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みなさんおはようございます。雷鳴龍馬です。 今日は、私の尊敬する遠隔寺の横田館長がお書きになった、禅語の中から一つ、みなさんと分かち合いたいと思います。
恥を知るという言葉です。恥を知るの意味は、どこまでもまだまだ足らないと思う心というふうに書いてあります。ちょっと我々の印象とは違うんじゃないでしょうか。
良き習慣を保つように努力しても、決してこれでいいと思うのではなく、どこまでもまだまだ足らない恥を知ることが最も大切である。
お釈迦様は恥る心を持っていれば、良い教えに導かれていくのではあるが、恥る心のないものは、もはや獣に等しいとまで言われている。一生懸命に勤めることは大事であるが、自分はこれで十分と思い上がってはならない
とあります。
樽を知るという言葉にも実はつながっているのではないでしょうか。物事の見えるもの、欲に対しては樽を知る。
ただし、見えない自分は精進して、より良い習慣や、より良い人間になっていく。
その向上心、自分を修行の実と捉え、より良い人間になっていこうとする思いにおいては、自分はこれで十分というふうに思いがあってはならないということなんではないでしょうか。
どこまでもまだまだ足らないと思う謙虚な心、その心こそが恥を知るということのようです。
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皆さんいかがでしょうか。すべての物事が自分だけで、自分の努力だけで成り立っていると思っていた若気のいたりの頃もありました。
そのおごりたかぶりがある失敗を生んだり、ある難局に出会ってみたり、そういうふうな試練を通じて謙虚にしてくれたのも事実です。
これでいいんだ、ここまでで自分はいいんだと、そう思う慢心が自分を襲ってきますけれども、まだまだだ、まだまだだというような、そういう言葉、自分に聞かせることが、
実はこの恥を知るという言葉だったのではないかと思った次第です。
今日は横田館長が青柿になった前後、恥を知るという言葉を皆さんと分かち合いました。
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今日も一日健やかにお過ごしください。ありがとうございました。