1. ポイエティークRADIO
  2. 第五十八回 『うろん紀行』刊..
出版レーベル「代わりに読む人」より刊行された『うろん紀行』について、レーベル代表友田とんさんと、著者であるわかしょ文庫さんとをお迎えしてがっつり雑談。造本へのうっとり、文章の話、そして流通について──モノとしての本、商いとしての出版にまつわるあれこれをたっぷりお届け。柿内の『うろん紀行』評はこちら → https://akamimi.shop/?p=822
00:05
こんにちは、ポイエティークRADIOです。お相手は、私、柿内正午と、本日はゲストでこの方たちです。
わかしょ文庫です。
友田とんです。
よろしくお願いします。
友田さん、大丈夫ですか?音声遅れてきてます?
はい、大丈夫です。ダンドリー語をちゃんと理解してます。
ああ、全然大丈夫です。このまますれば。
異国堂みたいな。
ちょっと今日、この録音を開始する前から友田さんの出たり入ったりを、ズームで出たり入ったりが何故か繰り返されているっていう仕様なので、
途中で友田さんがいなくなったり、いらなくならなかったりするかもしれませんが、そのスリリングな状況のまま続けていければなと思っております。
今日は友田さんが主催されている出版レーベルから、わかしょ文庫さんの初の誕生、このウロン気候という本が刊行されて大変めでたいとおめでとうございますというところで、
ありがとうございます。
このウロン気候の話をがっつり色々聞きたいぞという回でございます。
どっから行こうかな。
僕としては正直、僕は黙って聞いているので、わかしょ文庫さんと友田さんとで裏話を聞かせてくださいっていう風にしたいぐらいなんですけど、
とはいえ、一旦僕がこのウロン気候について好き勝手しゃべるっていうことをこれからしていきますので、
都度都度口を挟んでいただいたりとかしながら、だんだん僕が黙っていければなという風に思っています。
まず、どこから話していこうかな。
代わりに読む人って何頭屋であるとか、わかしょ文庫って何頭屋であるとか、ウロン気候って何頭屋みたいな基本情報に関しては、
一旦この僕の方からは何も説明しないようにしようかなと例によって思っています。
それに関しては、ご自身で、リンクも貼っておきますのでご自身で調べていただいたりとか、
しながら、なんかこういうものなんだなっていうところをある程度皆さん前提を共有している前提で勝手にしゃべりだしちゃいますが、
このウロン気候という本が、これ一般発売もしてるんですよね。
いや、これがねちょっといろいろあって、本当の発売日は8月12日です。
03:07
8月12日だったんですね。
奥づけは8月20日になってて、それはそこまでにちゃんと行き渡るっていう日付なんですけど、
最初ちょっと8月5日っていろんなところにはネット書店とかに出てたと思うんですけど、
ちょっと流通の時間がかかる関係で、8月12日、もともと発売も8月中旬って発表してあるんで、
だいたい来週末ぐらいには結構本屋さんに並ぶんじゃないかと思うんです。
そうか、ってなるとこれ出版直前スペシャルみたいなタイミングで多分この録音がなるから、
もうちょっと真面目に紹介しておいたほうがいいですね。
こうやってもう何回も繰り返しになっちゃうかもしれません。
いいです。
そこは各自見ていただきながらっていうところで、
もうこの本最初手に取った時からめちゃくちゃテンションが上がって、
めちゃくちゃ本ですよね。
そうなんですよ。
もうめちゃくちゃ本なんですよ。
すごい、なんか初っ端からすごい頭悪い感じになっちゃってますけど。
本物の本みたいですよね。
いや、本物の本みたいですよね。
それこそ友田さんが代わりに読む人の活動、
代わりに読む人っていう名前で活動する前というか、
百年の孤独を代わりに読むっていう本を初めに出された時に、
双子のライオン堂さんかな?でトークをしていたのを僕ちょっと聞きに行ったんですけど、
そこでそのすごいこの文字組みのこの感じとか、
すごい本物の本っぽいですよねとか、奥づけがあるとっぽいですよねみたいなところで、
すごいそれっぽさみたいなところに非常にこだわりを見せているっていうところを、
それはその一つまだ出版レーベルとしてではなくて、
一つの人の作家として友田さんがやられてた頃に発言をされてたのをすごい覚えてるんですけど、
ウロワンキクはある意味だからこれはっぽさを超えて本物になりましたねっていうのが
まず一番テンションが上がって。
これは本物の本ですよね。
本物の本ですよね。
ハードカバーはやっぱり本ですねっていうところで、
ちょっとこのものとしてあまりにも愛らしいっていうのがまず第一にあるなと思っていて、
ここのって言ってもこの録音だからわかんないんですけど、
背のところがこの丸いんですよね。
ここね、まっすかくじゃなくてこの丸みとこのちょっとこうマットな紙の手触りとっていうところで、
非常にこう持った時の手のなじみが良いところであるとか、
あとはもうなんだろう全体的にこの白い本のように見せかけてよく目を凝らすと、
06:05
背拍子のところでちょうど半分で白と薄い灰色とで2色に分かれていて、
思うと背の方も少し灰色が途中で差し色で入っていたりとかっていうところで、
さりげなく2色になっていると。
これいいですよね。
これめちゃくちゃいいですよね。
これ実物でちゃんと手に取って見てみないと多分気づかないのかな。
写真で見ると背だけ写しても実はチョコレートとバニラのアイスのキャンディーみたいに途中で分かれているっていうのは気づかないんですよね。
そうですね。
本屋さんに行って手に取ってもらわないとっていう。
そうなんですよ。これ手に取ると初めて分かることがすごいたくさんあって、
それをどこまで行っていいのかなって思いながら、音声だけだから全然いいだろうって思いながらどんどん喋っちゃってるんですけど、
この開いた時から、何て言うんでしたっけ、この1枚目2枚目の紙の色がこれもやっぱり見返し。
違うんですよね。
見返しとか本飛びだとか。
これいいですよね、この急にグレー、ちょっと薄い、これ言っていいのか分かんないですけど、
エアコンにつく埃の色と同じグレーから一層濃いグレーになって、
あれ私は何の本を今から読むんだろうって思うっていうこの感じと、
あとこの木字もいいですよね。
そうなんですよ、このなんだろう、全体的にこう、この本の中もそうなんですけど、
すごいなんていうのかな、曇りの日っぽいじゃないですか。
はい。
だからすごいその書く、書くどん点の模様をこの表紙から木字に至るまでのところで、
色んなグレーを見ながら、すごい気持ちがどんどん曇り空になっていくみたいな、
この導入の仕方が非常にこの本の持っている性格というか雰囲気になっていて、
いやーこれはやっぱりこうなんだろう、ピーカンデリの日に読んでも気分が曇っていく、
いやいい意味でですよ、曇っていく本だなっていうのがすごいこう、
ものとしてすごい伝わってくるのが、もうまず非常に良くて、
もうそれこそスピンまで含めて徹底的にグレーで統一していながら、
この何て言うんでしたっけ、鼻、
鼻切れ。
鼻切れの部分だけちょっとだけ晴れ間が覗いているっていう、この塩梅がとてもこのものの作りからして、
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ある意味一つこのウロン気候の内容を文字通り体現しているような本の作りだなっていうところで。
これはこの本を想定のデザインをしていただいた小林たけしさんというデザイナーさんがいらっしゃって、
