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日本一生徒の多い社会講師、伊藤賀一と歴史大好き、歴ドルの美甘子、京都の身太、愛媛県瀬戸内海、大三島出身の二人が、それぞれの方言を使い、全国各地の歴史話をセキララに語る、歴ララ。本日もスタート!
はい、ということですね。ちゃんと方言を使わないといけないなというふうに、毎回スタートの時は思いますよね。
タイトルにはあるからね。そうすると、ちゃんと歴史の話しようかなというふうに毎回思いますよね。
今回は4回目で、高知県の3回目です。
3回目なんで、最後に長尻合わせようと思って、ちゃんと歴史の話をしようと。
これ、パンフレットを取ってきていただいて、これは高知家というもんですか?
高知家と書いて、高知家ガイドブックというのをもらってきたんですが、これね、高知はみんな一つの家族邪気というキャッチフレーズで、
前は広瀬良子さんが尾崎県知事と一緒にこの高知の高知家のPRしてて、今は島崎若子さん、高知出身の。
本当に島崎若子さんが高知の姉さんという役割で、島崎若子さんが結構この高知県のPRしてる。
だから高知行くと本当、あったかいでしょ、高知の人って。
高知は、高知好きとか高知行ったらもう来ただけで、一つの家族邪気っていう高知県の観光プロモーションで、高知家っていう。
結構この高知家グッズ、ピンバッジとか表札とかも売ってたりするんですよ。
そのガイドブックに、戸佐が生んだ偉人のコーナーがあって、ちょっと歴史の話をがっち先生とやっていこうと思います。
そうですね。いっぱい載ってるけど、これ写真で銅像がたくさん。
高知、銅像多いですね。そういえば偉人の多い。
やたら多い。
やっぱ勝羽浜の龍馬沢は有名ですけど、大きいけど。
でも庶原に、高知県の龍馬沢が奪犯した道の庶原にも維新の像、維新の門って言われてて、維新の奪犯した六獅子の銅像があるんですよ。
そんな有名じゃない人もいるんですよね。
いるいる。
まとめて立ってるやつありますよね。
那須慎吾とか、一緒に奪犯した。あれもかっこいいんですけどね。それ以外にも。
これ高知空港にあるやつですね。吉田茂雄のやつ。
そうなんだ。吉田茂雄の銅像。
吉田茂雄知ってます?
知ってます。身長ね、吉田茂雄ってすごいでかそうに見えるじゃないですか。
155センチしかないんですよ。実は。
なのに、テレビドラマ誰がやってたと思います?これ。
渡辺健さん。180以上あるんやけど。もうちょっとちっちゃい人にしたらいいのにとかって思った。
でもそれを言うと、大河ドラマ龍馬伝で高杉晋作を伊勢和佑介さんがされてたけど、高杉も153センチくらいかな。
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ちっちゃいから。長い刀引きずつ歩いてたって有名ですもんね。
座ってる写真しか残さないっていうね。
ソビエトのスターリンと同じみたいな。
まあでもそれはしょうがないですね。ドラマですからね。
吉田茂雄は曽太郎さんのおじいさんですけどもね。
そうかね。
すごい国公地区に銅像があって、他はどこにあるのかはいまいち僕はあんまり分かってないんですけども、
でも有名な野中健三っていう朱子学者なんですけども。
私この方ごめんなさい。あんまりちゃんと知らなかった。
そんなに日本史の受験生とかじゃない限り、あんまり知らない。
朱子学?
朱子学者なんですけどね。南学派っていうのの朱子学の学者なんですけど、彼は野山を環境保護をするっていうか、環境保全系で実は結構有名な人なんですよ。
ちゃんと山を保全しようというか、それに気を配ったっていう環境問題で最近注目度が高い人なんですよ。
時代は?
江戸時代です。
江戸時代で幕末の頃?
