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サマリー
大橋は、自分なりの仕事づくりのものさしとして「チャレンジしているか」と「アイデアを出しているか」の二つを挙げる。チャレンジは単なる継続や既存の再現ではなく、考え、行動し、形にし、必要ならリスクを取ることだと説明する。アイデアは無から突然生まれるものではなく、経験や他人とのコミュニケーション、現状の制約や手元にある材料から工夫する「ブリコラージュ」に近いという。AIを使ったゲーム制作では、ひらがな学習ゲームとして始めた案を大きく作り替え、キャラクターをゴールへ導くカード配置型パズルゲームにした例を紹介する。チャレンジだけでアイデアがない状態や、アイデアだけで形にしない状態は不十分で、両方のサイクルを回すことが重要だと述べる。ビジネスでは、誰が使うのか、顧客の課題は何か、どんな解決策を提供するか、どう対価を得るかを考える必要がある。特にアプリやゲームは作って終わりではなく、想定する顧客に届け、伝えるためのコミュニケーションとアイデアまで必要になる。自分の得意・不得意や、やりたいこと・やりたくないことを実際に試しながら整理するよう促して締めくくる。
チャレンジとアイデアを測る二つのものさし
はい、シゴクリラジオ大橋です。よろしくお願いします。 このシゴクリラジオは、パーソナリティである私、仕事クリエイター大橋が、仕事づくりに関して話をしていく番組となっています。
シゴクリラジオはSpotify、YouTubeでも聞くことができます。お好きなプラットフォームで聞いてみてください。
お答えしてもいいんですけど。それは不親切じゃないですか。さすがにね。なんか変なだるがらみされたりしてるんですけど。
別に本当に素朴に思って、本当に純粋にそういう興味があればお答えしたいなと思ってますけど。
最近の方針ですかね。たぶんこの2ついいんじゃないかなと思ったんで、共有できればいいかなと思います。
話が2つじゃなくて、言いたいことが2つあると。
1つはチャレンジです。挑戦というテーマを掲げてます。
シゴクリラジオだからじゃなくて、シゴクリ、もしくは僕がですね、挑戦しているかという話です。
挑戦というのは何かというと、現状の今焼きることに安住して、要は工夫がないとか、工夫してないとか、
サボっているというとちょっと違うんですけど、やろうとしていない、やってないってやつですね。
もしくはやろうとすらしていないってやつ。やろうとしていればいいと思います。
やろうとするというのは、逆上がりとかだったら、逆上がりをやろうとしている振りをしたらOKじゃないんだけど、
やろうとしていて、やれてないならいいんじゃないかっていう。そこが甘めです。
逆上がりすらやってないならダメですよね。逆上がりは別に例えですよ。
別に逆上がりしなきゃダメだとかそういう話じゃなくて、自分にとってです。
だから逆上がりできる人は逆上がりしててもダメなんですよ。挑戦という意味ではね。
それは厳しいかもしれないですけど、やれることやってて面白いですかっていう話を問いかけたいわけですね。
もちろんこれはリスナーのあなたが保守的とかもっと決まったことをやりたいという人もいらっしゃいますから、
それを否定するわけじゃないですね。少なくとも僕はそういうふうにありたい。
逆上がりができるなら次やりたい。そんな感じです。伝わりますかね。
だからチャレンジということが一つあります。つまりチャレンジしているかが一つ。
まずはチャレンジする場合に当たり前なんですけど、なんでもいいからやればいいっていう。
なんでもいいからやったほうがいいんですけどね。基本的に。損というか変なことないですから。学びになります。
よって取り立てて言うことじゃないかもしれないですけど、アイデアを出しているからですね。
何かやるときに行動するときにアイデアがないとできないんですよ。
これは特にチャレンジして何かやっている人ほど一体化されちゃって切り分けられていないような気がします。