最初に僕がデザインを依頼するお願いをして、ちょっと文章とかを見てもらった瞬間にまず小林さんがおっしゃったのが、
薄曇りの感じのする、悪い意味では全くなくて薄曇りがずっとする文章ですねっておっしゃって、
やっぱりだからその最初に受け取られたイメージで全体を知られてもらったという感じで、非常に統一感もあるし、良いなと思いましたね私。
なるほど。やっぱり曇りのイメージなんですね。
本当になんでも、これは本に、これは本だって思いました。やっぱりその僕はそのこのウロン気候自体を書き下ろしの文以外の
ウェブ連載の文は毎月楽しみにこう読んでもいたので。
ありがとうございます。
よりその、まず内容面、あの内容がこういう形になるのかっていうところで、非常にこうワクワクして、この側だけで、側の話だけで正直一旦全部終わっちゃうんじゃないかぐらいの情報が詰まっているなと思っているんですが、
どこから話そうか。なんでこの形に至るまでの間に、それこそそのデザインで、想定で入っている小林さんであるとか、あとはその創画で入っている高田さんかな。
はい、高田さん。
そう、まあその友田さんと赤城さんとっていう中で、どういうふうにこの、この形に至るまでの間にやりとりがあったのかなっていうのを、ちょっとまずはこう聞いていきたいなっていうふうに思っていました。
そうですね、どこから話しましょう。
えっと、想定については、友田さんから結構以前から、どなたかにお願いしたい方いますかっていうふうに聞いていただいてたんですけれども、私があまり普段ブックデザインの方を意識しながら本を手に取っていなかったので、
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具体的な人の名前が浮かばなかったんですよね、その時に浮かばなくて、で、いいなって思う想定の、想定を自分の中でリストで上げたりしていたんですけれども、そんな中で、
友田さんから小林たけしさんのお名前と、あとは小林たけしさんのウェブサイトの過去の手がけた作品を教えていただいて、
こんなにすごい人にお願いできたら、絶対にいいに決まってるけど、受けてくれないんじゃないって思ってですね、こんな無名の人間の方は受けてくれないんじゃないかと思って、受けてくれないだろうと思っていたら、ある時、打ち合わせが設定されていて、とてもびっくりしたという感じですね。
なるほど、すごい。
友田さん目線からすると、まず、その初めにご提案したところから依頼してみての感じというかっていうのは、どんな感じだったんですか。
その、若翔文子さんにってことですか。
そうです、そうです、そうです。
つばやしさんにこの人でどうですかっていう、
なるほど。
若翔さんにこの人でどうですかっていうところを提案して、そこから8に至るまでの間。
なるほど、なるほど。
多分、この連載が2019年の夏から始めて、だいたい最初から1年間連載した後、準備をして書籍化しましょうと言ってて、去年の夏の頭ぐらいでそろそろ連載も12回になるから、これで終わりで良くて、最初は年末ぐらいには出せたらいい、
本にできたらいいねとかって言ってたんだけれど。
そうですね、そういう話がありました。
なんだけど、ちょっと僕もバタバタしてたし、若翔文子さんもちょっといろいろまだ書き足す分の準備もあるし、コロナもあったし、そんな急いでもなくて、で、どうしようかなっていうので、
連載終わるぐらいから本にするとしたらどうしようかねっていう、本にするっていうのは最初からもちろん目標で決めてたんだけど、どうしようかなっていうことを聞いてて、若翔文子さんにメールで断るごとに、誰かこういう本の見た目がこうだといいなみたいなのはなんかあるでしょって何回も聞いたんだけど、
なんかあんまり、私あんまりこう本、なんかあんまりよく見てないんでみたいな、割と側見なくて、でもこうなんとかして、どんなのがいいかっていうのは、別にこう答えじゃなくてもいいんだけど、これはいいけどこれはやだなみたいな感じがわかると、こっちとしても動きやすいなっていうのはあったんですよね。
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一応、そうは言っても本の作りを決めるのは出版する側の仕事だから、どうなるといいかなってずっと考えてて、何人か候補があって、で、若翔文子さんからも何冊かは、この間本屋さんで見たらこんな本も素敵だなと思いましたみたいなのがあって、じゃあどうしようかなっていうのを考えてたときに、
まあ、ちょっと僕は小林武さんの本はすごいいいなっていう、何冊か見てすごいいいなと思ってて、あともう少し候補はあったんですけど、最終的に小林武さんがユリイカに寄稿されてた文章がとても良かったので、なんかデザイナーを文章で決めるって変な話なんですけど、なんかこう魂が入ってるなと思ったので、
これは小林さんにぜひお願いしたいって決めて、若翔文子さんにも頼んでみますねという話をして、お手紙を書いて、したら割とすぐ、ぜひ、なんか若翔文子さんのこの本自身がすごい言葉を真剣に考えてる感じが、なんか今小林さんも言葉についての今一番自分の中で熱いトピックだから、ぜひやりたいって言っていただいて、
であればすごくいいですねって言って始めてるんですよね。
なるほど。
みんなのこうやりたいことがちゃんとあってたから、偶然は偶然なんだけど、とても良くて、みんななので今回すごく気持ちよく皆さん仕事していただけた、まあ私のちょっと不適用あるかもしれないけど、目標としてはみんななんかチーム、いいチームができて仕事できたんじゃないかなと思ってます。
なるほど。
すごい、それすごいですね。
それぞれの問題意識の置き方は違うにせよ、ちゃんとこう一つの若翔さんの書いた文章を中心に、自分各々の関心をこうつぎ込みながら仕事ができていっているっていう。
そうだ、柿名さんすいません、1個だけ補足してもいいですか。
はい。
デザイナーの小林武さんに僕はめちゃめちゃ気合の入る手紙を書いたわけなんですが、小林武さんが別にいろんな仕事をフランクに受けてますから、遠慮なく皆さん仕事はくださいとおっしゃってましたので、気合を入れた手紙を書かなきゃいけないっていうことはないということです。
なるほど。
私もこの出来上がったものの素晴らしさから、まさか受けてくれるとは思わなかったと何回も言ってしまってるんですけど。
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そんな怖い人ではない。
受けてくださる、そういう刀鍛冶みたいな人ではないんだと思います。
敬遠されてしまってはいけない。
そうですね、それはそうですね。
とてもフレンドリーな、いろんな要望を聞いてくださる。
それはその、想定の詳しいところのディスカッションとかは、今のこういう状況なので、テレビ通話だったりメールだったりが主体で進めていくみたいな感じだったんですか。
そうですね。
そうですね。
一度もまだ小林さんの実物には僕もお会いできて。
本当は最初ちょっとお会いするアレンジをしてたんだけど、そこもちょっと実は会えなくなって、なので結局全部Zoomでやりました。
なるほどなるほど。
そのデザインの想定のやり取りしていく中で、こうなんだろう、創画はこの人がいいんじゃないかみたいな風に決まっていったんですか。
それかそれは別でまた、もうこの表紙の絵に関してはある程度こう、どなたに頼もうみたいなのがあって。
