この番組では、最初に日常の話から入ることもありますが、そこから話題が次々と移り変わっていきます日常のささいな出来事をきっかけに、人間の認識、意識、存在、そして意味づけの仕組みを観察する思考実況ポッドキャストです。
哲学や心理学を教える番組でも、人生の答えや救いを与える番組でもありません。
「何を知っているのか」
「それは本当にそうなのか」
「確信はどこから生まれるのか」
人はなぜ何かを信じるのか。
なぜ物語を作り、意味を見出し、自分や世界を理解しようとするのか。
私たちが見ている世界、自分という存在、記憶、感情、快感、思い込み、そして後から作られる物語を静かに掘り下げます。
信じることで成り立っていた世界から離れたとき、人は何を見るのか。
意味や物語が最初から存在するのではなく、人間がそれらを作り出していることに気づいた後の世界を観察します。
人生に意味はあるのか、どう生きるべきなのかという答えを探すのではありません。
意味や目的が揺らいだあと、それでも人間はどのように日常を維持し、考え、動き続けるのかを記録します。
結論よりも、考えている途中の揺れ。
完成された思想よりも、変化していく認識の記録。
自己啓発ではなく、答えを急がず問い続ける。
虚無を終点ではなく前提として、人間という存在の仕組みを見つめる哲学的独白番組です。
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感想
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00:03
これから、倉木さんのラジオ収録始まります。
No!
げんざすです。わけがあってですね。
高校生のときの卒業アルバムを封印しておいたんですね。
で、この家出るときに見ても、あのー、ちょっと見たいことがあって、
で、なぜ今は見れないかっていうと、
部屋のものを一切動かせないんですね。自分の行動もそうですけど。
部屋のものも動かしてはいけないっていうルールにしてて、
でも、ねえ、気のわけあって、それを取り出すことにして、
で、まあ、気になってる人がいてですね。
で、映ってるかわかんないんだけど、
まあ、見てみたんですね。
まあ、気になってる人というと、なんか好きだった人とか、
まあ、そういうイメージだと思うんですけど、好きな人だったら、
映ってるかどうかわからないわけないんですよね。映ってるんで決まってますよね。
で、詳しいことは言えないんですけど、で、結局映ってたんですね。
で、ちゃんと写真にも撮って、それで何回もずっと見てたんですけど、
高校生の時に会ってたような気もするし、
なんか別の記憶と結びつけてしまってるんでしょうね、でも。
勝手にこうやって物語を描き始めるんですよ。
まあ、そうですね、あとは高校時代どんな感じだったのかなと、写真って不思議なもので、
そこからいろいろ空想が広がるんですけど、
まあ、自分にとっては気になる人というか、その人がすごい特別な人でしてね。
で、このソツアールに映ってたから、ああ、やっぱり同じ高校なんだと、
目で見て自分に対して証明できたんですよね。
では次今話していきますけど、アニメ好きな人とかドラマ好きな人、
内容だけでなく構造や細かいところに、
例えば絵の描き方だったりに注目してる人ってすごい多い気がしてて、
そんなことに集中してるのにでも内容を楽しめてるっていうのが不思議でしょうがないんですよ。
例えばいますよね、音楽聴くにも構造を見てしまうから、
ピアノ教師の人でもいましたね。
03:01
だからあまり楽しめてはいないみたいな人いるんですけど、
そうやってプロでそういう人っていると思うんですけど、
同じことなんじゃないかなと思ったんですね。
で、内容重視の人と細部重視の人がいるならわかるんですよ。
でもちゃんとアニメとして楽しめてる、ドラマとして楽しめてる。
構図見て、動き見て、色見て、演出見て、声優さんがだれだれだとか、俳優さんだれだれだとか、
そんなものを見てるって内容わかるわけじゃないのかなと思うんだけど、違うんですね。
じゃあこれについてはわかんないんで、次いきますけどメンタルヘルスや心理学の話。
全く興味ないんですよね。でも人間については興味あるんですよ。
