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ここに撮っております。 今日あったことを話していきたいと思いますが、その前にですね、あの週刊誌で
芸能人だからといって、勝手に
街中で歩いている時に写真撮ってそれを 掲載するのって
あれはどうして 大丈夫なのかって調べて
かねてから疑問だったんですよ でやっぱり
まああれも結構グレーなことで、でですね、なぜでもあれは
許されるか
って言うと もちろん芸能人とはいえ、プライバシーの観点から言って
法律的に問題なわけですよ
完全にダメなんですよ。でもですね 特別芸能人の、まあそういうスキャンダル
とか、まあそういうことに関しては
それを国民に
知らせる
必要性があるから 特別にいいみたいな
らしいんですね。それ聞いてちょっと笑っちゃったんだけど だって週刊誌に載ってるのって誰が
誰々が離婚した?誰々が 浮気した?
これ国民に知らせる
必要があって、やむを得なくプライバシーの観点から 違法なんだけども特別に許されてるっていうのを聞いてちょっと
笑っちゃいましたね。でですね じゃあ今日あったことを話していきたいと思いますが
自分はポッドキャストを聞いてる時にですね 結構今年1年の
アナリティスクみたいな
ものがSpotifyにもあって、その結果を見て だいぶ伸びたとかいう話を聞く
話を聞くとですね
すごい切ない気持ちになるんですよ この人たちの始めた頃にも及ばないんだなぁと思うと
切ない気持ちになるんですね。で普通はどうなんでしょう
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そういう悔しい思いをする時って嫉妬するか やめるか
開き直るか。自分はですねどうなのかというですね ただただ不快でしかないですね
不快以上でもいかでも何者でもないんですね でもですね続けてるんですね
自分の人生もそうですよ。ただただ生きるのが 辛いけれども
でも生きてるっていう。普通違いますよね。ただ辛いけどでも
希望がある。ただただ辛くて もう自暴自棄になっている
自分は違いますね ただただ辛くてでも生きてるそういう感じです
多分これいくら言っても伝わんないと思いますね
つまり普通は どっか希望を持ってるんですよね
ただただ辛いけどでも生きてたら何かある 何か良いことあるかもしれない。生きてたら
まあ辛いけども
っていう風に少し価値を見出してる感じなんですね 価値があるかないかは知らんけどとにかく人生辛くて
辛くてでも生きてますっていうそういう感じ これ実は
生まれた時からずっとそんな感じですね あるかしがですね
次の話なんですがあるかしがですね 今日みたいに見たら
美人なんだなぁと思ったんですね。以前はどうかというと 美人っていう印象以外の印象が先に引き出て
で その人の美人と思ったのは
視覚的に直接的な情報として察して
でもその後に出身地を聞いて ああだからかという理由により
後付けの納得ですよねって上書きされて だからそっちの方が上位に来てしまったんですね
なおかつ美人っていうことよりもその人の特徴
の方が 曖昧さがないから美人っていう概念って曖昧だから
それも曖昧ってのことなんですね そっちの方が上位に来てしまってだから
思い込みの力って怖いなぁと思いました その人は出身地を聞いてなかったら純粋に
美人だなぁで終わってたはずなんですよ どうなんでしょうね北海道出身って聞いて
そういう上書きはあるんでしょうかね だからそれによってギャップが生まれたりすることってありますよね
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この人こういう職業なのに こういう性格なんだみたいなことってありますよね
それはいい
コンテクストとして上書きされている まあいい例ですけど
あと今日もう路上ライブの見ててですね なんでこれ見てるかっていうと
最近天秤の歌っていう歌 昨日学校祭の
ディエットの見てて でもなんか音楽って自分にとって
依存症みたいになってしまうんですよ
んで 自分はもう疲れてるし
やめとるんだけど頭でわかってるんだけど聞いてしまうみたいな完全にこれ 依存症ですよね
多分お酒依存症の人って飲みたくないんですよでも体がもう 干して飲んじゃうような状態なんですよ
でですね今日路上ライブの見てたらですね よく歌詞って目見合わせるわけじゃないですかまずあれ
理由がですね まあいろいろ理由はあるけど見てる方にとってみれば
目を見合わせてる姿を見ると高揚感があったりするんですけど あんなわざとらしいの見てよく
あの 幸せな気分になるなぁと思うんだけど
こっちが恥ずかしくなってくるなぁと思うんですけどあれはですね 本人たちも大勢の前で歌ってて不安感があるから
それを和らげるっていう効果もあるみたいだったり
だとしたらそれにしては何かわざとらしいなぁというか いやいや最初から
見るタイミング決めてるだろうと思っちゃうんだけど それはいいんですけど今日見ててですね
ちょっと女性が歩み寄って 明らかに
恋をしてるんじゃないかってぐらいの雰囲気で見てたんですよ
でその後普通に平然と歌ってるわけですよね2人でも
いやこの人たちよく正気でいられるなぁと思って見てました っていうどうでもいいことを考えてしまうんであれやめてほしいんですよね
こっちが普通に集中して見てられないんですよ ただですね
その天秤の歌いくつか動画見てたんですよ文化祭の そしたらみんなやっぱり
目合わせたりはしないんですねやっぱり学生で恥ずかしくて ただ一組だけですね
ずーっと見つめ合ってるのあって あれはいいなぁと思ったんですけどあとですね
歌うまい人って多分その後
まあいろんな異性から声かけられるんでしょうね でもですよデュエットで打っちゃうとこの2人仲良いと勘違いされて
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逆交換なんじゃないかなと思いましたね ちょっと今回はなんかしょうもない話続くんですけど
