1. 口は背中よりモノを言う。
  2. #117 夜道に這い出る透明。
2026-10-14 43:20

#117 夜道に這い出る透明。

舵を自分で握っている感があまりにも薄い。困りました。潜水は続く。

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感想

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サマリー

深夜に一人で外を歩きながら、子育てと仕事に追われて「オフがない」生活の息苦しさを語る。子どもたちが遊ぶ『ポケットモンスター ファイアレッド・リーフグリーン』では、8歳の子がリザードン中心の不器用な戦い方で殿堂入りし、ゲームの設計と成長の差に感心する。保育園最後の運動会では、下の子が太鼓を叩きながら立派に入場し、2年間の成長や、子育てに関わる父親が増えた実感を振り返る。自分の子育て発信の価値が、男性が育児に合わせて働き方を変えることの珍しさに支えられている現状を説明し、性別に関係なく子育てを語れる社会では、その価値がなくなってほしいと話す。さらに、自分が他人にプラスの影響を与え続けることさえ居心地悪く感じ、リハビリの仕事でも最終的には自分がいなくても自立できる状態を理想としていると気づく。横浜市長選を前に、候補者が「何人の子を持つ親か」を掲げることへの嫌悪感を述べ、子どもを出すより政策を示すべきだと主張する。自身が仕事より家庭・育児を優先するために転職や勤務時間短縮を選んだ一方、身近には仕事を第一にする男性が多く、育児を語る父親に完全には寄り添えない葛藤も語る。医療職として患者情報を守る必要から仕事の感情をほとんど外に出せず、家庭の話も理解されにくいため、仕事と家庭の双方で感じることの約90%を抱え込んでいる状況が息苦しさにつながっていると分析する。

深夜の散歩と子育てのオフ不足
こんにちは、こんばんは、おはようございます。カフェインよわおです。 この番組は、夫婦とんぼたらきで二次の子育てに立ち向かう父親カフェインよわおが、子育てのある生活の中で、日々打ち当たる立ち行かなさを背中で語らず言葉にしていくポッドキャストです。よろしくお願いします。
今日はせっかくピンマイクを買ったということで、深夜に外を歩きながら収録してみております。音質の方がどうなるかはちょっと後で編集で頑張りましょうっていう感じですね。
普段あんまりね、こうやって夜に一人で外に出たりみたいなことはあんまりしないんですけど、なんか今日はちょっとこういう瞬間に一旦何も気にせず一人になっておかないと、なんとなくなんだろうな、自分自身が病気がしたので。
もうちょっといい表現がないかな。
一口に言うとオフがないんですよね。とにかく最近ずっとずっと動きっぱなし。全然なんか一人でどこかに出るみたいなことがないことはないかないことはないんだけど、ずっと後ろの時間とか子供の存在とかそういうものを気にしながら動いている日が延々と続いておりまして。
子供たちも寝静まって妻も寝静まって、なんかあったら妻がなんとかしてくれるだろうというふうなことを信じて一人でちょっとプラッと外に出るみたいなことをしないと。
自分の人生にはちゃんと自分で決められる領域があるんだぞっていうことを我が身に改めて教えてあげないと。
なんて後ろ向きなんだ。ちょっとね大変そうな気がしたので、今日は外に出てきた次第でございます。
とりあえずコンビニに入ろうかな。ちょっと一旦止めますね。
よし、ルイボスティーを手に入れました。
ルイボスティーはさ、パッケージにもね、ノンカフェインって書いてあるんですから、まあまあその名の通りカフェインは含まれてないんだと思うんだけどさ、カフェインが入ってるお茶と入ってないお茶の違いってなんなの?