精神についても興味あるし、でもスピリチュアルも興味ないんですよね、全く。
というかかなり拒絶してるんですよ。
でもメンタルヘルスとか心理学の話ってかなり需要があるんですよね。
かなり社会にとっては大事なものなんですよね。
そういう役に立つものこそ意味が感じられなくなってしまうんですよね。
くだらなく感じるというか、そういうものこそうさんくさく感じるんですよ。
まずメンタルヘルスに助けを求めようとする発想がメンタルを苦しめることになるんですね、自分の場合。
あとものすごく期待するじゃないですか。
人間ってつらければつらい時ほど何かに頼ろうとする発想、発想してる時点でどうしても高揚感とかつきまとうし、
勘違いにさせてますよね。
それをやれば、それがあれば全てうまくいくくらいにも感じてしまうんですよね。
次。好きな曲は絶対素晴らしいくらいに思ってしまうんですね。
好き嫌いだけのことだというのも分かってるんですけど。
自分は普通と違ってですね、普通だと良い悪いは言えるみたいですね。
好き嫌いっていうのは自分の主観だから、
社会規範的にとか定層観念としてあまり良いイメージはないんでしょうけど、
自分は逆に、自分の好き嫌いなんてその人の勝手だから。
自分だって無意識の判断ですよね。
道徳とか何も関係ないですけど、
06:01
だって食べ物だってそうですよね。
トマト嫌いだって言われて何責められたって何も悪くないと思うんですけど。
自分にとって好き嫌いってそれぐらいなもんなんですね。
自分の中で勝手に完結してるもんな。
人に言ったところであまり意味ないし。
なんだけど、もう誰が何と言うと絶対素晴らしいくらいに思ってしまうんですよ。
で、なぜかそれなのに良い悪いの方言っても問題ない、起きづらいと思ってるらしくて。
で、決めつけの方が怖くないかと思うんですよ。
好き嫌いなら勝手にしろっていうだけの話だけど。
で、話戻りますけど。
人と言えるのは客観評価ではないですよね。
感情が結びついているわけです。
好き嫌い、好きな曲っていうのは。
人と言えるのは聞いた時の気分とか、その時時期とか、
例えば精神の曲だとかが一緒にくっついてくるから、
自分が取り囲まれているような状態。
自分にとっては特別なものである。
でも違うんですよね。自分は絶対だと思ってしまうんですよね。
こんなに絶対を指定している自分が、
でもそれでも絶対これは素晴らしいと言いたくなるんですよね。
決めつける勇気もないけど絶対素晴らしいって思っちゃうんですね。
他の人にそう主張してしまうくらい。
なんでこんな曲聴くんだと言いたくなるくらい。
では次の話ですが。
最近あるドラマを見ててですね。
あんまり影響も受けないし、
感動もしないし、
推理者は唯一面白いなと思ったけど、
最近見てたのがですね、
昨日最終回で、
考えさせられたんですよね。
でですね。
なんだけどやっぱり自分は、
なんだ今の音楽って感じで、
かかってた音楽に逆に引っ張られて感動してしまってですね。
あとは、こんなこと言っときながら一番恐ろしいのはですね、
人生で初めてドラマに考えさせられたって言ってね、
一番何が恐ろしいかってこのドラマ、
8話くらいから見て、
4話くらいしか見てないんですよねその後。
しかも途中飛ばし飛ばして見てるんですよ。
これでよくこんなこと言えたもんだなと思うんですよね。
09:00
やっぱり自分はドラマはダメですね。
あーわかった。
このドラマ何がそんなにいいと思ったかっていうと、
あー違いますね。いいと思ったんじゃなくて、
なんか違うなと思ったって感覚が近いかな。
このキャラクターたちの醜さをですね、
キレイごとで包まないんですね。
それを突きつけてくるわけですよ。
結局、自分の周知な部分、醜さを操作するんだけど隠せなくて、
常にそれがつきまとってて。
しかも主人公は文学好きで、
個性的でありたいっていう思いがあるんだけど、
でも個性的にもなれなくても普通にもなれなくていう人で。
普通であればですよ。
ハッピーエンドか、
あるいは絶望的か、
もしくはどっち使うか、
曖昧にさせるか。
でも一流でもないんですよね。
人間ってそういう風に矛盾を変えて生きていかなきゃいけない存在だと思ってるんですよ。
夢の中の方が時間が経つのって早いみたいなんですよね。