自分は幼稚園の時からですね 小学生の時も
周りと趣味が合わなかったんですよね ただ唯一
アニメで唯一見ていたのがドラゴンボールで まあそれも周りと趣味が合わなくてですね
あーそういえばですねちょっと まあいいかそれで
いや話しちゃうか えーとですね 自分の音楽の趣味がなぜか上の世代と合うんですよ
じゃあそのもう一つ上の世代とは合わないんですよね不思議と もう一つさらに上だと合うのかな
なんかそれも変な話で まあちょっとわかんないけど上の世代とは間違いなく合うんですよ
同世代とは全く合わないんですよ その上の世代とももちろんもちろんじゃなくてもうなぜか合わないんですね
これは不思議でしょうがなくてですね 親の世代と合うならわかりますよ同じの聞いてって言って
なぜか上の世代と合うんですよ 圧倒的に上の世代と合うんですよ
気持ち悪いんですよねそれがなんでなのか 例えば10歳年離れた兄弟がいるとかならわかりますよね
まあそれはいいんですけどねですね 周りとまあドラゴンボール好きなんだけど
合わないんですよそれも世代が違うんですね まあ趣味が合わないでもですよ
ドラゴンボールって
社会でもダントツに人気のアニメなんですよ今日
ビートルズの路上ライブの動画見てて思ったんですよ
まあ日本のもので世界に通用する文化なんて何一つないけども
そもそも日本ってものを認識できる人って世界にどれぐらいいるのかわかんないけど 多分中国の一部なぐらいに思われてるんですけど
でも日本の曲だったりアニメだったり
日本のエンタメ関係で世界に通用するのって
いやあるじゃないかと もちろんビートルズほどではないにしろ
東北は呼ばないけどでもドラゴンボール じゃあなんで日本で
ダントツじゃないか まあ日常的にないとかまあ継続してやってないとか色々理由はあるみたいなんですけどでも
世界ではダントツなわけですよね
まあどういう理由があろうとまあ日本人が単にひねくれてるだけしか見えないんですけど
まあ理由はどうであれ今まで本当に散々な思いしてきてるんですよ 結局人気があるのか
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わからないんですし まあ人と趣味はないしみんなだって
ワンピースだナルトだポケモンだ
でしょ今だって かと思ったら
自分が高校卒業するあたりからなんか映画とかやり始めて
まあでも人の世代今のその学生たちの事情もわからないから
なんとも言えないし
ですね次の話ですがある演歌歌手が
大御所で
演歌がいてはスターですよねでその人本当に今日
テレビ番組出てるの見ててもですね
いい感じの雰囲気の人は本当に 本当に
若い人に対してもいい感じなんですよ 自分はそこらへん敏感だからわかるんですね
この人いい人だなっていうのが あくまでも感じ方の問題だけど自分にとっては
いい人に見えるわけです毎回テレビに出るたびに でですね
でもこの人も問題起こして1回 怖く出れなくなってってことがあり
だから どんなに
素晴らしい人であれ人格者であれ やっぱり人として欠点があるのがやっぱりそれが人間らしさなんですよね
これ本当に完璧に 優等生だったら
人間らしくないんですよと思っていつも また孤独な気分になるんですよ
自分がそんな優等生かどうかは置いといて ただこれ感覚の問題じゃないですかそれは
どうしても孤独な気分になってしまうんですよ 果てしなく孤独な気分になりますよこういうことがあると
この人は仲間かなと思ってたらまた突き放される話されるし さっきのドラゴンボールの話もね結局そういうことなんですよ
とても良い例になるんですねドラゴンボールの見てた頃なんてのは 幼稚園の頃の話なんで遥か昔の話なんですけど
それもねトラウマでしょうがないんですよ 辛い思い出しかないんですよ
次ですが自分は未来に軸があるんですね今これやっても和行になるかもしれない 続かないのでは役に立たないのではないか
っていう風に考えて今に完全燃焼するってできないんですね でですね例えばですよ自分が路上ライブやってたとして
まあこれこうやって目の前の何人かに聞いてもらえたらそれでいいじゃないかとか 思いないんですね
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これで歌っても将来歌詞にならなかったら何の意味もないっていう風に考えちゃうん ですよ
だって将来歌詞になったら何万人にも聞いてもらうわけなのに 5人に聞いてもらったって何の意味もないわけじゃないですか
そういうことでブログ時代からポテキャストもそうだけど これ今
この記事を書いて とか録音して
で まあストックを貯めていくとか
そして
何年にも経って聞いてもらえるっていうことしか頭になくてですね それで失敗しましたね
何度もそれで失敗しました
つまり自分はですね 刹那主義の逆なんですよある程度刹那的になったほうがいいのに
てかまあ基本的に刹那
過ぎるぐらいでちょうどいいのかもしれないですもあんまり考えすぎないでそういうことは ブログとかポテキャストとか
今聞いてもらえれば
あとは過去のものは知らないぐらいのスタンスでいたほうがいいんでしょうね 未来の不確実性が高すぎてですね
現在の行動がほぼほぼ無価値に思えてしまうんですよ 未来予測が細かすぎるからあの
予測できなくてで だから歌詞判断ってできないですよね
だから現在のことが全部無駄に思えてしまうんです 最終的にもうフリーズしてしまうんですね
てかまあ何も始めれないんですよだから だから未来のこと何も考えず
何かを始めるのは無責任 自分に対して無責任にしか思えないんです
だから高校生の時もまず理系とか文系決めて進路を決めて何か何か組む何かを決めて そしてこの参考書を使ってこの参考書を使ってってやらないとダメだと思ってたんで
それをだいたい理系か文系か決まんないけどなんとなく始めるとかできなかったんですよ だからもっと未来を荒く考えて
進めていけばよかったんですね ああそういえばポテキャストにおいても
今まで散々孤独な気分を味わわされてきましたが 例えば概要欄に書くってことだけ一つとってもですね
