はじらぢさんでぃ、新しい一週間が始まりました。
はい、はじらぢさんでぃ、今日は11月17日、日曜日、ただいま、お昼回っちゃいましたね。
もうすぐ午後1時になろうとしてます。ちょっと遅めのスタートになってます。
今日は1日雨模様で、朝がぬるい朝で、冬一郎くんが、ちょっと欲情気味なんですね。
近所のコーギーのお姉さんが、ちょっとヒート中なのかな。
それで、その匂いに反応している冬一郎くん。
昔ほど激しくなくなったんですが、時々私の足で腰を振っている冬一郎くんですけども、
そんな冬一郎くんを横目に、はじらぢさんでぃ収録していきたいと思います。
本当は午前中にやると冬一郎くん寝ててくれていいんですけども、
今日はちょっとタイミング失いまして、これから収録したいと思います。
今日はですね、シーズン5に入って25個目のエピソード。
もう25個目ですね。早いですね。
週に大体4つですから、5ヶ月近くが経とうとしているということです。
6月から始めたんですもんね、シーズン5はね。
そんなわけでサブタイトルつけながらやってきてますが、
今日は変わらぬ我に祟りなし。
変わらぬ我に祟りなし。
どんな話になるんでしょうか。分かりませんが、話すこと決めてませんが、
今日も第1コーナー、人生いろいろ。
第2コーナー、がんばれホモ・サピエンス。
第3コーナー、SNSあれこれ。
そして第4コーナー、ザ・冬一郎さんぽでお送りしてまいります。
今日は1日雨の札幌で、気温は朝上がったんですが、
この後どんどん下がっていくというね、
明日が本当に寒い日になりそうですね、最高気温。
明日は最高気温3度という予報が出て、雨じゃなくて雪が降るみたいですが、
先ほどの余韻でまだオーワンオーワン言ってますけども、
冬一郎君の声も入れながら、収録していきたいと思います。
最後までお聞きください。
はじめるラジオキャンパス。
シーズン5。
プレゼンテッドバイキャンパス。
はい、はじらぢさんでぃ。
シーズン5、25個目のエピソード。
変わらぬ我に祟りなしということで、
これは触らぬ神に祟りなしというね、
ことわざがあるわけですけど、触らぬ神に祟りなし。
似たようなことわざとしては、
君子危うきに近寄らずとかね、あるわけですけれども、
触らぬ神に祟りなし。
今回それをもじって、変わらぬ我に祟りなし。
ちょっとクエスチョンマーク、びっくりマークつけてみましたけども。
変わらないことで祟りがないと思ってるから変わらないから何も変わらないで、
それはあんまり良くないんじゃないかっていうのが基本的な私のこのタイトルをつけた意味ですね。
変わらぬ我に祟りなし。
みんなね、当たり障りなく変わらぬ我を生きてるんじゃないかと。祟りにあわないようにね。
それは意外とホモ・サピエンスの社会としては、
やっぱりあんまり良い方向に行っていないんじゃないかというね、そんな思いがあったりするので、
そんなテーマで少し喋ってみようかなと思ってます。
これどうなんでしょうね。
変わることってやっぱりリスクがあるので、
あんまりできれば変わりたくない。
でも人間は変わらないと、例えば人間成長するプロセスで、
子供のまんま変わらずに、性格も変わらずに、ずっと生きちゃう人もいるみたいですけども、
あんまりそれは良くなくて、やっぱりこう、
サナギが蝶になったり、あるいはカマキリが何度も脱皮するように、ヘビが何度も脱皮するように、
殻を脱ぎ捨てないと大きくはなれないという。
大きい人間になろうっていうね。
これ庄司薫さんですけど。
大きい人間になろうって、赤ずきんちゃん気をつけてでしたっけ。
忘れちゃいましたけど。
大きい人間になろうっていうのは、私ちょっとやっぱり思った瞬間があって、
結構こう、引っ込み思案な、おぼこい子供だったのが、
積極性がなかったんですね。
