポツンポツンって入ってきて、
100番ぐらいのゼッケンのナンバーが60とか50とか徐々に上がっていくわけですよ。
やっぱり走っていくといろんな友達が増えて、走った選手が僕は走れないけど僕の代わりにこいつを連れてきましたとか、
やっぱりロードはロードでいろんなコミュニティがあって、そっちの方で初めましてっていう人もどんどん来て、
富士登山駅伝知ってるけど一人じゃ走れなかったので参加させてもらってよかったですっていう選手も集まってくるようになってきましたね。
ありがたいことですけど、コミュニティ。
そういう中で、朝倉さん最初に選手として走った頃は順位の下の方だったのが、だんだん強豪チームに成長していくわけですよね。
最下位でしたからね、ほぼ。
当時東洋アルミさんとデビルズドッグと平成三学会の三人目が最下位争いしてたので、懐かしい話ですけど、東洋アルミさんは今でもずっと参加されてると思いますよ。
44位で参加されてますね、そうですよね。
そこも歴史があって徐々に上がってきてて、やっぱり多分企業の名前なので企業の中で走ってるのかなと思うんで、いろんなチームによってコンセプトが違うと思うんですよ。
ランニングのチームはランニングのチームの中で出て楽しめばいいと。
とにかく第一の目標、我々もそうだけどタスキをつなげる。
50チーム半分ぐらいのチームがタスキつながらないという年もあって、まずタスキをつなげる。
そのためにどうしようっていうところがうちの最初の目標はそこでしたね。
そういう中でだんだんレベルが上がってきて、そして今年は上田瑠衣という日本における第一人者でありスター選手なわけですけれども、
彼を迎えてということなんですけれども、そうすると今年はやっぱり例年と比べてもベストに近い。
毎年その年その年でベストのチームだと思うんですけれども、かなり期待できるなという感じは最初からあったっていうことでしょうね。
登りでロードの部分が肉に誰を据えようかと。
実は去年まではカイヒロキ選手、クレジーカローが走ってくれていて優勝したときも区間賞を取れるぐらいの選手なんですけど、
彼がちょっと移籍をしまして、そこの上を落ちないと出れないという話になりまして、肉がちょっと穴が空いてしまった感じがあったんですよ。
でもとりあえず鈴木龍也くんがいろいろちょっと動いてくれて、
今回肉は日田和樹というやっぱスカイの早い子が手を挙げてくれて。
星野由紀くんも実はいたんですね。スカイの日本代表で行ってる子なんですけど、
最初に名前を聞いたのが日田くんで、
後から星野くんが入ってきてくれて、2人ともどちらでも早い同じ走力なんですけど、
単純にその登録した順番的に今回は日田くんが走ってくれて、
ただ星野由紀くんは上田瑠衣選手が走れなくなったとき、
例えば富士登山競争で故障しちゃったとか、そういう時に星野くんを実は5区の後ろに当ててたんですね。
今回瑠衣選手が走ることになったので、星野由紀選手は走れないで山の区間の給水係とかやってもらったっていう経緯があります。
だからその控えの選手に関してもまるで1チーム作れるぐらいの層の厚さが必要だなっていうのは今回すごく思っていて、
控えの選手だけでも1チーム作れるぐらい声かけだけして、
実はどうしても選手いなければ走りますって言ってくれていたのが1区と山頂区、1区の金沢くん、それから山頂区の富士くん。
この2人は去年奥様におめでたがありまして、
泊まりではちょっと厳しい、だけどどうしようもなくなったら1区と6区に関しては問題ありませんっていうふうに後ろで支えてくれていたので、
今回2人ともご家庭のその分数年前に走ってくれた清水選手が1区を走ってくれているので、
彼もなかなかすごい経歴を持っている選手で、そういった形で走れなくなった時にこの選手っていうところの後ろ盾、
やっぱり本当に総合で狙うっていうのが見えてきたのは上田瑞選手が入る、
それから3区、9区の北村光選手が入る、その辺でもしかしたら総合いけるんじゃないかっていう。
計算していっても滝原さんとイコールぐらいの数字になるって思っていたので、
吉野大和さんはもう安定なので本当にもう何も言うことはないですね。
彼はやっぱり5区も走れる選手だけど4区の短い区間走らせて、最後下りで逃げると。
上りよりも下りで逃げると。上りは強いけど下りでやっぱり差が広がらないんで、
上り勝負で下りはそのままのアドバンテージを持って逃げ切るっていうふうにちょっと考えてたので、
うまくはまった感じですね。
私もちょっと今お話が上がっていて、確かにこの駅伝、藤戸山駅伝に限った駅伝で一般に言えるのかもしれませんけど、
1区から11区まであって、その選手の名前が結果として出てくるって素晴らしいなという話はあるんですけれども、
チームとして考えた場合は、そういう実際に走らなかった人たちをどれくらいちゃんと声かけて、チームとして一緒にこの大会に臨むかっていうところ、
