フックの重要性
シゴクリラジオ
こんばんは。 シゴクリラジオの大橋です。今回もシゴクリラジオを始めていきたいとおもいます。今回テーマは、
フックを大事にする。フックというのは、引っ掛かりとか、 最初のスタートみたいな
もしくは、一期一会といった方がいいんでしょうか。 初めての人に、
ポッドキャストだったら聞いてもらうとか、youtube だったら初めて見てもらう人とかに見てもらうとかね、そういうなんか初めての人向けのイメージ
特に、今回目線は配信者とか、 伝えていく人側ですよね。
そのフックを大事にしようということで話していきたいとおもいます。 今回もどうぞよろしくお願い致します。
はい、シゴクリラジオの大橋です。今回のテーマはですね、 フックを大事にしようと。フックを大事にする。フックフック言ってますけど、
引っ掛かりですね。鍵なのかな?鍵って引っ掛ける鍵ですけど。 フック?そうですね、フックはフック。
壊れてますけど。 鍵じゃないです。鍵針?鍵針?まあまあ。
フック船長とか言いますけど、まあまあ。 それですね、引っ掛かりとかきっかけみたいなことを一応フックと、カタカナでフックですね。
言ってますと。で、何でかっていうとですね、 最近ですね、youtube を見てるんですが、
いくつかリスナーのあなたもね、チャンネル登録をして見ているとか、
チャンネル登録をせずに、検索してみる人もいらっしゃいますよね。 まあどうやって見ているかは置いておいて、
youtube は見ないんだけど、youtube だけを見るってよりも、このアプリとかサービスじゃなくて、
説明されている先の動画のアーカイブとか一覧がその youtube だっていうことね。そういうまあいろんな活用の仕方がある。もしかしたら配信されてるね。
方もいらっしゃるかもしれませんが、見ている方のが圧倒的に多いかなと。 見ていない方もいらっしゃると思いますが、動画サービスですね。
youtube、google がやって、google がやっているというか、google が買収した、だいぶ前ですが、
行っている動画サービスというわけですが、
何でしたっけ、あとですね、
チャンネル登録してたりするんですよね。いくつかね。まあジャンルは様々なんですけど、
最近ですね、まあすごい個人的な話なんですけど、
サッカーのそういう番組というかね。番組って良くないな。サッカーに関するテーマのチャンネルとはありまして、
昔見てたなぁみたいなのがあったんですよね。最近見てるものじゃなく、昔見てたものも面白くて、最近見てたものに引っ張られて、
まあレコーディングですよね。自分見てたなぁとか登録してたなぁとか、もしくは登録してないけど見てたなぁみたいな。
はい、で、
全然別のところでも、チャレンジみたいな感じでね。
そういえばこのポッドキャストもそういうチャレンジみたいな、挑戦みたいなことはたまに言ってたり、もしくは裏じゃないけど、
半分水面下というか、メッセージのところでですね。
勇気づける、元気づけるって思うんですが、聞いた方でですね、
なんかやってみるといいなぁと思ってくれたら、それでやっていただくという意味では挑戦はどうするみたいなね。
まあことがね、1ミリでもできたら、1ミリでもね。 少しでもね、できたらいいかなと思ってますが、
そういうようなチャンネルとかね、番組か配信かのを見たり、
っていうのも思い出しましたけど、 まあまあそんな思い出しはそれぐらいで、まあそうやってですね、要は最初って、じゃあそういう番組自分がチャンネル登録したり、
要はお気に入りですよね。自分がお気に入りです。別にSNSでもいいし、何でもいい、推し活でもいいですよね。
最初のきっかけって何ですか?みたいな話なんですよね。そうすると、自分が興味を持って今やっていることでも、最初の興味で結構、
カジュアルと言いますか気軽と言いますか、 あの
何だろうねぐらいのものって多くないですか。でそれがまあいわゆる期待値が高いか低いかって言ったら、
