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みなさん、おはようございます。 雷鳴龍馬です。
今日は、私が色々と学んでいる中で、一つ気づいたこと、これはまず一つ大切だなと思ったことを、皆さんとシェアしたいと思います。
色んな形で自分を見つめるにあたり、自分を知るにあたり、まず空、空の空ですね。
余白とも言えるんでしょうか。空っぽにする部分とでも申しましょうか。
そういったものを作ることによって、何かをまたそこに吸い込むというか、吸収するというか、そういうふうな余地が出てくるという下りがあります。
これよくよく考えてみますと、とても大切なんではないかと。
もともと意識であるとか、心であるとか、考え方みたいなものというのは、ある意味何もなかった、真っ白なキャンバスのような、そういうふうなところだったと思います。
そこに環境や教えや、死との出会い、経験がどんどんと積み重なっていって、そのキャンバスが色、形、そういったもので埋め尽くされるというようなイメージですかね。
それは多分自分だというふうな思い込みもあって、人生というのを紡いでいく、積み重ねていくような気がします。
本当の自分というのはどこにあるのかということで内観した時に、これはちょっと違うのではないかという気づきのもとに余白を作っていく、放たれていく、そして手放していくという、
そういうところで初めて余白、空白ができて、自分という本当の自分、与えられた天からのギフトがにょきにょきと明らかにされていく。
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なんだかそういう気がしてなりません。ですから別にそれは後悔するものではなく、そこに至るためのプロセス、過程の中で必要だったものを経験したり学んだり教えられたりしているのではないかと思うんです。
さてみなさん、この問いにどう答えますか。あなたがこうあらねばならないとか、これを目指すべきだとか、こうあるときっと幸せがつかめる、それは一体何なんでしょうか。
そしていつ、どういうふうにその目指すべきもの、マストと言われる、ねばならないものが自分の意識の中、心の中に芽生えたんでしょうか。
これを内観し、自分の中で答えが出てくると、はっと気づくときがあるかもしれません。それは本当に自分が大切だと思えることなのか。
それとも周りの環境や外の世界が自分にこぼせねばならないという縛りだったのか。さあ、この問いにどう答えるか。
私も修行の途中ですから、いろんな形で内観の機会を作ったりしておりますが、この問いに対しての答え、少しずつわかってきた気がします。
今日は皆さんと自分の内観、そういうふうなものに対する大切なこと、余白を作るという話をシェアさせていただきました。
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今日も一日、健やかにお過ごしください。ありがとうございました。