ここがかなり大きな要素を持っているんですね、やっぱりそういうふうにお話を伺うと。
それだからこそ安心して本番を走る選手も臨めるということもあるんでしょうし、
なかなかそこは深いし、おまけに出てきているのは氷山の一角の活躍の場だけが今回テレビとかでも映るわけですけれど、
それがやっぱり本当にみんなで掴んだ勝利っていうのが本当に言葉だけじゃない意味がすごいところにあるんだなと。
山頂サポートと宿舎の工夫
そうですね、とりわけ山頂区で、ことしも八王子の方から3チーム、藤森さんが出してきていて、
岩井龍太さんってとても早い彼が1チーム作ってきたんですけど、いろいろな情報が後から入ってきたら、
やっぱり山小屋で前の日全泊するんですよ、山小屋で、その選手とサポートは。
選手が走れなくなったときにそのサポートも同じ力で変更して走るとかっていう形になることもあるそうなんですけど、
まず寝れない、鉱山病になって食べられない、脱水になる、それを防ぐために、
うちは長年藤選手のサポートやってくれてる、彼もロスカウントリーだったり三角スキー好き者選手だったり、
ユースで行ったりっていう、萩原春樹君っていうのがずっと山頂区を詰めてくれていて、
今回も上昇原さんとそれから上がってくる上田瑠衣選手のために真水をペットボトルで6リットルあげてくれて、
とにかく山頂では水分を取らないと、呼吸してるだけでも湿気がないもんですから、息してるだけでどんどん体内から水分が抜けちゃうんですね。
これは鉱山特有のあるあるなんですけど、それでとにかく水をずっと飲み続ける、食べるものも食べると、よく睡眠をすると、
とにかく暑いんですよ。小屋の中の2階とか3階になると開庫棚みたいになっていて、2階3階だとやっぱ暑いんでなるべく1階を取るような順番で、
うまくその辺のノウハウの作戦もちょっとありまして、行ったら行ったで自分で席っていうか寝床を選べないんですよ。
寝床を選ぶ順番っていうのを見極めて、よし今だって言ってパッと入ってくと1階に入ったりとか、そういう寝床を確保する戦いからも始まってるんですよ。
みんなねこれ他のチームとか言っちゃったけど今。
実際にどういうタイミングに並ぶのかとか分からないですもんね。
そうなんですそうなんです。それは毎年違って9時だったり、いろいろあるらしいんですよ。
ノウハウがあるわけですもんね、いろんな。
今年は下中上下中上っていう風にずっと決めてたみたいで、今ですって言ってパッと行って平成ですって言ったら1階になれたとか、そういう笑い話もしてましたけど。
実際分かんないですね。赤岩館と素走り館があるのかな。中継店が素走り館、砂走るって書いて素走り館なんですよ。
やっぱり中継店の宿に泊まることが第一の目標ですね。
おそらく上位のチームは素走り館になってんのかなっていう感じですけど、誰がどこ泊まってるかっていうのはちょっとこちらでも分からない。
やっぱりその選手の負担を減らすために、中継店の目の前の小屋に泊まってれば、もう小屋から出たら中継店なので、もう歩かなくて済むからレースに集中できるってところで素走り館だといいなって毎年思ってます。
そこら辺はやっぱり長年の興悟があるというか、去年がああだったから今年はこうしようとかっていうことを試行錯誤が。
カレーが食べ放題らしいんですよ。
そうなんですか。
で、その小屋ではだからその副職として缶詰とかサバ缶とかサンマの皮焼きとか持たせてはいるんですけど、それ食べる食べないは選手の自由なんで。
ちょっと他の選手はカレーしか食べてないのに、俺ら缶詰持ってんだぜみたいな。
そういうのもちょっと面白いな。
そういう余裕を見せるっていう。
そうそうそう、面白いなって思います。
やっぱりそのハルキ君もそうですけど、とにかく重たい荷物を持って歩くとふくらあぎとかに負担がかかるので、絶対に山頂の小屋には余裕を目指すチームは必ず二人体制で入ってきてると思います。
選手は軽い食をさせてということですよね。
今回悟空に言ってもらっているのが、給水係は一応そのサポートできるチームは脱水を防ぐために手で渡して手で受け取ると。
並走はダメよっていう形で言われているので、ウォーターボトルに水を入れてそのまま渡して、選手はそれを投げ捨てるじゃないですけど、並走しちゃいけないんで手渡しできないんで、投げ捨てたやつをまた回収するっていう。
そこに今度はオクノミア選手とさっき出た星野洋式さん入ってもらって、あとナトリ君ですね。ラーメン屋さんやっててすごく美味しいラーメンを伊勢原で作ってますけど、ナトリ君とかがみんな来てサポートで。
近いちトヨタスポーツマンクラブさんも早いし、きびだんごさんも早いんで、肌野さんも早いし、みんなその辺で何分差何分差っていうのを近いちやり取りをしていまして。
