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2024-09-02 20:04

第643回 浮世離れして習得した集中法

学習系ならぬ考察系番組  疑問に思ったことはCIA捜査官のように解決するまで追求してしまう 元宗教歴20年現在は超現実主義 超ストイックな倉木凪が1日何本も配信  芸能界に本当の変わり者はいない

内容は、不可思議なこと考察・今日あった珍事件・グルメ・毒親VS毒息子・生き方生活術・北海道・新興宗教暴露・音声配信・発達障害・アイドル(坂道)・海外・スポーツ・難病等です。

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浮世離れして習得した集中法が本日のテーマです。
不可思議なことを考察したり、ひて列な出来事や、本や聞いた話を紹介する番組となっています。
倉木 凪です。よろしくお願いします。
恒例のシリーズですね。
食事中とか日常生活で退徳した、退徳なぜかしてしまった集中法だよね。
多分誰にでもね、当てはまるとは思うんだよね。
これはね、わりと人間の本質的なことだと思うんだけども。
自然と身についてて、後からこういうこと無意識にあったなって思いつくこともあるんだけど。
今日ね、それがいくつかあって。
あのね、食事中慣れが、毎回同じように食べてても、慣れが出てくるんですね。
食べ方っていうのは要は、風味を感じるのはやっぱり嗅覚だから、
呼吸の仕方とかね、姿勢だったり首の位置だったり顔の向きだったり、
噛む速さとかがね、色々変化させてるんだけど、
でもね、これだけは絶対に曲げてはいけないみたいなのがあるんだよ。
それが何かは分からないんだけども。
だからね、味わおうとして力んで、そこが偉いでしまうとダメだってとこは分かってるんだよね。
だから、そもそもね、味わおうとしたら、
なかなか眠れないときに、寝よう寝ようとして眠れないみたいな、そんな感じになるんだよね。
どんどんぎこちなくなってくる。
普段無意識だってことを意識するとね、ダメだっていうのと似てるんだけども。
あとね、自分の中では、こういう風に味わおうっていう風に。
ただ意識の変化であっても、当然と言えば当然だけども、
それは実際は、自分としてはね、特にどこがっていうんじゃなくて、
食べるとき全体的にというか、味わえるように舌の動かし方なり変化してるつもりでも、
実際は呼吸をほんの少し普段より早めてるだけとか、結構そういうこともあるんだよね。
だからね、人間がね、よく感謝が大事だとか言うけどもね。
でも実際、振り返ってみるとね、
そもそも感謝なんていうのは単なるそういう概念でしかなくて、
言ってみればキレイごとだと思ってるんだけども。
とはいえ、感謝しようと思ったらね、
でもどういった状態が感謝してる状態なのかもわかんないからね。
本当に我流で、みんなそうだと思うけども、我流でというかね、
それは当たり前なんだけども、これが感謝なんだろうって思い込んでるだけだけども、
それは自分の場合はね、呼吸が多分変わってんだよ。
それでなんか涙が出そうな状態になるっていう。
それと同じことなんだよ。
だから食べる時も不思議なもんだよね。
自分とは相当せぬところが変化してるっていう。
とはいえね、それで結果的に味わえてるのであれば、いいかなとも思うんだよね。
さっきの感謝もね、感謝っていうのも。
それでその時その時は、できたことになってるわけだから。
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できたつもりに少なくともなってんだから、それはそれでいいと思うんだよね。
単なる呼吸の仕方をちょっとゆっくりにしてただけだとしても。
でもこれ面白いのが、食事中にね、そもそも直結的にね、
意識を変化させてその行動が変わるっていうんじゃなくて、
今の感謝の話で言うと、最初から呼吸の速さを変えればいいかっていうと、
やっぱりね、それじゃ違うんだね。
だから他の何かも変化してんだね。
まあでもそれが、行動を直接的に変えるようなね、
器用な人であれば、それでもいいと思うんだけども。
