-
-
スピーカー 1
おだしょー うちあわせCast第百六十一回ということで、
今回もゲストにたくさんお迎え しております。よろしくお願いします。
スピーカー 2
おだしょー よろしくお願いします。
スピーカー 1
おだしょー いくつかニュースがあったん ですけども、一つ目ですが、前回の
プロジェクト、生活におけるプロジェクト の話で多分出てきたと思うんですけど、
リマインドを複数かけられるタスク ツールがあんまりないみたいな
ツールがありました。ツイート かな、ツイートでノートのメルマガ
に対してのコメントをいただき まして、Evernoteのタスク機能でそれ
ができるよと。概要欄に僕のスクラップ ボックスで個選数のリンク貼っと
いて、Evernoteとタスクとリマインダー というページ貼っとくんで、そこ
を見ていただいたら分かるんです けども、タスクがあってタスクの
締め切りっていうのは当然設定 できるわけですね。締め切りとは
別に何とか前、30分前とか1時間 前にリマインダーを設定っていう
のが複数項目、確かに設定できる のですけど、もちろんこれはツール
が自動的にやってくれるわけじゃ なくて、自分が任意にいちいちリマインダー
を追加していかなければならない のですが、求めていたものにかなり
近しいことができると。挙句の 果て、挙句じゃないけど、その上
Evernoteは最近よく言って文芸的 タスク管理と言われる文章を書いて
その下にタスクを書いて、また文章 を書いてっていうふうなコンテキスト
を書きながらかつタスクリストを 作ると。そのタスクだけは別に
抽出して見ることができるという 意味で、これ結構理想的ではない
かという話がありまして、確かに 僕もこのリマインダーが普通に
出てきることを知らなかったので、 最近Evernoteの深掘りをしてない
せいなんですけど。
スピーカー 2
おだしょー そんなモテンが。
スピーカー 1
おだしょー なので、確かにEvernoteを使うかどうか
は別にして、このタスクのあり方 は非常に柔軟で、非データベース
的やけど、データベース的にタスク だけ抽出できるっていうのはなかなか
いいかなというところですね。
スピーカー 2
おだしょー そうですね。Evernote 特に普段使ってる
人は特にいいかもしれないですね。
スピーカー 1
おだしょー そうですね。これはプロジェクト
ノートとか作って、そこに状況とか 書いていって、タスクとかをして
必要ならば念入りにリマインダー をセットすることができるということで。
スピーカー 2
おだしょー これはタスクじゃないものにも
リマインダーを設定できるっていうこと になりますね。
スピーカー 1
おだしょー 一応だから、項目としてはタスク
になりますよ、もちろん。だから、 Evernoteでタスクという扱いになります
けど、自分の中ではタスクじゃない ものをタスク化してリマインド
することも一応可能ということですね。
スピーカー 2
おだしょー できますよね。そういうのはもしか
すると、僕が前回出したオムニフォーカス よりも、もしかしたら使いようによって
柔軟に使えるかもしれないですね。
スピーカー 1
おだしょー そうですね。階層的な管理
っていうのができないですけど、 Evernoteなので。でも、単純に一直線
に並べてっていうような使い方で かまわないのであれば、全然これ
でもいけるでしょうし、こういう 細かい情報が最近やっぱりブログ
界隈、SNS界隈で流れてこなくなって きてるなあというのを逆に感じ
ましたね。
スピーカー 2
おだしょー 知らなかったですね。全然知らなかった
ですね。
スピーカー 1
おだしょー そういうところと、あと 全然見てないんですけど、オムニ
これ何て読むやんなあ。
おだしょー オムニボアですかね。
おだしょー オムニボアかなあ。ボアがどういう
意味かわからないですけど、いわゆる アトデイオンサービスかな、Web
クリップ系のアトデイオンサービス だったと思うんですが、それが
Event Labsというところに買収されて、 このサービスそのものは消えちゃう
ということらしいです。
おだしょー 消えちゃうんですね。
おだしょー 消えちゃうんですね。この辺のサービス
は最近生き残りがどんどん厳しく なっていくと思うんで、多分1個か
2個に集約されて、フィードリもどれ ぐらい続くか分かりませんが、い
ろいろ厳しい状況でござうだろう とは思いますね。あともう1個、オープン
キャンバススラッシュ、これLCか っていう、Chat GPTにキャンバスっていう
機能があって、それのオープンOSS 版のやつです。これも開いて使って
みてもらうしかないんですけど、 今多分ログインしなあかんのかな。
従来型の生成AIとチャットしていく のはしていくんですけども、チャット
欄と別にドキュメント欄っていう のがでかく表示されまして、この
オープンキャンバスに何か言うと、 そこのドキュメント部分にドキュメント
を生成してくれると。あとはここが 気に食わんから、こう作り変えて
くれっていうのを、例えば文章 レベルで、メールマガネでも多分
書いたと思うんですけど、デスマス をDRに変えてくれとか、もっと
企業のウェブサイト風にしてくれ と言ったら、もっと硬くなります
し、友達に送るメールよって言ったら 文体を変えてくれるっていう、一つ
のドキュメントを見ながら一緒に 生成AIと何かを生成していくって
いうことが体験できる。もしくは ログインしたら普通に使える。現状
まだただ普通に使えると思うんで、 その感覚を味わえると思います。
これ非常に作業してる感があります ね。普段のSSDIのチャットしてる
よりも。成果美術が目に見えながら できるっていうのはいいと思うん
で、チャットGPっていうのを、この キャンバス機能は多分有料ユーザー
向けやったような気がするんで、 こっちで試してみて、そのすごさ
を味わっていただくのがいいかな というところです。かなりデカめ
のニュースなんですけど、なんか ノーションが、あれは何か発表会
があったんかな。何か多分あった と思うんですけど、マシンサービス
がいろいろ発表されまして、いろいろ の一番最後が取っとくんですけど、
まずフォームが使えるようになり まして、これ今Googleのスプレッド
シードっていうシートの、いわゆる Excelの表現さんっぽいやつと、あと
Googleのフォームっていうのが組み 合わさって、言ったらアンケート
フォームみたいなのを設置しと いて、その入力結果をGoogleスプレッド
シードに自動的に追加してくれる っていうような超便利機能があるん
ですけど、それと全く同じことが ノーション上でもできると。ノーション
はバックグラウンドがデータベース なので、フォームが設置できたら
めっちゃハッピーという。これ多分 待ってた人めっちゃ多いと思います
ね。これは。これ多分すごく便利 になると思う。あともう一個、レイアウト
っていう機能がありまして、現状の ノーションだと縦型に長いページ
があって、上のほうにプロパティ が並んでると。プロパティが行算
あると、ページ先を開いたときに プロパティだけが入って、ノート
の本文がだいぶ下のほうになって しまうみたいなことになるわけ
ですが、レイアウトを変えることで プロパティを右サイドに移せる
ようになったということで、これ キャパシティーズがもともと標準
でできた機能なんですけども、ノーション どうもそれができるようになった
ということで、これ結構良い変更 やと思います。あとオートメーション
っていう自動設定、この項目にチェック が入ったらここにこれを追加せよ
みたいな機能がもともとあるんですけど、 それがより複雑な設定ができる
ようになったりとか、メールを送る みたいなこともできるようになった
らしく利便性が広がったと。現状 はまだ発表されただけで実装は
まだなんですけど、オフラインモード っていうのがいよいよ目指されて
いるらしいという。ブラウザー 上でオフラインモードをするのは
相当難しいと思うんですけど、マック のOSアプリやったら別にできなくは
ないと思うんですけど、それもとりあえず 将来的に目指されているという
ところが主要な発表になって、ワンモア シングでできたのがノーション
上のメールということで。これはすごい と思います。今のところGoogleアカウント
と連携してGoogleのメールを使う とは思うんですが、ノーション上
でメールを見たりとか編集したり とか、たぶん送信もできるようになる
ということで、いよいよ統合プラットフォーム の何恥ないものに仕上がりつつ
スピーカー 1
あると思いますね、これは。情報 がメールで入ってくる、入って
きたものを自分のドキュメント として保存したりとか、データベース
の一項目にする。だからここで ワークが完了するみたいな、いう
ようなイメージ。これはEvernoteが 成し得なかったことなので。
スピーカー 2
おだしょー やりたかったんでしょうけどね。
スピーカー 1
三沢 やりたかったと思います。メール
が入ってきたものをEvernoteのノート するって機能はかなり当初から
あったんですけども、こちらから メールを出すっていうことができ
ずにいたと。現状Evernoteもカレンダー とGoogleのカレンダーと連携する
みたいな、そういうところあるんですけど まだメール機能にはいたって
いないと。やっぱり自分のドキュメント を扱う上でメールが送れるのは
