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はい、いかがお過ごしですか?ポシビリティーです。 いや、世の中のことねー
なんもわかってないし、わからんよ。死ぬまでわかんないって俺は思ってます。 本題の前にお知らせです。この番組は、昨日より今日、今日より明日をちょっとだけ良くする、そんな情報シェアを行っております。
あの、とある方のね、スタイフの配信を聞いていたんです。 そしたら、なんかちょっとね、モノモース的な感じだったんです。
内容言っちゃうと、なんか非難になっちゃうのかなと思ったんですけども、気づきなんでね、ちょっとシェアしておきたいなと思ったんですけど、あの
こういう人はどうかと思うという内容なんですね。ちょっとトゲトゲしてきますよね。 で、僕も普段だったら聞かないんですけどね、そういうタイトルが
なんか非難系、批判系だとあまり聞かないんですけど、なんとなくその時はなんだろうなと思ってね、ちょっと冒頭聞いてみたんです。
そしたら、あの、これ僕が間違いって言っちゃうと間違いじゃないんで、間違いを指摘してるわけではなくて
僕の理論はこうだっていう風に言うって、発信の中では大事だと僕は思ってるんですね。
で、もちろんあの、みんなが信じている、それぞれが信じていることを僕はこう信じているんですって、あの、発信すること自体は
ある程度、あの、まあ自由だと思うんですね。で、まあ誰かをそれでなんか大きく深く傷つけてしまうとかいうことならば、ちょっとまたそれはね、考えものかななんて思ったりもするんですけど、
まあいろいろ意見をするっていうことは、まあ僕はいいなと思っていました。で、あの、これって、まあ僕にも言えることなんですけど、何かを言い切るっていうことは、その根拠になっている、何か信じているものが、まああるからっていうことなんですよね。
で、信じていることっていうのは、まあどこかで聞いた話なのか、経験してきたことなのか、なんか人生のこのあらゆるものの集大成でもって、俺はこう思う。
だからこうだって、何か言い切れるんだと思うんですよ。で、あの、で、これを言うことによって、えっと、まあリスクって言うとあれなんですけど、あの、信じるって大事なことである一方で、
自分の信じていることと、そのそぐわないことを、時に何か否定してしまうことになるんですね。で、これって、あの、一つの対比対立する、まあ意見とか考え方だから、えっと、それをお互いが、えっと、許容しようとしたり、あるいは理解しようとしたりするっていうことの中でですね、人のその、まあ、何て言うのかな、摩擦が減ったりとか、
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あ、そういう考え方でそういう意見なんだね、なるほどなるほどとかっていう、この人それぞれが持っている考え方を理解するって、あの、僕はすごい大事なことだと思っていて、まあなぜ大事かというと、その理解が進むほどに、えっと、コミュニケーションは、あの、スムーズになりやすいっていうことなんです。
で、多くのいろんな多様な意見を理解することができればできるほど、より多くの人の意見というものに理解を示せる、あるいは時に共感もすることができると。
で、共感できなくても、その人の思考とか思想の自由というものを許す。で、許すって言うとなんかすごいおこがましいんですけど、自分の思考も思想も許されている代わりに、その誰かのそれも、まあもちろん否定もそんなにしないということで、コミュニケーションというのが割と円滑に行われるということで、要は人間関係の摩擦が減る、あの、健全に減るって言ったほうがいいかなと思っていて、
ちゃんと消化されているその人間関係と、もうなんか何言ってもダメだからって断絶みたいになってくると少し違っていて、僕はできるだけ多くの人のその思想みたいなことが理解できたほうが、よりより多くの人の考えていることとか、そういったものの理解ができることっていうのは、
まあ基本やっぱり人間が豊かに生きていくためにもあったほうがいいんじゃないかななんて思ったんです。長くなっちゃいましたけど。つまり何が言いたいかというと、あの強く発信をする時っていうのは、さっきも言ったように何か信じている、強く信じているその根底にあるものを土台にしているんですね。
なんですけど、それだけを主張してしまうと相手の主張の土台というものに考えが、想像が、寄り添いが足らなくなっていることがあるんですよ。
なので、つまり何が言いたいかというと、コミュニケーションに不安が生まれやすくなるんですね。理解するために一時的に起こる不安と、理解しようとしない姿勢によってずっとそこに残ってしまう不安とは、いわゆる短期で終わるものと高級的にずっとこじらし続けるものでは、結果も変わってくるんですよ。
ということで、負荷がいけないとかコミュニケーションの摩擦がいけないと言っているのではなくて、一方向の主張だけをやってしまうと折り合えなくなるということ。それはつまりコミュニケーションの幅が限定されてくるということ。
もちろんコミュニケーションの幅を限定すること自体は、これも悪いことではないと思っているんですけど、好みの問題ですよね。できるだけ多様なことを理解したいと思えば広くすればいいし、そんなものにいちいち理解をするほど人生そんな暇はないという場合は、そこの理解をいちいち時間を使ってまでやらないということで狭めていくことももちろん人生戦略としてはいいと思うんですけど、
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そこは分かった上で選ぶということならば、より好みに合ったものの選択ができるのかなと思ったんです。
ところが今回僕から見て、配信を聞いた時に、自分の主張を知っていたんですが、なんと構造上、その人が半ば非難していることと全く同じことをその人自身もしているということに気づいていないという構造。
これが今回はなるほどなと、ご本人は気づいていないんですよね。
結論、何を言ったらいいかというと、自分の信じたものをいかに疑えるかという、いわゆるメタ認知的目を持っているかということが、最後同じことを言いますけど、コミュニケーションをよりより潤滑にしていくためには大切な視点、自分の信じることがないというのもいろいろ問題に出てくるので、
信じていることはいいと思う。ただ信じているんだけど、信じている自分の主張って、今相手の主張に対してどういうポジションなんだろうと、信じているけどそこを疑う目というものがあるかないかというのは、非常にコミュニケーションにおいてその結果とか目的とかもそうですし、
コミュニケーションを通じて何を得られるのかも、そして何を失うのかにも大きく影響を与える視点だなと思いましたので、結局結論言うとメタ認知大事という話です。
ボジュの話わからんというお叱りもあるかもしれません。もっと詳しく聞きたいという人がいたら、もうセミナー級ですこれは。セミナーで1分1時間でやるぐらいのボリュームを今日は10分弱で申し上げましたということで、よくわかんないな、そんなクレームもお待ちしておりますよ。
ということで今日はこんな感じで終わっていきたいと思います。お相手はDJ HOSHIBIRITYでした。またね。