いや全然江戸時代の前半ですね。
じゃあ後だ。後じゃなくて前半だ。
前半ですね。17世紀の1600年代の人なんで、環境問題で結構有名なんですよね、最近。
そうか。龍馬だけじゃなく。
龍馬だけじゃない。そう。全然もうね。あとは有名な光明月寺の山内一世さん。
静岡の崖側の方ですけれども、土産に入ってきてっていう山内家のトップ。
山内って言ったり山内って言ったりいろんな言い方があるんでしょうけど、僕は日本史の先生なんで山内という風に言う癖をつけているというか。
まあ子孫はね、幕末の山内陽道みたいに飲んだくれとかもいるけど。
でも四国の人は酒飲むから、土砂漬とか水芸とか、つかさぼたんとか有名なブランドがね。
いっぱいある。
目白押しにはあるんだけれども、あんだけ幕末の山内陽道子が飲めやね。
水芸とかね。
水芸、張参橋のあの交差点のところに水芸の看板がボガーンとあったり。
どうしても土砂漬とかつかさぼたんの方が東京とか住んでると有名みたいに思いがちだけれども、
水芸はかなり有名なブランドですよね、向こうではね。
そうですね。
そうですけども、山内家。竹内隋三も竹内半平太って言ったりもしますけどね。
土砂金の塔を作ってね。
龍馬とちょっと遠跡関係にある。
遠い親戚ですよね。
家、おへん路で僕歩いてたとき、やっぱり実家あるじゃないですか。
行きました、私も。
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行った。
普通のなんかあれですよね。
家で、しかもね、今もそこに住んでる人がいて。
普通に住んでる。
住んでる人の名字言っちゃだめだけど。
僕も今迷って、あれなんですけど。
普通に住んでる人がね。
そうそう。だから住んでるから。
でもちょっと見せてもらって、縁側とか当時のままなのかな。残ってて。
だから竹内隋三が処刑されるときに、龍馬伝とかでもあったんですけど、
妻の富美さんと別れて、富美さんが、隋三が牢屋に入ってて、寒いくて大変だから、
それを富美さんが自分で寝るときも普段かけずに、
縁側で寝たりして、体験してるシーンがあって、
それが、もしかしたら本当にこの縁側で富美さんが寒い中、
その隋三のことを思って寝てたのかなとか思うと、泣けるという。
泣ける。あそこは泣ける。
お墓も近くにあるんですよね。
家の入り口が、ほんまに昔ながらな感じじゃないですか。
高知市内に植木絵森の家も残ってて、また違う苗字の人が住んでるんですけど、そこも。
そこはごく普通の家みたいな風になってるんだけれど、
今風というか昭和風というかみたいに見えるんですよ。
でも竹内隋三の家ってほんまに幕末みたいな雰囲気ですよね。
まだまだそのまま残ってる。
入り口の道とかもね。
あんまり観光客を押し寄せたら向こうの人の迷惑なので。
お墓回りとかね。
有名なスポットでございますが。
あと、板垣大輔は当たり前というか。
岐阜にも銅像、岐阜事件で刺されたときにはね。
板垣氏とも自由はせずって言ったのって岐阜なんですよね。
そうそう、岐阜。
私なんか東京かと勝手なイメージで思ってて、この間岐阜に行ったときにそれを知って、その場所を知って。
金火山の下のね、岐阜城の下のね。
岐阜城の下にまさにそれがあって、ここでだったんだと思って。
愛知県の小学校の教員に刺されたんです。演説会のときに。
で、それを担ぎ込まれて手術したまだ20代だった若い医者が、後に東京市長とか内務大臣とかになる後藤新平なんですよね、実は。
すごいなと思って、その偶然が。
初代南満州鉄道の総裁にもなるんですけど、その人は、後藤新平っていうのは。
そういう偶然もあるんですけど、あれは岐阜県なんですよね。
ね、岐阜だった。
あのセリフを本当に言ったかどうかは。
多分言ってないと思う。
わーとか、そういうもんだと思うけど。
かっこいい、板垣大輔といえばその、あれですね。
板垣大輔といえばそれと、後は伊藤博文や井上香織が三井から引っ張った金で、後藤昌次郎と一緒にフランス旅行に行って、そこで初めてルイビトンを買ったっていうのが有名ですよね。
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そうなんですよね。トランクが、私どこかで見たな、そのトランク。
そうそう。
で、イニシャルが入ってるような板垣大輔の。
板垣大輔のね。
