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はい、こんにちは、ポイエティークRADIOです。お相手は、私、柿内正午と奥さんです。どうぞよろしくお願いします。
ということで、今日はもう早速本題に入るよ。
2023年、ベイブの話している人が少なすぎる問題について、です。
切り口そこなの?
知っていますか、ベイブってみなさん。あれ結局何年だっけ?95年だっけ?
95年の大傑作映画、ベイブ。および、その3、4年後ぐらいかな?に撮られた、見る記載みたいな。
ベイブ都会へ行く、という2作の映画がありますが。
特にこの1作目のベイブっていうのは、人類がこれまで作ってきた作品の中で、一番面白いんじゃないかっていうね、疑惑がね、僕の中で大分大きなものになっているんですよ。
というわけで今日は、映画ベイブの話をね、しようと思うよ。やったね。
どうぞ。
ベイブ、あなたもね、僕がなんか急にベイブだって言うから、中は無理やりね、1作目のベイブを一緒に見て。
2作目も今日あなたは作業用BGM代わりに見てくれたということでしたが。
だからあなたもベイブを見た側の人間ですけど、ちょっとね、もしかしたらベイブ見てない人がね、地球上に増えてきてるんじゃないかっていうさ。
私も昨日までそういう人間だったから。
僕は一応なんか、まだVHSの時代だよね。子供の頃に多分、あれ?どうしたんだ?何で見たのかわからないけど。
うちにソフトがそもそもあったのか、何かでやってたのか、録画したのかわからないけど、とにかくベイブのね、何回か見てるんだよ、子供の頃。
03:02
何かすげえ面白かったっていう記憶だけは残ってて。
でも子供の頃のさ、すげえ面白かったって今見ると何かちょっと変わったりするじゃん。みたいなのもあったんだけど、何かベイブが見たくなったんや。
何かベイブ見てえなって思って見たわけですけど。
あのね、ヤングジャンプで今セーフセックスっていう漫画が連載中ですけど。
あれでちょうどそのね、主人公の2人がセックス以外のことを一緒にするみたいな話のきっかけが、何かブタのね、でもそれはね、何かチェンスを持ったブタか何かの、ブタが人をそういう関わる、ホラー映画が男の子の方が好きで、
それ見たことないから私も見てみたいみたいな話なんだけど、何かね、とりあえずね、それでね、急にね、ブタと映画といえばベイブだなみたいなことを、
ふと思い出したっていうのが多分一番直接的な原因なんですけど。
とにかくね、ベイブを見てさ、めっちゃ面白かったんですよ。
でちょっとどう面白かったかっていうのを、何かうまく説明できる気がしない。
だから、今から、いちからベイブの話するね。
いちからベイブの話する。
じゃあちょっとネタバレになっちゃうけども、いちからベイブの話をするので、
途中で何かちょっと見たいかもって思ったら、もう今すぐこのポッドキャストを止めて、ベイブを見てくださいっていう趣旨の回にしようと思うよ。
ベイブってブタなのね。
でそのブタを主人公にした映画で、95年時点でのSVFX的に言ったら大パーツみたいな作品だから、
それこそジュラシックパークの初期のところみたいな、アニマトリクスに何かあるじゃん。
動く動物の、機械じっかけの動物みたいなのを作ってたり駆使したりとか、
あとそもそも小豚のベイブ役の、本物の小豚が48頭だか50頭弱いて、
本当にブタが、本物のブタを使って撮影しながら、
口元だけCGで後で口パク?リップシンク的なことをしてたりとか、
そういうような楽しい動物物だよっていうのとか撮影秘話みたいなものは色々あるんですけど、
ちょっともうね、そういう話はないんだよ。ベイブ2の朝。
ということで、ちょっとベイブの話をします。
06:04
まず、ユニバーサル映画なので、古き良き地球がピカーって光って、
ズンズクズンズクズンズクズンって、ユニバーサルっていうロゴが地球を取り巻く、
そこから始まるんですよ、映画は。
2だとさ、新しいやつになってるよね。
そう、2だと新しいのになってる。
見慣れてるやつ。
見慣れてるさ、パラパーのやつになってる。
すっごい久しぶりに昔のユニバーサル。
昔のやつはね、またちょっと趣が違いますから、
あ、昔のユニバーサルの映画だなって、まずここでテンションが上がるポイントですね。
そこから赤い壁の異質が、タイトルがドーンって出た後に映し出されるんだよ。
そこには豚の絵が描けられてるっていうところから始まっていくわけですけど、
そこからカメラが下手から上手にどんどんパンしていくわけ。
横にずっと壁沿いを舐めていく。
そうすると様々な豚のオブジェが壁にかけられている赤い壁の部屋の中をカメラがずっと下手から上手に移動していくんだけど、
その中で基本的にそこに置いてあるのはオブジェだから、スティルライフの意味の生物なわけだよ。
なんだけど、それがカメラが向かうとちょっとだけ動く。
置物の豚の手足がちょこちょこって動いたりとか、描けられている絵の中のアニメーションで動いたりする。
もうここから楽しいじゃん。
もうここから楽しくない?
