八幡さんが、八幡ここ抜けてるぞとか、
いやこの考えが違うぞみたいなことがあったら、
いくらでもおっしゃってくださいみたいなことを言われていたので、
そういうことだったら思ったこと書こうと思って、
結構辛辣なこと書いた思いがあるんですけど。
大丈夫、大丈夫。
ありがとうございます。
そういうのをね、言ってくれる人ってさ、いいよねっていう。
なんかエネルギー使うじゃん、そういうのにもさ。
そうですね。
コメントを書くのがもう最初からエネルギー使うじゃん、私全然コメントを書かないもん。
すみません、今ちょっとベストを着ているからファスナーの音入るかもしれないけど。
こっち寒いからさ、冬だから。
私アデレードに住んでるからオーストラリアの南の方に。
逆ですもんね。
そうそう、季節が逆なんですよね。
どうしよう、このコメントを読み上げてもいいのかな。
大丈夫です。
大丈夫ですか、じゃあもう全部読み上げます。
遅ればせながら聞かせていただきました。
私もだいたい似たような意見ですが、本人がいいならいいという考えには同意しかねます。
それって政治人や容姿をネタかっこ武器にして活動されて、かっこいじられてきた芸能人の方を容認してしまうのと同じ構図じゃないですか。
というのがまずあって、そこからツリーみたいな、なんだっけ、リプライ的なやつで。
容認というのは芸能人の方々、個々人への話ではなく、そのようないじりが認められてきた構造に対しての話です。
もちろん関係性ができていないうちに容姿に言及することは論外ですが、関係性がどうであれそれを良しとしてしまうのはルッキズも助長することにつながる危険性があるように感じます。
あと話の節縁に、王家主義やメリトクラシー的なニュアンスを感じました。
今回の配信を聞いて自分の発する言葉にはできる限り意識的でありたいと思いました。
少なくとも何かと比較して良いだの悪いだの言わないように気をつけていきたいと思います。
というのは多分前文なはず。結構前だったかも。
確認しようかなって思い返しながら。
私も自分の見た目を褒める危険性の回聞き返そうと思ってたけど忘れてしまってすいません。
だからうろ覚えで振り返る感じになります。
あとフーゴさんのこの回聞いてくださいって独白の回を進めてくださったやつは聞いたんですけど、
すごい興味深いこと言ってらっしゃるから他の回も聞こうと思ったんだけど、
フーゴさんの独白のBGMがすごい重いBGMで、
どうもなんか聞けないってなってもうギブアップしてしまいましてすいませんね。
BGMの好き嫌いが激しい人間なので、というかBGMない方が好きな人なので、
ちょっと残念ながら聞けず申し訳ない。
BGMはあれは意図してのことなんですか?重いBGMを使うの。
なんかあの無音だと僕結構、最近は結構編集でバツバツ間が空いたとこカットするようにしてたんですけど、
最初の方、黙ってる時にこれ黙ってるのかどうなのかみたいなのがわかんない時があるから、
その無音じゃなくて後ろでちょっと音流れてる方がいいなみたいなんでBGMつけようっていうことになって、
で、人とかぶらないBGMでなんかこの独白という名前なので、
ちょっとおどろおどろしいやつがいいなというので、
なんかそれに耐えうる。
ヘーマーにしとった感じ。
毒っぽいくらいっぽいBGMみたいなのを探してあれになりました。
すごいなと思って、みんなこのBGM聞きながらずっと聞けるんだと思って。
どうなんだろう、私以外にもいるのかな、BGMが。
BGMがちょっと難しい、難しいって。
パートナーというか、僕の初めた頃はその彼女の方からは、
あのBGMはないでしょって言われましたね。
そうなんだ、やはりやはりというか、そう感じる方もいるということですね。
聞き慣れてくださったらなんか聞けるみたいではあるんですけど。
そうなんだ、BGMは今後変える予定はない。
あれ、ホットゲスターズのやつだったんで、
最近のエピソードからは編集が変わって、ちょっと華やかなやつになりました。