で、だいたいリアルタイムで入ってきて1分40秒差とか、その辺の連絡係っていうのを各所に配置してます。給水係兼連絡係。
みんなその辺のノウハウがあって、みんな山に入りたいんですね。やっぱり山が好きな人たちばっかりなんで。そうなんです。
そういう情報戦というか、今どれぐらいの差で来てとかっていうのも選手にルールの下で伝えてる。
そうですね。そうですそうです。中継点で何分差とかっていう形では言ってると思いますね。
それ一つとっても、そういう体制を作るチームの仕組みっていうのはそう簡単にはなかなかできないというか、人数も必要だし経験も必要だしということですよね。
だからそのサポートで給水係でももともと最初のオーダーでは、ごくは奥宮選手だったんですよ。
で、上田瑠衣選手が走るんで外して、上田瑠衣さん補員から入れたんですね。補欠とは書かないで補員って言われるんですけど、それで奥宮選手には走ってもらわないで、
その給水係やってもらって、これまた他のチームだったらね、奥宮選手走ればごくエース区間でまだまだ、多分下りでは区間所を取ってたりするんで、
一線級の選手ではあるんですけども、だけどその彼がやっぱりバックについてもらって、若手に葉っぱをかけてもらってるっていうのもこれもまた面白いなと思いますね。
来年も走りたいって言ってくれてはいるので、来年もしかしたら控えのチームじゃないですけど、2チーム体制でもいいなと思うんですけど、
それはちょっと今後の課題ですね、秋のミーティングをちょっとやるんですけど、その時にちょっとみんなで話してもいいなと思って。
あと岩瀬さん、もう一つ特記しなきゃいけないのが、サポートの裏方の話もちょっとしたいなと思っていて。
ぜひぜひ。
宿舎であるのが滝ヶ原さんの交差点があるんですけど、信号機そこの角にバー、ブッシュっていうのがあるんですよ。
これを下りてきたところの滝ヶ原の中東道の近くってことですね。
前にあるんですけど、そこのバー、ブッシュの竹若さんっていうオーナーさんが、もともと自分が走った2012年のウルトラトレイルマウントフジの100マイル、
あれで整備をしているチームリッカー、チームリッカー先生の率いるチームリッカーに竹若さんが来ていて、元自衛官なんですけど、
それも2010年、11年、12年ぐらいに出ていたので、私がその後に竹若さんが入ってきた、カニ像って言うんですけど、
なんでカニになったかって言うと、エビ像さんっていう歌舞伎俳優が丸坊主じゃないですか、当時。丸坊主で、竹若さんも丸坊主にしてたんですね。
まだ若い30代にして。で、なかなか迫力があるんで、エビ像はいるから、じゃあエビに対してカニだからお前カニ像だってリッカ先生が命名してからずっとカニ像になっちゃって。
リッカさんにもニックネーム、命名によってついたのが。
その彼がバーブッシュを、あそこの部屋を7LDKぐらいあるのかな、かなり大きい部屋1軒屋を買い取って、そこの1階をバーにして、そこでうちの宿舎使ってもらったら構わないというので、
そこで今15、6人合宿させてもらってますね。で、まかないをやってくれるのは、バーのフロアでご飯とかを食べるんですけど、
野村佳代さん、チームリッカですよね。
それから柴崎真希子さん、これはチームソータ繋がり。柴崎純さんもチームソータ繋がり。
で、直瀬隅さん、これは野村佳代さんのお友達でランニングで、これもチームソータ繋がり。
で、その辺、あとうちの奥さんの桜凛凛とがいるんですけど、女性人4人と、柴崎純さんも数年前参加走ってくれて、そのとき総合でね、総合というか入賞で5位になってて、
ちょっと彼は怪我をしてしまっていて、今回控えにもあって競技場にいてくれたんですけど、その辺の4人の女性が10何人分の食事を1手にすくってくれて、
買い出しから栄養面を考えた選手が好きそうなメニューだとか、全部やってくれて、
その辺の人の力持ち的には最強のサポート人が揃ってるとは思います。
もうだから外食とか行くんではなくて、自分たちでちゃんと作るんで、新鮮な野菜も食べられるし、お肉もご飯もパスタも全部食べられるような体制を作ってます。
好きなものを好きなだけ取れる。で、何よりもサポート人がバー、ブッシュのお酒が飲めるという、それがでかいですね。走らないから気楽だよっていう、すごい楽しい雰囲気ですよ。
サポートするのも大変は大変だろうけど、ちょっとそういう分の余力というか、ちょっと楽しみもちょっとある。
そうですね。
それは大事なことですよね。
選手はね、選手は誰も飲まないんですけど、
飲みたいだろう飲みたいだろうって言いながら先輩たちが目の前のビール飲んだりして、
ほら明日お前優勝したら飲めるぞみたいな会話楽しいですね。
それはちょっと前から何日か前からもう合宿状態に入って本番を迎えるっていう感じを毎年されてるんですか?
