この番組では、最初に日常の話から入ることもありますが、そこから話題が次々と移り変わっていきます日常のささいな出来事をきっかけに、人間の認識、意識、存在、そして意味づけの仕組みを観察する思考実況ポッドキャストです。
哲学や心理学を教える番組でも、人生の答えや救いを与える番組でもありません。
「何を知っているのか」
「それは本当にそうなのか」
「確信はどこから生まれるのか」
人はなぜ何かを信じるのか。
なぜ物語を作り、意味を見出し、自分や世界を理解しようとするのか。
私たちが見ている世界、自分という存在、記憶、感情、快感、思い込み、そして後から作られる物語を静かに掘り下げます。
信じることで成り立っていた世界から離れたとき、人は何を見るのか。
意味や物語が最初から存在するのではなく、人間がそれらを作り出していることに気づいた後の世界を観察します。
人生に意味はあるのか、どう生きるべきなのかという答えを探すのではありません。
意味や目的が揺らいだあと、それでも人間はどのように日常を維持し、考え、動き続けるのかを記録します。
結論よりも、考えている途中の揺れ。
完成された思想よりも、変化していく認識の記録。
自己啓発ではなく、答えを急がず問い続ける。
虚無を終点ではなく前提として、人間という存在の仕組みを見つめる哲学的独白番組です。
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感想
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これから、倉木さんのラジオ収録が始まります。
最近気づいたことを話していきたいと思います。 誰かの男で修行をしてですね。
その人が認められると、みんな崇拝すると思うんですけど、それって
師匠の影を見ているようなものだと思うんですね。 だからその人が認められていると言っていいのかと思ったんですよ。
師匠のブランドや信用だと思うんですね。 もちろんこの人はすごいから、その人を育てた師匠もすごいっていうこともあるかもしれないけど。
でですね、もちろん理論上は同じ師匠の下で学んでも伸びる人は伸びない人がいるので、本人の力もあるということには理屈上のあるだろうけど、
やっぱり師匠が評価されている、逆に師匠の名前がより広がるようなものだとも言えると思うんですよ。
ただその弟子がですよ、この人の名前を広めれてよかったというそういう使命感があるのであればいいけど、でもそういうことってあると思いますね。
だから多分我が強い人はですね、多分その状況にあまり耐えられないと思いますね。
だって自分が認められたいのに師匠ばかり認められるわけですからね。
でもそれでもこの人に尽きたいと思わせるやっぱりカリスマ性のある人っていうのはいくらかいるわけですね。
思ったんですよ。確かにその人自身の個性も見られるけども、それなら一から自分でやるほうが早いっていうのも一理あるんじゃないかと、その考えも。
ただもちろん誰の影響も受けないなんてことは無理だし、最初から完全な特創性なんていうのも、もちろんそれは無理ですね。
では次。何かやらなくてもいいようなこと。
やる場合って、最近だとですね、ドライブにデータを入れといてそれで絶対問題起きてくれないと努力も向かわれないと思ってしまうんですね。
03:04
恐怖なんですよ。他のことではないんですよ。
なんでかっていうと、物事の意味なんて感じてないし、しかもそれはやらざるを得ないことだからやるわけであって、意味があるんだけどでもやらなくても問題ないってことはやんないんですよ。
やらざるを得ないことしか普段やんないんですよ。意味があるからやるわけじゃなくて、やらざるを得ないから普段はやるんですよ。
でもこのデータをドライブに入れるってのはやらなくてもいいことなんですよ。
だから普段ではありえない、努力が向かわれなかったら怖いっていうおかしな感情が出てくるんですよ。
だから絶対問題起きてくれないとデータをせっかく入れたのに何の意味もなかったってなるんですよ。
では次の話。どの分野でも偏差値70くらいの人を見て自分は自信をなくすんですよ。
最近ポッドキャスで話聞いてて、頭いいなっていう人いたんだけどやっぱり文を作る人で。
大抵そうなんですよ。頭いいなって思う人。大抵文を作る仕事だったりですね。
普通の職業ではないんですよ。明らかに知的な職業に就いてるんですね。
作家であったりライターであったり学者であったりっていうことが多いですね。
