2025/09/19
サマリー
日本の文化は、花火やラーメン、相撲といった外来文化が独自に発展し、誇り高い芸術となっています。これらの文化は、職人技と地域の工夫によって、日本独自の形に磨き上げられています。
花火の起源と発展
おはようございます。花火鑑賞士、気象予報士の鶴岡慶子です。
この配信では、花火や天気、言葉に関することなどをお話ししています。
今日は日本の文化についてお話をしていきます。 日本の文化ってもう幅広いことなんですけど、私は花火カタリストなので、花火の視点から少しお話をしてみます。
火薬の原料である焼石は、もともと中国で発見されました。 旧世紀の唐の時代には、すでに爆竹として邪気を払うためにならされていたと言われています。
魔除けとか薬払いの意味を持っていて、音と光で邪気を追い払うと信じられていました。 その後で火薬はシルクロードを通って中東だったり
ヨーロッパに伝わって、軍事的に大きな影響を与えていきます。 大砲だったり銃の登場というのは世界史を変えましたよね。
一方で娯楽としての火薬、これが花火ということになりますが、この花火もまた同じルートで世界に広がっていくんです。
日本に伝わったのは戦国時代です。 鉄砲と同じく火薬そのものが大きなインパクトを持ち込みました。
そして江戸時代の初期、徳川家康が寸歩城で外国人から花火を見せられたのが日本での初めての花火鑑賞の記録です。
これが1600年代初頭のことです。 ただし当時はまだ花火というよりも火薬の見せ物というような意気です。
庶民の娯楽として花火が広まるのはまたずっと後のことです。 それ以前の火と煙と言いますと、戦の合図に使われたのろしです。
同じ火薬でものろしは通信、そして花火は娯楽だったり祈りということで全く違う用途で使われてきました。
庶民の楽しみとして定着したきっかけは享保18年、1733年墨田川で行われた水陣祭です。
江戸では鍵屋と玉屋という二大花火師が人気を二分していました。 観客が玉屋とか鍵屋という掛け声をかけるのはこの時代の名残です。
火薬の配合だったり玉の細工に工夫を凝らしてただの爆発音から美しい光の輪へと進化させていきました。
ここに日本人の職人技と美意識が加わって花火は単なる外来の火薬文化ではなくて日本の芸術に育っていきました。
外来文化の日本化
外来文化の日本化というのは花火だけではないです。例えばラーメンがそうです。
中国の麺料理がルーツですが、明治以降にこの中国の麺料理が広まりますと、日本の水、だし、調味料に合わせて
札幌ラーメン、博多ラーメン、北方ラーメンという具合に各地で独自に進化していきました。
今や中国から逆輸入されるぐらい日本のラーメンは世界に広がっています。
同じ麺料理でいくとベトナムのフォーも同じく中国の麺文化から発展したものなんですが、
米を主食とする土地柄から米米にアレンジされました。そこにフランス統治時代の影響で牛骨スープが加わって独自のフォーが完成していきます。
同じ麺文化でも土地ごとの工夫が形を変えていくんですね。面白いですよね。
じゃあパスタの歴史はどうか。パスタも面白いです。古代ローマ時代にはすでに小麦を練った食品が存在していたというからすごいことですね。
アラブ世界から乾燥パスタの技術が伝わって、それをイタリアがアルデンテの文化に磨き上げました。
そして現在のスパゲティだったりマカロニに発展していったんです。
今やパスタもまた世界の食卓に欠かせない料理になっていますよね。
そしてスポーツ文化で言うと相撲も面白い存在です。
日本では神事として稲作の豊穣を祈る力比べから発展しました。
一方でモンゴルには武夫と呼ばれる相撲、
トルコにはオイルレスリングがあります。
似た力比べ文化が世界各地に存在するんですね。
現代の大相撲ではモンゴル出身の力士が横綱を務めていたりして日本の伝統を支えているのも象徴的です。
花火もラーメンもフォーもパスタもそして相撲もその多くは外から伝わってきて、
あるいは世界に似た文化がありながら日本では職人だったり地域の工夫によって独自の形に発展しました。
独自に取り入れて磨き上げて全く新しい日本流文化として育てることができちゃうのは日本のすごいところだなと思います。
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それではまた明日。
05:34
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