今日もやっと番組名とカバーが決まって やっとスパイになったと思ったらまあそれで
ちょっと今までの方法じゃダメだと分かり せっかくいい案いくつもできたのに
まあそれもちょっとおかしなやり方だとは気づいていたんですけど
いやー結構今日も
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精神的に 引き下がれたような
どんどくまで落とされたような気分になりました ここまでのことはなかなかないですね
自分にとってそういう孤独な気分を味わわされる時って 大きなこととか小さなこととか関係ないんですよ
すべてが自分をどんどこに落とし入れるんですね
例えば いろんなニュースだったり
ネットを見てて自分が嫌いな芸能人とかアーティストの名前見るだけで あの単に嫌な気分になるだけじゃなくて孤独な気分になるんですよ
なぜかというと
もうどうせみんなこの人のこと好きなんでしょ だからこの人のこと嫌いな自分のことなんてわかってくれないんでしょと思うんですよ
みんな好きなのに自分だけ違う孤立感が発火して同じ人いないと確信 で孤独感が強化されるんですね
自分はいろんなことをしながら観察しすぎてしまうんですね で周りと同期してないっていう感覚があるずれてるっていう感覚がある
特に感覚のずれって大きくて あと音声の敏感さっていうのもあるのもわかってる
確かに 孤独感が強い時って
自分が理由だけが例外だと錯覚してるけど実際は中間層って存在する
っていうふうに説明されると思うんですよ でも自分の場合はあまりにも好き嫌いが激しすぎるんですね
まあでも確かにちょっと極端なのかもしれないです でも
日本人っていう人種自体が極端でみんなことって 好きだ好きだ言うからまあでも
声を上げないマジョリティだっていますしね
例えばバックナンバーっていうグループありますよね もう間違ってそれの曲再生しそうになるだけでも
鳥肌立つんですよ 歌番組に出てくるだけでも
早送りするんですねでもこんなのは多分 理解されないじゃないですか
ここでこうやって話すことさえ言う気がいるわけですよ
バックナンバーの良さがわからないなんておかしいとか 多数の人から言われるわけじゃないですかそんなこともし
言ったとしたら でこれって
あれですね
まあお互い様だろって話になってしまうからこそ難しいんですよ例えば
自分が好きな歌詞他の人が否定してたらですよ 同じような感想抱くでしょうね
ただ自分の場合だったらあまりものこの人がその歌詞大嫌いだったらちょっと 寄り添って聞いちゃうかもしれないな
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で自分はそういう嫌いな歌詞
何がその
そんなにあれかってあの
まあ
とにかく課題評価されている人しかもないし 声も気持ち悪かったりも雰囲気だったり何がいいのかさっぱりわからないって
こういう思いが多分人に理解されないだろうなっていう孤独感なんですよ
でもこの話ってそれはそうだと言われたらそうですよね 好きな人からしてみたらそれそれ
いかに嫌いか理解にしろと言われたところで無理だろうし
そのことも含めて孤独なんですよ
じゃあ人によってはですねそこはもう自分で心を開いて
世間大衆に対して歩み寄るしかないと言う人も出てくるかもしれないけど 一つ言えるのはですね普通はですね歌詞に対して
まあ好きまあ嫌い程度のものなんですよ自分は 声質表情空気演出文化性まで全部解析してしまうんですね
もう一つ最後に言いますと 今ここで伝えたいのはあくまで孤独感
すごいんだってことですよねあくまでもその 自分の嫌いな歌詞がいかに酷いかっていうことを伝えたいわけじゃないんですよ
だから 孤独感は相当あるんだろうなっていうのは伝えれば伝わればいいと思うし
決して心を開けばどうにかなるような次元の話じゃないっていうのを伝わればいい と思うんですけど
あとそういう何だろう 心を開けば
なんとかなるみたいなこういうのってもう物語こうしてファンタジーでしかないですね 自分はそういうのファンタジーと呼ぶことにしました
嫌いっていうのはですねあんまり語ってはいけない領域なんですよね だから同じ嫌いなものある人とはすごい共感できると思うんですよ
まあ違う理由だろうけど多少は共感できると思うんですよ 好きなもの自分と共通している人いたとしてもそこはですねなぜか
共感できないんですよ 次の話ですが好きな歌手の影響を受けたのみんな
好きな歌手の影響 好きな歌手の影響を受けた
歌手が自分もみんな好きだなって思うこともあればそうでないこともあるんですよ これも不思議なんですよね
じゃあ次の話なんですが
すごい頭良い人なのに 偏差値高かったりするのに
24:00
昨日も不思議に思ったのがあの子供が好きな
あーぬいぐるみ好きだって言ってる人もあの人も頭良いし お人形さんみたいなのなんて名前だったか忘れたけど
まああれも不思議ですけど知能と
あと趣味の年齢性っていうのは別回路なんですかね
関係性はだいぶあるとは思うんだけど 別回路なんでしょうかね
確かに頭の良い人で鉄をたくとかはいるけど 統計取らないとこればっかりわからないですけど
でも自分が今まで思ったのは頭の良い人は
複雑なことに疲れてるからシンプルなものが好き あと頭良いからこそ社会的にどう見るかよりも純粋に
脳が欲してるものが好きになる まあそれは一理あるというか
一つの視点として面白そうですけど ちなみに今
謙遜してですね自分は 頭悪い人とか
こういう自分の場合こうですとか今言おうとしたけど はっきり言ってどのタイプとも違うまた孤独感を味わってしまってですね
何とも言えないです自分の場合じゃあどうなのかと言おうとしたんだけど こういうタイプの人と同じだとか言えないですね
では次の話ですが どんどんちょっと次の話行っちゃいますが好きな歌手のバックボーンを探ってみると
この人にも影響を受けててこの人も好きだ自分はこの人も好きだ 結局この人に影響を与えている人みんな好きだってこともあるわけその逆のこともある
