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2024-06-23 59:38

はじらぢさんでぃ #004 -ひとりでできるもんっ- HRC season5

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サマリー

第一コーナーでは、はじらぢさんが一人でできるものというテーマについて話しています。はじらぢさんは寂しがり屋ですが、一人で過ごすことを学び、一人でできるものを見つけました。第二コーナーでは、ホモ・サピエンスの特性に言及し、ヒトの子供時代が他の動物種と異なることを説明しています。ホモ・サピエンスは外敵との関係で不利な条件となる一人でできない時期を作り始めました。その理由は、ホモ・サピエンスが産後の育てる環境を作ってきたためであり、脳の巨大化が一因となっています。また、現代のインターネット社会では、SNSが人々の本質であり、一人で楽しむものではないことが明らかになっています。SNSには大きく2つの分類があり、映像メインのSNSと音声・文字メインのSNSが存在しています。冬一郎散歩では6月16日から23日までの散歩音源を紹介し、天候の変化や冬一郎くんの活動を伝えています。ブログやSNSが人々の交流の場となり、ネットコミュニティが盛り上がっています。冬一郎君のお散歩が続き、河川敷や公園での活動が描かれています。札幌の天候の変化や民泊ゲストハウスの予約状況も紹介されています。

一人でできるもん
はじらぢさんでぃ、新しい一週間が始まりました。
現在、6月23日日曜日の午前11時15分になりました。
今日は、民泊ゲストハウスのお客さんが今朝までいらっしゃったので、ちょっと遅めの配信になります。
それから、他にもちょっと先にね、はじらぢさんでぃやる前に、ちょっとやることやっちゃおうということで。
そしたらちょっとお昼にかかってきてしまいましたが、今から収録をして配信したいと思ってます。
今日は、6月23日日曜日ですけれども、夏至が21日過ぎて、
昨日が満月でしたが曇り空で、月は見えずに、今日23日ということになってます。
今日も第一コーナーから第四コーナーまでお送りしていきたいと思います。
第一コーナー、人生いろいろ。第二コーナー、がんばれホモ・サピエンス。
第三コーナー、SNSあれこれ。そして第四コーナーが、ザ・冬一郎さんぽのコーナーです。
今日のテーマは、ひとりでできるもんっ。最後までお聞きください。
はじめるラジオキャンパスシーズン5プレゼンテッドバイキャンパス
ということで、第一コーナーですね。はじらぢさんでぃ、第一コーナー。ひとりでできるもんっ。
人生。私、結構、寂しがりだったんですね。だった。今はそうでもなくなっちゃったんですね。
今日のテーマは、ひとりでできるもんってことなんですが、
もうちっちゃい頃は意外と一人でいるのが寂しいと。
男三人兄弟で賑やかだったっていうのもあるんですが、一人でいるのがやっぱ寂しいし、
常に誰かがいないと。一人で過ごすのは苦手でしたね、ある意味ね。
一人遊びがあんまりできないというか、なんか夢中になっちゃったときは一人遊びもするんですが、
テレビっ子でしたね、子供の頃は。テレビが友達ということ。
あとは、ちょっと拗ねて犬小屋に隠れたりとか、そんなこともありましたが、
その時は犬が友達。一人になれない。何かがないとダメだった人生だったんですが、
これは結構ね、二十歳過ぎまで続いたんですよね。
やっぱり一人遊びができない、一人時間が過ごせない、一人の趣味で一人だけ楽しむ、
孤独な楽しみを持つことができないっていう、何かもうちょっと社会的に他人と関わってないとダメという、
そういうタイプだったんですよね。あるいは、そういった社会的な関係がないとすごく不安になる。
存在不安になるみたいなとこあったんですが。それがまあ、いつぐらいですかね。
二十歳前後ですね。失恋経験もあったんでしょうが、
その寂しくて誰かを巻き込んで迷惑をかける。詳しい話はしませんが、
寂しくて誰かを巻き込んで迷惑をかけるみたいなことは結構あったんですね。
これは良くないなと、自分の寂しさ紛らわしのためだけに他人を利用するのは最低だなと思った時がありまして。
それでもなかなかそれは治らないというか、寂しさに負けるわけですよね。
これはいかんなとかなり強く思って、それから孤独を抱きしめるっていう、キーワードね。
孤独をかみしめるとも言いましたね。孤独は一人かみしめるしかないんだと。
布団に潜り込んで丸くなって、お母さんの子宮の中にいた時の状態になって、
涙を流しながら、時には嗚咽しながら、孤独をかみしめるというね。
なんかそんな時期がありましたね。一人孤独をかみしめる。
そんなことをやっているうちに、だんだん別に誰もいなくても、生きていけるじゃんっていう、
なんか妙な開き直りができるようになって。逆に自分がいなくても、
実は周りの人は自分がいないと寂しがるだろうと思ってたんですね。
あるいは自分がいないと困るだろうと思ってたんですが、そうでもないなっていう風に思う経験がいくつかありまして。
別に自分がある日突然この世から交通事故かなんかで消えたとしても、
別にその時はみんな悲しむかもしれないけど、すぐ忘れて日常に戻るんだろうなと、人間のホモ・サピエンスの社会は。
そうやってこれまでも生きてきたし、だからそういうことだと。
なんとなく自分がいないとって思っている方が、
自分の中の寂しさもあるし、期待値もあるし、それがないとやっぱり不安になるっていうのもあったんでしょうが。
とにかくそれからは、逆に自分から言うようになりましたね。
もしかしたら今日の夕方、交通事故にあって死ぬかもしれないと。
それを前提に生きていくんだみたいなことを言い始めたんですね。