合宿とデータ分析によるオーダー決定
2、3日前に入って。
TTですね。タイムトライアルを、まあ自分が行けるときはタイムを測るんですけど、
あと各自、例えば山だったら4区か5区、ロードだったら2区か3区でちょっとやろうよっていう形で、
個人個人で集計店にマーキングがあって行けばわかるようになってるんですよ、大会の直前は。
ちょっとオレンジ色のマーキングがポンポンだって、ここからここまでが助け渡しの区間ねっていうのは決まっているので、
注意してみればだいたいわかるので、そこでタイムトライアルを各自やって報告すると。
それで順位を決めたりっていう形でやりますね。
そうすると合宿は大会の2週前とか3週前とか1ヶ月前とかがどこか決めてやるだけですか?
1月まではいかないですね。もうそれで各個人で集まれないんですよ、やっぱりいろんなところにみんな集まっていて。
いろいろみんなありますもんね。
だからトラック5000のタイムだったりとか、いろんなところの要素をデータで引っ張ってきて、
ここの区間はこの彼で間違いないなとか、山の区間だとこっちの彼の方が上だから入れ替えなきゃダメだねとかっていうバックアップデータとしては使わせてもらってます。
朝倉さんはそういうデータを合宿を通じて手元に集めて、それをもとに本番のオーダーみたいなことを考えていくっていう流れになるんですかね?
実際それは鈴木龍也くんが、今回藤井翼くんがキャプテンだったんですけど、彼が来れないので代行で鈴木龍也がキャプテンやって。
龍也は若手をみんなわかっているので、彼のところに全てのデータを集めて、意見交換をしながら電話したりしながら絶対彼の方がいいとか、順番入れ替えた方がいいとか。
もともと北村ひかりくんを1区にしようと思ってたんですけど、1区は今回金栗市総配で、去年までは三町区で総合1位だった選手だったんですけど、
今回金栗市総配は1区に降りてきたので、1区だとそれをそういう風になったのかなと思ってたんですね。来年わからないですけど。
今まで同じような選手が三町区でずっと金栗市総配を取ってたという経緯もあったので、ちょっと回した方がいいんじゃないかという話が内部で出たのかなという推測はできるんですが、
今回金栗市総配来るんだったら、本当にガチな実業団とか大学生を辞めたばっかりのことが出てきたら、
たぶん金栗市総配は取れなくなるかもしれないと。で、3区ちょっと走ろうよって言って3区走ったら、北村くんがずっと箱根の6区を早稲田で4年間廃名されていて、
その間の2年間はコロナとか風邪とかで出れなかったらしいんですけど、1年生から6区を走ってるので、3区下りきついから3区当て込んだらいいなと思ってたんですよ。9区になるんですけど。
それで一回TTをやってもらったんです雨の中。すごい成績出まして、一般の分はたぶん歴代一位のぐらいの記録になってしまったので、3区で行こうというふうに途中で変えましたね。
その期待通り今回も見事に区間賞を素晴らしい、特に下りでも大きくマージングを稼ぎましたね。1分ぐらい稼いだのかな。
下りの区間賞も本人は取れたって言ってるんですけど、数秒の差で逃したのは、後ろ追っかけてこないから楽勝だと思って流しましたって最後言ってたんで、ふざけんなってちょっと怒ったんですけど、
上りも下りも区間賞取れたんじゃんって言って、他のランナーのこと考えてませんね。逃げ切ることしか考えてなかったんで、じゃあもうちょっと力入れればいいじゃんって言って笑ってたんですけど、だから本当数秒の差で区間賞逃してて。
8秒差とかそんなもんですね。
そんなもんそうなんです。最後流してんじゃないってちょっと心の中で思ってたんですけど、最後まで行けと。
なるほど。
そういう彼も一久の清水君と一緒に車で来てくれて、一久の清水君はパリのパラリンピックですね、パリオリンピックの時のパラリンピックで、5000メートルの選手のブラインドの方の伴奏されて銀メダルを取ってるんですよ、伴奏で。
それぐらいトラック競技に対して真摯に向き合ってるので、TTやった時よりもだいぶ体も絞って上げてきましたっていうことで、区間3位の記録になりましたかね。
2区の日田和樹君は8位になったんですよ、区間でやらかしました。もともと彼は山の子なんで、8位でも早いんですけど、まだ20歳という年齢でこれからちょっと鍛えて経験を積んでってもらえれば強い選手になるなと。
