1. 美想空間鯛島の『リノベの時間』
  2. リノベの時間2022.12.22:都市..
2025-01-18 28:37

リノベの時間2022.12.22:都市計画家・株式会社サルトコラボレイティヴ代表/加藤寛之

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ゲストは都市計画家、サルトコラボレイティブ代表の加藤さん。 

千葉出身の加藤さんは、地方に住む周りの地元の人たちが『自分のまちを愛さず、大都会東京に憧れている風潮』にモヤモヤしていたそう。 そんな時大学在学中に、高田昇先生に出会うことで、そのモヤモヤを払拭するのは、これだ!と思い、『都市計画家』になることを決意したとのこと。 前半では加藤さんの半生を振り返っています。 人に歴史あり!

是非最後までご視聴ください。

00:00
はい、今日もリノベの時間をやっていきたいなと思います。
今日は、大阪からのゲストを久々に来ていただいてまして、
よくよく知っているので、リノベの深いところまでお届けできたらなというふうに思っております。
じゃあ早速タイトルコールいきます。
リノベの時間!
この番組は、窓差し断熱計算でおなじみの桜東洋柔術株式会社と、
建築建材といえば株式会社リクシルの提供でお送りします。
はい、こんばんは。大阪港区でリノベーションと街づくりをやっております。
美想空間鯛島です。
こんばんは、アシスタントの三浦です。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
いやいやいや、そこ株式会社で勝ってますね。
大事なスポンサーさんが。
すみません。
今年の目標何でしたっけ?
違う違う、まだまだ2022年なので、まだギリ大丈夫です。
はい、賛成。
いきましょう。
この番組は、全国のリノベーションと街づくりで活躍する多彩なクリエイターや事業家をゲストにお招きし、トークセッションでお送りする30分です。
いきましょう。
それでは早速、今日のゲストをご紹介いたします。
都市計画課サルッポコラボレイティブ代表取締役、加藤博之さんです。
よろしくお願いします。
お願いします。
お願いします。
いや、違う違う、ちょっと間を分けただけです。
なるほどね、そういうことですね。
テンション高いですね、これね。
そういう感じなんですね。
それと三浦さんのトーンの一定な感じ。
あれ一回テンション上げないパターンで、それではリノベの時間ですってやったんですけど、すっごい評判が良くなくて。
でもあれやるのも恥ずかしいちょっとあるんですけど。
ちょっと最後恥ずかしがってた。
そうですね。
カニ噛んでたんですよ。
いい感じでした。
とはいえ大阪でね、加藤さん。
よくよくご一緒させてもらってるんで。
いろいろ聞いていきたいことがたくさんあるんで行きましょう。
早速ゲストの加藤さんをご紹介していきたいと思います。
1975年千葉生まれ、都市計画課高田進室主事。
1999年大学卒業後半年間イタリアを放浪する。
同年兵庫県鹿見郡貝原町現田んば市に移住。
地区140年の町屋をリノベーションしたイタリア料理オルモノプロデュース運営に携わる。
2007年に大阪府平方市で地元有志と平方宿クラワンカ561を立ち上げ、
町に変革を起こす青空市定期マーケットを全国に先駆けて展開。
2008年株式会社サルトコラボレイティブを設立。
関わる地域では法人設立などによりエリア再生に主体的に関わることを基本とする。
また住まいのある大阪安倍の担い手、良き悪気ないを守り育てるバイローカル、
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自ら経営するステイローカルとザ・マーケットなど、町の期待値を高めるムーブメントをライフワークとして取り組む。
ということですね。
長いね。
140年の家改装、そこから始まってるんですよね。
そうなんですね。
そもそも千葉から関西は全く大学だけですか?その関わりは。
大学だけです。
関東の人って、わざわざ関西に大学に来るイメージがないんですけど、なんでなんですか?