多分その期待値っていうその土俵に上がってないと思う。まあ期待値って土俵って何かというと、
例えばサッカーのそういう youtube チャンネルだったら、サッカーについて知りたいんだみたいなね。
それがまさに期待値ですけど、多分そっちじゃなくて、そこまでじゃなくて、手前なんですよ。そういうサッカーっていうその何かっていうような、
そうやって見る人もいると思いますけど、僕の場合はその場合、主観ですけど、何だろうねとか、面白そうだねとか、楽しそうだねと、
いうところから入るわけですよね。別にこれ、僕が特殊というわけでもないと思ってまして、
例えばお店ができたりするじゃないですか。そしたら全然知らないもので、もう何だろうねで見たりする。
で例えばその化粧品というか、自分とは興味が違うものがあって、
なんで行かないというか、見たけどもう行かないよねとか。でも新店って言ったら一回行ってみて、ここはまあ人によりますけど、行かないのもありますしね、僕もね。
オープンしたのは知ってるけど行かないとかのあるじゃないですか。でもオープンしたからちょっとこれだったら行ってみようかのもあるじゃないですか。
すごい合理的に分けることが難しいんですが、少なくとも
お店ができたり、新しい配信とか、まあ毎日ようにね、本とかも出てるわけなんですが、それを全部見るわけでもないし、聞くわけでもいかないんだけど、
読むわけでもいかないんだけど、興味があるものは情報だけいたり、もしくは実際に手に取ったり見たりとかね、するわけですよね。
その最初のそのまさに触れ合う部分、最初のきっかけとして知るところがフックだということで、それを
大事なんじゃないかっていう話なんですね。なんで大事にしようというのは、配信側ですね、届ける側の立場っていう意味なんですが、
なんでかというとですね、これはリスナー側とか聞く側も一緒だと思ってまして、その部分で
大事にしようというのは変なんですけど、
勝手にですよね。これは文字通り勝手に捉えて、勝手に捉えるわけですね。リスナー、視聴者側の視点というのは。
つまりサッカーにすごい命を懸けてやるぞって言ってても、他人事じゃないですか。
タカガと言ったら怒られますが、実際でも、その人のこと全く知らないのにサッカーに人生を懸けてるって言われても、
引くわけじゃないんだけど、別にサッカー選手でもなければサッカー知らない人が、
例えば僕ですよね。サッカー選手でもないし、サッカーで何かやろうと思った人ではないわけですよ。僕はね。
むしろスポーツとはちょっと遠いぐらいまであると。
スポーツの話全然してないと思うんですけど、野球の例えとかしてますけど、別に野球見てないですよ。
野球好きな人に怒られるかもしれないですけど、嫌いってわけじゃないですけどね。
でもスポーツをやってどうしようとかそういうことはあんまりないってことです。
体を動かすとか散歩するとかね、そういうのは全然好きですし、
体を動かしたくないっていうことじゃないです。まあまあその話は置いといて。
自分はサッカー選手、サッカーのプロ選手になるみたいな人がいたときに、
そういうユーチューバーがいたときに、その人ではないわけですし、その人に共感する部分というのは、
すごく遠いわけですよ。パッと見ると。 もちろんその生き方とかが面白いとかいいよねって思ったら応援するんですけど、最初はそうじゃないじゃないですか。
なので、最初の前、前回、いつかはありませんけど、いつか話した気がしますけど、共通点を作らなきゃいけないんじゃないかってことです。
共通点って言うとちょっと手になるんで、共通項、もっと広い共通の辞書、もしくは事柄がないと引っかからないよねって。
例えば、この配信は日本語ですが、日本語が分かる人で、どんどん区切られていくじゃないですか。
仕事クリエイターってなんだろうなとか、ビジネスアイディアって言ってるけど何やってるんだろうなとか、どうやって考えるんだろうな、そういう興味の方もいらっしゃると思いますが、
