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2023-05-08 47:45

第百四十九回 『会社員の哲学』にまつわる分裂的雑談 ゲスト:柿内正午

『会社員の哲学 増補版』の著者・柿内正午さんをお迎えして本についてあれこれお伺いしました。
気難しいかと思ってましたが気さくな方で楽しかったです。思考回路の親和性がすごくて、ちょっと度を越した早口になっているので、1/2倍速くらいがちょうどいいかも。
00:01
はい、こんにちは、ポイエティークラジオです。お相手は、私、柿内正午と、本日は特別ゲストでこの方です。
会社員をしながら雑文を書いていたりする柿内正午というものです。本日はどうぞよろしくお願いします。
はい、柿内さんどうぞよろしくお願いします。
いやいや、こちらこそよろしくお願いします。
えー、というわけでね、本日ちょっと、えっと、柿内さんってあれですよね、たぶん。
ポイエティークラジオでお話しするのは初。
あー、確かにそうですね。なんか、あんまり初めてな感じはしないですけど、あの、確かに初めてですね。
あー、いや本当に今日は来ていただいてありがとうございます。
あー、いえいえ、こちらこそ本当にありがとうございます。
えーと、先ほども柿内さんご自分でおっしゃっていましたけれども、
普段は会社員をしながら、こういう何か、分泌活動もされているということで、
あー、そうですね、本当になんか、シンパシーと言いますか、なんか僕自身もね、こうやって、
あのー、普段は勤労動をね、やりながら、まあこういった形でポッドキャストとかね、日記とかやらせていただいてっていうような、
やらせていただいてっていうか、まあ勝手にやってるだけなんですけど、
あー、なんか、そういうのありますよね、なんかその、やらせていただくみたいな言い方に対するね、こう、なんか、それどうなのみたいな、
あー、まあそうですね、まあなんかそんなところもありつつなんですけれども、
あのー、今回はね、柿内さんが、今今回、新刊をですね、もう出されてるんですよね、
あ、そうですね、あのー、本当はね、あの分振りで売り出すつもりではあったんですが、
まあちょっといろいろ、これも後ほどお話しすることになると思いますけど、
まあいろいろね、考えた結果、ちょっともうすでに発売中で、会社員の哲学という、哲学風エッセイと呼んでるんですけれども、
まあちょっと新刊を出しまして、まあちょっと、あのね、それをこうどんどん売っていきたいなという風に思って、
まあ今日もちょっとこういった形でね、お邪魔させてもらってるんですけれども、
またなんかさせてもらってるとか言っちゃいましたが、
まあというわけでですね、あの柿内さんが今出された、あの会社員の哲学っていう、まあその新刊ですね、
もうこれがあの大変面白くて、あーありがとうございます、まあなんかそんなところで、
あのちょっと今日はね、その本のお話だったり、まああの柿内さんの活動みたいなところをちょっとがっつりとね、お話できたらなと思って楽しみにしておりました。
03:03
いやー本当にありがとうございます。なんかね、あの結構、もともとね、あの2021年に出した本で、
まあちょっとそれのこう、あの情報版という形で今回出してるんですけど、
まあそうですね、なんかその状況としてもかなり大きく変わっていますので、
まあどういった形で読まれるかなっていうのも、ちょっと自分としてもね、あのこう予想がつかないところも結構多々あるような中でっていうところなので、
今日こういった形であの場をね、設けていただいて大変嬉しく思っております。
いやいやこちらこそね、ご縁ですね。
あのさっき今ちょっとお話にも出ましたけど、あの2021年にね、もともとこの初版が出てということで、
はいそうですね、あれですよね、ちょうどそのコロナ禍と言いますか、
ちょうどね、このポテキャストの配信されるのが5月の8日かな、8日だと思うんですけども、
その頃にはあの5例みたいな形で、ウイルス自体は何も変わらないんですけども、
人間側の扱いがちょっと変わってくるみたいなところもある中でなんですけど、
2021年初版が出た頃っていうのはね、まさしくその未知のウイルスとしてというか、
コロナ、新型コロナウイルスっていうものに対してみんながどういうふうにしていこうかっていうところでね、結構混乱しているような時期。
そうですね、本当にまさにその緊急事態宣言を受けて、最初にこの街の一番の素人宣言っていうのをね、
序文で書いているんですけれども、この序文を書き出したのがちょうどその緊急事態宣言が出てすぐぐらいの頃だったかなっていうところで、
なんでちょっとこうね、どうなっちゃうんだろうなみたいなところもありつつ、
今その当時ですね、自分の観測範囲内での起きていることというか、
みんなが考えていることだったり、世の雰囲気みたいなものに対してちょっといろいろと思うところがあったんで、
かなり最初ですね、行き通りに任せて勢いで書いたっていうようなところが多くてですね、