しかけ絵本みたいな感じで続いていく。
もうそこですでにこちらとしては楽しいじゃんってなっていって、
そこからバーッと行くと白黒の小豚の寝顔の写真が最後にかけられているところに映っていく。
そこにカメラがずっと、それまで横移動していなかったカメラがずっと壁にかけられた白黒の写真に向かってズームインしていくと、
その白黒の写真が色づいていって、豚の肌の一色の画面に映っていって、
そこからスヤスヤ眠っている豚からだんだんお母さんのおっぱいを吸いに行く豚たちの絵と切り替わっていくというオープニングなわけですよ。
この調子で話していくとベイブーの上演時間より長くなるんじゃないかと思うんですけど、
そういうところから始まっていくと、ベイブーめっちゃ面白いよねっていうのはここからすでに面白いでしょ。
09:03
もうちょっとね、わかんないけど。
基本的に豚の色っていうのはわりと明るい色なわけですよ。
ピンク、ややかなり白に近いピンク、桃色の肌で子供たちがおっぱいに向かって行くんだけど、
そこでナレーションが入るわけ。
豚というのは同じ種族内以外では特に尊敬を集めないような存在なのだ、みたいなことがナレーションでかかっていく。
そこにそもそも子供たちがバカなんだよ。
一つの乳首に3匹ぐらい群がってるみたいな、折り重なってるみたいなところで始まっていくわけ。
その隣空いてるのに、みたいなところで、もうすでに確かにドン臭い赤ん坊の豚たちみたいなのが可愛らしく描かれている中で、
ナレーションが入る冷酷にも豚というのは愚かな存在である、みたいなことを言うわけですよ。
そこでこう、だんだん豚たちの授乳シーンからまたカメラが移動していくと、
そこがすごい近代化された、養豚工場の非常にライトアップされた牢屋の中以外は暗い、必要最低限の照明しかないような、
天井の高い、暗い寒い色調の寒色の工場の中に大量の豚たちがずらっとケージの中に並んでいるっていうシーンへと移行していくわけですよ。
で、ここに奥側から、この天井も高くてずらーっと並んでいるこのケージの奥側からの扉がギーって開くわけ。
それまで黒と木色との対照だけしかなかったところに、寒色で青っぽい光が外側からファーって射してくるわけ。
で、そうするとそこにまたナレーションが入って、豚たちは大人になって十分に太ると、豚たちの楽園に行くことになっていったと。
で、その楽園に行って戻ってきた人はいない。
つまりそれだけ養豚の楽園というのは素晴らしいところであって、豚たちはそこの楽園に行く日のことを心待ちにしているんだっていうわけですよ。
でもその時点でこちらとしては楽園という言葉の扉が開いた先がブルーの寒色であるという時点で、
ろくなものではないということが予知されているわけじゃないですか。
そもそももう養豚工場があるという時点で全ては明らかなんですが、
そこに電気の棒を持った人間たちが、これまた顔が映らないんで首から下だけの手元でバチバチって電気をやると、
12:00
それまでずっと巡入していた母豚がビクッと立ち上がってそのまま檻の外へとドロドロ出ていくと。
それでどんどん列をなして豚たちがゾロゾロと歩いてきながら、
この青い光からガーッと現れてきたトラックの荷台に自らどんどん乗り込んでいく。
彼らは楽園に行くんだみたいなナレーションの下、
トラックの扉がバタンと閉まってそのトラックがスーッと青い光の中に消えていくわけだよ。
それを見て子どもたちは親との別離みたいなところで何か思うかと思いきや、
天井からおもむろにジュニューマシーみたいなのがギュルギュルって落ちてきて、
そこに何のためらいもなく食いついていく。
またご飯を食べて過ごしていくっていうようなところで、
非常にディストピアSF地味なオープニングから始まるわけです。
ここの工場の暗いこの青い光、そこに入ってくるトラック、停車するときの赤と黄色のテールランプの色味が
非常にディストピアSFっぽいし宇宙っぽいじゃん。
そこですごいかっこいいんだよ絵が。
そんな中、主人公であるベイブだけが檻の外に向けて目線を持っていきながら、
ジュニューマシーンには目もくれずにさよならってママに対してお別れを告げるっていうシーンから始まっていくわけで。
そこでちょっと母との別離を惜しんでいる感のような物悲しそうなベイブがその様子だったからだろうかっていうことを言いながらも、
結局たまたまの偶然でそのベイブは謎の人間に袋詰めにされて外に出されるわけで、
まだ小豚の段階で、つまりまだ食料としての価値がない段階で、どこかに連れ去られていくんだよね。
そこまでは非常に黒と青を基調とした暗い世界なんだけど、
そこでベイブがどこかに連れ去られていきましたってなった後に、そのままいきなり画面がパッと華やかになって、
森の緑に囲まれた平地になったようなところに赤色の観覧車とかメリーゴーランドみたいな、即席のサーカスのような遊園地のようなのができているみたいな、
お祭りがなされているみたいなシーンが上から眺められていって、そこに楽しそうな人たちの様子が映し出されるわけだよ。
見たほうが早くない?もう眠くなっちゃうんだけど。
すごいめっちゃ覚えてるなって。
15:01
そのテントの中からおばさまが出てくるわけで、おばさまたちはおばさま連中でみんなでワイワイ騒いでて、
今年のジャムコンテストであなたが優勝できてさすがねみたいな。
いやでも今年はたまたま運が良かっただけなのよ。でもやっぱり水道水じゃなくて井戸水を使うのがポイントねみたいな話をしながらワーッと出てきて、
それに付き合ってたであろうおじさんがブスッとした顔で歩いていると、
ふっと見るとチャリティーの企画で豚の体重当てコンテストが始まった。
箱の中にはさっき工場から連れて来られたベイブがいるんだけど、それを人々が持ち上げてね。
持ち上げてどのくらいの体重かっていうのを当てた人にその豚をあげるよみたいな。
別に豚はいらないよっておじさんは言うんだけど、でもほらクリスマスのごちそうとかに丸焼けとかにしたら楽しいよみたいな話をされて、
当てるかみたいな感じでそこでバチッとおじさんとベイブとの目があって、何か運命を感じたのか感じてないのかみたいなシーンがありつつね、
おじさんが大体このくらいかなみたいなことを言いかけるとベイブがおしっこするんだよ。
ベイブがおしっこしてアチャーってなってるんだけど、それで微妙に修正するんだよね。
過方修正するんだよ体重を。それでこのくらいかなってことを言いながら豚を元に戻して、おじさんはその場を去っていくわけだよ。
みたいなところで、これ以上このスピードで喋ってると2時間かかりそうだからちょっとどうにかしないとなって思ってるんだけど、
とにかくねベイブ、もうここの時点で非常に鮮やかなの。