あともうなくなっちゃったけど、だからかな、高知はルイビトンの路面店があったんですよ。
あったあった、駅の前の通りですよね。
今もうなくなっちゃった。
確かにね、なんか不似合いっちゃう、不似合いでしたからね。
なんでここに、みたいなところにビトンがありましたよね。
あったあった。
今なくなっちゃったけど。
そう、駅前通りにね。
で、新太郎だ、中岡新太郎。
中岡新太郎いいですよね。
だって、本当は多分龍馬より、社長同盟とか新太郎ですからね。
実はこっちですかね。
ね、龍馬はやっぱり目立っちゃうけど、先にそういう風なね、多分考えてたり。
だからちょっと損な役回りと言ったら申し訳ないけど。
でも中岡新太郎記念館もあってね、高知は。
そうそうそうそう。
いいですよ。
なんかね、もうちょっとスポットが、あのほら、芸人さんの大輔花子みたいなもんで、
なんか大輔が花子さんに縛られていじめられてるみたいに見えてるけど、あれ超停止感覚で、
全部の筋書きを大輔さん考えてるんですよね。
そうなんですか?
そうなんですよ。すごいそういう関係なんですって。
それでよく似てるというか、実は中岡新太郎が全部の絵を描いてるというか、そういう有名な方でございまして。
京都に。
陸援隊。
そう、こっちは陸援隊で、龍馬海援隊。
京都の麗山観音の裏側っていうかね、あそこにこう、龍馬と中岡新太郎の墓っていうのがあって。
僕、祖母の実家がすぐそばだったので、京山戸って寮邸が近くにすぐあるんですけど、
それの裏側に祖母の家があったんですけどね。
全然その価値が分かってなくて、当時は。子供の時は。
お墓の価値とか。
お墓の価値とかも全然分かってない。
地元の。
地元の人は麗山って言うんですかね。
そう。
涼山って言ってた。
涼山っていう風に言うのは多分正確なんだけど、麗山観音って地元の人はみんな言ってて。
そうなんだ。知らなかったな。
多分麗山観音っていう観音の名前は麗山だと思うんだけど。
五穀神社がある。
五穀神社のところはあれは涼山って読むみたいな、京都によくありがちな。
そんなのがあるんですね。
あそこあのすごい坂のとこね。
でもあそこに行くと、幕末好きとしては、この幕末オールスターのお墓に一気に行けちゃうから、お墓参りしがいがあるっていうか。
しがいがある。
木戸孝義のお墓とかすごく大きいんですよね。
そう、でかい。そうなんですよ、あそこ。
当時はだから全然祖母の家がすぐ近くだから価値がわかってなくて、
あそこが近くに高台寺もあるんで、ネネがいたとこね。
あるけど価値全然わかってないんで、セミの脱皮を見に行く場所だと思ってたんで、いつも。
贅沢な場所。
贅沢な場所はそうだったなと思いますが。
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あとは吉村虎太郎ね。
そうですね。
天中組の辺で亡くなってしまうっていう有名な方でございます。
自生の句も有名です。
自生の句言っていいですか。
いいですよ。
吉野山、風に乱れるもみじ葉は、我が打つ太刀の血煙と見よ。
吉野山だと思いますけど。
吉野山。奈良の吉野山で。
天中組の辺で亡くなるんだけど、自生の句がめちゃめちゃかっこいいのと、
たまたま大井龍馬の漫画の中でめっちゃかっこよく描かれていたっていうことはでかい。
大井龍馬の漫画の中のその役が、吉野山でこのもみじ葉が風に舞っているのを見たら、
僕がまだ戦っていると思い出してくれっていう役が泣ける。
大井龍馬の漫画の前編の中で一番泣けるくらいの。
それで覚えている。
そうですよね。
私結構自生の句は大井龍馬で覚えている。
あれ素晴らしいですよね。吉村虎太郎いい漫画の中で役を得ているなというか。
実際評価高い方ですからね。これからも防止ですけどね。
吉村虎太郎の成果が復元なのかな。されていてすごく綺麗に。
虎太郎の歴史も分かるような感じで今あるんですよね。
虎太郎はどこだったっけ。秋じゃなくてどこだったっけな。
僕全然あれですね。
大きくて見ることができますのでぜひ皆さん。
なるほど。
そうそう。
で、離同就寝とか。これ南北朝時代の坊さんなんですけどね。離同就寝。
中浜満次郎のジョンマンハウスにね、僕足ずり岬のところにあるんですけど、
ジョンマンジローのジョンマンハウスっていうのは大辺路で歩いたときに行ったことがありますね。
足ずり岬って本当に足を引きずるぐらいしんどいんですよ、行くの。
遠いってこと?