確かに本当に僕も観光当時読ませていただいたんですけれども、
そうなんですね、ありがとうございます。やっぱりあれですよね、結構なんか、
なんていうんでしょう、野蛮というか、そうですね、野蛮とはあまり思わなかったですけど、
でもやっぱりすごい勢いがあるというか、いろいろと必要に迫られて書いたんだろうなって感じはやっぱりありましたよね。
やっぱりそうですよね、結局すぐにこのタイミングで出さないといけないみたいなところがかなり大きく強くあってですね、
ちょうどこの1個、僕も元々文振りだったりで本を出していたんですけど、
元々やろうと思っていたのが5月の文振りでこれを出すつもりで結構慌てて書いていたんですよね。
06:05
ちょうどその文振りが中止になったりとかいろいろありまして、
ちょっとごめんなさい、ここらへん、もしかしたら記憶曖昧でどこかと取り違えているかもしれないですけど、
それ20年の方だったかな、そうですね、中止になったのは20年の方だったかもしれないですね。
ごめんなさい、今の間違えてたかもしれないですけど、
とにかく自分で本を作って出してみたいなことをする時には文振りの会場みたいなものが1個自分の中で大きい存在としてあったんですけど、
そういうのもなくなってきちゃうかもみたいな気持ちもありながら、
早く作らないとどうなるか分からないなみたいなところがすごく悲観としても強くあって、わーっと書いたんですよ。
なので初版本って今僕自分で今回この同好版を出すために読み返してですね、
誤字脱字がすごいひどかったんですよね、単純にまず。
そんな感じもあって、自分としても論の運びのあり方とかも含めてちょっと荒が目立つというか、
自分なりにあんまり納得のできるクオリティにできなかったなという気持ちもありつつ、
出さないとみたいな気持ちを先行して出したのが21年の初版だったんですよ。
今回僕同好版も読みましたけど、ずいぶん僕も2年くらい前に最初の本を読んでいるので、
記憶定かではないですけど、論が大きく変わっているという印象はあまりない。
大枠言いたいこととかは変わらないんですけど、さっきの誤字脱字もそうなんですけど、
丁寧さというか、読みやすいような形にあまりなっていなかったなという感じがあって、
一発書きみたいな感じになっていったので、もう少しそこを丁寧にしたかったなというのはちょっと思ってたんですよね。
確かにあの当時読んだ時よりもスルッと入ってくる感じが、
あ、なってました、なってました、なってました、あ、だったらよかったですね、
それだったらこちらとしても書き直した甲斐があるというものです。
これ一応情報版ということですけど、書き足したというよりは、
結構細かい文の表現だったりとか、段落としても結構前後入れ替えたり、
あとは客注の方に本文からずらしていったりみたいな形で、
スルッと頭から読めるような形というのは結構目指していましたので、
情報版と言いつつ、今回出すにあたっての序文と最後の一章を加筆もしたり、
一から書き直したりもしたんですけれども、
一番大きいのは本文全面的に一応書いてはしているので、
だいぶ読みやすさという意味では読みやすくなっているかなとは思います。
あ、そうなんですね。じゃあ結構ご自分としては今回のクオリティに納得というか、
09:00
納得はそうですね、前回初版は最初からこれはそんなにスッちゃいけないと、
出しはするけれども本当に届くところにだけ届けばいいというので、
200ぐらいで済ますつもりだったんですよ。結局思ったより売れちゃいまして、
そういうこともあって結局500スッたんですよね。500以上はやめとこうというのでやめたんですけど、
それ以降も結構本屋さんからは問い合わせをいただいていたりしてありがたいことに。
なのでどこかのタイミングで出さないとは思っていたんですけど、
あのままで出せないというふうにずっと思っていたんですけど、
今回その改定するために読み返してみて、案外結構いいこと書いたんじゃんみたいなね。
そうなんですね。思ったりもして、
結果的には自分の中で2年1回寝かしといたというか、
いつかどこかでちゃんと書き直さなきゃなと思っていた頃は、
もう1回1から書き直さなきゃいけないんじゃないかぐらいのことも思っていたんですけど、
今読み返すと当時のね、ちょっと偉そうなこと言いますけど、
2年前の自分も案外物を考えていたんだなというか、
案外面白いことを言っているんじゃないかというと、
逆に冷静に客観的に見れるようになっているところがあって、
とはいえ読みづらかったので、文字組みも細かかったり、
字が小さかったり、道としてたりもしたので、
今回サイズも新書版に可愛い形になって、
そういう形の面でも電車の中とかで読んでもらえた、
片手で読めるような感じになったらいいなみたいなところもあって、
文字の組み方とか、製本としても新書版という形で、
読みやすい形を目指して、
少し読みやすくするということを全面にやりつつ、