これは若者文庫さんに話してもらった方がいいと思うんですけど。
高田さんにお願いするっていうのは、若者文庫さんの希望があって、じゃあぜひそれは高田さんのポートフォリオを僕も見せてもらったらとても良かったので、じゃあ創画は高田さんにお願いしようって言ったんですよね。
そうなんです。創画もどなたかお願いしたい方いますかということで、トンモダンさんに相談いただいてたんですけど、いろんな方の作品を見ていくうちに、どうしても高田さんにお願いしたいなっていう気持ちが出てきて、
高田さん、私大学のサークルの後輩で、もともと知り合いなんですけど、高田さんが大学を出てから美術の専門学校に入学して、そこから作品をいくつも制作するように彼女はなったんですけど、
その学校の展示会で見た作品が、とても素晴らしくて、その作品っていうのが、人生における一瞬を刺繍で表現するっていう一連のシリーズを作っていたことがあって、
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そのやっていることが、自分が文章でやろうとしていることとすごく近いようにも感じて、それで高田さんにお願いしたいなって私は思うようになって、お願いしたっていう感じですね。
なるほど、そうか、だからもともとある程度、その関係がある中でっていうところで、発注の仕方とかもちょっと違ってくるのかなっていうふうに。
私は高田さんとは実は結構かなり密にやり取りして、この魚の服は黄色がいいんじゃないかっていうのを、全体でも多分やり取りしてたんですけど、結構個別で2人でいろいろ詰めたりしたところがあったので、
そこはすごく高田さんも私の意見を汲み取ってもらえて、すごく私の望み通りの相場になりました。
この黄色にするかどうか問題というのはね、結構熱かったんですよ。僕は最初、黄色にしない派で、なんだけど、いろいろ最終的にはこれが一番今いいと思ってるんですけど、結構難しくて、
そうですね、だから相場をまず相場をどんな図案にするかっていうのをデザイナー小林さんと高田さんと私と4人でZoomでやった会議があって、実際全員が集まってそうやってZoomやったのは1回なんですけど、
なんとなくみんなが原稿は読んだ状態で、こんな造本にしたいっていう話を僕が小林さんとした後で、みんなで集まってZoomで話し合って、いろいろアイディア出した中で、コストコに向かってるボランティックで。
すぐラフを高田さんが書いてくれて、ラフ見たらもうこれでいい、これでいいってなって、あとは着彩っていうか色をつけてもらってっていう時に、なんか出て、ピンクの時ありましたよね。
あ、なんかあったかもしれません。すごい枚数を書かせたんですよ。
いろんなボラが、ボラちょっと角度違うとか前進とか。
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あ、そうだそうだ、なんかもっと僕は最初ドアップボラがいいっていう。
そういうのもあるんですけど、でも今最後これがちょうど良くなった。
そうですね。
角度も角度もなんかね、いろいろ言えないよとか言ってました。
いいですね、ボラを巡ってのやり取りが。
けんけんがくがくの、なんかその、もともとこのボラも、高田さんの作品のシリーズで魚が服を着るっていう作品を彼女は書いてるんですけど、なんかそれがいいよねって話になって、私もその作品好きだったんですけど、
あ、でも表紙にそれ来るとは思ってなかったなって思って、私が渋っている間にどんどん小林さんも友田さんも魚すごくいいみたいになっていって、そこから小林さんが皆さん好きな魚は何ですかみたいな感じになって、そこからずっと魚の話してたんですよ。
会議の半分ぐらいは魚の話を。めちゃくちゃいいですね。
なんかね、僕もその時は若干ヒヤヒヤしたんですけど、僕と小林さんの間ではハードカバーにしたいとか、こんな本にしたいとかっていう、あとは予算の話とかもしてて、
一回僕は直接小林さんとは喋ってたんですよ。その時に曹川貴田さんにお願いしたいと思ってるって話も伝えてて、それはいいですよって話になって、一緒にポートフォーリーを見ながら、僕はこの魚が服着てるのがすごい良くてね、こんな感じでもういいと思うんですよねっていう話もしちゃってたんですよ。
で、和歌書文庫さん高田さん全員集まった会議の場で小林さんがなんか友田さんも魚の服着てる声がいいって言ってたんですけど、皆さんそうなんですよねみたいになったら和歌書文庫さんが、私は別にそんなこと言ってませんってなって、
これはちょっとしくじったって他思ってたんですけど、でも最終的にはなんかうまくみんなが納得できる。
どこに魚が向かうのがいいかとか、何の魚がいいのかとか、鮭ではないなとか、このウロンキコは鮭ではないとか、海芝浦がいいのか、海に向いてるのがいいのかとかいろいろ言ってたら、コストコでこのオオイキャンザブルを読むのはすごい変だし、そこに魚だともっと変なんじゃないかみたいな感じになって。
で、なんかそれはいいねってなって、なんかできたなっていう感じがあったんですよね。
そうですね、最初海芝浦から始まって、魚なんだから海芝浦で海に戻っちゃえばいいのに、そこからまた電車に乗って戻ってきて、どんどんなんか山の方行ったり、街に出たり、コストコ行ったり、でこれ最後、都会の真ん中で水辺に行くじゃないですか。
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なので、魚、これは魚だったんだって思った瞬間に、私は魚だったのかって思った瞬間にすごくすっくりきまして、
なるほど。
もうボラ大賛成ですみたいな気持ちになりました。
もともとボラっていう魚もあんまり好きじゃなかったんですけど、今のは一番好きな魚ぐらいの気持ちですね。
なるほど、表紙にこう服を着て現れたことによって。
あとなんか僕、この服を着た魚にしたかった理由は他にもあって、
アーノルド・ローベルの二人は友達ってあるじゃないですか、絵本。
はいはいはい。
お手紙とかカエル、ガマ君とカエル君の絵本あるじゃないですか。
あれもカエルがなんか背広みたいなやつ着てるじゃないですか。
はいはいはい。
でもなんかもう僕の頭の中は完全に二人は友達ってなってて、
なるほど。
これボラが服着たらこれまさにそうなよなと思って、なんかもうすごいいいなと思ってたっていうのがあるのと、
あと魚がいいなと思ったのは魚ってパッと見なんかオスなのかメスなのかわかんないじゃないですか。
それもこの若者文庫さんの文体にもすごい合ってるなと思って。
なんかいいことづくめなんですよ。
そうなんですよね、もう本当にぴったりで、今となっては本当に魚じゃなかった未来が想像できないくらいの気持ちですね。
必然気になりました、このボラは。
なるほど。いいですね。
そうなんですよ、この魚、中身と内容とどこでどう対応するんだろうみたいなことを不思議に思いつつも、
あんまりそこに深い不思議さがないままにパッとしっくりきちゃったので、
それも含めてすごい、何なんだろうなこの絶妙な塩梅はっていうのをすごく思ってたんですけど、
今のお話聞くと面白いですね。
ある意味ちょっとこううっかりと間違えそうになったからこそここにたどり着いてるっていうのが、
それ含めてうろん気候っぽさが。
そうですね。
なりますね。いいな。なるほど。いいですね。
30:06
一回その何だろう、全員揃っての打ち合わせで、一回こう、その場でもワーッとこのボラだコストコだっていうところまで詰まっていった感じなんですか?
