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2024-04-25 07:39

【0692】「忙」は心をなくすと書く #27年目の献杯

2024/04/25

サマリー

鶴岡慶子は、この配信では花火や天気、言葉に関することなどをお話ししています。先週末、日帰りで東京の八王子に行ってきました。実は大学同期で若くして亡くなったシューの母さんのためです。

目次

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おはようございます。鶴岡慶子です。この配信では花火や天気、言葉に関することなどをお話ししています。司会やナレーションを通じて日々感じたことなどを語る声の日記です。日本の秋田県から毎朝更新しています。
シューとの繋がり
先週末、日帰りで東京の八王子に行ってきました。実は大学同期で若くして亡くなったシューの母さんのためです。若参りに行ってきたんですね。亡くなって27年になりました。
シューというのはニックネームなんですけどね。シューはサッカー部の仲間でもありましたし、英語のゼミのクラスメイトでもありました。両方に私は繋がりがあったんですね。
彼が交通事故で亡くなったという知らせは、私が当時勤務していた学校への電話連絡でもらいました。お母様が不自然なほど淡々と話していたのをよく覚えています。
私はもう秋田にすでに住んでいたんですが、サッカー部のことはあなたに連絡すべきだって思ったんですというお話をしていました。
そう言って葬儀日程などを聞いたんだと思います。私はそれから各年代に連絡を入れて全体に伝わるように手配をしたんだと思うんですけど、誰にどうやって連絡をしたのか細かいことはもう覚えてないんですね。
話の内容とかも覚えてないんです。何かこう膝から崩れるようなそんな気持ちになったのもなんとなく覚えています。
ですが誰とどういうお話をしたのかっていうのは本当に覚えてないんです。必死で何か伝えたっていう感じだったんじゃないかなと思います。
命日は4月13日です。4月にはサッカー部の仲間で毎年母さんに出かけていました。
母さんの後、衆の実家にご挨拶に行くんです。これが一つの流れになっていました。
このサッカー部の仲間で出かけていく、これとは別に英語のゼミクラスでも毎年母さんに行っているということも知っていました。
ですから衆の実家ではサッカー部を迎えれる人、クラスメイトのみんなを迎えれる人、2回迎えれる日っていうのがあったんですね。
非常に賑やかにしていたんだと思います。でもいつしかこの2つの団体は1つにまとまっているということをずっと後になって知りました。
私も遠くにいるっていうこともあってでしょうけれども連絡が来なくなったんです。
いついつ行くよっていうような、そういう連絡が来なくなっていました。
ただ今回はその英語のゼミクラスメイトの方から連絡をもらったことで行くことができたんです。
このゼミのクラスメイトの話もたどりますと、去年の秋、アメリカに住んでいるクラスメイトの一人が一時帰国するっていうことで、
それで会いに来るって東京なんだけどみたいなことだったんですけど、その軽いノリに行こうかなみたいな感じで出かけていったのが今回の母さんに実は繋がるんですね。
大学の時の私は部活とアルバイトばっかりしていて、ちっとも真面目に授業を受けていなかったので、実はクラスメイトとの交流というのは当時薄めだったと思うんですよ。
でも去年の秋はとてもとても本当に楽しくて、またこの人たちと会いたいなって思っていました。
その時の様子はこの配信の中でも507回、仲間の姿と言葉の力、507回です。仲間の姿と言葉の力の中でお話ししていますので、合わせて聞いてみてください。
さて記録をたどっていきますと、前回私が州の母さんに行ったのが2002年のことだったようです。
シューの母さんへの思い
サッカー部の仲間で出かけて行ったその時の写真が残っていました。 州のご両親とはずっと年賀状のやりとりをその後しているんですけれども、
2002年以来ずっとごぶれをしていたっていうことを考えたら、敷居が高くも感じていましたし、
この新年度、新しい番組が始まることだったり、新しいプロジェクトが実は走り出しているっていうこともあって、
いやどうかな、いけるかなって一旦返事を保留していたんです。 でもここで来年はどうなんだろうか、来年はいけるんだろうかというふうに考えたら、
もっといけなくなるんじゃないかなって思ったんです。 そして今回どう?って一応情報として伝えておくよ、
共有しておくよっていうふうに言ってくれたことを、来年はもうやっぱり遠いからねって言って、このまままた連絡が来なくなるっていうことも考えられるなって思ったんです。
で、忙しいっていう字は心をなくすって書きますよね。 忙しい忙しいって言ってたら何にもできないなと、どんどんどんどん心がなくなっていくなって思ったんです。
豊かさがなくなっていくなって思ったんです。 なのでクラスメイトが遠いから声をかけないでおこうではなくて、ちゃんと声をかけてくれる人たちで良かったなって思います。
ユイチ君ありがとう。 さてその忙しい自分を捨てたわけですから、心をなくす自分を捨てて出かけていった当日、
その日帰り弾丸ツアーだったんですけど、飛行機の座席をプレミアムクラスにアップグレードするおまけまでつけて、最高の一日になりました。
シューの実家では変わらずご両親が迎えてくれました。もう20年も失礼していたのに、本当に温かく迎えてくれたんですね。本当にジンとしました。
若いままのシューの写真があちこちに飾られているんですけど、その写真を見ながら、24年になりますとお父様が低く響くお声でお話をされました。
ご両親と私たちの付き合いが27年ということになりますから、それはもうすでにシューと一緒に過ごした年月を遥かに超えてしまったんですね。
毎年シューのうちで誰かが酔いつぶれることになっていると聞きました。私は最終便で帰るので先に失礼して、秋田の自宅に着いたのが夜10時ぐらいだったんですが、みんなから今日はありがとうね、今帰るところと連絡が来たのが23時、11時過ぎでした。
いやだって午後2時ぐらいからお邪魔しているはずなので、10時間以上もそこにいたっていうことになります。それは誰かが酔いつぶれますよね。
いろんな人があちこちで転がっていたみたいです。それにしてもこうやってずっとつながってくれていたクラスメイトにも本当に感謝したいなって思います。本当に尊い時間を過ごすことができました。
これはシューの人柄であったし、やっぱりこのご両親の人柄だったんだなって思います。
その日秋田を出る時はひんやりしていたんですけれども、八王子は汗ばむ陽気でした。八重桜が綺麗でした。
シューのお宅に行く前にみんなでシューが眠る墓地に行きました。墓石の周りを力強く大きなアゲハチョウが飛んでいました。
青空に一筋の雲がすっと伸びているのが見えました。11人でシューを囲んで懸敗しました。
この配信はアップルポッドキャスト他各種プラットフォームでお届けしています。ではまた明日もお会いしましょう。鶴岡慶子でした。
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