切り分ける必要性がないわけです。伝わりますかね。自転車に乗るって言ったときに、
自転車に乗ってどっか行くって言ったときに自転車に乗ることに対して意識しないじゃないですか。
そこに着いた場所について考えます。車でどっか行くとかもそうだし、旅行でもいいし、どっかでかけるっていうのもそうですけど、
混乱がある人もいますよね。移動が困難な人もいるから一概に言えないんだけど、
移動するときに移動するのが大変だってなって行きたくなくなったことってありますよね。
逆で、移動すら楽しい人もいますよね。そこで変わってくるんですけど、
少なくともどこかに、話戻していくと変な方向に行きそうなので話戻していくと、
そもそも何かやるためのアイディアを持っているって話ですね。
やれている人が一体化しているのは、アイディアを持ってやるというのが普通だからですね。
例えばAIでゲームを作ると言っても、そのためにまずアイディアがないよっていう人は、
そのアイディアから始めなきゃいけないし、ないなら真似するしかないですよね。
真似していって、ちょっと変えてやっていくしかない。これはもう何でもそうです。
マナブってそういうことですから、マネブっていうことですから、やるしかないですね。
なので、チャレンジができているかとアイディアが出せているかですね。
アイディアがないなら多分行動ができないはずです。
既存のやつを焼き回しというか、やっているだけと言えばだけです。
だから、そういう既存のものをただやっているだけでは、多分僕からすると、
これはあくまでも僕の話ですよ、チャレンジとは言いがたいかもしれないです。
そこに自分なりのアイディアがいる気がしました。話しててそう思いました。
この2つをチェックしたら、僕なりの物差しとしては概ね満足する。
要はアイディアを出してチャレンジしていたら、結構それで満足な気がします。
当然、世の中としては、仕事をするなら売り上げを立て、
まずビジネスをするならお金を稼いで、それで売り上げを立てみたいな話になると思いますし、
それはめちゃめちゃ分かりますよ。
だけど、そう簡単にはできないわけじゃないですか。
その成功例だとか、うまくいった人いるよみたいな話を、もしかしたら見ている方がいて、
聞いている方がいて、それがあるのにできるよねって思っている人たぶんいると思うんですよ。
めちゃくちゃいると思っています。
だけど、ここだけの話は全くなく、めっちゃ公開されていますけど、そんなわけがないんですよ。
ということをまず踏まえている人がどこまでいるかです。
だから、それを踏まえずに何か儲かるから、くどいけどずっと言うんですけど、
儲かるからやったらできるなんて、甘すぎなわけですよ。
甘々の甘。甘 of 甘です。本当に。
それで、その雰囲気やその感じで生きていくならいいですけど、世の中ってそうじゃないですか。
ここでも何度も言っていますけど、具体的に落とし込んでやった人は、それを経験しているから、
僕と同じことを言っていると思います。そんなに甘くないよと。やったことがある人はね。
やったことがない人だったら別に甘くていいんですけどね。最初は経験が浅いからそういうことを言えるんですよね。
やった上で、その甘さを持っているかはわからないですけど、その甘さは消えると思いますよね。
やったらうまくいくなんてことはないですよね。
で、アイデアを入れるか、さらにそこでチャレンジできているかって話になってくる。
そんな話になります。
だから、ビジネスとして考えたら売り上げを上げなきゃいけないとかあるんでしょうけど、そもそもですよ。
思った以上に売り上げを上げて何かやりたいっていう人が、僕が見る限りではそんなに多くないんじゃないかと思います。
あわよくばお金が得られたらいいよねみたいな人はいるんだけど、これは真逆ですよね。
お金のためだけにっていうことは、割と批判されるし、僕も批判的に思っているんですが、お金のためだけ。
でもそれは逆で、お金に対してこれだけ稼ぎたいとかっていう強い思いがあって、そのためにお客さんに満足してもらうという方向に行くことができるわけですよ、きっと。
ね、と思いません?