でも起きた時にその断片を集めて一つのストーリーにするから長く感じてるだけで、
実際は20分もしないぐらいの長さなんですよね。
でもそれが1日の話にさえ思えてくることもあるわけです。
でも不思議ですよね。すぐ終わった感じの夢もあれば、ものすごく長い物語みたいな感じの夢もある。
逆に夢の中でもゆっくりだったのに起きると短かったとわかることもある。
だから現実の時間通りにはなってない。
そもそも時間という概念について考えさせられますよね。
では次。
どうやら起きてる時も夢を見てるような状態のことがあるという研究もあるらしくて、
でもほぼほぼ意識できないんですよ。
12:01
自分がいつも言ってる、自分の起きてる時って夢を見てるみたいな時があるっていうのは、
だからそれが非常に意識されてしまってる。
変な状態だってことですよね。
映像を作り出してるみたいですね。
だからそれが夢を見てる時とある意味似てるらしくて。
だから映像体験を作り出してるって意味は夢みたいなもんですよね。
ただ外部の入力が強すぎて意識されないみたいなんですよ。
では次。
ここではないどこかへ行きたいっていう願いは誰でも抱えてると思うんですよ。
でもその向こう側って本当に存在するのかなと思うんですね。
何か理想となるものを描いてるんですけどそれは幻想でしかないと思うんですよ。
その奥は今の場所に違和感を感じて、より良い場所に行こうとするわけですね。
そうやって理想を描くのは人間らしさなんでしょうね。
ここではないどこかっていうのは地図の上にあるようなものでもなくて、
つまりどっちの方向を目指していけばたどり着くとかいうものでもないけど、
でもここではないどこかに行けば何とかなると思ってる。
それは安心できる場所だったり、
孤独感を癒してくれる、
というか孤独じゃない場所とか、
まだ言葉になってない理想とか、
自分らしくいられる場所とか、
人間が生きるための方向性としてはあるけども、
可能性としてはあると言われるんでしょうか。
これは認められないけど、幻想だよねと思うんですよ。
希望と幻想の違いを考えたときに、
可能性があるかどうかってあんまりどうでもいい気がしてて、
少しでも可能性があれば、それは希望を持っていいのかっていうと、
そういうことでもないと思うんですよ。幻想は幻想だと思うんですよ。
可能性はっていうのはですね、
これは可能性高いけども例題として、
ケーキを作ろうとして材料を混ぜたら、
綺麗なケーキができるだろうっていう、
これは可能性ですよね。
幻想っていうのは、自分が思う幻想っていうのなんですよ。
空に向かってケーキを振ってこいって言ったら、
祈ってればケーキが振ってくるみたいなのが幻想ですよね。
話戻りますけど、
ここではないどこかっていうのは、
どっちかっていうと幻想でしょうね。
15:02
もっと自分を理解してもらえる場所があるんではないか。
可能性といえば可能性なのか。
昨日ですね、自分が手洗ってるときにですね、
親が父親の部屋に入ってて何か話してるんですね。
何かまた忘れてるのかなと思って。
手洗った後に話しかけたんですけど、
何かの間違いだったらしいんですね。
この時期は風があるんで戸を叩いてる音に聞こえることがあって、
何があったのか気になるし、
ルーティンは崩れるし。
あとですね、高校入試のとき、
倍率が2倍で、
それって普通の公立入試と比べたらちょっと段違いなんですよね。
これは無謀な戦いだなと思いました。
なんだけど、
その後、あれだけ神経質だったにもかかわらず、
というか、
受験生なんで一応神経質になってたと思うんですけど。
でも、
その倍率高いことに関してはあまり何とも思ってなかったんですよね。
少なくとも不安な感じはなかったんですよ。
次、ドラマのことでですね、
2日間がないことがあって、
これで1時間。
あとですね、
いやー馬鹿みたいですね。
1時間ですよ。
で、結局自分の勘違いだったんですよ。
でもおかしいなと思ったんですよ。
1回故郷に帰って、
また故郷に一緒に帰るって。
もう1回帰ってるだろうと思って。
あとはですね、
ドラマ中の曲を知りたくて、
これ30分考えてしまいましたね。
恥ずかしいもんで。
自分でパソコン、