ロードの平地で遅い人は山行ったって追いつけなくなるから、やっぱり平地で早い子は山行ったらもっと早くなるなと思ってはいるので、ちょっとその辺、彼はもうだいぶ奮闘ししめて、もう来年に向けて燃えてると思うんです。
そうですよね、もっとこのチームで貢献していきたいっていう気持ちはきっとありますよね。
ただまだ控えにも久野木屋選手や星野選手や鈴木隆也選手もまだギラギラしてるし、落ち着いたら藤翼選手や金沢選手、それからずっと参加を走ってくれた野崎選手もまだまだ元気なんで。
誰を期待するか悩ましい。
来年は本当に福田さんにチームで出るかもしれないです。
十分それぞれが優勝争いするみたいな、お互いに優勝争いするような。
そうしたら面白いですよね。
確か三杉クラブさんと清水ランニングクラブさんが多分そういう形で2チーム出してきてるのかなと。
めちゃくちゃ2チームでも入賞とか普通にしてるんで、やっぱり老舗のチームは強いところいっぱいありますよね。
三杉クラブさんは必ず入賞してきますし、八王子の藤森さんもそうだし、今回短沢肌のSCが上げてきて、だいぶ上がってきてるし。
レベルがすごく上がってきて底上げされてるなっていうのを感じますね。
その辺は20年以上にわたって関わってきてらっしゃる目から見ると、やっぱり若い層が関心を持つようになってきてるということなのか、
トレイルランニングとかの人気が底上げしてるのか、どんなふうにお感じになりますか。
最近のこのレベルの。
そうですね。
ということに関して言うと。
ランボーイズ、ランガールズさんとかもチームの中から早い選手を集めて出していて、組織的に応援をされてるんですよ。
山の中にもものすごい数の多分応援が来ていて。
昔は登山者みたいな人が2号8尺の中継点でいっぱい見に来てたんですけど、今は短パンTシャツのいかにもトレイルランニングをやってますっていう、割と華やか系のギャラリーが増えてきたのも事実ですし。
やっぱり富士山を走る、株主さんを率いるチーム100マイルが富士山で練習してたりするのをみんなに発信してるので、SNSとかで。
だからやっぱりチーム100マイルではないけれども、富士山で練習するといいんだっていうのがだんだんみんな知ってきたところかなっていうのもありますね。
トレイルランニングチームとかで活動されている方たちがチームを作って、サポートのメンバーも一緒になって、チームランナーだけじゃなくてサポートだったり応援だったりということでみんなで楽しむ機会にもなっている。
選手にとっては楽しむだけでは進まない勝負があるんでしょうけれども、このランボーイズランガールズだったりチーム100、チームバーティカルっていう名前で100って。
チームバーティカルもそうですね、富士スカイ戦もそうだし、あとハンドレッドですね、萩原監督率いるハンドレッド、萩ちゃん率いるハンドレッド、あそこも強いメンバーがいて、マルチに強いですね。
短い距離も長い距離も強いですね、長尾選手とか岩垂選手とかガチョウさんとか、あの辺はマルチにみんなサブスリークラスですけど、やっぱりそういう形で情報交換をしたり、
アシュラボさんっていうところが水道橋にあって、ランニングクリニックというか、見てもらっているんですけど、そこにやっぱりいろんなチームが集まってきていて、そこで情報を、こっちが流した情報をその小野寺先生がいろんなチームに言ったりとか、そういう形でありますね。
自分もそのアシュラボさんとかでやるから、膝の痛みがなくなったりしましたし、フォーム一つでこんなに体が楽に走れるのかっていうのはすごく経験して、ハンドレッドACはそこのアシュラボさんに通っている選手が多いので、うちの平成の選手もアシュラボさんに行ってもらえればいいなと思うんですけど、
小野宮選手はアシュラボさんにだいぶ指導されてますね。人生の指導されてますから。
そういう関係な。人生の指導までしていただいて。
人生の指導されてますね、小野寺先生。
平成三学会もそうですけど、トヨタスポーツマンクラブとか三井クラブとか、そういう伝統のチームもある一方で、そういう新しいトレイルランニングを通じて生まれたクラブチームだったり、