なんなのカフェインって。僕カフェイン和王を名乗っておいてカフェインのことについて何も知らない。
なんなんだ。ほんと意味わかんねえな。
ルイボスティーさ、その栄養成分表示のところね。
エネルギーゼロキロカロリー、タンパク質質質ゼロ、炭水化物ゼロ、食塩相当量0.03。
あ、食塩相当、食塩的な何かが入ってるんだ。カフェインゼログラム。
なんなの。ルイボスは塩ということ?そんなわけはないことはわかってるんですけど。不思議な飲み物ですね。
ちょっとルイボスティーを飲みながら一人ごとぶつぶつ喋ってから帰ろうかなと思っておりますが。
子どもたちのポケモン攻略とゲーム設計
最近ね、うちの子供たちがね、ポケモンのファイアレッドとリーフグレインをプレイしておりましてですね。
初代の一番最初のポケモン赤緑をゲームボーイアドバンス用にリメイクしたやつをスイッチで移植してできるようにしたよみたいなやつなんですけど。
彼らも年頃の男の子なんでね、当たり前のように僕もポケモンがやりたいよみたいな話になるわけです。
それはもう自然にね、そりゃそうなるわって感じなんですけど。
友達と最新のポケモンが生んだらみたいな話になったとかではなくて。
YouTubeの全然関係ない動画でポケモンの話、ピカチュウがどうだ、ヒトカゲがどうだみたいな話が出てきた時にね、僕もポケモンをやりたいっていうふうなことになったので。
じゃあ一旦その最新のものとかでなくていいかということになってですね。
ひとまずその割合手頃な値段だったファイアレッドとリーフグレインをそれぞれに買い与えてやっているんです。
無事にね、8歳児の方がクリアしたんですよ。
ちゃんとジムリーダーを8人倒して、四天王を倒して、その先にいるライバルを倒して、晴れて連動入りというところまでつい今日至ったんですね。
なんかすごいことだなと思ってさ。
僕が果たして彼と同じ8歳とかの時にポケモン赤緑が出たのも多分同じくらいだったと思うんですけど、果たしてクリアできただろうかというふうに思ってですね。
年代なりにね、戦い方はかなり拙いものだったんですよ。
言ってしまえば、当たり前なんですけど小学生なんでね。
ポケモンって6体ポケモンを持ち歩けるんですね。
それぞれのポケモンには炎タイプとか水タイプとかっていうふうな決められたタイプがあって、
それによって使いやすい技があって、炎タイプの技がよく効く相手もいれば、あんまり効かない相手もいれば、炎タイプのポケモンに対してあんまり効かない攻撃を放ってくる相手もいれば、
逆に2倍ダメージ4倍ダメージみたいな感じで弱点をついてくる敵もいるみたいな、そういう感じでバランスをとって成り立っているゲームなんですよね。
4つ技が選べて炎タイプのポケモンが炎タイプの技を使ったらちょっと強い。
でも他のタイプの技も覚えられるし、別に攻撃とかだけじゃなくて守りの技とかそういう風なのを取り入れても良いみたいな感じになってるんですけど、
子供はね、とにかく攻撃こそ最強であるという風に信じてですね、
彼は最初に選んだ人影を一心に育てあげてですね、
弱点をつける相手であろうが、明らかに不利な相手であろうが、とにかくそのリザードンを信じて強くして、
傷薬とか元気の欠片とかで必死に守って、最終的にはもう技ポイントも全部なくなって、悪あがきをひたすら相手のポケモンにぶつけていきながら、
それでもなんだかんだで最後のライバルを無事に打ち倒して電動入りに至ったわけです。
それぐらいでもクリアできるゲームバランスというのは、本当に子供に与えるにあたってとても素晴らしいものだなという風に思ってですね、
いやー、任天堂ってすげーなって思うんです。本当に子供と一緒にゲームの話をしているとね。
なんかこう要所要所でね、このアイテムを街にいる誰かから見つけないとこの先には進めないよとか、
なんかそういうタイミングではね、この街の家の中にいる人たちにちゃんと話聞いてみたらわかると思うよとか、
なんかそんぐらいの感じのヒントは僕も出したんですけど、逆にそれ以上のことは全然言ってないんですよね。
なんか戦い方とか、その相手とのタイプ相性とか、聞かれたら答えだけど、
なんか明らかに苦戦してなっている時も、彼が求めない限りは極力口出ししないようにしてたんですけどね。
それでもね、なんだかんだちゃんと勝てるようにできてるんですよね。すごいですよね、本当に。
彼がすごいのか、任天堂がすごいのかっていうのはちょっと僕にはよくわかりませんけれども。
保育園最後の運動会と二年間の成長
6歳児はね、まだまだ全然なんだよな。やっぱ明らかに戦い方がちょっと8歳よりも下手だし、
探索とかね、周りの人に話聞いたりとかも、やっぱり8歳の子よりも雑になるし、
その分ちょっと進みが遅くて、それでも彼は彼で楽しくやってるので全然いいんですけど。
あれぐらいの年での2歳の差っていうのは本当に大きいなというふうに思いますね。
そりゃそうだよな。人生の中の何分の1だよっていう話だもんね、2歳という年月が。
なんか子供の運動会とかを見ててもですね、
うちの子たちが通っている保育園は、その幼稚園における年少年中年長さんっていうのが、
3歳4歳5歳か。3歳4歳5歳の、ん?違う?4歳5歳6歳?