自分の好きな歌手なのにその人の影響を受けてる人みんな嫌いだってことがあって 今もですねある歌手の調べてたら
あまりそんな好きな感じでもない なんでこの人たちの影響を受けてこんな良い曲できるのかみたいなことがあるんですよ
やっぱりバックボーンって言ってもその人の一部でしかないっていうのがありますよね
ある芸能人ですね バナナマンなんですけどその影響を受けた
芸人さんが まあ自分は大っ綺麗な人でどうしてこの人の影響を受けてこういう風になるのかが全く理解できないってことがありましたね
好きな曲ができると好きなわけじゃないんだけど ちょっと気になってる音楽それをですね路上ライブなぜかそれ
ドッキリあと結婚式の披露宴であとは学校祭 あと路上ライブあと
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テレビで カラオケ大会とかの
とかいろんなの調べて しまうんですね
それとですね 不安な感情になる時も同じ今言ったように
高揚感がある時も同じ で不安で言うと昨日またパンツの間に手入れて書いてしまって
でその後
まあ布団は触ってないだろうとか
右手ででその後足書いてたから多分確率的にその可能性が高いとか あとまあ1回目を
起きた時 ちゃんとトイレ行ってたし
とかまあそこはそんなに 汚い場所ではないだろうとかこういうことをいくつもリストに上げてですね
大丈夫である根拠を作るんですよ
時はもう まあ今までもお疑問ではあったんですけど
どうしても今の音楽に対して嫌いを感じてしまう 学生以外ってそうですよね
で確かに学生時代の方が 自分でディグりますよねいろんな曲を探っていくけど
じゃあ学生時代の方が そっちにさく
リソースがあると考えるとまるで学生が暇みたいじゃないですかそれはないと思うん ですよ新学校の生徒は忙しいし
ヤンキーたちはとか不良たちは喧嘩するので忙しいだろうし やっぱり若い時期ってのは音楽によって自分が何者であるかを表彰に
示す役割があるんですよね でもだとしたらですよなんで日本人はみんなこぞって同じ音楽ばっかり聞いて何の表現にも
なんないですよねそれ じゃあ若い時がそれ自分ってものを示す役割があるんだろう
何にも示せてないんですよね
で表現ならもっとオルタナティブなものに行ったり
もっと違いってものが多少は出ると思うんですよみんな同じの聞くじゃないですか わかりました
世の中の人の表自分を表現したいって いやーわかりました
仲間に理解されたいなんですよ
もちろん承認を得たいというのもあるだろうけど承認欲求もあるだろうけど でもその承認欲求でさえちょっと自分が持ってるのと違うかもしれない
まあ人間の根源的な欲求ですけど それさえちょっと自分は人と違うのかなぁどうなんだろう
でも自分の位置を確保したいというのはあると思うんですよみんな じゃあもっと個性的になっていいはずですよね
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まあでも個性が強いほど他者は理解できないから ってことは
位置っていうのが不安定になる まあ世間の人にとっての個性っていうのはだからまあ他の人
にどう見られるかっていうのもだいぶ考慮しながらのあれなんでしょうね 結局だから個性を出すっていった結果に行ってしまうんですよ
でも自分はですね みんなマイノリティーな方向に進んでるつまり
本堂からずれて脇道を行ってるのにみんなそこで群れてるのは何でかと思ってたんですけど まあ
今回話したのは全てですね 芸術家のその
表現すると自分と同じですね 自分の内側の形を外に映すことが優先されるんですよ
だから人に分からさようとする気はないんですよ 自分もそうなんですよ
カラオケで他の人が 聞いて分かるかどうかは全く自分にとって関係ないんですよ
それは割とずれますよね
もし自分に何か美術か音楽か演技
何でもいいんだけど何か文学でも才能があればもうちょっと豊かな人生になったと思います ただ単にずれてるだけですから
一番狂気的なのがこのポッドキャストでさえ 単に人とずれてる以外のなんでもないっていうことですよね
次ですがイチローなんかもそうだしスポーツ選手なんかでもルーティンが多い人
発達障害に見られる傾向だったりうつ病の人なんかもそうなんですけど
この起立って動物でも起こり得ることなんですよ
ある動物実験で毎日同じとこに餌を与えたらチンパンジーが同じ行動するようになったらしいんですよ
だから脅迫性障害なんかもそうなんですけど これって面白いテーマだなと思うんですけど
まずですね起立を設けることによって自分ってものは何者であるか何をする人間かっていうのがはっきりする
だから外界との境界線がはっきり見える
これは間違いなくありますね自分の体験してきてその上での感覚から言うとですね
今はそんな感覚はもうだいぶ薄らぎましたけど
起立正しく生きるようになってからそういう感覚は強かったです
でもですよ処方無我って言葉ご存知ですかね
自分なんてものは自分という実態なんてものはないんだっていう考え
これと対立するんじゃないかと思ったんですよ
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自分ってものをはっきりさせる自我をしっかり確固たるものにするって
それっておかしくないと思ったんですよ
そんなことあり得るのかと思ったんですね
処方無我って固定した自我とか条件によって変化するなんてのもありましたね
私はこれだっていう実態
そういったものがないっていう考えなんですけど
これが自然にしてたら譲られていくはずですよねこの考えからしたら
この処方無我の世界で生きるからこその補助的な役割なんだと思います
これは人間らしい営みなんだと思います
自然にしてたら固定されないからこそ人工的に固定ポイントを作るっていうことなんです
これによってですね
自分を維持するための外交角ができてるって前お話したと思うんですけど
あの時はどういう意味で言ったかっていうと
生活する上でのこれをしてれば最低限のことをこなせてるし生きてることができるみたいな