デジタル仕事術においては多分 普通にあると思うんで、というか
普通に作業場でメールやったりする とは思うんで、ただその作業場が
うるさくなるという問題はある とは思うんですが、単純にそこの
シームレスにつながってたほう がハッピーというのは多分ある
と思うんで。これがきれいに実装 されて広まったら、多分頭一つ
抜けた存在になるんじゃないかな と個人的には思います。
スピーカー 2
おだしょー そうかもしれないですね。
スピーカー 1
三沢 いやまだすごいなということで、 いろいろEvernoteの歩んできた歴史
を踏まえた上で新しいことをしよう としていると。僕最近ちょっと
Notion使ってるんですけど、思って たよりは柔らかく使えるなという
のがちょっと分かってきまして、 さすがにワークフローリーほど
柔軟ではないんですよ。あるデータベース に入ってる1項目っていうのは結局
それページなので、ページがデータベース 項目として表示されてるだけなんで、
あるデータベースに入れたものを 別のデータベースに移動させる
ことは一応ドラッグ&ドロップだけ でできるんですね。なのでとりあえず
どっか入れといて移動させるみたい なぐらいの柔軟性はあるなということ
が分かってきたんで。なのでそこ までカチカチではないというところ
はありますが、でもワークフローリー の入り身出しと本文が自由に入れ
変わる組があるっていうこととか はないので、やっぱりどういう
ものを扱いたいのかっていうところ でやっぱり優位性というか適材適所
感が変わってくるというのは改めて 使ってみても感じましたね。
スピーカー 2
おだしょー そうですね。
おだしょー そうですね。
スピーカー 1
おだしょー こういうところかな。あと 1個関連する話として出して今別の
回かな。さっきのRSSPドリーの話 とかもしましたけど、RSSの使い方
が別にできるんじゃないかなって 話はまた別の回にしましょうか。
はいすいません。思いついてない これちょっと大きい話になりそう
なのでまた別の回にするとして 本題に入る前に、本題に関係する
話なんですけど、ちょっと前にノーベル 文学賞が発表されまして、知らない
方だったんですけど、また村上は き取れへんかったみたいな。言わ
れてるわけですけども、発表される 直前に私を話さないっていう小説
を読んだんですね。和尚石黒の。 賞を取っている方で、日本人ではない
しろ日本の村上春樹とよく対象化 される、比較される存在だと思うん
スピーカー 1
ですけど、やっぱり和尚石黒の作品 を読んでみたときに、この人は
賞を取る小説家やなっていうのは ちょっとはっきり感じたんですね。
やっぱり見ているものが広いという かな。人が生きるとはどういうこと
かっていうのを、その人っていう のはむしろ人類ぐらいに広げて
考えられる射程を持って捉えている 作品で、世界的に評価される。だから
半分彼の作品はSFっぽいんですね。 その辺が文学っていうものは人が
生きるとはどういうことかを表現 するものだと思うんですけど、かなり
広い視点で扱っている点で世界的な 作家やなと思いつつ、そう考えた
ときに、じゃあ村上春樹って何なんだろう なと振り返ったときに、特に自分が
春樹作品に影響を受けてきた影響 を考えたときに、当然その人が生きる
とはどういうことかっていうのを扱 っているっていう点ではやっぱり
文学なんですけど、やっぱり僕という 個人が生きるとはどういうことか
という話だと思うんですよ、あれは。 彼の作品群は。つまり個人的に生きる
ということだと思うんですね。 僕が思う個人的な性、生き方っていう
ものの多くを僕は春樹作品から 学んできたなっていうのを、その
数々の作品を読んだことで逆に わかってきたというのがありまして。
だから彼の作品、もちろん村上春樹 は世界で読まれてますけど、やっぱり
日本とか特にアジアの大陸圏の とこでよく好まれているという話
それは結局、僕特に日本人は個人 というものを持たないまま、輸入
された個人という文化を持たない ものに西洋化の段階に入ったと。
だから個人で生きるっていうことが よくわからないと。モデルとかメンタル
モデルがないという中で、僕は どうやって個人として生きるのか
っていうことを多分示した一つの 形で、そこに上手くこの社会で
生きれない人たちが何とか足掻いて 個人的であろうとしている人たち
に支えになる文学であったと。そういう 意味ではだから広いわけじゃなくて
深い個人に深く潜り込んでいく ような射程。だから射程の取り方が
広さと深さでやっぱり違うし、どちら が章を取りやすいかというと広さ
のほうなんじゃないかなと。イノベーション に関する政治的な駆け引きっていう
のを一旦全部無視したとして、調節 の作品として見たときにそういう
違いがあるんじゃないかなとは 思うんですけど、どうですかね
スピーカー 2
そういう感じ方は。
そうだと思いますし、この話をする と長くなるんでちょっと機会を
改めたほうがいいかもしれない ですけど、特に個人、私というか
そもそも一人称が私ではなく僕だった っていうところも非常に特徴的
だと思うんですけど、特にダンス ダンスダンスまでは特にそうだった
スピーカー 1
んですよね。
スピーカー 2
うん、そうですね。確かに。
それ以降、ねじ巻きドリークロニクル を境にその個人をどんどん深く
スピーカー 2
掘っていくっていうことは残し つつも、その深く掘っていった先
に個人よりもずっと広いものを。 以前からその傾向は羊を巡る冒険
とかにもあったんですけど、それを すごく意識的に日本なら日本の
歴史の部分にまでつなげていく ような、それを個人性と国家の歴史
をある意味では同列に扱うような ふうになっていくっていう、どんどん
スケールが大きくなっていった 面はあるんですけど、ただその今
倉下さん言われたような、まあはっきり 言って僕なんか典型的に世代的に
もろにそうですけど、やっぱりその 個人としての生き方のロールモデル
を与えてくれたという面がポジティブ に捉えればあるし、そこで言っている
個人というのが極めて男性的なものであった ということを今から振り返ると見えて
くるねっていう、そういうフェミニズム 方面からの批判を今多く受けている
っていう面もあって、その影響を もろに受けてそのまま実践しよう
といろいろ問題があるっていうところが あるんですけど、まあでもやっぱり
僕もそうですよね、個人として自分が どうやってその社会、個人でない
ものと対峙するかっていう、その あり方のモデルにやっぱり良くも
悪くもなってきて、自分にとって 村上兄貴はなってきたと思うし、
それが良かった面、悪かった面って あるとも今思うし、だからそれは
なかなか一言では言えないんです けれども、まあでもやっぱり日本人
ある世代以降の日本人の、はっきり 大きく言えば振る舞い方を変え
ちゃったようなところもあるかも しれない。ただその振る舞い方を
変えちゃったのが主に男性だったん じゃないかというところ、女性の
ファンももちろん多いんですけれども、 何というかそうですね、まあこの辺
はちょっと離れるので、もうちょっと 時間をとってゆっくり話したほう
がいい内容かもしれませんけど。
スピーカー 1
そうですね。とりあえず文学作品 が表現である以上、限界っていう
のは当然あって、例えば男女ともに 生き方を変えるロールモデルの
提示っていうのはそもそも限界が あるわけで、彼自身の生き方とコミット
している以上、それが男性向けに 受け取られてしまうというのは仕方
がない面だし、そこを否定しだしたら 何かロボットみたいなのが登場
にならざるを得なくなってくる わけで、文学としてそういう限界
を持っているのは仕方がないという 点と、あと良い面と悪い面があった
というのは間違いなくそうなんですけど、 例えば村上春樹作品に触れた、自分が
そういう作品が必要としていた 時に、じゃあもっと別玉にもっと
フラットに良いものだけを摂取 できたかって、多分それは無理な
話で。
スピーカー 2
無理ですね。
スピーカー 1
それはだからもうそうせざるを得 なかった。その足掻きの中で掴めた
ものがそれで、そこにZについてきた ものがあったんでしょう。そこに
Zについての足掻きを無くす形で 掴める中のように想定すると文学
そのものが壊れてしまうような 気もするので。だから僕らが受け取った
ものをどう活かしていくのかという のは別の捉え方として、個人に日本
社会に馴染めない感じを持つ人 たちに対して、その上で生きる
というのはどういうことなのか っていうことの、それもだからロール
モデルかそれよりもっと抽象的な 感じ。どうせよって別に言ってる
わけではないわけですから。人と 接する時にどんな心持ちである
かとか、大きな力を持つ集団とか 組織と向き合うときに、どんな
風な心的な方向性ベクトルを持つ のかっていうことを受け取って
きたみたいな感じで。僕にとって それが標準だったので、そうやって
生きることが標準だったので、それが 個人的な性っていうことを多分
30年くらい意識してきなかったん で、改めて自分が感じる個人として
生きるっていうのは多分村上春樹 が提示しているようなもので、それ
は多分他の人が言う個人的に生きる というのと多分ちょっと違う可能性
スピーカー 2
もあるなっていうのはちょっと 思いましたね。
スピーカー 1
それはなんとなくわかる気がします。 だからある種のわがままさっていう