始めは赤い壁の室内、屋内のオブジェを通っていくってところが割と屋内の照明、暗めのところから始まっていく。
その暗めのところから始まっていって豚のカラーに切り替わっていって一瞬そのまま屋内の素朴な温かさみたいなところでの色調に合わせていくのかと思いきや、
そこから檻の外に出た瞬間にものすごい寒々しい景色が広がっているわけ。
その寒々しい景色の中で不穏な感じで吊らされていったベイブがその次のシーンでは非常に淡色に溢れた世界の中に晒されている。
この色調の対比というかこの切り替えがそもそも目に楽しい。
おじさんの後に退場してゲームをする参加者が黒帽をかぶっている。
明らかにそこで他の人たちはマジでこの豚のことを食べ物としか思っていないっていうようなところがはっきりと打ち出されるわけ。
そこからその次のシーンでもそれこそおばさまはウキウキして豚が当たったらどうしようかなみたいな。
18:03
まずソーセージにしてベーコンにして余すところなく全部使えちゃうみたいな話をしてすごいウキウキしながら自分が獲得したジャムのトロフィーとかを飾ったりしているわけだけれども
本当にね、こう電話が農場のお家に帰ってきた時に電話が鳴っておじさんのところに豚が当たったよっていう電話が来るわけ。
ちょっとさすがにはしょっていくけれども、そうするとおばちゃんはすごい嬉しそうにどんどんご飯をベイブにあげて
非常にいいから太って丸々と太って美味しい豚になるのよみたいなことを言いながらどんどん太らせていこうとするわけだよ。
おじさんとおばさんは農場を経営していて、その農場がまたいいロケーションなんだよ。
丘のふもとにあるのね。基本的に車が丘の下に下っていくと、下っていった先にわらぶきの家畜小屋とレンガ作りのかわいらしいお家が建っているロケーションなんですけど
そこにすごいいろんな動物がいるの。牛もいれば馬もいれば羊もいれば犬もいる。アヒルもいる。カモもいるみたいな感じですごいいろんな動物がいるの。
ベイブの世界では人間以外の動物たちはコミュニケーションが取れるので喋れるんだよ。
だから来たときには犬がなんだお前っていうところで出てくるんだよ。
まず子犬たちが新しい動物が来てあれは何?って言うとお母さんの犬があれは豚だよってグドンな存在で人間に食べられるためにいるやつなんだみたいなことを言って
そうすると子犬たちが僕たちも食べられちゃうの?みたいなことを言うと私たち犬は大丈夫賢いからみたいなすごい非常に先民意識を滲ませるシーンから始まっていくんだけど
結局豚はグドンな豚を笑いに行こうとして母犬と子犬たちはベイブがいる小屋の中に入って行って豚を見るんだけど豚は僕はそんなにノロマじゃないよって言うわけ。
もうその時点で知性がほとばしってるの。
でもそれで僕はそんなノロマじゃないしみたいなことを言いながらお母さんに入りたいみたいな感じでメソメソしてると母犬はちょっとかわいそうになっちゃって
ここに慣れるまでは一緒に寝る?みたいな。子どもたちと一緒に寝ようかみたいな感じでちょっとこだされる。
21:08
結構最初からめっちゃ寄り添ってるよね。
めっちゃ寄り添ってるんだけどそこでねあなたの名前なんていうのって言うんだよ。
これまで便宜上ベイブって呼んでますけどベイブって要するにベイビーなわけじゃん。
だから日本語的に言うと坊やみたいなことなわけだよ。
ベイブはだから名前なんかない。
でもじゃああなたのお父さんは他の兄弟たちと区別するためにあなたのことなんて呼んでたの?って言うと別に全ての兄弟がみんな同じ名前で呼ばれてた。
みんなベイブって呼ばれてたんだっていうところから基本的に動物たちの中ではベイブって呼ばれていくわけだよ。
ベイブっていうのは要するに名無しなわけですよね。
いっぱいあってないみたいなことなわけじゃないですかベイブっていうのは。
動物たちにはずっと坊やベイブって呼ばれるし人間たちはみんなピックとしか呼ばないんだよ。
要するに彼に固有名はない。
最初から取り替えのきく肉、食肉でしかないベイブは。
それはだから犬たちにとってもそうだし人間たちにとってもそうだ。
ピックでありベイブであるっていうのは常に変わらない。
何一つアイデンティティを持たない存在としてこの映画の主人公を据えられているわけですよ。
すごくない?だって坊やっていうタイトルなんだよ。
ただの坊やでしかないベイブっていうのが主人公に据えられているのでその子でわかるわけだよ。
犬たちにはちゃんと名前がある。
なんならアヒルにさえある。
この後出てくるアヒルっていうのも同じように農場の中では食べられることしか脳がないというか他に特に用途がない。
人間に食べられるための存在として楽に押されているんだけども
アヒルにはフェルディナンドだったりロザーナとかちゃんと固有名が与えられているんだよアヒルには。
だけど豚だけはない。
豚は愚かな存在だからっていうので。
そもそも母犬は非常に名前忘れちゃったけど
フライだ。母犬であるフライは最初からベイブを甘やかす。
ベイブを甘やかそうとした瞬間にベイブに寄り添っているフライがベイブの頭に前足を置いて慰めていると
さっと影が刺すのそこに。画面が暗くなる。その時点で何かこの二人の種を超えた何かしら親愛の情みたいなものがあるかもしれないみたいなものに陰りが刺すわけで四角的に。
24:07
そこにいるのがレックスっていうオスの犬でそいつがすごい慣れるまで一緒に寝かすんだみたいなことをフライに対してすごい不運みたいな態度でその場を去っていくわけだよ。
甘やかすなよっていう。
甘やかすなよみたいなことを言いながら去っていくっていうところでね。
その時点で工場の頃のように文字通り名前のないただの職肉として大きくなり屠殺されていくっていうだけだった運命の場所から農場に行った時には農場には農場でまた別の過酷さがあるっていうことが非常に予感されるわけですよ。
実際その通りで農場の中にも非常に序列がある。
さっき言ったように何も役割がないものからは人間の食料になるしか他ないんだよ。
アヒルにフェルディナンドっていうアヒルがいるんだけど彼は農場にいるどのニワトリよりも早く時を告げるの。
これはなぜかというとニワトリは時を告げたり卵を産んだりできる。
そして牛はミルクを出せる。羊は毛をかけて温められるみたいな形でみんな何かしらの役割を持ってるけどアヒルはそれがない。
ないから食べられてしまうんだ。
だから俺がこの場で何か役割を持てば食べられないで済むんだっていう思いで必死の思いで血のにじむような努力を重ねて時を告げるっていうことをスキルを身につけて
俺は無用とじゃないってことを高らかに宣言しているだけだよ。
だけれどもこのフェルディナンドにも過酷な運命が待ち受けていてある日その農場の夫妻は目覚まし時計を用意しちゃうんだよ。
機械化だよね。要するに機械が一つの仕事を奪っていくわけだよ。