そういった固定みたいなもんですよねそういった意味で言ったんですけど
それもそうだし自分というものが曖昧な存在ではなくなる
ここにいるんだと思えるってことですよね
でもよく考えてみてください
その前にまず自我が強くなることだと思ったんですけど
でもお坊さんだってみんな規律正しく生きてますよね
そもそも諸法無我の考え方からいけば
自我なんてないんだから自我が強くなるなんて発想がおかしいですよね
職業無常との関係ですけど全ては変化する
だからこそ変化に飲み込まれないようにする固定点が一応なんですね
自分が前に思ったのは
なだれが自分に押し寄せてくれるようなもんですよ
世間というか周りが変化してるっていうのは
虚無の中にいながらそのなだれに飲み込まれないようにするっていうのは非常に難しいんですね
虚無にいるってことは価値観とかがだいぶ薄らいでる分
影響を嫌なほど受けまくる可能性が出てくるわけですよ
それと同じように防ぐために自分は
そういった骨格となる規律が必要だった
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諸行無常との関係で言っても全ては変化する
だからその変化に飲み込まれない
よく、我が強いとかって言うけどあれはそういう表現でしょうね
そういうふうに見えるんですよ
その人の表現の仕方がそういうふうに見えるだけであって
この人は自分というものが強いとかそういうことはないんですよ
いったん話ずれますが
でもやっぱりブッダが言う 自我をなくすというのと矛盾してるんじゃないかと思ったんですね
ブッダが言ってるのはゼロにしろっていうことを言ってるんじゃなくて これが固定した自分だっていうふうに思うなっていうことなんですよね
だからそうだ空の思想ってないとかあるとか
じゃないんですよね さらに上位概念なんですよね
まあよくわからないですけどね ないとかあるとか言ってるわけじゃないんだよな
ちなみに自分はですねどこにも執着固定しないで生きてるんですよ 宗教辞めて別の宗教に固定するとか別の思想に固定するってことやってきたわけですよ
やってきたというよりやってたって感じなんですけど やっぱりその仏教ってもの
に触れるとですね
仏教というかブッダの教えに触れると
別に修行僧でもないのに全くもって同じことを生きてたことに気づくんですよ 今言った固定させないっていうこともそうだし
なんか変な気分になりますけどでですね
自分は自分というものと周りの境界線を作るって言ったけど
だから自我を強めるって意味じゃなくて自我の揺れを安定させるっていうことなんですね
精神の揺れをあまり作らないっていうことにもつながるんでしょうね
自分が番組説明で考えようとしてたその自分という感情虚無の中で生きるとしたら
気立はそういった爆発 エネルギーの爆発を防ぐのに必要だとか言ってきたのと全部説明重なるんですよ
仏教的にいっても気立は 自我が暴走を整えるための道具だし
ちなみにブッダの教え学んでてこれだけは割と
この世界の事実に基づくもの信じれるなと思うので
ってことも多々あるんですけどやっぱり 自分の考えとはずれてるというか
ここを終着点にしてはいけないですよね多分 だからまあ多分一生不安ですよ
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このこれをこの教えを信じていれば
うまくいくっていうものがないから だからまあこのポッドキャストで一生
あれですね 一貫性はあると思うんですよ基本的なことは
ただ 常に何だろう
パズルのピースが どっか一つだけ抜けてるような感じ
その抜けを埋め合わせようとしてまた別のとこが抜ける みたいなことになりかねないけどまぁそんな感じになるのかもしれないですね
人間が生きてるのってそういう言葉なのかもしれないです
それでいいんじゃないですかねだって絶対的な 答えなんてないわけですから
別に答えを探してもいないし でも
絶対なんてないって思ってて着地しないで いろいろ
着地 しないのがだから
絶対がないと思ってるものの生き方だと思うんですけど でもそれって何かを探ってる態度にも感じられますよね
だからまあ自分が規律によっても守られてるし 救いではないですけどねでそうやって答えを探してるわけじゃないけど
仮のモデルを作ったり 仮の答えを連続的に運用することによって
まあ崩れないための自分が崩れないための必要なもの
なんですよねまあ最低限の ちょっと大それたことを言ってしまうかもしれないけどブッダがその苦しみを遠ざけようとしたのも
まあこうやって なるべく苦しみない方がいいですよねみたいなそんな感じだったのかもしれないです
苦しみ全くずらりもできないけども
まあこれがいいんじゃないのみたいな感じで言ってたのかもしれないですね まあ固定的な何か真相心理じゃなくて自分が崩れないための
足場としての答えを見つけようとしている感じかもしれないです だからまあこの諸行無常の世界で答えなんかないんですけど常にすべての変化しますからね
固定した真相心理なんてないんだけど仮の答えを その時その時
少し携えて入れたらいいかなっていう ことをやってるんでしょうね
でもブッダ自体も多分ですねブッダのお出しさんにですよブッダの真理を
ブッダを真理としてしまうこと自体が ブッダがもっと避けてたことなのかもしれないですね
42:02
ブッダの教えって素晴らしいんですけど
まあ不思議なものでどうしてもこれは うちらの脳の構造上しょうがないのかもしれないけどものすごく
抽象的な 教えなのかと思ってたら実際は
まあいい言い方をすれば現実的でいうか 何だろう
普遍的抽象的というよりは現実世界で
目の前のことをちょっとこまごまとしたことに活かせるぐらいの
ことのような感じもすればある時には すごい抽象的な
感じもするしなんか不思議なもので
やはりブッダの教えてさえ 絶対的なものでももちろんないし
正解ではないし
正解っぽく見えるもの 宗教とは違うとは思ってるんですよね
単に信じる 対象である意味体系
でしかないっていうものとも違うような気してて