まあいいや、ちょっとわかんないけど、その上の3年分がね、運動会をやるんですよ。
なので、運動会に出れるギリギリ一番下の年次の時に、年長さんクラスの子たちの振る舞いを見るとさ、
あと2年でこんなんできるわけなくない?って本気で思うわけ。
それは上の子がその年次の時にも思ったし、下の子がその年次の時にも思ったの。
下の子が最低学年だった時にはさ、上の子は今まさに話題にしている年長さんクラスだったから、
そこになんていうか、そんなに逆を感じることはないはずなんだけど、
それでもこんなにお兄さんになるんだ、この2年間でっていう風なのを、すごいね、いくたびいくたびにとても感じるんですよね。
つい先日ね、うちの下の子が年長さんになった年の保育園最後の運動会があったんですよ、つい先日。
入場に合わせてマーチングをやってさ、彼は歩きながらね、お腹の前に抱えた太鼓をポンポコポンポコ叩きながら入場してくる役だったんですけど、
すごい、それはそれは立派に太鼓を叩き上げていてね、すごいんだよな、
なんかその太鼓を叩く役になるよっていうことが3、4ヶ月前ぐらいに決まってたんですよね。
で、そこからちょっとずつちょっとずつ練習を積み重ねて、いざ運動会本番っていう風な感じだったんですけど、
太鼓を叩く役になるよっていうのが決まった瞬間から、ゲームセンターで太鼓の達人をやりたいっていう欲を出すようになったんですね、彼は。
それもその保育園で太鼓叩きながら入場していくための予行練習として、僕は太鼓の達人をしっかり上手になっておきたいんだみたいな話でですね。
何かの機会にゲームセンターに寄るたびに太鼓の達人に挑んで、僕は運動会で太鼓叩くからねっつって。
あら、練習するんだ、いいねって言って、100円、200円ぐらいね、その時には渡してあげるんですけど、立派だったな、すごかったですね。
もう保育園終わるんですってよ、下の子も。
あと半年もないですね、今年度で保育園終わりか、すごいことだな。
父親の子育て発信が不要になる社会
だいぶね、保育園の運動会とか何かしらの行事事とかに行くとですね、流石にいよいよ男性親の比率が増えてきたなというふうなことを感じるわけです。
上の子の時はね、まだまだ少なかったんですよね。かなり少数派で、僕みたいな男親の存在は。
それが今回の運動会は、ほぼお父さんお母さん両方揃ってるところが多かったかなっていうふうな気がしますね。
そういう世の流れに少しずつなってきているのかなというふうには思うんですけどね。
相変わらずSNS上では父親が育休取ったけど全然使えねえとかそういう話ばっかり流れてくるので、果たして実態はどうなんだろうかというふうな感じですけれど。
僕ですね、こうやってポッドキャストという形で、男性のみで子育てに立ち向かうとこうなるぞみたいなものを、わりと包み隠さず出していると思っているんですよ。
その部分をある程度受け入れていただいているというか、ご評価いただいているんだろうなというふうな感触は必死と感じているのですが、
将来的にね、僕がこういう子育て絡みのことを発信することの価値がゼロになったらいいのになっていうふうなことをすごく思っているんです。
つまり、僕が今こういう話をポッドキャストで配信していることの価値っていうのは、結局男性のみで仕事をそれまで普通にしていて、
その人間が自分の働く時間を減らすだとか、職場を変えるだとかして、育児に適合しようとしていった結果、別に男性だから楽ってこともなくて、ちゃんとしんどいよみたいなことを外に出している、その希少性が変われていると思っているんですね。
僕の感触では、もちろんそこにプラスアルファで言葉選びがうんたらとかね、そういうふうな話はいろいろあるとは思うんですけど、
それって裏返せば、それぐらいにいろいろ子育ての方に合わせていく男性の存在がまだまだ珍しいからこそ、僕みたいなやつに価値が出てしまっているとも言えると思うんですよね。
