何か対処できるものもあれば、対処できないものもあって、
でもそういうのって、後々言うと手遅れになったりとかすることってあって、
何かそういうことを何回か繰り返していくうちに、
もう最初から相談してた方が、
何か一番自分的にも精神的にも楽やなってことに気づいてからは、
割と本当に、もちろんね、その仕事のミスで、
何かこれは自分で対処できるな、これは無理やなっていう判断をどんどんできるようになったと思って。
その基準も、そうやな、だんだん培ってきたんだね。
そうそう、だからこれもう無理やなって思った段階で、絶対相談するっていう風にしてるようには最近はしてて、
なんか円滑にこの物事進むのは、もちろん自分の言い分とか、それ嫌だとか、
それはそういう方法じゃない、何か自分のやり方があってそういう風にしてるとかっていう、
何かこだわりあったりすると思うけど、そういうのもこう、ちゃんと自分のこだわりとか、
こういう思いがあってこういうことしましたっていうのをいうことで、何か相手も何かただ怒るだけじゃなくて、
ああそういう思いがあったんだっていう、何かミスしたっていう事実だけしか知らんとさ、
何かやっぱそう怒るしかないけど、何かそれが何かその、ちゃんと思いがあってやったことやったら、
ああまあそういうことがあったんだ、でも何かこれは間違ってるから、何か次はこうしてねっていう、
何かそういうミスだけがあると言葉強くなってしまうけど、何かちゃんとしたこう自分のね説明できる理由があるんやったら、
何かこう指摘する側としても何かこう優しく、より柔らかく指摘できるのかなと思うから、
でも、はすきさんがそこまで考える必要はないかもしれんけど、相手が優しく指摘できへんのは相手の器が小さいだけであってさ、
まあでもそれももちろんあるけど、何かやっぱその何て言う、選択肢を広げるじゃないけどさ、
でもそこはさ、まだ結構何やろう、何か応用編というか、
まあ人によって違うけどね、
そう今はすきさんの中では結構多分自分で全部こらえてるからさ、
とりあえずもう自分のこの思ってることを発信した方がいいと思う、
ただはじめからそれこそ他人がどう、何やろうな、そこまでの配慮をしてたら結局自分がさらにしんどくなるだけやから、
まあまあね、
でまあこれは俺の話になるんやけど、
何か俺も結構その何か割と指摘されたくないというか、
指摘された時に、たとえそれが相手が当てたとしても若干ちょっとムッとしてしまうのよね、
それはまあ何か100%自分が正しいとかって思ってるわけじゃないけど、
何かこう自分がいいと思ってやったことが、
まあね、否定されたみたいな、
ただただそれが間違ってるっていう頭ごなしに言われるっていうのが、
何か自分はこういう思いがやってやったのになっていうふうに思ってムッと一瞬してしまうタイプなんやけど、
何か俺の場合はその後に、
その場でムッとした態度をとってしまったことに対しても、
何かああいう態度良くなかったかなっていうふうに気にしてしまうタイプで、
何か結果的には何かその場でその人の指摘を受け入れて、
すいませんでしたっていうふうに言ったりとか、
僕はこういう思いがあってこういうふうにやりましたけど、
そっちの方が正しいと思うのでこういうふうに次はやりますっていう、
そういう会話をすることによって、
後々自分の精神衛生上にはいいなっていうふうに気づいてからは、
なるべくその指摘を受けたときは、
ちゃんと返答するというか、何かこうなーなーにして、
はいはいわかりましたとかじゃなくて、
それってどういうことですかとか、
すいませんちょっと間違ってたかもしれないんですけど教えてもらえますかとか、
そういうそこでちゃんと問題をそのエラーを解消するようにしてからは、
割とこうなんていう、
なんか怒られるのが怖いから報告を怠るみたいなことは減ったかな、前よりは。
でも本当にすごいこの気持ちはわかるから、
私は逆にその何やろう、10人ぐらいの子たちをまとめてたから、
そうだね上司として働いてた時があったよね。
だから何やろう、そういう目線で見ると、
結構何やろう、ほんまにもう絶対何言っても伸びへんし、
もういいわみたいな子にはもう本当に何も言わないから、
怒らないし、指摘しないし、もう本当にどうでもいいから。
例えばミスが発覚してもこう無言で、
どうせ言ってもわからないから、私がやるって感じになるよね。
だって言っても、はじめは言うかもしれんよ、
でももうそういうさ、なんかもう無理なやろうなみたいな素質が見えてきたら、
何も言わないから、なんかほんまに、
意味もなく理不尽に怒る人もいるけど、世の中には。
そういう人たちって結局コミュニケーションを取っていって、
追求、じゃあこれは何でこうなったんですかとか、何で怒ったのか、
じゃあここはこうすればよかったんですか、ちゃんとコミュニケーション取るようになると、
そういう人たちは答えれなくなるからさ、結局。
で、ちゃんとコミュニケーション取って、
生産性のあるものを生み出すのはやっぱり、
こっちはだってできることはやったんだからさ。
できることはやったっていうのが自分の心の中にあるわけやん。
だからそれで結構さっき洋介が言ってた、
その精神衛生じゃないけど的にはちょっと楽になりそうかな。
そうね、それをなんかずっと自分の中に溜め込んでるっていうのが、
その前に進めなくなってるようなこの道がなんかずっと埋められてるみたいな感じやと思うから、
その問題っていうのをできるところから解消じゃないけど、ずっと置いておくんじゃなくて、
ゴミやったらね、ゴミ出しするとかそういうのを一個一個やっていくっていうのを、
例えばね、今ついてる関係の人がいるんやったら、
その人から、近しい人からちょっとなんか実はみたいな感じで、
文面でもいいからね、なんか話してみてもいいかもしれへんね。
でも本当にLINEとかそういうのはちょっと語弊音可能性もあるから、
できれば直接話したほうがいいと。
トーンとかがわからんからさ、めっちゃ考えてさ、
その丁寧に書いた結果さ、結局怒ってんの?みたいな感じ取ったりとか、
話がしたいから、簡潔にちょっとまとめて直接話したいみたいなことを言ってもいいのかもしれない。
そうね、きっかけとして使うのは全然いいと思うし、
そこで補足としてわかりづらいんやったら、電話とか直接話したらいいんじゃないかなと思う。
俺もなんか結構割と直接話すっていうのが最初にできないタイプやから、
最初にLINEで自分の思いっていうのをちゃんと組み立てて伝えてから、
直接、げんなんですけど、みたいなふうに言うことはあるから、
そこはやりやすいほうでやったらいいかなとは思うけどね。
なんかコミュニケーションかなって思ったね。
だからそれは本当に今までは仕事目線で言ってたけどさ、私ら。
好きな人とかでもそうっておっしゃってたから、
そうね。
それこそさ、そうで結局続かなかったりって言ってるけど、
結局だってパートナーとの間にさ、コミュニケーションがなかったら結局信頼っていう面も生まれないからさ。
まあね、話聞いてもらいたいとなると大事な話とかもなんかできないのかなって思ったり。
だからやっぱりそこは恋愛でもコミュニケーション基盤にはなってくるから、
だってもう好きにしていいよって言われたら、
じゃあ好きにするんやったらあなたと一緒にやりたいのにこう言って好きにしていいよとか、