はっきり言って今言ってることは矛盾してるのも分かってます
まあ いろんなサイトを調べたり辞書で調べても
ブッダの言ってることは自分というものはないんだと
いうセテムな生活をするんですけど いやでもですよ
実態がないっていうことですね
辞書にもそうやって出てきます じゃあ実態
ないのかと言われたらブッダはそういうふうに実態がないと断定はしないと いうことを言う人も出てくるわけですよ
まあそういう人が一部でいるというよりは 仏教の教え自体がそういうことみたいです
そう実態がないと断定できることでもないと
もうこの辺りがだいぶヘリクスにしか聞こえないんですけど
でも単純にヘリクスだときっぱり 言い切れるほどのものでもなくて
まあだからこそ 自分からしてみたら
この教え自体にもあんまり執着しなければいい 軽く受け止めぐらいのほうがいいんじゃないかなくらいに思うんですね
もうドラマにハマりますよこんなこと
言ってしまえばもう何だか
ヘリクスって言い方は悪いけど人間の頭にはちょっと理解できないようにしか思えないんですけど
じゃあその実態はないってどういうことなのか 自分なりに必死に
45:06
今ですね 探求したんだよね
そしてですね 自分の考えはですよ
でも定義上諸法無我っていうのは実態がないと言ってるんだろうと
もうそれで決定的な それはもう決定だと思うんですけど
いやでも仏教的にはそうじゃないんだ実態は
うーん ここからの説明がよくわからないんだけど
自分の解釈としてはですよ こうやって実態があるとかないとか
説明できるようなものではないみたいな ふうなことを言ってるのかなと思うんですよ
ただこればっかりはもう仏陀も言ってることともだいぶすり替えられてきてるかもしれないし
この2000年の間に これも何とも言えないし
まずですねこの説明
じゃあ仏陀は見つからないっていうふうな言い方をしてるんだと
いうことらしいんですよ ないとは言ってないのは見つからないんだと
じゃあ見つかる可能性があるのかっていうとそういうふうに保留してるわけでもないと
だったら見つかる可能性がないんだったら
ないんだろうと じゃあそれは確率的な問題じゃないって言うんだけど
じゃあ っていうことらしいんだけど
じゃあ確率の話かどうかはこっちも言ってなくてね
保留しないってことはつまり見つかる可能性
見つけられないんじゃなくて見つけられるもんじゃないと
いやそれってもうないと断定してるようなもんなんじゃないかと思うわけですよ
で固定的な意味での実態っていうのはないっていうことらしいんだけど
でも実態の定義上が固定的なもの
なんだからだったら実態はないと言ってしまっていいはずなんですよ
っていうかもうそもそも辞書にそうやって載ってるし 他の仏教学者なり専門家がそうやって言ってるわけですしね
っていうふうにもうなんだか 理屈でどうのこうのいったところで
分かるようなもんじゃないしっていうかそもそも
またこれも哲学なんでしょうねだから
はっきり仏陀の言ってることはこうだと分かるようなものだったら
48:06
他の宗教を凌駕しちゃってますよねそれって
その可能性もあり得ますよね
だから仏教もあとは言ってることよく分かんないから
だからこそ仏教はいろんな分裂が起きたんでしょうね
いろんな捉え方できるから
ここまで何か深く考えることになると
こうやって2000年前からこうやってお弟子さんたちなり
新たな教祖がこうやって仏陀の言ってることを
でもねここでもないと悩んできたんでしょう
だから実体はないと仏陀は言ってるのに
実体はないとは言ってないとかいう輩が出てきて
でもどうやら単にその人の個人的な意見でもなさそうだしとか
なんかもうこうやっていろんな宗派ができたんでしょうねきっと
でも大事なとこはじゃあその源流である仏陀にたどり着いたら
真相真理が分かるかっていうとやっぱりそうでもないし
でもやっぱり仏陀の言うことはある程度正しいんじゃないかと
信じてしまってる自分がいるんですよね
では次の話です
自分はですねオタクみたいに一つのことに没頭できないんですね
で広く浅くでもないんですよ
ただ人と違うことをしたいっていう思いはあるんですね
で興味の狭さっていうのも異常だし好奇心も相当あるんですね
しかしオタクと興味の対象が違うんですよ
アニメとか鉄道とかガジェットとかそういった類のものじゃないんですね
オタク好きのジャンルって今いくつかあるんですけど
サブカル好きってサブカルの定義って曖昧みたいですけど
その世界に酔いしれる酔う感じだと今ポッドキャストである人が言ってたんで
まあそういう定義だとするとそういう感じでもないんですよ
その世界観に浸って酔いしれてるってこともないし
あと知識をつけるってことに興味を持ってないんですね
でも知識の収支的はあるんですよ
なるべく執着して何かをやるっていうそういう趣味は持たないようにしてるんですけど
でもやはり興味は狭いしミーハーではないんですよ
でも鉄道好きであるとかそういうジャンルアイデンティティっていうのは持ちたいと思いますけど
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うまくいったことはないですね
そこまで名乗れるほど没頭できる感じでもないんですよ
そこまで名乗れるほどのものだったら相当意味を感じてるんで
たぶん意味を感じたら自分のは爆発しますんでね
だから興味は点在してるけど点在してる中にコミットはないって感じ
もちろん流行に追従してるわけでもないし
だから興味は発火するけれども定着はしない感じ
これって熱しやすく冷めやすいというあれですね
だからいろいろ興味は混ぜるんだけど
文脈の連続体にならないし体系化されないんですね
興味が点在してる感じだからそういう感じです
それをアイデンティティにしたくないのかもしれないですね
自分は自分だし
多少興味持ってもいいけど
それが上書きされて自分ってものになってしまうのが怖いのかもしれない
だから他のオタクの人もそうかもしれないけど
知識の収集壁はどういうことかっていうと
知識つけること自体に喜びはなくて
知的な刺激として消費してたら