変わらぬ我に祟りなしとばかりにね、あんまり変わりたくなかった。
ところが変わろうと思ったんですね。
変わろうと思って、大学進学は誰もいないところに行こうと、
みんなが行くところに行くのは嫌だ、変わろうと思ってたんですね。
それで大学に入って、ところがやっぱり変わらぬ我がいたわけですね、変わらぬ我が。
なかなか変わろうと思ってても変われない自分がいるっていう。
この殻をどうやって壊そうかっていうことで、いろんなことがあったわけで、
これまでにもいくつか話してきましたけれども。
むしろリスクを覚悟で変わっちゃおうという方になんでぶれちゃったかっていうと、
これは何度も出てきてますが、やっぱ大学1年の年末の失恋体験でしょうね。
それがやっぱり大きくって、もう変わろうとね。
自分の殻を脱ぎ捨てよう。
他にもいろんな出会いがあって、やっぱりずっと仮面をかぶってきたんですよね。
ペルソナを生きてたわけですね。
そのペルソナを生きるのをやめようと。
言葉もなんか自分の言葉じゃない感じがしていたっていうね。
なんかありきたりの言葉を吐いていて、自分の、まあ今でいう接地感覚ですけど、接地問題ね。
記号接地がなかったわけですね。
記号接地のないまま記号を使ってたみたいなところがあって、どうも上滑りな言葉を使ってると。
これは嫌だなと。
そこでいろいろいろんなものに出会うわけですけど、本も含めてね。
それこそ竹内敏晴さんの本を読んでみたりとかね。
いろんな身体性ですね。
体と言葉がいかにつながるかみたいなことで。
言葉、体につながらない言葉を吐くのはやめようとかね。
思い始めたのがやっぱり、二十歳ちょっと前ぐらいの時ですかね。
それが私にとってはやっぱり何だろう。
なんかその場限りの実感のこもらない言葉は吐きたくないと、語りたくないと。
やっぱり思い始めたんですよね。
それがやっぱり自分が変わろうというきっかけになって、それまでの自分を壊すみたいなね。
ちょうどその頃、80年代半ばですけど、自分探しっていうのはね、時代のキーワードになってきて。
皆さんアイデンティティクライシスでね、アイデンティティを模索する時期にも入ってきて。
それまでの価値観が結構崩れた時期でもあるんですよね、80年代っていうのはね。
やっぱり80年代っていうのは、それ以前の時代とそれ以後の時代で大きく転換したわけですけども。
その80年代にやっぱり学生時代を送ったっていうのが大きかったですね。
はい、冬一郎くんがかまってちゃんで、かまってちゃんで、お前何喋ってんだと、俺と遊んでくれってきました。
はい、上に上がってきました。
顔を舐める、俺も喋るか、お前もポッドキャストデビューするか。
はい、ふんふん匂い嗅いでます、はい。
俺も喋りたいよと、舐められてます、顔ね。
そんな感じで、変わらぬ我に祟りなし。
そういう時に変わるきっかけとしては、やっぱりコミュニケーションなんですけど、これ人とよりも生物ですね、生物。
生物とのコミュニケーション、特にやっぱり犬がいいですね。犬の話ばっかりしてますが。
犬はわかるわけですよ。言葉なしでコミュニケーションするわけね。もちろん言葉使うんですけど。
犬には言葉わかんないわけだから、薄っぺらな言葉吐いてたって意味がないわけで。
やっぱり言語化しないレベルで、でも、もちろんそこで言葉も使うんだけども、その言葉にどこまでコミュニケーション力があるかみたいなこと。
やっぱり動物なんかと喋ってるとね、そういうのがよくわかる感じが、実感できるような感じがして。
犬に伝えようとするときに、これ子供でもいいんですけど、人間の子供でも、ホモ・サピエンスの子供でもいいんですけど。
だいたい親がね、子供コントロールしきれずに怒ってる親がいたりするわけですけど、私もそれなりにちょっとだけ子育てしたので、そうするとやっぱり思うようにならないわけですよね。
