「ネタ」発言で傷ついた時の心構え
みなさんこんにちは、レイナです。 今日のテーマはですね、人から言われたネタに傷ついた時、というテーマでお話ししていきたいと思います。
はい、みなさんはいかがですか? なんかこう、人がからこう、ネタみたいな感じでね、その場を面白くしようとしたんだろうなぁ、みたいに言われた言葉が、自分は面白いと思えずに、ちょっと傷ついちゃう時ってないですか?
私はたまにそういうことがあるんですけど、こういう時にね、なんかどういう風に心を保っていくかというか、なんかそういった時にどういう風に対処すると、自分の中でもやもやを続けないとか、自分的に回復していけるっていうか、っていうところをね、お話ししていきたいなっていう風に思うんですよ。
はい、でね、私みたいに相手がネタとして面白いみたいな、なんかそういう感じで、むしろ自分のことを褒めてくれている場合とかもあると思うんですけど、でも自分的にはその言い方をされたくないとか、その言い方は例えば過去のトラウマにヒットするようなことだから、あんまり嬉しくないし、
相手は傷つけようと思って言ってるんじゃないんだけど、自分的にすごい傷つくであったりとか、もやもやするなみたいなことってあると思うんですよね。
で、そういう時に、なんかどういう風に思考を転換していったらいいのか、で、なんかここでこう自分の思考とか心の状態を転換しないと結構もやもや続いちゃいません?こういうところって。
なので、なんか今日はね、そんなところをお伝えしていきたいなと思うんですけれども、まず大前提としてお伝えしたいんですけど、なんかこう人からちょっとネタっぽく言われたりとか、
なんかこう、例えば何々さんは意識高い系だよね、わら、みたいな感じとか、ちょっと変だよね、わら、みたいな、なんかそういうことを言われるっていうのは、大前提として自分自身が何かに挑戦していたりとか、
なんか目標を持って進んでいる人にありがちなことだと思うんですよ。だからなんかそれ自体は、なんか人からちょっと笑われるとか、ネタにされる、わら、みたいに言われるみたいなことって結局その普通の人にはできないことをしてるっていうその裏返しでもあると思うので、
なんかそういうふうに言われる自分を恥ずかしく思ったりとか、なんかやっぱり自分でおかしいのかな、みたいに思う必要はまずないということです。私もね、なんかそういうことって感じる瞬間もあるんですけど、でも結局自分がこう自分らしさを貫いて、自分塾を貫いて生きてたりとか挑戦をしていたりすると、やっぱりそれって外野から言われることなんですよね。
だからまあなんか勲章みたいな感じで受け取るといいのかなっていうところは大前提として思うんです。だからなんかこう、結局人から言われる自分の評価とか、人から投げかけられる言葉って、なんか通り下がりに投げつけられるみたいな感じと似てるじゃないですか。
なんかなんだろうな、通りがかりにトマト投げられて服汚れたみたいな。日常生活でそんなことはないと思うんですけど、だからなんかそれに対して自分がなんか今日この道を歩いていたから私はトマトを投げつけられてしまったのだろうかとかね、この時間に歩いてた私が悪いのかなとかそういうことを思う必要はないから、なんかまずはね、ちょっとそういう思いを感じられている方がいたら、
なんか自分がなんかおかしいのかな変なのかな直さないといけないのかなっていうふうに思う必要はまずないということですね。その上でどうやって自分の心を切り替えていったらいいかっていうところをお話ししたいんですけど、
大切な人への伝え方と、そうでない場合
なんか優しい人ほど人からそうやってなんかちょっと笑みたいに言われると反射的にやっぱり自分って変なのかなおかしいなおかしいのかなっていうふうに思っちゃったりするから、なんかそれに対して例えばそういう言い方はちょっととかそういうのって反射的に明確に言えないこともあると思うんですよね。
私個人の考えなんですけど、なんか家族とかパートナーとかそういう人からその自分の姿勢とかスタンスとか自分の考えとかをしかもそれを大切にしていることであればあるほど、なんか笑われるとかバカにされるみたいなことがあったら、それはやっぱりそういう近しい大切な存在だからこそちゃんと話すっていうことはした方がいいと思うんですね。
私も少し前になんかこうパートナーの言動で、ちょっとそれはどうなんだろうみたいな、私的にそこはさすがに許せないみたいな、なんかそういうボルテージまで上がっていったところがあったので、それに関しては話し合いっていうか、私も機嫌悪くなったし、なんか数日話さないみたいな感じのことをしたので、
