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2021-02-02 1:01:28

第五十九回:Tak.さんとトップダウンとボトムアップについて

第五十九回:Tak.さんとトップダウンとボトムアップについて

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はい、打ち合わせキャスト第59回ということで今回もゲストにたくさんお迎えしております。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ライフハックニュースらしいニュースはないんですけども、
ライフハック界隈で有名なベックさんが、新しいポータルサイトを作ろうという目標のための準備段階として、
Discordっていうスラックに似たサービスがあるんですけども、
チャットサービスみたいなもんですね、ごく簡単に言うと。
そこでライフハックな人々を集めて情報交流とかをしようでと、
そこで出てきた情報とかをピックアップしてまとめてそのポータルサイトにアップしていこうというその流れを作ろうとされています。
僕が今のインターネット、今のというかここまでのインターネット10年でかけてたものがまさにそれやったんではないかなと思っておりまして、
情報の生成は自分たちですると、それが誰かに見つけてもらえるようにするための方法を全てGoogle任せにしていたのではないかと。
生理とか生トンっていう昔のYahooっていうサービスはインデックス型やったんですよね。
そうですね。
ジャンルがあって、いわゆるアウトライン的だったんですよね。
まさにそうですよね。
大分類があってそこに会員に位置づけられるサイトがあって、そこのサイトに位置づけられるってことはかなり名誉なことやったんですよ。
名誉なことでしたね。
もちろんそこに位置づけられることでたくさんのアクセスが集まったっていう実利的なメリットもあったんですけど、
やっぱり選んでもらえた嬉しさっていうのがあるんですよね。
それは多分GoogleのSEOをハックして上位に来たっていう喜びとはまた別種の喜びだったと思うんですよ。
でも僕たちはそれを避けてしまったというか、そういうのをテマーやからと言って、
あるいはそこに恣意性とか、人に選ばれることによって選ばれない恨みみたいなのが発生するんで、
機械的なものに全て任せてしまったが、故にハックされてしまう余地とともに、
ある種の名誉性みたいなもの、嬉しさとか、コンテンツを作る人に認めてもらえる喜びみたいなものも同時に捨ててしまったんではないかなと。
それはやっぱりまずいし、しかもそのことによって本当の意味でのインデックス性がGoogleからもう失われてしまってると。
そうですね。
確かにページは見つかるけどもみたいな状況になってるんで、それをやっぱり人の手の力、だから集合地で情報を集めつつ、
それを一人の人間というか、ある種の人が編集して、いわゆるよく言うと位置づけていく。
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この内装けとしてよく出てくる言葉ですけど、位置づけていくっていうことをしていく方が人により使いやすい情報になるんではないかっていう一つの動きとして、僕は嬉しいなと思っているところです。
ある種デジタルにアナログの要素をどう組み込むかっていう話ですよね。
やっぱり位置づけるってアナログなので。
どうしたってアナログですよね。
アナログですよね。だからそこに意思が絶対働くんで、位置づけるって言うのだから相当ではないんですよね。
そうですね。
やっぱりGoogleが出てきたときはこっちの方がなんか公平な気がしたんですよね、たぶん。
公平でしかも大量の情報を捌くにはあれしかないっていうような感じやったんですけど、
さっき言ったようにハックされてしまう上に評価自体が無味乾燥になってしまうんで、結局数字競争にしかならないんで。
そうですね。
そのゆり戻しみたいなのが何年かで一度やってくるんですよね。
Googleよりちょっと前になりますけど、これからはポータルサイトだよっていう話がなったりとか、
さらに5,6年前にはこれからはキュレーションだよみたいないろんな言われ方をしながらそういうゆり戻しがあるんですけど、
やっぱり続かないというか、続かないっていうか、それは常に並行して存在はしてるんですけど、
主流にはならないというか。
ならないですね。だから手間がかかるんですよね、きっと。
そうそう。手間がかかることを忘れてるんですよね、結局。
手間を織り込んだ上で形を作っていく。
で、結局そのキュレーションとかミニサイトを作ろうみたいな話も、あれ結局個人の力なんですよ。
個人のこと、個人の行い、鋭意になってしまうんですよね。
で、キュレーションももちろんそれはそれでいいんですけど、結局その一人の人がニュースを選別してるだけなんですよね。
だからインターネット的な、いろんな人の地を集めるという形になってないというか。
だからそれはある種、スケールの限界というんですかね。
網羅性の限界も当然ありますし、個人の人が自分の興味を持って選別する偏りの良さ、
プラス、いろんな人が集まってニュースを網羅していくっていう、その2つを組み合わせないと、
やっぱり情報性としてあまりよろしいものではないというか、役立つものにならないというか。
その中で、最近皆さんがよく使うようになってきた、スラックとかディスコードっていうものを使いつつ、
昔ながらのポータルサイト的なものを、バリバリのワードプレスのプラグインを使って実装するっていう、
新旧入り乱れるような形の実装が、だから、ゆり戻しの中でいろいろ、
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生き残る技術と死ぬ技術っていうのが、ゆり戻しの中で選別されてきて、
少しずつ洗練されて、洗練というか、うまくいくようになりつつあると思うんですよ。
そういう道のりの中にあると思っていて、それがようやく注目に値する動きになってきたかなと。
今回のベックさんのは、ディスコードの中で他の人とのコラボレーションをしつつ、
一方では、サイトを作るっていうところでは、思いっきり昔ながらの従来方式のやり方なんだけれども、
ディスコードを使いながらやるっていう、
そこで今までの一人の力技に頼らざるを得ないっていうところをそこでカバーしようっていうような感じなんですかね。
そういう作業によって、結局、分野というか界隈が初めて生まれるんではないかなと。