あとは食事中、味わうっていうことしか重要視してないんだけども、
ただ味わうために、結果的にいくつものことを大事にしてたりするわけです。
最終的にはそれが目的なんだけども。
今はね、パッと食べ物を取って口に入れると。
それで、するとなぜか、口に入れた時にやっぱり緊張感があるから、
感覚が研ぎ澄まされるんだろうね。
ただ、やっぱりね、それを重要視してると、
味に集中してないなって気づいたりするんだよね。
でもね、結局それで味わえてるのかどうかわかんないんだよね。
それでかえってね、そこから味わおうとすると、
それこそ力が入りすぎてっていうかね、
意識しすぎて味覚だけに集中いってしまったり、
それじゃ味わえてることなんないですよ。
一部の味の味を味わえてるだけになってしまったり、
いつも通りできてない状態になるんだよね。
とはいえ、そういうことに気づくわけだよ。
味わえてなくて、早く取ることに集中がいってしまってるんだと。
だからやっぱり人間ってのは、意識が向くのは一つのことだけなんだなと気づくんだよね。
さっきも言ったように、味わうっていうことが最終的な目的でやってはいるんだけども、
早く取るってことに集中したら、やっぱりそっちに意識が入ってしまう。
そういうとき自分はどうしてるかっていうと、
完璧主義な自分でさえね、前だったらこんなふうに妥協はできなかったんだろうけども、
今はね、もう受け入れてるんだよ、それは。
そういうときは味に集中するように、もう少し意識を向けようとは思うんだけども、
そうやってだからね、何かを犠牲にすれば必ず何か、
何かに言おうとすれば何か犠牲になるんですよね、だからね。
だからもうそこは受け入れて、だからね。
でも自分としては、味わうために早く取るというふうにしてるわけだから。
だから早く取れないと、味わうために、
今味に集中しようとして、
味わうために味に集中してるのに、
そっちがおろそかなったらね、
それもおかしな話です。
そういう自己矛盾っていうのかな、
があるんだけども、
そういうことでジレンマになる人っているんじゃないですかね、きっと。
だからね、でもそういう場合は、
他のことは忘れて、今は早く取ることに集中しようとか。
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で、それでもその味にも集中できてるし、
全部できてるっていうふうに、
それはもう思い込んで、
そういうね、なんか変な申しみたいなのが嫌だけども、
でもそれが現実なんだからね。
あとは人間でも忘れることはできるんですよ。
だから集中してしまえばいいんだよ、あとは。
で、そこで無理にね、3つも4つのことを全部完璧にやろうとしたら、
もう無理だって、それは無理だって受け入れるしかないよね。
だから今こうやって話してるけども、
食べてる最中は全部できてる気持ちになってるけども、
で、これをね、で、
どれかしら外に集中しなきゃいけないのは受け入れてるけども、
かといって、どうせどれかを犠牲にしてるんだから、
どうやったって同じだってことは、
それはやっぱり受け入れちゃいけないってことだよね。
受け入れれないし。
だからその時その時、ベストな何かに意識が行ってるっていう風に捉えて、
やるしかないよね。
自分はね、食事以外も生活全てにおいて、
なるべく変化しないっていうことを決まりにしてるんで、
食事中いろいろ食べ方も変化してるんだけども、
ただ自分の中でこれは大きな変化だって分かる時があるんで、
それをやってる時は、
それで何とも思わないで食事に集中できてるなら、
それは無神経になってね、
無神経になるだろうとは変化を変化と捉えられないわけだし、
じゃあ生活全体にも問題が出てくる。
だけども、とはいえね、
気にしすぎなんだよ食事中についてはね。
だけどもそれで、やっぱりそれだけ生活で重要視してることだから、
ほんとに他のことと同じ、食事中の他のことと同じように、
単に気にしすぎなのかどうかっていう、
一瞬やっぱりね、判断する時間ができちゃうんだよ。
これはね、何とも言えない、どうしようもないとこだね。
食事中やっぱり今日もね、