なので、ゆくゆくね、男性だ女性だみたいな括りを取っ払って、子育てに関わっている人が子育てに関わっている人として性別関係なく均一に当たり前に話し合える世界になってくれるのであれば、別に僕がこうやってしゃべることの価値がいい意味でなくなってくれるから、そういう世界になったらいいのになっていうふうなことを
とても思うんですよね。
透明になりたいという価値観
多分そういう、僕の価値が薄まっていけばいいのによくみたいなの、多分あるんだろうな、僕、根本的に。
マイナス方向の僕が邪魔になるかも邪魔にならないかもとか、そういう風な方向性だけではなくて、僕にプラスの価値が生じている状態もちょっと居心地悪くて嫌なんだろうなっていうふうなのはいろんな瞬間で感じるんです。
僕の発信がプラスに受け止められているっぽいって感じる時もそうだし、仕事上で理学療法士としてリハビリを人に提供していて、それなりにいいことをやっていると自分では思っているんだけど、一方でそれなりにいいことを人に対してやり続けたいわけでもないんですよ、僕は。
あくまでも、真に僕がその人に対して及ぼせるいいことっていうのは、僕なんかの世話にならんでもその人が自立してくれることが一番いいと思っているので、
僕が常にその人に対して効力を及ぼし続けなくても、ちゃんとその人の体調とか諸々の能力が維持される状況に持っていくことが最大のプラスであるっていう風に思っているんですね。
だから、僕が関わることによってブーストはするけど、最終的に僕の存在はゼロになっていった方が良いみたいな。そういう根本的な価値観が全部そこに向かっている気がするんですよね。
とにかく透明になりたい、ゼロになりたいみたいな。そうやってゼロを目指していった結果、最終的に僕はどうなるんでしょうね。無になるのかな。
プラスでもマイナスでもそうなんだっていうことに最近気づきまして。マイナス方面であんまり人に影響を及ぼしたくないなみたいな気持ちは前々から自覚はしてたんですけど、
プラス方面においても、とにかく僕は誰かに何かをし続けていたくない。僕が誰かに対して価値を発揮している状態は何かが歪であるっていう風に思っちゃうんだよな。
人に対してそういうことを思うことは全くないんですけどね。子供であろうが、妻であろうが、友人であろうが。
仮に僕の親友がね、僕に対して同じことをしてきたら、そんなに悲しいことは言わないでくれよって多分僕は言うと思うんですけど。
あなたがゼロになっちゃったら僕は寂しいよっていう風に多分言うと思うんですけどね。やっぱりまだ自分自身に対してそういうふうには思えないんだよな。
そうやってね、僕が自分自身の存在をなるべくゼロに近づけようとしているからなのか、それとは別の話なのかちょっと微妙なところなんですけど、
子どもを掲げる選挙ポスターへの違和感
今度僕が住んでる地域ね、市長選があるんですよ。横浜市在住なんですけど、私横浜市長選が今度あって、
かつての市長がそれなりにガッツリパワハラをやっていたことが明るみに出て退陣して改めて市長を選びましょうみたいな話になってるわけです。
パワハラをやらかした市長が加害者になったからこそできる対策があると銘打って再出馬をしているそうでして、
世の中にはいろんな考え方をする人がいるんだなっていうふうに思うのですが。
僕は特定の候補者に対していいとか悪いとかそういうふうな物事を言うつもりは全くないんです。
候補者の人の良し悪しというよりは単純な僕の好き嫌いみたいな話だと思うんですけど、
選挙の候補として、
候補者が看板にバンバンバンバンってポスターが貼られるじゃないですか、
なんたらどうから推薦とか、
人によっては政策なり何なりが書いてあったり書いてなかったりするあれ、
あれに何人の子を持つ父親ですとか母親ですとか、