自衛隊への敬意と一般チームの可能性
そうですね。
チームが出てきて、競争で実力を発揮したりと。そういう意味では、世代が変わりつつも切磋琢磨しているっていうんですね。
やっぱり自衛隊の何人かとお話をさせていただいて、やっぱり自分から見たら滝ヶ原の宮原さんとか川崎選手はやっぱり雲の上なわけですよ。
もうサインもらえるレベルのかっこよさを持ってるんですよ。
でも、やっぱり彼らも彼らでおそらく、例えば新しい隊員が入ってこないとか、陸上部に力を入れない部隊が出てきているとかっていうこともチラッと他から聞こえてきたりするので、
逆に言えば我々から見たら、彼らは走ることで、命令っていうんですかね。命令の中で、指令の中で走ることをされているわけですよね。
例えば自分が思うに無線とか車が動けないときに自分の足で走って伝令を伝えに行くとか、そういう大事な役目を担っているのが自衛隊の皆さんだなっていうのはすごく思うわけですよ。
彼らは職務として走ることをされていて、登山駅伝にも勝つことが一つの体力測定になっているのかなっていう部分もあるので、
彼らは本当にその大意を背負って出てくるわけですよ。
逆にずっと36年間の間、自衛隊さんがずっと優勝し続けてきている、いろいろあるんですよね。
例えば滝原さんだけじゃなくても他に国務さんとか五島さんとかいろんなところが勝っている。
だからそういうところで今回一般の部のあるチームが総合優勝したというところで、
トヨタさんも一般の部で11連覇はしているけど、その間の総合は多分されてないんですよ。
我々みたいな22年の歴史はありますけど、少しずつ上がってきたチームでも総合できるんだと思えば、
他のチームでも、例えばいろいろこの選手をスカウトするとか、
友達の輪の中でうちなんか空いてるけど走ってみるってどんどんリクルートされて、
チームの底上げをどんどんされていけばもっともっと面白いレース展開になるし、
レース展開で今回も本当何十年ぶりですよね。
フジテレビの朝の番組全国放送で何十分か登山駅伝が取り上げられ、
またBSでも今度8月30日の昼の12時から1時間枠でテレビ登山駅伝プレジランナーズやりますけど、
そういった形でどんどんどんどん全国区に広まっていけば昔みたいに大きいスポンサーがついて、
枠の中で全国放送できればまた大学生とかも戻ってくるかもしれないし、
本当にいい勝負ができればなっていう部分につなげていってもらいたいなと思いますよね。
やっぱりすごいですよ。絶対王者の自衛隊さんに一般チームが勝っちゃうっていうところが今回の最大の見どころだと思うんですけど、
それも我々もポッと出たわけではなくずっと蓄積してきたノウハウ、宿舎だったりトレーニングだったりそういうところであるんで、
本当に一般チームでも総合優勝できるんだっていうところ、他のチームも頑張って目標にしてもらってですね、
もう極端言えばいつまでも自衛隊さんじゃない、総合でいける一般平成三学会なんて、
もうペーペー、たすきもつながらないペーペーだったチームが総合優勝できたんだ、
俺たちも頑張ろうぜと、そういうふうにちょっと気を入っていただければなと思う部分もあります。
あとだから本当にこれで例えばサロモンだったり、ノースだったり、ホカさんだったり、ノーマルさんだったり、
いろんなチームが海外にありまして、スポルティバもそうだし、そういうところのトップチームがもし富士登山駅伝に出てきたら、
もう海外ヨーロッパ勢、アメリカ勢、バリバリのチームが出てきたらすごい戦いになるだろうなって思うんですよ。
そこを想像するとどんな感じな、また違うレベルにまで引き上がるのか、
あるいは準備とかローカルな準備とかがないとそう簡単に立ち打ちできないのかどうなるのか、そこは気になりますよね。
だからもう富士山がこれだけインバウンドが来てるってことは、やっぱりその海外の選手もおそらく注目してるんですね。
海外のチームだと南蛮連合さんが出始めて、その南蛮連合さんが出始めたきっかけっていうのは、
ギャリーさんっていう、ギャリー君がうちの2区を走ってくれたんですよ、過去に。
そのギャリーさんが南蛮連合で区間5位ぐらいで走ってくれて、で、駅で面白いぞと、
で、ギャリー君にうちのノウハウをバーンと渡して、こういうふうにやるんだよっていう、