スピーカー 1
のは絶対あるわけですけど、でも 社会主義を投げ捨ててるわけでも
スピーカー 2
なくて。表現するのは難しいですけど。 そうですね。でもやっぱり村上
春樹は今いろいろ言われて、一時期 よりもやっぱりちょっとネガティブ
な評価が高まってきている雰囲気 はありますけれども、当たり前ですけど
そんなに単純に測れる作家ではない ので。
そうだそうだ。
まあ好き嫌いはあるにしても、やっぱり 存在としては巨大ですよね。やっぱり
非常に大きな存在だと思うし。やっぱり 文学って同時代性と切り離すことは
できないので、やっぱり80年代で 書いた作品を今の基準で当てはめ
てどうっていうのも違う話だと。 批判はもちろん当然あっていいんです
けど。やっぱり例えば僕の世代、僕 暮らした際に10歳ぐらい多分上だ
と思うんですけど、僕の世代から 見て例えば石原慎太郎というもの
を読んだときに、まあはっきり言って それほど深く共感できる感じは
しないわけですけど、やっぱりそれは その時代の中で読まないとわからない
ことで。三島行きを絶ってそうだ し。だからやっぱりはっきり言って
素直に例えば80年代の自分が素直に 読んだ石原慎太郎なんじゃこりゃ
っていう感じはするわけですけど、 そんな単純なものじゃないわけ
スピーカー 1
ですよね。後年の石原慎太郎に対する 気持ちというのもいろいろ決して
スピーカー 2
ポジティブにないものがあるわけ 僕は思いますけど。でもやっぱり
時代の中でどういう存在だったか っていうところも重要なことなので、
村上春樹に関してもそうだし、それを 越えてやっぱり時代のあり方自体
を村上春樹が駆動して書いてい っちゃったところも明らかにある
スピーカー 1
ので。
スピーカー 2
でしょうね。
やっぱり僕が80年代、ノルウェード 森以前の村上春樹を読んでいた
ときに抱いていた感覚っていう のはもうやっぱり90年代以降もしくは
1984とか、あの時代以降に読んだ 人にはやっとは到底もう交わらない
ものだと思うんですよね。
スピーカー 1
うん。それはそう思いますね。誰か がファイナルウェンドさんかな
って言ってたけど、やっぱりそこ ノルウェードまでの村上春樹っていう
のは結構ニッチなファンに授与 されている作家で、国民的作家
みたいなイメージはノルウェード 以降で出てきたという話。やっぱり
そのビフォーアフターというかな。 前後で文学体験っていうのは変わ
ってくるでしょうね。
スピーカー 2
違うと思いますね。
スピーカー 1
うん。もともとやっぱりその、やっぱり この社会に馴染めない人向けの
というとちょっと強いですけど、 に授与されやすい作品を書いて
おられて、だからこうやって広く 読まれていること自体に何か異常
があるんかもしれないですけど、 異常次第があるかもしれないですけど。
スピーカー 2
まあそうだ、やっぱり誰か書いて ましたけど、すごく単純な言い方
をすると、読まなくていい人が読ん じゃったことによるっていうのも
ただね、ある時期以降の村上彩香は 広く広がった授与を当然意識して
書くようになっているので、それは それで違うんですけど、本当に
こういう社会に対してこう対峙しても いいんだという感覚があったんですよね。
しかもその文体、今でも村上春樹の文体 模写でやれやれとか書く人って
いつの読み読んでるんだと思うん ですけど、そのやれやれに代表
される、あともうちょっと、要するに カート・ボネガットもしくはリチャード
ブローティガン風の英語を日本語 に訳したみたいな文体をわざと
作ることによって、日本のいわゆる 文学的な語りから意図的に自分の
文章を切り離すような作業を多分 意図的にやってたんですよね。
その切り離された和法というか、 言葉の使い方自体がもうその時に
まさに僕らはちょうど思春期から 20歳ぐらいにかけてる時期に、社会
に対して言葉を使って対立しなきゃ いけなかった時期に強烈な影響
があったんですよね。こういう ふうに言葉を使っていいんだ
っていう、これすごく説明するの 難しいですけど、自分の頭の中にある
嫌な言葉のあり方というのがあって、 でも大人になったらそういう言葉
を使わなきゃいけないというプレッシャー がある中で、実際に口にするかどうか
は別ですね。こういう言葉で思考 して、こういう言葉で考えて、その
言葉をベースにした思考で社会と 対峙していいんだと感じさせて
くれたのはかなり強烈な体験で。 それはでもやっぱりノルウェード
森以降はもう失われる。ダンス ダンスダンスはほとんどネタの
ようにそれを自分でエルフパロディー みたいにやってる感じがあるんで。
だから世界の終わりとかドボイルド ワンダーランドまでいくかもしれない
ですけどね、その感じは。
スピーカー 1
そうですね。やっぱり僕が一番インパクト でと言うと、その両作品ぐらい
スピーカー 1
って詰められなくなるわけですね。 別にそんなに深刻な話をしてる
わけではありません。企業活動ではない ぐらいのそのぐらいの否定的な
意味での社会ではないっていう リファンスの意味でしかないということ
は分かるんですけど、個人の知識管理 とか、個人の知識管理って言った
ときその知識そのものが外部と接続 してないと意味がないわけで、個人
の知識管理ってどういうことかって 思ってしまうわけですし、例えば
個人の情報管理って言ったときに 家族の情報はどこに行くのっていう
ふうにも思いますし、個人に入れて いいのか、それは家族の情報管理
って別にやるのかみたいな突っ込み ところがいっぱいあって、個人的
とか個人っていうのってやっぱり 日本でそんなに明瞭な概念ではない
よなという、インディビジュアル っていうニュアンスのものが多分
あんまり個人っていう言葉には特に ないですし、きっと。主体的っていう
言葉があんまり通じないものも多分 一緒だと思うんですけど、この辺
が違うなっていうことを、和尾 石黒のスペースを読んで考えた
ということがあったという話です。
スピーカー 2
おだしょー ここから繋がってくるわけです
スピーカー 1
ね。
おだしょー ちょっと長くなりましたが、 本編なんですけど。
スピーカー 2
おだしょー まだ本編じゃなかった。
スピーカー 1
おだしょー じゃなかったというね。人種 黙行する場所についてのタイトル
を掲げて、人種黙行は漢字変換でき へん方はタイピングして漢字変換
してもらったらいいんですけど、 静かに沈んで考える場所みたいな
考える行為ということで。甘えどり というポッドキャストさんがござい
まして、僕よく聞いているんですけど、 そこのエピソードで旅行に行って
行かれたと。神社巡りをするために ちょっと遠出して、何日かかけて
一週間ぐらい、とりあえず長い期間 かけて歩いて。旅行の全行程が歩
いてじゃないですけど、神社巡り とか歩いてやると。そこで考えた
のが人種黙行。日頃の日常的なざわめき から逃れて考えることをしたい
な、できたらいいなという思いで 行かれたのにも関わらず、例えば
ホテルに行ったらテレビがあって YouTubeが見れるらしいんですよね。でも
そのYouTubeは別に自分のアカウント にログインしたら、昨日自分が見て
たやつを見れちゃうわけですよね。 その市内にしても、例えばアーベンマ
TVとか、デジタル環境が整って いるんで、昨日の家と同じもの
が見れてしまうと。そういうことに 気づいてしまうと、なかなかそこから
脱出することが難しいと。唯一 旅行中でじっくりと静かに考え
たことができたのは、歩いてるとき だけだったという話があって、
そうだろうなとは思って。片腕の 方は、結局旅行という遠い場所に
行かなくても、そういう、例えば 散歩するとか、あるいはどっか
行って機器がないところ、電子機器 がないところに行くことで、似た
ような環境が作れるのではないか と考えてるみたいな話をされて
まして、現在で一番難しいことだろう なとは思うんですけど。だって、
どこに行くにしても、とりあえず 携帯電話イコールスマートフォン
というのを持っていく以上、通知 っていうものから逃れられる
わけもなく、通知じゃなくて、もう 癖で開くと。本当に、例えば階段
登ってるときはさすがにないですけど、 エレベーターとかエスカレーター
に一歩足を踏み出す瞬間に、ポケット からiPhoneを出して、XかくTwitter
を開くということか、もうそういう 特別なニューロンネットワーク
が出来上がってしまうので、止める ために意識を発動させなければ
ならないというような。でも、スマートフォン がそれである以上、本当に静か
っていうと、音がないというよりは 認知的なノイズが少ない。あるいは
アテンションを奪っていこうとする 輩がいない場所で、落ち着いて考え
ることをする。歩いて考えるのも もちろんいいんですけど、できれば
書いて考えるということをしたい と。でも書いて考えるためには
電子端末をもっと楽に書くためには 電子端末が必要だと。電子端末
には自分で用意したか、してない かに関わらず、アフォーダンス
を奪うものがやってくると。どうしたら いいのかという問題が、現代的な
知的生活というか、知的生活やな、 知的生活に課題としてあって、この
スピーカー 1
課題はたぶん20年前はあんまり 考えに良かった課題ではないだろう
かとは思うんですけども。たくさん 的に、あえてそういうことをする
ための場所とかツールとか考え方 とか時間の使い方みたいなのって
思っておられます?