一人のオピニオンリーダーが引っ張っていくその話題を牽引して、その分野が形成されるっていうことは多分ありえなくて、
草の根の人たちが話題にする、参加することによって結局、界隈って立ち上がると思うんで。
そういうものの可視化がされにくくなってきてたなと。
特にツイッターなんて、それぞれの人が好き勝手にノウハウをつぶやくだけで、それはそれで便利なんですけど、
やっぱり網羅性というか、リンク性がないというか、ある情報から別の情報にたどっていきにくいんで。
だから、ディスコードという場でも雑談の中で、全然知らんツールのノウハウとかも知れますし、
当然、それを集めるポータルっていうのは、総合的に雑多なものになるんで。
だから、それはやっぱり今のブログが提供しきれてないものだと思うんですよ。
僕は自分の中で知的計算系の総合サイトを作ろうかなと思ってたんですけど、
別にビックさんがそれを作るんやったら、そっちの方に寄せていって、
僕はそこの起向者の形でも別にいいかなとは思っているとこですね。
そういう面白い動きがあるというのが、ライフハックニュースなんですけども、
今回のテーマが、前回最後の方に出てきて盛り上がりかけたところで止まった、トップダウンとボトムアップについてなんですけど、
これもライフハックって言葉が広いんですけど、トップダウンとボトムアップって言葉も相当に広いんですよね。
概念を整理しておくと、一番トップダウンとボトムアップって言葉がふさわしいのが、
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組織構造における情報伝達の流れを示すものとしてのトップダウンとボトムアップっていうのが一番身近で、
しかも一番表現にぴったりな構造だと思うんですよ。
そうですね。
構造って言うか情報の流れか。
トップダウン的な情報の流れとボトムアップ的な情報の流れっていう。
組織構造がまず先にあって、その構造の中で情報がどう流れていくかを表すという意味でのトップダウンとボトムアップは、
僕はこの言葉が間違ってないというか、非常に適切だと思うんですよね。
そうですね。
で、それ以外にもトップダウンとボトムアップっていうのが使われるわけなんですよ。
これがね、そう読んでいいのかどうかは僕はよくわからなくなるんですよね。
わからなくなるし、僕もいろいろその言葉を使いますけど、ちょっと誤解を招いたなと思うところもある。
うん。
わかりやすいと言えばわかりやすい。
だから例えば一番メジャーで言うと、KJ法というものの一番知名度の高い部分というかな。
多くの人が想像する部分ですね。
書き出した紙のちっちゃな破片を、見たものを集めてそこに見出しを作ると。
そういうのを複数繰り返していったら、今度は見出しを集めて、より大きい見出しを作っていくという編集の方式をボトムアップ的と呼ぶんですよね。
そう思い出した。ボトムアップ的。ボトムアップというよりボトムアップ的と多分表現されるんだな、あれは。
それはおそらくトップダウン的なものと対比するために、つまりそれとは反対の動きですよということを明示するためにその表現が選択されたと思うんですよ。
はい。
これはこれの問題で、これの最大の難点は先ほど言ったように、組織の場合って構造が先にあるわけですよね。
はい。
だから社長はトップなんですよ。部下はボトムなんですよね。これはもう組織図としてそうなってるからそれはいいんですけど、そのKJ法で言うときのそのボトムなのかと。
まだボトムになってないよなってことなんですよね。最終的に出来上がるものとしてそれはボトムに位置付けられるけど、ボトムですらないってことですよね。
はい。わかります。
だからそこはもう、それがだからそのボトムダウンって言っていいのかなというところが僕の一番の疑問なんですよ。
はいはいはい。
うん。
それはあれですね。同じ問題はアウトライナーでも起こることで、要するにまだ階層構造がないときにトップダウン、ボトムアップって成立するのかしらのかっていうことですよね。
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はい。
多分KJ法にしてもアウトライナーにしても階層構造があらかじめないときに、そのフラットな状態から始めることをボトムアップって言っちゃってるんですけど。
はい。
それが本当にボトムアップなのかっていうことですよね。
逆にトップダウン的と呼ばれる手法っていうのは、いわゆるその結論から始めるというか、大テーマから始めてそれを細分化していってっていうようなやつですよね。
そうですね。
で、その場合は概ねトップダウンと呼んでも差し支えないような気がするんですよ。
うーん、まあでもまだ階層構造が存在していないという意味では、実はさっきのボトムアップと同じ問題があるような気がしますね。
問題はあるんですけど、例えば小論文の試験を受けるとするじゃないですか。
はいはい。
で、ほにゃらでついて書きなさいっていう話、お題があったと。
で、それを文章にするために、細かい3つに話題に分けて考えていこうっていう思考のアプローチをしたとするじゃないですか。
はい。
で、それぞれの項目について書いていって文章にするっていう時って、その思考のアプローチはお題を変えてはいけないっていう制約を持ってますよね。
ああ、なるほど。
この場合はだからトップは揺るがないじゃないですか。
この場合の考え方におけるやり方はトップダウンと、トップダウンを適当に呼んでも差し支えないだろうと。
はいはい。
ただ、さっきほど言ったように。
ただ、お題とかテーマが決まってるっていう。
そうそうそうそう。
ただ、やっていくうちにテーマそのものが変質していく場合は、トップダウンではないか、トップが代わり得るトップダウンっていう。
もうすでにおかしいことになってるんですけど。
だから、やっぱりアウトプットの作り方によってもそこが違うんですよね。
前提を動かしていいか、動かしてよくないかによっても変わってくるんですよね。
はいはいはい。
知的生産の方法論においてトップダウンと呼ばれるものの、多分その古典っていうのが、考える技術、書く技術っていう、日本の新書じゃなくて、バーバラミントって書いたピラミッド式に書いていきましょうっていうやつが、
おそらくこの言葉の、この概念を表すときにこの言葉を使ったもののスタートがそれに近いものだと思うんですよ。
僕はその論文の書き方について書いた本を読んだことがないんで分からないですけど、この本はもうはっきりピラミッドプリンシブル、ピラミッド原則っていう名前があって、