そういう流れで、今南蛮さんも多分ギャリーさんからいろんなデータを受けてやってると思うんですけど、
その南蛮連合さんあたりをどんどん海外に発信してってくれると、面白い大会になるかなと思いますよね。
もちろん日本人のサポートが必要になると思います。
世界中継される時代が来るかもしれないですね。
世界移動時中継ですね。
みんなの目が集まるような。
だけど、何か動き始めたらすることも十分あり得る。
まだまだなんていうか、古典版だけでの大会、盛り上がるっていうか、世界規模の大会になり得るポテンシャルを秘めてるということですよね。
まあ富士山を舞台にしてるっていうことで、それがありますよね。
たぶん一方で自衛隊の皆さんもね、特に滝川のチームの皆さんも、勝利の奪還みたいな目標をどう考えてらっしゃるかわかりませんけど、
これまでみたいに、勝ちれば必ず勝つみたいな状況とはちょっと違ってくれば、
またその選手の集め方とか、トレーニングに力を入れ方とか、そういうもののね、より仕組みが底を上げされるかもしれないし、
また来年はまた違う勝負のチームが現れてくるということもあるのかもしれませんね。
今回滝川さんは川崎優弥選手が出てなかったんですよ、補欠に回って。
もし彼が三町区、もしくは四区川崎、五区宮原で来ていたら、うちはどうなってたかはわからないです。
おそらく三町区の選手が途中歩いている映像を見てしまったので、
だいぶ前の日もしかしたら寝れなかったのかなとか、逆にそっちの心配してベストの状態じゃなかったのかなと。
本来であれば一般チームが勝てる相手ではないなと思ってたので、川崎選手がもし三町区走ってたらと思うとドキドキしますよね。
うちは総合いけなかったかもしれないなと。それはタラレバーの話なんですけど。
海外勢の参戦と富士登山駅伝の未来
長谷川さん、ありがとうございます。
一つだけ、浅倉さん自身のことについて大会を離れて伺えればと思っていたことがあるんですけれど、
この富士登山競争もそうですけれども、浅倉さんがバリバリの山屋だったところから走る方向にだんだん力を入れるようになって、
お目にかかった時も走っていらっしゃったし、それ以上によく覚えています。
やっぱりUTMBだったりとか、あるいはリユニオンだったりとか、
まだ日本の我々が始めたばっかりのトレイルランナーが手探りでしかわからないこととかにも目を向けていらっしゃって、
実際にこういう人がいて、こういう話聞くとわかるよとか、そういうことも積極的にいろんな人に伝えてくださったということも覚えているんですね。
さらに、先ほど始まったようなウルトラトレイルマウント富士、今のマウント富士100も最初の時からコース整備のキーパーソンとして支えていらっしゃる。
それを知っている人はそんなに多くないのかもしれませんけど、参加者の全体の数からするとですね。
支える側の原動力と情熱
あと、先々週のトランスジャパンアルプスレス、TJRでもほぼ1週間にわたってサポートするために山の奥深くに入っていらっしゃったということじゃないですか。
なかなか、僕なんか恥ずかしい話で、自分が走らないとなかなか山に行ってどうしようとかってことからはどんどん離れていってしまうんですけども、
坂田さんは自分が選手として走らないとしても大会を支える、選手を支える、チームを支えるということをすごく精力的にやっていらっしゃるわけですよね。
必ずしもすぐに仕事で見返りがあるとかそういうことでもないと思うんですよね。
どういう思いで支えるというか、応援するというか、自分が汗を流して応援する、支えるというところに取り組んでいらっしゃる、その原動力というか、どういう思いを持ってやっていらっしゃるのかなと思う。
そこを聞ければ嬉しいなと思うんですけど、いかがでしょうかね。
やっぱり、自分が走り始めたのは40からなので、それまでレースというレース出たことがなくて、2006年の覇節年が最初だったんですよ。
当時は走ることばっかりで、先ほど出たUTMBだとかレイニオンの100マイルだとかっていうのも、日本人として最初に行って、どんどん情報を発信して、
岩澤さんにもこういう人に連絡を取ると株主さんが行けるようになるよとか、いろいろな話があって。