ということでいえば、まだお金のこだわりが足りないみたいな。
もちろんそれが、これ何度も言っていますよ。難しいですけど、お金だけで目的とすると微妙ですよね。
お客さんがお金に見えたら、それは末期なんじゃないかなと思います。
難しいですけどね。
そんな感じで、今回はチャレンジしているか、アイデアを出しているかみたいな話でお話し共有できればいいかなと思います。
今回もどうぞよろしくお願いいたします。
行動・工夫・ブリコラージュとしてのアイデア
はい、主語繰りラジオ大橋です。よろしくお願いします。
今回のテーマは、チャレンジしているかアイデアを出しているかみたいな2つの僕なりの物差し。
主語繰りとはそこまで関係ないんですけど、結局突き詰めれば僕の考え方の話なんで、
共感いただける方がいるかどうかを置いておいて、僕はこうやって生きてますよね、と。
そんな回となります。
で、チャレンジはですね、結局前半ですね、話したところではアイデアが独自の工夫とかね、
自分なりに考えているものじゃないとあまり身が入らないので、そういう部分はあるんですけど、
少なくともチャレンジというのは行動です。
行動というと運動ですよね、スポーツみたいに運動する、体を動かして何かやるというふうなことを考えがちですが、
明確に行動とは思考の中にも入りますから、考えているかというのは行動に入ります。
だから、行動しているか、チャレンジしているか、チャレンジしているかと言ったら行動しているかとイコールだし、
考えているかというのともイコールになるかなと思います。
だから、あともう1個言うならば、CDならば形にしているかですね。
ゲームだったらゲームを作っているかだし、文章だったら文章を書いているかという話になります。
だから文章を書いていないから、文章家とか文章を書いている人とは言えないというのは、
それは一部を切り取ったらそうなるんですけど、基本的には他っておいても、
多分チャレンジしている人は文章を書くということでチャレンジしている人は文章を書いているはずです。
話している人だったら話しているはず、コミュニケーションをテーマにしているんだったらコミュニケーションをしているはずなんですよね。
それがないなら、多分チャレンジしていないですよね。
その時にアイディアがそういうのをコミュニケーションしたいアイディアがないとか、
コミュニケーションしていく何かがなかったら、もう誰かの真似たり何かやって学んでいくしかない。
本当にそうだと思います。
基本的にアイディアは多分ある状態で、それを淡々と粛々とやるというのも変なんですけど、
チャレンジをしている人はそのアイディアを元にいろいろやっているかなと思います。
それが独自の方向性や独自のコンセプトみたいになっていって、
ある種それが人を魅了することができるのであれば、
僕が魅了できているかは知らないですよ。
人はついてくるし、あなたの作品、もしくはアウトプット、もしくは言っていること、書いていること、
作ったものというのを見てみたいよね。
少なくともあなたに敵意とか嫌だなとか思ったりはしないんじゃないですかね。
というところになっているかなと思います。
それがファンだと思っています。
チャレンジをしているかアイディアを出しているかだったら、アイディアはネタですよね。
ネタがあるかどうかということですね。
これはあくまでも僕ですよ。
僕なりの話をすれば、どちらもない状態は、死というと極端ですけど、
生きている、ゾンビ状態に近いです。
つまりチャレンジがないのであれば、何もやっていないことになるじゃないですか。
行動していないことになるじゃないですか。
だから毎日24時間フルフルで毎日疲れ切って何かできませんみたいな、
そんな生活は普通にしていないんですけど、
それ何だろうってありますよね。
チャレンジで形にしているからいいでしょっていうような人、
たまにいるかもしれないですけど、形にしていますよね。
文句ありますかっていう人いると思うんですけど、文句も何もありますよみたいな。
これはその人の成果とかその人がやっていることに対して傾向をつけるわけじゃなくて、
それは自分ができることならやらなくていいんですよ。
要はやっていることをやり続けてどうするのみたいな。
だから厳しく言えば、これは僕の話ですよ。
このポッドキャストもずっとやれることをやり続けてもしょうがないわけです。
YouTubeとかもやってますし、ノート記事も書いてますけど、
あとゲーム作るとかもしてますけど、
それって今まで自分がやったことを出してもしょうがないんですよ。
何か言ったことわかります?