こんなことを公共で言っていいのかってぐらいなんですけど。
その話聞いたことないですね。
大学に行く意味をわかってなかったんですよ。
でもまあまあ新学校だった、高校が。
たぶんまあまあ頭いい大学ですからね。
まあ立名なんですけど、高校がまあまあある程度の新学校だったからみんな勉強するんですよ。
高3ぐらいから。みんなあんなに遊んでたのに。
ただ大学に行く意味がわからないままの高3を迎え。
でも全然勉強する気もないし、でも自分で言うのもなんなんですけど、勉強したら絶対に誰かを超えられる自信があるんですよ。
若干なんですよ。
で、みんながなんか変だなって思ってしまったんですよ、その時。
なんでこんなに勉強してんのと。
しかも勉強することをめんどくさそうにしてるんですよ。
だるいわーみたいな。
僕はもうずっと結構音楽やってて、そればっかりやってたんですよ。
ドラムやってて当時。
そうなんですか。
で、みんな大学ってだいたい寄せ見とかあるじゃないですか。
そこの中のランキングってあるじゃないですか、大学の。
みんな自分はそんなにできないからこの辺とかって言ってるから、やるんだったらトップ狙ったらみたいな。
東大ですか。
僕は5教科を勉強する日はなかったから、1教科だけで受けられるっていうランキングがあったんですよ。
初めてそのランキングもその時見たんですけど、その上から3つ受けただけなんですよ。
1教科受験ってことですか。
小論文と英語っていう。小論文は別に勉強しなくてもいいような感じじゃないですか。
で、上の2つ落ちたんですよ。
で、落ちたのが関西ってことですね。
だからどこに大学があるかも知らなかったです。
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なぜかというと、工事立命館は今もだと思うんですけど、関東で受けられたんですよ。
なるほどなるほど。地方受験ですね、いわゆる。
全くわからなくて、それ本当知らなかった。
学科なんですか。
学生作家学部っていう何でもやるような。
そこはでも今にちょっとルーツがあるってことですか。
ありますあります。
それまで高校生で音楽やってた加藤さんは、とはいえ街作りに興味はないですよね。
全くない。
全くないですよね。
全くない。
全くないし、そもそも日本が大っ嫌いだったんですよ。
そういうみんなが一緒に何かをやるとか、やることに対して文句言ってるやつとか、嫌だったのと。
千葉県千葉市中央区出身なんですけど、関東ってなんか変なんですけど、東京に近づいていってる自治体とかその辺に住んでる人のほうがなんか偉そうなんですよ。
なんとなくわかります。
わかります?
なんとなくわかります。
千葉県千葉市中央区は県庁所在地なんですよ。
だから普通はですよ。そこを中心として来るはずが、全部なんか世の中の千葉県の人全員が心も体も東京向いてるみたいな感じがすっごい違和感だったんですよ。
別になんか自分が偉いとかではなくて、みんながそういう感じっていうのがすっごい嫌で、だから街作りとかではなくそもそも日本から脱出したくて仕方ない。
で、上二つが落ちて来たのが関西リズメと、入ったのが政策科学部。何をやる?
何をやるかも知らなかったです僕。何を学ぶかも知らなかった。
そこで何学んだんですか?
そこでたまたま都市計画を仕事としている師匠に会うんですよ。
それがさっき言った高田進む。大学の先生なんですよ。
そうなんですね。要は師匠を師匠とおっしゃる。
その人がまさに師匠。今も一緒に仕事してますけど、師匠で。
いくつぐらいですか?
