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2023-03-07 11:19

#373 福島県出身で「ゴジラ対ガイガン」などで美術を担当した本多好文さんの話

『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』や『ゴジラ対メガロ』、『メカゴジラの逆襲』などで美術を担当した本多好文さんは福島県出身。「本田」好文さんという別な名字の資料も多く、不明なところが多いです。福島県のどこ出身なのか、名字はどっちが正しいのか、などいろいろ聞きたいことが多い方です。

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はい、おはようございまーす。
本日の放送は2023年の3月7日、火曜日です。
本日は第373回目のお話となりまーす。
このチャンネルは、福島県郡山市在住の特撮アニメ漫画
大好き親父のピョン吉が響きになったことを伝えたら
話をしていくという番組です。
そんな親父の一言をお聞きになりまして
もしもあなたの心に何かが残ってしまったら
ごめんなさい、悪意はなかったんです。
購入この番組に興味を持ってしまったら
ぜひ今後もご協力のほどよろしくお願いいたします。
昨年2022年はね、ガイガン50だったんですね。
ガイガン誕生50周年でね、
ガイガンやたら出ていたんですね。
ゴジラvsガイガンネクストとかね、
そういった映像作品なども作られてましたね。
またソフトビニール人形なども出ていました。
自分第二次怪獣ブームの人間なんですね。
第二次怪獣ブームってのはね、
帰ってきたウルトラマン、スペクトルマン、
シルバー仮面、ミラーマンあたりね。
そこら辺でね、あの洗礼を受けた人たちですね。
東宝チャンピオン祭りはね、
ゴジラvsヘドラだったんですよ。
翌年のね、1972年のウルトラマンSの時にね、
その時にですね、映画の方ではね、
地球攻撃命令ゴジラvsガイガンだったんですね。
このガイガンなんですかね、
テイビーの流星人間ゾーンにもゲスト出演していたんですね。
そんな中ですね、ガイガンについては愛着があるんですよ。
鳥のような顔をしていましてね、
目はね、ゴーグルをつけているようなデザインでね、
そして腕には鎌みたいのがついてまして、
腹には回転ノコギリがついていると。
非常に凶悪なデザインでね、
ロボットのような色でね、
かっこいいなぁというふうに思った怪獣です。
このガイガンですけどね、
デザインした人がね、
しばらく不明だった時期があるんですね。
2008年になりましてね、
ガイガンをデザインしたのは自分だというふうにね、
名乗った人がいるんですね。
週刊少年マガジンで、
そして写真絵画家として活躍していたイラストレーターのね、
水木隆義さんです。
東宝のほうでもですね、
週刊少年マガジンのね、
水木っていう人にね、
依頼したっていうのが記録があったらしいんですよね。
水木って言ったら水木茂さんだろうっていうね、
ゲゲノキ太郎の水木茂さんと勘違いされていたんですね。
ガイガンの前のヘドラガンの妖怪をね、
モチーフにしていたんですね。
だから水木茂さんだと勘違いされちゃったんですね。
本人もですね、自分がデザインしたと言うまでですね、
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約35年くらいですかね、
忘れられされていたんですね。
というわけで、そんなことあるの?って感じですけど、
そういうことって結構あるんですよね。
今回はですね、もう一つですね、
この地球攻撃命令ゴジラ対ガイガンでね、
あんまりね、話題にならない方、
その方をご紹介したいと思います。
この映画の中でね、美術を担当している
本田芳文さんです。
この方、福島県出身の方なんですよね。
忘れられてって言い方はちょっと大げさだったんですよね。
この本田芳文さんですね。
色々と不明なことが多いんですよ。
まず、苗字が不明なんです。
本田って言ったじゃない?
と思うかもしれませんけどね。
それが実は飛行機が2種類あるんですよ。
一般に本田って言うと漢字でイメージするけどね、
本と田んぼの他の本田、これ一般的ですよね。
確かにそうやって飛行機されている本もあります。
もう一つですね、多いのはですね、
本にね、多い少ないの多いの字で本田っていうのもあるんですね。
この飛行機もあるんですよ。
そして、不明なためなんですかね、
2つ並べている仕様なんかもあるんですね。
この多い方の本田と言えばですね、
東方にですね、監督の本田石郎さんがいらっしゃいますよね。
ゴジラの本編を撮影された方です。
ゴジラはね、
坪井英二監督が撮影したんじゃないの?
と思うかもしれませんけどね。
坪井英二監督はね、特撮の部分を撮影したんですね。
本編の方ね、
本田石郎さんが撮影したんですよ。
その本田さんと同じ名字なんですね。