遠い。そう。宿に荷物を置いて往復50何キロ歩いたんですよ、僕。
途中自販機1個すらないんですよ。
まあでもよくある話かも、個人。
びっくりした。飲み物すら調達できないし、個人商店も何もないんですよ、その往復、その50何キロ。
だからジョンマンハウスのある足ずり岬の先っぽのところでご飯食べて、チョコレートか何か買い込んでみたいな感じにしたぐらいで。
足を引きずるという、足ずりだっていうのはよくわかったっていうぐらいだったんですけど、
多い龍馬の漫画の中だと、あそこまで行ってとかって簡単に書いてあるけど、
高知市内から中浜万次郎に会うまで超大変じゃね?みたいな風に思ったんです。
もしあそこなんだったらね。あそこじゃないんだろうけど、当時は。
ですけど、ジョン万次郎、僕は大学生のとき居酒屋の名前だと思ってたみたいな人もいっぱいいました。
なかったですか?ジョン万次郎っていう居酒屋。
歌舞伎町とか。
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歌舞伎町だったみたい。私それ知らなかったけど、言いますね。
ジョン万とか言って、でもその居酒屋が途中でなくなった。大久保の駅前とかにもあったんですけど、新大久保の。
名前が変わったんですよ。
なんて名前かというと中の浜って名前なんですけど、同じ店やんていう。
それたまたま?
たまたまじゃなくて、たぶんジョン万を。
中浜万次郎だから。
たぶんそうしてるんでしょうけど、でも知らん人は何のことかわからないだろうなと思って、
全然違う店になったみたいに思うだろうなと思って。
不思議。
あとは三角さんが大好きな牧野富太郎でございます。
牧野富太郎、植物学者の。
牧野富太郎は結構私、ビジュアルも好きで。
ビジュアルって言うのも知ってるけど。
不景戦っていうか枯れ戦なんですよ。
牧野富太郎さんは植物学者で、日本を代表する。
佐川町の生まれ出身。
つかさぼたんとかの方村がある、あそこ出身で。
当時牧野少年はそこの地元の植物とかをスケッチとかしたりして、
そういうもの、本当植物が大好きすぎて。
それが先生も言って、独学で学んでたら東大の植物の先生になったという。
先生になったっていうね。別に大学とか云々の人じゃないのにね。
今も牧野植物園っていうのが高知にあって、そこはすごくおすすめです。
確かに。
私が好きなのは牧野植物園で、普段はお昼みんなが行って植物見るんだけど、
おしゃれなカフェとかもあるんですけど、夏に夜の植物園っていうのをやってるんですよ。
いいですね。
それは懐中電灯で夜の植物を学芸員さんが案内してくれたり、
そこでミニ映画の上映したり、屋台みたいなのが出てて、
すごく雰囲気のいい夜の植物園っていう模様をしているものもあるので、
最近そういうの増えてきましたよね。夜のサファリパークやってるところとか。
そうですね。
あとは品川プリンスのところの水族館みたいな。
夜、わけありのカップルみたいなのがいっぱいいますよね。
夜ってだけで普段見れない感じとかがワクワクゾワゾワするのかもしれない。
花が閉じてる感じがいいでしょうね。昼間に見る植物と違う感じっていうのもあるでしょうからね。
あと、さかわ町でもう一個生産文庫っていう。
ああ、生産文庫。
歴史好きな人、田中光健とか言われる、区内町に行く行く勤めた人ですかね。
幕末の志士なんだけれども生き残って、区内町に。
長生きして、その田中光健さんのコレクションが生産文庫に残ってて、そこは結構本当にコアなものがいっぱい実はあって、
私がすごい、わーって思ったのが、田中光健は旗兵隊にも属してた時期があって、その時に高杉晋作の下にはついてたんですね。