今いくつなんやろ。もう79とか。
ええ年で起こられますね。
ええ年です。
本当によく来ていただいて。
高田先生ってことですね。
高田先生だったんですよ。授業を受けたその日に、僕都市に目覚めたってみんなに言ったんですよ。
当時僕はまたその時もバンドやってて。
昔僕Xが大好きでした。Xジャパンが大好きって話をしてたんですよ。
その時は別に何もしてなかったんですけど。
そしたら僕が都市に目覚めたって言うから、みんなが確実に僕とシティは関連性がないから。
当時その都市がちょっとこう、宗教のものがあったじゃないですか。
あれだと思われて、宗教やっぱ変わってるわって。
09:03
いや違う違う、シティのこの都市だからって言って。
その時3回生の半ばぐらい、僕はカナダに留学してたんですよ。
それがまさに日本脱出だったんですけど僕にとっては。
なるほど。
その時にシティに目覚めました。
特に別にこの仕事を目指してたとか、建築塾とかでもなく。
全くないです。
今日三浦さんが来る時に、リノベの領域で建築塾じゃない人。
たぶんラジオで初めて。
僕も見てて、あれ、なんで僕入ってるんだろうと思って。
リノベ、都市計画家、そういうことですよね。
ただ僕もそう言ってたら文系の人間なんで、文脈は関係ないんちゃうかなっていうイメージがそうですね。
すいません。建築。
ただ関わってたことは結構建築系のことも多くて、
さっきの140年の街を再生するっていうのも、
うちの師匠がそもそも建築もやってたんで、会社に建築の人たちもいたので、
ある意味ずっと建築とは近かったし、
自分自身が高校の時からそういうデザインとか、
音楽も好きでしたけどデザインとか建築とか、
特にプロダクトの方、椅子とか、そういうのもめちゃ好きだったんですよ。
建築の人、音楽やってる率めっちゃ高いんですよね。
高校の時バンドやってました。
確かに。
だいたいそうなんですよ。
だいたいそうですね。
ガチで食っていきたいと思ってて。
ガチで食っていきたいと思ってました。
全員一緒です。
右にならえですね。
なるほど。
で、とはいえ卒業して、やっぱり日本はやだなーでイタリアに行かれたんですね。
違います。
その時はもう日本、3回戦の時に高田進の事業を聞いて都市に目覚めて、
これは日本をどうにかしないといけないと思ったんですよ。
その時はどんな話を聞いて、どんな。
その時はね、すごく大雑把に言うと、
日本っていうのは大都市だけが輝いていたらいいんじゃないと。
日本には例えば300諸藩ありましたよね、江戸時代に。
それぞれがそれぞれの文化を持っていて、それが輝いてるから日本なんだっていうような語りだったんですよ。
僕はそれにすっごい感銘を受けたんですよ。
なんかこう、あ、そうだなと確かに僕の中では東京があって名古屋があって大阪があって福岡があるみたいな、
それが日本っていうイメージがあったんですよ。
ちっちゃい町はさっき言ったように千葉県とかはそこに吸収されるものみたいなイメージが勝手にあって。
そうじゃなくてそれぞれのちっちゃい町が持ってる文化とかそこの習わしだったりとか、
そういうものっていうのをちゃんと守って育てないと日本って薄っぺらくなるよみたいな感じだったんですよ。
そもそも絶対そうですよね。
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それにすごい感銘を受けて。
でもその授業終わったその時に先生の会社に入れてくださいって言ったんですよ。
仕事があったら入れてやるって言われて。
さっきちょっと言ったような話なんですけど、
僕それの後全然そんな話先生と一回もしたことないんですけど、
卒業する3月の時に7月からよろしくお願いしますって勝手に言いに行ったんですよ。
就活をせずに。
全くしなかったです。
それも僕あれなんですよ、みんな就活しだしたんですよ。
したくないと。
なんで就活しないといけないの?
なんでそんなみんな辛そうなの?
辛そうなことをやってる人たちを見ると言ったらダメだ。
言葉を選ばないと。
自分が違う方向に進みたくなる、すぐに。
イタリアはどこで出てくるんですか?
イタリアは町づくりの勉強をしこたまするんですよ、その時から。
3回生の後半から僕は。
町づくりと書いてある本は多分その当時出てたの全部読んだんじゃないかなっていう。
その中に陣内先生っていうイタリアのことを研究してる、
今法政大学の名誉教授なんですけど、
その人の本が僕にとってはめちゃめちゃ面白かったんですよ。
なんて本?
いくつも出してるんで僕もちゃんと覚えてないんですけど。
陣内先生?