そうですね。
そこからはもう微調整みたいな感じでしたよね。
一度創画の案を書いていただいたときは、コストコがバックじゃないのもあったりはしたんですけど、
でも大筋はもう決まってて、あとはどんどんどんどん絞り込んでいく作業になって、
なんかすごく早かった気がします。
ボラはすっごい書いてもらいましたけど。
ちょうどゴールデンウィークぐらいのときで、ゴールデンウィークが始まる直前だか始まったぐらいのときにズームやって、
ゴールデンウィーク中に高田さんがすぐ翌日ぐらいにラフを書きました。
もうこれがいいって、これでいいって。
あとはアングル、もっと上向けろとか、アップにしようか、何だろう、何だろうっていっぱい書かせたっていう。
そこで色はピンクなのか黄色なのかっていう話も入ってたんですね。
ピンクに塗らせておいて、ピンクじゃないとか。
すぐ、すぐ。
取ってはまともに絵馬をかけたんですよ。
なるほど、いいな。
そういうさまざまなパターンのものもちょっとどっかで見てみたいですね。
裏側ではこんなにたくさんのボラがいましたみたいな。
フロン気候点を。
いいですね。
もうちょっと何枚かコストコの中を歩く絵も書き足してもらって。
絵本を。
僕個人的にはこれ絵本にしたら、コストコの中にボラがうろうろする、ただうろうろするだけっていう絵本。
それすごい良さそうですね。
いいと思うんですけど。
ちょっと一旦ここで、何だろうな。
側の話というか形の話をちょっと前半したので、
中身の話に入っていきながら。
また友田さんが。
でもちょうどいいですね。
中身の話をメインでちょっと話を今度はできたらなというふうに思っているんですが。
どうしようかな。
とはいえ僕は今回あんまり喋りすぎないでいいようにと思って、
自分はこんな風に読んで楽しかったぞっていうのは、
自分の普段の日記の中で一回済ませて、
書いていただいて。
スッキリしてしまっているので、
どこまでまたそれを話そうかなっていうふうに思っているんですけど、
33:02
なので詳しくは僕の日記を読んでくださいっていう乱暴な前振りをしながら、
とはいえちょっといろいろ話を聞いていけたらなというふうに思っていて。
何だろうな。
この本の中でそれぞれ基本一冊かそれ以上の本が、
主に小説が読まれて、そこにまつわるないし、
そこと何かしら個人的に響き合うときに出向いていくっていう構成の中で、
何ていうのかな。
重前に楽しむためにはそれこそ、
この本知ってるみたいなのがあったら、
より深く面白がれるんだろうなっていう仕掛けが、
読んでないくてもなんとなく橋橋から感じる部分と、
とはいえ僕は割とそんなに、
何ていうのかな。
できた小説読みではないので、ほとんどここで出てくる小説について読んでいなくて、
それでもやっぱり、
何ていうのかな。
読んでいなくてもわかるというか、
もう少しレイヤーが、抽象度が上の、
本当に読むという行為に対する本なんだなっていうのを、
すごい読んでいて感じて、
何だろうな。
僕が一番思ったのはこの和歌書文庫さんが書かれる文章であったり、
本を読むっていう行為についてのスタンスっていうのが、
本は読むと周りから浮くっていうことなんだろうなっていうのを、
すごい感じまして、
何だろうな。
偽の記憶なんですけど、
学校で教室に特に休み時間とかに、
特にやることもないから、
なるべく人気のない非常用階段とかのところに、
一人でフラッと行って、
そこでずっと本を読んでたみたいな、
何かそういうない記憶が、
喚起されるというか、
何ていうのかな。
やっぱり本を読むということは、
特に何か、
何ていうのかな。
厳世的な利益があるわけではないというか、
すぐにそこに友達ができるわけではないというか、
何ていうのかな。
36:00
分かり合える友達がいないからこそ、
本を読もうとするのだけど、
本とも分かり合える気があんまりしないし、
その分かり合えない本と格闘しているうちに、
ますます周りの人たちとは分かり合えなくなっていくみたいな、
本を読むということが持っている、
少し心細い部分というか、
寂しい部分みたいなものを、
すごい生々しく思い出すというか、
それこそそういう、
ある意味切実さを持って本は読んでいたんだけれども、
その本というものに、
特にいつも傍らにある友のような、
読み方ができなくなってくる瞬間って、
本を読んでいると必ずあると思っていて、
そこの不安というか、
心もとなさみたいなのを、
もとにずっと、
ふらふらといろんなところを彷徨い歩いていく、
というような本なんだなっていうのを、
すごい連載の時にも思っていたんですけど、
本に閉じられた形で連続で読んでいくと、
すごい思って、
ここでこの片手の私は、
どれだけ方々に出歩いていくのだろうと。
出歩く先にある水が、
どれもそんなに綺麗そうではないところとか、
どこもそれほど天気がいいわけではなさそうなところとかも含めて、
ある意味夢いっぱいではない風景が続いていく。
こうだったらいいなってやったりとか、
こうなるんじゃないかなって予想であったり、
ちょっとした期待みたいなものが、
常々裏切られていく。
でも別にそれはそれで淡々と、
歩いて読み続けるっていう、
その感じが、
非常に本を読む時ってこういう感じだよねというか、
分かりやすく美化するわけでもなく、
すごいヒロイックに本を読むことってこんなにいいことだよとか、
すごいことだよとか、こんな苦しいことだよみたいなことを、
煽ってくるわけでもなく、
ただ淡々と、そもそもこう、
生活というのはままならないもので、
予想というのは裏切られるもので、
みたいなところの延長線上に本を読んだり、
街を歩いたりすることがあるっていう、
その感じに僕は非常にこう、
グッとくるところがあるというか、
いいなと思いながら読んでいました。
ありがとうございます。
かきなえさんに、
とっても素晴らしい書評を書いていただいたんですけど、
読んだ時に私は結構ギクッとして、
私、確かに書評の中で、
友達に貸した本は読まれずに、
帰ってくるっていう部分を指摘していただいてたんですけど、
39:02
確かにこの本の中に、
友達に本を貸して、
読まれずに帰ってくるシーンが2回あるんですよね。
2回って結構異常なんじゃないかと思って、
でも指摘されるまでに全然気づかなくて、
確かに私は本を通じて、
人と親しくなったりとか、
本について人と語られた記憶ってほとんどなくて、
本を読む人は、
私が読まない本をすごく読む人か、
私が読む本も含めてすごく本を読むし、
話についていけなくて、
鼻で笑われる人か、
全く本を読まない人か、
その3種類しか私にはいなくて、
自分みたいな、
自分と同じタイミングで自分と同じ本を読む人っていうのが、
本当にほとんどいなかったんですよね。
そういう人にとって、
例えば、この本をもっと書評っぽくすることとかもできたと思いますし、
もしくは、もっと本を読むことの喜びに満ちた、
明るいエッセイにもなったと思うんですけど、
ならなかったってことは、
もしかして、私そんなに本あんまり好きじゃないのかもしれないみたいなこともちょっと思ったりもして、
本そのものが好きっていうより、
生きてて本があって読まなきゃいけない気がするから、
なんか読んでるみたいなところがきっとあって、
本を読んですぐ何か起こるわけじゃないけど、
でも今読んでおくと、いつの日かきっとこれが何かになるかもしれない、
自分はどうにか変わるかもしれないって思って、
読んでたのかなっていうのが、
この本には出ているのかなという気が今になってしています。
すいません、ちょっとまとまらない話になってしまいましたが。
すごい面白いと思います。
なんだろう、やっぱり読んでて、
なんていうのかな、やっぱり今の、
それこそ例えばツイッターなんかで、
よく流れてくる本のあり方って、
割とそのなんていうのかな、この本を読んでる人たちっていう共同体を原始したくなったりとか、
42:03
なんていうのかな、
あえてすごい意地悪な言い方をしてしまえば、
コミュニケーションの手段としてあるような本っていうのが、
すごいやっぱりメインになってくると思うんですよ。
それってどういうことかっていうと、
その一つの本が帯びている社会性であったりとか、
今アクチュアルな部分ってどういうものなのっていうところで、
それぞれがそれぞれの読みを披露していくっていうような、
コミュニケーションが発生するために、
そのテーブルの真ん中に本があるっていうようなあり方が、
割と今、特にSNSとともに本を読むというようなあり方の中だと、
結構スタンダードだと思っていて、
そこに対して、やっぱりこのウロン機構で書かれているのは、
川尻文庫さんの本の読み方って、
なんていうのかな、ある意味非常にオーソドックスで真っ当だったはずなんだけど、
今となってはちょっと特異に見える本の読み方だと思っていて、
やっぱりそこに、選書の並びからしても、
そこに何かわかりやすい、今の社会的イシューが見えてくるわけでもなければ、
そうですね。
何かの狙いがあって、
ここでこの流れで来たら、次これだとここで外してやろうみたいな、