せっかくの必死のフェルディナンドの存在意義の訴えっていうものをあっさりと機械に置き換えていってしまうみたいなところで
ちょっと待って。俺本当にダメだ。再現がないから。このままこのペースで行くのは違うな。ちょっと待って。
27:07
ちょっと落ち着こうか。
ちょっと俺はどうしたもんかな。
じゃあ脱線するけど、今の話を聞いてて思ったのは病棟場のシーンと2の保健所って同期させてるよね。
そうだね。本当にその通りですね。
動物映画によく保健所に捕まっちゃった仲間を助けるのはありがちだけど、ありがちでみんなああいう絵になるんだけど、
ベイブに関しては、お母さんを見送るしかなかったベイブが今度は仲間を自分で助けに来るっていうアンサーになってるんだなっていう。
そうなんですよね。
ちょっとだいぶ間を飛び越しちゃってるけど、今の話を聞いて思いました。
ベイブが好きすぎて逐一全てのシーンの話をしたくなっちゃうから、今時系列中に話そうとしすぎているところがあるから、
ちょっと一回どうにかしないといけないなって思うんですが、
とにかくベイブは単純に動物可愛い映画でもなければ、単純に文明批判映画でもないっていうところがポイントなんですよ。
要するに農場っていうのは非常に人為的な場所なわけですよね。
動物を目的のために飼い、目的のために殺したり加工したりするっていう世界なわけです。
だから本質的にはオープニングの養豚場と大きく変わらない世界っていうものが描かれていく話で、
農場の人間達って特にベイブに優しくない。
奥様の方は基本的に食べ物としか思ってないし、最初の頃はね。
おじさんの方はおじさんの方で、別に割とあっさりとベイブのこと殺そうとしたりするわけですよ。
みたいなところもあって、基本的にそんなに人間と豚の絆みたいな話ではない。
動物たちが人間との対比の中で動物たちはみんな連帯してるっていう話ですらないんだよ。
僕が今のところまで割と丁寧に話したのは、それを多少でも知っていただきたいってところもあったんだけれども。
30:00
アヒルは犬にとことん馬鹿にされてるんだよね。
目覚まし時計のまつわるある事件をアヒルのフェルディナントと豚のベイブが引き起こしてしまうわけだけれども、
その後にね、要するにちょっと人間に迷惑をかけるんだよ。
目覚まし時計に仕事を奪われそうになったことに焦ったアヒルが家の中に侵入して目覚まし時計を亡き者にしようとするんだけど、みたいな話が入っている。
そこでさ、動物会議が開かれるんだよ、その事件の後に。
そこでさっき言ったね、レックスっていうゴリゴリのカフチョ的な犬がさ、種族の部をわきまえろって言うんだよ。
すごいよね、あれ。
すごいんだよ。
その前からそもそもあんなに優しかった母犬であるフライが朝ごはん食べに農場の夫妻の家の中に入っていくシーンで、
あ、豚はここまでだからって言って家の中にあげないんだよね。
家の中にあがっているのは犬と猫だけだから。
他の過等な家畜は家の中に入ってダメだからって言うわけ。
そこまでは言ってない。ルールだからごめんなさいねって。
でももう滲み出てるの、そこで。
これも時系列をここから無視して言うけど、このお母さんはね、フライは非常に優しいよ。
思いやれもあるし気遣いもできるいい人ではあるんだけど、ゴリゴリの差別主義者でね。
悪意があるわけじゃないんだよ。本当にね、本当にただ差別心をね、というものに気づいてない。
すごいんだよ。牧羊犬なんだよ、この犬たちは。
羊たちに話しかけるときのね、横暴さは足るよ。
吹き替えだと多少ね、アマチュロくなってるけど、言語で見るとね、よりひどいの。
このバカどもみたいなことを言いながら、
ほぼそういうようなことを言うわけだよ。
だからもうそもそもベイブに対して、子供に対して投げかける小姉と、まるっきり違うわけだよね。
だから全く同じ地平の存在として全く認めてない口の聞き方をするわけですよ。
犬とのね、があって、でもそのルールを破って下等な畜生どもが家に上がった結果、事件が起こってしまったと。
だからヒルとかブタっていうのは、もうそもそもこの家畜小屋の中にいることすら贅沢だと。
お前のようなブタは壊れた荷馬車の陰にでも寝床を作るのが、ちょうど身分相応ではないかっていうようなことを言うわけだよ、犬どもは。
33:09
このね、人間社会、特に農場においてはおじさんがある意味非常に家富として強い権威を持っているから、
そういう人間社会の家富調整的な序列って言うものがあって、
主人のことをね。
多分普通に吹き声もボスって言ってる。
においてはおじさんがあるいは非常に核として強い 権威を持っているからそういうこう
人間社会の核調整的な高序列っていうものを話し 犬のさがね非常にこう内面化しているわけで言語だったらボスって言ってんだよ
こう 主人のことねえ多分普通に吹き替えのボスボスだっている
ボスを頂点とした序列の中で犬たちはこうさ 世界っていうのを判断していてさ
非常に豚とかアヒルっていうのだから終焉化された存在 いつどこで喰われちゃってもいいような存在として扱われているっていうさ
もう すごくないこれ子供向けの映画よ
そうなんだよねそのや何がすごいってさあ今あんたが言ってることはさあこう なんていうの
社会すぐすぐ死亡社会になるあなただからそういうふうに読み取るんじゃなくて もうがっつりそうなんだよねそうなんだよ
マジで全然あの普通に 何の気なしに見てもわかる
わかるレベルでそういう話そう マジでねすごいんだよだからもうベイブは全く甘さがない
とにかく なんかすべての存在生まれながらに不平等であり
そしてその不平等っていうものは本当にその構造の上にいる存在からしたらほとんど 見えない
ものであるっていうところまで非常に冷酷なねこう現実を あんな可愛らしい子豚相手にさあ突きつけていくわけだよ
すごいよこれは っていう
こう
映画なわけですよで牧羊犬だから基本的にの羊たちにそういったさっきも言って まあ要するに管理する側なんで犬
犬は羊たちっていう下等な種族を管理する こいつらうすらバカだから
俺たちが言って聞かせないと全然 ちゃんと正しく動き回ることができないみたいな意識で
犬たちは羊たちに接するわけだけどそもそも その犬たちっていうのもその牧場主である
36:04
おじさんね 管理会にあるわけじゃないですか
なのでだからまずまあまあここから先はあれだけどそのおじさんというの結局はさらに 上の資本
というお金を稼がなきゃいけないっていうこの構造の中でまあこう 規定されているわけじゃないですかみたいなところでもうね非常にこのその
社会構造っていうものが 垂直方向の伝達のされ方だったり再生さのされ方っていうものを
もうこの動物映画の可愛らしい顔ね 被ってなお
