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2026-03-08 05:28

#290 原発と幻想文学『ゼロエフ』の衝撃、福島県民なら読んでほしい古川日出男さんの小説

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ピョン吉の航星日誌「#1470 福島県のノンフィクションから幻想へ、古川日出男さんの『ゼロエフ』の話」をNotebookLMでポッドキャスト化したものです。

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こんにちは。 3月11日というこの時期にまさに読み解くべき視察ですね。
本当にそうですね。 今回は資料を送ってくださった方に向けて、福島県郡山市出身の作家、
福沢秀夫さんの2021年の小説『ゼロエフの世界』を一緒に深掘りしていきたいと思うんですけど。
送ってくださった方の詳細なメモとか感想をベースにですね、この作品が単なる震災文学の枠を超えて、どうしてここまで読者の心を揺さぶるのか、
その得意な魅力と深い意味を読み解いていきましょうか。 そうですね。なんかいきなりなんですけど、実は私、福沢さんに対してずっと一人相撲というか、
ライバル誌をしていた時期があるんですよ。 ライバル誌ですか。作家の福沢さんが相手に。 そうなんです。最初にアラビアの夜の種の種族を読んだときに、こんな圧倒的なファンタジーを書く人が同じ郡山から出たのかって、
ものすごい衝撃を受けまして。 なるほど、同郷ならではの感覚ですね。
はい。その後も平家物語の犬王の薪がアニメ化されたりして、なんか、あ、また私の好きなフィールドに寄ってきたぞみたいな、謎の対抗心を燃やしてたんですよね。
なかなか激しい思い入れですね、それは。 でもある郡山での講演会で、福沢さんが本を読むきっかけになったのが、佐藤悟さんの誰も知らない小さな国だって話されてて。
あ、有名な児童文脈の。 ええ、私も大好きな愛読書だったので、同じ本に感動してるってもうすっかり嬉しくなっちゃったんですよね。
そうした個人的な思い入れとか原風景の共有があるからこそ、今回のゼロFっていう作品は、より深く響くのかもしれませんね。
そうだと思います。送ってくださった方の資料にもあるんですけど、この本って、ただの小説ではなくて、構成がグラデーションにより変化していくっていう得意な構造を持っているんですよね。
そうなんです。まず第1部が福島の小さな森というタイトルで。
え、2019年のご自身の母親の葬儀をめぐる、すごくパーソナルな私小説風のトーンで始まるんですよね。
はい。そこから第2部の4号線と6号線に入ると、今度はコロナ禍の自粛期間だった2020年の夏に、実際に国道を歩いたノンフィクションとかルポルタージュの手法に切り替わるわけです。
そうそう、知っている地名が次々と出てきて。
まるで読者も一緒にその土地を歩いているような生々しい記録の文学になりますよね。
なのにそこからが本当に驚きで。
はい。
表題作である第3部、国家0F浄土に入った途端に物語の空気が一変して。
ええ。
なんと、ガルシア・マルケスみたいな南米文学的なマジックリアリズムの世界というか、完全な幻想小説へと変貌するんですよ。
現実のルポルタージュからいきなり幻想文学へ飛躍すると。
このアプローチの切り替えこそが今回の資料の中で一番興味深いポイントですよね。
本当にそうですね。
そこで鍵になるのがタイトルの0Fという概念です。
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はい。地元では福島第一原発を1F、第二原発を2Fって呼びますよね。
そうですね。
かつては幻の第三原発3Fの計画もありました。
123と数字が続くわけですけど、じゃあその前の0Fはどこにあるのかっていう。
ああ、なるほど。
現実には存在しないはずの起点を探すという、知的好奇心を強烈にくすぐる謎解きがここで提示されるわけですね。
その0Fを探す旅っていうのが、まるで宮沢賢治の風の又サブローとか銀河鉄道の夜を彷彿とさせるような不思議な道行きなんですよね。
はい。
特に印象的だったのが、阿部熊川を沿いを歩いていると、いつの間にか放射線モニタリングポストの姿をした少年が隣を歩いているという状況で。
ちょっと待ってください。モニタリングポストの姿をした少年ですか?
そうなんですよ。文字通り、街角にある放射線を測る機械の姿をした少年なんです。
へえ。
音がにするとすごく奇妙に聞こえるんですけど、福島の文脈の中で読むと、この現実と非現実が混ざり合ったイメージが、何とも言えない不気味さとか切なさを持って迫ってくるんですよね。
なるほど。単なる冷たい数字の記録じゃなくて、その土地が抱える見えない不安や記憶が文字通りグレン化して隣を歩いているわけですね。
はい。最終的にその0Fがどこにあるのかは、読書の楽しみとしてここでは空いて伏せておきましょうか。
そうですね。ぜひ本を開いて一緒に迷い込んでほしいです。
今回の資料全体を通して見えてくるのは、複雑な歴史や痛みを持つ地域を語る際の手法の見事さだと思うんですよ。
事実とかルポルタージュだけでは処理しきれない感情やトラウマを、あえてファンタジーや幻想という器に入れることで、より多角的に深く読者の心に届けているわけですね。
本当にそう思い出す。事実だけを並べるよりも、もっと本質的な真実みたいなものが浮かび上がってくる感覚がありました。
そこで資料を送ってくださった方へ、最後の思考の種としてこんな問いを投げかけたいと思います。
現実の記録だけでは語りきれない地元の記憶や歴史を、あえてファンタジーや幻想というレンズを通すことで、私たちはどう新しく捉え直すことができるでしょうか。
ご自身の身近な場所とか出来事に当てはめて考えてみるのも面白いかもしれないですね。
次回の配信もお楽しみに。さよなら。
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