最近のやつを聞きます。
でもそしたら、それはそれでなんか、彼女の方がクレームが来ました。
これちょっと雰囲気が不安とか、華やかすぎるとか言われて。
難しいな、BGM。そういうのあるから私は入れてないね。
まあ、面倒だというのが一番の理由だけど。
僕、倍速で聞くことが多い人間ですけど、
BGM倍速になっても気にならないタイプなんで。
そうなんですね。
いいな。
BGMにもよるんですけどね。
なんか変な感じになるやつとか、あんま気にならないやつとかありますけど。
そんな感じで本題に入っていくかな。
はい。
結構長いので、なんか分解していこうかな。
了解です。
まずその本人がいいならいいというのはどうなんだよ、どうだろうみたいな意見があって。
政治人や容姿をネタにして、いじられることによって活動してきた芸能人。
そのいじる行為を容認、直接的ではないにしろ容認してるんじゃないかという感じであってますか。
そうですね。
一応例えがあった方がみたいなことを思って、
多分、芸能人の方の話をいたした気はするんですけど。
なんていうのかな。
芸能人の方とか、多分もろに容姿について言及されることを、
なんていうのかな。
公に認めて活動しているみたいなところがあるのかなと思っているんですけど。
その人たちに対してであっても容姿について言及するのは、
僕はもう時代的に微妙なのかなと思っていて。
時代って言っちゃあれですけど、
僕個人としてはなんかないのかなと思っていて。
それはなんか相手がいいならいいとか、どうこうではなくて。
なんかもう、なんていうのかな。
それをした時点で、もうルッキズムを助長するのに加担していると思っているので、私は。
芸人が喜ぶからとか言ってほしいから言うすらも、だいぶ微妙なラインで。
本当に公の場ではなくてプライベートの中でする会話のうちに留めておいた方がいい領域になりつつあるのかななんて。
容姿勢の話とかを外では公でやらないのと同じように、
容姿についても関係性の中においてするものであっていいんじゃないかなと思っているので。
容姿について言及されるのが嬉しいっていう人は多分男女問わず多いと思うんですよ。
僕も別に言われて嫌な気はしないタイプではあるんですけど。
でも、その価値観を相手に投げてしまうと、それはルッキズムを助長することには加担しているようなと思っているので。
僕としては、本人がいいならいいという立場では、ルッキズムについて捉えられないなという、そういうスタンスですと。
それはまあ、そうですね。
私はめちゃくちゃ本人が言いたい人には言ってもいいってめっちゃ言ってたのは、お気づきかもしれませんが、
いや、私褒められても嬉しいですけどっていう人とか、褒められても嬉しい人もいるでしょっていう人からの防衛みたいな、ディフェンスみたいなところもありました。
絶対そう言ってくる人おるやろなと思っての。
それもあるんだが、なんだろうな、なんて言えばいいのかしら。
例えば、その見た目、単純な容姿、その美しいとか見た目が可愛いとかじゃなくて、
例えばその髪型を変えた人がいたとします。
そんで、たまにさ、その髪型変えて、それで周りの人が何も言及してくれなくて、誰も気づいてくれなかったプンプンって怒る人おるじゃないですか。
そういう人は怒る前に、みんなに、私髪型変えたの超似合ってるでしょとか言ってほしいなと思って。
そしたらわかるから。
言ってほしいんだなと。むずいけどね。
その人的には気づいて、自発的に気づいて良いコメントをしてほしいんだけど。
なんだろう、難しいな。
私は容姿について言及されたら嫌なんですけど、大体。
でも先ほど言われたように言われて嬉しい人も現時点では少なからず男女問わず。
それで現時点ではそういう人たちはもう自分から言ってきゃいいのになーみたいな。
私超可愛いでしょって言えばいいんじゃないのかなと思ってたんだけども。
このふうごさんのコメントを見て、あとね、たきなみゆかりさんかな。