その後でしっかりと話し合うっていうことをしたので、それぐらい自分に近い大切な相手であれば、なんかそういう言い方をされたくないとか、そこについてしっかりと話し合うっていうことが必要だと思います。
ただ、なんかそこまでの関係性でないのであれば、なんかこう自分はね、そういう言い方されたくないとか、それに対してあんまり深く話す必要がないのかなっていうふうに思うんですよ。
自分を卑下せず、違和感を表明する
でも、なんだけど、なんかその人に対して、あ、そうですよねみたいな、例えば自分がバカにされたって感じたのに、あ、そうですよねとか、なんかやっぱ私ってちょっとあれですよねみたいな、なんかそういうふうに自分をへり下らせる必要もなくって、なんかそういうふうにしちゃうと本当に自分で自分の価値を落としてしまうので、
私も講座の中のアンガーマネジメントとかでもお伝えするのは、なんかそういうね、ちょっと自分に対して失礼だなみたいな発言とかを感じたときは、若干の違和感みたいなものを相手に示すようにしています。
具体的にどういうことかっていうと、例えば、なんかちょっと自分の認識と違っていたので、ちょっと今混乱してますとか、あ、なるほど、なんかちょっとイメージしたものと違ったので、ちょっとお時間くださいだったりとか、なんかそういうふうに言われたことに対して、あ、そうですよねみたいな感じで受け取るんじゃなくって、
一瞬その、なんかスンってするみたいな、わかりますかね。
こうなんか、へり下っちゃうと、やっぱり相手のそのバカにしてくるとか、バカにしてなくてもね、なんかこうその相手としては褒め言葉として言っていたりしても、なんかネタみたいな感じのものって、こっちは言われて嬉しいものじゃないじゃないですか。
だから、なんかそういうものに対しては、ちょっと行間でね、なんかちょっとその違和感を伝えたりとか、なんかそういうふうにしています。
なんか真正面からちょっとそれ嬉しくないんですけどとか、なんかそれ傷つきましたとか、なんかそれを言う必要はないかなって関係性的に思うんですけど、
そういう違和感の、なんかとっかかりみたいなものだけでも相手に表明したりしておくと、若干相手にもそういったところが伝わったり、伝わらなかったとしても、自分の中でなんか人からそういうふうに言われて嫌だったな、傷ついたなっていうことに対して、なんか何もしなかった。
何なら相手のスタンスを受け入れてしまったっていうことって、自分自身に対して自分で自分を傷つけている行為なんですよね。
だって人からバカにされたのに、それに対して自分がこう自分のために何も応戦もせず、なんかそのままね、バカにされたものを自分が受け入れるってなったら、
それってなんかこう自分で自分を守ってなくて、何なら自分でも自分をいじめちゃってるみたいな、そういう状態になるので、関係性的に別に戦う必要のない人であれば戦わなくて全然いいんですけど、
なんかその違和感を表明するとか、なんかそういったところはアンガーマネジメントの観点でもすごく大事かなっていうふうに感じてますね。
アンガーマネジメントっていうのは後で後悔しないように起こる技術っていうことですね。
だから別に怒ってるわけじゃないんだけど、なんか相手の言葉の中で自分がちょっとこれは受け取りたくないなって思ったものをすんなり受け入れないっていうことですね。
なんかそういうのって些細なことに思えるんですけど、すごく自分で自分のことを守るっていうことにつながるかなっていうふうに思います。
なので、ぜひ対処法というか切り替えみたいなところを、もし私と似たようなシチュエーションに陥った方には参考にしていただけるといいかなっていうふうに思います。
相手ではなく自分に目を向ける重要性
あとはやっぱりそういう出来事が起きると、なんでこの人はこういうこと言うんだろうとか、この人嫌だなみたいな、相手に対してフォーカスが向きがちになるかなって思うんですけど、
なんかこうイライラした時ほど、相手にフォーカスを当てるっていうよりも、なんで自分がこの人のこの発言に対してイライラしたんだろう、モヤモヤしたんだろうっていうふうに、
自分の心の中を見ていくっていうのが結構大事かなっていうふうに思います。
例えば相手が褒め言葉として言う時もあると思うんですよ。
だから相手からすると、むしろ褒めたのにすごいネガティブに取られたなみたいなこともあると思うんですよね。
だから相手が自分のことを侮辱したってストレートに感じるっていうよりも、相手に言われた言葉によって私はこういう言葉に反応しやすいんだなとか、