それで結構サバサバしちゃって、ひとりでできるもんっ。
寂しくないんですか?って、全然寂しくないっていう。逆にそういう風になっちゃって。
それがまた面白くないと思う人もいたみたいでね。
なんとなく冷たく感じるんでしょうね。
もう少し寂しがって、肌寄せ合ってみたいなことを求められたときに、そういうのいらないしみたいな風になっちゃった。
ひとりでできるもんっみたいなね。
何が一人でできるんだかわかりませんが、とにかく何でも基本、ひとりでできるっていう風に思ったときがあって。
それともう一個は、あんまり周りに期待してもなっていうのもその時期は思ってたんですね。
今は思ってないんですけど。
その頃は結局、自分はこういうこと考えてこういうこと考えてこうしようと思ってこうやって、世の中に関わってるつもりなんだけど、
周りはそうでもないなみたいな風に思っちゃったことがあるんですね。
これは若気のいたりですけれども。
それで、だから逆に周りに対する期待値も少し修正したんでしょうね。
だからそれも含めて孤独をかみしめるしかないみたいな風に思って。
だからといって引きこもるわけでも他人と関わらなくなるわけでもなくて、
むしろお互いに孤独を引き受け合いながら、お互いにお互いのそれぞれの人生を生きながら、
じゃあどこでどういう風に関わって接点を持つとお互いにとっていいんだろうっていう。依存するのでもなく、
無関係に生きるわけでもなく、適度な関係性みたいなね。
それぞれの自立につながるような関係性ってどんな感じなのかななんてね。
そんなことを考え始めて、そんな風に他人と関わるようになってったっていう感じがしますね。
そこで結構一人で、昔は一人でずっといるっていうのは寂しくて誰かに会いに外にふらふら出かけるってことがあったんだけど、
それがなくなってきまして、一人でいれるじゃんっていうことなんですよね。
一人遊びはしないんだけども、一人で満足を得るみたいなこともするようになったんですよね。
それは、もともとそういうふうにできる人もいるんでしょうけど、私の場合はどっちかっていうとやっぱり、社会性というか社会的な関わりっていうのを
やっぱりずっとベースに置いてきた人間なので、そこで孤独を噛み締めるとかって、意外と一つ課題だったんですね。
それが今度できちゃうと、逆に変な言い方すると、昔は関わった人みんなを気にしてなきゃいけない、
ちょっと大それた感じで、全て悩み相談されたら解決してあげなきゃいけないなんていうふうに思ってた部分があったんですが。
これはむしろ全ての人を救うことはできないっていうか、逆に、あえて関わらないっていうことも必要なんだなんてね、思ったりしてきたこともありますね。
特に依存してくるようなタイプの人にはむしろちょっと突き放すみたいなね。
突き放すだけじゃなくて一応遠くから見てるみたいなね。だから見てますよと。見てるけど、見てるんですよっていう感じですね。
だから状況は見てるけれども、何かあったらそこではまた関わることは当然あるんだけど、
自分のできることとできないことがあると。それはやっぱり本人がやるしかないみたいなことがあるんだっていう、
なんかそういう腑分けというか線引きというかな。
なんかそんなのが結構、自分なりにわかってきたみたいなことがありましたね。
すっかりと、ひとりでできるもんっな人生になってしまったんですが、
これは実は物質的な根拠があるんですね。
ヒトの子供時代の特性
これある私の先輩が、コンビニがあれば一人で生きていける時代になったんだって言い方したんだけども、結局、経済的な問題は大きいんですよね。
昔は家族でまとまらないと、ホモ・サピエンスの話にもつながってくるんですが、
要するにホモ・サピエンスは家族を作ったわけね。
オランウータンも家族作るし、ゴリラも家族作るし、チンパンジーも群れを作るし、ボノボも群れを作るんですけど、
そのいわゆるファミリーを作るというのは、意外と動物によってはそうそう多くないんですよね、ファミリー作るっていうのは。
やっぱり人類は、今言ったオランウータンとかも含めて、やっぱりいろんな家族の形態を作ってきたし、
ホモ・サピエンスはやっぱり家族の形態を作ってきたんだけど、それはやっぱり生きるためだったんですよね。
いわゆるジェンダー的な女性との役割分業なんて生じたのもこれも、狩りに行くのはだいたい男。
女性は木の芽を摘んだり、子供の面倒を見たりみたいな。やっぱりそういった集団的で生きていくしかできなかったという。
これホモ・サピエンスのところでしゃべりますけど、そういう道をホモ・サピエンスは選んじゃった部分があるんですよね。
ところが今や、いろんなジェンダーの揺らぎとかがあるのは、実はそういった生存条件が変わってきたというね。
コンビニがあれば一人で生きていける時代になっちゃったという。
逆に言うと、生活の糧がなければ一人で死んでいくしかない。孤独死ですよね。
そんな時代にも入ってきちゃったってことで、本当に一人で生きていけるもんって言ってていいんだろうかっていう。
ひとりでできるもんって言ってていいんだろうかっていう気もしてくるわけね。
それはたまたま今のこういう経済的な環境とかに支えられてるだけであって、
例えば、職を失うとか、健康を損なうとか、いろんなことが痴呆になってしまうとか病気になるとか、
そういうことが起きたらこれはもうひとりでできるもんっていう前提が崩れるわけですよね。
あくまでも個人単位の給与があり、個人で食っていけるいろんなコンビニ含めたサービスね。
社会的なサービスがあるから成り立ってるだけで、その上で生まれてる意識に過ぎないという。
だからその物質的な基盤が崩れたら、ひとりでできるもんっなんて言えないんだろうなぁなんて思う、
還暦過ぎの年寄りの戯言でした、人生いろいろ。
これも抽象的でよくわかんないけどね。