全然そうじゃない話聞いてもいいやぐらいの雑談として、今日はこんな話かとかそういう、そんな人はあんまりいないかもしれないですけど、分かんないです。
分かんないですけど、そうやって聞いていらっしゃる。要はこちらが想定しているものではないもの、聞き方は全然あるよねっていう話ですね。
つまり対象として狙っている人だけじゃないし、もしくは対象として狙っている人だとしても、みんなが同じサッカーに人生かけた人の話を聞いてくれっていうのはちょっと重たいかもしれないじゃないですか、実際に。
なんだけど、感じが悪くないとかね、聞いて別になんかいいんじゃないとか、この感じ分かります?なんかいいんじゃない?応援してもいいよとか、そういう生き方とかは全然いいよ、自分は別にサッカーとかそこまでじゃないんだけど、抽象化してますよね、生き方としていいんじゃないとか、
体験としてのエンタメ
その挑戦するのがいいよねとか、学ぶとかですね、前と変化するのがいいよねとか、全く同じテンションでそんな変わってないように思うんだけど変わってるとか、人間って変わらずにやることって無理なんで変わってるんだけど、そこの部分は切り取ってずっと同じように続けるのもありですよね。
なんでそういういろんな仕掛け方とか、フックですね、引っ掛かり方、引っ掛け方、興味を持たせ方があるんじゃないのかなっていうふうに、最近は思うようになってますね。だから共通のテーマかな、みたいなものですよね。
このしごくりラジオであれば、仕事作りとかビジネスもしくは自分で仕事を作るんだと、要は別に雇用とかを否定してるわけじゃなくて、何かを雇用でもいいんですけど、その中で自分だったらこういうふうにする、要は提案要素であったり企画要素であったり、今ないんだけどこんなことやったら喜ばれるんじゃないか、原点は僕からするとそこですよね。
こういうことやったら喜ばれたり、もしくは良いことになるんじゃないか。もちろんこれはしごくりのフリークでよく聞いてくださってる方だったら耳にタコができているかもしれませんが、それはタコができてないと思うので、実際のタコはできてないと思うので言っていくんですけど、初めての方もいらっしゃると思うので言っていくと、結局そこで仕事に自分を合わせるっていう感覚じゃなくて、自分に仕事を合わせる、つまり自分の仕事を作ると。
ということはまさにアイディアというか、こんなことしたらいいんじゃないですかっていう提案する、もしくは言ってみるところが大きいし、そういうことを結局手を返し、仲間じゃないんだけど、仕事とかビジネスとか商売、何でもいいんですけど、副業でも何でもいいんですよね、言葉はぶっちゃけどうでもよくて、そういうのをやっていくことを通して、
それがある種のフィルタリングというかカテゴライズというか、絞り込みですよね。全くそれに興味がないという人はさすがに難しいんですけど、それも解釈次第によっては、いろんなものに使っていけるかなと思ったりするんですよね。
たぶん。
なので、例えば格闘ゲーム、プロゲーマーの人の配信とかね、たまに見てるんですけど、自分が別にプロゲーマーになりたいわけじゃないですよね。
それで何かといったら、共通点が見て面白いなと思うのは、やっぱりゲームの試合って、ゲームをあんまりやらない人とか試合を見ないっていう人は、ゲームの試合を見るというのも独特なんですけど、ちょっとよくわかんないじゃないですか。
ただ、実際格闘技ではないんですけど、ゲームというよりはプロレベルでやってるので、駆け引きであったり、本来ミスするわけじゃないのにミスする、緊張とか雰囲気とか、さまざまなものがそれを見る。
例えばプロ野球とかも、プロスポーツってそうじゃないですか。勝負ですけど、それをいわゆるウォッチャーと言いますか、観戦者として見て楽しむ。まさにエンタメですよね。
じゃあみんな全員応援するかって言ったら、そうじゃなくて、やっぱりムラがあったり、好き嫌いがね。嫌いはないか。
好きな人とか、追っかけたい人が出てきたりする。何でもそうだと思うんですよね。演劇じゃないよ、押し勝つって言われてるような、さまざまなエンタメも一緒ですかね。