野球選手を見て自分は野球下手だなって落ち込むようなもんじゃないですか。
でも最初分かんないからそんなことは。
ポッドキャスターとして自信なくすんですよね。
偏差値60の人を見てすごいなーならいいけど偏差値80近くの人を見て自信なくすってなんか愚かじゃないですか。
そんなの1000人に1人の人を見たってしょうがないですよね。
1000人に1人の偏差値80を見て何か続けてたことを自信なくなってやめるって愚かじゃないですか。
愚かというか悔しいですよね。
自分の場合知識量よりもその考えは本当なのか、なぜその人はそう考えるのかと掘り下げることが多いわけですよ。
こういう人の知識量とかと比較したところでそもそも意味ないんですよね。
では次。物事は変化するけど良くなったり悪くなったりしないと思ってるんですね。
だから明らかに改善したときこの捉え方では違う、でも改善してるようにも見えるしということはあるんですよ。
物事は変化するけど本質的に良くなったり悪くなったりしないと思ってるんですね。
例えば病気が治るとか英語が話せるようになるとか改善したように見えますよね。
06:05
例えば所持金が1万円から10万円になる、あるいは体温が40℃から平日に戻る。
これは価値判断としての改善としてはまず70℃の方がいい、お金が多い方がいいっていうですね。
そういう価値判断が混ざることによって改善と呼ぶわけですよね。
変化そのものは認めるんですけど、ただし改善という言葉には価値判断が含まれるので慎重になるんですよ。
だからこそ明らかにこれは改善だなと思うとき、物事は変化しかしないんだけど良くなったり悪くしないはずなのに、
でもこれは改善だと捉えた方がいいよなとなるんですよ。
改善しているというふうにするということはそれイコール、次回も同じようにやる。
変化させるということですから、やり方は。
でもその行動の変化させるのは単に価値判断で意味を感じすぎているだけなんじゃないか。
もっと単に変化しているだけだと捉えた方がいいんじゃないかという違和感なんですよ。
今は話しませんがとにかく自分にとっては余計な価値判断によって改善しているとか悪くなったとかいう捉え方をしてはいけないんです。
自分は物語の事実としてあるだけだということを忘れてはいけないんですね、自分にとって。
例えば登山してて頂上に向かっている人はこれは改善ですけど、でも下り対象にとってみれば登ることは悪くなってますよね。
同じ変化でも評価というのは目的によって変わるわけですよね。
でも骨折が治るような例を見ると、改善という言葉が自然に使われてしまうわけです。
では次。悩みの迷路にいなくても抜き出そうとすることによって迷路を作ることってあるんじゃないかと思うんですよ。
わかりますか。迷路に別にいるわけじゃないのに、ここは迷路だと認識した瞬間迷路が生まれるみたいなことってあると思うんですよ。
別にこれ空想の話じゃなくて、迷路だと思い込んでるだけ。別にそんな迷路に迷い込んでるわけじゃないのに。
迷路から抜き出せなきゃと始まった瞬間に迷路がもうそこで始まってるってことがあると思うんですよ。
自分で勝手に迷路を作ってしまってる状態。そして抜き出そうとしてる状態ってあると思うんですよ。
09:05
例えば何も問題が起きてないのに正しい答えを見つけないとってしてしまう。
自分の場合高校生の時進路探しと参考書どれ使うか見つけてる時ですね。
自分で勝手に難しい問題を作り上げてしまうんですよね。こういう性格の人は。
出口探しが新しい問題を作るんですよ。
それは目的を決めたらその時壁が立ち現れるってあれはちょっと当たり前すぎな話ですよね。
それは何か目指せば問題が生じるって小学生でも分かりますよね。
今回の話はそうじゃなくてなかなか自分でも気づけないことなんですよ。
しかもですよ、この前話したのと同じで、登山と同じなんですよね。
頭の中で出口を作ってしまう到達点があると思う。
でもですよ、頭の中で作ってるだけだから実際にはないわけですよ。
それがもし何か絶対的なもの、そういうものを求めて宗教とかスピリチュアルを探しまくるとすれば、これは大変なことですよね。
見つかるはずもないし。
こんなものは見つかるわけがないんですよ。
だとすると、より出口を探そうとして、つまり新たな迷路を作っちゃってるんですよね。
でも自分としては出口に近づいてるつもりだから。
でも実際は出口なんてないから。
どこまで行っても迷路を作り続ける作業をしてるんですよ。