意図があるようにもあんまり見えなくて、
本当にやっぱり、
選書自体にその意味が帯びてないんですよ。
やっぱりその本を、
和川尻文庫さんが読んで、その街に歩くっていう、
そこまでセットにならないと出てこない文章だなっていうのをすごい感じて、
なんだろう、そのやっぱりこの、ある意味外界から隔絶されて読んでる感じに、
すごいほっとするというか、
やっぱり、読む本見つけるところから、
孤独な作業であった方が、
僕は好きなんだなっていうことは改めて思うというか、
読むことと歩くことがそんなに何か、
世に何かを問おうとかっていう方向に向かっているわけではなくて、
自分と今いるその土地との対話のためにある、
ないしはその土地を利用しながら、その本とがっつり向き合うような読み方をするっていう、
なんかそういう、
一対一でというか、一人でやるものとしての読書みたいなものが、
すごいしっかりと書かれているんだなっていうところに、
やっぱりその、
45:00
やっぱり代わりに読む人っていうレベルから出るものとして、
意味があるというか、
今という時代にあんまり振り回されない中で、
読む行為ってどういうものなんだっけっていうことを考えるにあたって、
すごいこう、いろいろと、
とっかかりが多い本だなっていうふうに、
先ほどのお話を聞いていて、すごい改めて思いました。
なんか今滝谷さんが言ってくれた、
アクチュアルな問題に、
取り組んでる感じの全く、
選書の中からはしないっていうのはまさにその通りで、
別にそれを事前に相談したわけでは全くないんですけど、
結果的にそうで、
逆に現代的なアクチュアルな問題に取り組んでいるように見える選書にしてたら、
代わりに読む人からは出ないんじゃないかなというふうに思います。
むしろやっぱり生よく読んでもらえる本にしたいなっていうのはあって、
だから今すごく、これはタイムリーだよねっていう読み方をすると、
やっぱり賞味期限っていうのもあるし、
そういう問題はないんじゃないかっていうことと、
あと、これさっき言ってもらったとってもオーソドックスな本の、
本来のオーソドックスな読み方をしてて、
すごいそれを読む中で、読んでる私が徐々に変化していくっていう、
すごくオーソドックスな本のはずなんですけど、
こういう本が今全然ないんですよ。
そうですね。
だから出す意味があるかなと。
あと、これが2019年から21年頃の匂いがしないかっていうと、
全くそんなことがないんですよ。
後になって読むと2019から21年らしい本になってるんじゃないかなと。
そこもとてもいいなとか思ってます。
そうですね。この中で書いた街の描写とかも、
多分どんどん変わっていってしまうんだろうなっていうのはすごく思って、
そうですね、どことかがいいかな。
特に住宅街とかも、
なんかちょっと商店街と住宅街の間みたいなところがあったりとかもしたんですけど、
それももう多分どんどんどんどん変わっていってしまうので、
今書いてる時点ではそんなに自然に描写のつもりで書いたものも、
どんどん変わっていってしまうと思います。
金沢文庫とかも、それこそ再開発の途中みたいな時期だから、
48:01
この数年で全然綺麗になっているんだろうなとかね。
はい。
やっぱりその、なんていうのかな、
本当にやっぱり成長物語としても、
すごい綺麗に構成されているなと思って、
これどこまで内容を話して、
日本人の楽しみを奪わないか、
気をつけながら喋んないと、だから難しいですけど、
なんていうのかな。
僕何度か喋ってると思うんですけど、
若翔文庫さんが初めのランバダで陣を出された時から、
割とちょっと、あんまり僕は好きじゃないタイプの人かもっていう危機感を持ってたんですよ。
というのもやっぱりなんていうのかな、
いろんな尖った経験に基づくエッセイみたいなものを書くときに、
だいたいものすごい自閉して、自分のことばっかり喋ってるか、
もしくは人のことも書くんだけれども、
結局それは他者のことを都合よく散脱するような書き方ばっかりで、
周りの人を材料としてしか見てないんじゃないのか、この人はみたいな。
どちらもやっぱり周囲に対する想像力の欠如みたいなもの、
どうしても鍵取ってしまうようなものが多くて、
それがすごい嫌で、そういうのだったらどうしようって思いながらも、
それこそ友田さんが激推ししてたので読んでみて、
なるほどこういうことかって思って、そこからずっとファンなんですけど、
やっぱりなんだろうな、とはいえやっぱりランバダの初期のところとかより、
2、3と続いていったあたりの方が僕はやっぱり好きで、
そこの変化の流れと、このウロン気候の中で、
街をさまよい歩きを読みながら、
なんとなく変化していくっていうわけでもないんですけど、
何か自分の状態が変わっていくっていうところの流れとか、
割と綺麗にリンクしているように読めたりもして、
どちらにせよ他者とは分かり合えないみたいな、
ある意味すごく素朴な断絶の意識から、
本を読んでそれでもやっぱり分かんねえなっていうのを続けていく中で、
51:04
だんだん自分の立ち位置というか、
自分と環境との間にどういう関係をこれまで取り結んできて、
これからどうしていきたいんだっけみたいなことを、
すごいいろいろと考えていくっていう作りになっていて、
僕は連載で読んでたときも、やっぱり6章の金沢文庫の回で、
すごい一つぐっと転換したなというか、
ここである意味、
自分と、それを社会と呼ぶかは微妙なんですけど、
そういう外界とっていうところとの関係性っていうものに、
一歩また突っ込んでいく感じが非常にあって、
僕はすごいそこで感銘を受けてたんですけど、
今回書き下ろしで書いてある大井町の章まで読んだときに、
なんて綺麗な大衆章なんだろうというか、
あんまり言わないですけど、
具体的には言わないですけど、やっぱりそのなんていうのかな、
ある意味そこに僕は一番この2021年ぽさも感じて、
個人というものに、自分の私というものを、
さまざまな本屋、街屋っていうその外に自分と触れ合う中で、
その分かり合いなさだったり差っていうものから、
逆説的に自分の形っていうのがだんだんと見えてくるっていうところを、
繰り返していって、やっぱり最終的に、
やっぱり身体説言っちゃうとシンプルですけど、
自分の体、街を歩くこと自体もやっぱり読むって視覚だけの問題じゃなくて、
五感をフル稼働させながらやっていくことだと思うんですけど、
そこから最終的に本を読んでいくと、
自分の体に回帰するんだっていうところに、
すごいある意味ここに一番今っぽさというか、
それこそ数年前から言われているようなマインドフルネスだとか、
今世で迷っているであろうビジネスパーソンの人たちが、
なんかやたらと今ここなんだよとか、
自分の体って大事だよねみたいなことを言い出しているところと、
ちょっと全然別の回路から、
そういう結論ってわけじゃないですけど、
仮の一つたどり着く場所があるんだっていうところに、
すごい今出す本としての必然性を感じるし、
と言いつつ大井町で出会う他の人たちとの、
特に分かり合いなさそうな感じっていうのも含めて、
今のこの社会の空気っていうものを、
54:01
特に何も検討しないままに、
素朴に内面化できてしまうような人たちとは、
別のアプローチから、
なんか似たような結論に至るっていうところに、
こういうふうに個人っていうのは、
時代のというものを考えていくのかというか、
迫っていくのかっていうような感覚がすごいあって、
ここが僕は、この最終章を読んだときに、
これはすごい、どこまで、
それこそ例えば若松文子さんの計算なのか、
友田さんの栽培なのか、
どこまで意識的にこれをやり遂げているんだろうかっていうところが、
読んでいてすごい感銘を受けたところなんですよね。
僕は何もやってないです、基本的には。
僕は原稿をもらうときに、
次はこれでやりますって言われて、
あ、それは面白そうですねって言ってるだけですか。
書いてる本にそれでも書いてるだけ。
なるほど。
何でもすごくいいですねと褒めてくださっていました、ずっと。
なんかでも書き下ろし部分は13、14、15章ときて、
原稿を段階的にもらったんだけど、
その前の漫画道の章とか大相撲の話もよかったから、
もらうごとに、これあと2本書くけど、
ここを最後に持ってきますかみたいな話を聞いたんだけど、
いや次の方が多分いいと思うんでとかって毎回言ってて、
ほんとその通りになったから素晴らしいなって思ってますけどね。
なるほど。
そうですね、最後なんで私が絶対にこれだと思ったんですけど、
なんで絶対にこれだって思ったのかあんまり覚えてなくて、
いつの間にかもう絶対にこれにしようって思ってた結果、
あの、すんごい寒かったですね。
いや寒いですよね。
良かったと思いました、ほんとに。
しかも決めたらいかないといけないからね、寒い時でも。
すんごい寒かったですね、これは。
これ書くプロセスとしては、その1章から順番に、
ここでこれ読みますみたいなので、まず友田さんと相談して、
いいですねってなったら、実際行って書き始めるみたいなプロセスだったんですか?