こっちはもうこっちでしんどいのに、もう子供は泣き止まない、言うこと聞かないっていうときに、じゃあどう子供とうまくコミュニケーションとってね、なんとかいい方向に、お互いにね、お互いにいい方向に持っていくかっていうところが問われるんだけど、
そこがうまくできないと、やっぱり親も成長しないし、子供も成長しないって話なんだけど、そこのコミュニケーション力って結構ね、やっぱ大事なような気がして。
そのときに大事なのが、やっぱ自分を変えれるかだと僕は思ってて、やっぱり変な思い込みとか先入観とかこれまでの習慣とか、そういうので対応しようとするんだけど、そこで一回自分をリセットしてね、リセットしてもう同じ平場に立って、犬なら犬と同じ土俵の上で、もう犬のように遊ぶという、一緒にね、犬レベルで遊ぶ。
目線を合わせる。目線を揃えるっていうかな。そのレベルでコミュニケーションをとるっていうことを、これ子供もそうですし犬もそうですけど、やっぱそういうことができるかどうかね、自分のペルソナにこだわらずに、そこでコミュニケーションをとれるかっていうのは結構大事なような気がして。
これはいろんな人と、いろんなホモ・サピエンスが世の中にいるわけですけど、そういう人たちとコミュニケーションをとるときもやっぱり人によって全然違うわけですよね。もう理屈が、もう言葉だけ上すべりしてしゃべる人もいるし、そういう人と付き合うのもいいけど、そのときにやっぱりそのレベルだけで話し合わせてってもいいんだけど、それは面白くない。
いろんな語り方をして、いろんなレベルで話をしようとするんですけども、その言葉にこだわって、それってどういう意味?とか言いながらね、よくコミュニケーションをしたんですけども、逆に言葉だけで上っ面だけでコミュニケーションをとれないホモ・サピエンスもいっぱいいるので、
そのときにはむしろそのレベルじゃない?むしろ言葉を使わずに、下手に言葉を発することなく、言葉なくてもコミュニケーションができるぐらいのつもりで付き合うみたいなこともあったような気もするし。
そういう意味では臨機応変って言うと変ですけど、常に自分のペルソナにはこだわらずに、常にもうリスク覚悟で変わっちゃうという、付き合っちゃうっていうかな。で、祟りを受けるわけですけどね。その都度いろんな祟りがあるわけですけども、それは祟りがあってもいいだろうと。
それこそ、もののけ姫じゃないけども、多少の祟りを引き受ける覚悟がなきゃ生きてる実感は感じられないぐらいのつもりで、生きてりゃ祟りにも合うだろうと。祟りにあってもいいから変わっちゃえという方向で結構生きてきたような部分があるのかななんてね。
これも具体的な話何にもしてないんでわかんないと思いますが。変わらぬ我に祟りなしと思って生きててもつまんないんじゃないの。ところがだけど、それはそれで怖いしね。リスク大きいしめんどくさいしね。マイナスもあるんでね。やっぱり変わんないほうがいいんじゃないかって人のほうが多いんだろうなと。周りを見てて思ったりする今日この頃です。ということで、第2コーナー。がんばれホモ・サピエンス。
はじらぢさんでぃ。プレゼンテッドバイキャンパス。
はい、第2コーナー。がんばれホモ・サピエンス。普通、冬一郎くん諦めて向こう行って寝るんですけど、今日は諦めずにずっとつきまとってはぁはぁ言ってますので、途中冬一郎くんも登場するかもしれません。がんばれホモ・サピエンスね。変わらぬ我に祟りなし。はい、冬一郎くん。はい、お前もしゃべるか。
うん?冬一郎もポッドキャストデビューするか。はい、なんかしゃべりたそうな冬一郎くんです。はい、冬一郎くん。がんばれホモ・サピエンス。ねえ、ホモ・サピエンス何やってんだろうと、このホモ・サピエンスは。何マイクに向かって誰が聞いてるわけじゃないのに、しゃべってんだみたいなさ、