出口に行くどころか。
高校の時、もちろん宗教入ってたから、絶対的なことを出口にしてるから大変なことになってたんですよね。
自分でなんとなくゴール作ってそこに向かえればいいなんて思わないんですよ。
でも自分の場合、出口がどんな形をしてるのか、どんなものなのかさえ全くわからない。
ただなんとなく出口はあるのだろうぐらいの感覚で出口を目指してましたね。
つまり問題を解決しようとする動きが問題を維持してしまってるんですよね。
では次。
20歳を越えたら音楽を発掘しようとしなくなりますよね。
聴く時間減るし、最近の曲聴かなくなる。
でもこれが本当の理由かと思うんですよ。
これの本当の理由が気になるんですよね。
12:03
よく言われるのが、学生時代に出会った音楽が自分の中の全てになってしまうとか、大人になったら音楽に咲く時間はなくなるとか言われますよね。
学生時代は音楽と結びついている。友人関係、恋愛、自分探し。
いやーでも自分は自分探しのために音楽を聴いたりすることはなかったですね。
歌詞には全く興味なかったんで。
一方大人になると家事、仕事、子育て、趣味。
音楽探索の優先順位が下がるのだとしたら、
ってことは音楽を聴く時に大抵の人は自分探しとか恋愛の勉強のために使ってるってことになっちゃいますよね。そんなわけないじゃないですか。
あと自分がどんな人間なのか探してる時期だから音楽を聴くわけないじゃないですか。
じゃあ自分の好きな音楽がこれだなっていう感覚が固まることによって発掘する必要が減るのではあるとすればですよ。
いやそれほど世間の人いろんな音楽聴いてないですよね。
単なるトレンドを聴いてるだけで特に日本人の音楽の傾向って本当に単なるミーハーでしかないと思ってるんですよ。
とりあえずトレンドのものを聴いとけばいいってなる。
新しい曲は理解にすくほしい。エネルギーが必要だという理由なのであれば。
それも理由としては全部あり得そうだけど。
それが理由なのであればじゃあ若い時だったら新しい曲聴きづらいでしょって思うんですよ。
でも若い時はいろんな曲探っていくわけですよね。
あと若者の音楽はみたいなこと言うけどでもこれが理由なんだとしたら理由としてはおかしいと思うけど。
いやじゃあ単に自分が新しい音楽を追わなくなっただけですよね。
では次。変化しないでいることで維持してきたんですよ自分は。
変化せざるを得ない時そもそも人生に意味ないということ。
虚無に立ち返るんですよ。
正気になってそして現実を凝視するんです。
こういうこともあると思って生きるんですね。
虚無を凝視していると現実が見えるようになるっていう不思議さがありますよね。
その後また変化しないという自分にまた戻れるんですよ不思議と。
大きな避けられない状況が来ると今まで些細になってきた
まぁ些細なんて言う意味はないんですよただ生活していくために最低限の必要な意味が揺らぐわけで。
15:02
でもそもそも人生に意味があるのかという。
虚無に立ち返るんですね。
虚無に直面してるんじゃないんですよ。
基本虚無にいるからまたそれで正気に戻る感じ。
希望や理想ではなくて。
希望や理想ではなく現実そのものを見てこういうことも起きるんだよなと起きれる。
落ち着いて元の生活に戻るんですね。
普通は虚無に落ちたら壊れるんだけども
虚無を一度通過することでまた余計な幻想がある程度まで落ちていくんですね。
自分は正直変化しないことによって保たれるんだけども
普通はですね
変化してはいけないっていう必要のない脅迫観念で
変化を脅威としているわけですよ。
でも自分にとっても変化というのは脅威になるんだけど
そもそも変化してはいけないっていう脅迫観念じゃなくて
変化してはいけないことによって自分を保ってるんですよね。
普通の人なら変化してはいけないっていう思い
自分は変化しないで維持してきたという事実
違いがあるんですけども同じように変化は脅威になるんですよ。
普通は人生に絶対的な保証の変化が起きると理解する時が来る。
自分は変化せざるを得ないことがあるんですね。
つまりルーティーンを変えざるを得ない時が来る。
普通はその後変化してはいけないだったのが
変化してもいいんだな今はこうしてるって変わるんだけど
自分の場合はやっぱり以前と同じように変化してはいけないわけです。
それによって維持してるから。
でもまた元に戻れるんですよ。
自分でもよく戻れるなと思うけど
では次。人生に意味はないと確信してるんですね。