ごまかしきれないほど 露骨に描いていく映画なわけですベイブっていうのは
なんならねもうその序盤でねその ベイブを取りまってたね
コロコロした毛玉のような可愛らしい牧場家の子供たちっていうのは人間に売られていっ 別の家に売られていっちゃうわけですよ
監禁されちゃうわけですね監禁っていうのはお金に変えられて それでもそれで母犬はすごいしょんぼりする
あのかわいそうなんかあの寂しそうな 演技は名演技だと思うんですけど
フライはだからすごい子は子供たちが でここもすごいんだよこの子供たちがみんなこう売り払われてしまった後に一人で猫の小屋の中で
しょんぼりとこう 悲しみに浸っている
フライ に対してご主人はただ一撫するだけです
家に帰っちゃう おじさんはちょちょんちょんってちょっと首のあたりを
さすってすぐに部屋に入っていく で
夫であるねレックスは そのめちゃくちゃ落ち込んでいる自分の妻の様子を一別だけして
さっさと主人について家に帰っていっちゃうんだよ 全く何も触れ合わないもうほんただ一別だけして目線がその子
会うことすらなく ご主人を優先してご主人と一緒に家の中に入っていっちゃう
でもそのまま子 子供
との別に打ちしがれているフライは一人取り残されているわけだよね そこに
寄り添えるのはもう 全ての関係をたたれ
まあこの農場という新しい場所でこの意味一番の公開に置かれた 主演化されたベイブだけなわけだよ
でベイブがおぞおぞとこうやってきてねこのベイブがね微妙にちょっとねー キツ音ぽい
しゃべりなのもいいところなんだけどもそれをずっとね ママって呼んでもいいって
あれはもう非常に感動的なシーンですよねそこでもはっきりとその ベイブだけはそこでその
犬のね 中にあるこの非常に強い子たて意識
39:01
たて構造の意識っていうものを軽々と超えていくコミュニケーションを取る シーンとしてあのシーンはこう
あるわけででもそこでまあその母犬であるフライトベイブとの まあこう交流っていうものがはっきりとその
強い結びつきっていうものができたっていうさ こう非常に美しいシーンがこう
あった あとで
ナレーションでこうしてベイブには素晴らしい場所ができた 要するにそのフライのことだよね
夢の中でさえ彼は幸せだっていうナレーションが入るんだけど このナレーションが入るとき夢の中にベイブがどこにいるかっていうと未だに壊れた
に場所の影なんで 要するに
それだけ 何かしらその
犬との結びつきっていうもの 精神的な結びつきっていうのはどれだけ強固になったとしても
おっかない リーダーである
レックスの許しなしにはやっぱり同じところ部屋では寝れないっていう明確な格差は そのまま温存されているっていうことが
わかるシーンなんてねナレーションの上では非常に温かなシーンに描かれてるけど 全然まだまだ過酷な位置に居るやんっていう
まあこう 作り
みたいな
こうだとにかく そういうのが続く
て まあなんかまあちょっとね本当にだからまあ
見ていただくの早いんですが
また難しいのがねぇ レックスとフライの犬
牧羊犬夫妻が 特に当たりが強いのは羊なわけですよ他のアヒルとかブタって正直
あまりに主演化されたマイノリティすぎて正直まあ何でもないわけ だから気まぐれに優しくもするし普通にでしゃばってきたらムカつくだけで特に何にも
してなかったらもう本当に 何でもない存在なわけですよってなってくると自分たちは管理しなきゃいけない直接の
羊たちっていうものの方がより一層その差別意識っていうのは まあこの技術に現れてくるわけでこれがまた複雑でね
レックス的なコンテこの夫妻にとっての羊っていうのは 非常に
複雑な存在で あのねー
ある意味この羊たちのせいで自分は失職してしまったというかあるべきポジションに 収まることできなかったみたいな
ストーリーを彼らの中には あるんだよ
みたいなねこれは非常にだからその子移民 たちもしかすることは女性の社会品質みたいなものによって我々の
42:04
仕事が奪われていってしまうんだみたいなさことをさ まあいうような
こう 人たちが排外主義的なねこう考えを持つ人たちがいるわけ
まあ彼らが持っているような ストーリーと似たようなものをこのね
僕を元夫妻は持ってる んだよ
これがまたもうねぇ 厄介やなっていうところもあるし逆にね羊たち羊たち別にね
いい奴じゃないんだよこれがながすごくてだからその非差別 なんか非差別側にいるものは誰だってそれこそ純粋無垢なんだみたいな
まあベイブーはだからその純粋無垢な存在として描かれてはいるんだけど そうとは限らないぞっていうのをちゃんと描いていく
わけだよね羊たちが犬なっちのことそれこそ野蛮の狼として 読んで
意味嫌っているわけであいつら頭が弱いから なんか
ものの頼み方も知らないみたいなぞ 態度をとってでベイブーに対してあんな
野蛮な奴と付き合っちゃいけないよあなたとても優しい小豚ちゃんなんだからっていう のことを引き込もうとするわけで羊は羊でね
で犬は犬であんな臆病で何もできない私たちが何もできないような 薄野郎に
いうこと聞いちゃいけないよむしろ私たちが言うことを聞かせてやるべきなんだと どちらが上かちゃんと思い知らせてやんなみたいなことを犬から吹き込まれるわけ
もうね
どうしたらいいんだろうこの状況はっていうさ 硬着状態があちこちにある
わけだよね まあそんな
過酷な 状況の中
ベイブーっていうのは
非常な 賢い子だからね
いろいろとこう やり取りを進めていく中
これ以上言うと全部喋っちゃうか一旦ここまでかなまぁとにかくでもなんかそんな感じでね あの
非常に割り切れない映画なんだよ 最後まで含めてなんていうのが何かその
あまりよろしくない社会構造であったりとかあまりよろしくない子 なんだろう
ものがあったとしてそれを フィクションだから
綺麗さっぱりすべて根絶するみたいな方向に向かわないんだよね その最後のラストまで含めて割とねビターなんですよ
45:01
なんか結局のところ大枠の構造自体は何も変わっていない けれども
個々の コミュニケーション
の回路だけ見ていくと 多少そこに
これまでよりはちょっとマシ
ないしはちょっとマシになる 努力の気配みたいなものがほんの少しだけ
垣間見えるっていう 終わり
を迎える わけだけれども
多いよね あのねだ最後の最後にまあそのクライマックスとなる
詳細を伏せるけど舞台は めちゃくちゃ天気がねパッとしないんだよ曇り空の中どんよりとした天気の中
その最後のドラマが繰り広げられてでそのね 重たく立ち込めた雲間に一筋の光だけが指してその光が
主人公を照らすっていうラスト
これがもう象徴的なわけ要するにも改正にはならないんで本当に一筋の光だけが ほんのりとさす
こともある っていう終わりになるでこのね非常に高だから