気づいたら知識は少しずつついてきているかもしれないねって感じです
ミーハーと何が違うんだと問われてしまうと困りますよね
いや全く違うんですけど
でもミーハーっていうのは
他者からの評価を意識したり
あと流行に乗ってる安心感ですよね
自分は内部から出てくる興味に加え
知的な刺激に対する反応をしてるだけなんですよね
自分は流行という現象を解体して観察してる感じですね
というか流行に乗れないし乗らないし
でもかといってメインストリームを冷めた目で見てる人たちと共感は全くできないんですよね
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これに関しては自分のそういう
ある意味ちょっとしたら2年に近くて
結局メインストリームを否定したところで
それがいずれまたメインストリームになってるかもしれないし
時代の移領によって
というかアニメもそうだけど
以前マイノリティであったものがいつのまにかマジョリティになってたりするんですよ
次です
オカルト信じる
あと破滅への道あると思ってるって
例えば恨まれて怨念でどうにかなってしまったらどうしようとか
あとはオカルトみたいなもの
そういうないものを信じるって行為
ないものをあると思い込んで信じ続ける行為
ある意味存在するものを持ち続ける行為よりも
怖いなと思うことがあるんですよね
ないと分からせるのって自分だけだから
不安をなくせるのって自分だけなんですよね
いつまでもこの苦しみ逃れられないんですよね
まず虚構の自己増殖っておきますし
そっちかもそれに飲み込まれるし
あと証拠がないけど信じるっていうことは
つまりいくら
そもそも
じゃあそんなもの
迷信だとかないだとか
そんな証拠を集めようとしたってないわけですから
信じ続けるしかないですよね
確かに自分を恨んでる人は気が空いてくるかもしれないけど
でも怨念だとかなんだとかそういう
オカルトじみったことを信じて
他人との関係性でなくても
厳格義的なことでも
それを信じてしまうと
場合によっては脅迫性障害みたいになるだろうし
でも脅迫性障害はあくまでも病名ですけど
オカルト信じてしまうと
本当に自分を救うのは自分でしかなくなるんですよ
医者でも誰でもなく
57:03
だってそれで霊媒師でも雇っても
その人のことを信じれなかったら無理でしょ
っていうか
そうやってオカルトを信じたら
どこまでも果てしなくその不安は
破滅への道へ進ませますね絶対に
あと宗教で苦しむこともありますから
自己検閲が激しくなって
これはやってはいけない
これはやってもいいっていう
まさに自分が
そういう体験をしてきたわけですけど
恐ろしいったらあれやしないですよこんなこと
あとこれは何かのサインではないか
神からのお告げではないか
何か起こるんじゃないか
現代人はそういうことはあまり感じてないとはいえ
感じ始めたら
どこまでも尽きることはないですからね
ちょっとしたことでも何かのサインではないかと思って
そうしたら判断が失われますよね
現代人であれば
だいぶ合理的でないことは分かってもらえると思うんですよ
あとは宗教を信じる力が弱かったとか言い出して
宗教もそういうとこにつけ込みますからね
いろんな意味で破滅への道ってありますよね
精神的なことから
そういうとこまで
次ですがオタクって何故似通るのか
マニアックなら好きなもの
みんな全く違うはずですよね
みんな何故かアニメ好きになるのは何故なのか
アニメっていうことで言えば掘り下げやすい
コミュニティも巨大だし
掘れば掘るほどいろんなものが出てくる
だけど自分が疑問に思うのはそうじゃなくて
オタクはマニアなら無数にあるはずなんですけど
だいたい車鉄道昆虫カメラ数学ミリタリーって決まってきますよね
社会が何をマニアとして可視化するかっていう
どこでの偏りなんでしょうね
とはいえ可視化されてる分
やっぱり特に日本人はですね
何故かマジョリティの方向に行こうとして
1:00:01
でも結局他の人と群れていたいから
他の人もやってるカメラに行くとか
恐竜に行くとか鉄道に行くとかってなるんですよ
あとはメディアが使いやすいかどうかってのもあると思います
日本でも数学オタクってあんまりいないように
自分は思うんですけど
いるにはいるのかもしれないけど
だとしたら納得なんですけどね
でも数学オタクって実際いるんでしょうかね
あんまりいないような気はしますけど
あまりにもいないとなると
それはそれで
それを突き詰めようとする発想にならないだろうし
では次ですが
自分は好きそうなもの面白そうなものほど
意味を感じすぎてしまう
意味生成装置が爆発しそうになるからですね
というか大変なことになりそうだから始められないんですよ
魅力的なものほど
じゃあ実際にどういう魅力があるだろうと探っていく
その過程で意味を生成しすぎて制御不能になってしまうとか
あとは実際はそんな魅力的じゃないなって気づいてしまうとか
あるいは魅力がないか探して見つからないんだけど
無理して探そうとするとか
結構やばいですよね
だけど趣味に没頭しすぎて
ちょっと一生懸命やりすぎて
熱がありすぎる
あとお金かけやりすぎる
っていうタイプともちょっと違うんですけど
意味を感じすぎてしまい
歯止めが効かなくなるんです
特に自分は人と違うことをしたいと思ってるんで
そういうサブカルじゃないけどもちょっと
マニアックな感じの魅力に思うんですけど
でもそういうものほど意味を生成しすぎてしまうのも分かってるから
なるべく避けるようにしてきたんですよね
というか拒否反応が起きるんですよ
あと将来の意味まで先取りしてしまうんですね
これ趣味に持って続くのだろうかとか
1:03:02
これやったら将来何かの役に立つのかとか
あとは失敗したくないっていう対象になるんですよね
失敗という概念が生まれてしまうんですよね
普通はとりあえずやってみるんですよ
でも自分の場合は順番が逆なんですよ
意味があるから行動につながるんですよ
意味があると思わないと行動に移れない
だからさっき言ったように将来のとこまで見ながらやっと
大きな決断になるんですけど