基本的なアウトラインとしては大きくは変えないという形で、
今回情報版という形で、
この会社の哲学を作らせていただいたという形なんですよね。
もちろん情報版なので、
もともとのファンを持っている方にも、
最後の章を見ていただけるところではあるんですけど、
最初のその本を買った方がいいけど、
あんまり読む気しなかったなみたいな人にも、
読みやすいような感じになったので、
読みやすいような感じになったので、
買った方がいいけど、あんまり読む気しなかったなみたいな人にも、
だいぶ少し表現が変わっているだけで、
読みやすさとか親しみやすさで全然変わってくるものなんだなというのを、
僕もこれを読んで実感したところなので、ありがとうございます。
既に持っているという方も、
旧版と見比べてみると、
文章ってこうやって遂行されていくんだというかね、
すごいラフだったところから、
多少読者のことを考えるようなものになっているというところが、
見えてきた人は面白いんじゃないかなというふうに、
12:01
僕はちょっと読んでて思いましたね。
そう言っていただけると嬉しいですね。
旧版の方ってやっぱりどうしても、
自分が書いているものって冷静に読めなくなっていくところがあるじゃないですか。
それはすごいわかりますね。
自分で書いてあることとしては、
内容としては、
僕が書いているから、
僕がどんなことを書きたいのかなということがわかっているんです。
それが実際に書けているかどうかという判断って結構難しいところがあって、
あと何て言うんでしょうね、
意味としては通ってても読みやすいみたいなところまではまだいけるんですけど、
厄介なことに、
自分の中に、自分はもっと名文が書けるはずみたいな気持ちがあるわけですよ。
すごいわかりますよ。
すいません、一旦僕の話させていただくと、
日記を書いていると、
毎日書かなきゃいけないので、
クオリティに対して諦めがつくというか、
そういうところがあるんですよ。
毎日締め切りがあるから、
締め切りに向けて書かなきゃいけないとなると、
とにかく書くことというものが一撃的にあって、
それ以外のクオリティだったりなんだったりというところを
あまり考えることができない。
考えるのを放棄せざるを得ないというのが、
本当にその話の逆というか、
この本って基本的に一冊丸々、
今回だと新書サイズで160ページぐらいなんですけど、
このぐらいの一冊まとまった文章を
一回自分で書いてみようと。
締め切りとかも、
本当は春の文風に出すつもりが秋に、
旧版の方は初詩がずれていたりというのもあったりするので、
基本的に締め切りも自分で伸ばせちゃうわけです。
だからこだわるのもいくらでも無限にこだわれるという中で、
いろいろと書かれていったわけですけど、
やっぱり一番厄介なのはそこなんですよ。
自分には傑作だったり名文を書けるかもしれないと。
時間かければそういうのを書けるんじゃないかというような、
そういう気持ちの中で書いていると、
いつまで経ってもそれは納得のクオリティなんかにならないんですよね。
だからこそ旧版は500部で打ち止めにしたりもしたわけですけれども、
もともと旧版に関しては5字脱字が多すぎるという
根本的なところもあるので、
それ以上はとってにすらないというか、
そこに置いてですね、気が重かったんですよ。
自分は傑作を書けないなみたいなのもあったので、
これを書き直すのって結構大変だぞとか思ってたんですけど、
読み直してみると案外面白かった。
この時に僕自身が何を考えていたかみたいなことは、
すでに2年前でも記憶が薄らいでいるので、
結構わかったんですよ。
何が言いたいのか書きないという人が。
結構面白いことを言っているけど文章がうまくないなみたいなところとか、
ここはこういう風に直したらもっとわかりやすいのになみたいなとか、
わかるようになってきたというのがあって、
僕は元々だから結構一筆書きで書くみたいなことに
ちょっとこだわりを持っていたんですけど、
15:01
一回それを書いておいて、
2年とか極端なことは言わなくて、
1ヶ月とか置いておくとか1週間置いておくだけで、
ある程度の一言感が出てくるというか、
文章に対して少し冷静に一歩、
自分が動向とかじゃなくて、文章そのものとして
めき合えるみたいなところがあったりもするので、
それを書いておいたということが
すごい大きかったなという気がしているんですよね。
それは面白いですね。
これこそ日記の本とかって基本的に書き直さないんですけど、
書き直さないなりに当時何を考えたんだっけみたいなことって、
日記を日々書いている時と本にする時だと全然違くて、
特に直したりはしないんですけど、
自分の文章じゃなくて、
自分の文章じゃなくてただの文章になっていく
みたいな感覚はちょっとわかる気がしますね。
いいこと言いますね。
自分の文章じゃなくてただの文章になるって
今おっしゃっていたじゃないですか。
それすごいわかるな、そういうことなんですよ。
本当にほっとく?