ふうに思ってるかもしれない。だけどこのポッドキャストをやるっていうね。言葉を宙に向かって語ると。ところがそれを聞く人がいるんですね。聞く人が。たまたま聞いちゃったりするし。まだね、出会うこともなく聞いたこともない人もいると思うんですけども。
その時に何だろうな。これが何か相互作用を生んだりすることがあるんですよね。変化を生むっていうかな。変化を生む。ホモ・サピエンスってやっぱりコミュニケーション、相互作用、ぶつかり合いというか何か出会いというかな。
そこで言葉のやりとりとかね。ある中でやっぱり変わるわけでね。変わることがいいのか悪いのかっていう問題よりも、変わるからこそ生きてられるっていうかな。変わらずに生きてる気になってても実は変わってるという。
その変わり方がちょっとね、変わってないと思ってるような変わり方をしてるんじゃないかっていうね。何言ってるのかよくわかりませんが。そういう意味では常に変化を求める必要はないんですけれども、変わることを恐れる必要は全くないし、むしろそこで冒険をしたことでホモ・サピエンスっていうのはやっぱりいろんなものを進化なり発達なり発見なり発明なりしてきた。
だから発明発見含めてやっぱり冒険心ですよね。リスクですよね。それをリスクの方に飛び込んでいく動物なんですよね、ホモ・サピエンスはね。他の動物はリスクから回避するんですけど、ホモ・サピエンスはなぜかリスクに挑むんですね。
これは相当何かが狂ったんだと思いますけど、ホモ・サピエンスはやっぱり何かが狂って、動物としての本能がどっか外れたところがあって、それで冒険とかリスクとか死を顧みずに何かやっちゃうみたいなことが起きてきたんだけども、ところがそういう冒険心とかリスクを追うみたいなことがどうも少なくなってきちゃったような気がしてて、ホモ・サピエンスね。
そうするとやっぱり、いつも言ってますが、進化が止まって衰退の道に入ってる。ホモ・サピエンスはすでに滅亡の道に入っているっていうふうに思うことしか最近は起きないので、それでいいんですけども、そうなるかどうかはわかりません。
とにかく滅亡の道とか言っても数千年は生きながらえると思うんでね。ネアンデルタール人は数万年生き延びたわけで、ホモ・サピエンスはだけど文明社会つくってまだ1万年も経ってないわけでね。この文明社会ですよね、結局ね。
これがいつまで続くのかっていう方がむしろ問題で、十数万年も違う形でホモ・サピエンスは生きてきたわけでね、原始時代を生きてきたわけで。原始の世界に戻るのか、猿の惑星じゃないけども言葉を失ってね、あんな感じで生きるのか。
分かりませんが。変わらぬ我に祟りなしと思って生きてると、変わらぬことでむしろ祟りに、より大きなね、祟りに出会うかもしれない、そんなホモ・サピエンス。
もっと言えば、だけど逆の言い方もできて、ホモ・サピエンスがそうやって本能を失って、いろんなリスクとかをかえりみずに冒険するようになったことで、ここまで地球を壊してしまった。生命を、他の生物を滅ぼしてしまったと考えると、変わったことで罪を犯してきたなんてね、言い方もできるわけで、
ホモ・サピエンスがホモ・サピエンスのまんま文明を進化させずに、言葉も持つことなく、下手な妄想やフィクションを持つことなく、呪術に目覚めることもなく、動物のように生きていれば、もっと地球は長生きしたかもしれない。
ここまで環境悪化しなかった、異常気象もなかった。そんな気もするので、そういう意味では神の祟りに合ってるのかもしれないですね、ホモ・サピエンス全体がね。なんて本気では全然思ってないですけれども、とにかく変わってしまうのがホモ・サピエンスの特質だと思うので、そこをごまかしててもしょうがないし。
むしろ、運命というか宿命というかをどう生きるかですね。目の前の小さな幸せで生きるもよし、もう少しちょっとだけど全体考えたら、もうちょっとやりようがあるだろうみたいなことも含めながら、ここまで肥大化してグローバル化して権力も巨大化して、
