成長の哲学
哲学雑談会を始めていきたいと思います。
では、まず一つ目の話なんですが、
成長が遅いのは悪いことなのか、という哲学的な問いからなんですが、
まず、そもそも人間は成長なんかしないと思っていて、発達はするけれども、
ただ成長っていう、何をもって成長というかですよね、あとはね。
ただ何をもって成長というかっていうこともできるんだけど、
ただ、どう考えても、
20歳過ぎたらあとは老化しかしないだろうっていう論理も成り立つと思っていて。
ていうか、クラキの持論なんだけど、それが。
ただですね、人間で慣れるまでに3ヶ月は時間が必要。
私はその、違いってそのものによっても違うだろうけど。
ものによっては2週間で慣れるものもあるし。
で、その3ヶ月間は見方上がり、
生物学的にはその後もう一段階上がる可能性はあるんだけど、
まあでも基本的に3ヶ月慣れるのに時間かかる。
成長というより慣れなんだけど、正確には。
分かりやすいのが車の運転ですよね。
車の運転、成長するとは言わないですよね。
まあ、それなりにできるようになる、慣れるっていう感覚ですよね。
今までは緊張してぎこちなかったけど、まあ慣れてなんとなく。
最初の頃よりは、まあスムーズだった。
だから本質的にはあんまり状態としては変わってないだろうね。
速度もそんな変わってないだろうし。
まあ事故に合う確率は変わったりしてるのかもしれないけど、
表面的には変わんない。
それがまあ成長なのかもしれないですね。
クラキの中でのその成長というのは、
最初の3ヶ月間の話なんだけど、
これがもし遅かったらどうなのか、
速いのと遅いのとどっちがいいのか。
クラキの経験から言うとですね、
クラキの見聞から言うと、
あまりにも器用で早くできる人って、
これが才能があるかどうかじゃなくて、
器用でもうすぐパッと何でもできる人って、
続かないケースが多いんですよね。なんだろうね。
だから努力遺伝子と器用さとは、
相関関係があるんじゃないかと思ってしまうぐらい。
反比例するんじゃないかと思ってしまうぐらいなんですよ。
器用な人ってすぐ得意になるけど、すぐ辞めてしまうイメージですね。
クラキの推論だと、
簡単なゲームなんて逆に何個もやるの飽きて、
自分には合わないと思って辞めてしまうのと同じような
心理状態なんですかね。
あと成長が速いのと遅いのとどっちがいいかということで、
クラキがすぐ思いつくのは、
ある寿司職人がプロフェッショナルになってたぐらい、
三ッ星も何年も連続で取ってるぐらいの寿司職人なんだけど、
手は不器用らしいんですよ。
ただクラキが思うには、
器用さと努力の関係
その人は不器用だと思ってて、そういう面もあるけども、
でも総合的に見れば器用なんじゃないかと。
そもそも、
単純に、
二元的に言えないもんだと思うんですよね、この人は。
手が器用か不器用か。
ある意味不器用なのかもしれないけど、
でもね、寿司職人として一流だとしたら、
器用なんじゃないかなと思うけど、手は。
まあでもその人はそうやって言うんで、
不器用だとしてですよ、仮定して。
不器用だから、
人一倍なんとかしようという思いが強いから、
細い体制したんだ。
それはクラキの経験から言うと間違いないんですね、これはね。
いや、その考えは正しいかどうかは置いといて、
クラキの経験から言うとですね、
クラキも本当に、
手が不器用とかもあるけども、
行動全てが不器用なところがあって、考え方も。
だからこそ、
だからさっき言った逆のタイプの人なんですよ、
器用な人と違うから。
相当努力しないといけないから。
まあ努力と言っていいのかその、
だからね、努力なんてのは、
ないと思ってるんです、そんなのね。
概念でしかなくて。
人間の
状態として努力、
なんていうかないと思ってるんだけど、
ただなんだろうな、やっぱり、
遺伝子レベルでもあるし、
もう無意識レベルでの努力、
できるできないもあると思ってるから、その、
あまりにも不器用だと、何とかしなきゃいけないという思いがあって、
だってあれじゃないですか、例えば学校で、
あまりにも運動ができないと、
何とか根性で追いつこうとするのと同じで、
無意識に何とかその血力を埋められようとするんでしょうね。