大人が見るとあまりにもストレートなほどに
こう過酷な現実の巻いみたいなものがどんどんどんどんこう描かれていってそれらが 特にわかりやすい
大団円を迎えるでもなくほんのりとした一筋の光だけを手繰り寄せるようなラストに 向かっていくっていう
非常にビターな映画なんですが
それは置いといて印象論だけで映画として見ていくと 先にね僕はねちょっと暗い
暖色の部屋から始まりビビッドな感触の用途を工場に入っていきその後またこう温かな 暖色の世界に
切り替わっていくっていうオープニングの映画の話を割と長々と冗長にしましたが なんかねこのね印象のね
コントロール非常に巧みで なんかねー
パッと見の印象だけで言うとね ちゃんと子供向けのファミリー映画っぽくなっている
なんか最後ちゃんとはなんか 良かったねーみたいな気持ちになって終わるようになってんだけど
よくよく考えてみると いや
っていう なんかねこのねこれがすごいんだよなんか非常にビターなはずなのに
観賞後の感覚としては割と爽やか っていうね
48:02
この ギャップも
含めねー なんだろうね非常に
優れた映画だと思いますねベイブっていうのは
まあちょっとね本当に一番好きなシーン を言うとねちょっとかなりのネタバレになっちゃうんだけれども
やっぱりね
歌とダンスっていうのは素晴らしいっていうシーンもあるんだよ 要するにだから非言語コミュニケーションっていうのは素晴らしい
つーさ あれ非常に映画的な
和解のシーンだよね まあみたいなねまあでも僕はあそこからもずっと目なぜかも最初ベイブ見返した時
は1人ボロボロなにしたんだけどもうそのシーンからずっと最後までボロボロなにしたんだけど なんかねー
なんだろうね振り返ってみると すごいこう
特段 希望がない
映画であったりもしてね なんかねこのバランスが非常に
よいそのだから映画を見るという生理感覚その資格情報からだけ受ける 情報の楽しさ映像の快楽みたいなものだけで言ったらきちんと大団円を迎えるんだよ
非常に映画としての運動体としての映画として言ったら非常にこういい作りになっている もう
っていうのは間違いないんだけど そうでそれ以外のそのそもそもじゃあそこに何が語られていたかっていう語りの事件だけで
見ていくと非常に大人なことをやっている これは本当に文字通りの意味で大人から子供まで楽しめる映画に
なっているわけだよ子供の頃僕は見た時もベイブ可愛い ぐらいしか多分思ってなかった
思ってなかったしなんだったら少し素朴にあの農場の拡張性的なね 社会っていうのを素朴に受け入れてた部分もある
けれども大人になってからあれを見ると実はそこにこそ批判の目が向けられているってことが 非常に分かりやすく作られている
映画なわけですよ僕は冒頭に2023年ベイブの話誰もしてない問題って言いましたがこれは割と 大真面目にそうだと思っていて
95年時点では多分あの絵がどちらで素朴にあのおじさんのことを肯定的に見る あの
見方がなんだかなり優勢だったと思うんだよ 要するにあの
あれは開拓者の映画だからね おじさんは基本でめちゃくちゃこう農場さDIYでさ自分の発明でね
ちょっとずつエンハンスしていったりしているわけだけど要するにその自分の力で自分の生活拠点 を作り出していける
カフが 従来の価値観を破壊して
別様な あり方を提示するそしてそれに向けて
その慈愛によってねそれまで 低き者としてみなされていたものにも平等にチャンスを与え
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承認を与えるっていうさ英語なわけだよねその表面上の物語としてでも
そっちの一面 ではない見方
もっと それこそこう
今日的な読みを することができる映画としてベイブっていうのは
あるわけですよ
これはね 今こそ
なんか
語られるべき映画なんではないかというのをね 割と真面目に思うわけですよ
でしかもこれが わかりやすくただ単に
そういう犬やおじさんの愚かさを 羽
のけるようなね映画だったら 多分そうでそこまでなんですよなんかそれを
うんというのが 分かりやすく敵味方に分けないっていうところにこそこのベイブの知性っていうのを
宿ってると思っていてこれを批判的にそれをセミズン批評的なね 文脈でこう読み解いていくと割と歌詞も多い映画だとは思うんだけれども
それでもやっぱりね なんかそういうその
一面的な見方だけではなくってあらゆる面からの読みにすごい開かれていると思うので なんかね
本当になんか なんかユリーかとかで特集してほしいね
なんか18人ぐらいの評写にそれぞれの角度から批評を書いてほしいと思うような 映画だなっていうふうに
僕は思っているよとマックスの時にもやってんじゃない だってマットマックス
オンビ マットマックスようやくしたらベイブだったみたいなさぁ果て部のエントリーがめっちゃ
してたじゃんそれ知らない私は中身読んでないけど そもそもベイブがめっちゃ好きな人がマットワークス見てもうこの人はずっと書きたいことが
一緒なんだみたいな話をしてたのが じゃあ僕っててだからみんなベイブを見直すとしたらそのタイミングだと思うんだよね
あーマットマックスのタイミングなのか
そっかちょっとじゃあこれ遅いんだもう 逆に見たら逆に今見せる
だって豚チェーンソーからさベイブ見るよりさマットマックスからベイブ見る方が自然 じゃなかっ
そっかみんなマットマックスの時にやってんだこれ 多分
ああ だからその
マットマックスをフェミニズムの文脈で見るみたいなのはさ なんかもう
こう一部で盛り上がった印象があるんですけど まあそれはまあ当然そうだってまあ明らかにそういう話なわけじゃない
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で じゃあ過去作
どういう取り扱いをしてたかっていう話にも当然なるじゃない でやっぱりベイブが出てくると思うんですよ
その過不調性を強く内面化している夫 だから自分自身も
なかばその差別意識は内面化しているけれどもその彼のその夫のね 自分自身も苦しめるような
こう 今夫って言ってないとフライ目線フライ目線でじゃあレックスねレックスのレックスの
辛さもわかるん その羊という過等なものによってっていう気持ち
し豚なんかにいう気持ちもわかるで単純にそのパートナーとして 彼が苦しんでいるのもわかる
でも目の前の痛いけど小豚をいじめる られるよ
られるほど 自分の子供たちを打っが売られていって平気でいられるほど母性
がないわけじゃないフライすごいたばさみの だからすごいフライにさあ感情移入してみちゃうわけで大人になっているとね多分
別にベイブ可愛い 私はそんなに思わなくて
