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おはようございます、鶴岡慶子です。この配信では、司会者として花火鑑賞師として、そして気象予報士として日々感じたことなどをお話ししています。
昨日の配信で、取材の時に心分けていることとして、いつもにこやかであること、相手が喋りやすい雰囲気であること、これを心分けてます、というお話をしました。
昨日、実は司会の現場で、こんなふうに接してくれたら、私もすごく気持ちよく司会ができるなぁ、ということがありました。
昨日は御葬儀の司会をしたんですけれども、宗師は仏教浄土神宗でした。いわゆる一行宗というものです。
この御住職が、まあ道士を務めるんですけれども、この御住職が素晴らしかった。私、もう5年ぶりぐらいにお会いしたお寺さんだったんですけれども、
その5年前の資料もありましたので、5年前はこんなふうに進めてたんですけれども、お代わりありませんか、というふうに尋ねましたら、
まあそのようにやってくれと。でも少しぐらい間違っても大丈夫だから、っておっしゃったんです。
すっごく気持ち楽になりました。式の流れ自体はそんなに複雑なところはなくて、間違うようなところってあんまないなと思ったんですけれども、
この時御住職が私に対して、こういうふうに進めてくれ、間違うなよって、もしおっしゃってたら、とっても緊張して、
複雑ではないけれども、間違っちゃいけない、間違っちゃいけないって思いながら進行していたら、間違いそうじゃないですか。
でも、間違っていいからねって言ったら、その間違うというところからは、ちょっと解放された気持ちになるんですよね。
で、解放された上で、丁寧に進めていこうっていうふうに思ったら、間違わないんですよ。
やっぱり間違っちゃいけないってグルグルしていることって、間違うことにつながっていくような呪文のような気がするんですよね。
そうやって言いながらも、間違うなよって思ってると思うんですけど、本当に気持ちよく進行することができました。
それで思い出したんですけれど、私ラジオの新人だった時に、原稿をどれだけスラスラと読めるかというところが目標だったんです。
噛まないように、間違わないように、ずーっとその呪文だけを自分に浴びせて、マイクに向かっていました。
いつでも緊張していましたし、それが失敗だと、引っかかったら失敗だって思ってたので、
いつも、「あ、またやっちゃった!またやっちゃった!」って、どんどんどんどんどうしようどうしようってなって、
何回失敗したかって、正の字を書いていくみたいな、そんな脅迫観念に襲われていた時期もありました。
今考えると、ちっとも楽しそうじゃないなぁと思います。
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いつぐらいから、その少しぐらい間違っても大丈夫って自分の中で、その間違うっていうことから解放された時期が、いつぐらいだったのか、それはもうちゃんとは覚えてないです。
ただ、言えるのは、自分の中に何にもないって思っていた頃、自分って空っぽだって思っていた頃は、ちゃんと原稿を正確に読むことぐらいはできなきゃいけないって思ってたと思うんです。
でも、だんだん経験を重ねていくうちに、「あ、このことについてラジオでお話ししたら、ラジオを聞いている方々はどんな反応になるんだろう?どんなお便りが来るかな?」って、
自分の中で伝えたいことがたくさん生まれてくるようになってからは、ちょっと原稿を読むのに引っかかっても、「それは言い直しをすればいいじゃん?」って思うようになったと思います。
そんなことも思い出しながら、この間違っちゃいけないっていう呪文って、罪だなと思いました。
そして、その呪文から解放された時に、いい仕事ができていくんだなぁとも思いました。
私が司会のお仕事をする時って、いろんな方と関わるんですよね。
その中には、まだお仕事に慣れていないスタッフもいる時があります。
そんな時にも、「大丈夫。間違っていいからね。少々のことは大丈夫だから。」って、そういう空気でありたいなって思いました。
昨日は、にこやかでいること、相手が気持ちよく喋ってくれるようにっていうことを心がけてるってお話もしましたけれども、
そうだ、間違っちゃいけないっていう空気を出さない。そのことも心がけていきたいなと思います。
今日も司会の仕事をしてきます。今日担当するのは、大正生まれの方なんです。しっかりと送ってきます。
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つろか稽古でした。