ということで第2コーナー、この話に続いて、がんばれホモ・サピエンスいきたいと思います。
第2コーナーがんばれホモ・サピエンス。
手元に何も資料を用意せずに、もういい加減なことも喋るかと思うんですが、
やっぱりホモ・サピエンスは家族を作り始めたんですけど、理由はいろいろあるんですよね。
理由はいろいろあるんですが、一つは子供っていうか赤ん坊っていうのは大体、
それ以前の人類もそうだったんだけど、なるべく成熟した形で一人立ちできる形で産み落とすというね、
道を選んできた動物種が多い一方で、例えば馬とか牛とかね。
生まれ落ちた瞬間に自分の足で立って歩くわけですよ。
ところが人間の赤ちゃんが1歳になるまでハイハイもできないわけですよ。
つまり少なくとも1年間は、といってもその後もそうですよね。
せいぜい3歳児ぐらいになるまでは、家族がないと、育てる保護者がいないと、育たないのが人間ホモ・サピエンスなんですが、
そういう道を選んだ動物種ってあんまりいないんですよね。
基本は生まれ落ちた後にだいたい巣立ってると。
ただちょっと違うのは鳥なんていうのはある程度ね、雛の状態っていうのがあったり。
あとはやっぱり哺乳類はそういう子供時代っていうか子供以前ですよね。
子供になる前の段階。
ホモ・サピエンスの進化と脳の巨大化
つまり家族なり保護者の、親の保護がないと生きていけないという時期を作り始めたわけですよ。
これは外敵との関係で言うと、実は不利な条件だと。
鳥なんか食われちゃったりとかね、餌食になっちゃうわけですよね。
これまあいろいろ調べてみるといいと思うんですけれども、でもそういう道を選んだのにはやっぱり理由があるわけです。
例えば、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの最近ドキュメンタリーも見たんですが、
ネアンデルタール人は骨盤広くて、ホモ・サピエンスよりももうちょっとだけ子供が成熟して産み落としてたんですよね。
ホモ・サピエンスはある意味、未熟な状態で子供を産み落とすようになったわけですよね。
それと引き換えに産み落とした後の、いわゆる育てる環境っていうのを社会的に作っていったっていう部分がやっぱりホモ・サピエンスの特徴なんですよね。
問題はなんでそういう道を選んだのかっていうことが、これが深い理由が実はあるんですよね。
もう一個大きな理由としては、脳みそが大きくなっちゃったというね、ホモ・サピエンスは。
脳みそが大きくなっちゃったからずっと入れとくと、産めなくなっちゃうっていうか母体が危険になってしまうということがどうもあったみたいですね。
だから要するにお母さんのお腹の中で脳みそがあんまり発達しちゃうと産み落とせないわけですよ。
なので脳がちっちゃいうちに、しかも生まれ落ちるときはまだ頭蓋骨がちゃんとはまってない段階っていうかな。
多少、頭蓋骨を潰しながら出てくるわけですよね。
そういう道を選んだというか、そういう個体が生き残っていったっていうかな。
要するに、早産じゃないと生き残れなくなってきたっていう。脳の巨大化とともにね。
そういうことももう一個、どうやら関係しているらしいということなんですよね。
問題は、なんでそういう道を選んだかっていうことなんだけど、いろいろ理由はあるんですが、一つはやっぱり巨大な脳を選んだという。脳の巨大化を選んでいった。
あるいは脳が巨大化してっちゃったというふうに言ってもいいですけどね。
やっぱりそのことが一番大きいような気がしますね。他にもいろんな説明とかいろんな説あるんだけど、やっぱり脳の巨大化が一番大きいんじゃないかな。
なんで脳が巨大化したかっていう話なんですけどね。
これは、また語るといっぱい理屈としてはあるんですが、まあ適当にいい加減に話すと、やっぱり一つは火を使って調理をするようになって吸収が早くなって、栄養がたくさん摂れるようになったということが一番大きいわけです。火の使用ね。
火を使うだけじゃなくて調理をすると。そのことによって食物を消化する。
例えばオランウータンとかチンパンジーっていうのは、やっぱり人間、ホモ・サピエンスほど脳が発達しないのは、結局、消化に時間がかかって、そっちにエネルギーの多くを腸に注がなきゃいけない。
脳みそって一番エネルギー食うんですよね。これ前に5割6割なんていったけど、だいたい25%近く脳がエネルギーを食うそうです。ホモ・サピエンスの場合。
他の動物はそこまで脳にエネルギーかけないわけですよね。これは全部、食べて充電するしかないわけです。食べることでエネルギーに換えるわけで。
食べたうちの25%を脳に持ってかれる動物なんていないわけですよね。
でもホモ・サピエンスはそういう道を選んだ。脳を巨大化する道を選んだ。あるいは、そう巨大化したから生き延びてきたっていうね。どうもそういう話になるわけなんですが。
これはだからどんどん腸が小さくなっていく。吸収が良くなっていく。たくさんの栄養価を摂れるようになる。その分が脳に注ぎ込まれるようになったから脳が巨大化していった。
脳が巨大化した理由はまだ他にもあるんだけど、やっぱり一番大きいのは、いろいろあるんです、二足歩行説とか直立歩行説とかいろいろあるんですが、やっぱり火の利用と調理でしょうね。
脳に使えるエネルギーの余力ができた。
今そのこれインターネット社会で、例えば何だ、仮想通貨なんていうのもそうだけど、あれ全部、電気食うわけですよね、電気。
これもマトリックスの世界ですけど、人間は電池になるわけですけども、結局、電気なんですよね。電気エネルギーを食って生きるのがAI人工知能。
人間の脳は食物エネルギー、食べたものをエネルギーに変換して、そこに一番熱がかかる、熱量が必要になる、カロリーが必要になる。
今の社会は実はインターネット社会で人工知能社会になるってことは、実はここに巨大な電力、エネルギーを供給しているから、巨大な脳のようなことが可能になってるってことで、脳みそって結局、エネルギー食うんですね。