そうですね、なんかもうもはやここでこれ書きますからみたいな感じで、
報告ですよね、基本的には。
なるほど、なるほど。
多分普通、連載をされる時って、
57:02
まあ普通かわかんないですけど、
なんかもっと多分事前に、4ヶ月先ぐらいまで内容とか定めると思うんですけど、
なんか私全然思い浮かばなかったので、ほんとにギリギリになってから決めてて、
いやー、よく続いたなって思って。
読み返してても本当になんか、もうどうなっちゃうんだろうって思ってた時とかは正直あったんですけど、
もうこれ本になるの無理だろうって思ってた書とかもあるんですけど、
こうなるとなりましたね。
本当に夜寝る前とかに、うわーもう全然アイデア思い浮かばない、
どうしよう、うわーってすごい思ってた時期とかもあります。
なるほど。
そうなんですね、なんか僕としては、
基本これ毎月1本送ってもらうって約束して、
基本締め切りより毎回全部早く送られてくるから、
そうですね。
その焦りはあんまり感じたことが。
本当ですか。
もちろん1,2,3,4,5,6って続いてく時に、
これは最後どこへたどり着くんだろうなーっていう時はもちろんありましたけど、
あんまり心配はしてなかったですね。
私はずっと悩んでいた時期があります。
苦しそうな章はあります。
そうですね。
結果的にうまく着地もしてるから、
その苦しそうな部分も読む側としたら読みごたえがある部分になってる。
起伏があってね。
そうですね、トータルで見るとちょっとした伏線のように感じられるかもしれません。
生身で伏線を張ってる感じがね。
もう本当にどうしようって思っていた時もありましたね。
これは。
そうか、それはでもあれですね。
本来編集者としてはもうちょっと助手が悩んでいるところに
ちゃんと一緒に向き合わなきゃいけなかった。
私が相談すればよかったんですけど、
読んでいただけると分かる通り、
一人でどんどん閉じこもってしまう部分があったので、
今思うともっと相談すればよかったなと思います。
そうですね、面白いですね。
それこそこのウェロン機構の連載の間に前提となっていたような、
それこそ読んだり書いたりするっていうことは、
やっぱり一人で引き受けるものなんだっていうスタンスが、
やっぱり実際に本の形にしていく中で、
いろんな人たちと作ったりとか、
1:00:00
今もそれこそリアクションいろいろもらったりとかっていうものを、
たぶん一人で作ってた時以上にいろいろと感じるんだろうなって。
このウェロン機構以降の和歌書文庫さんが、
ある意味本当にこの本や周りの人たちとどういうふうに付き合っていくんだろうかっていうのは、
それはそれですごい楽しみなところだなっていう気にさせるって意味でも、
やっぱりすごい成長端なんですよね。
やっぱり一つのウェロン機構っていうのは。
それはすごいいいなと思いました。
機構はまだまだ続くということで。
なんか、おじさんみたいな感じ。
おじさんっていうのはちょっと失礼ですけど。
でもこれ、実際にちゃんと言ってるっていうのが、
やっぱり一番いいですよね、なんだろうな、
やっぱり代わりに読む人っていうレーベルから、
これまでそれこそ友田さんがお一人で作って出されていたところから、
初めて別の人の本が出るっていう中で、
まず初めにこの本が出るっていうところって、
ある意味その代わりに読む人っていうレーベルは、
こういうふうな色になっていくんじゃないのかなっていうのも、
それこそこのレーベルが出ている本を追っかけている側としては、
いろいろと感じるところがあって、
やっぱり一つナンセンスじゃないですか。
非公文でいちいちその場に行って本を読むっていうルールを、
ある意味律儀に守っていくっていうこと自体が、
一つこう、ある意味なんていうのかな、
勝手に自分で設定したルールに縛られていく過程でもあるじゃないですか。
だからその真ん中のあたりで和歌書文庫さんが、
どうしようっていうふうに悩んでいるところっていうのを読みながら、
僕はすごいパリのガイドブックで東京の街を葛藤するってどういうことなんだろうって、
いやそれ自分で言い出したんじゃんってツッコミを入れながらも、
語り手が苦しんでいく様を読む時とやっぱりちょっと似たような感覚になって、
なんかそのある意味こう、やらなくていい苦労をわざわざ引き受けて、
やるからこそこういうところにたどり着けたんだっていう、
やっぱりそういうそのわざわざ引き受けることの大事さというか、
わざわざ苦労することの大事さみたいなものが、
やっぱり一つこの代わりに読む人というレベルの中に共通していくモチーフになっていくのかな、
みたいなことも読みながら思ってました。
そうですね。
和歌書文庫さんが最初にさっき、
1:03:00
僕がこのウロン機構の連載を依頼した時のメールをずっと読み返したんですけど、
2年くらい前なんですけど、
なんか最初いくつかアイディアを和歌書文庫さんも出してくれた中で、
なんかでもこのままだと代わりに読む人から出す、
代わりに読む人で連載する意味がないからみたいなことを書かれていて、
それでなんかこうしようしようって言ってこういう形になったんで、
まあだからある意味このなんだろう、
わざわざナンセンスなルールを設定して何かをやるっていう沼に、
引きずり込んじゃったかなっていうなんかちょっと責任、
やっぱね、その大量に作品をこう並行して書けるわけじゃないから、
ある種ある一定の期間こうやって、
まあ結果的にいい本になって僕はとってもよかったと思うんだけど、
途中やっぱりね、こう、
なんか申し上げないことをしたのかなという気持ちもないわけではなかったので、
でもなんかね、結果的にやっぱりこういうのをちゃんと完成できたのは良かったですね。
あとさっき柿内さんがレーベルの色っておっしゃったけど、
まあ確かにこう、ある意味この本、僕にとっても編集者としては一冊目の本なので、
和歌社ポンコさんにとってももちろんデビュー、
あの書籍としてはデビュー作になるから、
なんかこうちゃんとした本にしたいなっていうのがあって、
それでこうハードカバーにしたりとか、
いろんなことをやったんですけど、
でも確かにね、代わりに読む人からレーベルを書いてもらって、
確かにね、代わりに読む人からレーベル本は今後も、
なんかこういうカラーの本になるんじゃないかというのをちょっと感じさせるようなところはありますよね。
それも聞きたかったんですよね。
やっぱりそのなんだろう、代わりに読む人として出す本の中で、
冒頭にもちょっとお話してましたけど、一番本じゃないですか、
はい。
なんかそれすごいなと思って。
初めに出る一番本みたいな本が、ある意味そのなんだろう、
ご自分の本ではなくて、
人の本を自分のレベルから出すっていうタイミングで、
この形を出してくるっていうところ。
なんだろう、すごい小っちゃい話なんですけど、
僕だったらまず自分で立派な本、自分の本作ってから、