金で世の中が動く時代になってしまって、言葉だけで世の中が動く時代になってしまった中でね、さらなる変化を求めるのがいいのかどうかっていう問題も出てきちゃってるような気もしますよね。
新幹線作った、リニアモーターカー作ったと言いながら、もう乗る人がいなくなっちゃうみたいなね。家もたくさん作ったけども、今や壊すのにもお金がかかって、壊す力もなくなっちゃって廃墟が増えてくるみたいなね。そんな時代に入っちゃって。どうするんでしょう。数が減る。もう種としては滅亡の道に入ってる。
少子化始まったってことは、ある意味、種としての滅亡の始まりというね。これはもう少子化はいろんな対策打っても根本的には解決しないんですね。つまり政策的な問題じゃなくて、種の存続するエネルギーに関わる問題だと。これはもう人間の政策云々でどうこうなる問題じゃないぐらいに最近は思っちゃってるんですけどね。
かといって何もしなくていいわけじゃなくて、何かやれることはやったほうがいい。やれる限りのことはやったほうがいい。それがどこまで報われるか。これはまた別の問題でね。
それはそれでも、触らぬ神に祟りなしじゃなくて、神のみぞ知るの世界になってくるのかもしれないなって思ったりもしています。ということで、冬一郎君が外に出たいと。
今日は雨降りだよ、冬一郎君。雨降り。外出れない。退屈だね。寂しそうにこっち見てます。
ということで、がんばれホモ・サピエンス。このホモ・サピエンスはマイクに向かって何やってんだろう。というふうに冬一郎君が見つめてるので、ここまでにしたいと思います。ということで、第3コーナー。SNSあれこれ。
はじめるラジオキャンパス。シーズン5。プレゼンテッドバイキャンパス。
はい、ということで、第3コーナー。SNSあれこれ。今日は雨降りの上に、冬一郎君退屈で午前中寝てたんだけども、ちょっと欲情気味で、くんくんくんくん寂しくて、さっきまで私にちょっかいかけてたんですけど、今はバルコニーを見つめて寂しそうにしてます。
もうすぐ不貞寝すると思うんですけども。それを横目に見ながら、SNSあれこれ。変わらぬ我に祟りなし。
これで一番思うのはやっぱりプラットフォームですね、SNSのね。今SNS変動期に入ってきたんで。
SNS自身まだまだ歴史は、10年20年、20年ぐらいだね、せいぜいね。30年。インターネット始まって30年ちょっとですからね。
そんな世界の、そんな時間のスパンの話をしてるわけなんで、その中で変わる変わらないって大した話ではないんですが、変わらぬ我に祟りなしっていうことで、やっぱりあるプラットフォームにのめり込んだとして、仮にね、
そこにずっとこだわり続ける人もやっぱりいるんだけども、これどっちがいいのかね。やっぱり流行りすたりじゃないけれども、あるんですよね。
そんな中でSNSとの付き合い、これもう私の付き合い方はもうあれこれで、とにかく使えるものは何でも使うし、ある意味もう終わっていくところにそんなに未練感じてもしょうがない。
それは終わっていくもんだと思って。逆にどんどんどんどん変わっていく。
それも節操なく変わるというよりも、やっぱりここはやってて面白いし意味があるし、しばらく続くだろうという思いがあって見通しがあってやってるわけですけど、ただそこで変わることについての抵抗感はあんまりない。
これ意外といるんですよね。やっぱり文字チャットがなくなるのは寂しいとか、ビデオチャットは邪道だとか音声チャットは邪道だとか言う人もいたし、ブログやったらもうブログしか嫌だし、音声でポッドキャスト喋るなんて。
TwitterやったらもうTwitter慣れちゃって、Twitter以外のやつはどうもなーと言いながら。ようやくFacebookやったと思ったらFacebookばっかりやってるとかね。