というわけで、本田義文さんがね、
この本田っていうのをね、監督にあやかってそういう風にしたのか、
あるいは東方のね、単なる打ち間違いで
そうなっているのか、ちょっとわかんないですね。
そういう方、本田義文さんですけども、
福島県の出身というかですね、
どこの出身かが全然わかんないですね。
また、どういう経緯で映画館に入ったのかも謎なんですね。
というわけで、謎が多い方なんです。
お生まれはね、1933年の2月23日ってことなんでね、
現在90歳になってるはずなんですね。
現在なんでしょうかね。
特撮関係の人はね、いろいろとインタビューとかね、
されてて、いろんな細かいこともわかってるんですが、
ところがですね、本田さんに関してね、
美術を担当してるのはほとんど情報がないんですね。
というのは、特撮部門じゃなくてね、
ドラマの方のね、美術の担当だからかもしれませんけどね。
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それでもわかってる限りの歴史を言いますとね、
1955年に東方撮影所の美術女子として入社したそうです。
そして1967年に東方と契約して以後ですね、
美術監督を担当してるんですね。
で、主な作品として言いましてね、
1957年黒澤明監督の雲の巣上、その作品でですね、
美術女子してるんですね。
引き続いて黒澤明監督の1961年妖人棒、
こちらでも美術女子してるんですよ。
雲の巣上のあの特撮使ってないのにね、
ブツブツと矢が飛んでくるところ、
あれどうやって撮影したんでしょうかね。
美術って言うのでそれ関係してるかもしれませんよね。
また妖人棒のね、風がビュービューと吹くところだとね、
ああいうところも関係してるんだと思うんですよね。
2つの作品ですね、間近で撮影を見ていたわけですよね。
というわけでそういう方がですね、
後に怪獣映画に関係していくんですね。
美術監督になってからですね、
南太平洋の若大賞1967年、
それあとフレッシュマン若大賞1969年で美術を担当します。
茅山唯蔵さんの若大賞シーズンは第10作と第13作ですね。
南太平洋の方はね、サイパンタヒチでロケしたそうなんですよ。
フレッシュマンの方はね、北海道でロケしたらしいんですね。
どんな風な美術やってるのかね、ちょっと気になりますね。
それあと特撮ファンとして忘れていけないのはですね、
幽霊屋敷の恐怖超数人形ですよ。
1970年超数シリーズの第1弾ですよ。
この美術を担当されてるんですね。
そしてゴジラシリーズではね、地球攻撃命令ゴジラ対ガイガン、
ここは1972年。
翌年のゴジラ対メガロ、1973年。
そしてちょっと1年空きまして、メカゴジラの逆襲、1975年。
ほんで美術を担当されてるんですね。
ガイガンとメガロはね、福田純監督です。
メカゴジラの逆襲はね、ホンダ石尾さんの監督なんですよ。
ゴジラの監督と組んだわけですね。
ゴジラ対ガイガンというとね、
ゴキブリに似たM宇宙ハンター星雲陣とか出てましたよね。
またあとウルトラセブンのアンノン隊のヒシミンリクさんも出ていましたよね。
ゴジラ対メガロでね、メガロ自身はカブトムシのお化けみたいな怪獣でしたけどね。
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もう1つ忘れていけないのはジェットジャガイが出ていたんですね。
その後の敵はシートピア海底人でしたよね。
メカゴジラの逆襲ではですね、ブラックホール第三惑星人ですね。
というわけで、その作品にどのようにですね、美術としてね、携わったのか非常に気になるんですね。
この子ですけどね、時代は映画からテレビに映ってますんでね。
で、テレビの方のお仕事もされています。
というので、日本テレビ系列の方でね、クラマテングのドラマ、そちらの方で美術を担当されてるんですね。
それと毎日放送の横水蔵静止シリーズってありましたよね。
というので、仮面舞踏会だとか、夜歩くだとか、仮面劇場だとか、その3作、そちらの方でですね、美術を担当されています。
それとフジテレビの方でね、座山放課後っていうテレビシリーズがあったんですね。
そちらの方の1作目、2作目、3作目、そちらの方で美術を担当されてるんですね。
というわけで、映画、テレビ、そちらの方でね、美術を担当されてきた方なんですね。
ですが、これの答えについてね、それは全然あと他情報ないんですよね。
もう是非ともですね、いろいろと知りたいんですよね。
どなたか調べてほしいんですね。
せめて福島県のどこの出身なのかとね、苗字は本当はどっちなのか、それはせめて知りたいなと思うんですね。
どなたかね、調べてくれませんでしょうかね。
はい、それではまた次回よろしく。
ペンキションのお宅の話をお付き合いくださいね。
本日もお聞きくださいまして誠にありがとうございました。
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