厳格義と行動の関係
倉木 凪です。
まず一つ目。
何か良い案が思いついて、そこからもうそれで決めてしまえばいいのに。
さらにね、他にも良い案があるのではないかと。
調べればもっとあるのではないかと。
探し始めたらね、絶対ダメなんてわかってるんですよ。
で、これ。
これことなのかわかんないんだけど。
ある実験で、ABCっていうボタンがあって、2番目押したらコインが出るっていう風にしたら、
被験者がね、まずAとCを押してからBを押すらしいんですよ。
これ不思議ですよね。
でね、まあそれともしかしたら、共通してるんだったら、これ誰にでもある心理なのかもしれないんだけど。
クラキはね、まさに今朝もそういうことがありましたね。
昨日かな。
今朝ですね。
カレーとシチューで昼にやっていこうとしたんだけど、それ以外も何があるか。
煮込み料理でどういうのがあるかってね。
いうことを、こんな厳格義があることにも気づかず調べようとしてましたね。
で、こうやってやり始めたらもうね、泥沼ですからクラキは。
では2つ目。
これはもうね、言うまでもないっていうか、クラキの中では。
2回で決めて、
だからこのカレーとシチューなんかも夜中に今日ね、
他の活動とかどうするか考えてこれにしたからもう帰れないんだけど、
2回で決めたことを1回に言ってしまったら、
もう帰れないっていう風にして。
もう2回で十分考えたんだからあとは1回で考えるんじゃないっていう風にしててね。
何度かそれを覆して、
うまくいかないことがあったからそれで厳格義になってしまったんですよね。
ジンクスと運の意識
厳格義ってこの因果関係がね、全くないことに、
それが厳格義の共通点ですね、すべて。
だからこその問題がやっぱり多いんだけど。
では次。
1回決めたのにネットでまたそれについて調べ始めてること。
でまぁさっき言ったのとも共通するけど、他に何か良い方法がないか考えてたり、
あとは別にもうほぼ悩みはなくて、これでやってこうとしてるのに、
一応他のものも調べてみる。
もしかしたら他の、こっちの方が良い方法かもしれないと。
何て言うんだろうな、さっきの実験と同じですね。
もうこれでやっていくって決まってんだけど、
何か諦めつけるために。
もう絶対に迷わないっていう風にするために調べちゃったりするんだけど、
そうなったらもう、
ダメだって、もうおかしなことになるって分かってるから。
まぁでもそれ厳格義としてはどうだろうな。
まだそこまでレベルの高い厳格義ではないんだけど。
だからつまり調べてたこともあるんだけど。
まぁでもね、今後はないと思いますよ。こうやってここで話してるし。
では次。何か突破口が見つかって、
でもそれと同時期に別の良い方法が見つかる。
こうなったら大抵うまくいかないんですよ。
どっちも切り捨ててしまったり。
で後にね、あぁなんだ、どっちものダメじゃないかってなったり。
だからこういう時にね、非常に心は揺れ動くね。
厳格義的にもうアウトですよ。これジンクスになってるから。
これをやったらうまくいくっていうような厳格義ではないけど、
これをしたら失敗するっていう、まぁジンクスというか。
これも厳格義の一つですね。
勝負も何も。
まぁこの後どうせうまくいかないだろうなって、
諦めモードに入ってしまうっていうとこありますね。
では次。
クラキはね、今まで続けてきたことをこれからも続けることはできるんだけど、
何か新しいことを続けるってことはできないから。
だからね、何か新しいことをするっていうことをしないのも厳格義ですね。
だから変化させない。
で、必要に迫られた変化はあれなんですよ。
だからこうやって話してるけども、気づいたら変化してる。
そういう本当に自然な変化だったらいいんですよ。
でも自分の意思の力によって、もうグワンとこうしようと。
切り替えようと。そういう感じの変化の仕方だってね、
まぁ大抵うまくいかないんですよ。
っていう厳格義ですね。では次。
これね、本当に洋館がアドバイスしてきたこと。
あれは洋館に相談して、
これちょっとね、いい案が珍しくあってそれを教えてきて、
でそれがどんなにいい方法に聞こえたとしても、
それをやってうまくいったことないんですよね。
坂道の動画、洋館のススメで見始めたんだけど、
これでも応援何でもしてこれて、
でよかったと思ってるけど、これはどうかというと、
クラキの場合ね、厳格義をしなくてでもうまくいっちゃって、
っていう場合非常に動揺しますね。
日常生活における影響
そういう意味でもね、厳格義をすることにこだわりがあるんですよ。