生活の全ての意味もあまり感じない。
救いは機能しない。だから変化しない。
この規律のみが命綱なんですね。
これ崩せると変化しないことに
意味を感じていることに気づくこともあるんですよ。
正確に言うと意味を感じてしまってるってことですね。
意味は感じちゃいけない。
普通なら人生に意味があるから規律を守るだと思うんですよ。
目的があったり意味があるから規律を守る。
でも自分は意味が感じないから規律だけは続けるって感じなんです。
だから生活を支える実用的な仕組みなんですね。
18:04
で、規律が崩れそうになった時に強い反応が出るわけですよ。
つまり変化せたら同い時ですね。
で、自分は変化しないことに価値を置いてたのかもしれないと気づくんですよ。
失われそうになった瞬間に価値として現れるってよくあることですよね。
だから変化しないことに意味があると積極的に信じるっていうよりは
意味を感じないけどそれは崩れると強い不安が出るってことですね。
で、規律に意味は感じてはいけないんですけど
ルールというのは感情を動かさないと守る動機ってなくなりますよね。
だから罰ゲームなんかもあるわけですよね。
だから規律崩れることの不安を感じる必要があるんですよ。
だから少しは意味を感じる必要がある。
もしかすると意味を感じなくても良い。
変化することや本能的な恐怖心でルールを守る。
それはあるのかもしれないです。
もちろん改善なんてないってのはわかってる。
さっき言いましたね。
だから変化しないというのもそういう錯覚なのはわかってる。
が、時にはとりあえず生活のいじめのための規律、ルーティンの変化しないと
あ、間違えました。
完全なんてものはないってのはわかってるんですよ。
だから変化しないというのもただの錯覚でしかない。
ってのはわかってるんですね。
でも時にはとりあえず生活のいじめのためにルーティンの変化しないと
生活のいじめのために規律やルールをルーティンの変化しないようにしてるわけですね。
えーとですね、わかりましたね。
改善ないと思ってる。
完全なんてないと思ってる。
だから変化しないというのもそういう錯覚なのはわかってる。
でもとりあえず生活していくためのいじめのために規律やルーティンを変化させないっていうのが
あって、まあその矛盾があるわけですね。
何が恐ろしいって変化しないという足場も変化するという足場も
どちらの観点には立てなくなるからですね。
だって変化を防いでたつもりが実は変化の主要な原因だったとなればですよ。
そういう逆転が起きるわけですから。
もちろん変化を積極的に求めるつもりもない。
とりあえず立つ場所がないからとりあえず変化しないということをしてる。
これがしのぎというわけじゃなくて
これは永遠に続けていくことが必要なのもわかってる。
21:03
変化してしまってるときにもありますと
変化せざるを得ないとき
あるいは変化しないようにしようとするときもあります。
でもそれはどちらも大きな変化を作ってたみたいに
気づきどうしもなくなるんですね。
普通は普遍でいたい自分と変化を避けられないという事実で
衝突しますよね。
例えば拭けるのは嫌だとか
いつまでも美しくいたいとか
いつまでも体力があって欲しいとか
でも自分の場合は
何をもって変化するというかにもなるけど
行動の変化ですよね。
こうしてはいけないというのと
まさきのいないという事実があるんですね。
時に何をもって変化というのかわからなくなるときがあるんですよ。
変化することで変化をしないとなることだったり
短期的に見るか長期的に見るか
枕で見るかミクロで見るかで
変化の捉え方は変わるし
では変化しないという基準とルールが揺れてしまうんですよね。
でもよくよく考えてみると変化というのも
その程度の概念なんですけど確かに
曖昧なんですよね。
まさに生物なんてのは
細胞が入れ替わるという変化を続けることで
生き続けているわけですよね。
そのことで
10年以上前に
この生活を続けたあたりで悩んだことがあります。
ただその時に思ったのは
あくまでも感性の法則で
変化をある程度させないというぐらいの基準は持っていたと思ったんですよ。
感性に従うというのは主に行動であるということと
あとはあまり意識しないということですね。
意識しすぎると今まで通りできないんですよ。
あと考えすぎるのもダメなんですよね。
テセウスの船なんかもそうですね。
船の部品を一つ交換していったら
全部交換されたら
同じ船なのかという疑問が出てくる。