私たちは無痛恋愛が主体でしたっけ。
はいはいはい。
その漫画でしたっけ、書いてらっしゃる方のツイートでちょっとシェアするんですけど、リンクを。
これが最近よく誰かを美しいと思うのはルッキズムですかと聞かれる。
こう答える。夕焼けもハニカム構造も美しいでしょ。
美しいものを美しいと感じないようにできるわけがない。
美しいと思えばいい。
でも美を力の証明として利用し搾取する権力者の歪んだ価値観を是人したり追随したりしてはならない。
これを見たときこれが今のところ自分には一番しっくりくるなと。
個人個人の心の中にある美しさというものまでも否定したくないよなという。
でもそれをそう風吾さんが言ったように公にすることでこういうその美しいことが良いみたいな。
そういう価値観に価値観を助長するのは良くないよねとは思う。
むずい。
そうですね。
なんていうのかな。僕の感覚としては人の容姿をけなしてはいけないっていうのはだいぶもう社会に浸透した考え方だと思うんですけど。
褒めることもけなすこともやってること同じだと思ってて。
こっちが良いよね悪いよねっていう価値観があった時にそれを後ろから押すのと前から引っ張るののやってることはその価値観がそっちにずれていくのは同じことだと思っていて。
人の容姿をけなしてはいけないということが社会に認められているのはそれはもう同じように人の容姿を褒めるのも
その容姿について言及するという点で同じことだしその
これが良いこれが悪いっていう価値観を人に押し付けるという構造では同じことをやっていると思っているんですよ。
それってそのこれこういう見た目が美しいのだということによってそうでない見た目は良くないということを言っているのと同じようなもんだと。
そうそう。
ですよね。
そうなんですよね。
相手もそういう言葉をかけてほしいっていう
そこまで言って初めて
言えること
言えることだけど
正直僕はあまり言わない方がいいという立場ではあります
関係性が深まったとしても言うことによって
ここからちょっと録音止めようかな
ちょっと一時停止
そういうわけでちょっと個人的な話を始めたが
私話しとる途中であれ何のためにこの話してたんだっけ
って忘れちゃったんだ
何でしたっけ
俺も覚えてない
わかんねえな
多分深い関係性において
もしお互いがいいのであれば
容姿を褒めるとかはいいかもしれんが
その後お互いの見た目変わるかもしれんじゃん
というのがあり
例えば髪型とか
例えば事故にあって傷ついたりとか
老化とか年老いて
そんな若い頃の美貌はもう失われたとか
そういうのもあり
あと私は見た目気にしねえ人だから
見た目とかどうでもよくて
内面が気にしたいんですよ
私の理想的な社会では見た目はどうでもいい
みんな人格だけで相手を好きになってほしいみたいな
のがあるけど
でも個人個人の美の意識があるから
それはまあ
その私だって自分のパートナーが
自分の好みの見た目だったら嬉しいけどみたいな
多分モチベー上がったりするかもしれんけど
理想はその人格だけで
人格だけでも好きってなりたいよ
ということだろうか
見た目に研究することによって
その評価の中に見た目も入ってきとるじゃんっていうのが
嫌なのかもしれないですね
でもそこに関しては僕ちょっと緩いかもしれない
そうですか
なんかそのなんていうのかな
結局様子以外の能力も
例えばなんだろうな
物事の認識する能力とかも
努力でなんとかなる部分もあれば
そうでない部分もあって
遺伝子的なあれとか
人格とかも
そういったものに少なからず影響を受けていく
で結局全部持って生まれたものなわけで
なんていうのかな
その人が持って生まれたものとして
潜在的な頭の良さであったり
身体能力であったりみたいなものの
一つとして様子も捉えてもいいのかなとは思っていて
そこを全く
自分の武器として社会に出れないみたいなのは
それはそれで微妙な気はしてます
めっちゃ足が速いけど
それを使って
世の中で何かできないみたいな