そして始めることができる
自分はいつも人生に意味がないということをここで主張してますけど
そんなことも主張する必要もないのかもしれないですね
自分が思ってるのはまず
これは誰でもできればこうあったらいいのかななんて軽く思いますけど
意味を持とうとすること自体がなるべくない方がいいのかなと思ってて
その時に実際に人生の意味が存在するのかどうかって
関係なくなるんですよ
何故かというと着地点が同じだから
だから自分がいつも意味がないってことを主張しても
あまり意味ないのかもしれないですね
そもそも自分はそうやって
意味を持とうとすることが自分を崩壊を迎わせるものだと思ってるんですよね
ちなみに仏教と違ってこれは苦しくなくするためというよりは
何とか維持する方法を探して
その結果今も維持するためにっていう目的というよりは
維持してる限り意味を持たないっていうことを慣れ立つんですよね
ちなみに絶対っていうのは変わらないっていうことなのは定義に含まれるのは当たり前なんですよね
何か変わってしまったらそれって固定的なものでなくなるわけですから
絶対であるはずがないですよね
で
このブッダは変わらないものはないって言ってるんですよね
つまり絶対がないって言っちゃってるんですよね
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あと思ったんですよ
これが絶対というものはないと言って
ブッダも絶対ではないよねって言い出したら
これってパラドクスですよね
確かに以前からですね
絶対はないと言ってしまうと
その絶対はないっていうのも絶対じゃないっていう理屈が成り立つんで
それはわかってたんですよ
そういうことじゃないんだよなっていうのはわかってたんですね
今思ったんですけど生活の一つ一つもそうなんですけど絶対的な意味じゃなくて
ちなみにこの前までは番組名
Meaning Optionalityって意味が2位であるって訳せるんですけど
持っててもあってもなくてもいいっていうことで
いまいち自分としてもピンとこなかったんですよ
というふうに名付けたものの
でもどうなんでしょう目の前にあることの意味
これ自体は
全くそんなものは存在するとはとても思えないし
例えば
絶対的な意味じゃなくて目の前にあることの意味って言ったら
やっぱり自分で作り出すもんだから意味があると感じればいい話であって
またちょっとこれは別の話なんでしょうね
正直言ってですね
自分はその
絶対的なものとか人生の意味
あってもなくてもどっちでもいいよ
結局求めること自体に意味がある
苦しみを恋として見れればそれでいいよとはならないんですよね
やっぱり
絶対的なものなんて
あってたまるかと思うしないし
人生の意味なんて幻想でしかないし
そこがちょっと仏教と違うんだよな
単に苦しみもなかったらいいとかじゃないんですよね
分かってますでも
その仏教の人たちからしてみたら
意味はないと言ってる時点で固定的だとは
でもないものはないんですよね
だってジャイアンだってドラえもんだってアンパンマンだって
なくていいっていうか
ないかあるか考えなくていいじゃないですかね
でも理屈は分かりますね
自分っていうものがあると決めてしまうかないと決めてしまうか
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どっちかに結論付けてしまう
固定してしまうことが苦しみに繋がるんだっていう
その理屈は分かるんですよ
自分もそうやって生きてるし着地しないように生きてるし
でもやっぱり先の話に戻りますけど
やっぱり自分っていうのは関係性でできてる
それは仏教的に言ってもそうなんですよね
関係性でできてるわけであって
その奥に本質なんていうのはやっぱりないんですよね
結構宗教信じないって怖い行為ではあるんですよ
宗教信じないしかといって漂流しながら漂流しながら生きるのも
それは怖い話だし
かといって自分を信じるって
そんな自分を宗教化することになりますから
そこまで自分に対して自信持てる人いない
宗教の教祖ぐらいですよね
彼らはちょっと普通じゃないですから
ドラえもんとかアンパンマンとかと同じで人生の意味とか絶対とか
あるとかないとかっていう発想すら分からなくて
そんなものはないと考えて生活すべきっていう言い方があれだけど
そうできるって言った方がいいのかな可能である
だからあるわけでもないないわけでもないとか
そこにそんなこといらないですよ
単純にアンパンマンはいないで何の問題があるんだと思いませんか
自分は絶対はないと思ってるけど
かといってそれを信仰にしてはいけないし信じてはいないんですよ
かといってブッダのように
どっちでもないみたいな風には思わないし
実体にしたって
実体はないという考えに固定したくないですよそれは
でも関係性でできてるし
人間の中にそして全ての物理空間に存在するものの本質なんてないのは明らかだし
思想は分かりますよ仏教の精神性
固定してはいけないと。でもまあ
アンパンマンがいないことに何固定して問題があるんだろうと思いますよ
うちらは別に四教祖じゃないからないものはないでいいんですよねそこは
宗教っていうのは絶対というのは何の根拠もなく
教祖がなんか神からの導きだとかなんだか天から降ってきたとかであるっていう
そういうまあ言ってしまえば根拠のなき信念なんですけど自分はですね
1:12:02
宗教に20年やってきて観察した結果絶対というものはないなっていう
確信なんですよ あと何かに固定してはいけないって考え
結構これ恐ろしいんですよね なぜかというと固定してはいけないという
ことに固定してはいけないだから思想として持つんじゃなくて現実的に
現実に沿ってまあ そういう方法論として軽く
そんな信念として思想として持つんじゃなくて
っていう風に自分は実際やってきたんですよ これが何か
自分の成長とかあとは
こういう思想として持ってしまうとですね そういう矛盾点気づいてしまう
でも絶対に関しては逆にあるわけでもないわけでもないと考えた方が矛盾はない
らしいですが