無駄にエネルギーを食う。無駄にって言っちゃいけないね。結構エネルギーを食うという。
これパソコンでもそうでしょ。CPUが一番熱くなるわけでしょ。たぶんね。
それだけ動くわけですよ。神経回路が細かく走ってて、それが動くためにはやっぱり熱を使うわけですよね。
なのでやっぱりエネルギーを食うと。巨大化すればその分、エネルギーを食うようになるという。そういうことのようなんです。
結局、脳の巨大化とともに、早産ですね。早産する種が、個体が、どんどんどんどん生き残っていくということで、早産型になっていったっていうのがホモ・サピエンスなんですね。
そうすると、今日のテーマはひとりでできるもんっなんですが、生まれ落ちた瞬間は一人でできないもんっていうのがホモ・サピエンスの本質なんですね。
一人でできないのがホモ・サピエンスなんですね。生まれ落ちた瞬間。
問題は今は、生まれ落ちた時でもね、結局ね、生まれ落ちる環境にもよるけれども、環境が悪いとちゃんと育てられないとかね、いうことが起きて悲惨な事件になるわけですけれども。
だから家族がちょっと崩れ始めてて、みんな一人でできるもんっと思い始めてることで、何がどこにしわ寄せがいくかっていうと、早産で早く生まれてきてしまう赤ちゃんですね、個体にしわ寄せがいくと。
子供にしわ寄せがいくという、まあそういう話になってくる。そこでの再生産って言うと変ですけども、文化の継承とか含めてね、失敗していくと、ホモ・サピエンスは種としてやっぱり衰退局面に入るということにならざるを得ないんで。この個体化。みんながひとりでできるもんって思い始めたことでホモ・サピエンスは、
一人でできないもんと言ってる赤ん坊を育てて、子供を育てて大人にしていくっていう社会的なプロセス、それは家族という形で成り立ってたんだけど、これが経済条件の変化で家族が解体していく中で、その個体を育てるという、赤ん坊を育てる、一人でできないもんを育てる条件が失われてきてる。
だから大人はいいわけね、一人でできる。だから少子化も進むみたいなね。一人でできない人を面倒見てられないし、一人でしたいもんっと思ってるから、あんまり積極的に子供を作らないみたいな話にもなってきてる部分もあるのかなとかね。
もう一個が年寄りですね。ひとりでできるもんっで生きてきて60、70くらいまではひとりでできるもんっでいたけど、75とか80越えるとだんだん一人でできないもんっになってくるという。これが家族がなかなか面倒見ると大変だという、介護はね。
という話で今、成長産業がいわゆる老人養護施設とか老人ホームとか福祉産業にこうなってくる。もう墓場まで面倒見る。ところが今家族が遺体を引き取りに来ないから火葬場で燃やせないっていう問題が起きてる。
完全にだから家族がベースになってホモ・サピエンスが進化してきた歴史ってのは、ほぼ終わりつつあって、今や国家とか社会制度とかね、そういったものがないと子供、育児もそうだし、墓場に入れるのもそうだしね、できなくなってきてるということで、そこで社会サービスが発達するわけだけど。
そうすると今度はもう国家とか政府の問題、社会政策の問題になってくるっていうことなんですけど、何の話してんだかわかりませんが、岸田総理は続投に意欲満々ということで、がんばれホモ・サピエンスここまでにしたいと思います。
SNSの本質とホモ・サピエンスの依存
第3コーナーはSNSあれこれ。
はじめるラジオキャンパスシーズン5プレゼンテッドバイキャンパス。
第3コーナー、SNSあれこれですね。今日のテーマはひとりでできるもんっ。ソーシャルネットワークサービス。これは日本語なので、インターネット上のソーシャルメディアということなんですが、これをホモ・サピエンスは発達させてきたわけですよね。
私よく言うのは、ネアンデルタール人はきっとここまでSNS好きじゃなかっただろうと。ホモ・サピエンスだからグローバルな規模にSNSを拡大してきたんだろうと思うわけですよね。
それは例えば、ホモ・サピエンスがグレートジャーニー、アフリカを出て地球上に広がっていったっていうことともちょっと重なるような気がしてるんですが、そのことはさておき、SNSあれこれ。
SNSっていうのはやっぱりホモ・サピエンスの本質に根差してると思ってて。だからひとりでできるもんっと言いながらSNSはやるわけですよね。
SNSがないと寂しい。あるいは、SNSをみんな見てるわけですよ。もう今、歩いてる道行く人みんなスマホ見て歩いてる。犬の散歩してるとね。
みんなスマホ見て歩いて前見てなかったりするから。みんなじゃないけどね。そういう人が多いので。真っ直ぐ歩いていくんですよ。こっちも犬連れてるから。ワンコはこっちよけろって言ったって、そうね
常に言うこと聞くわけじゃないので。ホモ・サピエンスがスマホ見て、SNS見てるんでしょうね。
ホモ・サピエンスはそこにいる目の前の人を見ずに、ドッグを見ずに、SNSの向こう側にある人を見ているという。ホモ・サピエンスと付き合ってるということで、スマホに全部集中しているという。
それでも直立二足歩行ができるという。だけど前方から来るものに気づかないで、そのまま歩いてくるっていうことなんですが。それぐらいSNSが大好きなのがホモ・サピエンスなんですが、これは一人でできるものじゃなくて一人じゃできないものなんですよね。
つまりSNSは人がいっぱいいないと面白くないわけです。つまり一人でやるんだったら別にインターネット繋がなきゃいいんですが、スマホもいらない。インターネットに繋がったね。
全部スタンドアローンで、パソコンもスマホもインターネット繋げません。すべての社会関係リアルも作りませんと言って引きこもってりゃいいんですが、大体引きこもると何やってるかっていうと、ゲーム含めてSNSやってるという。