多分ね。抽象化してしまいますね。見て楽しいなとか、見てそういう風になるのがあるんだなってことを、舞台は全然違うし土俵は違うんだけど、やられてるのを、こちらは楽しむぐらいの感じですかね。
だから、すごいメタ認知と言いますか、客観的に言うと、この四国理ラジオも、わからないんですけど、客観的に言えば、四国理、四国理言ってる人がいて、その人が何か言ってやってるから、その成長を見守るみたいな、もしかしたら方もいていただけるかもしれません。ありがたいですね。
この人が言ってることは、ちょっと面白いぐらいのね。めちゃくちゃ面白いわけじゃないと思うんですけど、ちょっと面白い。ちょっとですよ。ほんのちょっとスパイスレベルで、メジャーなスパイスではない。胡椒とかね。塩とか。味噌、味噌。香辛料じゃないですね。まあでも調味料とか。
フックの重要性
まあそういったですね、メインディッシュではないかもしれないんだけど、調味料、スパイスとして、ただあるとやっぱり効いてくるものは出していきたいとは思ってますが、それを絶対毎回目指してやってるとちょっと肩が凝ってしまうので、そこまではいかないですけど、まあそういうのを何か、実際にですね、届けていって、少しでも何かヒントになればというのは変わらずで、変わらないので、まあそう言って喋ってるわけですね。
じゃないと、まあとっくにやってないですし、やる意味があんまりないかなっていうところはありますね。で、まあ結局ですね、スパイスちょっと長くなりましたけど、結局そのフックが大事っていうのは、変換して言い方を変えると、楽しんでいこうみたいな風になります。
楽しんでいこうっていうのは、僕がその配信自体を楽しんでいないとか、他のさまざまなプロジェクトや活動を楽しんでいないっていう意味ではなくて、何でしたっけ、最近言ったか忘れましたけど、心が動くみたいな話があって、それはですね、この話たぶんしましたよ、たぶんしたと思うんですが、まあとりあえず繰り返しになるかもしれませんが、
話してて、心が動くか、あ、してないかな、まあいいや、動いたかどうかがわかるんですよね。特にこのポッドキャストもしくはラジオ的な言葉で。要は台本を読み上げてることが悪いとか、台本通りで進行してるとかが悪いとか、そんなことは全くないんですけど、読み上げて、読み上げるのもいいんですよ。
ただ、自分が会ったことで、会ったことで実際に体験したことで、会ったことで起きたことで心が動いて、本当にそう思いましたというふうに思ったのか、それともそう思ってないのかって、やっぱり出てきちゃうんじゃないかなと思います。
そのテクニックとか、間をね、こうやって置くとかね、わざとね、合図地をラジオだけど名付けながら、気にしていない方はもしかしたらいらっしゃるかもしれませんし、気になる方も、いや多分気になると思います。あの、ジェスチャーね、結構してるんですよ。
伝わってないと思うんですけど、今ね、手を出したり、なんかね、やってるんですよ。別にそれ想像していただけなくてもいいんですけど、口元だけでボソボソ喋ってるとか、そういうのではなくなってきましたね。そうだと思います。
YouTubeとかでワイプで、右下、左下、左分かりませんけど、配信者の人が映ってるのがあるじゃないですか。あと、キャラクターとかアバターでもそうだと思うんですけど、動くじゃないですか。顔のところだけ見せて動かないとかももちろんありますけど、やっぱり動きますよね。その動きが合ってないとおかしいから、まあでもアバターでも見せるんだと思いますけど。
なくてもいいと思うんですよね。別に手を動かさなくても、目の前の人に伝えてるわけじゃない。でも、気持ちはその目の前の人に誰かがいて、話していると、この今の感覚、配信してる僕のこのポッドキャストは変わらないので、リスナーの今あなた、一人で聞いてる方だったらあなたですし、何かで聞いてたらそのいらっしゃる方にそのまま届くはず。だからそれ変わらないです。僕の喋り方がすごい変わるとかはなくて。