人の出そうみたいな形になるかなみたいな。
だって、みみっちいことを考えちゃったりするんですけど。
いや、なんかむしろ、本当はその方がいいのかもしれなくて、
ある種、なんだろう、自分の本は失敗しても、
最悪自分にしか被害はないから、
自分の本で実験して、うまくできる状態で、
人の本を出した方がいいんでしょうけど、
そこをやる余裕がないっていうか、
1:06:01
いきなり気合を入れてやるしかないっていうのはあったので、
赤嶼文子さんのでっていうのと、
あとは何でしょうね、やっぱり今までは出版レーベルと言いながら、
自分で本作ってるだけじゃんっていうのは、
僕の、なんて言うんだろう、
人はそんなことまで思ってないかもしれないけど、
自分にはやっぱりずっとついて回ってたことで、
だから今回これでやっとある種の出版社として、
やっと初めて立ち上がった感じがあって、
僕もやれる限りはっていうのと、
あと他人の本の方がやりやすいですよ。
本当ですかね。
自分の本はね、セールスの話もそうですけど、
だから今回物凄い僕楽なんですよ。
もちろんお金が大変とかスケジュールきついとかもちろんあるんですけど、
精神的な辛さは自分の本の半分以下ですね。
全然辛くない。
なるほど。
だからやれてるっていうのがあります。
だからここまでクオリティの高い本ちゃんと人にお願いして出してるのも、
営業も、
自分の本、100年の孤独を代わりに読むとき、
結構頑張って営業しましたけど、
その後、
その何倍も今回は営業してるので、
それができるのもやっぱり人の本だからですね。
自分がこの本はとってもいい本だって文章を、
とにかく僕は若者文庫さん最初に見つけたっていうのは失礼な言い方なんですけど、
でも他の人が見出す前に、
これはやばいと思って、
書いてる内容もそうだけど、
とにかく僕は文体が一番素晴らしいと思って、
その文体の良さを他の人にも読んでもらいたいと思って、
お願いして本にして、
だからいいのはもう自分の中で確信があるから、
だからとにかく作るのも売るのも全然苦がないっていうかね。
なるほどなるほど。
なんで一番本らしい本になってる?
だからある種確信が一番あるってことかもしれないですね。
他の方がね。
だからブレないでちゃんとしっかりした本を作るって。
あとすみません。
ついでにもう一個だけ言っときたい。
今日絶対言っときたいと思ったことがあって、
文体が素晴らしいっていうのは、
最初のこのランバダ1の一番最初のエッセイを読んだ時に、
冒頭で思ったことなんですが、
もう一個言いたかったのが、
一番ラストの後書きに、
一番最後ですね。
小さい頃本ばかり読んでいる私の母親は、
それならば本を書く人になればいいねと言った。
結局なれなかったんだけど、
こうした形で初めて本を出す楽しかったなと思って書いて、
見たくなったって私は本を書いてて、
1:09:03
たくさん読んできたのは本当によくわかったし、
ぜひ本当に言い方をごめんなさい。
失礼な言い方を書かせてあげたいと思ったんですよね。
ありがとうございます。
だからこの一行を読んで、
それなら書く機会は、
僕は提供できるんじゃないかなと思って、
こうやって書いてもらって本になったんで、
本当に嬉しいですね。
そこをぜひ、
僕が言いたいことは今日は終わりです。
すごくいいコースを言ってもらっているのに、
音声が。
音声が微妙にひよひよになっているから、
これちゃんと入っているといいな。
宇宙人みたいになっちゃって、途中から。
そう、途中でちょっと。
音声が。
ちょっと宇宙からのメッセージになっちゃって。
もう何かの最終回みたいでした。
遠ざかっていく宇宙船から最後にみたいな。
ちょっとうちの電波の状況が終わりを。
でもすごいいい話ですね。
なんだろう、やっぱり、
そうか、代わりに読む人が、
ある意味それこそ本物の出版社みたいになるためにも、
自分にとって世に出したい人の本をちゃんとこう、
ちゃんとした形で出すっていうことが、
ある意味今回友田さんがわざわざこう、
引き受けた苦労だったんだなっていうのをすごいこう、
腑に落ちました。
そうなんですね。
だから僕も書いてくれる人を求めてたっていうのもあると思うんです。
19年頃っていうのは。
自分のレーベルとしての題材は整えたけど、
自分の本しかまだ出してなかったっていう時に、
ちゃんと一人前の出版レーベルになるためにはって。
で、なんかいい書いてくれる人を探してたところに、
たまたま目に飛び込んできたっていうのがあったと思うんですけどね。
なるほど。
いいですね。
もう一個お伺いしたかったのは、
今回友田さんが100年の孤独を代わりに読むの時に、
全国案外して、そこで顔がつながっている本屋さんっていう、
ある意味一つの友田さんが持っている強みというか、
これまで培ってきた関係性っていうものを、
古に生かしながら、それだけにとどまらない勢いで、
ものすごい売りに、というか、この本を届けにいくっていうことを
されているなっていうのを、
僕は今ツイッター越しにしかわからないですが、
すごい感じていて、
というのも、
僕が今思っているところとしては、
一体どれだけ憲法で届けていったんだろうっていうのが、
1:12:01
まず一つと、
あとどれだけの本屋さんにそのプルーフをお渡しして、
初めからスタートダッシュで営業をかけるっていうところを、
仕込んでいったんだろうっていうところ。
ここまでやっているということは、きっと他にも、
ものすごい色々と、届けるために仕込んでいるものがあるんだろうなっていうのを、
すごい感じていて、
入れる範囲でというか、録音で公開できる範囲で、
今回流通面で、代わりに読む人としてどんなことをしてきて、
どんなふうに届けていてっていうところであったりとか、
あとはそのものを作っていくというか、
コンテンツを実際に作っていくっていうことと、
流通させることって全然別のことだと思うんですけど、
代わりに読む人においては割とそこがすごい、
ちゃんとつながってるというか、
相反するものではない感じがすごいしていて、
そこがやっぱりすごい気持ちいいところだなと思ってるんですけど、
そのあたりでどういう戦略で、
どういうふうに届けていこうと今しているのかっていうところを、
ちょっと最後に聞いておきたいなと思ってたんです。
なるほど。
たぶん若者文庫さんの知ってることもあるし、知らないこともあると思うんですけど、
これでもね、結構本当はやろうと思っていることの、
やっぱり6割ぐらいしかできてないんですよね。
もっと本当はいろいろ、
パリ活の前の僕の本を出したときも、
いろいろ営業もいろいろやったんだけど、
その時は結構僕も自分のさっきの話と同じで苦しくて、
あんまり真面目にとってもいい本です、
自分の本とってもいい本ですよってやっぱり言って売るのって、
すっごいしんどいんですよ。
柿内さん分かってると思うし、
若者文庫さんも自分で作られてるか分かると思うんですけど、
