哲学雑談会、始めていきたいと思います。早速ですが、今回のテーマ、発表したいと思いますが、今回は
血の繋がりってどの程度意味があるのかっていうのと、あとは
枕木なんか以前、自分と同じ誕生日の人をひたすら探してた時期があったり
まあ、故郷愛ってもの
だったり、まあそういったものについても話したいんですけど
まず血の繋がりの話ですが、先祖に、枕木も調べたことあるんですよ、自分の先祖
何か、自分の身容字でですね
待ち方も歯方も調べてみたんですよ
枕木の意識の中ではね
やっぱり戦国武将の子孫って言うと絶対、育ちもいいだろうって感覚
先祖代々続いてきてるものがあるし、育ちはいいだろうし、絶対違うと思ってるし
アイドルの子でも二人ね
いおきっていう名前の後は、しょうげんじっていう名前
二人とも天皇と関係あるみたいなんですけど、で、いとこ同士で
二人とも家族すごいんだけど、まあやっぱり相当何世代も
上の人がすごいっていうだけではあるんですけど
とはいえ、両家やっぱりすごい家庭なわけですよ
枕木は何かしら関係性あると思うんですよね
だからこそ自分の身容字、興味持って調べてみたんですけど
たださすがにね、そこまでそういう太田信長の子孫とか
天皇族の一族のとか以外はそこまであまり関係ないかもしれないけど
なんとなくなんですよ、なんか知れたり
でも考えてみたら別にDNAなんてほとんど薄れてるし
そんなもので育ちなんかほとんどそんな、なんていうんだろうな
たとえ先祖はすごい家柄でもほとんどそんなの残ってないだろうし
でもそんなことをどうしても忘れちゃうのは人間なんですね
だからそのどっかで、それよりもはるかに
とても醜い人と結婚してね
とんでもない遺伝子が混ざってるかもしれない
そんなこと見てみぬふりしてましたね、だから
でも先祖自慢ってこれあるあるじゃないですか
いやーこれこうやってね、ちょっと今回話にあたり考えてみて
不思議に思ったんですよ
クラキンの中ではもう先祖自慢なんて普通だと思ってるし
以前はね、全くうちの家宝だとか自慢するの理解できなかったけど
今はそういう血が流れてくるし流れてきてるわけですし
ただその血に関しては何世代も上だとしたらほとんど関係ないだろうし
でも何かしら関係あるような気がしたんですよ
うん
戦国武将の血が流れてるとなれば
まぁでも生物学的にはほとんど関係ないだろうし
で、育ちだってあんまり関係ないかもしれない
だとしたら先祖自慢なんか
ほとんど意味がないですよね
形だけのことにしか過ぎないですよね
家柄がどうだ、血が繋がってるかどうだは
ないのだとすれば本当に前かしでしかないわけですよ
そもそも何世代も離れてることって
結構抽象的というか抽象的なんですよ
でも先祖がこういう人だよってなったら
えーそうなのかってなりますよね
ここは不思議なとこですよ多分
抽象的なはずなのになぜか現実味を持ってしまう
おさむらさんの家なんかそこも
なぜかその死の交渉にヒエリアルキーで見てしまう
でまぁ仮にここでそんなものは意味ないと仮定したとこですよ
倉木なんか故郷愛がすごいわけですね
で最近諸法無我について話してますが
要は自分っていうのは抽象化、抽象度を高めれば
動物でもあり
自分っていう概念ってだからそういうことなんですよ
もっと抽象度を上げれば単なるものもっと抽象度を上げれば
宇宙ってことですよね
だから
まあ自分の省内海南区のとか
東京の何々区民であるとか
自分っていうのはそうやって
関係性によって規定されるものなわけですよね
だから北海道、倉木の場合北海道出身
北海道出身の人が有名歌手になったりスポーツで活躍すると
抽象度を高めたらね
北海道民っていうところで
要は抽象的に考えたところだ
共通点があるということですからね
共通しててその人たちが活躍してるとなれば
自分が活躍してるのと同じように感じるわけですよ
それが自分なわけですから
北海道民っていうのは
自分というものは北海道民と規定したら
それが自分のアイデンティティなわけですからね
紛れもなく自分が活躍してるようなものですよ
まあ遠い近いはあるけど
でも人にはいろいろと思います
例えば自分と同じ学校の人と一緒に這い上がって
学校を盛り上げていこうという人もいれば
関係ない自分だけがいい大学に行ければいいという人もいるだろうし
すごい母校愛を持ってる人っていうのもいるし
倉木は母校愛がすごいあったんですよね