カジュアルトーンとかそのフォーマルトーンとか、そういうのはもしかしたらあるかもしれませんし、初めての方に喋りかける。もしくは友達みたいなやつもあってもいいと思いますけど、別にそういうのは僕は得意ではないと思いますし、ちょっとカジュアルすぎるかなと思ってやってませんけど。
ちょっと古いですが、年齢がバレますが、キテレツ大百科みたいなアニメ?漫画?漫画はわかんないですね。
キテレツくんか。発明好きでしたっけ?方がいらっしゃいます。確か弁蔵さんでしたっけ?老人生みたいなね。老人生ですよね、確かね。
近くの老人生で弁蔵さんという人がいると。いわゆるキテレツくんは小学生でしたっけ?小学生じゃないですよね。小学生ぐらいにしておきましょう。気になる方は調べてください。
キテレツ大百科。弁蔵さんという人は大学生、もしくは老人生。大学生ぐらいですよね。20歳とか。何年も老人をしていて受験が成功していないという状態なわけですよね。
それぐらいの20歳ぐらいのお兄さんみたいな人がいるわけですよ。小学生、キテレツくんは小学生男子なんですかね。からすると親ではない、身内ではないけど近くの近隣の、男性って言ったらよくないな。近隣の方みたいな。
でも家も近いから近所の方ですよね。そんなイメージ。というのがこの四国レラジオになっているかわかりませんけど、一応ポジションというか、そんなポジショニングマップ作らないんですよ。仮で一瞬で消してもらってもいいんですけど、
身内の方、家族もちょっといろいろありますが、一般的に血がつながっているというか、家族、もしくは親とか子どもとかね、いらっしゃると思うんですよね。まあまあそういうのがあると。血縁ってやつですね。
やはり仕事とか、社会人になってからの友達とか、もしくは学校での友達とか、その関係が長く続いている方もいらっしゃると思いますし、そうじゃない方もいらっしゃると思いますけど、自分と血縁じゃなくてコミュニティというか、関わったところで関わる。
まあ、血縁もありますね。血縁というのは血の方じゃなくて土地ですよね。住んでたからつながるサークルとかでもいいですし、いたからつながる。まあでも学校ってそうですよね。小学校、中学校ってその土地で勝手に割り当てられますよね。
所在の住所とかだけじゃないですか。学区とか。そうですよね、たぶん。そういう縁というかつながりの仕方がいろいろあると。今だとインターネットもありますし、こういう配信もそうですし、さまざまなものがあるんじゃないかなと思ってます。
で、そういうところで時間があるない、興味関心、出会う出会わない、さまざまあるとは思いますが、そういうところで自分の配信をですね、貴重な時間をお時間にさせていただく。ながらで聞いてる人が多いと思うんで、ながらでも全然ありがたいんですが、ながらでありがたいです。
で、そういうところがある中で、ごめんなさいだいぶ長くなりましたけど、さっき言ったキゼルス大百科っていうところのアニメですか、に出てくる弁蔵さんっていう、弁蔵さんのキャラクターまでは覚えてないんですけど、近所、いわゆる近所のちょっと年上のお兄さんみたいなね。
自分でお兄さんでも変なんですけど、別に女の人でもいいですし、そこで違う視点の第三者、最近全然聞かなくなりましたけど、昔僕が学生時代の時に結構好きだったのが斜め、横の関係はそういう対等みたいな感じじゃないですか。
もしくは近い人。上の関係って先生とかね、学校の先生とか、親もそうかもしれないです。横が友達みたいな感じだったら、斜め上みたいな。斜め上とかね。斜め下って上上関係っていうことじゃないんですけど、ちょっと違うところにいてアドバイスじゃないけどしてくれる人みたいな。
アドバイスは別にしないですけど、そういう存在ですよね。
何度も、しごくりラジオというところの企画書があるんですよね。そういうのはちゃんとやってますよ。企画書があるんですよ。それも多分話したと思います。話したと思うんですが、初めての方もいらっしゃると思うんで毎回言うんですけど。
社会との関わり