スポーツ万能だけど
スポーツは職業としてやっていくことはできない
みたいな世界になっていくと
フラットにしていけばフラットにしていくほど
当人たちが持っているものを
使って何かするっていう機会は奪われていくから
様子も様子で
それを使って生きていくみたいなことができる社会の方が
いいなと思いつつ
それが
評価軸が一つしかないみたいな
そこに多様性が生まれないみたいなことは
気持ち悪いなって思うから
いろんな美の形があってそれを表現して
それが認められる社会の方がいいと思いつつ
それはそれでと思いつつっていう感じではあるけど
完全否定するのも
なんか僕は違う気もしてはいます
おっしゃられた通り
見た目が美しいとされるから尽きる職業とかもあるし
みたいな
それを撤廃したら
なんというなんだろう
それはそれで
どうだろう分かんなくなってきましたね
わざわざ
美人な女優とか美形の俳優とかが
それを排除していくのもまた違うし
むずいな
いやそうですね
さっきおっしゃられた足が速いとかは
別に足が速かろうが遅かろうが
社会的な利益不利益にはつながりにくいから
めちゃくちゃ速かったら
スポーツ選手とかに慣れかもしれんがみたいな
別に
なんだろう
一般職において足が速いから
足が遅いやつに比べて
面接してもなんというか
就職しやすいとかないですもんねあんまりね
いやまあどうですかね
体力とかその辺も
体力はね
特に力仕事関係は
別に足が遅くてもいい
いいかもしれないですけど
ある程度ないと
僕学生時代ちょっと
引っ越しノーバイトをしてたことがあったんですけど
時間給じゃなかったんですよ
何件仕事どれぐらいのボリュームの仕事をやったかで
この仕事はいくらこの仕事はいくらっていう風に割り振られていて
早く終わらせたら早く帰れるし
早く終わらせたら
余ってる最後の仕事をもう1件取って
その分もいただいて帰れるみたいなのがあったから
荷物持ってないときは全員走るんですよね
走って取りに戻って戻って
荷物持ってで運んで
運び終わったら走って戻って
で移動中ちょっと休憩してみたいな
みたいな仕事もあるので
それが多分自衛隊とかもっと顕著になるしみたいな
仕事によってはその辺も
必要少なくとも平均以上必要みたいなことが問われる職業もあるっちゃあると思いますね
あるっちゃある
デスクワークには関係ないけどみたいなこともあると
見た目も
私オーストラリアに住んどるから
多分日本よりは
ルッキズムがそんなにそんなにでもない
と思うので多分
企業にもよるが業種にもよるが採用側は本当に
見た目気にしてなさそうだなというのがある
例えば私の会社とかね
でもその私のポッドキャストの回でも例を出したが
場合によっちゃ例えば能力が同じであるという人が
おったら見た目が良い人が有利かもしれないよというのがあるのが
まあ
それがその職業の
成果とかに関係あるんであればモデルとか例えば
しょうがねえけど
見た目明らかに関係ないよねみたいなのは
でもそれはむずいんですよね
見た目が社外的に良いとされる人が職場にいたら
みんなのモチベ上がったりすることもなくしにもあらずなので
むずいです
あの話のたとえ
なんていうのかな
僕もそう思う一方で
本当に能力一緒だったらじゃあ何を基準に判断するんだろう
そうだよね好み
結局なんか要素じゃなくて
じゃあ人柄で選ぶとか
結局そうじゃない何かしらの優劣をつけて判断することになるから
うーんねえ
いやむずい採用する側に
採用する側次第
確かに
人柄見てどうこうで
で面接して何してじゃないと
全部ペーパーだけで顔見ないでできないから
結局だから人柄とかその他いろいろもろもろ総合的に判断するために
ちゃんと対面で採用面接みたいなことをすると思うんですよ
そのなんか最後のちょっとのところ
ぐらいはまあ
まあ許容範囲なのかなと思ったりもしましたね
そうか
そこでそこで
美しくないから落ちたやったらすぎやだなと
ひどいのは能力は上なのに不美人だから落とされたみたいなのは