そういうものを書くのは僕はとても好かないんですよ、個人的に。
どうしても許せない。
その表現を使っている人にはもうどんなに他の政策とかが完璧であろうと投票しないっていうふうに固く決めているんです。
なんか受け入れられないんだよな。
あなたに子供がいることと、あなたがどれだけ良い政治を我々にもたらしてくれるかどうかっていうことは関係ねえだろうって思っちゃうんですよね。
もちろん何人の子供を育てていますとそこに書くことによって、
ちょうど我々のような30代40代ぐらいの現役で子育てをしている人々が、
この人も子育てをしているんだったら私たちのことを考えた政策を実行してくれるかしらとか、
そういうふうなことを考える材料にしてくださいっていうふうなことなんだと思うんですよ。
それは理屈はわかる。
それはわかるんだけど、それだったらさ、そういう政策を打ち出しますっていうことをあのポスターに書けばいい話であって、
子供を出しに使うのは違くないですかっていうふうに思っちゃうんですよね。
どうしてもだいぶ外が寒くなったので家に帰ってまいりました。
言ったら、それに限らずなんですよ。
多分僕のこの嫌悪感みたいなのってね。
先ほど僕は当たり前のように男女関係なく子育ての話とかそういう諸々が、
意見が交わされるようになるのが理想である。
結果的に僕が透明になることが理想であるみたいな話をしましたけれども、
一方でですね、
どうしても子育てしてますを前面に押し出している父親たちに対して、
ちょっと嫌悪感を抱いているところが消せないんですね。
どうしても。
この配慮でこういうことを言うのもなんだが、
この配信を聞いているお父様方におかれましては、
その特定の誰かを攻撃したいと思ってこういう話をしているわけではないというふうなのは、
ちょっとご理解いただきたいのですけど、
僕もその冒頭にね、二人の父親であるみたいなことを決まり文句として言うようにしていったりする身分でこういうことを言うのはあれなんだが、
家庭を第一にする男性親の少なさ
結局のところ、僕のロールモデル的な存在がいないことによっての嫌悪感なのかなというふうに思うんですけど、
多分ね、
男性の立場で僕の今の諸々の立ち振る舞いの状況に一番近い可能性が高いのって、
多分シングルファーザーの人なんだろうなっていうのをすごく思うんですけど、
僕が今転職をしたり、週5の正社員から今週4.5の正社員に勤務時間を減らしたりみたいなことをしているのって、
結局のところ、これ全部僕一人であったとしても回るような状況になっておかないと立ち行かないぞっていうふうなのがあるからそうしているみたいなところが根底にあるので、
袖と同じ決断をする人って多分シングルファーザーの人しかいないんですよね。
少なくとも僕の周りにはマジで僕しかいないんです。
僕が仕事しているぐらいの範疇の中ではね、出会ったことがないんですよ、今のところ。
なので、僕の周辺にいる仕事で僕より上の立場に立っている男性たちは今でも割合残業バリバリしているし、
それなりに長い通勤距離で通っているし、
その距離を通っているということは?みたいなところまでやっぱなんかうっすら考えちゃうんですよね。
あくまでもファーストに仕事があって、家庭、子育て、育児、家事みたいなところは2番手になってるんだろうなっていうふうなのをそこはすごく感じるんですね。
ただ、2番手として置いている中で、その2番手の存在を大きくしようとしているんだろうなというのも同時に感じるは感じるんですけど、
なんかやっぱそこの順序が逆転している人、家庭や育児が1番手に置かれていて、そこを成り立たせるための仕事であるっていう風な位置づけで働いている人に、
今のところ僕はまだ出会ったことがないんですね。
で、今のところ出会ったことがないことによって何が起きるかっていうと、