存在として、このしごくりラジオっていうものが今あるからどうってことでもなく、例えばそのフックの話に重なるんですけど、いい感じに重なってるんですけど、1回でも聞いたとか、なんかそういう人いたよねっていう。
記憶に残る残らないあるし、次はもう飛ばして聞かないってもちろんあるし、また出てきたよみたいなね。レコメンドの仕方はちょっとわからないんで、全然レコメンドないと思うかもしれないですけど、
そういうところで自分の中で、自分のリスナーのあなたが日常生活を送る中で、もし配信に触れたときに、ああそういう人いたなあっていう、もしくはこんな話あったなあっていうのが1単語でもいいしこんな話だったなあみたいなのが忘れない、完全に忘れてもいいかもしれない。
もはや。なんかあったらあったよねぐらい。なんか言ってたよねっていう。わかります?話としてなんかこういうの言ってたよねみたいな。
例えばパッと出てくるとしたら、自分の仕事づくりにおいてですよ。自分の得意なことというかね。提供するものが簡単にできてしまう。だけどそれは他人にとってはすごくありがたいことなんですよ。要はなかなかできない。その人にとってできないことだったら相手から素晴らしいと言われる。
でもこちらとしては別にそんな相手にとって、あ、すみません。間違えました。自分にとってそんな価値がないというか大したことない普通なことをやってるんだけど、相手にとっては価値があることです。それが仕事になりやすいですよねみたいな話があるわけですよね。
これはですね、あると思うんです。でも今の話って実体験がなかったり、考えて機械でこうだよなっていわゆる腹に落ちる、もしくは落とし込んで理解するってことがないとそういうものかなーぐらい通り過ぎじゃないですか。
そのものじゃないですか。なんだけどそういうのが残ってて、少しでもね。まさにフックですが、また戻って聞いていただくとか、もしくはその機会がわからないです。いつかわからないですけど、違う人がね、さっき言ったように誰かが同じようなこと言ってて、そういうなんか言ってたよなっていう風なものがある。
まさにその人が触れてなくても、YouTubeのチャンネル登録してるんだけど見てないんだけど登録はしてたなとか、登録してるんだけど最近見てなくてそういえばこういうのあったなってことで見返した時に見るとかね。
でもっていうのもちょっとやや上から目線になってしまうんですが、でもそういう存在でいられるっていうところ。だからだいぶ長くなりましたけど、要はリアルタイムとか今アクティブに聞いてなくてもそういう人がいたよねっていうことがすごく僕は大事だと思ってるんです。
なぜならまさにペイフォワードですよね。要は恩送りみたいなやつですかね。循環するみたいな。これも映画があって結構いいと思うんですが、自分がやってくれたことに対して、要はいろんな人に話をして語り、アドバイスというかこうしてみたらとか言われたり、もしくは
頑張れというかね応援をされたりされなかったり。されなかったりわからないですけど。もしくは直接行って変わったり、ほとんど変わらなかったり。変わらなかったらいいのか。そういう中で自分がいただいたというか受けてきたことがありますよねって。
ありますよねって実際に言ってるわけじゃなくて、あるんですよね僕は。あるので、じゃあその人にありがとうございましたとお礼を言うのはもちろんした方がいいんですが、ありがとうございましたぐらいしか言えないじゃないですか。特に年配というかだいぶ上の人にお世話になった時にお金を渡すわけにもいかないですし、お金渡したところでなんかちょっと変な感じになりますし、それはそうじゃないよねっていうね。
で、その人に直接お礼を言ったらチャラと言いますか、終わりになるかって言ったらそうでもないじゃないですか。それ以上のものをもらって。であれば僕の使命というと、おごそか、うやうやしいってことですけど、なってくるんですけどそこまで行かずに、使命じゃなくて自分のできることみたいなことをもっとカジュアルに考えたときに