陣内先生なんですけど、
彼の本が書いてあったのがまったくうちの高田進が言ってることと同じで、
イタリアも都市国家でそれぞれの町が国で、それぞれの文化があって、
それを今守り抜いているからこそイタリアが輝いて見えるんだというような話。
すごく結構建築的に書かれてる本なんですけど、
それで僕勝手にその時に、
日本21世紀イタリアになるなって思ったんですよ。
イタリア見ないといけないと。
それでイタリアに行きました。
つまりそれぞれの地域がすごいプライドを持っているっていうような書かれ方だったんですよ。
それやっぱ見ないといけないと。
当時の僕はまだ日本ちょっとやっぱ嫌いだったんですよ。
なんていうか、仕事としては面白いとは思ってましたよ。
それをもし自分がやっていけるんだったら面白いと思ってました、大学の時。
だけど、なんか日本人って自分の町のことを全然よく言わないじゃないですか。
まあ確かに。
何もないみたいな。
いやもううちの町別に何もないからっていう。
誇らしくて。
でもなんかイタリア違う。
三浦さんは八王なんですよ。
八王ね。
八王はめちゃくちゃ誇らしいんですよね。
そうですね。
八王大好きよね、八王のことね。
そうですね。
八王中、八王中って僕ら言うんですけど。
八王中。
そうですね。
住むにはもう最高の町。
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関西は意外とそうな気がする。
僕関東にいたからか、
さっきの東京がでかすぎてみんな俗句風だったんですよ。
1990年代前半とか80年代とかは。
なるほどね。
なんかこうマスが大きすぎるというか当時。
で、それがなんかマインドで育ってて。
アンティアたちね。
そういう感じだったから。
なるほどね。
イタリアってそうなんだと思って。
行っちゃった。
行ったんですよ。
その、なんか僕町づくりを勉強したこともないですし、
その概念自体も勉強したことがなくて、
でもよく今町づくりがしたいんですとか、
町づくりについて話をしてほしいとかってあるじゃないですか。
町づくりを勉強するってどんなこと勉強したんですか?
僕自身は町づくりを勉強したのは、
その高田進っていう師匠の授業だけです基本的に。
で、彼が結構いろんなことやってるんですよ。
古い町をどうやって古い建物を保存しながら活用して、
かつ地域の人にとってやっぱりこう、
そこで暮らしたいと思えるような町を作るのか。
その前の日本って完全に凍結保存型って言って、
町としては綺麗に残すんだけど、
そこでなんかライフスタイルが全くないみたいな。
どんどん若い人たち出ちゃうし。
でもうちの先生ちょっと違ってて、
それを実践してたんですよ。
守って育てて、そこでやっぱり何かを作り出すみたいな。
かつ地域の人たちがやっぱりそこで誇らしげに暮らしていくものをどうやって作るかみたいな。
誇らしげに暮らすっていいですね。
まあでも確かに、僕川西、兵庫県の川西っていうところで育ったんですけど、
川西市民もめっちゃ川西好きなんですよね。
川西市民ではないんですけど、川西市って大阪でもなく兵庫県の端っこで、
隣高須賀、伊丹、西宮からは一緒に戦闘ってくれって言われて、
大阪からは池田のどこやったっけみたいな、稲川みたいな、
すごい迫害を受けるんですけど、川西市民みんなめっちゃ川西好きなんですよね。
これ関西の文化なんですかね。
そう、そんな気がします。
僕よく関西ってスグワらしいよっていうのを言うときに、
京都の人と大阪の人の話をするんですよ。
京都の人ってやっぱり大阪の人本当は嫌いみたいな。
大阪の人って本当は京都嫌いみたいな。
関西の人からは言えるんですけど、あるってすごい感じるんですよ。
それって多分そもそも文化が違うし多様性なんですよ。
そういうことか。
嫌いという表現だけど違いを表現してるんじゃないかなっていう。
それで言うと神戸とも大阪もあるんですよ。
僕は川西市民なんでどっちにも入れてもらえない川西市民なんですけど。
18:04
それが実は川西には川西にあるし、
和歌山とかだったら熊野古土を含めそういう思いがあって。
やっぱり滋賀って戦国の時代すごいし、美学を持ってるじゃないですか。
だからすごいな関西って、僕関西に来て救われたんですよ。
関東はそんなんじゃないんですか。
当時高校生だった僕にとっては心も体も東京を向いてる人たち、大人たちが。
だから全然面白みがないんですよ。
みんな同じルートでゴールインみたいな。
あっち行ったこっち行ったするでしょみんなみたいな。
当時からちょっとそんな感じだったから。
加藤さんはなんとなく人と一緒が嫌だとかイメージはできます。
なんとなく。
そんなあれでしょ。人と奇抜な服装をしてるわけでもないし、奇抜な発言もそんなないと思うんですよ僕。
でもね僕加藤さんのね初めましての時がほんと印象悪くて。
間違えてません。
めっちゃ嫌な人やなって僕思ったのが第一印象で。
で二回目に追った時にあれ全然違うわってなって。
すごいだからテレ屋さんなのかシャイなのかあれはどういうあれやったんですかね。覚えてあります?