それはあってはならないと思うけどどうなんでしょう
いやそう思います
そうじゃなくてもなんかその人のアイデンティティ
国籍だったり人種だったり性別だったりその他いろいろあると思うんですけど
それによって正当な判断がなされていないっていうのは
ダメだと思うんですけど
なんかもう完全に
そういったものを基準でもう選ぶことができないぐらい
どっちを取ってもいいみたいなときに最後の一押しぐらいは
結局一緒に仕事するの党員たちだし
そこまでいったらしょうがないのかなって聞いてた時は思いましたね
あとすいません日本だと履歴書に写真つけるのが
習慣なんですか
そうですね残念ながら
オーストラリアはなしですねただの文面で
性別も書かないですね
名前で分かる人も分かる人が大多数だが私とかは分からねえから
その英語圏の人が私の日本語の名前見ても性別分からないんですよね
ただ
なんかありましたよね結局なんかどこだっけアメリカだかなんかで
そうやってやっても
名前を見て白人っぽいか黒人っぽいかみたいなのが判断できるから
白人っぽい名前の方が採用率が高いみたいな
みたいなのがありますね
さすがにオーストラリアはだいぶ多文化なんですけど
人による採用側によりますね
言うて私の職場とかも
そんなアジア系いねえしな
私ともう一人以外全員白人ですもんね
なんだっけなんか言おうとしたんだが忘れましたすいません
コメントを進めていこうかなまだ3分の2ぐらい
だと思う
えっと
なるほどね
だから例えばそういう言い方をすることによって
知能があんまり発達してない人の方がそういう傾向に落ちりがちみたいな
メッセージが発せられているような
というかなんていうかな
僕としてはその
ルキズムも差別であって
差別に対して批判して言及するのであれば
なんか容姿の軸以外でも
なんか差別しないようにちょっと配慮してほしいなと思った
そっかー
その一言が余計だったのかな
その
私の周りではそういうことないけどみたいな
それなかったら大丈夫だったかしら
なんかなんていうのかな
そこのそういうことが行われていない理由が
工学歴で
そういうことをわきまえている人が多いからみたいな
だからそういう経験がないんだみたいなのが
別に工学歴であることを言及する必要はないのかな
オーストラリアの私の周りにいる人たちだから
私が生活している中で
なんかそういうことをあまり言われない
そういうことに配慮してくれる人が周りに多いからでいいのかなと
留めておけばよかったかな
そこの理由をなんか他と比較して
ほうであるって
なんかそれは
なんていうのかな
事実
私の周りには美意識高い人多いから
居心地いいわみたいな時に
なんだろうその
衛生関連みたいな話をしている時に
なんか私の周りにいる人は美人な綺麗なお姉さんが多くてみたいなことを
わざわざ一言余計につける必要はないじゃないですか
という
なるほどね
事実ではあっても別に言わんでもいいだろそれはみたいな感じですか
そうか
多分実際問題
その
むずいなこれも
偏見につながってしまうのだが
ホワイトカラーの業種の人たちに比べて
ブルーカラーの人たちではそういう
ルッキズムに研究することが多そうだなというのはそれも偏見なんですけどね
私は実際にあんまそこに行ったことがないが
人づてに聞いた話とかではみたいな
ノリですね
だからそもそも事実を確認してねが言うんじゃねーよということはありますねめっちゃありますね
私なんか
結局
今まで作り上げてきたその社会構造的に
やっぱホワイトカラーの方が地位に高くてみたいなのも含めて
社会の構造としてそうなっているは
もちろん事実としてあったとしても
それは別に
何て言うかな
事実だからいいという話ではない
事実黒人の方が犯罪率高いやんけ
そういう
事実だからいいだろうという話ではないので
そして本来のテーマと別に関係ねーしなみたいなのもありますね
そこ深掘らんでもいいだろうみたいな
ただね
私の実家
