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2025-07-30 11:21

【1153】2025/07/30 今日ここに立つことは素晴らしい夢のように感じる #ことば

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2025/07/30
Being here today sure feels like a fantastic dream.
日本人で初めて米国野球殿堂入りしたイチロー(51=元マリナーズなど)のスピーチより

サマリー

イチロー氏が米国野球殿堂入りを果たし、夢の実現について語ります。彼はプロ選手としての責任や目標の重要性を強調し、支えてくれた家族への感謝の意を表しています。

イチローの米国野球殿堂入り
おはようございます。花火鑑賞士、気象予報士の鶴岡慶子です。
この配信では、花火や天気、言葉に関することなどをお話ししています。
アメリカのニューヨークで27日、日本人で初めて米国野球電動入りしたイチローが、英語でスピーチを行いました。
そのニュースを皆さんも見たんじゃないかなと思います。
スピーチはおよそ19分間です。
詰めかけたおよそ3万人のファンからは、イチローコールが鳴り止まなかったということなんですが、
今日はそのスピーチを一部抜粋して日本語で紹介します。
いつもより長い配信になるかと思いますが、よろしければ最後までお付き合いください。
今日、私は経験したこともない感覚に浸っています。
ルーキーになるのは3度目です。
1度目は1992年、高校からオリックスブルーウェーブにドラフトで指名されたとき、
そして2001年にマリナーズと契約し、27歳でルーキーになりました。
電動入りした偉大な先輩たちを見て、またルーキーになったと実感しています。
この素晴らしいチームに温かく迎え入れていただき感謝しています。
自分も野球電動の価値を守っていければと思います。
最初の2度のルーキーの時は気持ちをコントロールすることは簡単でした。
プロとして最高峰の場でプレーしたいという明確な目標があったからです。
今回は全く違います。
日本での少年時代、自分のプレーがこの神聖な野球の場につながっていくとは思いもよりませんでした。
皆さんはよく私を記録で評価します。
3000アンダ達成、10年連続ゴールドグラブ賞受賞、10年連続200アンダ達成。悪くないですよね。
しかし実際は野球がなければ私はこいつはただのアホだと言われたでしょう。
野球は打撃だけで片付けることはできません。
スローイング、ランニング。
野球のおかげで何が本当に重要か価値判断ができるようになりました。
人生の価値観、そして世界観が形成されました。
少年の頃はいつまでも野球ができると思っていました。
最高峰の舞台で45歳まで私が愛する野球をプレーし続けるのは
野球に全てを注ぐことだと気がつきました。
ファンは貴重な時間を使って見に来てくれます。
彼らのために活躍をするという責任があります。
10点差で勝っていても10点差で負けていても。
開幕戦からシーズン最終戦の162試合目まで
モチベーションを変えないことは私の責任だと感じていました。
シーズン最後のアウトを奪われるまで
私は帰りの支度を始めたことはありませんでした。
毎試合全力を注ぐことはプロとしての責任だと感じていました。
ファンが球場に来ると決めた時
彼らはいつだってプレーでもてなされる権利があります。
野球は私にプロフェッショナルとは何かを教えてくれました。
ここにいる一番の理由は
私の技術が他人より優れていたからではなく
これだと思います。
私は毎日用具のケアをしていました。
なぜなら紐が解けていたせいでエラーをしたり
スパイクを磨かなかったせいで滑ったりしたくなかったからです。
レギュラーシーズンが終わっても
私はオフシーズンに厳守していたルーティーンがありました。
そのおかげでスプリングトレーニングに来たときには
肩の状態はすでに準備万端でした。
小さなことを常にやり続ければ不可能なことはありません。
私を見てください。
身長5フィート11インチ
およそ180センチで
170ポンド
およそ77キロですよ。
米国へ渡ったとき多くの人に
大柄なメジャーリーガーと対等に戦うには
痩せすぎだと言われました。
初めてメジャーのフィールドを走ったとき
競争の激しさに圧倒されました。
でも準備の面で信念を貫けば
私自身ですら感じていた疑いの気持ちを
乗り越えられると思いました。
チームのためにできる最善のことは?
と質問されたら
私は自分の責任を果たすことと答えます。
自分の責任を果たすことは
自分自身に答えるということでもあります。
なぜヒットを打てなかった?
キャッチできなかったと思いながら
夜自宅へ帰るとき
本当の答えは後頭種に抑えられたからでも
強い日差しが目に入ったからでもありません。
何かもっといい準備ができたはずだからです。
自分の責任を果たせば
チームメイトをサポートし