でもやっぱり自分が走ってきて、ある程度走って燃え尽きたわけじゃないんですけれども、自分に何ができるかなと。
体力も落ちてくるし、そしてやっぱり後から続く人たちに笑顔で走ってもらいたいなとかいうことはすごく思いますよね。
社会貢献じゃないけど、自分が頑張って裏方を支えてあげれば、本当に選手の皆さんは楽しんでくれればいいかなと。
当然駅でもそうだし、トランスジャパンに関しても実は土曜日の夜中、日曜日の未明に選手を送り出してから、車で静岡戻ってきて仮眠をして、
それからもずっと、実は32キロぐらいの荷物を背負って上がって、月曜日から6泊7泊して日曜日に下山してきたんですけど、
それももともと山屋だったんで、トランスアルクスの選手を見て、2010年に何人かを連れて釣り木崎に行ったんですよ。
ちょうどその時にトランスジャパンやってまして、そこで初めて大原選手が、後にトランスジャパン2回走るんですけど、
彼がその選手を見てかっこいいって言ってトランスジャパン出ちゃったりとか、そういう繋がりで、もともとチャウス小屋っていうのは、
静岡の大学に僕通ってた時に、南アラプスの玄関口、旗泰第一ダムから上がるとすぐチャウス小屋があるんですよ。
そこはもう本当に18、19の頃からずっと通ってる、まだ当時平井立の頃だったんで、そこだったら入ってもいいかなと。
やっぱりやっていくうちにその山の関係者とか飯島実行委員長とかも仲良くなって、知らない間にスタッフに任命されて、ずっと山に住むようになっちゃった感じですね。
野沢のスイパー軍団ももう十何年、田中雅人さんだし、田中さんがテレビに出るのははるか前から手伝ってたり、
奥野宮さんのFTRの大会ではずっと奥野宮選手の運転手をやったり、他にもチーム立花の整備をやったり、マウントフジのコース区間責任者をやったり、
いろんな意味で山のノウハウが使えるところ、例えば山岳救助だったり地図読みだったりっていうところで、自分がいればなんとかサポートにはなるのかなっていう感じで、南アラプスには入らせてもらってる感じですかね。
うまく伝わるかわかんないけど、みんなが喜んでくれればいいかなっていう感じですね。
ちゃんと自分でも走って年に1回はマラソンで4時間切るように努力はしているので、4時間切れなくなったらトランスジャパンのスタッフも引退かなと思うんですけど、今回63歳の石間さんがね、完走されて負けてらんないなと思ったんで。
TJRの話だけで1時間喋れますよ、裏方。
そうですよね。走れないから裏方でって言うけど、今お話しあったように、南アラプスのチャウスとかあるいはコブミツウスとか、もっと奥の方のところに30キロもの荷物を背負って1週間6泊するっていうのは、
ちょっと普通の50代60代ではできないことだと思うので、よほど経験もそうですし体力が。もちろんそういうサポートするっていうことだけじゃなくて、日頃から体力作りとか、裏方とは言いながらも、走る一人のアスリートという気持ちも持ち合わせてらっしゃるんだろうなということを今思いました。
TJRの話、1時間できますよ。
ちょっとね、企画を改めて食べた方がいいかもしれないですね。
テレビ放送情報と今後の展望
どうございます。
今ちょっとご紹介しておこうと思って、クレイジージャーニー、クレイジーランナー。
ランナーズですね。
クレイジーランナーズというテレビ番組で1時間のダイジェストが放送されるということで、もうすでに先週8月22日に土曜日にテレビ静岡で放送されて、この後8月30日の日曜日の正午からBS富士と。
1週おいて9月6日の日曜日の18時30分からテレビ神奈川でそれぞれ放送されるということですので、私のところからだとテレビ神奈川、BSも見れるから予約してしっかり見届けたいと思います。
たぶん平成三学会がかなり登場すると思いますので。
恥ずかしいですね。
朝倉さんも出演されることと思いますので、ぜひそちらも注目していただければと思います。
ここで今回の富士登山駅伝についてはこのエピソードを締めくくらせていただこうかと思います。
朝倉さんますますの活躍楽しみにしています。そのたびにまたぜひお話し聞かせていただければと思います。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
01:08:13

コメント

スクロール