そういう男性たちが、育児だ家事だ子供の成長がなんだみたいな話をしているのを見ると、
でもあなたその距離通ってるってことはさ、みたいな気持ちになっちゃって、
まずそこからじゃないんですかどうなんですかっていうところからどうしても入っちゃうんですよね。
だからどうしてもそこの悩みみたいなところに100%寄り添えないというか、
そこの順序を入れ替えてからだろう、まずは。話はそれからだみたいな気持ちにどうしてもなってしまうんですよね。
ちょっとそういう男性親に対する心の狭さみたいなものは、
ちょくちょくいろんな場面で感じてしまうんだよな。
僕はずっとね、男女の垣根を越え、
かつ男性女性が同じ水準で子育てに立ち向かったとして、
その上で別にちゃんとしんどいからそっから先どうするのか考えようぜっていう風な話に早いとこなってくんないかなっていう風に思ってるんですけど、
この数年ずっとね。残念ながら相変わらず育休を取った夫が役に立たない。
日本では妻の家事労働の時間が何%を占めていて、それに対して男性は何%だとか、一生その話を続けていてさ、
いつまで経っても、僕の今の生活をどうにかしてくれるフェーズに議論が至っていかないんですよね。
悲しいかな。
なので、そこをさっさとどうにかしてほしいなと思い、
これはもしかして、こういう問題をどうにかするためには、僕自身が政治家になるしかないのでは?って思った瞬間もね、
いじいきそれなりに真面目にあったんです。それなりに真面目にあったんだけど、
もし僕がそういう風な思想を持ってね、
トンバタラキ世帯の男女のいびつさをなるべく解消して子育てしやすい社会を作ります、みたいなことを歌ってさ、出馬するとしてさ、
どういう肩書きでじゃあ行こうかな?つったら、
やっぱり30代、二児の父親が男女の垣根を取り払い、トンバタラキでも暮らしやすい世の中へみたいな、
なんかそういう感じに多分なるじゃないですか。超うさんくせえじゃんこいつってなって、
そこから先考えるのやめたんですけど、
分かってるんですよね、結局。そういうのをやったら受けるし、結局のところ受からないことにはしょうがないから、
そういう余計な美学とかは捨てなければならない。
余計な美学というか、こうあるべきみたいなものは、
身の継ぎにして振る舞っていくべきであろうというふうにはとても思うんですけどね。
まだ一有権者としてはそこが受け入れきれないなっていう風に、
選挙のポスターを見ながら思った次第です。
なんとかならないかな。
果たして僕がすんなり受け入れられて投票できる人というのは、
僕を助けてくれる人と同一なのかっていう話ですよね、結局ね。
どうなんでしょうね、実際ね。
分かんねえな。
もう期日前投票を済ませたので、
あとはもう神のみぞ知るっていう感じなんですけど、
どうかな。
ちょっとは何か私の生活に変化が訪れるのでしょうか。
分かりませんね、こればっかりはね。
医療職の守秘義務と語れない仕事の感情
今僕が感じている、
そういう閉塞感というか、やりきれなさというか、
ニッチもサッチもいかないなって思っている感じってね、
結構医療職の個人情報保護の部分が、
相当な障壁になってるんじゃないかって最近ちょっと思うんです。
その医療職というのは、患者さんの個人情報漏らしちゃいけないんですよ。
当たり前なんですけど。
それは別に医療職に限らず、
全業種がお客さんの情報は漏らしてはならないという前提のもとに、
皆様頑張られているものだと思っておりますが、
なんだろうな。
僕が想像する一般企業と言いますか、
医療職以外の領域で働いている人々がやられていることというのは、
その所属している会社があります。
会社がターゲットとしている企業なり、
あるいは個人なりがお客さんとしています。
その会社はお客さんである企業なり個人に対して、
何かしらの商品、プロジェクト、プロダクトというものを制作して、
