日本人の個性と群れ
前回2回、世間の疑問について話しましたが、世間の人は、個性を持つことが大事だと思っているでしょう。
学校の評論文でも、アイデンティティというのは、人間にとって大事だと思っているでしょう。
子供が成長していって、物心ついて成長していって、自分の個性を意識し始めるとかね、自我ができてきてとか、それは誰もでも分かっていることだと思うんだけど、個性を持ちたいと思っているだろうし。
でもなんで日本人ってね、そのくせに群れるのかなってね、一体どっちなんだと、どっちの思いも共存しているのか、それとも人種人格的にその時によって考えが変わっているのか。
いやでもね、24時間ほとんどそんな、個性を持ちたいなんて思いがあっても、個性を持とうとしている努力なんてしないでしょ、大抵。
90%以上の意識の働き方としてはね、なるべく人と同じようにしていたい。
流行りに乗っかりたい。
だから人によってはね、マニアックな方向に住もうとするかもしれないけど、これも日本人の特徴だけど。
マニアックに住むのは趣味の一部だったり、でも人生の生き方は大抵もうほとんど他の人と同じだったり、群れようとしていたり、それで安心しようとしたり。
でもね、その趣味一つ取ってもね、じゃあマイノリティな方向に行くかっていうと、みんなに通ってますよね、日本人ってね。
マニアックな方向に住めば住むで、そこにはたくさんの人がいる、大きな道で。
暗く言えばいつも道に辿れてるんですよ。本通り、大きな道と外れて、自分はちょっと人と違うことをしたいんだよななんて考えてね。
で、分け道取れたら、でもなんか気づかぬうちにそこにはたくさん人がいるっていう、それは日本人のね、差がなんですよ。そうなってしまうんですよ。
なんだか個性でもないし、でも人と違うことをしてる、自分は個性的だと思い込んじゃってるんですよ。
でもみんなと一緒にいたい、みんなとは別の方向、我が道を進むなんてできないから結局、それに留まってしまってるんですよね。個性なんてなんでも生まれてないわけですよ。
まあこれは言いたというかわかんないけど、みんなことってね、野球応援するでしょ。アメリカの中だったらね、NFLある、NBAある、ホッケもあってNHLだっけな、でゴルフあってウィンタースポーツあってテニスもあってってその中の一部なんだけど。
まあこれは言いたというかちょっとわかんないけど、クラッキーも野球が好きだし、でもね、あくまでも一つのタトゥーでしかないから。
みんなね、個性を持つことってすごい憧れてると思うんですよ。だからね、個性的な芸能人だったり音楽アーティストみてね、憧れるわけでしょ。
そのくせ、クラスでちょっと浮いてるやついたらね、ドリクイは撃たれるって感じで、もう叩きのめさせられる。全く理解できないよね、憧れてるのがどうなのか。
憧れても別に自分が個性を持とうとはしないわけでしょ。持とうとしても持てないし、大体日本人って。なのに個性を持つのが大事だと思ってたり、あるときは個性を持とうとしない人を揶揄したり。
そのくせ、自分はね、普通に自然にちょっと群れていたり。一体世間の人はどっちなんだった?
憧れの心理
それならそれでもう憧れるっておかしいし、そういうアーティストとかね。憧れてるなら憧れてるで、周りに個性的な人がいて、同じように憧れればいいんですよ。
個性的なこと自体に憧れてるんじゃないんだって。スポーツとかで優れてる結果を残して、で、個性的だからこの人の言うことは世間の人が聞いてくれるとか、そういう言い方するじゃないですか。
あんたが言うのと、あのスポーツ選手が言うのとじゃ、言葉の重さが違うんだよってよく言うじゃないですか、日本人。いやいや、それはそんなの思い込みだからね。優れてるスポーツ選手だから、個性的なことを言っても許されるって、そんなのその人の思い込みだから。
それではしたっけ。