厳格義しないでうまくいった場合ってその後に何か嫌なことが起きそうだし、
実際はうまくいったわけじゃないんじゃないかとは思ってしまうし。
昨日思ったんだけど、やっぱり振り返ってみるとね、
ちょっと客観的に自分を見てみると、
オカルト信じてないとはやっぱりね、
なんか運勢向いたものを感じながら生きてるんだなと思うんですよ。
でもね、宗教やってた時はね、
やっぱり他の宗教入ってない人と比べて、
この宗教入ってる人は救われるから、
その分危険なこともないしってね、
そういう勘違いしてたんだけど、
特に祖母なんかね、
祖母が悟ったせいで、
9代先まで救われるってそういうこと言ってきたからね、
よく言ってたからね。
すごいなんか無神経でしたね、子供の時はね。
それで事故に遭ってたらどうしたんだろうと思うんだけど。
あと宗教で離婚してる人って言ったら笑っちゃいますね、本当に。
いや、守ってもらえてるはずだけど。
離婚しちゃったのかって、
しかも結構長い間やってて、
もう司会とかやるような人でさえ離婚してるからね、
あれはどうせ責めするのかなと思うんだけど。
だいぶ人生において相当これ、
守ってもらえてないぞとか思っちゃうんだけど。
では次。
クラケにとって、
数字で弦を担ぐっていうことで言うと、
9はあんまりよろしくないね、あと7もね。
あと7出た後に、
あ、7のっていう数字をね何かのことで覚え…
例えば、
ポッドキャスターなんてことで7個ありましたっていう場合、
以前ね、ラッキーセブンっていう風に覚えてたんですよ。
で、そうするとうまくいかないことがあって、
だから7っていう数字自体好きじゃないし、
あと15も好きじゃないな、いろいろ理由があって。
以前は30もね好きじゃなかったんですよ。
最初は好きじゃないだけなのに、
そっからなんか運が悪くなりそうな気がしちゃうんですよ。
28もそうですね。
あ、18か。
あと21もそうですね。
21は結構嫌いですね。
次の話ですけど、
カラスが視界に入ったら例えば窓から見えたり、
何か考えてる最中にカラスの声聞こえたり、
そしたらその直前にやってた動作が失敗してるような気になってしまうっていうことありますね。
カラスって暗くにとっては不吉なものであり迷惑なものでありでしかないんだよね。
で、なんか嫌な感じがするんですよ。
そうやって社会の全体の価値観から流れてきたそういうルール的な喧嘩つきもありますね。
あとは脅迫観念が出てきたら、
あとは何だろうな、こんなこと考えてはいけないっていうような、
そういう一種の脅迫観念いろんなあるけども、
それが出てきたら食事中なんかは食べ物を見て、
もちろんね、食べてる最中はそんなことないんだけど、
あと以前だとね、壁の一手を見るっていうことをやってましたね。
それやれば大丈夫だっていう。
今はでもそんなことないですね。
ないんだけどでもこれはオカルトでしかないとか、
今でもね、脅迫観念でしかないとかそういう意識をすることによって、
それが喧嘩つきになってるっていうパターンですね、一つの。
あと何度もやってダメだったものは諦めがつくまでやるんじゃなくて、
もう潔くやめないとその先うまくいかないっていうのが分かって、
それも喧嘩つきですね。
だからネットで調べてるときなんかも大体2,3回やってもうダメだったら、
1回でもなんとなくね、分かるんですよ。
もうこれ以上やったらダメだなって。
そしたら喧嘩つき的にもうそれは調べないっていう風になっちゃってますね。
なんかただのことが起きそうな気になってしまうんですよ。
あと前も話した通りネット見てて、
なんかこの後何か起きそうだみたいなお勘がすると、
それ以上は調べないっていう風にしてますね。
あとは食べ物に関しては知恵袋は調べないし、
調べても洋館に呼んでもらう。
これも喧嘩つきだし。
ルールというより単純なルールというより、
なんか言えない感じがするっていう。
そういうあれですね、だから喧嘩つきなんですよ。
あと今は某掲示板を見ないようにしてるし。
あとSNSは使わないっていうのも喧嘩つきですよね。
広告用としてしか使わないっていう。
少しでもSNSを利用しようもんなら、
うまくいかないような気がしてしまうわけですよ。
以前クラキが当時ツイッターだけど、
始めようとした瞬間ね、
イーロンマスクさんいろいろ改革し始めて、
有料化になるとか。
ちょうどそのタイミングだとね、
クラキはSNSに縁がないなって今でも思ってますね。
だからSNSを使ってはいけないっていう喧嘩つきなんですよ。
クラキは縁がないなと思ってるから。
それでは下っ毛。