なんか結局素直で友達作れる奴が勝つんかいみたいな気持ちがちょっとあるんですけど 素直で素直じゃない
あなたはそうだねそう だがなんかその友達作れない
やつが大勝利する映画みたいなちょっと思ったなぁ でもだからでもレックス別にあれはあれでさ
一つ解き放たれるわけじゃない 一連の騒動を乗り越えて
でそれによって救われるのはレックスだけじゃなくてフライもそうなんだからもう 最後さあもうちゅっちゅペロペロしてるわけじゃない
あんなに凄い悲劇ってたら そうなんだよ
すごい だってその前までのレックスからさ想像もできないわけじゃない
あのフライにデレデレする素晴らしい 素晴らしいシーンじゃないですか
あそうでもね いやだちょっとねわかんない
今僕は割とマジでそうだよねマッドマックスの時に多分やってるよねっていうのに 今更思い当たったけれども
思い当たったけれどもやっぱりねちょっと違うんだよって話をしたくて マッドマックスの時点からベイブを語るっていうのは
やっぱちょっと僕的にはねあんまりね面白さがない と思うの
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というのもね ベイブ都会へ行くっていうさ作品がベイブの2作目としてあるんですけど
これはベイブが都会に行くっていう映画ってね 都会に行って帰ってくるって映画で大体怒りのデスロードと変わんない話なんですけど
あのねー じゃあそのなんていうの
あのマッドマックスのフューリーロードの批評的な
見方で見るんであれば都会行くの方が 近いんだ評価の観点で言うと要するにどういうことかっていうと
これがまたさ厄介なところなんだけど 都会
ないしはもうその文明崩壊後の世界においては 男はもういらんのよ
マッドマックスも 去る共同体から去っていくわけだよね
し 都会へ行くではその1では非常に存在感のあったカフが
あっさりと冒頭で退場するんだよ
要するにも男たちが不能なんだよ でも特に男たちはもう余計なことしてねただ退場してください
っていう 世界
なんだよね あの
都会へ行くもマッドマックスの
要するにそこにはだからその何か上から何で評価を下すって存在もいらなくて もうその
平 そういうことだかベーブーの1が垂直方向の物語だとすると
ベイブーのツーってすごいこう
フラットのねところでの関係の構築っていうところに非常に重きを置く
わけですけれども 要するにだとこの垂直方向の人間関係というか関係性の否定
というかそれが全くない世界での話な わけですよ
都会行くっていうのねでマットマックスのそうですね なんかねそこまで行ってしまうと
あまりにも今すぎる
なんか
なんて言うんだろう正しくない存在
の居場所があんまない でもホテル自体がすごいそういう場所だよね
どうぞ だったらのおじさんもそう
あのおじさんを含めて際場所がない人たちの居場所を作りたくてあのホテルやってる じゃん
あのおじさんがどの子さんがサーカスの ああああああサーカスのてか同型のあのホテルの
主人のおじさんね
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だからん 居場所を作ろうとする話じゃないの
そして作る場所を間違えたって言われ知らないの
ちょっともうちょっと詳しくねえっ
えっ あなたのえっあなたの問題意識を
だどっあのねそのねフラットな人間館フラットな関係性だけを その共同体の夢として描いていくっていうこと
に 僕は割と会議的な
犬社会的な序列を作っていく っていう
ことが必要だとは言わないけど じゃあさあそれはさあ
終盤さあフェイブがお手柄を立てた結果さあの怖い猛犬にさ お前はすごいって言われてさあ
じゃあもうこいつが言ったことがルール それが正義にしよって決めたじゃん
であのご飯もらう時には俺を言え 俺を言って言ってたじゃん
そういうことじゃないの違う違う あれはまた全然別てかそもそもあれは全然役に立たない
象徴を上に上げておけば 行くだけっていう話だからでしかもそれは結局その
なんていうのかな 全く役割に応じて与えるわけじゃない
働きに応じて与えるわけじゃないでしょ その分配する
食べ物っていうのはさ だから要するにそれはもう本当にフラットな
再分配の話なわけだよ
なんかそれ がさ
そのまま成立していくとは思えない 今崩壊したよね
っていう話 しないよ
で要するにだから2においてはその なんていうの
価値判断の軸がない
だからなんかこうずっと暖房のに降りてほしいみたいな 非常にバータリーで言うのでフラットな世界だ
非常にだから今の 状況というか
なんていうのかな あんま変わんないわけよやすいそのなんていうのかな
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ハイカルチャーとサブカルチャーを並列に語れちゃうようなさ
空間っていうのはさ ある意味やっぱりなんかちょっと変なんだよ
で都会いくっつうのはそういう 世界の
話じゃない なんかそういうそこまで行ってしまうとなんかね結局ね行き詰まる
と思う 今僕に何か明確な答えがあって話してるわけじゃないよ話してるわけじゃないけど
だベイブ2的ななんかみんながみんな平等 にフラットにあらゆる際をないかのように振る舞うっていう世界
は やっぱりね破綻
してんだよどっか そうじゃなくてベイブ1の正しくなさ
を どう論じるかっていうところから始めもう1回始めた方が
8思うんだよな っていう
話 でもそれほどがマットマックスや都会君にそれこそあなたが今話したような
その子はぐれ者たちの共同体的なねもの の可能性から何か論じるっていうこと自体はまあできるでしょうし
なんだったら多分それはそういうのこそマットマックスの時点でなされてたと思う それは別に
非常に なんかそれこそ今日的な
価値観の中での価値体験にめちゃくちゃ 神話性の高い
あり方じゃ なんかそうではなく
まだベイブにはね組み尽くせてないね 可能性がね
眠っている気がするんだよ 全然伝わってる気がしないけど1の方が今日的なのではとは思う
現実という 現実の
もうちょっと見えるのさあそのさあはぐれ者のユートピアみたいなものはさ 気分であって現実的じゃないじゃん
あそうそうだから実際ってさあ存続しないわけじゃん であのなんつーか咲く場所を間違えたねみたいな
ところで最終的に丸く収まるんですよそれで結局さあまたさあ 農園へとさあ回帰していくわけでしょ
要するにだからでもたくそうだよね 奥さんは農園に普通に帰ってきたけどあのホテルの女主人は帰ってきたわけじゃなくて新
天地を見つけられたわけじゃないごレシピだ
それはそれいいじゃない よかったねでいいじゃないでだから都会でやることじゃなかったんだねっていうさ