今度インスタにハマっちゃった人はインスタばっかりやってるとかね。TikTokハマった人はTikTokばっかりやってるとか。なんかね、なんか一個プラットフォーム見つけたらそこばっかりやってる人が結構いるんですけど、なんでそうなのかがわからないんですね、私にはね。
まあ居心地がいいのか、何がしたくてやってるのかわかりませんけど、逆にポッドキャストやる人はポッドキャストばっかりやってる人もいるんでしょうが、これは私はやっぱりマルチにいろんなことをやった方がいいというふうに思ってる方で、なんか一個だけのプラットフォームでやるというのはなんかあんまり、プラットフォームとともに人生終わるわけでもないわけで、
逆に人生が主人公だとすればプラットフォームはある意味ツールなので、いろんなツールはいろんな形でその目的やその時々で使いたいだけ使えばいいという考え方で、そこに下手な思い入れをそんなに持つ必要もないかなという。
寂しい思いをするのは事実ですけど、それ寂しいのはプラットフォームが寂しいんじゃなくて、そこに集まってるホモ・サピエンスが消えたわけじゃないのでね、どっかでなんかやってるわけで。その時にやっぱりそのホモ・サピエンス同士のコミュニケーションツールがSNSのはずなのに、今や情報収集ツールとしては使ってもコミュニケーションツールとしてはあんまり活性化してないかもしれないという。
場所によっては活性化してるんでしょうが、ただそのコミュニケーションの取り方もね、TikTokのコミュニケーションの取り方とか見てて、あんまりそういうコミュニケーションってなんか面白いのかなーなんて思っちゃう年寄りオヤジですけどね。
かといってね、そういう意味では最近やっぱり音声配信だね、オンデマンド音声配信ってやっぱり面白いなと。むしろSNSが、オンデマンドの音声配信ができる環境が整ったってね。ことがSNSの進化の歴史の中では大事かなと思ってて。
それこそTwitterしかできない時代、Facebookみたいなのしかない時代から、今や映像音声が自由にオンデマンドで配信できる時代になって、しかも映像が先行したんだけどむしろ音声っていうね、ものがもっとSNSという土俵の上で展開していいんじゃないかと思うのはなぜかというと、やっぱ言葉ですね。
ホモ・サピエンスは言葉でコミュニケーションをとる。下手な映像いらない。逆に言葉と音声ですね。肉声と文字。文字だけはやっぱり片手落ち。音声はやっぱり肉声はあった方がいい。映像もあるに越したことはない。
だけどメインは映像より音声のような気がしちゃうんだよね。肉声がね。肉声メインで文字が補完で映像も補完でみたいなのが一番今後のSNSの深化というか深くなる深化ね。
SNSの深まり。コミュニケーションの深まりってことを考えて、やっぱ肉声のコミュニケーション。それも必ずしもリアルタイムじゃなくていいので。もちろんリアルタイムもあっていいんだけども、むしろオンデマンドの肉声のコミュニケーションっていうのがね、メインに座ってほしいなと。願望も含めてね。
願望も含めて思ってるんですけどね。だからTwitterがなんか面白くないとかそこで文字打つのも飽きたとか言っててもいいし、インスタで写真やっててもうそれも飽きてきたみたいな話もいいし、インスタライブちょっと最近やり始めたとか言うのもいいんだけど結局何をやってるのかっていう話であって。
伝えたいのは何なのかって言うとやっぱ言葉だと思うんだよね。最終的にはね。言葉を伝える時にやっぱり映像よりも肉声。何の話してるんでしょうね。そんな風に思ったりして。
SNSあれこれ。変わらぬ我に祟りなし。何が言いたいかというと、いろんな既存のSNSがやっぱりいろいろ。今後の見通し含めてね。