午後はパソコンいじってもらってるから親子で一生懸命探して恥ずかしいけど。
で、メモの仕方で思い出す必要があって。
これも最近こういうことは度々ありますけど、30分。
では次。
ちなみにそれでストレスなのか、
昨日は腹こわしてましたね。
でも以前と違ってスマホを触るようになってからあまり考えることがなくなって、
これは幸か不幸かあまり腹こわすことはなくなってるんだけど。
18:02
でも眠たい時とか夜中スマホをいじってると全く眠れなくて、
眠くなんなくて。
で、あとはドーパムミンが出てるのかなと思うと。
あまり脳に良くないのかなと思ってですね。
いや良くないっていうか、
その普通じゃない状態にとても違和感だし、
理屈抜きでもとにかく違和感、不安なんですよ。
最近は英語会も取らなきゃいけないし、
番組名とかは決めたんですけど、
メモのことでとか放送だし、英語会もうまくいかなかったりで、
すごい焦燥感っていうのかなこれは。
自分の気持ちなんで、自分では分かっていたいけどこればっかりは分かんないですね。
焦燥感でしょうね。不安とか焦りとか。
ざっくり言うとそんな感じですね。
では次。
あ、またこれ。
トラウマのことで思い出すことがあってまた新たなトラウマになるんだけど、
トラウマ思い出してトラウマ化できるとは言わないか。
では次の話。
あ、でなくて、クソ教師がですね。
もちろんクソ教師っていう名前じゃないですよ。
性格が、名前じゃなくて性格がクソ教師なんですけど、
ずいぶん品の悪い言い方だなと思うんですけど、
そんな品の悪い言い方しない自分だからこそ、
逆にいい表現だと思うんですけど、このクソ教師がですね。
ちなみにこのクソ教師昨日言ってたアルバムで間違って写真撮ってしまったっていう。
って嫌な思い出。
特に何かっていうわけじゃないんだけど、
ちょっとなんか雰囲気というか思い出してしまった。
そのクソ教師ですけど。
このクソ教師がですね、バレエ部の先生だったんですよ。
バレエなんか一回もやってないことないのに、
こいつ権力でたまたまバレエ部に行きたくてってやってたんじゃないかと思った。
可哀想だし、でもバレエ部のやつの話聞くからにそういう感じなのかなと思うんですよね。
で、クソ教師の話はやめて次の話に行きますけど、
優しい人、証人欲求。
宗教に優しい人は優しい人なんですよ、とりあえず。
いい人なんですよ、なんですけど。
自分がですね、宗教の場で話す時に野球部の親友がっていうことに対して、
21:03
それ言う必要あるのかい?って言われて。
いや言う必要あるし、言う必要ないかもしれないし、
言う必要あるかもしれないし、だからとりあえず言いますって言えばよかったと思うんだけど。
とりあえず言うことにしたんですけど、
とにかく証人欲求で、言わなくてもいいんだけどとりあえず書いたわけですよ。
でもそれに突っ込んできて怖いなと思うことがあって。
感想文についても何か突っ込んできて、その時も似てるようなことだったと思うんですよね。
これもトラワーなんですけど、体育祭で女子がクラキーいたんだって言ってきて、
その時、彼氏がいて、自分は愚痴を言ってたんだけど、
あの時どうすればよかったかなと思って、もうちょっとフランクに行けばよかったかなと思って。
あとはですね、ここから語るなら空想なんですけど、
なんかやっぱり夢見みたいな空想になるんですね。
その時カッターを、これ本当に全く取り留めもない、なんてこともない空想なんですけど、
取り留めないっていうか、取り留めないでいいのか、夢って見てます。
自分はカッターを廊下に投げて、教師が歩いてきて、
まずいと思って逃げてって、本当にただの夢みたいなことなんですけど。
では次の話。ドラマ中の曲。
ちなみにそんなことしないですよ。だからこそ、なんでかそういう夢みたいな空想なんですよ。
ドラマ中の曲じゃなくて、15分間しか録音できてなかったんですよ、午前中。
何時間も話してるつもりが。
いつも通りのはずだし、間隔がおかしいのかと思って悔しかったですね。
だから何をやってたのかっていう確認が始まるんですよ。
あと今日の午後のあったこと。似てる曲を親に聞いてもらったらまた賛同してもらえなくて。
正直に言ってもらって嬉しいんですけど、自分としては明らかに似てるだろうと。