ファンを裏切らないことにもつながります。
子供時代、私の夢は
常にプロ野球選手になることでした。
6年生の時に作文にまで書きました。
今経験したことを踏まえて
その作文を書き直すことができるのなら
夢という言葉ではなく
目標という言葉を使うでしょう。
夢は実現するとは限りませんが
道筋を真剣に考えれば
目標を達成することは可能です。
夢を想像することは楽しいですが
目標は困難でチャレンジングです。
もしあなたがあることに対して真剣であれば
やりたいというだけでは十分ではありません。
達成するには何をしなければいけないか
厳しい目を持って考える必要があります。
作文にはプロ野球選手になるためには
日々の練習や準備が大事だと書きました。
私はその後も目標を立て続けたのですが
目標を達成する基盤となっているものは
継続性だと後に気づきました。
若い選手たちには夢を持つ
しかも大きな夢を持ってもらいたいと思います。
ですが夢と目標の違いを
理解してほしいとも思います。
夢を目標に変えるには
達成するのに何が重要かを
誠実に考えることです。
最初の目標はオリックスに
ドラフトされた時に達成しました。
初めて戦ったフルシーズンで打撃タイトルを獲得し
日本でプレーしていた時は
その後毎年獲得し続けました。
今見れば全て順調で心配なんて一切ないように
移ったかもしれません。
しかし内心はなぜ結果を残せているか
理解に苦しんでいました。
私は何かを見つけようとしていましたが
答えが見つかりませんでした。
苦悩が続いていた時期に歴史的なことが起こりました。
ヒデオ・ノモが
日本人初のメジャーリーガーになったのです。
彼の成功は私を含め
多くの人を発奮させました。
彼のおかげで日本で常にMLBのニュースが流れ
試合もテレビで放送されました。
自分も想像しなかった舞台に
挑戦したいと考えるようになりました。
ノモさんありがとうございました。
MLBで挑戦することを容認してくれた
オリックス・ブルーウェーブにも感謝しています。
そして米国野球で日本人初となる
野手を信じてくれた
シアトル・マリナーズにも感謝しています。
それ以降、シアトルとマリナーズは
私にとってかけがえのないものになりました。
マイアミ・マーリンズは正直な話
2015年に契約のオファーをもらった時
聞いたことのないチームでした。
しかし南フロリダで過ごした時間は
愛おしいものとなりました。
メジャーⅡさん3000アンダをコロラドで達成した時
仲間がダグアウトから飛び出してきて
祝ってくれたことは一生忘れません。
その瞬間をチームメイトと共有することのできた
喜びは純粋なもので偽りのないものでした。
マーリンズの選手として
そしてあのチームメイトと一緒に
3000本アンダ達成のチャンスを与えていただき
日本人初のメジャーの野手になろうと決めた時
周囲から大きな疑念を向けられたことは
想像できると思います。
疑念だけではありませんでした。
批判やネガティブな意見がありました。
ある人からは国に恥をかかせるなと言われました。
私を一番サポートしてくれたのは
妻ユミコでした。
彼女も疑念を持ってもおかしくなかった。
そんなことは全くありませんでした。
私を支え、励ますことだけに
全力を注いでくれました。
シアトル、ニューヨーク、マイアミの19年間
家庭が常にハッピーでポジティブになるように
心を砕いてくれました。
私は安定した選手になることを目指しましたが
彼女は私の人生の中で
一番安定したチームメイトです。
現役引退直後、ユミコとデートをしたことがありました。
現役時代に絶対できなかったこと。
球場のスタンドに一緒に座って
マリナーズの試合観戦を楽しみました。
しかもアメリカ式にホットドッグを食べながら。
野球が与えてくれた全ての経験の中で
私はこの瞬間に到達するために
最も欠かせなかった人と
ホットドッグを食べながら試合を楽しんだことは
一番特別なことでした。
米国の野球殿堂に入ることを目標にしたことは
一度もありません。
2001年に最初にクーパーズタウンを訪ねてくるまで
そのようなものがあることも知りませんでした。
しかし今日、ここに立つことは
素晴らしい夢のように感じます。
ありがとうございました。
プロ選手としての責任
この配信はアップルポッドキャスト、他各種プラットフォームでお届けしています。
大きな夢を持つこと
そして目標との違いを明確に持つこと
プロとは何であるかということの意識の高さとか
準備をすることの大切さも
大きくうなずくことばかりだなと思いました。
野茂英雄に対するリスペクトがあるのは
本当に素晴らしいですし
最後に妻のユミ子さんとのほのぼのしたエピソードも素敵ですよね。
とても素晴らしいスピーチで
日本人の一人として誇りに思います。
いつもの配信の倍以上の長さになりましたが
最後までお聞きいただきありがとうございました。
それではまた明日。
11:21

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