だからどこかで他人と、ホモ・サピエンスと繋がってないと、それが生身の人間である必要はないわけですよね。何か他者と繋がってないと生きていけないっていうのがホモ・サピエンスなんですが、第2コーナーの延長線になってますね。
SNSってやっぱりそういう本質を持っているというふうに思ってて、だから逆に目の前の家族やら、それを置き去りにしてでもスマホが大事とかね、SNSが大事みたいな話に下手するとなってくる。ゲームのほうが大事。目の前にあるコミュニケーションよりそっちのほうが大事という話になってきちゃう。
目の前のリアルな関係は、コンビニがあればいいわけね。お母ちゃんいなくてもお父ちゃんいなくても一応、小学生ぐらいになればね。コンビニさえあれば生きていける。あとは給料だね。仕事があれば生きていけちゃうという話になって。仕事があって給料をもらったらスマホを買う。スマホがないと生きてけない。
SNSの分類
そういう話になってるわけね。これSNS。ホモ・サピエンスのこれまでの社会関係はどんどんどんどんSNSに置き換わっていくという部分が生じてきてて、そこにフレンドリーシップも生まれれば敵対性も生まれるという風になってるような気がするんですよね。
何の話してんだかわかりませんが。最近は皆さんどういうSNSをやってるんでしょうかね。
このSNSなんですけども、最近はみんな何やってるんでしょうね。
TwitterXも相変わらずよくわからないし、Threadsも鳴かず飛ばずのような気がするし、Facebookもそのまんまのような気がするし、インスタも一時の勢いないし、TikTokも長時間動画に対応しはじめるし、SNS間の違いもだんだん失われていくとすると、このSNSどうなっていくんだろうっていう気がしてて。
そこで私が思うのは、やっぱり、映像・動画・写真・文字というSNSと、やっぱり音声プラス文字というSNSは結構、本質的に違うかもしれないって最近すごく思ってるんですね。
これも結構あちこちで語ってるんですけど、映像っていうのは、例えば、言葉のない時代、映像を見てああーとか思うんだけど、これ表現できない。美しいとか、今だったら言うんだけど美しいって言葉がないから。
ビューティフーって言葉がない。ワンダフーって言葉もないから、おおーと感動するわけですね。それがいつしか言葉になってくるわけだけども、言葉がない時代っていうのは映像だけを見てるから、映像が表現できないわけですよね。
それが言葉が生まれると何ができるかっていうと、昨日の夕日はこうだったけど今日の夕日はこうだとかね。昨日は晴れだったけど今日は曇りだとか。曇りだけれども昨日の曇りとちょっと違う曇りだとかね。
そういう目の前に広がる風景を分類できるようになるわけですよね。言葉が生まれることで。例えば、名前もそうでしょ。SNSやるときもハンドルネームっていうかニックネームというかIDが必ずありますよね。必ずつけてくださいと。
名前がないと言葉がないと、個別認識できないんですね。ああ、あの人、あの人っていう。みんなあの人になっちゃうわけで。個別認識するときにはやっぱり名前が必要で、名前をつけ始めたわけですよね。
だから言葉っていうのは個別認識する上でもとても重要だし、言葉のない世界の風景を見ていてそれをどんどん切り分けて、これとこれは違うっていうふうに分類していくという意味でもやっぱ必要だったし、ホモサピエンスはそれを身につけてきたわけなんですけれども。そこで何が言いたいかというと、映像とか写真というのは言葉がなくても伝わっちゃう部分があるわけですね。
そこにちょっと字幕が入ったとしても、エモいしとかね、よきとかね、そういう言葉しか入らなくなっちゃってるっていうことなんですよね。
結局、映像とか写真をメインとしたSNSで、最近Twitterもそうなってきたでしょ。Facebookもそうなってきたでしょ。もう写真と動画がタイムライン流れるようになって。視覚に訴えるSNSと、それから耳ですね、
声、言葉に訴えるSNSっていうのは本質的に違うというふうに私はちょっと思ってるわけね。文字っていうのは両方に関わるわけです。文字は目で受け止めるけども文字を読むと耳に声が聞こえるわけね、脳の中にはね。
自分で読んでるわけですよね。文字読むときは音にしてるんですよね、脳の中で。実際に音にはならないけれども、やっぱり音声として文字を認識してるわけです。じゃなきゃ言葉は理解できないはずなんですよね。
結局、ビジュアル映像、言葉のない世界の映像を見るかのように、風景を見るかのように見る世界と、それから言葉でそれを分類し表現し細かく分けて理解する世界って、やっぱ本質的に違うんだろうと。それを耳で聞き分けるのか、文字で今は聞き分けるのかっていうのがあるんだけど。やっぱりその
例えば、動画とかにも必ず字幕入れないとわかんない。例えば、インスタグラムでも文字なし、写真だけって。まあそれでも成り立つかもしれないけど。TikTokでも写真だけ、でもそれじゃあやっぱり見てもらえないわけですよね。そこに言葉がないといけない。
だけど、その言葉っていうのはやっぱり、映像を補完してるだけっていう気がするんですよね。本来、今度逆に、映像がない世界、まあ目が見えなくなったとしましょう、例えばね。そうしたらもう言葉で風景を理解するしかないわけですよね。
ああ、山が見える。今日は曇りだね。今日は雨だね。目が見えない。雨、曇り、なんだろう。なんとなく今日はひんやりしてるな。ああ、なんか降ってきたな。こういう触覚とかいろんなものを動員して、言葉で、目が見えないときには視覚情報を補うわけですよね。言葉ってそれだけの力を持ってきたわけだと思うんですよ。