あっちの曲よりこっちの曲の方が似てるだろうということを言うんですけど、やっぱり。
分からないよね。で、悔しいですね。
まあ自分だったら嘘でも似てるって言うと思うんですけど、嘘じゃないし。
まあでもあとは、人に理解してもらえないってことに関しては敏感ですよね。
あとですね、生ベーコンがこの前出てきて。やっぱりそういう時不安なんですよ。
あまり焼けてないということがあって、ある以降少しでも色が違うと気にしてしまうんですね。
24:05
次。自分は世間が役に立つと思うものほどくだらなく感じるんですね。
シューズハンク臭く感じるんですね。
役に立つかどうかっていうのは、努力に対してどれだけコストパスパフォーマンスがあるかということ。
あと、分かりやすいパッケージでしかないし、安物に感じるんですね。
あとどうせみんなこれが役に立つと思ってやってるんでしょっていう同調圧力への拒否感もあるし。
あと特定の糸のために切り取ったら確かに役に立つとかっていうのはあるかもしれないけど。
それだけなもの。
あとは、自己啓発にも精髄してるっていうのもありますね。
しかしこんなことを言っておきながら、将来に役に立つかっていう視点で見ちゃうんだよな。
切な的かどうかっていう意味で言うとそういうことですね。将来役に立つかっていう視点で見てしまいますね。
将来につながるか。
つらければつらいほど。
助けとか救い求められるとき。
その発想自体が高揚感になるし、そしてその人を勘違いさせてるものだと思うんですね。
その救いがあれば全てうまくいくくらいに感じてしまわせるものだと思ってるんですよ。
そうなってくると救いの範疇を超えてますよね。もう勘違いさせるものっていう部類ですよね。
だから振り切れてしまうんですよね。あまりにもつらいとき、そういう救いを求めると。
だからパニックのとき、つらくてパニックのとき。
パニックまではいかなくてもかなり動揺してるとき。精神の揺れがあるとき。
そもそもつらさが極限に達したときに自然と救いとか万能感を求めてしまうんですよね。
でもその発想自体が危険な罠であり、完備ですよね。
でも自分にとっては恐怖なんですよね。
27:03
でもやっぱり混沌とした状況があると原因を求めてしまうんですよ。
あと解決策と。
それであれさえ手に入れれば、そのあれさえ手に入れればっていうのが変な幻想でしかないときもあるだろうし。
幻想に変も変でないもんないけども。
だから自分もそうなんですよ。
でも基本的に心は混沌としてるから、これさえあればみたいな一点突破したくなるんですね。
これは今はないですけど、以前はありました。
やっぱりつらさっていうのは欠落ですから。
必ず人間ってその欠落を埋めるようにできてますから。
現実味のない理想像を作り上げてしまうんですよね。
結果的にそれは救済と呼ばれるもの。
になってしまうんですよ。
それが全知全能なものを求めてしまうときもあるだろうし。
完全な無いもの出たりとか、余計な憧れを抱いてしまうこともあるだろうし。
これ全部自分がやってきたことなんでわかるんですよ。
今何かを変えようとしてるっていう、その救い自体に酔ってしまうことはあるんですよね。
今戦ってるんだっていう。
でも救いって避難所みたいな、避難所に一時的にいるようなものですよね。
では次。メンタルヘリウスや心理学の話。
興味ないけど、人間に対しては興味があるし、精神に対しても興味があるんですよ。
ケアとか解決というニュアンスに抵抗感があります。拒絶とか違和感があります。
興味がないし、人間というものが複雑ですけど、あまりに単純化。
30:12
特に心理学は知ってる気もするし。
単純化させようとするほど矛盾があるような気もするし。
心理学の場合は往々にして間違いだらけだと思ってるんですよ。間違いがあると思ってるんですよ。
そういえば、心理学的に言うと正常か異常かに分けますよね。精神学もそうですよね。それなんですよ。
今日考えたのが、偏った認知、パーソナリティ障害って言いますけど、
医療ではなんとかしようとするのは当然だけど、別にそういうものとして生きてていいんじゃないかなって思うんですよね。
そういう場合もあるんじゃないかと思うんですよ。
ただですね、発達障害を障害でない個性別と捉えるのはおかしいと思うんですよね。矛盾してますよね。