でもじゃあ まあじゃあじゃあ誰が都会でやれやるのっていうの話はさんまた差別に
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ここで話す話じゃない っていう感じ
でさ 水曜
こういう ヒエラルキーがあって
婦人がある もう少しでもはしにしたいよねっていうのが最中の話だとしてさ別に市の話を
ずっとやってるんじゃないの 今ずっとやってるんだけど重心語りの重心のあり方として全然違うじゃんっていう話
いやいやえっと1と2が同じことをやってるって言ってるんじゃなくて今の気分っていう と市の話をずっとやってんじゃないの
にの話を してる
今日的なのあれば 苦苦苦は今日的じゃないでしょえっ
今っぽすぎるって言ってなった2は今っぽすぎるから今日的ではないでしょ ずっとっていうこの使い分けそれ
えっとねえそもそも市は愛知じゃないには なんていう
今作られそうな映画
だ別にもそこに問いもないの
だっても出尽くしてるから だマットマックスの頃はもしかしたらそっちのが今にしているアクチュア今の状況に対して
アクチュアルだったかもしれないよ っていう話
じゃあ同じ件かな
を
そう っていう何の話だっけそう
迷子になっちゃった ながらしたんだ
により一番方がいいって話 いいいいというか
今語るべきだっていう話そうなマットマックスの頃に一応語るのは何か違う 今だっていう
あちゃちゃだから思いついたからマットマックスの頃には多分に的な話が多かったん だと思う
要するにまだその時段階っていうのは周り何年前だ
んじゃないだって 7年ぐらい前か結構してくれて7年ぐらい前てまぁその気分の情勢っていうところが
課題だったか そっか7年前か
7年前のマットマックスとベイブっていうのは米特に都会に行くっていうのは両方とも なんかそういうフラットなまず連帯その
はぐれ者たちの シェルターみたいなものをまずは確保して
連帯していきましょうっていうその気分の情勢というのは何よりもアクチュアルな問いだった はずなんだよ
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そこでどれだけそのだから一つのそのユートピアどう描けるかというところに非常に 重点が置かれた批評が多かった
印象があります でも
本当に全部を全部その既存のヒューラルキーみたいな昔と先に 何があるんだっけみたいなことを読んだよりなんかね
ただ 気分
やユートピアを描くのではなくじゃあ今この どうしようもね現実の中にどう
足掛かり見つけていけばいいんだっけっていうフェーズにね 今この2023年は
マットマックスから7年 立っているはずなんですよ
我々は 我々はベイブ2の3万とした
ユートピアにただ 希望を見出しているだけではもういけないなぜならも希望というのだいぶもうすでに
何かしら多少はこの社会に実装される木差しっていうものがこの7年の変化の中で 出てきたり逆にちょっと告げてしまったりしているはずだから
そんな中で我々しなきゃいけないのはその 都会から見た農場を夢見ることではないんだよ
農場に実際にある冷え歩きっていうものの中でどうすればいいのか それこそ米分のように素直で友達を作れるような
子じゃないバレバレは一体どうすればいいのかっていうことを それをセルディナンドやレックスや
フライの実践から まあまだまだ
組めるところがあるはずなんですよ でもそれはまだ我々がまさにそのカチューにいるから見え
ない 発想を簡単に見えてこない部分でもある
わけ だから僕はとにかく
いつまでもマットマックスや ベイブとかへ行く
の段階でとどまっていてはいけない 一層米分にまで回帰しなければいけないっていう話を今日はしたかった
お疲れ様でした
だし今こそペイブ特集
組んでほしいねー
ん
じゃあもう一回やってもいいと思うでしょ って何がいいって言う
なんだかんだ言ってマットマックスやっぱり人間の話になっちゃうんだよね
メイバー人間以外にもたくさん出てくる これもすごい大事なところだと思う
1:12:02
ですよ レイヤーがいっぱいある
どの立場で見るかによって全然違う映画になる
ことですよ
人間から見ても割と
すごい 赤抜けない土臭い
おじいちゃんたちの家にいやいや連れてこられるさ 憂鬱な日としてのクリスマスもあればさ
久しぶりに孫たちが顔を見せてくれる嬉しい日であるさ クリスマスでもあればさ
誰か殺されて食卓に並ぶという殺戮の日としてのクリスマスもあればさ みたいな
こうあるわけですよ
なのでそのね めっちゃいろいろあるっていう
すげー雑なまとめだけど めっちゃいろいろあるっていうのがすごいね
今ねー もう少しねー
真剣に語られるべき じゃないかなって思って
いるんだよね
本当になんだろうねベイブだけでこんなに 話してしまいました
話すのは大事だよね
何それどういうこと いやこの間の録音で私が妖怪について問題を定義したらめっちゃ心情が上がってしまう
もう今日ねだいたい全部できあがった
まあまあまあ でもだいぶ進んだ
だから話すのは大事 全然ベイブの魅力を今日伝えられた気がしない
みんな見てもらおう 観賞会でもやればいいんじゃない
ベイブを見てほしい 僕もねベイブの衝撃から立ち直れてない
昨日見たばっかりだからベイブ 昨日2回見てるからね
そのまま喋ってるからちょっとまだね 整理しきれていないというか
むしろこれはちょっと整理するのめっちゃ大変だぞっていうね 気がしているんですが
ベイブ論 次のハブの冊子はベイブか
ベイブ論 必要だよ本当に
しかも次の陣 陣にしちゃう
ベイブの話にしようかな
ちょっとベイブやばいんだよ りょうたさんとか呼ぶか
ベイブについて語って 巻き込まれて勝手に巻き込む
ひどい
1:15:02
ベイブについて 語らないといけないと思っていますという
まあ今日はまだ予告編のような日でしたので ちょっとダメだまだねまだ僕全然ベイブに
この核心に触れられていない ちょっと次ベイブの話するときは私以外とやって
なんで
僕の中のこの妙に高まっているベイブ熱を 本にでもするか
次は ちょっとベイブについて語らないと
そんな感じで
ありましてちょっとなんかやっぱり好きなものについて語ろうと思うとうまく語れないですね
今日全然何も喋れなかったなっていう敗北感に あんなに喋っといて
敗北感があるよ 今日何も語れなかった
あんなに喋っといて文字数じゃないんだ だってあなたに響いてないんだもん
そうだねーとは思うけど なんかあなたに響いてない感じがある
すごいだから今 そういう映画だったねーって思って聞いてたよ
ちょっと敗北感に包まれています
ということで 今後のベイブローにご期待ください
ポイエティックラジオお相手は私角野翔太と奥さんでした どうもありがとうございました