文章を書く時に常に時間をかけていじくり回したり
考え続けるみたいなことを、
かっこよく見えるじゃないですか。
そういうのもあったらかっこいいっちゃかっこいいんですけど、
とはいえやっぱりただ置いておく。
一回書いたら一旦一筆書きで書いて置いておいて
忘れた頃にただの文章として読んで直していくっていうのは
この繰り返しが実は文章というものを書く上で
大事なのかもしれないなということを初めて実感しましたね。
日記を書く側の僕としてはあんまり感覚というのは
わからないようなところもあるというか
面白いですね。
まとまった文章というか
一本数字を通しての文章を書く上では
時間を置いて他人ごとにするというのは
大事という話なんですよね。
そんなところはすごい感じましたね。
面白い。
面白いですね。
一回話を変えますけども
最初の序文の中で
町で一番の素人宣言という序文から始まりまして
そこからいろいろと書かれていくわけですけれども
哲学風エッセイって自分でおっしゃるじゃないですか。
そうですね。哲学風エッセイ。
会社の哲学というタイトルに
ありつつも哲学風エッセイという形で
ご自分でおっしゃっていつつ
その上でどちらかというとエッセイというよりも
少し人文書っぽいというか
文献を引いてきてそれに対してコメントを入れつつ
論を展開していくというようなところがあって
軽めのエッセイとして見るには
重たい感じというのもありました。
18:01
それを感じたんですよね。
それはちょっと意識したところでありますね。
とはいえあれですよね。
人文書として読むと軽いというか素人臭いみたいなところがある。
そうですね。
ちょっと失礼ながら思いました。
中間というか
半端さみたいなものを狙いたかったというところがある。
そうなんですね。
もともと人文書を書きたかったというわけで
書きたいっちゃ書きたいんですけど
それはちょっと難しいかなというところも
自分では思っていて
とはいえ
それこそ会社員哲学というタイトルにしていますけど
哲学思想っぽいタイトルで
ワクワクして手に取ったら
軽めのエッセイだったみたいなことって結構あるじゃないですか。
本で。ありますね。
あれ結構がっかりするんですよ。
グッズからがっつりと
一から積み上げていくみたいな
堅実な本なのかなと思って読み始めたら結構論理の飛躍も多いような
エッセイとして軽めの読み物として読めるみたいな本が
だったんだなみたいな
そういうのがあんまり好きくなくてですね。
一応哲学というタイトルをつけるからには
ある程度の硬派さみたいなものは担保してあげたいなというのは
意識していましたね。
とはいえ僕はやっぱり素人なので
後輩に書こうと思ったってやっぱり難波なんですよ。
どうやったって軽さというか
足腰の弱さみたいなのが出てきていますし
哲学というには基礎付けが足りないというかね。
概念というものを
いつからもう一回積み上げていって作り出すみたいなところの
根気の弱さというか足腰の強さはあんまりないなというのを
自分で考えているので
それこそさっき賭けなしさんがおっしゃっていただいたように
エッセイとして読むにはちょっと重いんですけど
そこをちょっとしょうがないから
目指してっていうよりは
そうとしては書けなかったという感じではあるんですよね。
そうなんですね。
僕としては結構人文書もエッセイも好んで読んだりするので
確かにあんまりないというかね。
どっちとも取れるような
ところにある。
読み口としては案外変な本だなというのは思いました。
ありがとうございます。
学生時代に演劇やってたんですけど
そうなんですね。僕も演劇やってました。
わかるかもしれないですけど
僕地方から出てきて学生の時に演劇始めてってなると
最初に真面目に見る演劇って
学生演劇だったりするんですよ。
それはわかる気がしますね。
学生演劇から入って
本格的なというかね
芸劇とかでやってるような芝居を見るようになっていくみたいな
21:01
そういうのも全然あるなというふうに
実感として思ってるんですよ。
それすごいわかる気がしますね。
僕もやっぱり地元でもね
劇団式とか大きいところは見てはいたんですけど
あんまり面白さをわかるところまでは見てなかった。
その感じってすごいわかる感じがして
やっぱり最初見るのが友達とか先輩の芝居だったみたいなところで
それはだからもちろん技術的にも伝わらなかったりとか
そんなにクオリティとして高いわけではないかもしれないんだけれども
真面目に見てみる。
それを自分ごととして見てみるみたいなことをやるには
そのくらいの素人っぽいもののほうが
結構わかったりするところってあるんじゃないかな
というふうに思っていて
その上でその延長線上にすごいものっていうのがあるんだなみたいなことを
わかればいいかなみたいなふうに思ってたんですよ。
ちょっとおこがましいですけど
何かの入り口になったらいいなと
いう意識はなくはなかったわけですよ。
なんかやっぱりね、なんて言うんでしょうね
すいませんね、僕ばっかり喋っちゃって
全然大丈夫ですよ、今日ゲストなんで。
じゃあちょっと喋らせてもらうと
なんて言うんですかね、こう
あれなんですよ、すごいものって
すごくないものを知らないと
すごさがわかんないみたいなところがあるじゃないですか。
わかるようなわかるような
じゃあもうちょっと話
おいしいものっておいしくないものを食べないと
おいしいんだなってわかんないみたいなところがありません?