実家が割とその下の上流か下流かで言ったら下流の方でして
めっちゃありますねめっちゃありますねルッキーズ
そういうのを踏まえて
で
私はそこからその
この言い方もあんまり好きじゃねえんだが
成り上がってきた感じの人間なので
中流今中流ぐらいなんですよその言い方もやなんだけどみたいな
むずいな
難しいですその配慮してしゃべりたい私も本当は
そこを息をするように配慮しながらしゃべれる人になりたいです
そういうとこ
そうですねできるのであれば
アンコンシャスバイアスっていう言葉がありますけど
なんていうその
自分の物の見方考え方とか発言にもその無意識的な
変形差別っていうのがあるかもしれないと
その
思いつつ何か行動するのと
自分はできているんだと思う
これでいいんだと思って発言するのはだいぶニュアンスが変わっていて
差別が含まれているかもしれないと
意識するのが多分一歩目だと思うんですよ
一歩目
でなんか
僕も偏見あるし差別的な視点もたくさん持っているし
でもなんか
自分の把握していない範囲においても
そういった要素が無数に多分自分の中にあるということを
意識だけはするつもり
ではいて
それが良い悪いはちょっとわかんないですけど
僕は少なくともそうありたいと思っているし
多分
ハンカオス聞かせてもらっている中で
八幡さんも割とそっちのスタンスなんだろうなと思っていたのもあって
何か思ったことがあればおっしゃってくださいと言われていたんで
僕が感じたことについては
ちょっと言葉強くなるけど
指摘するとこは指摘してみようかなという
ありがとうございます
その辺
ご自身ではあまり気にされていないけど
僕はこう感じましたよという中の一つが
言葉としてはメリットクラシー的なものを感じたという
メリットクラシーを私はちゃんと理解してないんだけど
そのメリットクラシーの問題点
八幡さんはメリットクラシーを良くないものと考えているという認識であってますか
そうですね
基本的に差別は全体全般として
僕はなくなっていった方がいいものだと思っていて
メリットクラシーも差別の一つだと思っているので
すみません私のメリットクラシーの理解が全然ないから
単純に能力主義ではないよね
もっとなんか細かい定義がありますよね
そうですね
だから僕もあんまりちゃんと理解してはいないですけど
一番なんか日本の社会一般的に使われているのに近しいのは
学歴主義的なものに近しいものだと思っていて
社会階層とかエリート一般人みたいな
そういう学歴その他行跡的なもので他者を判断するみたいなのが
メリットクラシーっていう言葉なのかなというふうに理解してます
なるほど
だからその
すみませんどうぞ
どうぞ
そしたらその高学歴の人が多いから
ルッキズ的な行為に出会わないということを発言することによって
低学歴の人はそういうことをしがちであり
差別しているように聞こえるよという
そうですね
多分ファンカオスの流れの発言としては
そういうニュアンスだと思います
そして実際問題
その高卒の人に比べて大卒の人の方が
給料は高いがちだが
高いことがありがちだが
でもそれってその
そもそも大学に行ける
財力とか学力とかに恵まれていた人がそういうとこに行くことが多くて
その
言うたら運が悪かっただけじゃんっていうのもありみたいな
むずいですね
だから僕がなんか
メリットクラシー的なものを一番感じる文脈としては
自己責任論的な話とかが出たときに
本人の問題だからって片付けてしまうことがあるじゃないですか
自分は自分の努力によって
勉強をして
いい大学に入ったんだみたいなことを
わりと盲目的に信じている人がいたときに
でもそもそも生まれ落ちた過程も含めて
前提がみんな違うわけで
当人の能力だけでそうなったわけではない
たときにその
自分より勉強ができない人は怠けているからだみたいな
僕のように努力して
いい大学に入ればいいじゃないかみたいな
発言とかはものすごいメリットクラシー的なものを感じました