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引用すると、ピラミッド構造では縦方向、トップダウンとボトムアップと横方向という単純な論理のスタイルで考えが関連付けられてますので、
それってもうはっきりトップダウンとボトムアップって名前が出てるんですよね。
トップダウンとボトムアップの両方が必要ですよってこの本は一応言ってるんですけど、基本的にトップは揺るがないんですね。
そうですね。
だからテーマから個々の要素を書いていって、個々の要素がちゃんとテーマとリンクしてるかを確認しなさいという意味でのトップダウンとボトムアップなんですよ。
これはさっき言ったように組織構造と似てるんですよね。
似てる、はい。
動かないというか。
で、問題はこういうテーマが固定した状態における知的生産のフローのトップダウンとボトムアップと、
あとシェイクっていう行為におけるトップダウンとボトムアップを繰り返すっていうものが似てるようで違うというのがあるんですよね。
違いますね。
でも伝わりやすいからついその言葉を使ってるんですけど、多分これは誤解を読むのではないかなと思う。
そう言われると私は非常に責任を感じると思うんですけど。
でもね、確かに違っていて、ただ今のピラビットプリンシプルの話、僕その本結構好きで、
シェイクのトップダウンサイドのやり方としては非常にいい方法だと思うんですけど、
今の倉下さんの話を聞いて思ったのは、要するにトップ、
そのシェイクと何が違うかっていうと、トップが変わり得るのがシェイクなんですよね。
そうですね。
トップを最初に決めるかどうかっていう問題もあるんですけど、決めたとしてトップダウンで考えていったんだけれども、
そのボトムから反撃されてトップが変わっちゃう、変わることを許容しているし、むしろ積極的にそれを奨励さえするというのが多分シェイクなんだと思う。
僕もそう思います。
だからトップダウンのプロセスの段階でやってることは多分変わらない。
それは僕もそう思います。
例えばピラミッドプリンシップルの考え方だと、トップダウンできてボトムまでできたときに、
じゃあそのボトムがちゃんとトップと合致してるか確認しましょうっていって、
確認して合致してなかったらそのボトムの合致してない部分を削っちゃうんですよね。
おそらくそうでしょうね。
だけどそれを削らずに、あれ、この合致してない部分があるんだけどこれ結構大事じゃんっていって、
もしかしてこれを生かすためにトップをこう変えちゃった方がいいものができるんじゃないかっていう風にやるのが多分シェイクなんですよ。
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おそらくそうですね。
だからやってることは同じなんだけれども、トップを固定するかしらかっていう、
トップというか上位を固定するかしらかっていう。
いやでもこれはもう上位を固定するかしないかって文章で書くとすごい平たいんですけど、
これめちゃめちゃ難しいことやと思うんですよね、きっと。
そうですね。えらい違いなんですよね、実は。
そうそうそうそう。
だからおそらく僕らが標的としているのはボトムアップっていう言葉の適正さなんですよね。
あるいはトップダウンからボトムアップの切り返しという時に、何か単純なボトムアップとは違う何かがそこにありうるというか。
そういうことやな、要するに。
うん。
いやだからこれはかなり実際、要するにボトムアップで考えようということよりは、最初にトップを決めてそこをブレイクダウンした結果、
そのトップにそぐわないものが出てきた時にどう扱うかっていうことの中に、ある種のラディカルさがあると僕は思うんですよ。
はいはい。
で、ここがシェイクの肝というか、わざわざ他の発想技法と名前を切り分けてそこに与えられていることの意義やとも思うんですよ。
そうですね。
うん。
この、そうだから、例えば前回、前々回アウトライナー志向法の話をしましたよね。
はい。前回かな。
あの、例えば携帯電話の料金をどうするかみたいな話について考えるときにですよ。
はい。
まあ料金プランを変えようと、で、3者の中から比較するっていう話があったとして、
いろいろ検討した結果、まあ変えなくていいわっていう結論がまず出ることがあり得ますよね。
はい。
で、もう、え~新しい、来月新しいプランが出るらしいからそれまで検討を保留しようっていう答えもあり得ますよね。
あり得ますね。はい。
で、いろいろその細分化した結果、携帯電話持たなくていいんじゃねって思う結論すらあり得ますよね。
あり得ますね。
こういうことなんですよね。だから。
うん、まあそう、言ってみればそういうことですよね。
どういうそのテーマそのものを変質してしまうその思考を受け入れるか、受け入れるじゃない、受け入れた上で変えていくか、
それはなかったことにしてしまうか、問題じゃないからっていうことの違いなんですよね。
うん。
まあ要するにそのめんどくさいそもそも論を言ってくる人をこう、受け入れるかどうかっていう。
まあそういうことなんですよね。いや、まあ当然だからめんどくさいそもそも論であってもいいし、
言うたらもっと広く言うと、この社会が正常として規定してる人から外れたものが出たときに、
それが異常やと言って省くか、それを新しい正常の中に含めて社会制度そのものを見直すかっていうことも同じ射程やと思うんですよ、これは。
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だから、はい、めちゃくちゃでかい話やと僕は思うんですけども。
まあでもでかいけれども、それ実はすごく大事っていうか、同じ話で、
あのー、っていうのは、これ実はまさに今書いてる本の中に出てくる話なんで、ちょっとどういう表現するかちょっとまだわかんないですけど、
社会の階層に例えてみたときに、基本、例えば社会って言ってもあれかな、
まあ組織で言ったほうがいいかもしれないですけど、組織の構造はトップダウンだとするじゃないですか。
で、その命令系統みたいなもの、指示系統は決まってますと、社長がいて、
管理職がいて、普通の平社員の人がいてっていう、上からトップダウンで指示が降りてくると。
基本そういう仕組みになってるんだけれども、だからそれはトップダウンであって、
ボトムアップがあるとしても、原則的にはさっきのバーバラ・ミントのやつみたいに、
下がこういう意見を出してきたときに、でもこれはその会社の方針に合ってないよって客観されるかどうかみたいなところが、
それが多分ボトムアップなんですよね、そういう組織における。
下から意見が上がってきて、会社の方針に層が層はないか判断して、