ごまとごま油のやつに他のものをね、
合わせたらどうなるだろうっていう好奇心が出てきてしまってね、
そこの甘いはどうしても無くならないのが、
どうしてなのかな、前回話した完璧主義の話に通じるとこなんだけどね。
完璧主義なくせしてそういうとこは自分に甘いんだよなぁと思ってるんだけども、
自分に甘いっていうのが理由なのかどうかも定かじゃないんだよね。
それが理由だとしたら、もっと早くから何とかなってると思うんだよ。
少なくとも他の人よりは甘くはないだろうしね、自分に対して。
でもその完璧主義じゃない部分もあるから何とかバランスが取れてたりするのかな。
全部が全部完璧主義だったらね、もうパンクしてしまうよねきっとね。
なんか常にカジバの馬鹿力が働いてるような状況だよね。
考えられないうつ病になるとか、健康に問題が出るとか。
人間って迷いが生じて考えてしまう時間が多くなってる人いると思うんだけども、
それが1秒でも多くなれば何か今までの信念がどんどん揺らいでしまって、
だから1秒でも早くする、あるいは1秒でも早くしようと考えるのをやめるためにね、
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考えるのを1秒でも早くやめるっていう意識が大事な時ってあると思うんだよね。
食事中なんかはもう以前だとね、もっとこういう風にした方がいいかなみたいな反省しちゃうこともあるんだけども。
今は食事中なんか反省しないし。
で、ある時気づいたんだけども、もう10年以上前だけでもね。
食後でさえそうやって反省するのはダメだなと思って。
考えると意識しすぎちゃって。
スポーツなんかもね、反省的に何回もの鍛錬を積み重ねてできるようになるように考えて大きな変化を起こすと、
逆にもうなんだか変化が大きすぎておかしくなるように。
感覚的に少しの変化ならいいけども、みたいなことが食事中以外もあるんだよね。
ゴルフなんかでもこうしようかああしようかっていうフォームを頭の中でぐるぐる考えるほどこじらせてしまうことがあると思うんだよ。
それがプレー中であればなおさらなんだけども。
考えることも大事なんだけどもね。
よくサッカー選手が迷ったら負けとか言うじゃないですか。
いやいやいや、スポーツっていうのはその迷うけども、どの程度の迷いでプレーに移るかが成果がないから面白いんだよって思うんだけどもね。
迷うってことを全否定したってそんな無理だし。
もう生物学的にそんな無理だし。
毎回同じ行動をとるっていうならね、迷いなんてないけども。
スポーツなんか特にそうじゃないでしょ。
でも以前は食事中はね、かなりルーティン化して、自分の生活のほかと行動と同じようにね、食べる順番も決めたりして。
でもそれじゃあもうなんていうかマンネリ化してしまって、味わえなくなるのが一番の問題なんだよ。
それで今ではもうね、食べる順番なんかも結構その、この次この次この次ってある程度ルーティン化してもその次パッと不規則なことをしてみたりしたらまた感覚が鈍らないで済んだり。
そういう意味じゃちょっと食事中は他のこととは違うね。
だからそういうことがあったらいいと思うんだよ、趣味なんかでね。
あとはアニメが好きだとしたら、他の仕事とかだったらルーティン化していろいろ規則的にやるけども、旅行行く時も計画立ててあるけども、アニメなんかは割と予定調和にならないようにやるとか、そういったのが合ってたりするわけですよ。
以前はね、でもそんなことすると、それこそ迷いが生じてね、食べる順番に意識がいってしまって、っていうこともあるんだけども。
でも今でもこれは似たようなことがあるんだけども。
じゃあ今度はね、それはダメだなと思ってやっぱり食べる順番を決めた方がいいと思ったら、それで変えて元に戻そうと思ったら、変えて食べる順番を一定にすることに意識がいってしまったり。
最近で言うと、さっき言ったようにいろんなものを混ぜて食べて、味の変化を楽しもうとするのはやめようと思ったら、でも一筋縄では行かないんだよ。
物によってはね、以前から、物によっては一緒に食べないと、一緒に食べるようにできてるものとか、何かで巻いてたりね。