こういう言葉を言われると自分的にこういう思い、自分にはこれができないとか、自分なんてどうせうまくいかないんだって思っちゃうとかね、
むしろ自分の心の奥を覗いていくと、もっともっと自分を知る機会になると思いますし、
そうしたら結局人から言われることだったり、その言われることによって気づく自分の感情って全部自分のためにあるんですよね。
これを言われると私は傷つくとかモヤモヤするとか、逆にこういうことを言われるとすごく嬉しいとか、
結局それって自分を深く知っていく、そういう材料に過ぎないので、
昨日も講座生さんのセッションの中ですごくモヤモヤする人と出来事に関してのお話があったんですけど、
最終的に私こういう気づきをするためにこんなにモヤモヤイライラする人が自分の人生に現れてたんだ、
納得みたいなね、なんかその講座の中のワークがこのイライラする人によってスムーズに取り組めましたみたいな、
めっちゃすぐできましたみたいなね、なんかそういうお話とかもあったので、結局ね、どういう人であったとしても、
自分のそういう本音だったりとか気持ちに気づく、そのきっかけを作るために自分以外の人って自分の人生に登場してくれていると思いますので、
モヤモヤすることや傷つくこと自体があって、それをネガティブに捉えるっていうよりは、自分をもっともっと知る機会として、
そして冒頭にもお伝えした通り、やはり何かに挑戦している人とか目標を持っている人、普通の人ではなし得ないことをしている人、しようとしている人はやっぱり周りから何かと言われるものなので、
何かこう、怪我の巧妙じゃないですけど、何かそういう形でね、何かそういうふうに言われる自分も、何かすごいじゃんみたいな、何かすごいことの副作用だなぁみたいな感じで受け取れると、
またね、自分が進んでいくために力強く進んでいけるかなっていうふうに思いますので、私も似たような思いを感じることもあるので、もしそういう気持ちを感じるぞっていう方は一緒に同志として頑張って進んでいきましょう。
周りを気にせず進む人の強さと逆転力
はい、でも本当にそれぐらい、なんかこう、復縁とか本命化とかもそうですけど、なんか逆転できる、その恋愛とかパートナーシップでも展開をね、覆せる、逆転できる人っていうのは、やっぱりそれぐらい何かこう、自分でこれをするぞ、成し遂げるぞっていうふうに思って、
周りから、いやそんな人やめときなよとか、なんかそんなのもう可能性ないよっていうふうに言われても、それを気にせず進んでいく人こそがやっぱり叶えていけるんですよね。私自身もそうだし、小座生さんとかでもそういうふうに思います。
なので、なんだろうな、もし今日お話ししたような気持ちを感じている方がいたら、ご自身もね、成功の目前と思って一緒に歩んでいきましょうっていうメッセージでした。はい、どなたかの励みになったら嬉しいなっていうふうに思います。
不安や恐れを手放す宮古島リトリート
はい、そういうね、なんか自分の中の、さっきね、自分の奥を知っていくっていう話をしましたけれども、やっぱり自分の中に不安だったりとか、過去の経験からこんな自分なんてダメなんだとか無理なんだみたいなね、そういう思いがあると、なんかそういうちょっと傷つくこととか言われた時にどうしてもそっちに引っ張られていってしまうんですよね。
だから、この自分の中に眠っている、無意識にですけど、その不安だったりとか恐れだったり、なんか自分の可能性を信じられないとか、そういったところがね、自分の心を引っ張っているなっていうふうに感じる方はですね、10月の8日から10日に宮古島のリトリートを開催しますので、今回のリトリートは特にそういった不安とか恐れっていうものを手放していけるパワフルな3日間にする予定ですので、
ぜひそちらにご参加いただけるといいかなっていうふうに思います。
やっぱりオンラインとかを通じて対応しているだけでは得られない、そういう自分の新しい自分になっていく、不安とか恐れを手放していく、なんかそういうものが1回出てくるんですけど、
それを手放して新しいこういう自分になりたいっていうところに進んでいける機会になりますので、ぜひ概要欄にもリンク貼っておきますので詳細見てみてください。
はい、というわけで今回も最後まで聞いていただいてありがとうございました。
どなたかの励みになったら嬉しいなっていうふうに思います。一緒に頑張っていきましょう。
というわけで本日も最後まで聞いていただいてありがとうございました。また次回の配信でお会いいたしましょう。