でも、あといつも言ってる通り、自分にとって脅迫性障害っていうのはなくてならない存在なんですよね。
この家にいてこれによってなんとか支えられてるというか、そもそもまあまあいいやってですね。
そう、これも嫌なんですよ。心理学の多くはどうすれば社会に適応できるか、これも違和感感じますね。
発達障害の診断を受けた時に、テンプレートのようにまずこういう風にしましょう。
こうすれば発達障害でもうまくいくみたいな、本にもそうやって書いてもらいますけど。
で、恐ろしいことにその後だいたい順番も決まってるんですね。
A型事業所に行けみたいな、バカらしいと思ってました。
バカらしいって跳ねのけてるんじゃなくて、バカらしいと言わざるを得ないんですよね。
そうやって機械みたいに扱われるのが嫌なんじゃなくて、変わり者の自分にそれで対処できるんですかとか、
あとは変わってる人に対して一つのテンプレートでいいんですかっていう感じなんですね。
正直な感想としてはそんな感じでした。
あとは単純に自分をそうやって良くしようとかっていうことは思わない。
適応とか向上ではなくて、自分にとっては自分はどういうことで問題なのか、どういう人間なのかという記述をすることに関心があるんですよね。
33:10
どうしていけばいいかなんていうのはさらさら関心がないわけですよ。
こうすればうまくいくみたいなのが全く受け入れられないんですね。
それよりはこうやって障害がある中で、もう諦めてそれでも生きていくしかないっていう覚悟を持つのが大事だと思うんですよ。
これで良くなろうとかなんて発想なくて、こうやっていろいろ工夫してもがきながらやってきた身からするとですね、
これだけ辛い思いをしてきて、これからも開き直りもせず、諦めもせず、救いにも逃げず、この状態を受け入れてやる覚悟を持つ以外、特にやることはないと思ってますね。
心理学や医学でしっかりしっかりとれるようにして普通に行くという人も一定いると思うけど、ほとんどはそうではないはずなんですよ。
他の病気とは違うんですよね。
発達障害や不安やういつ、治す方向を考えるのは1割くらいの比重で良くて、あとはですね、この状態でどうするか考えるか、それでもダメで今まで通りなるべく生きていくことを考えるで良いと思うんですよ。
この人たちって生きてること自体が辛いわけですから。辛くてしょうがないわけですよ。それなのに何とか治療して、向上してっていうのはもう負荷が大きすぎるし、治してあげないといけないっていうのは疑問だと思うんですよ。
治療したりメンタルヘルスで生き方変えてその変化による代償も大きすぎやしないかと思うんですね。
何でもできる気になってまた同じ失敗を繰り返して落ち込むか、相打つになるか。
だいたい見えてますよ。
では次、アニメ好きな人、ドラマ好きな人の話ですね。
36:01
構造とか書き方とか見てるのに内容も楽しめてる。不思議なんですよね。
没入と分析って別だと思うんですよ。
自分は同時に起こり得ないんですね。だからすごいポテンシャルだなと思うんですよ。
でもそうやって同時並行で生きてるっていう人は別に普通にいると思いますよね。
それにしてもすごいなと思うんだけど。
そうだから意識してやってるっていうよりも作画とか勉強とかじゃなくても呼吸をするようにやってるわけですよ。
そういうオタク的な人は確かに男性能でそういう構造に目が行くみたいな人はいるみたいだけど。
例えば鉄道のこういう構造をしてるとか。アニメも同じことでしょうね。
こういう作画でこういう流れでできてるとか。
それで解像度を上げてるんでしょうね。
全くもってその通りだと思うんだけど、どうして同時にできるのかと思うんですよ。
でもこの線、このアングルが良くて心が動かされるのだとは思わないですね。
それを知ってしまうと逆に喋ってしまうんですよ。
じゃあ次。
普通は好き嫌いではなくて、良い悪いの方言いやすいらしいんですよ。
でもですね、トマトを嫌いな人を責めることはできないように。
好き嫌いこそ言っても全く意味ないと思うんですよ。
試験の人はなぜか良い悪いという判断軸を好んでいる。
これは相手に自分の価値観に合わせろっていう支配のツールになるわけですよね。
好き嫌いと比べて。