誰かに何かを届ける。誰かに何かを届ける。もうめちゃくちゃですよね。ちょっとめちゃくちゃすぎますけど、要は自分が受けたこととかいいなと思ったことは伝えていって。
先輩として何かやるとかね、そういう立場っていうのは全然ないんですけど、一つ共通点として必ず共通点があるのは、一応社会、もしくは日本の社会みたいなのがあって、その共同体の中で一応生きてるわけじゃないですか。接点も全然ないかもしれないし、接点ないわけないんですけどね。
この四国ラジオ聞いたらその瞬間に接点ができるんで、ないことはないんですけど、別に追っかけるとかそういうことはなくて。それで関わりはあるわけですよ。
なのでそういう社会とか、社会って大きい言葉ですが、そういったものが良くなっていったらいいなっていうのは別に格好をつけて言ってるわけでは本当になくて、心から思ってます。
だから多くの人にとって、僕もそうですけど、平和にですよね。今世の中平和じゃない、日本だけ平和っていうことも位置づけられるかわかりませんが、ただその平和であり続けるとか、お互いを尊重して生きるとか、すごい道徳とか倫理の事業でもないんですけど、そういうのがあるわけですよね。
平和に静かに好きな人とか気が合う人たちと生きていって、もちろんそれだけじゃなくて色んなことを学んで、時には失敗というか苦労するとかも全然いいんですけど、そういう中で楽しく生きていこうとか、僕の中ではご機嫌に生きていくみたいなところになってるんですけど、そういうのやっていきたいんですよね。
やっていきたいんだけど、自分で口だけで言ってもしょうがないので、自分でやれることはやりましょうということがアクションになりますよね。だからそのためにやれることって様々あると思うんですよ。
だからさっき言ってたプロゲーマーとかサッカー選手だったら、そういうサッカーを通してゲームを通して伝えていくしかなくないですか。なくないですかというのは別にそれを下に見ているとか上にあがめ立てているというわけでも全然なくて、自分が得たものの自分の立場でやるしかないから、自分の領域でまずやれることをやるしかない。本当にそんな話です。
だから僕自身は仕事クリエイターということでアイデアを出したりリサーチしたりそういうことを成り割としてるんですけど、そういうことでしかないというか、自分がやれる範囲でまずやってみようみたいなことでしかないんですよ。
フックの重要性
だからやれる範囲でしかやらないっていうのは、やれる範囲でやるってことは、やられる範囲でしかやれないからそれ以外やらないとかそれ以外に関してないですっていうような態度とか姿勢ではないんですよ。全然そうじゃなくて、むしろ逆でいろいろやれるんだけど、やれるんだけど今やれる手元にある身近なことでやれることをまずやるってなったときに普段やって無理なく続けられるようなことだったらそういう
ここでは喋ってますけど、喋ることでもいいし、少なくとも自分が僕の言葉で言えば近いOSってことがありますが、身近で割と続けられたり、そこまで苦じゃなくて、苦じゃないが一番いいですね。飽きずにやれるようなことがあって、それに自分のミッションビジョンというと重たいですが、やっていきたいことを入れていくみたいなことになっていくんじゃないのかなと思って
配信ですねこれもやってますし、仕事作り面白くないですかっていうことを言っていくと。だいぶだいぶ長くなりました。ただ結論的にはまとまってまして、結局フックを大事にするというところで、僕自身がつまらない方がいいよねと思っていることを言って
その人のマリスラーのあなたが面白いねってことはないと思うんですよ。つまり僕が面白いと少なくとも思わないものを人に対して進めることはできないかなと思います。自分がいいなと思っていないものも売るとかね、そういうのもあったりするかもしれませんが、それは自分がいいなじゃなくて相手がいいなと思うならやるって感じですかね。