そういえば取り入れるし、そうなければ客観されるという仕組みになってると思うんですけど、
でも結局、その下の方でどんどんいろんな思いが高まっていって、
あるいは現場の意見というものがどんどん強くなっていって、
上はこう言ってるけれども、明らかにそうじゃねえよなっていうのが、
もう完全な現場レベルでコンセンサスになっちゃったときに、
必然的に会社が変わる。トップダウンの仕組みは変わってないんだけれども、
必然的に会社が変わっていってしまうというようなことが起こる。
場合もある。
起こる場合もある。
で、例えば文章のアウトラインにしても、
トップダウンのつもりで書いてるんだけれども、
結局、末端の細部が変わって、細部でどうしても非常に、
意図はしてないかもしれないけれども、非常に強い力のある何かを書いてしまったときに、
必然的にその上が、別に変えるつもりじゃなかったんだけど、
変わっちゃうということがやっぱり起こると思うんですよね。
はい。
だから、そういう意味では本当のトップダウンというのは存在しないんじゃないかと、
現実の世界では。
多分ですけど、本当のトップダウンは、
ある種の強制力、あるいは、もっと強い言葉で言うと、
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ある種の軍事力によって、ボトムを抑えつけない限りは成立しないでしょうね、
っていうのは思います。
権力ですよね。
そうですね。簡単に言うと権力ですね。
で、結局、権力で抑えつけようとしても、
結果的には変わってしまうっていう感覚が、やっぱり自分の中ではすごく強くて。
はい。
だから、実際には本当の意味でのトップダウンというものは、
なかなか成立しないんじゃないかなっていうところはあるんですけど、
それは別にして、さっきのバーバラミントみたいな意味でのトップダウンと、
いわゆるシェイクがどう違うのかっていう話をしたときに、
それを多分、オープンエンドシェイクとクローズエンドシェイクって分けたんですよね。
はいはいはい。
要するに上位階層が変化することを許容するのがオープンエンド。
なるほど。
で、許容しないのがクローズエンドって分けると分かりやすくなるんじゃないかなと思っていて、
それをなんとかうまく書こうとしてるんですけど。
はいはいはい。
要するに、だからオープンエンドの場合は下からトップダウンで突き上げてきたものがどんどん反映されてトップが変わってっちゃうわけですよね。
はい。
で、クローズエンドになると突き上げてきたけれども、
これはこの上を固定しているんで、これは使えませんよって言って、それはこう落とされていくっていう。
はい。
ただシェイクやってることは同じなんですけど、
それを多分意識して使う、そのトップダウンとボトムアップを繰り返すのがシェイクなんですけど、
もう一個オープンエンドとクローズエンドを意識して使い分ける必要があるんだろうなと最近思うのになったということですね。
そうですね。
まさに今の話は非常にタイムリーだったんですけど。
おそらくそういうことですね。
だから最初の方はとりあえずオープン性がないと、ある種の新しさが生まれてこない面があって、
逆にオープン性ばっかりだと永遠に終わらないので。
終わらない、そう終わらないんですよ。
そこである種の外部者とか切断者としての何か、多分一番強いのは締め切りなんですけども、
期限を切ることによって、もうこれ以上の変化すると終わらないので、
この変化は受け付けませんって言って切り取っていく、やめていく、はとめていく方向にシフトしていくっていうところでしょうね。
そうですね。
だからここから先はクローズエンドに変えますよっていうふうに自分の中で今の言葉で言うと切断するっていうことがもう一つ、
特に文章を書く場合の成果に重要なんじゃないかっていうふうにちょっと最近思っていて、
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まさに今の倉下さんの例は非常にそうだよなと思いましたね。
コミットプリンシプル的なものと今まで通常言ってるシェイク的なものの違いというよりもその切り替えですよね。
そうですね、きっと。
なんかやっぱり違う、ボトムが揃った後にトップにどう返していくかどうフィードバックしていくかっていうことの技法というよりも意識上の扱いが多分変わるんですね、きっと。
そう。そうなんです。で、多分その変わるポイントは時間なんですよね。
おそらくは時間でしょうね。だからおそらく自分の任意で操作できないものなんですね。
任意の自分で操作できないとさっき言ったオープンに巻き込まれてしまうんで、オープンに巻き込まれないものがクローズしてくれるというか。
そうですね。
ふーん。そうか。
2つ思ったことがあって、1つは先ほど企業体の構造が先にある形でって言いましたけど、逆に組織の構造をボトムアップで作っていくっていう話を考えるとしましょう。
はいはいはい。
その時に、じゃあ例えば経理部を作って、事務、ん?じゃあわ。営業部を作ってっていう風に部門ごとを作っていくのがボトムアップの組織の作り方かっていうと、これ多分違うんですよね。
違うでしょうね。
そうじゃなくて、まず10人ぐらいで会社をやって、それぞれがみんなできることをすると。ある業務が増えてきたら人を雇って、それを部として独立させていくっていうやり方が多分ボトムアップの組織の作り方ですよね。
そうでしょうね。そうなるでしょうね、きっと。
だから、経済法をそのままイメージすると、細かい部門ごとを作って、それをまとめてって、ブーってすることになるでしょうけど、組織ってだからいきなり1000人から集まって作るわけじゃなくて、ちっちゃい人間が集まって構造を作っていくわけですよね。
だからそういう構造の作り方って分裂型なんですよね。
はいはいはい。
だから同じ組織と言っても、作り方として見た場合と情報の伝達した場合って構造の作り方が違うんですよね。これも面白いなと思って。
面白いですね。
多分、じゃあ経営部を作ろう、営業部を作ろうっていうのってグルーピングなんですよね。
グルーピングでしょうね。
グルーピングなんですよ。でも多分そうはならなくて、例えば10人ぐらい人がいたときに、通常はじゃあ僕経理得意だからやるよとか、まあそんな人いるのか分からないですけど、お金管理得意だから好きだからやるよみたいな人。
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で、経理をやる人が、担当している人がたまたまいて、で、だんだん組織が大きくなってくると、ちょっと経理一人だと回らなくなってきたから誰か雇おうって言って、その入ってきた一人がその今まで経理やってた人の下につくと。