要は自分がやっていることをやっているだけだから、
別に再現という意味ではできるわけですよ。
必ず、野球の盾が大切ではないと思うんですけど、
ボールが来たらもう左方向に吹っ飛ばして、
ヒットを打つことができますって言ったらもう左はいいわけですよ。
でもそうすると左に打てない時がある。
それをどう克服するかみたいな話になってくるし、
それが苦手でできなかったらどうするかみたいな話で、
そこからアイディアが生まれてくるような気がするんですよね。
アイディアというとどうしても何もないところからポンと出すようなイメージがあるんですけど、
いやいやそんなことないですね。
現状の制約とか縛りとか、できるできないがめちゃくちゃあって、
そのできないところの上で、
じゃあどうすればできるのかって考えるのがアイディアとか工夫ですよね。
アイディアというと良くないんですよ。
工夫でいいんですよ。
もしくは今、名前先に言ってないやつ忘れました。
出てこないな。
何だったかな。
まあいいや。そのうち出てくるでしょう。
要はあり物であるってやつですね。
ブリコラージュ。
要は自分のあり物の材料で作る。
だから料理とかで得意な人って冷蔵庫の中で作れますけど、
あれって自分なりでやってきた経験やレシピがあって、
それで作ってきたことがあるのでできるわけですよ。
無理ですよ。めちゃくちゃレベル高いですよ。
初心者は絶対無理です。中級者以上ですね。
で、プロの料理にはそれができると思います。
冷蔵庫のものでできます。
なぜなら膨大なレシピと膨大なやってきたことがあって、
状態、素材の状態からね。
これはあんまり美味しくないなと思ったら煮込んだりね。
別の味付けたりね。
生で食べれそうなら生で食べるとか。
まあ分かんないですけど。
今それ適当に言ってますけど、そんな感じでできるわけですよ。
何でしたっけ。
ブリコラージュ的にやらないと、アイディアってそういうもんだよね。
ありものでやるってことですね。
ブリコラージュ。
そういうことでチャレンジしてるかアイディア出してるかっていうのが、
僕の中で2つとも死んでる時ってほぼないんじゃないかなと思ってます。
そう思ってるだけも死んないんで。
しかもかつこれ主観の話だから、
誰かからないよねとかやってるよねっていう話じゃないんですよね。
ギャップもありますよね。
自分の中でアイディア出して独自チャレンジやってるんだけど、
なんか違うよねとかそれ期待してないよねって言われることもあると思うんですよ。
だってそれね、期待も何も他の人が求めてるものじゃない方ですよ。
難しいですよねこれ。
で、その時に突っ切れるか突っ走れるかっていうところが、
ある種のポイントなような気がします。
で、チャレンジとアイディアの関係性だけ補足しとくと、
どっちかしかないみたいな、
チャレンジはしてるみたいな、やってるみたいな人はアイディアがなかったりすることがあります。
チャレンジ、要は形だけやってるみたいな。
それはやってることになりませんよね。
例えば続けているのが目的になっているみたいなやつはちょっと危ないですよね。
何でやってるのって言ったら続けることが目的ですって言うと、
それ何のためにやってるのってなりますよ。
心からどこまでそれが本音かは知らないですけど、
続けるためにやるのは良くないなと思います。
続いていたっていうのは良いんですけどね。
だけどこれ難しくて、何年やるぞって言ってやっても自分で束縛するタイプの人もいるんで、
正直わかんないです。
だけど、うーんっていうところですよね。
アイディアはどこから置いてきたのかっていうツッコミを僕ならするし、
僕だったら自分にはします。
アイディアだけですよね。
アイディアとかも多いですよね。
形にできない人ですよ。
だからアイディアがありますだけでは出ていませんという人はいらっしゃるかもしれないです。
別にあなたが攻めているわけじゃないですから。
仮にそういう方がいてもね。
アイディアだけ出していたらやってくださいって話になります。
そうなんですよ。
ここで目で僕自身は、
すごくフリックの人は聞いてくださっているかもしれませんが、
アイディアと行動の関係で言ったときに、
行動できなかったらアイディア価値ないよっていうのは、
極論わかるんですよ。
乱暴だなと思います。
だけど、そもそもアイディアがない状態なんていくらでもあるから、
目線を落として、
アイディアがない人にとってアイディアが出たらそれは価値だし、
それアイディアって言っていいんですよっていう風に
言っていく必要性はあるかなと思います。
それをレベルが低いとか高いとかは、