スピーカー 2
やっぱ散歩ですよね。散歩という か、歩くことですよね。昔は喫茶店
とかカフェって言えたんですけど やっぱりスマホ以降そうじゃなく
なっちゃったんですよね。スマホ 以降もあるし、結局それむしろ
仕事をする場所になっちゃった ので。だから散歩以外、あと電車
の中で座れなかったときっていう のが意外に、混んだ電車で座れない
ときっていうのが意外に考え事 がはかどるなと感じたことは最近
ありますけど。スマホ出せない ぐらい混んでる。
スピーカー 1
結局でもそれか書くことができない かしにいくんですよね。僕はそこが
一番引っかかってて、やっぱりオ シャイダーに例えば大学生とか
せいぜいちょっと23歳のコンビニ 店長とかやってたぐらいのとき
って喫茶店とかファストフード 行ったときに、その時代は手帳
使ったんで、手帳を開いて取り 止めなく考えたことを書くって
ことを結構な頻度でしてたんです けど、最近30歳からこっちにかけて
激減しているなという感じがあって 基本的にそれはよろしくないな
とは思うんですけど、走り書きメモ とかはするんですね。一義を思いついた
こととかっていうことはもちろん するんですけど、特定の仕事とか
プロジェクトを進めるために何か 考え事ってこともするんですけど、
役体もない、脈絡もない思いついた こととか、考えたことについて
考えるっていうことのする時間がない。 時間がないってことは場所がない
ということとイコールなんですけど、 暇な時間が全くないわけじゃなくて
忙しくて慌ただしくて時間がない という時間がないじゃなくて、そういう
気分にならないということかな、 モードにならないということがあって
それでも日常生活は遅れているわけ なんですけど、考えたときに自分の
内面と向き合う時間が減っていく のはたぶん例えばメンタルケア
的にもあんまり良くないなという 気もあって、これどう取り戻して
スピーカー 2
いくのかっていうところはちょっと 考えたいところですよね。
文章って書き始めると出てくる というかそのシチュエーション
入るところがあるんで、なんかその トリガーするためにはわりに日記
を書くということで結構有効じゃない かと思うんですよね。僕いわゆる
日記は書かないですけど、その代わり によく話しますけど、僕はわりに
タスクリストに相当するものを 文章で書くので、その文章にトリガー
されたちょっと思いついて、なんか 別に今日のやることとは関係ないん
だけど、思ったことをそのままザラ ザラ書いちゃうみたいなことは
結構あるんですよね。だからそれが 陳詞黙行と言えるかどうかわかんない
ですけど、わりにそういう考えごと をする、落ち着いて考えごとをする
時間の代わりになっている面は あるかもしれないですね。
スピーカー 1
おだしょー タスクリスト的なものを 文章で書くというのは基本的に
アウトライナー的な場所
スピーカー 2
アウトライナーですね。今 だったらワークフローインの中
スピーカー 1
ですね。
おだしょー 書いたら日付のとこに ただしまっておくだけ。
スピーカー 2
しまっておいて、僕の場合 三角マークをつけておいて、三角
マークついたものは翌日にアウトライン の中で入れ場所があればそこに移動
するし、入れ場所がなければそのまま 日付の下に置いておくっていう
感じですね。
スピーカー 1
おだしょー 三角マークを思いついた ことって大抵行き場所はないと思
うんですけど、大抵そこに眠っている 感じが多いですかね。それとも
イメージをするように日記みたいな 項目に移動させるっていうことは
ないですよねきっと。
スピーカー 2
それはないですね。でも半分 以上はどこかに移動しますね。
スピーカー 1
おだしょー そうなんや。なるほど。
スピーカー 2
移動しますね。でも逆に 言えば半分ぐらいはそのまま日付
の下に置いていて。ただ何かのキーワード で何か数ヶ月後に検索したときに
ポコッと引っかかって、これはあれ に関係あるなとかいう形で日の
目を見たりすることもある。それを 目的にしているわけじゃないんですけど
思ったことを書いておいておく 場所があるということ自体が結構
重要な気がしますね。
スピーカー 1
おだしょー そうですね。それは間違い なくそうですね。やっぱりカチカチ
の例えばタスク管理ツールでリスト で書く場合、タスクしか書けない
から当然書く場所がないっていう のはあるんですけど、情報を保存
するときにカテゴリーにガチガチ 縛ってしまうと、どこにもいかない
カテゴリーを書く場所がないし、 書く場所がない以上書くっていう
動線が生まれないというのがあって。 やっぱりデイリーベースでノート
に記述していくっていう場合、おっしゃ れたようにそういうのがポコッ
と出やすいというメリットはあって。 だから僕はちょっとした空き時間
に喫茶店で書くことはしなくなった 代わりにおっしゃられたように
ロギング仕事術的に仕事をしながら 書いているので、そこがトレード
オフというか代替になっている のかなと聞きながら思いました
スピーカー 2
ね。
でもたぶん同じ、脳に与えている 作用は同じだと思うんですよね
そのロギング仕事術と。
でもまあそうですね、僕は割に 事前に、ログじゃなくて事前に
書いてるタイミングが多いかもしれない ですけど、仕事なり生活をしながら
その事前で思ったことを書いてる 場合も結構あるので、これを思った
ことを隠そうとか、メモを隠そう とか、日々思ったことを綴る場所
みたいなものを作っちゃうと、たぶん 書かなくなる。
スピーカー 1
そう、そこが問題でね。これはね だからある人の人生目標っていう
うーん、まあやっぱりなんていうか こう、こう、惰性でない状況。
スピーカー 1
うんうん、はいはいはい。
スピーカー 2
旅に出て何か思うっていうのは やっぱり普段見ないものを目にする
からですよね。
うんうん、確かに確かに。
だから生活の中でその惰性でない 状況を作れるかどうかっていうの
と、まああとはその、あのー、通勤 時間。通勤時間ってのはもうはっきり
惰性そのものなんですけど、そこで スマホでガンガンこう通知が来る
ということをさえ排除すれば、それは なんか逆にぼーっとしている
ときに浮かぶことっていうのも あるんで、電車から景色を眺めている
とか、あのー、そうですね、あとやっぱり 僕かなり、あの前職でかなり早朝
に電車に乗ることが多かったんですけど、 あのー、早朝なんかこう、そのね
飲み会帰りの人とかね、乗ってん ですよね、そのあまりでも早朝
だと。飲み会帰りとかね、明らかに これは不倫した帰りのカップル
だなーみたいな人が乗って、そういう 人の会話がこう聞こえたりする
スピーカー 1
んですね。
スピーカー 2
はいはいはい、なるほど。
実にこうしさ的な、いろいろそう、 あのー、あれに富んだ、あのー、刺激
に溢れた会話だったりするんで、まあ 要するにこう、新しい、おっと思わせ
られるような何かが目に入ったり 耳に入ったりするってことですよ
スピーカー 1
ね。
なるほどねー、まあそっか。だから、 ちなみにタクさんが外出される
ときはアナログの筆記用語は持って 出られます?