僕は別にやらないけど、その人にとっていいなと思ったアイディアは全然出しますよ。ただ、その人への愛というとこれも重たいですが、好きとかその人に役立ちたいという感情として気持ちが動いていなければやらなくないですか。なんでその人のためにはわざわざやらなきゃいけないんだってなりませんか。
なのでそうならないようにはしたいですよね。そこがその仕事とかお金とかになっていくとどのレベルでやれるかが非常に合理的に決められない感情であり情緒になっていくかなと思ったりします。
そういう意味では福を大事にするって結局自分が楽しむってことですし、もしくはその楽しんだものを見てる人聞いてる人に少しでも伝わるようにする。もしくは伝えていくようにする。パケットロストみたいなように全部欠損して伝わらなかったら、孤独というか広がらないような気がするんです。
ただここは安心してほしいというか僕が伝えたいというか思っているのは、全く何もやったことで100%何にもうまくいかないってことは多分ないんです。
分かります?一番最低というか一番身近なところでいくと、このポッドキャストもそうですけど伝えたり書いたりしたものが誰かに伝わらなかったりするじゃないですか。反動がないとかね。分かるんですよ。分かるんですが、自分の中では整理できたり自分の中ではやりきったみたいなのありませんか?
それがやりきってないならやりきったほうがいいんですけど、そういう意味で自分にとってまずプラスになるんです。だから絶対その損というか、やったことでなんかやらなきゃよかったよねってことって僕はほぼないと思うし、ほぼないよねっていうぐらいの感覚でいけてないと、それがやっぱり頑張っちゃってるし苦労してるというか誰かを意識してやろうとしてるという感覚なんじゃないかなと思ってます。
このあたりはまだまだ言えることがあるんで、ちょっともうこれ以上は長くなるのでこれぐらいにしたいと思いますけど、今回も何かヒントになれば幸いです。
フックを大事にするということで何か続けていく、特に今回はポッドキャストの話が多くなってしまいましたが、これもご自身でリスナーのあなたがやってることに対して変換してもいただいて、自分がやってること、自分が伝えてるとか誰かに言ってるとか誰かに提供してる、仕事とか考えやすいし趣味とかプロジェクトとか何でもいいんですけど、
そういった伝える側、誰かに届ける側っていう、もしくは生産して作る側からすると関わりですよね。自分の人生を全て掲げるっていうのは全然いいんですけど、それを出して伝えて動かして動いてもらうっていうのは正直重たいわけです。
だからいらないってことじゃなくて、そうじゃなくてその人、要はリスナーもしくは消費者っていう生活者ですか、視聴者はわがままっていうか勝手なわけですよね。それをどう取るかは勝手だからと。それはしょうがないし、自分も僕もそう思います。
なのでそこに出てくるのは共通的なものとか、その人の何気なく、期待していなくて何気なく流れてきたり、カジュアルな感じで引っかかりというかなると。だからといってキャッチーなものをつけて、人の心をつくみたいなことをやりすぎるとあまり良くないかなと思いますが、
ただ楽しんでもらうフックっていうものをいっぱい持っておいて、そこからそんなこともやるんだっていうふうに徐々に僕からすると関係性ですけど、作っていかないと、いきなり自分の人生と片付けてどうですかって道端でいきなり言われて困るじゃないですか。
なので、私は怪しくないですよじゃないけど、こういうことをやってるんですよってその中で別に言えることはあるんでどうですかっていうのを少しずつでやるみたいな。だからフックっていろんなことをやって、小さくてカジュアルでいいんでやらなきゃいけない感はありますよね。
はい、ちょっと声が枯れてきましたけどごめんなさいね。というわけでですね、四国理ラジオ今回は終わりたいと思います。今回も全部聞いていただかなくても最初と最後だけでもいいんですが、聞いていただきありがとうございました。四国理ラジオ大橋でした。ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。以上失礼いたします。