好き嫌いっていうのは論理とはまた別だし、
生理的な感覚ですから好き嫌いは。それはしょうがないと思う。
じゃあなぜそれなのに良い悪いの方言っても問題は起きづらいと思ってるらしいんですよね。
いやでも決めつけの方怖くないのかなと思うんですよ。
さっき相手を支配するって言ったけど、そうやって支配したら決めつけてしまう方が怖いことではないか。
好き嫌いなら勝手にしろっていう話だけだ。
でも良い悪いという普遍的な価値観を語る方が世間ではなぜか安全で問題が起きにくいんですよ。
好き嫌いはある程度個人の責任において完結してるはずですよね。
39:04
良い悪いっていうのは世間の相違を代弁してるというごまかしができる。
これが一つの理由かもしれないですね。
だから理解できるっていう話をしてるんじゃないですよ。
そういう理由なんだとしたらなおさら理解できないですけど。
理屈上は成り立ちますよね。
ごまかせるわけですね。
みんながそう言ってるわけだから。
っていうその正しさを盾にしてるわけです。
好き嫌いっていうのは個人の話ですからね。
これが嫌いだって言うとき。
なんで嫌いなんだって。
嫌いな人になんで嫌いなんだって。
トマト嫌いな人になんでお前トマト嫌いなんだって。
それほどおかしな話じゃないですか。
あと気につけるのは好きなんですよ。
良いとか悪いとか言ってるのは好きなんですよ。
好き嫌いって精神のことなんで分かりづらいじゃないですか。
さっき言った絶対的な音楽。
自分が好きな音楽は絶対的に感じてしまう。
絶対なんてないと思ってるのに。
それは言語化できない部分があるんですよね。
だからこそ絶対的に素晴らしいというほかない状況なんですよ。
それが絶対と捉えてしまう恐ろしさではあるんですけど
曖昧なものを決めつけてしまうっていうのも問題なんですけど
それも込みでそう思ってしまうんだよな。
聞いてる間はですよ、もちろん。
もちろん理性が働けばまた変わるかもしれないけど。
でも音楽に関してはどうかな。
常に自分の好き嫌いが割とはっきりした
絶対とは言わないでもはっきりした基準にはなってるかな。
だから世間の好みとかで揺れたりはしないわけですよ。
とはいえ客観的に評価することもあるんですけど
ある意味でも絶対するのはいかないけど
でもこれの場合自分の中で完結する話なんでいいのかなと思うんですよ。
あと自分は映画見てる時でさえ音楽の方に意識して感動しているんですね。
映画という物語が映像を摂取しに来てるはずですよね。
無意識に音楽という要素に反応してるんですよ。
本当は物語自体に感動しなきゃいけないのに。
本当に単純に言うと頭使わない方なんでしょうかね。
物語とかストーリーの構造を理解するよりも
42:05
内容を理解するよりも感性に訴えかけてくるんで
直感的だし言葉を返さないし生の振動に近いですね。
だからそういうことなんかも。
青春の曲いいと思うのは当たり前だけど
それを絶対視するほど愚かなものはないと思うんですよ。
ちょっと今思いつく人がいて、こうやって言ってるんですけど
あるプロデューサーなんですけどね。
いつも言うんですよ。昭和の曲はメロディーが素晴らしいとか
メロディーが残るんだとか。昭和の曲が一番だよみたいに言ったり
今の若い子の曲はみたいなのもおかしな話で。
この曲は良いとか芸術に劣ってるっていう考え。
あと時代的にもですけど、それ自体がもう天然おかしな話で。
他の価値を切り捨てることですよね。
それって音楽という現象そのものを無にしてるようなものですよ。
でもそういう無意味な比較というゲームに奔走する人いますよね。
芸術において時代が優劣を決めることはありえないわけですよ。
音楽っていうのはその時の自分の姿を映し出してる。
若い時は輝いてたから過去の自分を拝んでるのかもしれないですね。
どんな宗教だよと思うけど。
あとさっきの悪の花っていうドラマだったんですけど。
これもう少し言語化するとですね。
人間とはこれほど不条理で滑稽で超動的な存在。
あと醜い部分も抱えてる。
それといくら戦ってもあるものがあるっていうことをつけてきて何の救いもない。
こういうものが自分に刺さったんですね。
次ですけど人に矛盾があるっていうのは思考とか哲学ではなく、
根本的なところ生物としての不覚にあるのだろうと思うんですよね。