スピーカー 2
持ってますね、はい。
スピーカー 1
使う頻度は高いですけども、まあ あったらいいな保険的に持って
られます?
スピーカー 2
えーとね、だから、いわゆるキャッチ するタイプのメモはもうスマホ、
ポケットからスマホ出したほうが 早いんで、まず紙は使わないんです
けど、むしろ、なんかこう、ちょっと じっくりめに考えたいと思うことが
もし起きたときにそれを使えるように、 一応カバンに入っているっていうこと
のほうが多いですよね。なんかこう 気分的に、紙に手で書きたいとき
スピーカー 1
ってあるんですよね。
気分の問題も当然ありますし、まあ 機械を触る、まあだから、やっぱり
僕の場合は特にそうですけど、タイピング してるとやっぱり仕事のモード
になってしまうんで、そこのモード を強制的に切り替えるためにも
やっぱりノートが、やっぱりね、 喫茶店とか行って手帳とか開いて
カレンダーとか参照しながら文字 書いてる人見ると、なんかいいよ
なって。明らかにそれはもう自分で やったらめんどくさいのはわかってる
んですけど、でもなんかあの作業に 何か良さを感じるんですよね。で、
やっぱり集中してるからなんやろう な、きっと。その人の目の真剣さ
がやっぱり違うんでしょうね、きっと。 そこの、完全な没頭ではないけど、
なんかその例えばYouTubeを片方に 見ながらなんかしてる人とは雰囲気
スピーカー 2
がやっぱりちょっと違う。
違いますね。それはもう明らかに。 あとやっぱりその字の書き方とか
でもわかりますよね。なんというか こう、なんて言うんだろうね。やっぱり
意識、身体とその考えることが連動 している状態になっているのが
伝わってくることってありますよね。
ありますあります。
そういう時に例えばその紙、例えば ノートに手書きでなんか書いている
その漢字雰囲気とかその字の漢字 っていうのはいいなと思います
よね。
やっぱり。
スピーカー 1
なんでそれいいなと思うのかわからない けど。
スピーカー 2
わからないけどね。なんか惹かれる ものがありますね、あれは。
なんかこう、なんかその身体勢と何か こう関わっているような、なんか
その人の存在がちゃんとそこにクリア になっているような感じがする。
スピーカー 1
ありますね。ありますあります。
スピーカー 2
そういう作業をしている人ってたまに 見かけることあるんですよね。その
喫茶店とかカフェでも。それはもちろん キーボード、PCに向かってキーボード
打っている人でもそれを感じることは あるんですけど。やっぱりこう、
人が横目でYouTubeで動画を見ながら なんかやっている人からはやっぱり
それは感じる。
スピーカー 1
そうやな。アナログツールを使う というのが一つ選択肢ではある
ものの、たぶんそれだけの話では 面白くなくて。アナログって手帳
を開きながらiPhoneで動画を見ていた ら一緒ですからね、基本的には。
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
家にいるときはね、僕最近発明したん ですけど、スマートフォンを目に入る
場所に置かないという作戦で、かなり 気が散らないということを発見
したんでいいんですけど、外に出る と逆に手放してないので。
スピーカー 2
そうですよね。
外のほうがスマートフォンから離れ にくいという。
やっぱり今もうスマートフォンが ある状態がもう普通で、全てが
前提になってるんで、もう一回 それを持たずに出かけてみよう
としたんですけど、逆に不安になっちゃ くてダメなんですよね。
スピーカー 1
そう、わかります。
スピーカー 2
この間に何か緊急なことが持ち上が って思って逆に落ち着かなくなっちゃう
んですよね。良くないなと思います けど。
スピーカー 1
そうですね。だから変な話、集中カフェ みたいなのがあって、入店するときに
スマートフォン預けると。電話がかかって きたらカウンターの人が教えて
くれるから、あなたは気にしなくていいよ みたいなのがあったら、もしかしたら
入るかもしれないね。
スピーカー 2
でもいいかもしれないですよね。変な話。カウンターで預けるのも
そうだし、わかんないですけど、ロッカー みたいなものがあってそこに入れ
ちゃって、テーブルにはタイマーがあって 30分とか1時間とか設定すると
タイマーが教えてくれて、そのときに もし見たければロッカーに行って
確認しに行って、また鍵かけてしまったら テーブルに戻ってくるみたいな
のがあったらいいんじゃないかという 気がしますね。
スピーカー 1
たとえ30分でもそういうものから 解放される時間を持って、何しても
いい、木工してもいいし、ぼーっと してもいいっていう。ぼーっとが
やっぱりだんだん難しくなって きてるんですね。ぼーっとする時間
を。だって意識的な行為ってぼーっと するの真逆なわけですから、意識的に
ぼーっとするって言ってたら難しい ことで、環境を整えるしかないんですけど
全体どこ、だって最近どっかのでかい 百貨店とかでトイレ入ったら、トイレ
の個室に入ったら、そこにディスプレイ があって、報告が流れてたり、今空き
状況はこれになってますとかいう のが出てくるって。そんなとこまで
進捗してるかっていう感じなので、 だからぼーっとするのが本当に難しい
し、ぼけっとするための何か。こういう 言い方なんですけど、生産性を一旦
脇にやれる時間っていうのを持たない と、そうやって考えることができない
ですし、考えることができないことの 弊害っていうことすらももう考えられ
スピーカー 2
なくなるというか。
だってこの環境で育っちゃったら もうそもそもそれを知らないかも
しれないですもんね。
スピーカー 1
そうですね。でも現代の子は知らない。 今、小6か中学生ぐらいの目1個とか
見ますけど、ずっと画面見てますもん。
そうでしょうね。
あとスイッチの画面を見てますね。
スピーカー 2
そうなりますよね。
スピーカー 1
認知的に慌ただしいっていうのと、 集中してるというより集中させられて
いるという感じがまざまざとあるので、 常に反応的に生きているということ
ですし、それは前段階で話した、やっぱり 個人としての性っていうのを犠牲に
しているような気もしますし、個人の 敵の性というのが何によってもたら
されるかはわからないんですけど、 でも、へなし自分の井戸に深く潜って
考えるという行為なしには成立しない ものなので、それだってわがままに
生きるということとは違うわけです から。
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
自分とは何かを問いながら生きる ということだと思うんですけども。
そうだと思います。
だから個人的に、いろんな意味で 個人的に生きるのが難しい。
例えばLINEで繋がって人の反応を 気にしている生って、たぶん個人的
な生とは違うと思うんですけど。
そうでしょうね。
だから、現代で失われていくその 流れに抗うのが文学なのか、そういう
環境の中で何か生きていくことが 現代的な文学なのかちょっとわからない
ですけど、でもやっぱり意識的に 作らない限りそういう環境はたぶん
もう1、2年経ったらほとんどなくな っている気がしますね。
スピーカー 2
そうでしょうね。
スピーカー 1
例えばこうやってポッドキャスター で喋っているのは禁止してない
し、黙考もしてないですけど、でも 何かしらちょっと外界から気に
離された、あるいは日常のコマゴマ としたことを考えずにいる場所で
何か考え事を進めているという 感覚はあって。
スピーカー 2
ありますね。
スピーカー 1
本を読むときは似たような感じが ありますよね。
ある区切られた空間に入っている 感覚はやっぱりあって、うるさくない
ポッドキャスターをしているとき も似たような感覚はあるので、
僕作業しているときって音楽を 流すんですけど、聴いてないです。
音楽そのものは聴いてないと。ノイズ キャンセリング的に音楽を流
せるんですけど、あるインプット をするとかアウトプットをする
こと自体が実はちょっと意識になって ノイズから逃れられるという
効果はあるかもしれないですね。
それはあるんじゃないですかね。
歩いているときに考えられるって 自分が前に進んでるから。
スピーカー 2
いろいろ説あるみたいですけどね。
膝の筋肉が一番体の中で大きい から、血液がなんとかで。
脳がなんとかで。
言いかけなこと言いますけど、
歩くと脳が活性化される。
スピーカー 1
それは分かりますね。