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いつまで生きたんだろう。すごい長生きしたから、明治も生きてますよね。
明治の時に田中光健が講演した肉製のテープが残っていて、その中で高杉晋作の話題を普通にしてるんですよ。
僕が高杉晋だった頃にはとか、それが残ってるから、私ちょっと鳥肌で、言っても幕末って150年くらい前の話だから近いっちゃ近いんだけど、
でもそれでも偉人ってイメージがあるじゃないですか。歴史上の人って思ってるから、それをつい先日まで生きてて、一緒に過ごしてたっていう田中光健が喋ってる、それが残ってるの。
テープが残ってる。
言ったら聞かせてくれる。
そうなんですか。それはすごいですね。
しかも星座文庫の人が紙に起こしてくれてるのとかももらっちゃったりして。
さすが観光特使だけやって。
そこは実はお宝の宝庫で、あんまり知られてない。
坂本龍馬記念館とか、今高知は歴史民族博物館が高知城の目の前に新しくできて、素晴らしいのができたから、そういうのが話題にはなりがちで、そこも素晴らしいんですけど、星座文庫も実はいいので。
なるほど。
っていう話です。
それも言ってほしいということなわけですよね。
そんな感じかな、高知の偉人は。
今そんな感じです。でもいっぱいパンフレットを持ってきてるんだと。
ちょっとずつ、あとちょいだけ時間あるから。
高知県ガイドブック、それは何ガイドブックですか。
これはその。
龍馬の休日。
なるほど。
竜河堂の話とか。
竜河堂だからかなりよくて。
弥生時が松乳堂と一体化している神の壺っていうのがあるんですよ。
歴史と地理が合体しているみたいな。松乳堂の中にたまたま弥生時が組み込まれちゃってるというか偶然。
神の壺って言うんですよ、それ。神秘的な。
松乳堂、日本三大松乳堂の中の一つと呼ばれる竜河堂。
もう一個は山口県の秋吉堂と。
あと岩手県の龍泉堂じゃないですか。地底湖で有名な。だと思うんですけど。
私、竜河堂はまだ実は行ったことがなくて。
竜河堂は秋吉堂と僕両方行ったことあるんですけど、秋吉堂に比べてまず観光客が少ないからなんか雰囲気があるというか。
あとね、ちょっと探検っぽい感じ。だから観光地っていうよりも探検してる感じ。
洞窟探検みたいな感じなんですね。
そういう意味ではかなりおすすめなので。僕はね、竜河堂は。
あとはグルメがあるんでしょ。島んところは。
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コーチのグルメ。私、たたきは有名ですけど、うつぼの唐揚げが好きです。
食ったわ。僕早川ってちゃんこ料理屋で食った。帯山町の。
あんまりうつぼってね、こっちじゃ食べることないけど、コーチは割とうつぼもたたきにしたり唐揚げにして。
意外とそんなに骨が多いのかなと思うけど、全然そうじゃなくてフワフワしてる感じ。
うつぼの唐揚げ。あと青さのりの、青さの天ぷらも美味しい。もちもちして。
泥目とかもあるし、いっぱい食いもありますもんね。
食には困らないですね。
そう、確かに。
あと何これ。
ニオドブルー。ニオド川の。
ニオド川のニオドブルーね。
これほんまにいっぱい取ってきたんですね。
そうそう。いろいろ。
あとあれね、北川村って中岡慎太郎出身のところにモネの庭っていうね。
モネの庭、そっくりの庭。
これちゃんとフランスのモネの子孫の方から許可を得て、最初候補は京都だったんだって。
