「“想定外を想定内に”…被災地医療を支えた看護師が語る教訓とその後の歩み 東日本大震災15年」 東日本大震災から11日で15年です。津波の被害を免れた宮城県の石巻赤十字病院は、地域の拠点病院として多くの命を救いました。未曽有の災害の教訓はいま、どのようにいかされているのでしょうか。看護師の佐々木麻未さん(38)。震災が起きた時、当時23歳、看護師として2年目でした。当時看護師2年目だった佐々木麻未さん:どんな患者さんが来るか分からない。どのような対応をしなければならないか分からない状況の中で、果たして自分はできるのだろうかっていう不安を持ちながらも、「あ、行かなきゃ」と思って行った。病院は海岸から4.5km内陸に位置し、現在は落ち着いた雰囲気のロビーですが、15年前は被災した患者であふれ、「野戦病院」のような状況に。2011年3月11日午後2時46分、石巻市は震度6強の激しい揺れに襲われました。病院では対策マニュアルを元に、発災から4分後には災害対策本部を立ち上げ、職員一人一人が事前に決められた役割通り対応にあたりました。しかし、交通網は寸断され、多くの人が病院へたどり着くことができませんでした。ただ、状況が一変したのは翌日でした。津波にのまれ、寒さにさらされた低体温症の患者が次々と搬送されてきたのです。救急搬送が1250人を超える日もありました。専門の垣根を超えて対応するスタッフたち。中には家族の安否が分からないまま働き続けた職員もいました。そんな過酷な震災の経験は、医療従事者たちのその後の歩みにも影響を与えます。当時2年目だった佐々木さんは、震災をきっかけに災害派遣医療チーム「DMAT」の資格を取得。震災から6年後には、被災地で救急医療を行う赤十字病院の「救護班」の一員になりました。当時看護師2年目だった佐々木麻未さん:限られた資源の中で、どう医療を提供できるか考えるところから力を発揮できたらと考えている。さらに、災害看護の専門資格も取得。15年前、未曽有の災害に向き合った経験は学び続ける意思につながっています。
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