覚えてないです。僕全然覚えてなくて。
一番最初ほんとひどくて。存在の。
あれね今は生野区長の辻原本区長からね紹介を受けて。
あの時何人も紹介があったじゃないですか。
あれで僕ちょっとテンション下がってたかもしれないですよ。
あの時。
全然僕大島さんに失礼した覚えないんですよ。
僕その時はマーケットとかやるんだったら日本で一番テント建ててる男がいるから
彼を紹介したいと。
これから築港の街でやっていくってなった時に絶対関わっといた方がいいからっていうので紹介を受けててすごいワクワクしてたんですよね。
今日もその話のザマーケットじゃなくて。
マーケット。定期マーケット。
マーケットあれやってたのありましたよね。
足柳橋アップマーケット。
アップマーケットアップマーケット。アップマーケットの人っていうので僕は認識してたんですよ。
アップマーケットをやる前にあれがあるんですよね。
5・6・1から始まったんですか。
5・6・1が2007年だから相当前ですよ。15年前ですよね。
これ平方で立ち上げたのがマーケットの1個目ですか。
そうです。まさに1個目で。
全然仕事じゃなくてたまたまそれは街並みのお話で元公務計画研究所っていうのがあってというかもううちの師匠の会社で一緒に仕事してたんですよその地域と。
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その地域はもともと宿場町だったから古い建物残ってたのでそういう古い建物残す事業をやってたんですよ平方市が。
で僕らも平方市からの仕事で行ってたんですよ。
その時は全職になるんですよねおそらく。
全職です。でも辞めるちょうどその端回りですね。
そうですねギリギリぐらいのところですね。
地域の人たちとすごく仲良くなってたので当時。
そしたら地域の人たちはやっぱりこう街が綺麗になっていくことは別に嬉しいんだけど本当は元気になってほしいっていうのを聞いてそれはそうだろうなって思ったんですよ。
その時にたまたまその町屋再生っていうのを僕らやってたので他の地域にも。
じゃあ町屋情報バンク作りましょうよって。
町屋?
町屋情報バンク今の空き屋バンクみたいなのを作りましょうって提案したんですよ。
でそれ僕勝手に提案したんですよ。
で僕やりますからって言って地元の人に。
地元の人に?
で地元に町作り協議会みたいなのがあって2団体があって。
でその一部で僕勝手にやりますからって言って。
で当時ネットで登録する仕組みとかなかったんですけど。
僕は勝手にそういうの結構好きだったから勝手に作って。
で町屋情報バンクネットで登録できてみたいなのを。
市が関わってるじゃないですかその事業。
バーンてプレスリリース打ったら100件ぐらい登録上がったんですよ一気に。
で新聞にいっぱい取り上げられちゃって。
で何でかというと京都で町屋再生がフツフツ来てたんですよ。
僕が大学の時は京都って結構落ちぶれてたんですよ。
町屋再生ってあんまなくてあったとしても一つぐらい。
一番有名だったの多分アルトレタントっていうイタリアで売り店なんですけど。
そのぐらいがあったぐらいで多分町屋を再生したショップってそんななかったんですよ。
古くからのお店がありましたよ。
でもちょうど来た時でめちゃめちゃ登録者があったんですよ。
で僕ら物件持ってたの3つだったんですよその地域で。
だからとりあえず3つは埋めたんですよパパパッと。
でイタリアンとか陶器のお店とか入ってくれて。
でその後じゃあその後の90人ぐらいどうしようみたいな話になって。
とにかく90人何したいっていうのをまず調べて。
登録はあったけど一応ヒアリングしたりして。
物件ないなみたいな。
で物件が大事だったんですよだから。
物件はない。
何かをしたい人とか住みたい人はいる。
じゃあ誰をどうやって選ぼうって話になった時に。
いや一回みんな商売してもらったらいいんじゃないそこでみたいな話になって。
じゃあ京都でたまたま手作り市っていうのが100万弁でやってて。
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それに出てるメンバーがいたんですよその登録者の。