はいはいはい。
で、さらに人を増やして、この下に3、4人、だんだんその人の下に人がつくようになっていって、最終的に5人ぐらいになって、じゃあこれを経理部というものにしましょうっていうのが多分現実的な。
そうですよね、おそらくは。
大きかったと思うんですよね。
はい。
で、そのときに、実際にはその経理をやる人たちはまあ普通会社だと経理部って呼ぶからついグルーピングしちゃうんですけど、流れとしては、この経理を担当しているこの人たちを、この人たちをひとまとめにしようか、この人たちになんか名前つけようか、じゃあ経理をやっているからじゃあ経理部だっていう。
経理部っていうのを作ってそこに人を入れるんじゃなくて、この経理をやっているこの人たちに経理部っていう名前をつけましょうっていう。
はいはいはい。
これはまあ、まあちょっと単純化しすぎですけど、まあレベルアップに近いことなんですよね。
はい。
だから多分、グルーピングとレベルアップは似ているけれども非常に違う。
すごいよね。出来上がるものを見たときに同じ経理部ができてるんですけど、出来方が全然違いますね。
違うんですよ。
だけど一旦そのレベルアップのプロセスを踏んで経理部ができてしまった後は、もう既にできている経理部というところにグルーピングされているわけですよね。
そうですね。その後はそうですね。
多分その違いを意識しないでグルーピングしようとすると多分うまくいって、その組織もうまくいかないし、経済法もうまくいかないみたいな。
多分そういうことが起こるんですよね。
そうですね。
その話に関連というか、思いついたのがもう1つの話なんですけど、思いついたというか、トップダウンとボトムアップって言ったときに、組織の場合は社長と平社員がトップとボトムに仮に位置するとするじゃないですか。
文章におけるトップとボトムって何やろうと考えるわけですよね。
ボトムの方って文章じゃないですか。概ね文章と言っていいと思うんですよ。文かな、センテンス。もっと言うとコンテンツですよね、それは。
じゃあそのトップって何やろうと。
タイトルであったりとか、あるいはタイトルが含むテーマっていうのが概ねトップに位置するのかなと。
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テーマをブレイクダウンしていって要素を出す。ないしは要素をブラッシュアップしてテーマそのものを変質していくっていう流れはわかりやすいんですよ。
流れはわかりやすいんですけど、そのシェイク行ったり来たりがうまくいかない時とうまくいく時があるんですよね。スムーズに行く時とスムーズにいかない時があるかな。
これはなぜなんだろうと。
いうことを考えるんですよ。
特に一番考えられるのは文章を書き下ろしている時にテーマ的なもの、全体的なもの、構造的なもの、一つ上の階層について頭が動いてしまうから、目の前の文章が書き下せなくなる時があると。
そういうハプニングが起こると。それを避けたいからどうにかしたいと。
なぜそれが起こるんだろうと長年考えていたんですね。
トップの視点とボトムの視点が人間一緒に考えるのが下手くそだから、つまりアクセルとブレーキ同時に踏んだらうまくいくと動かないからっていう理屈で今まで納得してたんですよ。
でも最近思ったんですけど、同時に考えられるんですよね。
例えば文章を読んでいる時とかってそうなんですけど、その文章のことを味わいながら、もうこれはこの本の中でこのように位置付けられているなっていうことも同時に再感できるんですよね。
他人が書いた文章を読んでいる時とか特になんですけど。
自分の書き上げた本のアウトラインを見ている時でも同じように分析できるんですよね。
ボトムとトップ的なものは別にアクセルとブレーキのように相反するものではないなと思ったんですよ。
だって考えられているものと思ったんですよ。
そこで以前も名前を出したドーパミンの本、MODっていう本で、身体以外と身体、近傍空間で脳の働きが働かせる場所が違うと。
今ここと未来についての脳の働きが違うっていうことにつながって。
もっと言うとそれって、格あるべきとこうであるが違うっていうふうに言い換えられるなと思ったんですよ。
格あるべきとこうである。
こうである。
今こうなっているから。INGかな。
上はビルかな。わからないですけど。
36:00
トップっていうのはこうなるべきだっていうものなんですよ。
そうですね。
こうなるべき。
で、ボトムはこうだなんですよね。
こうだとしたら、isなんですよ。
be動詞かな。
今こうであると。
基本的にこのコンテンツをこうであるべきだっていうのがテーマであって、それに向けて文章を書くわけですよね。
でも当然逸脱するんですよね。
だからこうであるだを総合してみたときに、こうであるべきと合致しないときがある。
で、これを解消しなければならないけど、この2つを同時に扱えないんだと。
こうであるべきとこうであるが同時に扱えない。
そうですね。
規範性と実態を扱うの動きが別屋っていうことを言うことですよ。
テーマってのはある規範性なわけですよね。
これから書く本はこうなるべきだっていうことを示してるわけですよね。
そうですね。
で、文章はこうであるなんですよ。
で、こうであるがこうであるべきだをずれていくと。
ずれていく。
シェイクがやることは、ずれていったことをこうであるべきだに反映させるわけですよね。
はい、そうですね。
これがうまいこといく一つのプロセスなんですけど、だから、
どう言っていいんかな。
社長、社付の組織の情報伝達で言うと、情報伝達というか、
今、命令って言ってたけど、
社長がこうするって決めるっていうのは意思決定の流れですよね。
はい。
トップダウンって意思決定の流れなんですよね。
情報の流れは確かにボトムから上にも上がりますけど、それは意思決定の流れではないんですよね。
はい。
意思決定って何かっていうと、この会社はこうあるべきだっていう規範なんですよ。
うん。
で、これはトップダウンでは絶対に逆流しないんですよね。
はい。
だから、社員がこうありたいから、社長もこの会社のビジョンを動かすっていう素晴らしい会社があるかもしれないですけど、
そういう風にはなってないと。
それは結局、僕たちが今こうであるっていうことと、こうであるべきだを同時には考えられない。
でも、書き上げた本、出来上がった本は、テーマはこうであるべきだじゃないんですよね。
はい。
これらはコーダーなんですよ。
はい。