そういう意味では言葉を伝えるSNSね。Twitterなんてもともとそうだったわけだし、言葉でみんな伝えてたんだけど、今はもうSNSが発達しちゃって、映像いっぱい送れるし音声も送れるし。ここでやっぱりでも、やっぱり音声と文字の結びつきなんですね。音声と文字が結びついたSNSの可能性、こっちがホモ・サピエンスにとっては重要なんじゃないか。
みんながTikTokみたいにレコメンデーションでピッピピッピ、これつまんないこれつまんないってやってると、だんだんだんだんホモ・サピエンスは言葉を失っていくんじゃないかっていう気がして。言葉を失うとホモ・サピエンスはやっぱり退化すると。なんかこれ、第2コーナーと完全に被っちゃいましたね。
ということでSNSあれこれということで、SNSには大きく私は2ついま分類してて、映像ビジュアルメインの動画・写真メインのSNSと、音声と文字メインのSNS。文字だけのSNSは姿を消したと。こんな捉え方をしてるんですけどね。どうなんでしょうか。第3コーナーSNSあれこれでした。
冬一郎散歩のお散歩音源
第4コーナー。ザ・冬一郎散歩です。ザ・冬一郎散歩のコーナーです。今日も1週間分のお散歩音源からお聞きいただきたいと思います。
今日のお散歩音源ですが、6月16日日曜日の夕方から6月23日朝のお散歩音源を聞いていただきます。
6月16日は夕方、雨が止んだ後の夕方散歩ですね。川に行って、久しぶりに川の堤防脇の公園に行きました。それから17日朝、この日は気温が28度まで上がったんですね。暑い1日でした。
夕方は草むら散歩の後、なんと夜12時近くになって深夜の公園うんち散歩がありました。18日朝、この日は気温が下がって涼しくなって、夕方はちょっと寒くなりましたね。
雲が出て、草むら散歩の後、なぜか川に向かって、時刻を15時とか3時とか言ってるんですが17時35分ですね。川に行って小雨が降ってきたというのが18日です。それから19日の朝散歩、この日は晴れて、もう日替わりで、雨晴れ雨晴れと、曇り晴れ曇り晴れというのが続いたんですが。
午後、朝か、朝珍しく公園に行って朝のうんち散歩でしたね、この日はね。前日出てなかったので。それから公園で結構のんびりと朝のロング散歩でした。
夕方はちょっと暑かったんですが、少し冬一郎くん欲情が始まったような感じで河川敷散歩。20日が朝、曇り雨がちらつく朝、夕方河川敷でうんち出ましたね。この日は買い物に付き合ってくれたお利口さんの冬一郎くんでした。
21日朝の散歩、また気温が上がりまして、にゃんこに会いに行って、それから夕方、河川敷でうんち。この日からね、コンスタントに夕方うんちが出るようになりました。22日が曇り空ですね、今度はね。夕方気温がぐっと下がりましたね。急に風が冷たくなったということでした。
河川敷から帰ってきたら、また公園でも散歩したという冬一郎くんね。うんちが連続で夕方散歩で出るって、これはありがたいですね。そして23日朝の、まあ民泊のお客さんがいたので早めの散歩ですが、結構寒い朝でした。にゃんこに会いに行ったという音源です。以上聞きください。
5月16日日曜日午後5時。雨が止んだので散歩出てきました。
うんち出るのかな。最近毎日出ますね。しかもいいうんちがね。換毛期も終わりつつあって落ち着いてきたのかな。なんか元気ですね。よく寝るし、よく遊ぶし、お利口ちゃんだし。うんち出るのかな。ではまた。
6月16日日曜日午後5時30分を回りました。豊平川堤防脇の公園。冬一郎くんはうんちが出て、そのまんま、終わったのにここの公園までやってきましたね。久しぶりに。すっかりくつろいでます。運動がしたかったんでしょうか。
ちょっと雨が、まだパラつきますね。そんな感じでお尻が濡れた。ではまた。
16日6時。夕方6時。ようやく冬一郎くん帰る気になりました。家の方に向かって河川敷を歩いてます。お利口ちゃんです。雨は止みましたね。もう降らないかな。明日は晴れるみたいですけど、あさってまた雨がちょっとちらつくみたいですね。行ったり来たり。
ということで、ではまた。6月17日月曜日朝6時55分。今日は28度まで上がるということで、もうすでに暑いですね。日向はちょっと暑いです。日陰は涼しいけど日向はもう暑いですね。
ということで、冬一郎くん朝のお散歩です。おしっこして今からお家に戻って、ビスケットと朝ごはん食べるんでしょうか。おしっこ、そんだけでいいんでしょうか。逃げてます逃げてます。車にびっくりして逃げてます。冬一郎くんが必死で逃げてます。ではまた。
6月17日月曜日午後5時47分。お散歩出てきました。今日は暑かったんで、ようやく日が沈みかけたので涼しくなってきたので出てきました。28度ぐらいまで上がったのかな。冬一郎くんは家を出るなり、家の裏のトトロの草むらにやってきました。
なぜここの草むらが気になるんでしょうか。猫の通り道か狐の通り道でもなってるんでしょうか。チェックしないと気が済まない。冬一郎くん。パトロール続けます。ではまた。
6月17日夜11時45分。夜中です。冬一郎くんピスピス言うから。うんちみたいですね。一生懸命走ってます。うんち場所探してます。やれやれだな。夕方してくれりゃいいな。
今日は大丈夫だと思ったんだけど。ピスピスピスピス。うんちもっちゃううんちもっちゃう。ではまた。
6月18日火曜日。朝6時47分。今日は涼しいですね、今のところ。曇ってるっていうか雲があって。でも雲は半分で青空も見えてるから。日が出ると暑くなるのかな。
違う。今日は曇り空でちょっと雨がパラつくかもしれないっていう予報ですね。気温は24,5度かな。昨日よりは過ごしやすいんじゃないですかね。
冬一郎くんは朝ごはん食べて。昨日は夜中の深夜12時のうんち散歩で。それで今朝はのんびりですね。ビスケット食べたいの。ではまた。
6月18日火曜日かな。午後5時15分。今日は寒いですね。涼しいっていうか。
どんより曇り空で。雨は降らずに。降ったのかな。ちょっと昼間どうなったのかわかりません。外あまり見てなかった。どんより曇り空で涼しいですね。寒いぐらい。
