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おはようございます。鶴岡慶子です。 この配信では、花火や天気、言葉に関することなどをお話ししています。
司会やナレーションを通じて、日々感じたことなどを語る声の日記です。 日本の秋田県から毎朝更新しています。
今日は、言葉についてのお話です。 自分自身の足元や自分の生き様、
来し方行く末までも考えるきっかけになります。 そう言っていたラジオパーソナリティーがいました。
そういう言葉が聞こえてきた日だったんですね。昨日は。 で、この言葉を聞きながら、秋田出身の歌手、高橋優さんの5枚目のフルアルバムのタイトルは、
来し方行く末なんですよね。来し方じゃなくて、来し方なんですよね。 で、高橋優さんは、このアルバムのタイトルについて、
デビュー5周年を迎えた去年が、今までを意識する1年だったとすれば、逆に今年は、これからを意識する1年だったような気がしたんです。
今までとこれからをとても意識した2年間だったので、過去と未来という意味の言葉を使いました。 と話しています。
来し方行く末と読む人と、越し方行く末と読む人。 どちらの読みもあって、その揺れの経緯は、平安時代まで遡るみたいです。
平安時代の文法、用例基準では、どうなっていたかっていうと、 過去という意味では、来し方。
通り過ぎてきた場所、方角という意味では、越し方を使った。 こうやって、ちゃんと分けられていたということなんですね。
そういう意味から言うと、過去という意味で使うのであれば、冒頭に紹介したラジオから聞こえてきた使い方は、もしかしたら、越し方じゃなくて、来し方の方が本来的なのかもしれないなと思いました。
過去の意味での来し方の例では、源氏物語から、来し方を思い譲るも儚きを、行く末かけて何頼むらん。と、ほのかにのたまう。
と使っています。 過ぎ去ったことを思い出しても頼りないのに、将来までどうしてあてになるだろうか。
と、かすかにおっしゃる。
これは、来し方の使い方です。もう一つの、越し方の方は、通り過ぎてきた場所、方角という意味で使っている例としては、竹取物語から、ある時には、越し方行く末も知らず、海にまぎれんとしき。
こうやって、過ぎ去った時間は、来し方、場所、空間的なことは、越し方と、はっきり分かれていたのが、平安時代だったのですが、この平安末期に、越し方のみが残ったみたいです。
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なんと、来し方の方は、消えてしまったのです。
ところが、その後、来し方が復活してきたという、面白い歴史をたどったということがあります。
これは、私の想像ですけれども、この漢字表記で、読み方を知らない場合は、最初から、越し方と読めるかどうかって思ったら、やっぱり、来し方と読んじゃいそうですよね。
それが、一般に定着していったのかなって、そんなふうに思ったんです。
案外、言葉って、広く定着していくときって、ある間違いからっていうことが、多いんじゃないかなと思うんですけど、
この来し方が復活したっていうのは、そういう経緯だったんじゃないかなと想像します。
いずれ、ラジオから聞こえてきた、越し方ゆくせっていう言葉の響きが、とっても綺麗だったのと、もう一つの来し方ゆくせも、とても音が素敵で、どちらも上手に使いたいんですけれども、
結局、どうやって使えばいいのかっていうと、いろんな辞書を見てみたんですけれども、意味の違いについても、使い方の違いについても、説明しているものがないようなんですよね。
同じような意味で使われているし、その違いは、もはやないと考えていい、みたいに説明しています。
で、どっちでもいいって言われると、ますます難しいなっていう気がしていますが、来し方ゆくせ、越し方ゆくせ、いずれ、どこから来てどこへ行くのか、どこへ向かっていくのか、
もうすぐ2024年も半年が過ぎてしまいます。下半期、どんなふうに過ごすのか、そのゆくせを考えるのは、今かもしれません。
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併せてご利用ください。鶴岡慶子でした。それではまた明日。