あまりどうでもいいような気がしていて、
自分でアイディアを持って行動して形にできる人っていう、
高い目線というかレベルが高い人たちだと思いますが、
そういう人たちは自走できるし、
放っておいてもいいんですよ。
あんまり意味ない。
だから主語繰りラジオってわからないですけど、
それできる人って聞いてもあんまり面白くないというか、
じゃあ自分はできるよみたいな感じなんじゃないですかね。
思っている人というか。
つまんないじゃないですか。
自分できるから聞いてもよくわかんない。
聞き方の人もいるかもしれないけど、
どちらかというとやりたいんだけどできないよなとか、
アイディアはあるんだけど形にできない。
もしくは形にしてるんだけどアイディアが弱いなみたいな。
どっちかじゃないかなって思い始めてます。
わかんないですよ。適当に言ってるから。
というところで、この一つ、二つですよね。
チャレンジとアイディア。
チャレンジをしているかアイディアを出しているかって突っ込んで、
イエス、イエスで言えたら、
僕なりにですよ。
自分なりにはいいんじゃないかなって思ったりしてます。
AIゲーム制作で試行錯誤する
例えばゲーム制作で、開発で、
AIで作ってますけど、
アイディアあってこういうの作らせたらいいよねって
AIでやって出させるわけですけど、
そのゲームが面白くないっていうのが普通にあるわけですよ。
これは違うなみたいな。
自分が再現したい世界とか見せたいものっていうのは
だいぶ違うからそれをだいぶいじって、
形にしてね、
持っていくっていうことができるわけですよね。
だから僕のパズルゲームってポンっていうゲームがあるんですけど、
それ最初なんか絵本みたいなイラストみたいになってて、
めちゃくちゃ面白くなくて、
しかも最初は日本語のひらがなを覚えるみたいな
単語ゲーム、学習ゲームから始まってるんですよ。
それやったときに全然面白くなくて、
本当に俺笑い話ですよ。
めちゃくちゃつまらんと思って、
なんとかならんかって思ってひねっていって、
今のカード配置型、プログラミングっぽいですけど、
キャラクターをゴールに誘導するパズルゲームになったんですよね。
だからこのゲームが優れてるか面白いかはまたユーザーがやった結果にはなりますが、
そういうもんなんですよね。
なんなんですよねっていうか、
そんな一発でうまくいかないし、
アイデア出してチャレンジしてアイデア出してチャレンジの繰り返しになるかなと思ったりしています。
なんか形だけ出してますよね、やってますよねっていう人の、
例えば続けてるっていうのが目的とか目標になっている人は、
アイデアですよね。
アイデアってここでは質とかになりますよね。
やってて何が得られていますか、届いてますかみたいなところを見ていく必要性がありますよね。
だからアイデアがあって形にできない人より、
アイデアがなくて形にできない人の方が優れてるとか思うかもしれないけど、
そこは正直よくわかんないです。
だけど少なくともチャレンジでやってる人だけだったら、
そのアイデアは何なのか、そのチャレンジってのは何なのかは考えた方がいいですよね。
その人にとっては。
アイデアがあって形にしない人は形にしてくださいだし、
両方言うわけです。
だからどっちもどっちというか、両方あった方がいいと。
両方ないときついっていうのが僕の考え方ですね。
整理しておくと結局こういう観点が2つですね。
チャレンジをしているかアイデアを出しているかっていう2つがあって、
両方ある程度回っているワークしているなら、
続けているぞっていうのはさっきと違う形式の話なんですけど、
チャレンジしているしアイデアも入っているから別に、
そのサイクルが回っているような感じですよね。
続けているだけが目的でアイデアがなかったりすると、
それはチャレンジしているようで同じことを繰り返しているだけじゃないですか。
それでいいですよっていう人もいるから何とも言えないんですけど、
僕はそれ嫌だなっていう感じがします。
チャレンジとアイデアを両立させる
例えば思考するとか、ここでも話してますけど、
どこで喋ってますけど、それ考えたことを話してるんですよね。
僕が考えていないことをニュース記事とかアイデアのね、
こういうのありましたよってことはもちろん言ってますけど、
結構少なくないですか。
それの話をするにしても僕がこうだよねって解釈するレベルじゃないと、
まあつまらないなと思って話してないですね。
思考もそれに近いなと思います。
つまりチャレンジです。
つまりアイディアっていうのが仮説ですよね。
こういうふうに考えたんだけどどう思う?