XTwitterの未来。Facebookの未来。Facebookは若い人は使わない。TikTokの未来。インスタの未来。SNSのいろんな栄枯盛衰あるんだけど今後どういう風にSNSっていうのは展開していくんだろうってことを自分なりに妄想すると、やっぱ肉声メインでSNS機能を持った肉声配信みたいなものが、
やっぱりSNSのメインに座っていくんじゃないかなって気がね。どうしてもしちゃうんだよね。その時に、やっぱりここで変われない人が結構いるという。
Twitter的なものを求めてBlue Skyに飛んでみたり。私も登録しましたけど。昨日ね。昨日登録しましたけど。だけどちょっとそんなにやる気はないんだよね。インスタも2011年からやってもうインスタもいいやと思っちゃってるし。
YouTubeもちょっとやったけども、そこでね。必死こいてやる必要もないなと思って。一番いいのは音声配信をしながら文字起こしだね。音声肉声が文字になるっていうね。そこで自分とのコミュニケーションがとれるっていう。ここがやっぱり一番いいですね。ここに一番意味を感じるなぁ。
それがたまたま他のホモ・サピエンスの脳にも届く。耳にも届く。目にも届く。耳と目と脳に届くってのはいいね。匂いと味覚と、嗅覚と味覚と触覚は届かないけれども。リアルで会わなければね。
だけどとりあえず聴覚と視覚。今これもうホモ・サピエンスの五感の中では視覚が8割、聴覚が1割ぐらいになってますからね。だから映像からいくんでしょうけども。やっぱり耳と目ですよね。文字と目。もちろん映像もあってもいいんですが。
そこからしかも言葉ですね。言葉を伝えるツールとしてのSNS。下手な映像を伝えるSNSじゃなくて、言葉を伝えるツールとしてのSNSをメインに考えていくと、そこに本来のSNSの究極目的があると勝手に思ってるので。
そうするとやっぱり肉声をオンデマンドで伝えるSNSが一番いいな。そういう意味では皆さんポッドキャストをやりましょう。肉声を届けてください。しかもそれも時間軸で流れてしまって消えてしまう言葉ではなく文字として残して、しかもブログにも展開して。
だからFacebook、Twitter書いてもいいけども、肉声もぜひ肉声で語ってほしいと。そのときに必ずしも映像をつける必要ないので余計な情報なんでね。肉声と文字でいいというふうに思うんですけど、そういう常識ができるのかできないのかわかりませんが、よくわかんない話になっちゃいました。
SNSはどこへ行く?10年後にはどんな風景が見えてるんでしょうか。ということで最終コーナー、ザ・冬一郎散歩のコーナーです。
ザ・冬一郎散歩のコーナーです。今日は11月10日日曜日から17日日曜日までの散歩音源をお聞きいただきますが、近くに冬一郎君がいて邪魔しに来てますが。
10日ちょっと寒かったんですがやや気温上がって夕方散歩。それから11日は小雨がちらつく中の散歩。この日やっぱりまた午後気温が下がりましたが、近所のコーギーちゃんのお尻を追っかけてうんち散歩した日。
それから12日火曜日。この日が寒かったんですね。気温が1度ぐらいまで下がった。昼間も10度までしか上がらなかった。午後の散歩早めに河川敷と堤防に来ましたが、小雨の中の散歩でこの日の夜がまた1度まで下がって。
13日水曜日。朝工事の音がうるさい散歩。公園散歩。この日は7度までしか上がらなくて午後早めの寒い中の散歩。14日木曜日。この日も寒かったんですが天気は晴れたんですね。
お昼のうんち散歩。それから夕方寒い中、手袋をし始めました。散歩しました。15日金曜日はちょっと雨模様だったせいもあるんですが、冬一郎くん。家で救急車両がなんかいっぱい通ったんですね。
遠吠えが結構長い時間収録されてますのでそのまま流しちゃいたいと思います。それから夕方公園でうんち散歩。16日土曜日午前中、朝の散歩の音源がなくて午後。この日もゆっくり河川敷にいっぱい行ったんですね。結構ロング散歩をした日でした。
