祖母の自伝を読む
倉木 凪です。
倉木はね、祖母から前、聞いてた話からすると
まあ主婦だけだと、そんなの関係なくても
社会に不満があったら、もう反骨心とか、あとは
まあ何とかしなきゃいけないという思いで、もう
逃走してむき出してね、デモをしたり
とかそういうイメージでいたんですよね。
で、最近自伝を読んだんだけど
全然おもちゃのと違ったんですよ。
もっと資料深くてね。
ああ、こういう人を人格者っていうのだなと思いましたね。
で、倉木は今まで、祖母にはね
本当にこの人は考え方が深いなと思うときと
なんでこんな薄っぺらい浅かな考え方して
っていう風に馬鹿にしてしまうときと
で、陽花もそうやってるんですよね。
すごいなと思うときもあるし、あれ?と思うときもあるし
ちょっとそれが不思議なんだけど
すごい頭いいなと思うときもあれば
ちょっと頭大丈夫かなと思うときもあるし
で、よくね、自分でも言ってたんだけど
すごい人を腹立てして、ものすごい怒らせてしまったときもあるとか言うし
まあそういう意味ではね、やっぱりね
まあ単に人に気付かないだけじゃなくて
ちょっとおかしな考えがあったり
まあそれはね、たぶんあると思うんですよ。
まあそれも含めてもやっぱりちょっと
まあ良い意味でも悪い意味でも
常人ではないなって感じはするんだけど
でも馬鹿だと天才は神一いって言うし
まあそういった意味もあっても別に不思議ではないのかな、もしかして
で、事前を読んで思ったのはね
さっきもお話した通り、社会に対する不満だらけで
まあそれはそうなんだけども
でもね、そこで
じゃあもうただ単に
もう
怒りを
抑えれなくてデモを起こしたり
そういう社会活動をして
怒りをぶちまけるとかそういう感じではないんですよね
その社会の理不尽さを感じて
自分の中で溜め込むじゃないけども
どうしてこうなんだろうと
その怒りの思いにするんではなくて
本当に深く深く考えてる感じ
だから事前読んでると全く嫌な印象を受けなかったんですよ
で、普通だったらこんな理不尽なことがあったら
社会の理不尽さへの理解
もう自暴自棄になったり
怒りをまわりぶつけたり
嫉妬したり
恨みつらみになったり
だと思うとこだけど
全然そういう捉え方じゃないんですよね
しっかり受け入れてはいつつ
でも今のままだとおかしいと思ってるっていう
そんな適当に薄っぺらく考えたりしないで
社会を正しく見つめてなおかつ深く見つめようとしてる
それがすごいと思ったんですよね
文章読んでるだけでそれは伝わってきたんですよ
やっぱり頭がいいからね
で、文章力もあるし
本当に伝わるように書いてくれたしね
本当に偉人なんじゃないかと思うぐらい
あとこの時代もね
本当に後世に捨てられるべきじゃないかと思うぐらい
どんな他の本を読むよりもね
ためになる本でしたね
他の本ってのは
ナイチンゲルの本を読んだりするよりもね
クラキとしては
意味があるんじゃないかと思うぐらい
でもこの偉人伝に勝ると思ったのはね
それぐらいのものだとね
本気で思ってしまったんですよ
単なる自閉出版とはいえね
もったいない感じがしてならないね
せいぜい何百
何十冊何百冊でしょこれの
本当図書館に寄付したいぐらいなんですよね
お金があれば
後に祖母は宗教に出会って
すごい関与も頑張って
教祖にも認められて
その不満の思いが宗教に行ったんだろうな
宗教で解決できたと思ってしまったんだろうね
それはちょっともったいないね
あのまま言ってればどうなったかな
本当偉人になったかもしれないけど
宗教の中でしか偉人になれなかったね
それではしたっけ