それをお客さんに渡すことによって、
ありがとうございますって利益を得ています。
なので、お客さんのところはもちろん話してはいけないけれども、
でも、僕は私はどういう風な商品を作ってますよ、
どういう風な商品を作って、
どういう感じの属性の人に対してその商品を届けてますよぐらいのところまでは、
なんていうか、そんなに機密情報に抵触しなくて、
話せる範疇なんじゃないかなっていう風に思っているんですね。
何だろうな、今僕の目の前にランドセルがあるので、
そのランドセルを作る会社は、
実際にランドセルを競う小学生たちが最終的なお客さんになるけれども、
そのランドセルを作ってますよ、こういうところにこだわってますよ、
っていうところまでは言っていいけど、
誰にランドセルを売りましたまでは言ってはいけないみたいな感じじゃないですか、
多分ね。
その医療職ともなると、
医療職、僕の場合はリハビリを人にやってますけど、
受け取り手たる個人があまりにも密接に近すぎるんだと思うんですよね。
なので、僕が誰かは伏せるとしても、
こういう風なことを判断して、
こういうリハビリを提供しましたっていう情報は、
聞く人が聞いたら、
こういう風な特徴を持っている人っていうことは、
なんたらさんだなっていう風なところまで
特定できる可能性がある情報になっちゃうと思うんですよね。
なんとなく言いまんとすること伝わるかな、これ。
例えば、脳梗塞の患者さんがいますと、
脳梗塞の患者さんがいます。
半身麻痺があります。
体の半分が思うように動きません。
そういう人たちにリハビリしてます。
っていうところぐらいまでは、
かなり一般的な話になると思うんだけど、
例えば、今僕がリハビリ頑張っている患者さんは、
半身麻痺なんですけど、
体の左側に麻痺があって、
特に腕の方がうまく使えないんですよね。
なので、腕をうまく使えるようにするために、
こういう風なリハビリをしたんです、
っていう風なところまで話したとするならば、
僕がリハビリに携われるぐらいの地域に住んでいる人で、
かつ、脳梗塞を過去にやっていて、
左側の麻痺があって、
かつ、上半身の方が麻痺が重い人みたいな感じでいくと、
結構絞られちゃうわけですよね。
ってなると、そこまで踏み込んだ話もできないから、
最近の脳梗塞で麻痺があって困っている人がいて、
ちょっと最近リハビリ頑張ってるんですけど、
っていうぐらいのところまでしか、
情報として出してはならないと思ってるんですね。
ちょっと長々話しましたけど、
何が言いたいかっていうと、
伏せておかねばならないラインが、
他の業界よりも何段階か手前になると思うんです。
そうするとね、
僕は仕事で感じている100%の感情みたいなものを、
外に出すことは基本的には許されないので、
出すとしても、本当に一番頭の部分の10%、
20%ぐらいの部分しか、
外に出すことが許されない業界に今僕はいる。
で、それでね、
言っても、
同業者というか、
同じ職場に所属していて、
患者さん、利用者さんのことを知っている人たちとの間では、
それなりにそういう話をすることはありますけれども、
まずそこで一定ライン、
話してはならない領域というのが、
80%ぐらいあるわけ。
仕事と家庭の間で抱え込む90%
で、僕は先に述べたように、
仕事第一の人間ではなくなっているわけですね、現状。
家庭を回すことが第一で、
その付属物として仕事を持っているというふうな、
なんていうんだろうな、こういうの。
マインドシェアっていうのかな。
そういう優先順位で日々動いているわけですよ。
なので、仕事第一に動いている人間では僕はもはやないので、
それによって他の人たちともギャップが生まれるわけですね。
仕事第一、目の前の利用者さん、患者さんの生活が第一として動いている人たちとは、
どうしてもその人に捧げられる熱量の差が生まれることになるので、