ちょっとわかってきましたね、そういうことですね。
ほぼ水飴じゃんみたいな
あんこばっかり食べていても
それはそういうもんかって思ったりするんですけど
本当においしいあんこを食べると
これまで食べてたあんこってあんこじゃなかったんだみたいになるみたいな
その逆というかね、ずっといいあんこだけ食べてたら
いいあんこがいいあんこであるってことはわかんないと思うんですよ
そこで水飴みたいなベタベタしたあんこを食べることで
これまで食べてたあんこってめっちゃすごかったんじゃないかって気づくみたいな
逆にわかんなくなってきましたけど
とりあえずそんな感じで
この会社の哲学っていう本の素人臭さっていうものから
でもこうやっていろいろと
こうやって考えていくのって楽しいかもとか
人文書みたいな、ここで引用されてるような本を
読んでもいいかもみたいな形で読んでみたら
なんだ書きながらやってたことって全然大したことなかったんだなというか
なんか草野球レベルのところから
自分たちでいろいろとボールを追いかける楽しさを
知って、ちょっとしたプレイヤーの手つきみたいなものの
本当に本当の本当の
最初の部分みたいなものをちょっと知ってるだけで
すごい人たちのプレイのすごさがわかって
そのプレイを楽しめるようになるみたいな
そういうところがあるんじゃないかっていう気がしていたので
そういうところがあったらいいなっていう気はすごいしていて
なんかなんか半端なところにあるっていうのは
24:02
実はすごい大事なことというか
半端なものがちょっと足りてないんじゃないかなっていう気がね
ちょっと書きながらしてたんですよね
あーなるほど、あーなるほど、あー面白いですね
そうか、だから本当に今だとジャンルとして
人文書みたいなものとエッセイみたいなものとって感じで
綺麗に分かれてる気がしちゃうけれども
実はジャンルみたいなものも結局勝手に
やっぱりそういう形で
自分たちでね
そのジャンルを越境するようなところというか
端渡ししていくようなものっていうのを作ってみるというのは
一つありかもしれないし
そこでそうやって作ってみるものっていうのは
確かに少し言い方悪いですけど半端なものに見えてきたりもするっていう
それをあえて引き受けているってことですよね
まさにそうですね、本当にそういうことで
そういうことをちょっと考えながら書いていた本かなという風に
面白いです
やっぱりご自分としては本当に
でもあれですよ、もともと
最初からそういう半端なところを目指すぞっていう風に
書いていたというよりもそうとして書けないっていうのがあれなんで
これは本当にもう書き終わった後になったら何だって言えるっていう感じなんですけど
でも結果的にそれはそれで良かったかなとはやっぱり思ってますね
なるほどなるほど
面白いですね
この本の中に出てくる書かれている内容って
リンクしているというか
すごい素人であることを途中でエックスキューズを入れるような
ところも多いじゃないですか、本当にそうですね
僕間違ったことしか言ってないかもしれないですから
そこの間違っててもいいかひとまず言ってみるっていう
そこの態度表明ってすごい大事だっていうことが
序文からもずっと書かれているわけなので
そういった話は今の話にもすごい通じるところがあるなと思いながら
聞いてましたね
ありがとうございますね
そうですね
扱っている本が結構難しかったりもするので
結構感想で難しかったみたいなこと言われると
一番悔しい感想なんですよね
素人臭く書いているので
楽しそうだなっていう風になって
難しい本を読んでみる
案外それで読めちゃうみたいな
そこに持ってきたかったんですけど
この本自体がすでに難しいと言われちゃうと
難しいことを簡単に言うのって
一番基礎がいることじゃないですか
僕別にそんなに基礎があるわけではないので
難しいことはやっぱり難しくしか言えないですし
それを本当に簡単に言えるのは
とことんまだその難しいことを突き詰めた人だけで
そういう基礎もないのに難しいことを簡単に言うっていうのは
やっぱりちょっとバカなんですよね
ちょっとあんまり言葉が強いですけど
やっぱりそういう
そこには行きたくなかったというか
僕自身がそんなにちゃんと全てを
27:02
地肉にできているという実感がないからこそ
ちょっと安易簡単にしてはいけないというか
簡単に要するはこういうことだよっていう風に
言い切ってしまうみたいなことは
避けたかったっていうのはちょっとあるんですよね
だから難しかったとしたら
単純に僕の頭の良さが全然足りてなかったってことではあるんですけど
でもそういうことですね
まあまあとはいえ
わからないことはない
ちょっと人にもよりますけど
あとやっぱり難しいっていうのは
知らない語彙とかね
自分が考えてもいなかったら書かれたときに
一旦難しいって言っておくと安心して思考停止できるみたいなところもありますよね
なんかちょっと急に厳しい感じになりましたけど
言いたいことはわかりますよね
この本のおっしゃってることで話の内容にいくと
会社員の哲学というタイトルではあるんですけど
会社員じゃない人にも読んでいただきたいような本にもなってますよね
そうですよね
結局この本の
一口で言えるんだったらそれは別に本にしないで一口で言ってるよって話ではあるんですけど
雇われてるか雇われてないかみたいなところで
何か線引きをしたかったっていうわけでは全然ない本
そうですよね
それこそマークフィッシャーの作った言葉で
資本主義リアリズムっていう言葉ありますけど
要するに資本主義の外部っていうのはもうないんだと
全部資本主義的な価値観に全て乗っ取られてしまっていて