私たちそこに出てるからそういうやり方で平方でもやってみたらいいんじゃないって言われて。
確かにそれやったらその人に人となりも分かるしどういう商売するかも分かるから。
じゃあやろうって言って始めたのが五六時なんですよ。
だから集客イベントでは全くないんですよ。
この街で商売してくれる人たちを見極めるための仕組みだったんですよ。
何バンクでしたっけ手作りバンク。
マチア情報バンク。
マチア情報バンク。
今でいうアキアバンクみたいなもんで、
加藤さんたちが管理していたというかアキアだろうと思っているところをまず登録をして、
これ使いたい人いませんかっていうマッチングのプラットフォームサービスみたいな感じですよね。
でも当時はそういう物件は載せないっていうやり方だったんですよ。
来て案内しますっていう。
中野の暗石さんがそういうのやってるんですよね。
マイルームの暗石さんっていうのがやってるんですけど全く同じような感じです。
僕ら平成14年か13年ぐらいだったと思うんですけど、それをやってたんですよ。
それをネットで何を見るんですかね。
ネットではだからマチア情報バンクでマチアを平方でお店持ちたい人。
集まれ的な感じになってて。
みたいなのを登録はこちらですみたいな。
何件あるかも分からないし、どんな物件があるかも分からないけどとりあえず手を挙げた。
そうです。マチア情報バンクっていうだけ。
平方の人だったんですか。それとも平方市外の人もいたんですか。
基本的に平方の人が多かったです。
なんでそれそんな時代もあったんですか。
時代だと思います。プレスリリース打ったら各社取り上げて。
ダダダダって登録があってビビりました。
回送資金とかは。
何もないです。
そっちですよね。もちろん自分でやってない。
ただ当時外観を直す集計のお金はあったんですよ。
それは書きました。
だからもしお店を持つ時にこの街並みに合わせるんであれば3分の2補助が出るみたいな。
上限何百万みたいな。何百万もないかな。忘れましたけど。
っていうのは書いてました。
それで集まって入りすぎたからどない仕様で作ったのがマーケットの始まり。
だからそもそもがやっぱりその街に人を呼ぶという話じゃなくて、
その街で何かをしたい人たちを街の人が見るっていう仕組みだったんですよ。
だから僕もそもそも何回もいつも僕マーケットをやりたいんですって商業施設からも言われるんですよ。
やりませんって言うんですよ。
集客イベントをしたいわけじゃない。僕は街を変えたい。
何喋ったか。
早いな。
街を変えたいんです僕は。
昔加藤さんに僕ら実行に降り立った4年前ぐらい。
建物できて3年ぐらいの時に加藤さんに来てもらってマーケット作りたいっていう相談をして、
27:03
その時も全く同じこと言うとあったんですもんね。
集客じゃなくて実行にとって。
そうですね。
どうあるべきなのか。
来週その実行のほうのその辺の話は一緒にできるのでぜひさせてもらいたいですね。
すごいな。
何話したよこれ。
読まないといけない。
番組へのリクエスト質問感想など皆様からのメールもお待ちしております。
メールアドレスはrenovationtime.jp
renovationtime.jpです。
またスマホアプリFMプラプラからもメッセージが送れます。
リロメの時間ツイッターからもお気軽にコメントDMなどお待ちしております。
またアーカイブ、毎週月曜日6時にYouTubeスタンドFMNDで配信しております。
そういうルーツやったんですね。
勉強して実践型で出来上がってきて今の加藤さんの形ができたんやなっていうような話ですね。
そうですね。
まちづくりってどういう勉強するんですかって話でしょ。
忘れました今それ。
多分やっぱりないんですよ。
ないんですよね。
結果論なんだろうなっていうところはやっぱり最近よくよくそんな思うんですかね。
そう思いますそう思います。
何かやれって話だと思います。
来週その辺の話をいろいろもうちょっとお伺いできたらなというところで今日は終わりたいと思います。
ありがとうございました。
28:37

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