とかおつゆなんかも、どうしても一緒になってしまったり、そんな一々分けれないし、とかいうものがあったりして、頭の中でこんがらがってきてしまって。
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でもさっき言ったように、早く摂るってことも元にしてるんで、なかなかそこでうまくいかなかったりね。
だからこそね、人間が変化するってのは恐ろしいことなんだよ。
こう変化はしょうがないんだけどもね。
一回変化してしまうと、元に戻そうと思っても、そううまくいくものでもないし、変な習慣がついてしまうし。
あと以前はね、食事中噛むときにね、あまりに味に意識が行き過ぎて、咀嚼するってことを忘れてしまったりね。
なんかおかしいな、おかしいな、味わえなくなったなと思ったら、咀嚼をそもそもしてないから、味わえてないんだなって気づいたり。
そういうのもあったりね、今ね、パッと早く食べ物を摂って口に入れるってのが良かったりするんだよ。
以前はね、皿をテーブルの上にいちいち置いてて、持ったりするとね、
持ってはいるんだけども、空中に浮かしたままだと意識がそっちに行っちゃうからと思ったんだけども、
それだとね、口に入れてるのに手は、少しはね、手に意識が行っちゃいしまうわけですよ。
だから空中に浮かせるにして、むしろもちろん、自分なんか不安障害があるから、
もう意識がね、口に来過ぎて、手の方が咀嚼になって、皿をちゃんと持ててるのかどうかとか、
不安になってしまっていたけども、今はそれはないね、全く。
なんでだろう。完全に意識がないわけではないだろうけども。
もし完全に意識がないとしたら、それもう失神してる状態だから。
失神して、手を、皿を落としてるような状態だからね。
ゼロではないんだろうけども。
だからもうそこは、清水の舞台からじゃないけども、
もう味に集中するっていうそういう習慣をつけたらいつの間にかできるようになっちゃうんだろうね。
食事中、あのー、同じもの食べてて、
あー味が鈍くなったな、味覚が鈍くなったなと思ったら、
食べる量を変えたり、食べ方に色々変えてみたり、
以前はすごい舌の動かしさ変えたりしたんだけども、
それだとね、もう本当に、ある時にね、歯がちょっと痛くなってきたり、
あんまり力強く噛めなくなったり、
それが理由なんだけども、
まあそんなことは理由でないと思い込みたいけども、
実際どうなんだろうな、
まあでもそれが良かったのかどうなのか、
舌を、とかそういう咀嚼するね、
速さとか、そういうことには意識いってなくて、
前だったらね、そっちにそういうことも意識を置かないといけなかったんだけども、
さっき言った、意識の変化によって勝手に行動が変わってるっていうのと同じで、
それが自分としては理想なんだよね、
なんでかっていうと、
その、味わう、しかも行動に意識が行き過ぎなくていいから、
今はね、まあ、結果的に咀嚼するスピードも変わってたりはするのかな、
呼吸の仕方とか、それよりもね、
首の位置だね、首の位置。
前もね、首の角度を変えたりしてたんだけど、
前はね、首の角度自体を変えるっていうかね、
これも呼吸の速さなんだけども、
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それがちょっと下向いてると、ゆっくりになる感じだったんだよね。
ってのは分かってなかったんだけど当時。
それで、味わえたなかったのが味わえるようになると。
逆に上向くと、呼吸がしやすくなってまたそれで味わいやすくなると。
今とはちょっと意識の仕方がだいぶ違うんだよな。
とにかくね、今はそういう食べ方自体に、行動自体にあまり意識は向かないように
できてはいるんですよ。
前はそれでもう、おいしく味わおうとしてるんだから、
もう行動に意識にいってるんだから、もう分かんないような感じだったけども。
あとよくリラックスすることが大事だとか言うけどね。
力を入れずに、みたいなこと言うけども。
食事中ね、一定期間はそれでうまくいっても、
それでうまくいくことはまあないね。
あとね、さっき言ったように早く食べることを大事にしてるんだけども、
あれ不思議なもんだよね。