歩くとくるぶしが動くんで、そこが 一番血液を動かすポンプになって
いるんで、という話は非常に。
酸素も上がりますしね。
スピーカー 2
くるぶしなんですか。
スピーカー 1
くるぶしを動かすと、下から上に 上がる。
帰ってくる血液を戻すポンプになって いるんですよ。
この辺にあるんですよ。
歩くというのはそう。
スクワットしてもあまり考えを 進まないと思うんですけど、きっと。
歩く足を上げて下ろすという行為を 繰り返すことで、確かに頭に酸素が
回っていくということは多分ある と思うんですけど。
また風景が変わるっていうのと、 適度な音の入り方をする。
例えば隣にすごい速度の車が走っている ところを歩いていたら、
あんまり落ち着いて考えることは できないと思うので。
スピーカー 2
適度な音っていうのもあるんでしょうね。
昔から哲学者というのは森を散歩 するものなので、やっぱりあるんでしょうね。
現代的には森は静かすぎる。
考え事の内容にもよるし。
スピーカー 1
誰もいない森でもやっぱり音はしますね。
スピーカー 2
風の音をするし、鳥の音をするし。
スピーカー 1
最近森のそばまで引っ越しをしていて。
スピーカー 1
本を3ページ読むとね、ついとしたくなるんですよ。
あれまずいなとずっと思うんですけど、
落ち着かないんですね。
これいいこと書いてあったみたいなのをついついつぶやきたくなってくる。
この自分が恨めしいんですけど。
集中力の質のものが変わってるなとは感じますね。
スピーカー 2
でもそうですよね、今ので思い出しましたけど、
例えば面白い本を読むと、いろいろ自分の頭に浮かぶじゃないですか。
浮かんだときに、例えば何かいいことが頭に浮かんだら、
それを例えば自分手帳なり何なりに書いて、
それで考えりゃいいものを、なぜかツイートしてしまうという。
その瞬間にもうそれ以上深まらなくなりますね。
スピーカー 1
そうなんですよね。そうすると何がいけないんでしょうね。
いけないとまでは言いますけど、深まらないという問題はもちろんあるし。
もともと本当の熟読って結構稀で、
どんな本を読むと、何ページか進んだら、
ちょっと休憩とか別のことを考えると普通にあるんで、
別に注意が途切れるのは別にいいというか日常なんですけど、
ツイートせずにいられないのはちょっと病気かなというか、
なんか落ちてるなとは思いますけど。
スピーカー 2
そうなんですよね。ツイートって結局社会性を求めちゃってるんですね。
スピーカー 1
そういうことですね。
スピーカー 2
やっぱり今、自分の個人性の中に沈もうとしている、
沈んでいるはずの時間に、個人としていいことを思いついた、
俺の思いついたこのいいことを人に見せたいっていうことじゃないですか、
ツイートしたいって。
スピーカー 1
間違いなくそうですね。
スピーカー 2
ダメですよね。
スピーカー 1
ダメですね。ツイートする段階でそこにあったはずの個人性が崩れてる恐らくはね。
スピーカー 2
そういうことですよね。
スピーカー 1
それが多分問題で、もっと育めばよいものを簡単に開いてしまうから、
非常に、だって要するに共感されやすい、浮きやすい、理解されやすい言葉に変換するわけで、
スピーカー 2
それはもうちょっと後でやろうという感じがしますよね。
そう、やっぱり言葉変えれますよね。
それは間違いなく変わりますね。
自分の手帳にメモするだけのときとツイートして人に読ませようとしたときの
スピーカー 1
明らかに違う言葉になるんで、もうその段階で変質してるんですよね。
スピーカー 2
そうするとやっぱりツイッターがいけないのかな。
スピーカー 1
いけないというか、魅力的すぎるという言い方に。
しかもツイッターというか、要するに今ツイッターにいる僕がフォローしてる人たちが面白いということなんですね。
スピーカー 2
それは間違いなくありません。
スピーカー 1
そうじゃなければ、そういう人たちが大半辞めたらツイッターは魅力がなくなるんで。
だから本当に社会的ネットワークの力がすごいし、
それはやっぱり人間が社会的動物だということだと思うんですけども。
スピーカー 2
もっと言ってしまうと、あれですよね。
要するにそういう魅力的だと思っている人が、
例えば自分をフォローしてくれているとすると、
そういう人たちに読んで褒めてもらいたいという気持ちがあるわけですよね。
スピーカー 1
あると思うんですよね。
感心してもらいたいとか、ほーと思ってもらいたいみたいなそういう欲求、
簡単に言うと承認欲求みたいなのがツイートを駆動していることは間違いないと思います。
スピーカー 2
そういうことですよね。
スピーカー 1
そういうことだったらいいんですけどね。
でもやっぱり集中力っていうのは身体的な反応であって、
つまり脳のネットワークに依存しているわけで、
この時はこういう集中モードで、この時はこういう集中モードでって切り替えられるわけじゃなくて、
一度身に染み付いてしまうとそうなってしまうので、
だから多分長文を長時間読むのは相当難しいと思いますね。
今やろうと思っても。
スピーカー 2
難しいと思いますね。
スピーカー 1
そのことが多分思考に与える影響、何か知的生活に与える影響っていうのは、
多分もうはっきりとあって、
今例えば長文の論考を提示したとして、アウトプットしたとして、
読まれるかって言うとそれは怪しいわけで、
現代的な注意力に合わせた形でアウトプットするみたいな。
例えば解用を落とすとか、一段落を短くするみたいな構成は、
現代的な注意に合わせた文章の書き方だとは思うんですけど、
でも自分でしなくてもいいか。
自分でする必要はないよな。
自分は長期、すごい長いスパンで考えられるけど、
アウトプットは短くするってことはできるわけですから、
スピーカー 2
別にしなくても必要はないわな。
その提示の仕方をコントロールするっていうことは大事だし、
昔よりも意識してそれをしなきゃいけないんだろうなとは思いますよね。
ただ表現の形として、
そういう短く切り刻みたくないとか、
自分のがめんどくさいものにしたいみたいな。
言い方悪いですけど。
あえてそうしたいなら、じゃあどうすればいいのかっていうのも
考えなきゃいけないわけですよね。
スピーカー 1
そうですね。どこまでも現代で非常に難しい、
反社会的な活動にすら感じられてしまうような表現なので。
理解を拒んでると言ってたんですけど、
簡単に理解できないものなのだよということを示すという
一つのスタイルとして、そういうやり方はあるとは思うんですけど。
それはコミュニケーションを拒絶するようにすら受け取られかねないわけで。
スピーカー 2
懐かしいですよね。
スピーカー 1
現代の哲学者みたいなあり方っていうのは、
スピーカー 2
多分相当に難しいんだろうなと思いますね。
まあでもだからやっぱり、
例えば哲学書みたいなもの、
哲学書というか思想書みたいなものでも、
極めて見た目平易な、読みやすい文章で書く人々がいるし、
そういうのすごいなと思いますよね。
スピーカー 1
そうですね。あれは共通のことを指してるような感じですね。
とりあえずあれはすごいですね。
波のあれではない。波の技術ではない。
スピーカー 2
波のあれ。僕今念頭にあったのは千葉さんとか小島さんですけど、
他にもたくさんおられると思いますけど。
まあでも一方で、
伝統的な思想書哲学書にありそうな、
極めて一筋縄ではいかない形の文章をあえて書く場合もおそらくあるだろうし。
いろいろありますね。もう何を言ってるのかわかんなくなりましたけど。
スピーカー 1
でも例えばそういう平易な文章と平易じゃない文章の使い分けみたいなのが、
例えば生成AIを使うことで任意に可能になるのかなというのが一つ興味本位の場合ですね。
スピーカー 2
そうですね。
例えばさっき冒頭でも小田下さん言われてた、
例えばその文体の変換。
その状態と形態の変換をやる。
それすごくAIの使い方としてそうだよなと思うんですけど。
もちろんね。今のAIっていうのは昔のありと違って単純に語尾を変換するだけじゃないわけですよね。
スピーカー 1
文章そのものを変えられきますからね。
スピーカー 2
なんだけど、逆にその文章そのものを変える作業の方、
自ら変えることにその文体変換の意味があるとも思うわけじゃないですか。
スピーカー 1
わかりました。これは非常によくわかりました。
スピーカー 2
俺、AIに仕事を奪われるとかよりも、そこを奪われちゃったら嫌だなっていう感じはすごくありますよね。
スピーカー 1
だから別に自分でやればいいんですけど。
先生が当たり前のせいだとして、自分でやるっていうのは、