それは未来じゃないんですよね、その情報は。
はい。
だから、僕がテーマって呼んでる、執筆の時に掲げてるテーマっていうのは、未来に関する情報なんですよね。
はいはいはい。
その、こうであるべきだって、ウィルっていうのは、今じゃなくて未来、出来上がってないものを示す一つの未来なんですよ。
39:06
はい。
今僕が書いてるのは全て現在なんですよね。
はい。
ここの不正語なんですよ、僕が止まる時っていつも。
うんうん。
だから、要するにそれを書いていって、未来だったことが現在と一致した時に出来上がるわけですよね。
そうそう。だから、目次と見出しが完璧に重なる時っていうのがその時ですよね、要するに。
はいはい。そうです。
で、そこをね、僕は長い間気づいてなかったというか。
うーん。
未来、そう、このテーマっていうのは未来なんだなっていう。その出来上がった本のテーマと書こうとしてる本のテーマっていうのは同じテーマなんですけど、機能が違うんだなと。
はいはいはい。
で、その未来性について気づいてだいぶ書くのが楽になりましたね。
うーん。
そうすると、その感覚的にはその未来に向かって書いてる感じなんですか、それは。
あの、昔はそうでした。
じゃあ、今は違うってことですか。
今は違います、はい。
今の感覚でいうとどういう感じなんですか。
28で今を重視する感じですね。
ああ、なるほど。
昔はね、だからもう55か64ぐらいでテーマが強かった感じかな。
うーん。
そうするとね、逸脱が非常に、なんですかね、逸脱感があるというか。
まあ、そうですね。
今はだから逸脱とはもうほぼ呼べない。
なぜ、8のうち、いや10のうち2ぐらいしかその未来性がないんで。
はいはいはい。
うーん、だから、うーん、なんか今は北に向かって進もうって言って道路を進んでいる感じかな。
ああ、はいはい。
だから多少右に行っても左に行っても、その方向が北向いてたらまあいいかになるじゃないですか。
うーん、はい。
でも昔はこの道路をまっすぐ行こうみたいな感じだったんですよね。
はいはいはい。
そうするとやっぱり横に曲がった時に、曲がってしまった感が出てしまうんで。
どうやったらまっすぐできるだろうかって考えるじゃないですか。
これがまずいんですよ。
うーん。
車、気分は右方向に進んでいるのに、自分の心はまっすぐ行くべきだと思ってるんで。
それはあれですね。だからボトムアップのようでトップダウン。
トップダウンの支配がかなり強いボトムアップをしようとしてたってことですね。だから。
そういうことですよね。
うーん、そう。だからさっき言ったように、トップダウン、ボトムアップとトップダウンの交わりっていうのがあって、
やっぱりそのトップを変更させてしかるべき。
そうそう。
トップを変更させてもいいって思うのと、トップは変更可能性というよりは、それは仮染めのものでしかないって感じかな。
42:03
うん。
固定的なものがあって、それを変えてもいいっていう感じじゃなくて、
すごいモヤモヤとしかそこにまだトップはないと。
まだ出来上がっていないものだという感覚の方が僕の中でいいですね。
はいはいはい。
だいぶ違いますね、それが。
うん。
だから特に、セルフパブリッシングみたいに誰に何を言われるわけでもないときにはそれが可能なわけじゃないですか。
そうですね、もちろん。
モヤモヤしたまんま書くっていうことが可能なわけですよね。
多分、そうじゃない場合もあるわけですよね。もう明確に。
これを書けって言われたらそれは無理でしょうね。それはもちろん無理だと思います。
だから、それが無いのであれば、モヤモヤしたままの方が、ここは楽だと思うんですけど。
はいはい。
ただそう思わない人もいるのかもしれないですよね。
まあ、そうなんですね。このモヤモヤも8に言いましたけど、無いわけじゃないんですよね。
ここが結構重要なところで。
おおむねこれについて書こうというのはあるんですよ。
はい。
ただ、それ通りに書かなくていいっていう許しを自分に与えられている感じですね。きっと。
だから、北に向かうということは決まっているみたいな感じですね。
そうそう。
南に向かったらそれは違うだろう。
違うというのはわかっているんですけど、北であれば東回りであろうが西回りであろうが、別にどうでもいいという。
一般道を使おうが高速道路を使おうが別にいいというような、その自由感がある。
そうですよね。
だから目的地が変わっていいっていうんじゃなくて、目的地は無いんですよね。
この時点でいうと、北方向にどっか何かがあるだろうみたいなぐらいの感じ。
たぶんそのぐらいの感じがちょうどいいんじゃないかと思うんですけどね。
よくよく考えたら、僕もブログの基地ってそうやって書いてるはずなんですけど、やっぱり書籍になると目次を先に要求されるじゃないですか。
目次というか目次案か。
それが変わることを僕も何年も経験して知ってるんですけど、そうは言っても、できればその通りに書いた方がいいだろうというような無意識の何かがあったんでしょうね、きっと。
あるいはそのこの通り書きますって僕がメールで送ったから、それによって自分の心が束縛されてしまったっていうこともあるかもしれないですけど、
今回は非常に大雑把なものなのでって言われきって最初に伝えてるんで、僕の心も揺れてよしっていう感じになってる。
これまでできて初めてその性育の良さを存分に味わえてるなと。
なるほど。
僕今まで一つのテキストファイルを書き上げてそれを書き直していくって、その元々のファイルを上書きしていく形で筆筆進めてたんですけど、
45:11
今、α項、β項とか言って項の名前を変えてファイルも変えてるんですよね。ファイルも変えていちいち書き直してるんですよ。
で、なぜこんなことをしてるのかって今分かったんですけど、だからテーマを書き換えていいと思ってるからなんですよね。
はいはいはい。
これを書き換えたらあかんと思ってると、たぶんその一番上の行からたぶんは固定されたままだと思うんですよ。いわゆるその商題と呼ばれるものが。
でも今はもう別に変わらないですけど、毎回書き換えてるんで、書き換えるってことはまだ出来上がってないってことなんですね。
そこは固定されてないというか。その感覚で今進められてるんだと。
だからさっき言った、こうあるべきとこうであるの力関係がだいぶ変わった感じですね。
うーん、こうあるべき、こうあるべき、そうか。
だからそこのテーマってのは、こうであろうっていう強度の時と、こうであるべきの強度の時があると思うんですよ、おそらくね。
はいはいはい。
僕の中で執筆のテーマはかなりこうであるべきに強かった。未来の中でも、より権力が強い、いいかな、さっきの言い方引き付けると。
