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2023-11-13 11:58

730.おたより「コロナ禍で亡くなった親戚。コロナがなかったことのようにされるのが腹立たしい」 from Radiotalk

リスナーさんのお悩みに回答!コロナで親族が亡くなってしまったというリスナーさん。「コロナ禍が終わった!」という世間のムードに腹立たしい思いが消えない…。そんなお悩みに、公認心理師の立場として、また、同じく大事な人を亡くした経験のある一個人として、あれこれお話ししました。

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今日は、マシュマロからいただいたお悩みに回答していきたいと思います。
今日は、心理のご相談ということで、早速読んでいきたいと思います。
いひさのさん、こんにちは。ペンネーム、いえべあきです。
初回から楽しく聞いています。
心理のことで質問です。
私は、昨年末、親戚をコロナで亡くしました。
2023年は、コロナ禍も落ち着いてとニュースでも言っているし、
どんどん外に出ていくぞと思っていた矢先の不法で、本当に本当に悲しかったです。
まだご類になっていなかったため、最後に会った姿は骨壺で、
お葬式に参列した際も、おじさんが亡くなった実感がわかず、
今もなんだか亡くなったという事実にしっくりしていません。
今年の初めは特に、世間から置いていかれているような気持ちが強かったです。
みんな、コロナ禍は終わった、日常が戻ってきたと聞くたびに、
つらかった。終わってなんかないのに。
コロナはいるし、私たちがコロナに対するスタンスを変えただけでしょう。
後遺症に苦しんでいる方も、あまり報道されていないだけでたくさんいらっしゃると思います。
なかったことにされるつらさや、おじさんを理由にして人と会うのを戸惑う自分の浅はかさなど、
いろいろな気持ちがぐちゃぐちゃになって、今年の前半は引きこもり気味でした。
時が解決してくれるのかもしれませんが、私はやはりコロナで親戚が亡くなったことが悔しいし、
コロナ禍なんてなかったかのように、世の中が進んでいくのも正直あらたたしいです。
きっと理不尽なことを言っていると思います。
この気持ちをどう受け止めていけばいいのかわかりません。
何かアドバイスをいただけますと幸いです。長文乱文失礼いたしました。
ということで、家部明さん、初回から聞いてくれているということでありがとうございます。
たくさんいらっしゃるでしょうね。コロナ禍で大切な方、亡くされた方いらっしゃるんですよね。
テレビで数字で出るとね、でもその一人一人にたくさんの大事な人がいたんだよなって思わなきゃいけないですよねって思いますけどね。
身近な人とか大事な人の死をどう受け止めるかっていうのは、心理カウンセリングの中ではもちろんすごく研究されている分野だし、避けては通れない分野なんでね。
いろいろ知見はありますので、何かの参考になればということでそのあたりもお話ししつつ、
それでは別に私の個人的なお話も何かの参考というのか、何かのきっかけになればということでお話ししたいと思います。
それではスタートです。
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はい、ということで始まりましたオシャレなロイトクラジオ、本日で730回目の配信でございます。
この番組ではあなたに巻きつくファッションへの思い込み、イコールオシャレなロイを晩餐とといていきます。
服装心理学をベースにオシャレを持って楽しみ、自分を変えるコツをお届けしています。
お相手はパーソナルスタリストで公認心理師の日産のりさです。本日もよろしくお願いいたします。
ということで今日ファッションというよりはもう完全心理のお話なので公認心理師としてお話しするっていう感じになるんですけど、
その死というものは誰にも等しく訪れるんですよね。
その中ですごく有名なのがですね、キューブラ・ロスという人が確立した死の受容過程と呼ばれているもの。
受容というのは受け入れるですね。受け入れるという意味での受容過程というのがあって、
キューブラ・ロスというのはアメリカの精神科医の方ですけれども、その方が薪がんの患者さんを見ていて、
こういう過程で死を受け入れていくということを明らかにしていったという過程で、
これが死に行く本人の元々の話なんですけれども、
その周りの遺族も同じような過程を経ていくと言われているのでちょっとご紹介したいと思うんですけど、
まず5つの過程なんですが、まず第一段階が否認と呼ばれます。
まずは死を否定して受け入れない。受け入れられない。
家族は亡くなったこと、遺族は亡くなったことを認められなくて、
いつまでもその人の部屋をそのままに残して置いてしまったりとか、何か仮想ができなかったりとかということですかね。
その第二段階として次に怒りがやってきます。
死に行く自分であれば、何で自分だけがこんな目に遭うのかとか、
おかしいじゃないか、自分はこんなにいい行いをしてきたのに何で自分だけとか、
遺族であれば何であの人ばっかりという怒り、おかしいじゃないかこんなの、ひどいというね。
三段階目が取引。取引というのは何とか死を免れたいとか、
あの人を死なせないでほしい、そのためなら何でもしますというふうに、
ある種、神仏にすがったりとか、自分がこう頑張る代わりに何とかあの人を助けてくださいっていうようなことを願う過程です。