もうそこの外はないんだっていうのは
大変暗い本なんですけど
とはいえね
この本の中で言いたかったら
結論として資本主義リアリズムの
資本主義の外部っていうものがないんだって
言うのは言えないんですよ
あるんだとは言えないんですけど
やっぱり外部はないんですよ
どうしても資本主義っていうものは無視はできないと
それはしょうがない
しょうがないとしようと
とはいえリアルっていうものは別に
単数系ではないだろうとも思うわけですよ
リアルというものを複数化していこうという話ですよね
もうちょっと真面目に
言いますと資本主義リアリズムって資本主義の外部がないっていうのは
すごい簡単に言ってしまえばお金がないと生きていかれないっていう話なわけですよ
お金がないと生きていかれないとは言いつつも
そのリアリティは一番強くある
これだからそれはもう
なかなか個人のレベルで乗り越えることはできない
だけどその上で
いやでもお金が全てじゃないよねっていうこともできるはずだということを
言いたかったんですよ
だから資本主義の外はないかもしれない
資本主義だけが現実ではないというか
複数の現実というものはあり得て
お金というものだけが
30:02
お金というもので判断するような
世界観というか側面もあれば
そうではない世界観もあるという形で
いろんな複数の世界観を
持っていけばいいんちゃうかということを
この本の中で言っていきたかったわけですよ
とはいえやっぱりその資本主義の外部がないということは
お金が全てではないということを言うためにも
ある程度お金が必要だというのはやっぱりそうなんですよ
それはそうなんですよね
非常に苦しいところでありますけど
ひとまず今を生きなければいけないという
中で考えていくと
お金のこと
僕すごいお金嫌いなんですけど
お金のことを考えたくないお金以外の価値観があると
言い続けていたいというふうに思っていくと
そういうことになっていくわけです
僕はそのお金を自分の実像をかけた形で
稼ぎたくなかったなぜならお金でない価値観で
生きていきたいからなんですよ
基本的に自分の実像をかけないところで
お金というものを獲得して
そこで獲得した余裕によって
イケシャーシャーとお金じゃない価値観があると
お金が全てではないということを言うというのが
僕の中で一番のバランスだったというか
僕の通廷する気分ではあるんですね
なるほど
すごいおっしゃってることはすごいわかりますね
僕も結局このポッドキャストをやったりしながら
このポッドキャストポエティックラジオの
テーマって
世の中の大したことないものの総量を増やすというテーマで
そうですよねやられてますよね
無駄なゴミを世の中に増やしていきたいと
でもそれはだから
そういうものの外側というか
資本主義的な単一の監禁できるような
何か数値化できるような価値だったり
その尺度ではどうにもならない
どうにもないものとしかできないようなものを
いかにして確保し続けるかということをずっと考えていて
やっぱりそれをやるためには
例えばこのポッドキャストでどれだけの人が聞いてくれててとか
それによってマネタイズがどうこうみたいなことを
考えないで済むというのはすごい大事なことで
分かっているとできないことなんですよ
すごいそうなんですよまさにその通りですね
すごいそういうことを考えてました
そこがすごい僕とかけないさんと共通するところなのかな
というのはちょっと今お話しながら感じましたね
なるほどね面白いですね
僕も今面白いですね
お話ししているとやっぱり発見があるというかね
やっぱり僕もかけないさんとやりたいことというか
似てるんだと思いますね
そうですねやっぱり自分がやりたいことというか
自分がかけられるようなものというのは
お金になりそうにないからこそお金とはちょっとこう
33:02
切り分けて考えるみたいなことをやっぱりやっているのかな
という気がしますね
なんか一緒にしたのも失礼かもしれない
全然もう本当にすごいそれはそう思いましたね
なるほど面白いですね
ありがとうございます
ちょっとそうですね
お便り来てるのでお便り紹介したいなと
お便り来てるんですね
お便りご紹介します
ラジオネームかけないしょうごさんからのお便りです
なんかその人知ってますよ聞いたことある名前
僕もなんか聞いたことある気がします
とりあえず読みますね
ゲストのかけないさんスタッフの皆様こんにちは
いつも楽しく聞いておりますありがとうございます
いつも楽しく聞いておりますありがとうございます
私も沈労度に従事しつつ本を読んだり書いたりしているので
我がことのように励まされることが多いです
とはいえ私は体力も気力も貧相ですぐにくたびれて
動けなかったり頭が働かなかったりして
気持ちの上では読みたいぞ書きたいぞと思っているのに
何もできずただただ焦るようなことがよくあります
そこで質問なのですがかけないさんは体力も記録もないのに
何かしたくてそわそわ落ち着かないときどのように過ごしますか
というかけないしょうごさんからのお便りです
ありがとうございます
わかりますね
僕もそうなんですよ
常に気持ちの上では何か読んでたり書いてたりしたい
みたいな気持ちはあるんですけど
やっぱり仕事から帰ってきたりすると
何にも考えたくないし何にも動きたくないみたいな
布団の上で動けなくなるみたいなこと結構ありますよね
そうじゃない人いないんじゃないかぐらい読みますよね
少なくとも今かけないさんとね
あとかけないさんもですよね
中ではみんなそうなんじゃないかなって気がしますけどね
だから諦めるっていう
諦めちゃうんですか
せっかくこうやってお便りいただいてますから