あとさっきのバックアップの話ですけど
データをドキュメントに入れとくっていう
あ、違う。
ドライブに入れとくっていう話ですね。
で、これも
価値を感じなくても
やらざるを得ないんですよね。
でも他のことと違ってですね
24:01
他のことも
やらざるを得ないことをやっているわけです。
でも違うのはやっぱりやらなくてもいいこと
なのでやっぱり
そうですね。
問題は起きてくれと思ってしまうんですよ。
では次。
さっきの出口の話ですね。
出口を作ること自体も問題だし
何よりも絶対的な出口だと思うことによって
出口が問題ですよね。
出口を仮の目印ぐらいに思っておけば
指標ぐらいに思っておけば問題ないんですけど
これだけが正解
ここに行かなければとなってしまうと
大変なことになるんですよね。
では次。
さっきの
さっき言った人生に見合われるのかと
問うことがあるのと
自分の場合は虚無に立ち返るのではですね
やっぱり自分は帰還しているっていう感じですね。
元の自身で戻っているっていう感じ
に近いかもしれないです。
では次。
普通ですね。人生に保証はない。
変化は起きるものだという理解
大人になったらあるんですけど
自分の場合は
なんだろう。生活ともうすぐ変わってくるというか
普通人生に保証はないと言うと
事故とかそういうイメージなんだろうでしょうね。
そういった観念じゃなくて
観念というよりも現実なんですよ。
変化すると同じ状況が目の前に詰まってくる。
あとさっき言いましたね。
変化すると同じ現実を見た後
それでもまた変化しないことで異常する。
ただし一回虚無に立ち戻ることによって
絶対死はしていない。
なぜなら変化することもまた幻想だと知ってるから。
さっきの話なんですけど
自分は今の自分のままでいたいという願望があるんですよ。
追えることも怖いし
健康のままでいたいし
いつまでも生きていたいしという願望があるんですよ。
でも自分の場合は
今のままでいたいなんていうよりもですね
どちらかというと
別に追いて早く人生終わってほしいし
というよりもこの生活の維持には変化が
しないことが必要だったんですね。
さっき言ったように
変化という意味のレイヤーの違いはここでは置いておいて
27:00
一番願望というよりは運用なんですね。
維持のための普遍というのと
現実としての変化の話なんですね。
自分の衝突しているのは。
これ面白い話で
マクロで考えると
毎日同じ時間に散歩するというのでも違って
ミクロでは
天気が違ったり気分が違ったり
体調が違ったり景色が違う
毎回違いますよね。
変化しているんですよ。
マクロでは毎日散歩している人は
同じ時間に散歩を毎日続けているわけですから
変化しない人もいるわけですよ。
でも自分からしてみたら
24時間ずっと散歩しない人は
それって変化しているんじゃないかと思っちゃうんですけど
リズムとしては変化していないんだろうけど
音で言うとずっと同じ音鳴り続けるのと
リズムでポンポンポンポン鳴っているのでは
どっちも変化していると思う
変化しない人もいるかもしれないけど
音が友達で変化しているんじゃないかと思っちゃうんだけど
さっき言ったかな
何を変化と呼ぶか難しいですけど
主に行動なんですよ。
意識せずに今まで通りやるというのと
意識すぎるといつも通りにならなくなるというのと
考えすぎるのもダメなんですよね。
変化普遍を理論で定義しようとしているというよりは
生活の感覚で判断しているということですね。
これがいつも通りにつながるんですね。
だからいつも通りでいるためには
いつも通りをあまり意識しすぎないほうがいい
という逆説が生まれるんですよ。
あとですね、さっき言ったように若い頃
若い人は音楽で自分探しするというけど
実際は趣味が聞いているから
SNSに流れてくるから
流行っているからという理由ですよね。
好きな音楽が固まるから
新しい音楽が聴かなくなるというけども
新しい曲を聴くのが苦手なら
若い頃から苦手なはずですよね。
さっき言った
新しい音楽は聴くのが疲れるから
という理由であればですよ。
音楽そのものへの関心の強さなのかもしれないですよね。
でもですよ
なぜ若い頃のほうが音楽の関心があると言えるのか
説明つかないですよね。
SNS、これは大人だってみるし
いろんな世代とか変わるからか
それは言えるかもしれないけど
29:35
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