思考の誤りとか哲学的な葛藤ではなくて。
いつもものが矛盾を続けることとこそが生存戦略である生物なんだと思うんですよ。
間違いないですね。
間違いないというかこの世にいつも帰結するんですよ。
45:02
でもよく考えてください。
そもそも人類なんで生きるのかなんてことは哲学的なテーマでしかなくて。
でもこうやって生きられるっていうのは、
生物にとって大事なのは論理的なことではなくて、理由を説明できることではなくて、
一貫性なんていうのは機械と違って持たないで、
その時の環境や体調に合わせて一見周りからしてみたら矛盾してるように感じていても、
生きやすい行動を選択するっていうことをするわけですよね。
だから矛盾を許容できるかどうかが生物としての適応能力なんですよ。
こういうことだから、じゃあ発達障害って結構面白いんですよね。
だからこれ、人類として、人類の一つのタイプですけど、
結構致命的な人たちだなっていうことですよね。
生物として結構致命的だってことですよね。
では次。どこかこれまでのことで不足あったならもういいやとなってしまうんですね。
辞めるか問えるか返すかのいずれかですよね。
今まではそうだったんですよ。でも今からでもいいからしっかりやろうっていうふうに切り替えると、
ハングリー精神なんだけど、前のとは違うエネルギーの出方なんですね。
ハングリー精神とは違うんですよ。
これまで積み上げてきたものを辞めるとか取り返すっていうのは過去の延長線にあるわけですよね。
だから過去の自分を生産するか埋め合わせをするかっていう作業なんですけど、
過去の残像で生きるわけですよ。今からしっかりやろうっていう切り替えは、
ただ単なる経験として現在から始めるっていう、再起動させるっていう行為なんですよ。
だから過去の重力から解放されて、ここを全部生産するわけではないけれども、
それはそれで記録としては残しつつ、原動力にはしないってことですね。
48:01
だから過去を捨ててしまうことがエネルギーになるんですよ。
これイチローも同じこと言ってました。
でも真似して言ってるわけじゃないんですよ。
結果的に同じところにたどり着いたんですよ。
イチローとは違う形で。
では次。絶望の極みを味わうのと虚無の底にいるのでは全く違うんですよね。
世の中の人の多くは前者なんですよ。
まず絶望ってのは何なのかというと、期待や執着が残ってるんですよね。
何かがあるはずだったのにないとか、どうしてこうなったのかとか。
で、虚無ってのはもちろん救いなんかないですからね。
存在しえないわけですよ。
人間としては最もむき出しな状態になるんですね。
まあ一つ理由があるのは、
絶望してる時は物語を書く余地があるけど、
虚無にいたら物語を書けない。
そして人間は物語を書きたいっていうことですよね。
書きたいとか書かないと思う。
居ても立っても居られない、安心できない状態なんですよ。
もう恐怖で振り上がるしかないわけですから。
で、自分はなぜ振り上がらないかというと、
詳しくは語らないですけど、
ここでは20年宗教にいたからなんですよ。
まあ免疫がついたというか。
まあ免疫なんてそんなもんすぐ無くなりそうだけど、
宗教やめてすぐニヒルに移行したのが良かったんでしょうね。
もしそうでなかったとしたら、
つまり何か他の新たな救いを求めて、
まあそうするとまたやっぱり、
免疫が無い状態、
この20年間の免疫が無くなっている状態ですから、
破れなくなっていたと思います。
あとですね、
絶望っていうのは、
感情の激しい波であるので人間らしさを感じる。
虚無っていうのは、
人間らしさが無いからそこに振り上がるんでしょうね。
だから生きている心地がしなくなるんでしょうね。
生きた心地がしなくなる。
多少波があった方が良いんですよね。
だから普通は。
それが強すぎるとしても。
強すぎることほどこそ、
51:04
ああこうやって悩んでいるなと言うわけですよ。
まあそこには希望を見ているだろうし、
光を見ながら波で往生をしているような状況なんですよ。
もっと強く言うと、
そして楽しんでいるんですよね。
54:36
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