一番いいのは諦めて寝ちゃうんなんですけど
とはいえそれでも何か落ち着かないみたいなときには
僕は全部やっちゃう
全部やっちゃうどういうことでしょう
サブレットで映画を見るんですよ
タブレットでホラー映画を見ながら
中回をしながら
もう片方の手で本をめくりながら
片方の耳にイヤホンをつかんで音楽を聞くってことをするんです
全部やっちゃうんです
タブレットで映画を見ながら音楽を聞きながら本を読みながら
ゲームをするんです
こういうことしてると絶対全部はできないんですよ
全部できないんですけど
1個その日の体調のモードでこれだけはできるみたいなのが出てくるんですよね
戦わせるんです一気に
同時進行で全ての行為をワーッとやることで
今の自分のコンディションにどれが最適かっていうのが
36:01
おのずと分かってくるっていう作戦なんです
なるほど
例えばそこで途中でね
俺映画邪魔だなと
本読みたくなってきたなと思ったら映画止めちゃえばいいんですよ
今本全然読めないけどこの映画面白そうだなと思ったら
最終的にどれか一つの行為に修練されていけばいいっていう
そういう考え方なんですけど
ちょっとあんまり人が真似できるかどうかちょっと分かんないところで
でも結構なんかやったらいいんじゃないですかね
そうなんですよ
可能性として全部できちゃう可能性もありますけど
全部できちゃう人がもしいるんだったらね
全然それでおんのじな感じもありますし
1個だけだったらその1個に楽しめたっていうことで
よかったなっていう話なので
1つ何かおすすめかもしれないですね
ありがとうございます
かなり難易度が高めのあれかもしれませんけども
もしこれ聞いてくださっていたら
ちょっと試してみたらいかがかしらと
いうところではありますね
ありがとうございます
というわけでね
面白いですよね
かけないさんそういった変ですよね
自覚はあんまり
正直ありますけれどもね
自信と言いますか
変でも大丈夫みたいなのってどういう感じで
培われていったものなんですかね
培われては特にいってはいないかもしれないですね
こうとしかできないみたいなところがありますからね
これあれなんですよ
この録音する前にかけないさんと話してたことですけど
自意識ものが嫌いだみたいな話してたじゃないですか
ちょっとしましたね
自意識を主題としたような
作品があんまり好きじゃないと
ドラマとか漫画とか何でもっていう話を
かけないさんとしてたんですけど
あれを話しながらちょっと思ってたんですけどね
自意識が嫌いなわけじゃないかもしれないなって思ったんですよ
なるほど
僕もね結構この前
弟のGOGOさんと会う機会がありまして
GOGOさんとも自意識があんまり好きじゃないかも
みたいな話をしてたんですけど
GOGOさんは逆に僕はそれにしか興味ないわみたいなことを
言ってたんですよ
そんなことを言いながらいろいろと
本を読んでたりもしてるみたいなんですけど
僕もよくよく考えると
自意識にしか興味ないかもなとも思うわけですよ
僕今すごい興味持っているのは
近代的自我っていうものがどのような形で
やっぱり近代的自我って要するに
私ってことじゃないですか
それって要するに自意識ってことでもあるんですよね
そういう意味で
39:01
私とか自我みたいなものに関わっていく
それは本当に自分の思想の基礎と言いますか
文学も含め
何かものを書いて
テキストを読んでそれと格闘して
それに対して何か制作していくっていう態度の中で
他ないようなテーマではあるなと思うので
最終的にそれに行き着くっていうのは
その通りかもしれないなと思っていて
そうなってくると自意識の嫌いさって
結局何だったんだろうと思ったら
漫画とかアニメにおける自意識過剰さというか
実は自意識の話にたどり着いてないんじゃないかと
思ったんですよね
なるほどそれは確かにちょっとわかる気がしますね
自意識のつもりで社会通電を語っちゃってるんですよね
そういうところで
自意識っていうものは
本当は突き詰めて考えていくと
本当に私とは何なのかとか
今自分の自意識
自分が自分であるという自己認識というものが
どういう形であり得ているのかっていうような
それはいつかどこかしらでボケたり死んだりすれば
既存していくというか消えてしまうものなわけですけど
今ここに確かにあるとしか言えない
自意識過剰っていうのはすごい大事な話なわけですよ
本来は
でもやっぱり自意識過剰な
自分の自意識を乗り越えていくみたいな話って
結局それって社会通電で乗り越えているだけにすぎないというか
こうでなきゃいけないとか
こういう風でないと持てないとか
こういう風にお金を持っていないといってもないみたいな
そういう話になってしまうというか
自意識乗り越えた先に何があるかというと
人間に屈するということにしかならないみたいなところが
僕はそれが嫌だなという風に思っているんですよ
それすごい分かりますね
だからやっぱり他人のことをある意味知らないでもいいというかね
今の自分の問題系というものを大事に持っておくというのが
すごい大事なことかなというのがすごい思いますよ僕も
今もね自他の区別という話で言うと
すでに今どっちのターンか分からなくなっているんですよ
今これポイエティックラジオとしての僕だったか
会社員の哲学としての僕だったかというのはね
もうすでにちょっとやりとりの中でどんどんどんどん
合間になってきておりますけれども
ちょっとそのような形で
限界が来たということでしょうか
今日もこれも毎回のおなじみで一発撮りで
編集なしでやっていますので
僕の脳みそがパンクしたらそこでおしまいということで
決めてやっておりましたがどうでした?