だからこそ続けれるし、
カメとウサギの競争と同じで、
結果的にカメが勝ったりすることが、
クラゲの経験上多い、
まあこれは多いような気もしますね。
あとはですね、
さっきの話からすると、
勘の良い人は分かったと思うんですけど、
才能が大事であって、
その見え方上がりで、
横ばいになるまでの速さってあまり重要じゃないんですよ。
年2ヶ月半でなるのか3ヶ月でなるのか。
結局はあとはそこからは、
1年2年やったって、
あとは才能次第だって言うなら、
2年半だろうが3年だろうが、
同じで例えば出色に、
ある程度のレベルに到達するんだよな、
乗れ分けできるような、
してもらえるような状況になるまでに、
半年なのか1年なのかって、
あまり重要じゃないと思うんですよね。
乗れ分けしてからのことが大事であって、
すし職人としては。
あと器用な人は、
人よりも早く、
耐性して、
その分早く、
優越感を味わえる。
あまり器用じゃない人は、
すごい必死こいてやるから、
耐性した時の喜びが強いという意味では、
どちらの方が幸せかという意味では、
同じくらいだと思うし。
では次の話ですが、
クラゲは人生に意味なんてないと思ってるから、
目標なんか立てるのって、
あまりバカバカしいと思ってて、
あと大学受験なんかも、
しっかり明確な目標を立てるとか言うけども、
大体大学受けるとか理系受けるとか、
頭の中で大体、
目標達成の短い幸福感
シミュレーションできてるんだから、
そこからいちいち目標掲げて、
人に宣言したり、
壁に書いた紙を貼ったりって、
あまり意味ないと思うんだけど、
だから目標って意味ないと思うんだけど、
目標立ててもですよ、
目標に向かって頑張りますよね。
で、目標達成して、
目標達成したら幸せになると思って、
そのためにそこに向かって、
しっしり頑張るわけだけど、
目標達成できた人で、
その幸せを長い間味わってる人って、
見たことないんですよ。
例えばオリンピックで金メダル取って、
メダル下げてもらってる間とか、
テレビでインタビューしてもらってる間とか、
嬉しいかもしれないけど、
すぐ次の4年後も移行して、
練習して始めなきゃいけないし、
少し余韻に浸るかもしれないけど、
そんな長く浸ってるのも馬鹿馬鹿しいし、
これ大学の学歴も同じことであって、
あと特に、
シーズン制のスポーツ、野球なんかもそうだけど、
あれだけ優秀めたら、
あれだけ優秀目指しても、
メジャーなんかだと、
すごい大変なんですよ。
地区で優勝決めて、
アリーグダリーグダで優勝決めてとか、
最終対決があったり、
大変なわけですよ。
でも優勝してものすごい喜ぶんだけど、
でももうそこで、
シーズンオフだから仲間と別れ、
でまた次の年、
1から始まるわけですよ。
ほんの束の間の喜びでしかないんだよなって思うんですよね。
スポーツ選手として、
金メダル取ったりしたら、
金メダルはちょっと別格かもしれないけど、
なんか有名じゃない競技で記録取っても、
別にそれでメディアに一生出れるわけでもなければ、
プロ野球選手でさえそうですよ。
日本でプロ野球選手といえば、
一番の花形だけど、
もう10年も経てば、
なんか昔、
10年じゃあれだけど20年経てば、
なんか昔そんなこと、
そんな人いたなっていう、
おじさんおばさんしか知らない、
太ったおじさんになるだけなんですよね。
人間ってもう人生の目標のように、
大きな目標であれば、
持ってそこに向かうわけですけど、
目標を達成しても、
一瞬の幸せがあるだけなんですよね。
日常の英語会議、
こういう解釈をする人がいるみたいで、
目標を達成しても、
まだ次のノルマがあるから、
そこに向かわないといけない。
その人生は繰り返しなのだと。
あそことにひり詰めて直結するんですよ。
だからそういうことなんですよ。
この厳しくたる事実を、
次の人は受け入れてないから、
やむやみしてるだけであって、
そんな目標なんか立てて、
幸せ感があっても、
もう束の間の喜びでしかないと思うんですよ。
それでは、したっけ。
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