権力が強い形になってたんで、ボトムの書き下ろしがどうしてもそっち、社長の顔色を伺うような仕事の仕方をしてたというかな。
はいはいはい。
いう感じになってて、負荷がかかってたというかな。考えていくと考えていたっていう。
なるほど。
うん、いうのが変わりつつある。だからそのトップ、書き出す前のトップっていうもの、未来、まだ形の決まってないものと、今書き出しているものが必ず一致するわけでもないし、
できればその書いたものに合わせて上を書いていく方がいい。現場の声を生かすことであり、はぐれた人を拾う精神である。
俺はだから、なんですかね、シェイクの手遣いですかね、シェイクの思想というんですかね。
僕もそう思うんですけどね。
ただその一個、僕最近自分の、シェイクのっていうよりも自分の課題として、僕は逆にトップのこうあるべきっていうのがすごく権力が弱いんですよ。
はいはい。
こうあるべきっていう感覚がほとんどなくて。
なるほど。
最初の段階でこうじゃないかなぐらいで、途中でこうかなって感じになってきて、
で、ある段階、もうかなりギリギリの最後の段階で、これだろうってなるんですよね。
でもまだだろうで、まだ推揚の域が出ないんですね。
そうそう、絶対じゃないんですけど、多分一度もこうあるべきの段階はないんですよね。
48:01
なるほど。
ただそれがちょっと問題、っていうかその弊害もあるなと最近思うのが、
例えばその「アウトラインプロセッシングライフ」というタイトルがあって、
あれは多分、多分ですけど、あれはアウトラインプロセッシングタスク管理みたいなタイトルにした方が絶対売れたと思うんですよ。
あー、なるほど。
なんだけど、もうあの最後の段階でライフだろうってなっちゃうと、もうね、変えられなくなるんですよ。
なるほどね。
下からの突き上げがあまりにも強すぎて、
はいはいはい。
あの、あれってこう書いてるうちに、その生活、生活、要するに生活を管理するのがタスク管理なんだけれども、
はいはい。
生活という、その生活を管理するたびには人生を扱わざるを得なくなる。
っていう話。
で、それを書いてるうちに、あれ、生活も人生もライフだよなっていうところから、
そのアウトラインプロセッシングライフになったんですけど、
その生活と人生が要するに同じライフであって、その同時に扱わなきゃダメなんだという、
その自分の中ではすごい発見だったわけですよね。
はい、わかりました。
当たり前のことなんだけど発見。
はい。
で、そのインパクトが強すぎて、
はい。
もう逆に、その後で、でもまあこっちの方が売れるだろうからこういうタイトルにしようっていう思考にはもうならないんですよね。
はいはいはいはいはい。
それがすごくね、自分の首を絞めてるような気がするんですよ、最近。
まあだからそれがやっぱり、編集者の役割なんですよね、きっとね。
そう。
それを思います。
そこに多分ね、他の人がいるた方がいいんだろうなっていうのがやっと最近わかってきましたね。
それは確かにあります。
あのー、最近読んだ闇の自己啓発っていう本があるんですけど、
はいはいはい。
まああのー、なんですか、読書界の本なんですよ。
いろんな人が一冊の本を読んで、わいわい言う本なんですよ。
はい。
そんな本のタイトルには聞こえませんよね。
うん。
まあ、で当然その本はどこに並ぶかっていうとビジネス書庫オーナーに並ぶわけなんですよ。
並ぶんですよね。
で、あのー、でもその本って読書界の本なんですけど、
あのー、ある種現在の自己啓発に逆にやられてしまっている人。
自己啓発セミナーとかじゃなくて、
自己啓発の正しいあり方にむしろやられてしまっている人の、
ある種下毒罪になるような内容が含まれているんですね。
はい。
で、それはまさに、例えば、心が清らかになる読書界という本ではダメなんですよね、タイトルが。
ダメですね。
これね、闇の自己啓発っていう本のタイトルってないとダメなんですよ。
だから、これはね、さすがやな編集者さん、さすがやなと僕は思いました。
うーん。
逆にそれは、著者に、まあその実際その闇の自己啓発のタイトル誰が考えたのかわからないんですけど。
ああ、これはね、実は闇の、その読書界が、そのものが闇の自己啓発会っていう名前の読書会なんですよ。
だから別に。
51:00
ああ、それをそのまま使ってるわけですね。
そう、だからその会を取ってるんですよ。
うん。
これがもう見事な仕事なんですよ。
なるほど、なるほど、なるほど。
そういうのありますよね。
うん、いやだから、そうそう、その、第三者ではないんですけども、
あの、そのボトム、ボトムの声を、そうなんですね、ボトム、例えばこう、社員の声を集めたら、
例えばこう、企業のトップページのビジョンの代わりになるかって、これはならないんですよね、これはね。
はい、はい。
そこはやっぱいるんですよね、それは。
うん。
うん。
そうですよね。
そうか。
いや、なんかね、そういう弊害が。
なるほどね。
弊害じゃないですけど、そのトップダウンに、トップに縛られるっていうのがトップダウンの弊害だとしたときに、
あの、ボトムに縛られることもあるんだろうね。
ああ、確かにね。
確かに、どちらもあるんですね、確かにそれは。
そうか、だから、トップテーマ性っていうのだったら、ある、絶対にその、絶対じゃないですけど、
絶対じゃないですけど、本を書こうと思ってそのテーマを選ぶってことは、ある種絶対キャッチーな何かがあったはずなんですよね、自分にとって。
はい。
で、あの、なんていうんやろう、売り文句になるような、あるいはこう、解決したい具体的な問題があって始まって、
でも、その、掘り下げていった結果、結構自分が、他人の関心を引かないところが盛り上がってしまって、
でも、そこはもう間違いなく自分の発見やしっていうところで、
トップ性がないと、さっきみたいな、その、タイトルが弱い。
本の内容に比べると、タイトルにキャッチーさがないことになってしまうっていうのがあるんでしょうね、だからね。
まあ、弱いこともあるだろうし、その、何のことだかよくわからない。
何か強いんですよね。
あれは多分、読んでもらえればそのタイトルの意味はわかると思うんですけど、読む前にわからないですよね、多分。
(笑)
そうですね。
それだと、多分タイトルとしての役割を果たさない、半分くらい果たしてないことになるんだと思うんですよね。
そうなんですよね。だから、そうですね。だから、タイトルは目次のトップではないというか、
うんうんうん。
看板でもあるんですよね、だから。
そう。そうなんですよ。