あとね、やっぱりいくつか大事にしてるんだよ。
早く摂るっていうことと、もちろん食べる順番を気にしたりもするし、
口に入れたらすぐそっちに意識いくようにするし、
どれかにしか意識いかない。
すべて完璧に言ってできないんだけど、どれかがやっぱり重要視してしまうし。
だけどもね、やっぱり自分の中でちゃんとすべてできてる。
その中でもね、一応自分なりに全部意識が常にいってるっていう状態と、
どこかちょっと抜けてしまってるっていう、
この違いはあるんだよね、やっぱり。
これ不思議なんだよね。
でもね、やっぱり慣れがあるから、たまにね、
早く摂るってことをやめてみてってなっちゃったりするんだけども、
完全にそれもね、それも完全な自己矛盾だけども。
っていうかもう、自分の信念を曲げちゃってるよね。
そういうときはもう完全に気づくんだよね。
そういうときはすぐ戻すんだけどもね。
でもやっぱりね、常に演じ全開みたいなのね、早く摂るし、
あるんだよ、もうカジバの爆発力状態だなって、
120%っていうかね、100%の状態だなと。
アージも徹底的に、
いつもと違う、いつも以上に力入れてるっていうのは120%なんだけども、
アージもね、もう明らかにいつもより集中して、
やっぱりそういうカジバの爆発力状態のときはね、
でもそれが完璧っていうのはそういうことだよね。
その完全に自分の持ってるものを全部出し切ろうとするってことは、
スポーツ選手なんかもね、そうやってやろうとするんだろうけども、
その自分の食事中を味わおうっていう、
自分の考えに逆らわないっていう意味では、
それが正しいんだろうけども。
でもやっぱりそれは無理なんだよ。
120%の力を出そうと思えば、
80%になってしまう瞬間が現れるわけだよ。
100%のままだったら100%のままでずっといったかもしれないけども。
ただそれが120%なのかどうかってね、
いつもと違うっていう意味では120%だけど、
でもいつもの逆に100%じゃなくて80%の自分になってしまってて、
今それでもう相当、食事中もね、
口に入れてるときも、相当意識張ってて張り詰めてて、
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それで100%な可能性もあるしね。
でもそれは続けられないって自分で無意識でわかるから、
っていうかもう無理だから普段はできないわけですよね。
でもそれができてしまうから、
なんかそれが100%な気にもなるし、
これ題名まで当てられたことだけども、
加集中になってね、
あるいは普段より力を声出し切るってくらいの感じで120%でやると、
人間ってね、
必ずその分、その後の時間での集中力を使ってるってことに気づくわけですよ。
集中力ってだからね、
車のガソリンと同じことで、
それだけその広い範囲に渡って集中するとすれば、
たくさんガソリン使うし、
より濃度の濃い集中の仕方をすれば、
それだけガソリンも使うし、
まぁでもそんなこと、
特に日本人なんかはね、
全力投球してとかそういう根性論が植え付けられてるからね、
でも無理なんだよそんなの。
常に全力投球やらなんて。
マラソン選手が常に全速力で走れるわけがないですよね、
それと同じことでね。
でもね、特に高校野球時とか、
全速力で走ってるのは地方大会で見るでしょ。
あれ本当に体力の無駄遣いでしかないですよ。
あと食事性ね、
やっぱり自分なんか今、
あんまりいろんな変化もないんだけども、
8日にも静かにしてもらってるし、
でも夏なんか窓開けてるから、
外の音聞こえてきたりすると、
それで集中しようとすると、
過集中になってしまうんだよね。
するといつも通りできなくなってぎこちなくなって。
でもじゃあ、過集中にならないように言ってすると、
今度は味に全然集中できなくなって。
だからもうあとは、
そういう相応になれるしかないけども、
そしたら今度はね、
繊細な感覚が失われるっていうことなんだよね。
全てが犠牲の上になりたっていうんだから、
何かを得れば何かを失うんだよ。
あったっけ?
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