今回のチャレンジしてたりアイディア出してるかっていうのが
自分なりの主観や物差しってことになってますけど、
それも一つの仮説でしかないので、
だからある人の手はそんなことないよっていう人もいれば、
いや二つじゃ足りない三つだよとかでもいいし、
それも別にいろんな考えがあっていいかなと思ってますけど、
僕にとってはそういう思考をするのも、
こういう仮説があるよねっていうのが一つのアイディアで、
それを形にして伝えるのがある種のチャレンジになってますね。
チャレンジとして自分が体験したり経験したことがあったときに、
そっちの方が面白いじゃないですかっていうのが
純粋な僕の感覚です。
同じことをやって決まったことをやっているよりも、
いやこれこうしたらいいんじゃないですかって言っていく方が面白いし、
こうしてみたら間違ってるかもしれないですけど、
なんか違う性格を得られるかもしれないですね。
っていうある種のリスクを取ってやりたいなと思ってますし、
チャレンジって言ったらやはりリスクがないと意味ないかなと思います。
無駄なリスクを負えってことじゃなくて、
人がやってて再現度が高くある程度できますよねっていうのは、
リスクないじゃないですか、ほとんど。
だったらチャレンジって言わなくていいんじゃないですかって思ったりします。
そんな感じですかね。
だから整理するとそんな感じで僕の中ではチャレンジしているか
行動ですね、形にしているかっていうところと、
リスクを取っているかってことがチャレンジって言葉に含まれているって話です。
アイデアを出しているかは工夫のための経験や体験をしているかだし、
ゲームじゃなくてもいいですけど他の人の話や意見や考えを聞いているか、
そこにネタを持ってきているか、
アイデアが枯渇するという感覚は全くないんですけど、
ただこれは僕の中ではすごくシンプルで、
社会に生きている人、僕じゃない人、他人ですよね、
接しているかどうかにコミュニケーションしているかというところに
終始するかなと思います。
それができていなければアイデアは生まれないかなと思います。
ずっとこもって一人でモンモンとしていてもアイデアは生まれないし、
自分でいいなと思ったものがものすごく偏っていたりしますね。
それが偏っていてもいいから出して動向するってことになるかもしれないですけど、
そこまで閉じこもっちゃうと、
外に伝えることすら奥でできなくなってしまうので、
それはちょっとやりすぎな状況かなと思ったりします。
バランスになりますけどね。
作ったものを顧客に届けるまで
主語繰りになるかわかりませんが、
リスナーのあなたがご自身で何かやろうとしたときに、
一つはチャレンジ。
それに対してアイデアがあったりするのか、
この二つじゃないかなと思います。
主語繰りって言ってるときにビジネス観点で言ったら、
ずっと言ってますけど、
それは誰が使う想定で、お客さんは誰でね。
そのお客さんの課題は何で、
そしてそれをあなたらしいですよね。
別にあなたらしくなくてもいいんだけど、
自分ができるアイデア、解決策で、
お金ですよね。
どうお金を得るか。
その人たちはお金を払うというものに
準ずる価値を感じてくれるのか。
これ4点をずっと言ってるわけですよ、僕は。
でも、チャレンジとかアイデアって言ったときに、
アイデアはそのまま解決策でいいんですけど、
チャレンジっていうのは、
ある種アイデアを思いついて、
作ったアプリ開発とかそうですけど、
作って届けるところになっていくと、
ものすごいチャレンジになると思います。
作って終わりだった人が、
その作ったものを届けなきゃいけない。
そのお客さんと想定している人に届けるって、
かなり大変なんですよ。
それをかなり甘く見積もっている方も、
正直多いですよね。
でも、それってしょうがないですよ。
開発者とか作る人は、
めちゃくちゃ気持ち悪いんですけど、
作るところが終わりになるんですよね。
作って終わる。
作っていることが慣れているし、
作ることでそこで、
サイクルが終わるというか、
それは慣れているんですね。
チャレンジっていうことをするのであれば、
そこでコミュニケーションをしていって、
これは自分のアプリはこうです、
自分のゲームはこうですっていうことを
伝えていく必要性があると。
これをできるかどうかっていうのは、
ゼロイチではなくて、
たぶんやろうとするっていう、
チャレンジをしている人の方が、
少ないんじゃないかなと思っています。
正直なところ。
だからそこでチャレンジをして、
コミュニケーションをして、
そこで開発したゲームのアイデアじゃなくて、
伝える方のアイデアの方を磨いて、
何かやっていくことができれば、
素晴らしい所属理している人だなと思います。
でもそれがたぶんできないんだと思うんですよね。
僕も含めてね。
できないところがいっぱいあるので、
それをどうしていくかっていうところになってきます。
でもそこに気づかなければ、
課題だとは思わないから、
人通りやってみて、
自分が得意なこと、もしくは自分がやりたいこと、
もしくは自分がやりたくないこと、
もしくは苦手なんだけどやっていきたいこともあるじゃないですか。
そういうのを整理されるといいかもしれません。
今回はこれぐらいにしたいと思います。
四国レラジオ大橋でした。
ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
以上失礼いたします。
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