看板はお店の内部にはないですもんね。
(笑)
ある種、外側。
外側ですね。
だから、その外向きの何かがいるっていう。だから、ある種、そのボトムアップの統合でなくてもいいんですよね。
うん、そうですね。
うん、そこは結構重要な話ですね、タイトルにつきについては。
だから、トップダウンとボトムアップのその関係を厳密に考えすぎてるかなとっていう。
あの時はもちろん、アウトラインプロセッシング流盟の続編だよっていうのを示したかったっていうのもあるんですけど。
ただ、ちょっと上と下の結びつきを厳密に追求しすぎたタイトルだったかもしれないなと思いますね。
54:12
だから、アウトライン的には間違いなく正しい内容の総括なんですけど、タイトルとしての別の機能がいるんですよね。
そうなんですよね。
うん、そうなんだから。だから、あれはテーマなんですよね。
そう、そう。
ライフっていうとテーマとしては間違いなく機能してるんですけど、タイトルとしてもう一段階ブラッシュアップが必要やったってことですね。
そうですね。
そうか、なるほど。
アウトラインのセイクがうまくできない人は多分僕と一緒なんですよ、きっと。
テーマのべき感が多分強いんですよ。
手法として上を変えてもいいとわかってても、持ってる元々の規範性が強すぎるんですよね、きっと。
その規範性の強さっていうのはどこから来るんでしょうね。
あー、でも不思議。
僕がそれが発揮されないのはブログで文章を書くときなんですね。
僕は大体ブログの文章ってタイトル付題で書き始めるんで、そもそも発揮されようがないというか。
はいはいはい。
だから文字として書き合わされる、あるいはアウトラインに直に書き込むからなんですかね。
たくさんが最初に書き始める一文の文章のテイストとか強度と、そういう人たちが書く文章のテイストが違うのかもしれないですし。
あるいはアウトラインとは関係ない要素なのかもしれないですけど。
まあ、そうです。
どちらかというとそれが一番強い気はしますが。
だからやっぱり計画書に見えるんでしょうね。計画書手順書に見えてしまうんでしょうね、きっとアウトラインが。
はいはいはい。
これは難しい問題やが。でもここを解体できるからこそのアウトライナーですからね、本来は。
だと思いますね。
でもそこを解体してどんどんシェイクを進めて、上と下が完全に位置付けられて繋がっちゃった時のその結果を正直に反映すぎるとさっきみたいな問題が出てきちゃうんですけど。
それはまた別の問題ですよね、たぶんね。
そうですね。レベル2の問題ですね。
レベル0の問題は何も位置付けられない状態っていうのがあって、次に位置付けるのはいいけどトップが強すぎる問題ってのがあって、
57:02
内山なんかとしてトップを脱構築できるのはいいけど、脱構築できないな。だから構築を壊せるけど今度は下から強すぎて、収集がつかないか、あるいは接点、他者との接点を失ってしまうみたいな。
そうですね。
あとね、この間奥さんに読んでもらって思ったのは、最初から最後まで舐めるように全文読まないとメッセージが伝わらなくなっちゃって。
そういう問題もあるんですよね。
それはでもやっぱり、たぶん僕もそういう文章書きがちなんで、わりかし。
それある程度意図したことではあるんだけれども、つまみ読みすると伝わらなくなるっていうのは、実用書としては欠点だろうなと思いました。
ある種の冗長性がないということなんでしょうけど、シンプルであるということの裏返しなんですね。
読んでて、まどろっこしい部分は全く感じないんで、あの本は。
だから非常に洗練されて書かれている文でも、そうじゃない読み方を拒絶してしまっているというところはあるんでしょうね、きっと。
順番に読むことだけを想定したり。
それは自分でも思うんですよね。
そこもやっぱりアウトラインを厳密に、厳密にっていうか、なんだろう。
あれはおそらくボトムアップから始めて、シェイクしながら、完璧にアウトラインの回想だけじゃなくて、上から下の流れまで完璧に計算して作ったのはいいんだけれども、
その結果として、その流れから外れた読み方を拒絶するようなものになっちゃってる。
それも多分、気をつけなきゃいけないことだなと。
そうですね、だからこう、再期的に考えると、そういう構造的問題を含めた、さらなるボトムアップのチェンジが可能。
誰かが読むっていう、別のボトムを含めたボトムアップっていうことですね。
そうですね、だからちょっと緩めなきゃいけないのかもしれないですよね。
多分そうやと思いますよ。
よく職人的って言われるって言ってありましたけど、だいたいネジを最後まで締めるタイプの方やと思うんで。
それはとても文章にとってはいいんですけど、読者によっては良くないんでしょうね、きっと。
かもしれないな。
それは僕も締めすぎな方なんで、だいたい。
そういう感じしますけど。
だからそのシェイクを、すごく重応無人にやったから、すごくいい結果になるかっていうのはまた特別問題だなっていう。
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プロダクトが人に向けて行われるものだからですよね、安い。
だからそのシェイクの先、あるいはそのシェイクの外側にもう一つなんか。
あるんですね、だからね。
だから結局シェイクっていう行為そのものは一人の知的作業しか扱ってないんですね、今のシェイク。
だからシェイクをさらに拡大すると、他者を巻き込んだシェイクっていうか、他者に参加してもらうシェイクっていうのがあるってことですね、きっと。
はいはいはい。
話が広がってきたから。
年季が終わりましたね。
いやでもそれはその論理的射程は考えておいた方がいいでしょうね、きっと。
そうですね。
シェイクだけしときゃいいですよって話では絶対ないですからね。
ではないって、そうなんです。
はい。
まあちょっとこの話は広げると時間が終わりそうなので、今日は早めに切り上げておきます。
感想と、あと自分は執筆のシェイクは知ってるけど上手いこといかへんというような感想とあれば、
#打ち合わせキャスト、ひらがなで打ち合わせ、Hello!BetterCastまでいただければクラスターがチェックしたいと思います。
最近ちょっと打ち合わせキャストの感想ツイートが多いので非常に喜んでおります。
いくつか面白いのがあったんですけど、それは時間がかかるのでまた別の動画に取り上げたらなと思います。
はい。では今回はここまでにしたいと思います。ありがとうございます。
ありがとうございます。
01:01:28

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