次の段階が欲打つ。
それらの過程を経ても何をしてもその死という現実から逃れることはできないんだって感じると、
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希望をなくして打つ状態に入ってしまうという敵が来て、
最終段階として悲しみを感じながら最終的には重要という段階を迎えて、
この段階を本人が死ぬまでに迎えられれば、
これまでのことを振り返りながら安らかに終わりの段階に向かっていけるようになるということですし、
遺族に関しては思い出とともに昔のありし日の姿を穏やかに思い出すことができるようになったりということなんですよね。
だからこの5段階を知って何かってどうなるかというものでもないんですけど、
ただ言えることは、この中に怒りという仮定とかがありましたよね。
そういう意味では、いえべあきさんの今の怒りというのは理不尽なことを言っていると思いますとおっしゃっていますけど、
全く自然な反応ですよということですね。
だから何も抑えつけることはないので、
周りに迷惑かけちゃうと後でいろいろあるかもしれないけど、
自身の中で怒りたいなら十分怒ればいいと思うし、
その怒りとかその後に悲しみとかいろいろやってくるし、
その段階がちゃんと一歩一歩進んでいくかというと、
行ってはまた一段階戻るというね、行ったり来たりするものなので、
そういうものなんだなっていうのを思いつつ、
変に乗り越えたり、その過程をすっ飛ばして早く自由に向かおうとする必要もないんじゃないかなって思います。
ただ、つらいですよね、当然。
怒ったり悲しんだりするのはつらいですよ。
だからその瞬間はその瞬間で、それをしっかり抑えつけずに出しつつも、
自分が楽になることをやっていく。
温かい飲み物飲むとか、ちょっとつらくなったら気紛らわすようなことをやるとかね、
それは全然逃げでもなんでもないので、
それをバランスよくやっていっていただくことぐらいしかないんじゃないかなって思うんですよね。
その上で、そういった過程をね、身近な人とか大事な人の死の需要というのは、
そういう過程を減る。
もっと細かくはそれぞれ個人的に全く違う、細かいことを言えばね、
過程を減るものだと思うんですけども、
最近ね、うちの服装心理ラボを一緒にやっている運営スタリストにとって、
大事な人が亡くなった時に、
私の個人的な考えをお話ししたら、
ちょっと楽になってくれたっていう出来事がちょうど、実はつい最近あったので、
家弁明さんにとっても何かのきっかけになればと思って話すんですけど、
私も結構最近、私もともと父は起業してすぐに亡くしていて、
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母は3年前かな、コロナ禍がひどくなる直前に亡くなっているんですよね。
私の場合は事故だったんですけど、母は。
やっぱりあんまりに突然の事故だったので、
その事故の原因になったものを恨んだり、受け止められなかったりとか、
まさにさっき言った、死の需要過程を行ったり来たりしたんですよ。
ただ最終的に思ったのは、その死んだ瞬間っていうのは、
母の人生の中の一部に過ぎないんだよなって。
例えばその事故にあってから亡くなるまでの数日と、
何でもなく一緒に楽しく暮らしていた頃の数日って、
実際同じ数日なんですよね。
3日なら同じ3日。
人生の中にたった3日のことを、
亡くなった時の原因とか数日のことばかり考えて、
母の人生はかわいそうだったんだって結論付けるのは、
母にとってあまりに失礼じゃないかなっていうことを最終的に思ったんですよね。
他の母の人生全体に見当に目を向けて、
評価するって言ったらおこがましいけど、思い出したりとか、
振り返ったりするべきだなって。
あまりに最後、彼女の人生は最後事故で終わったから、
振り返っちゃうから、彼女の人生が悲しい色に見えてしまうけど、
たまたまそれで亡くなっただけなんだよなって。
私がもし母だったら、最後事故で亡くなったことだけで
私を見ないでくれよって思うかなって思ったんですよね。
その前に楽しかった時も一生懸命生きてたこともあって、
たまたまそれで死んだだけなんだよって。
亡くなった原因で母の人生が塗り替えられてしまうのは、
悔しいなって思った時に、
あんまりこう死の原因に対して悔しく思わなくなったというか、
思わないにしたっていうのかなっていうのはあったので、
そういう考え方もあるよっていうこともちょっと知っていただくと
何かの助けになるかな、どうかな。
でも無理に乗り越えることではないのでね、
じっくり向き合って見ていただければと。
ちょっと温かいものを飲んだりしてね、
自分もちょっと甘やかしつつ見ていただければいいなというふうに思います。
そんな大事なことを相談してくれて嬉しかったです。
ありがとうございます。
また何かあったらぜひお聞かせいただけると嬉しいなと思います。
お気軽にマシュマロでもSNSでもリプでも結構ですので、
メッセージを送ってください。
ということで皆さんからこういった真理のお悩みをもちろんですけども、
ファッションのお悩みも引き続きお待ちしておりますので、
ぜひコメント欄のマシュマロからお送りください。
ということでまた次回の配信でお会いしましょう。
おやすみなさい。
11:58

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