向こうも100%を僕には話してこないし、
僕も100%をその人には話せなくなるんですね。
熱量のズレが生じていることによって。
なので、20%くらいだったら他の人に共有しても問題なかろうっていうふうなところのうち、
さらに熱量のズレがあることによってそこはググッと減って、
残り10%分くらいしか結局仕事上では話しませんね、
みたいな感じの状況になるわけですよ。
仕事がそれくらい、結局スタートから考えると感じていることの
90%くらいは他の人に話さない状況になる。
かつ、僕が日々感じている家庭やら子ども周りやら、
なんやかんやで感じていることは、
目の前の仕事第一で過ごしている人には100%伝わらないことを
僕は学んでしまっているので、
基本話さないんですよね。
話しても無駄だし、話したところで
その時奥さんはどうしてるんですか?みたいな話になっちゃって、
もうめんどくさいから話さないようにしてるんです。
仕事上で関わりがある人たちとかはね、聞かれて話すけど。
なので、育児・子育て・家庭みたいな領域においても、
基本的にはもう10%話すか話さないかぐらいな
状況になっちゃってるんですよ。
だから、僕が男性社会、仕事第一であることが
当たり前である男性社会からある意味降りたことによって、
日々感じている家庭に対する100%の物事、仕事に対する100%の物事が
いずれも10%ずつぐらいしか放出できないようになって、
残りの90%を僕は悶々と抱え続けている状況になっているから、
だから息苦しいんじゃねえかっていう風に最近思ったわけです。
これがね、もし仕事第一、家庭第二みたいな感じで生活していたとするならば、
まず仕事はかなり100%に近いぐらいのところまで目の前の同僚や上司たちと話せますよね。
かつ、仕事を第一とする人にとっては、家庭は多くの場合、足を引っ張る存在となるわけです。
仕事に100%コミットしたいのに、こういうところは休みの日は家族サービスしなきゃいけないんですよね、
母みたいな存在に今でも男性社会の中ではあり続けているので悲しいかな。
そういう部分で仕事第一、家庭第二の人たち同士が一統合して、
結果的にその人たちは思っていることの100%ぐらいが割合話せる環境に置かれている。
そうすると多分メンタルは安定しやすいと思うんですよね。
僕が所属している組織や環境と、僕が送っている生活の実態みたいなものが大幅にずれていることによって、
誰に話してもしょうがない、リアルな人たちに対しては、みたいな感じになっているんだろうなって思ってね。
転職すっか、みたいな。結局そこに話は行き着くんですけど。
医療職だからっていうか、医療職だからなのか理学療法士だからなのか、
僕の年代的にそうなのかはちょっとわかりませんけれども、
僕は僕みたいな人間が特段価値を持たない透明な存在として、
透明でかつ、まあその存在して当たり前であるような世界にちょっとずつなっていくようにしたいなと願うばかりですね。
僕はそのために何ができるのかな。
この配信は果たしてそれの何かの一助になっていたりするのだろうか。
なっているといいなと思っていますけど。
終わります。
ありがとうございました。
この配信へのご意見、ご感想、質問などなどその他何かございましたら、
番組概要欄のタイルフォームか、ハッシュタグふちものをつけてXにポストいただけますと大変嬉しいです。よろしくお願いします。
来週は子供の遠足があり、再来週は上野子の運動会があり、
その次の週ぐらいには子供の修学前研修があり、毎週イベント盛りだくさんで、
いやー、頑張っていきましょう。
今後ともよろしくお願いいたします。
ではでは、ありがとうございました。
バイバイ。
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