京都と高知が立候補したら、このフランスの方が高知のこの自然をモネの庭みたいにしたいって言ってくれて、高知になったって言ってました。
すごいすごい。
すごい綺麗なところ。
なるほど。これ柚子で有名なところですか。
そう、北川村柚子で有名なところです。
なるほど。とりあえずこれ全部取ってきて、もうここに置いて帰ろうかなみたいな。
すごい、ほんまにいっぱいあるんですね。
いっぱいある。見るところが。
僕も最近行ってないから、ちょっとついていけてない部分があるから、これ見てちゃんと勉強しようと。
ネットがあるからと思ってみんな油断してるじゃないですか。いつでも調べられるとか言いながら全然調べないから。
だからこういう紙媒体っていうのってやっぱりあったら見るから。
見る見る。
手に取ってしまったらね。大事なことだなと思うので。
皆さんもだから興味を持っていただければなと思いますけどね。
高知城は最近チームラボとコラボして。
猪子さんのところね。東大の。
夜にライトアップで、ちょっと面白いなんて言うんでしょうね。
石垣にプロジェクションマップでいろいろ映したり、卵みたいな形が綺麗にライティングされてたり、不思議な。
そういう観光プロモーションもやってて。
もともと子供が入るのが無料っていう良心的なお城なんですけどね。
転職額ただなんて子供。
よく行くと子供が遊んでましたけどね。
ということで、時間がね。
3回にわたって高知県をやってきたわけですけれども。
次回ね、何県をやろうかなと思うんですけども。
同じ四国っていうことで、ちょっと四国攻めようかなと思っていて。
だから同姓だったらご出身の愛媛県でいいんじゃないかなというか。
と思うんですけど、どうです?
全然ありがたいけど。
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私でも実は高知は観光特使でもあり大好きだから、結構いろいろ話せたんですけど。
愛媛はふるさとなんですけど。
愛媛も東予、中予、南予って分かれてて。
分かれてるからね。
私は東予にはなるんですけど、しかも広島寄りだったから。
ちょっと島って特殊で、全部の愛媛の中はやっぱり行ったことはないんですよね。
宇和島とかは行ったことはあるけど。
だからどこまであれかなと思うんですよ。
多分川内先生の方が詳しいかもしれない。
デジタルの放送まで下調べもできるわけだし、我々自体が。
僕もお辺路で歩いた時のことを思い出してですね。
四国の話を。
四国の話で攻めていって、次は愛媛県かなと思います。
愛媛県は3回ぐらいに分けてやっていければなと思うので。
コーチ3回やって愛媛2回とかだと愛媛市で怒り出してますからね。
通勤電車の中で噴火されてもしょうがないんで。
と考えております。
はい。
ということですが、終わり方はどうするんでしたっけ?
エンディングです。
エンディングのお知らせです。
このね、歴ララを聞いてくださっている皆様。
歴ララの皆様に感想だったり、何かこうね、
こういうのもあるよ、うちのご当地みたいなのを教えてもらおうと思って、
そのためにハッシュタグ。
ツイッターあってハッシュタグ。
歴ララっていうのを作りたい、作っております。
歴史の歴にカタカナのララ。
はい。
なので、よかったらそれを聞けて、感想をつぶやいていただいたりしたいです。
です。はい。
ぎこちなくなる。
いやいや、10回くらいやってたらね、
なんかスルッと終わるような感じになると思うんですけども。
はい、ということです。
じゃあ、とりあえず次回は愛媛県3回連続っていう次回から始まりますんで、
またまたよろしくお願いいたします。
さようなら。