そんな札幌です。冬一郎くんはなんかクン活してます。
ここなんかね、なんかドッグフードが撒いてあるんだよね。また。嫌になっちゃうね。落としたのかな。
またトトロの森に行くんでしょうか。トトロの草むらに行った冬一郎くん。草むら見つめてなんかあるんでしょうか。ではまた。
7時30、7時じゃないや。15時35分。(17時35分です)河川敷にやってまいりました。
冬一郎くん一目散に。うちの前ぐるぐるした後、近所の人に遊んでもらった後、おもむろに河川敷まで来ました。ちょっと雨がぱらついてきました。
小雨が降ってきました。うんちでしょうかね。昨日の夜中にうんち散歩行ったんですけど、うんち出るんでしょうか。
まあ健康でいい証拠ですけど、最近いいうんちが出てるんで。
河川敷に来たってことは出るんでしょうね。お、出る出る。ということでではまた。
ネットコミュニティの盛り上がり
6月19日水曜日。朝6時半。今日は快晴。暑くなるのかな。風はまだ涼しいですけど。日向はちょっと暑いですね。まだ涼しいですね。風がいい風吹いてますね。
昨日は寒い一日でどんより曇り空でちょっとだけ雨がぱらついたんですが、今日はいい天気です。毎日ほんと日替わりですね。晴れの日、曇り雨の日、晴れの日、曇り雨の日と。
日替わりで続いてます。ということでお散歩続けます。ではまた。
6時34分。今日は珍しく家から3番目か4番目に近いちょっと広めの公園に来てます。朝あんまり来ないんですけどね。夕方とか夜のうんちはここによく来るんですが。朝は最近来てなかったんですが。川方面が多かったんですけど。あと近所の一番近い公園ね。
今日は広い公園に来てます。はい。どういう風の吹き回しでしょうか。うんちがしたいんでしょうか。わかりません。ではまた。
朝6時45分。ちょっと広めの公園に来た冬一郎君。やっぱりうんちでしたね。ここのとこ毎日コンスタントにうんちが出ますね。うんちをしてビスケット食べてお水飲んでベンチでくつろいでます。はい。
いいねえ、あんたね。落ち着いちゃって。はい。もう大人の散歩になってきました冬一郎君です。おりこうちゃんです。ではまた。
19日水曜日。朝7時半になりました。ロング散歩になりそうですね。一番近い公園に来ました。
大きな公園からにゃんこのところに行ってお家に帰るのかと思いきや、もう一つ近所の小さな公園を散策中の冬一郎君。やっぱ天気が良くて気持ちいいんですかね。
昨日は雨であんまりお散歩できてないので。はい。なんだか元気に歩いてますね。はい。元気元気だ。ということでお散歩がまだまだ続きそうです。ではまた。
6月19日午後5時50分。ようやく日が傾いてきたので涼しくなってきたのでお散歩出てきました。今日は暑かったですね。
まだ我慢できる暑さですが。昼間は結構ポカポカ快晴でした。ということでお散歩続けます。
6月19日午後6時40分。豊平川河川敷。今朝、公園でうんち出たので河川敷に来ないと思ってたら冬一郎君は河川敷、来ましたね。
何かの匂いに誘われてるみたいですね。ちょっと欲情が始まったのかな。わかりませんが。
そんなことで日がようやく沈みつつある。まだ明るいですね。もうすぐ夏至。そんな感じでようやく夕涼みができるまだまだ明るい札幌です。
さあ冬一郎、帰るぞ。ではまた。
6月20日木曜日朝6時半。お散歩出てきました。今日はどんより曇り空で雨でも降りそうな雲雪ですが。涼しい札幌です。
昨日は快晴で今日はまた雨雲と。なんか本当、日替わりですね。晴れと曇り雨の日が日替わりでやってくるということですが、冬一郎君は近所の草むらでなんかまさぐってますね。
何かいたんでしょうか。お散歩続けます。ではまた。
6月20日6時33分。雨が降ってきましたね。ぽつりぽつりと。今日は雨模様の一日ですね。本当、日替わりですね。昨日あんだけ綺麗に晴れたのに。
おとといは雨だったし。そんなに降ってないんですけど。日替わりお天気。ではまた。
6月20日午後5時45分。河川敷に一目散の冬一郎君。うんち出るんでしょうか。気配があるけど。ここのとこ毎日快便なんだけどね。また出るんでしょうか。
すごいね。すごいね。お元気だね。ちょっと欲情してますね。ではまた。
6月20日午後6時40分。堤防脇の公園。冬一郎君うんち出ました。毎日出ますね。ここのとこね。ありがたいですね。夜の散歩にならないのも含めて。
今日はお買い物にコンビニに付き合ってもらうんですが、なかなかまだその気になりません。もうちょっと公園でくつろぐそうです。夕涼み中の冬一郎君。ではまた。
6月21日朝7時。朝方はちょっとどんよりで涼しいんですが、ちょっと暑くなりそうな気がしますね。
でもまた午後から下り坂で、明日土曜日は気温が上がらないみたいですね。そんな札幌です。冬一郎君はおしっこ我慢してたみたいで、朝ごはん食べずに早く散歩連れていけと言ってました。草むらでおちっこしてます。ではまた。
にゃんこにアプローチする冬一郎君。車の音しか入りやがらねぇや。
6月21日午後5時半。ようやく日が傾いて涼しくなってきました。今日も午後暑かったですね。なんか天気崩れていって明日気温が下がるという予報なんですが、昼も暑かったですね。明日はどうなるんでしょうか。
ということで冬一郎君、お散歩出てきました。今日はうんち出るんでしょうか。ではまた。
5時35分。河川敷まで一目散できました。これうんちですね。きっと。おちっこもたまってたんだね。おちっこもいっぱい出るね。うんちも出んだね。お水いっぱい飲んだのかね。
すごいすごい。ご機嫌ですね。では行ってきます。お散歩です。
6月22日土曜日朝6時半。今日は気温が上がらない。どんより曇り空。一面雲ですね。雨は降らないのかな。涼しいですね。
札幌の天候とゲストハウスの状況
今日は21度まで冬一郎君を散歩出てきました。朝ごはん食べて、昨日の夕方結構ね、河川敷でゆっくり散歩したんで、今日は朝は短い散歩でしょうね。