おけとたらいで洗濯物をするみたいなぐらいの行為に多分おぼれると思いますよ。
そんなめんどくさいことをするんですか?みたいな感じで捉えられると思いますね。
変換っていう、ある種の執筆のプロセスイコール思考のプロセスが奪われるっていうとおかしいですけど、
スピーカー 2
なくなってしまう、損失してしまう、ロストしてしまうっていうことの嫌な感じっていうのはありますね。
でもやっぱり内容は変わるんですよね。
文章が変わるだけじゃなく、内容も変わるんですよね。
その文章に駆動されることによって出てくる内容というのがやっぱり違うんで。
あるいは語り向ける相手が変わっている感じがあるのかな?書き手として。
そうですね。相手が変わる場合もあるだろうし、相手に対する自分の位置というか資座が変わるということもあるだろうし。
例えば偉そうな文体で書くと、自分のモードも偉そうになる。
そうすると、仕立てに出た文体で書いている時と違う内容が出てきますよね。
スピーカー 1
出てきますね。間違いなく出てきます。
スピーカー 2
やっぱり教えてやろうっていう。
例えば20代ぐらいの人が読むことを前提に、今の自分の年齢で教えてやろうモードで書くと。
スピーカー 2
君たちは知らないかもしれないけれども、80年代にはねっていうモードになるわけですよ、頭の中で。
そうするとやっぱりそうじゃない文体のときに書かない内容を書いちゃったりする。
スピーカー 1
わかります。
スピーカー 2
だいたいそういうのを読み返して、嫌だと思って消すんですけど。
それはやっぱり自分の蓄積された経験から出るものなので、それはAIが学習していない内容なので。
そこはAIでは無理。ただAIはAIで、そのAIが学習した中からそれに似たような何か違うものを出してくるかもしれないですけど。
確かに。
要は文章を書くことにおける発想法とは文章を書くことだとするならば、そこを取られちゃうともう文章のアウトプットを直接的に出力する部分をAIに任せるつもりが、
発想する部分まで自分からなくなってしまうような、そういう器具は抱いてますけども、それは器具としては成立しないかもしれないですよね。当たり前すぎて。
スピーカー 1
例えば、非常に無邪気な若い人が、「それを奪われて何が問題なんですか?」って言われたときに、わりとストリッドな答えを返すのが結構難しくて。
スピーカー 2
難しいですよね。
スピーカー 1
だってここでアウトプットできてるじゃないですかって言われたときに、まあそうなんだけどねっていう、なかなかそれ以上のことが言いづらい。
スピーカー 2
何が問題なんですかって言われたら、たぶん問題ではないんだよね。
スピーカー 1
問題というものではない。
スピーカー 2
そうなんですよ。
それは結局、ただその時代、そうなる前と後では、おそらくその人の知的な営みの形というのは変わってしまうだろうし、つまり自分が生きてきた時代とその時代の積み重ねの中で、
自分が愛してきた、もしくは憎んできたかわからないですけど、自分が一人の人間としていろいろな思いを抱いてきたその存在、そのことはもうなくなるという、そのことの悲しみがあるだけで。問題じゃないんですよね。
スピーカー 1
悲しみか。なるほど。確かに。
そうか。だから、ある文章の書き方っていうのは、個人の経験、ヒストリー、歴史の偏りによって、その偏りがベクトルを生むということだと思うんですけども、文章の流れを生むということで。
それをなしに生成できたときに、そこにある純粋なアウトプットで、ヒストリーの重みが全くない、非常にフラットな、もっと言えば効率的な文章ができてしまうことによって、個人的な文章ではなくなる。それは絶対なくなるんですよね。それは間違いなく。
スピーカー 2
そこで個人的とは何かというところに、最初の話に戻ってくると思うんですよね。
だから、ある方より積み重ねきたヒストリー。嫌なことも含め、良いことも含め、自分が背負ってきたものが、どうしようもなく滲んで出てくる、その滲み出てくる書き方そのものが個人的ということであって。
スピーカー 1
生成アイに大半を絶えるアウトプットは、おそらくコードを書く、プログラミングのコードを書く上では多分これ以上ない。だってヒストリーなくてもいいですから、そのコードって。最高効率の個体がそこにありゃいいわけで。
でも、個人が文章を書く、生成するっていうことが、報告書レベルであれば、現在の報告書だってフォーマットに当てはめてるだけだと思うんで別にいいんですけど、個人的な文章、日記、エッセイみたいな、もっと言えば文学も含めたときに、つい偏ってしまうその偏りがあることそのものがやっぱりある種の価値というか、価値を生み出すもの、価値を感じられるものである以上。
そこは便利になっていいよねという話では済まないですし。
だからやっぱり深く考えると、パーソナルな情報管理とかも、おそらくだから、万人が使える共通のカテゴリーとかっておそらく絶対なくて、そうなってしまったものは個人的なものではない。
一人の人間という意味では個人かもしれないけど、その人そのものがそこに漂着していない、漂移していないので、やっぱり自分なりの情報整理っていうのは自分なりの軸を作る必要があるし、自分なりのナレッジマネジメントも自分なりの偏りがある方法とか分類とかカテゴリーとかタグとかっていうのがあって初めて整理という話が論じられてたら僕はうん、そうやなとは思うんですけど。
なんかこのここで全員いけますっていうのは全然個人じゃないよなっていうふうには思うということですね。
スピーカー 2
そうですね。そういうことですよね。
パーソナルって何かっていうときに、例えば職場のシステムを個人が使ってもパーソナルではない。
使ってるのは個人であってもそれはおそらくパーソナルとは言わない。
じゃあそのパーソナルなナレッジマネジメントとか、パーソナルなインフォメーションマネジメントって何かって考えたときに、さっきの村上春樹の話にもちょっと戻るかもしれないですけど、
個人として社会とどう対峙するかという、そのどう対峙するかという部分がおそらくパーソナルなんだろうと思うんですね。
個人の中で閉じているものはおそらくプライベート。
スピーカー 1
それは間違いなくそうです。
スピーカー 2
パーソナルっていうのは個人なんだけども、パーソナルでない公の者、他者、他人もそうだし、同僚もそうだし、社会全体もそうだし、それとどう自分が対立するのか。
それを決めて、その実行を助けてくれるものがパーソナルなインフォメーションマネジメントだったり、パーソナルなナレッジマネジメントだったり、パーソナルなタスクマネジメントだったりっていうことだと思うんですよね。
だからそう考えると、これはもうある意味では偏見かもしれないですけど、例えばタスクリストをAIに生成させるってどうなんだろうというか、それはもはやパーソナルではない。
パーソナルのように見えるけれども、パーソナルであることの目的はもう果たせないんじゃないかという気がしますし、さらに言うと文章についても、個人の名前で文章を書いて、それを世の中に提示するというのは結局パーソナルなことですね。
スピーカー 1
自分という個人がどう社会と対峙するのか、それを文章の形で行っていることなので。
スピーカー 2
そういう感覚があるからこそ、それを生成AIでっていうと何か抵抗がある。
もちろんそれが有効に使える場面はたくさん世の中にあるので、それはどんどんやればいいんですけど。
パーソナルであるということが失われたら、やっぱりまずいんじゃないかなとは思うんですよね。
その社会と対峙する個人としての自分という視点がなくなっちゃうと。
ごめんなさい、話が長くなっちゃった。
スピーカー 1
いや、わかります。
僕はひどく同感するんですけど、この2人が同感しているのは、やっぱり村上の議員に影響を受けている可能性があるんだろうなと。
例えば個人がなくなった方が、社会がスムーズにいくとしたら、その方がいいんじゃないですかっていう意見が普通にありえると思うんですよ。
それは多分全体主義につながるかもしれないよという反論は全然可能ですけども。
でもある部分、効率が良ければ多少そうなってもいいっていう価値観が、たぶん普通に現代ではある気がする。
スピーカー 2
ありますよ。ありますあります。
スピーカー 1
だから僕らとしては、いやそうじゃないって言いたいですけど、それはある種個人主義的な個人を尊重しすぎているだけの可能性もあるということを、ちょっと踏まえておきたいなと思う。
同時に思って。アンビバレントな感じがあるんですけど。
スピーカー 2
ありますよ。