それから17日今日ですけども日曜日の朝。今日は朝が15度まで上がったんですね。これから気温が下がって、今夜には1度まで下がるという。明日は3度までしか上がらないということですが、ここ2日、冬一郎くんと2人で熟睡モードに入っている。そんな感じですけども、1週間の散歩音源、お聞きください。
11月10日午後4時半。冷たいけど気温はちょっと上がってきましたけどね。それでも冷たい空気ですね。そんな感じで冬一郎くんお散歩出てきました。車がうるさいですね。ということでお散歩続けます。ではまた。ご近所散歩です。
11月11日ポッキーの日ですか。朝6時25分。ちょっと雨が降ってます。小雨ですね。さっきまでもちょっと降ってたんですが路面が濡れてます。気温はちょっと上がって、今10度ぐらいありますね。暖かい朝ですね。まあ暖かいって言っても10度なんでそんな暖かいわけじゃないんですが、寒くない朝です。
はい、冬一郎くんようやくお散歩出てきました。結構早い時間からピスピス言って、その割には家でのんびりしてなかなかお散歩に出なかった冬一郎くんです。今、クン活中ですね。月曜日の朝になりました。ということでお散歩続けます。ではまた。
11月11日。おう、うるさいね。夕方4時前ですね。3時53分。お散歩出てきました。冬一郎くんがピスピスうるさいので。はい、クン活中です。ちょっと冷えてきましたね。気温、朝暖かかったんですけど、なんかまた下がってきました。寒いです。はい、ということでお散歩続けます。ではまた。
11月11日午後4時13分。冬一郎くん立派なうんちを近所でして、お家の方に戻ってきました。その前はコーギーのお姉さんの、コーギーのお姉さんのお尻をかけて舐め回してましたけど。そんなわけで無事に夕方の散歩が終わりそうです。ではまた。
11月12日火曜日。また気温が下がりましたね。朝6時13分。たぶん1度2度3度ぐらい。3度ぐらいで、今日は10度ぐらいまでしか上がらなくて、明日が7度が最高気温ということで、ちょっと今日明日寒くなりそうですね。はい、寒い札幌です。冬一郎くんおしっこ散歩。ご飯も食べずにおしっこ溜まってたみたいです。はい、はい、家に戻るみたいです。ではまた。
11月12日火曜日。豊平川の堤防までやってきました。午後3時半。と言ってももう夕方みたいですね。日が短くなってすっかり。しかも今日は雨模様ということで、今降ってないんですが、さっきまでちょっと小雨がパラパラ降ってました。雨雲が。
押し寄せて気温も下がってきました。今日も1度ぐらいまで下がるんでしょうか。明日が一番冷えるみたいですね。そんな感じで。
豊平川の堤防で、クン活中。はい、雨また降ってきました。ではまた。12日午後3時32分。河川敷に降りてきました。冬一郎くんなんか元気に歩き回ってます。
久しぶりのクン活。ちょっと雨がパラパラと降ってますが、濡れるほどではないですね。冬一郎くんお家の方に帰るんでしょうか。うんちも出て、クン活もして、河川敷をあっちこっちあっちこっち歩き回ってます。誰もいません。ひとっこひとりいません。
ということで、ではまた。11月13日水曜日朝8時8分。ゲストハウスのお客さんもチェックアウトされて、冬一郎くんは遅めのお散歩です。通学時間になっちゃいました。小学生がそろそろ通学を終わる頃ですね。冬一郎くんはおしっこを我慢してました。そこですんの。そこで。おしっこしています。
工事がうるさいです。朝から8時になると始まって。4時ぐらいまでやってるのかな。もうだいぶ少なくなってきましたね。あと数日で終わるんじゃないでしょうか。ではまた。13日朝8時17分おしっこをしている冬一郎くん。近所の公園。冷たいです。はい。冷たい。あの雪の気配を感じる寒さになってきましたね。はい。