どうした冬一郎君。今日は夜、民泊のお客さんが二名見えるということで、一泊で。落ち着かない一日になります。ということでではまた。
6月22日土曜日16時16分。お散歩出てきました。ちょっとどんより曇り空で。昼間はちょっと気温上がりましたけど、下がりましたね。気温が、風が冷たい。ひんやりです。ちょっと寒くなりそうですね。
はい、冬一郎君は川に向かってます。ではまた。
6月22日土曜日午後4時50分。河川敷。豊平川。もう今日はどんより曇り空でもう夕方みたいな感じですね。満月なのに満月は見えませんね。もう一面雲です。
気温も下がって、きもちいいですね。はい、さあそろそろ帰りたいね。冬一郎君うんち出ないのかな。はい、今日は知り合いのワンちゃん2匹くらいありましたけど、久しぶりに。ではまた。
22日午後5時22分。河川敷でうんち出て家の方に帰ってきたと思ったら、近くの公園で油を売ってる冬一郎君です。クン活中ですね。
まっすぐ帰ると思ったら、そうは問屋が卸さないということで、終わったみたいで、ようやく家路に向かうみたいです。ではまた。
6月23日朝5時半。なんか雨が降ったみたいですね。ちょっとだけね。今は曇ってますけど。はい、今日もどんより曇り空。
今日の朝の気温は涼しいというか寒いですね。寒いまでいかないかな。気持ちいいですね。冷たい朝です。気温が下がりました。
そんな北海道札幌ですが、冬一郎君はお散歩に出てきて、おしっこして、家の前に戻ってビスケット食べて、もう一回お散歩です。
民泊ゲストハウス2人。若い女性。お友達でしょうかね。見えて。いいですね。若い人はね。
はい、今ぐっすり寝てます。そんなことでお散歩続けます。ではまた。
はい、朝5時40分。ニャンコのところに来ました。おしっこして家の前に戻ってビスケット2枚食べて、今度はニャンコ。はーはー言いながら。ニャンコいないかなって見てます。
ジュリエットを待つロミオの心境なんでしょうか。
ということで、諦めるかな。また出てこない、お前。今日寒いから。冬一郎行くぞ。はい、ではまた。
ということで、日替わりのお天気の中の夏至を挟んでのお散歩ですね。
今日は曇り空ですね。本当に毎日、日替わりの天気が続いてます。そんな札幌です。
徐々に気温も上がったり下がったりということですが、これ過ぎると7月に入るとちょっと暑くなるのかなと思ってますが、
冬一郎さんぽの音源を聞いていただきました。冬一郎君はとにかく元気ですね。
民泊のお客さん、若い女性2人とも仲良くなって嬉しいですね。
冬一郎君目当てでまた7月に泊まりに来てくださる方とかも出てきて、私だけでは魅力がないということで、
冬一郎君目当てで来てくれるということでとても嬉しいですね。そんなことでした。
さあ、冬一郎さんぽのコーナーでした。
今日も最後までお聞きいただき
ありがとうございました。
ということで、今日は結構、遅い時間、11時過ぎから収録を始めたんですが、まだ11時50分ですね。
サクサクと喋っちゃいました。その分、第1コーナー、第2コーナー、第3コーナー、
コーナー3つに分ける必要があるのかみたいなぐらい繋がってましたけど、
今日のテーマはひとりでできるもんっ。ひとりでできるもんっって言ってるけども、実は一人でできないんだもんっていうのがホモ・サピエンス。
我々だっていうことで、それを私の人生とそれからホモ・サピエンスの歴史とそれからSNSの現状と含めて、
あくまで適当に語ってみたということなんですが、いかがでしたでしょうか。
そんな感じで、今日の札幌は夏至も過ぎて、どんより曇り空で満月も昨日は見えずに、
6月23日になりましたが、気温は上がったり下がったりと。
ただちょっとやっぱり蒸し暑いですね。雨が降った後とか気温が上がるとね。
昼間は結構、日差しがあるとちょっとやっぱ暑くなってきて、夏が近づいてきたなという気がしている北海道札幌です。
そんな中、我が民泊ゲストハウスにもポツポツと予約が入るようになってきました。
閑散期を抜け出したかなと。そんな冬一郎君は換毛期を抜け出した感じで、まだ抜けるんですがだいぶ抜ける量が減ってきましたね。
もう本当に毎日毎日掃除しても毎日掃除するのが嫌になるぐらい、だからしなくなっちゃうんですが、毛がたまる。
ようやくここに来て掃除した分、翌日はそれより少なくなっていると。
これまでは掃除しても翌日さらに毛が増えているという。掃除したのに、みたいなことがあったんですが、それがだんだんなくなってきた今日この頃です。
ということで、今日も最後までお聞きいただき、お読みいただきありがとうございました。
映像のない、写真のないSNSを目指しています。
そしてさらに広告のないSNSを目指して、はじらぢさんでぃ今日もお送りしてまいりました。
来週はもう6月30日ですね。早いですね。
はじらぢさんでぃ、今日、何回目だったかな。
回数も言っていないというね。
今日が5回目ぐらい4回目でしたかね。
エピソードシーズン5に入ってエピソードの4つ目ですね。
一人でできるものということで、これね結構、この副題つけたのは良かったですね。
はじらぢさんでぃ予告編から始まったシーズン5ですが、
ことばをデザインする、壁を壊すと広がる世界、バトンがつながらない、そして、ひとりでできるもんっ。
これ副題つけたら何か再生数伸びてますね。
良いのか悪いのかよく分かりませんが、
だんだん話す内容が危なくなってきたという噂もなきにしもあらずですが、
次回、テーマまだ決まっていませんが、6月最終日にお送りしたいと思います。
今日も最後までお聞きいただきありがとうございました。
ではまた。良い一週間を過ごしください。
はじらぢさんでぃ プレゼンテッドバイキャンパス
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