会社員の哲学の宣伝ということでやらせていただいたんですけれども
42:01
本体のほうのキャパオーバーで
途中でからはね
ただの独り語になってきたところがあったりもしたんですけど
ちゃんとこれ宣伝としてできましたかね
大丈夫だと思いますよ
会社員の哲学という本を作りまして
これは本当に
いいですか最後にぜひお願いします
最後に宣伝させていただくと
ジンでいろんな書店さんで買えるように
いろいろ動いておりまして
そろそろ北は北海道南は沖縄まで
広く買えるようになっていく本になる予定というか
そういうふうに今納品も頑張っておりますが
このゴールデンウィーク明けのこのポッドキャストで
いきなりこんな一人でずっとしゃべり続けてるっていう
異様なポッドキャストをここまで聞いてくださった方は
やっぱり休み明けっていうのは人はおかしくなっていくんだな
というところがちょっと分かってきたかな
伝わったかなというところもあるんですけれども
やっぱり連休明けってどうしてもなんでこんな働かなきゃいけないんだっけとか
仕事ってなんなんだっけみたいなことを
割と考える時期なのかなっていうのもあるし
このままでいいんだっけとかね
いろんなことを考えられると思うんですよ
それは別にその会社員に限らず事業の方もみんなそうだと思うんですけど
そういう何なんだっけ働くってとか
働けば働くことをどんどん逆に
世の中のことをよく分かんなくなっていくなとか
あと何なんだマジでこの世の中今どうなってんだみたいなところとかね
そういう大人になってというか
自分で生活を立てていかざるを得ない状況になってからの
人たちがいろいろ考えることってあると思っていて
なんで働かなきゃいけないんだっけとか
何なんだっけ会社ってとか
この社会って何なんだっけとかね
より良い社会にしていくためにはどうすればいいんだっけとか
そういうような話っていうのを
すごい一つ一個人としてのスケールで
いろいろ考えてみたっていう本になっております
一つこの本の中で象徴的なところというかではいうと
会社員の人って極端だと思うんですよ
全然仕事したことないんだろうなというか
全然社会と渡り合ったことないんだろうなみたいな
すごい理想論だけぶち上げて
それはそうなんだけど
理屈としてはそうなんだけど
なかなか現実とは動かないよなみたいな
空論を繰り返す
全然体重の乗っていない言葉を繰り返すだけになっちゃうか
あるいは現実は何か
あるいは現実はそんなもんじゃないみたいなね
したり顔で結局現状維持のずるさというか
全然もっと良くしていこうみたいな意欲を感じられないような
なんかそういうせせこましいずるさみたいなところに
ちっちゃくなっていっちゃうか
すごい大きすぎる話をするか
すごいちっちゃいところでまとまっているかみたいなところしか
45:02
言説としてないような感じが僕は個人として感じていて
そうではないその間にある言葉
小さすぎもしないし大きすぎもしない
塩梅の言葉というのは
どうやったら吐くことができるだろうか
ということを考えながら書いた本でもありますので
何か本当にこう
勤めている勤めていないに関わらずですね
何かその今この個人としてこの社会の中で生きていくって
どういうことなんだっけなみたいなことを考えている人には
何かしらこう
考えの種となるような本になっているんじゃないかな
というふうに思いますので
ぜひこの会社の哲学という本を
どこかでお手に取っていただけたらなというふうに思っております
全国の書店さんの各オンラインストアでも
買っていただけますし
5月21日日曜日に
流通センターである
文学フリマ東京という
イベントでも
販売しますので
よかったらそこでちょっと買っていただいたり
何かもうすでに買ってくれたよって方は
ぜひブースには書き内容もまた書き内容もいますので
どうだったよみたいなところに
一言伝えてくれるだけでも
大変励みになりますので
よかったら会いに来てくださいと
よかったら買ってください
今回文振りとか書店の方とかも
結構いらっしゃると思うんですけど
その場で卸で販売することも可能ですので
4冊からですね
その場で卸値で販売して
そのまま持って帰っていただいて
ということも全然できるように
したいと思っておりますので
何かそういうのがあったら
大歓迎でございますので
5月21日日曜日は文学振りまで
皆さんお会いしましょうというところと
あと関西の皆様に関しては
6月10日に天皇寺のスタンダードブックストアさんで
この会社の哲学情報版を巡って
ライターの鈴木直さんと
トークイベントも決まっておりますので
よろしかったらそちらもチェックして
見ていただきたいなというふうに思っております
鈴木直さんとのものに関しては
この会社のトークイベントは
6月10日に天皇寺のスタンダードブックストアさんで
この会社の哲学情報版を巡って
ライターの鈴木直さんと
トークイベントも決まっておりますので
また場を改めてしっかりと
お話をできたらと思っております
ありがとうございます
すごいまとまっていて
やっぱり小口って一番難しくて
難しいですよね
でも本当に今日色々お話できて良かったです
そうですね
本当にまだ全然色々お話したいことは
あるんですけれども
本体の方の頭がパンクし始めている
ということだったので
一旦この辺りで今回は締めていただいて
是非またどこかのタイミングで
お話をしていただければと思います
はい
では本日はありがとうございました
こちらこそありがとうございました
というわけで
APOIATIC RADIO
お相手は私、関内聖子と
関内聖子でした
どうもありがとうございました
ありがとうございました
47:45

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