例えば、おちあいよいちさんとかを読んで感じること。
間違いなくすごいんだけど、なんか言いたくなるんだけどうまく言えない感じっていうのがあるんですけど。
おそらくそれもこの問題に関わっていて。
でもやっぱりこれをどんどん突き詰めていくと、じゃあ事故とは何か、自我とは何かみたいな話になっていくわけですよね。
それっていうのはやっぱり非常に普遍的なテーマだったと思うんですけども。
そこが進捗されているわけですよね、今その問題自体が。
それがいいのか悪いのかという段階はもう過ぎていて。
じゃあそういう中でどう生きていくのかということにしかならないわけですけども。
スピーカー 1
おそらくまだそうなんでしょうね。
だから大きな壁なシステムと小さな卵が対峙したときに、卵を守る側に立ちたいというのは、もはやニッチな意見で。
いやむしろシステムイコール壁が重要でしょう。
それこそが社会なんですからと言われたときに、明確な反論を構成しにくい。
スピーカー 2
だって自分は自分が大切だからと言い訳と何ら変わらないものしか構成できない。
例えで言うと、あの話も誤解を生んだような気もしますけど、
ちょっとご本人の意図はわかんないですけど、
壁自体がたくさんの卵でできているんじゃないですかと思うんですね。
なるほどね、確かに。
だから壁は壊れないけれども、壁を作っている卵のいくつかはたぶん割れるんですよねっていうときに、
個別の卵に対する共感というものはどうなるんだと感じるんですけど、
またこれは違う話ですけど。
スピーカー 1
結局そういう個別の共感みたいなものが、
スピーカー 2
すごい極端に言えばコスパが悪いという話なんですね、基本的に言うと。
スピーカー 1
でもそれは結局、公共性の手前にある倫理観というものを、
ないほうがいいやって言ってるのと同じことなんですよ、基本的には。
スピーカー 2
そうですね。
結局それは倫理という形で、
それもまた人がずっと昔から考えてきたものなんだと思うんですけど、
もっとリアルに、壁を構成している卵としての自分が割れてから、
じゃあもう遅いわけですよね。
やっぱり、壁を構成する無数の卵の中で、
割れるいくつかに当たってしまうことを想像しなきゃいけないし、
割れてしまったらもう、倫理とかじゃなくてリアルに痛いし、
スピーカー 1
それも含めての共感というか。
スピーカー 2
そうですね。
まあちょっと単純な例えですけど。
スピーカー 1
やっぱりその片方が、子っていうのを見ずに対数として、
統計として見るシステム的な思考っていうのが強まっているからこそ、
たぶん逆にアイディガみたいな実論主義、
この今ここにある自分っていうのを尊重する哲学が、
今もまだ再び見直されてますけど、
そこは反動としてそれがおそらくあるんでしょう、きっと。
そうですよね。
その一口に文章を書く、いかに効率的に書くみたいな話が一方であるわけですけど、
僕は所詮それはハーンと思いながら見てるわけですけど。
だってそれを突き詰めたら自分で一文字も書かないってことになってしまうわけで、
それは僕が言いたいことと、たぶん真逆なわけですから。
アウトプットしたいという気持ちと、アウトプットのプロセスにある何かを体験したいという両方で構成されてるんで、
片方を剥ぎ取られたら、もうほとんど形外化してしまうので、そこは。
まだやっぱその書くっていう、実論的に書くということをもうちょっと認めていきたいし、
ノウハウっていうのもそれを支えるためにあるべきものであって、
その書くっていうのが難しいと。書くっていうのが難しいから、その書くを助けるってことをしたいと。
だから書かなくていいという方に向かうんじゃなくて、書くことをもう少し滑らかとかスムーズとか、
書きやすくするっていう方向に向かうっていう、そういうノウハウでありたいなとは思うんで、
だから例えばカテゴリとして同じ効率化について考えてたとしても、
やっぱりというか、そもそも向いてる方向が逆の可能性がありますね。
スピーカー 2
そうですね。まさにそうだと思います。だから、今のAIはもうそこまでできちゃうんですよっていう説明をされても無駄なんですよね。
できるのはわかるんだけど、っていうことなんですね。
ただ、最終段階の構成とかね、
もしくは致命的な論理の飛躍がないかだとか、
書いちゃいけないことをどっかに書いちゃってないかみたいなことに関しては非常に、
それこそ書くことを助けてくれる方向に働くでしょうし、
なかなか一言で言うのは難しいし、
最高レベルのAIをこの手で使っているわけではないので、
現在一般人が使えるものの中のそこそこレベルのものしか使っていないわけなので、
AI一般について語ることはできないんですけど、
ただね、進んでいく方向としてはね。
スピーカー 1
間違いなくそれが必須というか当たり前になって、
それこそ一から文章を書くなんていうのは、
よほどの変わり者しかやらへんみたいなことには多分なると思いますし、
ある意味それ自身は良くて、
まあね、もちろん大人だったら変わるってことはあるんですけど、時間と労力が多分若い頃よりははるかに変わるでしょうね、きっと。
スピーカー 1
そうですね。
というわけで、何の話だったかはちょっと。
スピーカー 2
まあでも全部、文章の話も、タスク管理とかの話も、陳詞黙行の話も、やっぱりパーソナルというところで全部つながってますね。
スピーカー 1
個人的に生きるための方法とか技術とか姿勢とか考え方っていうところで、
やっぱりそれを求めてずっと考え続けているなぁ。
やっぱり僕のノウハウ自称にチームワークの作り方みたいなのあんまりないんで、ゼロではないにしろ、あんまりなくて。
スピーカー 2
この個人的に考えるとか、個人的にやっていく何かを成し遂げるっていうことに向ける興味の量が全然多いなとはちょっと思いますけど。
でも、ぐらさんは結構マネジメントに対するあれは強いですよね。
スピーカー 1
でも僕の考えるマネジメントは、個々人が個人の能力を発揮できる環境を整えることなので、強いリーダーシップとは違うので、だから。
っていう意味でのマネジメントってことですね。
その意味でもやっぱり、自分の個人感を大切にするってことは、他人の個人を尊重するということに、多分なるはずなので。
スピーカー 2
そういう感じでの、僕が言うマネジメントは個人主義的な感じがあって、個人主義で形成するチームみたいな広角広大的な感じが結構ありますね。
そういう視点からすると、ドラッガー的な意味でのマネジメントってのはどう?
スピーカー 1
まさにそういうものだと思うんですよ、ドラッガーも。
ドラッガーは一緒に知識労働者を一人一人がプレジデントだと述べてたんで、だからもう考え方としては一緒というか、まさに共感する内容でしたね。
というところで、個人的に文章を書いてますね。
人事もできる場所とか時間とかをこういう工夫で作ってるよみたいなお話があれば、
ハッシュタグ打ち合わせキャスト平川で打ち合わせアルベットキャストまでいただければと思います。
たくさん何かご知らせしたいこととかございますでしょうか。
スピーカー 2
何かあった気がするんですが、忘れました。大丈夫です。
スピーカー 1
明るいお知らせですけど、今年もライフハックの道具箱2024を作る予定なので、11月くらいから作業を開始して12月頃に発売ということなので、
もし何かこれのツールとかノグハツで書きたいという方があれば、ぜひ挙手の準備をしていただければと思います。
あれの話、イベントの話があった。
11月17日に東京近郊、東京のどこかでブック飾りスト第100回イベントというのを行います。
あとでまた概要欄にリンク貼っておきますけど、僕とゴルゴさんが、ブック飾りストで語るために事前にどんな準備をしているのか。
つまり本をどう読んで、どんな下ごしらえをして会に臨んでいるのかというのをお互いに紹介し合う会になる予定なので、
もし東京近郊で11月17日昼間ぐらいにお時間があればチェックしてみてください。
スピーカー 2
まだ間に合うんですか。
スピーカー 1
まだ間に合います。とりあえず11月4日ぐらいから第一締め切りで、具合を見てそれ以降を追加を募集するかどうかみたいなところなので、
今日配信されてあと5日ぐらい、4日ぐらいまでは全然間に合うんで、良ければチェックしてください。
スピーカー 2
できれば私も行きたいと思っております。
スピーカー 1
はい。
スピーカー 2
まだちょっと未定なんですけど、できることなら行きたいです。
スピーカー 1
というところでございます。
はい。じゃあ今回はこれまでにしたいと思います。お疲れ様でした。
スピーカー 2
お疲れ様でした。