嘘、人を騙してるみたいな気持ちになる。
あと客観的に自分の作品は見れないんで、
っていうのはあって、
ただその時も結構悶々としている時間が長くて、
ただ悶々としている時間って、
本の売上には全くつながらないんですよね。
悶々としている時間はただ土分時間を捨てているだけなんで、
っていう気づきがあって、
むしろやれることをやったらどうなんだろうっていうふうに、
スタンスを変えたんですよね。
っていうのは1個大きくて、
だから例えば、
なんでもっと売れないんだろうじゃなくて、
売るためには何をやったら売れるのか、
売るっていうよりはちゃんと手に取ってもらって、
読んでもらえるかっていうところね。
どうやってつなげられるかって考えた時に、
じゃあちゃんとかっこいい注文書を作って配る。
1:15:04
配る時にちゃんと一人一人にメッセージを書いて配るとか、
例えば一般の書店さんだとファックスとか、
メールで今だと案内するんですけど、
今回は実はもともと取引があったところとか、
入れてくれた本屋さんは全部手紙で僕送ったんですよ。
手紙だとやっぱファックスって不鮮明だから、
カバーどんなかっこいいかとか分かんないじゃん。
なるほど、なるほど。
色甲が出てきた段階のカバーを掴み本に参った写真を撮って、
注文書は若手のデザイナー、
それは小林さんとは違うデザイナーさんに対して注文書を作って、
カラー印刷、プリンターでたくさん作って全部手紙送ったんですよね。
っていうのもあるし、
あとは注文書も今回僕が文章を書いて、
いかにこの本が気合の入った本かっていう文章を書いて送りつけたりとか、
そういうのはあるんです。
だから、こうかこうかコロナがあって訪問できないので、
とにかくでも物理的に何かを送りつけるっていう、
それ勝手にってやつですね、勝手に送りつけるっていうのと、
あとでもね、プルーフはそんなに配ってなくて、
個人的にどうしても読んでほしいな、
この人はきっとこの本強く押してくれるだろうっていうのが確信があった本屋さんには、
プルーフを送ってもいいですかって聞いて、
紙に印刷したものを送りしたりとかはしてますね。
あとね、
なんでそんな感じでやったりとか、
あとプレスリリースを報道機関には実は結構送って、
あんまり反応はないんですけど、
送ったりとかしてます。
で、なんかこれについても、
なんて言うんでしょうね、
前だったら何で反応ないんだろうって多分くよくよしてたと思うんですけど、
こういうのってやっぱり時間がかかるんだっていうのを、
僕もだいぶ今理解できていて、
今回は和歌書文庫さんの本だけど、
和歌書文庫さんの時にプレスリリース出したけど、
それがまたプレスリリース来たって認知されるのって、
今回じゃないかもしれないんですよね。
だけど、
知っておくことがとっても大事だって今は僕は考え直していて、
なので今回はもしかしたら報道機関からは、
なんかこうリアクションないかもしれないんですけど、
ちゃんとしっかりした本作ってるっていうのを伝えておくのは大事だなと思っている。
で、実際ちょっとまだお話できない内容もあるんですけど、
ちょっとびっくりするようなこともあるんですよ。
1:18:02
だからやっぱり営業を真面目にやるといいことあるなっていうのと、
前の本からやってたことが今回さらに2回目だったんで、
見乗ったのかなっていうのもあるので、
やっぱりどんなことも時間はかかるなと。
本作るのも2年かかってるし、
営業も何冊か真面目にやってきて、
初めて今回入れてくれてる本屋さんもあるし、
そういうところはコツコツやるしかないのかな。
なので今回特に馬力を僕も入れてるんですけど、
徐々にやってきて継続して見乗ってるところがあるのかなと。
あとはもう1個だけあるとすれば、
今回のはすっごいお金かかってるから、
たくさんすらないと採算が合わなくて、
そうするとたくさんするとたくさん売らない限りは回収できないので、
そういうお金の問題もありますね。
なのでまだまだ営業頑張らないといけません。
なるほど。
面白いな、そっか。
やっぱりそれもこういう人の本であるからこそっていうところも、
ある意味自分の本にどうしても付きまとう自意識みたいなものがないから、
より一層今やるべきことに集中できるみたいな。
すごいですよね。
なんだろう、あの人もこの人も憲法の報告をツイッターで続々と今上げて、
ものすごい今僕のツイッターのフィルターバブル内では、
みんな読んでるんじゃないかぐらいの。
ありがとうございます。
それもすごいなって思います。
それこそなんだろう、僕もいただいてしまいましたけれど、
買う気満々だったのに、そこもやっぱり僕のみみちいところなんですけど、
絶対こいつ買うだろうって思ってる相手に、
ある意味わざわざ送りつけるって、
すごいだから、さもしいがとするとものすごい機会ロスじゃないですか。
それすげえなって思って。
すごいですよね。
友田さんは本当にある意味顔の見える相手よりも、
もっと広いところに射程を置いてるんだなっていう、
ひとつの一生命でもあるなっていうのをすごい思って。
別に僕もその素朴にファンだから買うんですけど、
でもやっぱり何かしらつながっているからお切りで買うみたいな側面が、
何かしら発生しなくもないかもしれないみたいな人たちであったりとか、
もしくはあんまり見ている、
憲法のされている方々を見ていると直接関わりがなさそうな方まで含めて、
すごい勢いで一度配っている感じがしていて、
1:21:01
あれすごいですよね。
憲法の純粋な発想作業がかなりの労力だったと思いますね。
100は配ってないんだけど、
結構100に近い数まで配っているので、
結構配りましたっていうのはあって、
でもなんかやっぱいい本だから読んで、
こっちとしてはもちろんこれは何か義務として求めてるわけじゃないんだけど、
読んでとても良かったら良かったとは言ってほしいなと思ってはもちろん配ってます。
それは当たり前だと思うんですけど、
良いと思わなかったら良くなかったって言ってもらってもいいなって、
そんなことは挨拶文には書いてないんだけど、
でもなんか本当に正直に書いてもらったらいいなっていうつもりで読んでて、
もう一個あるのは、
私これあんまりここだけだから大丈夫だと思うんですけど、
憲法をやっぱりいただくこともあるんですが、
自分でお金出して買った方が読むし、
心が入るなって思うこともあるんですよね。
いただいてとても嬉しくて読んじゃうってことももちろんあるんだけど、
やっぱなんか自分で体を動かして本屋さんに買いに行って読むっていうことの重要性っていうのは僕も理解しているので、
なんなら差し上げない方が深く読んでもらえるかなと思うところがなかったわけじゃないんですけど、
でもやっぱり送ってぜひ読んでほしいっていう方が買って、
お送りして、書きなりさん、ぜひ読んでほしいなっていうのがあって読んでいただいてます。
それは本当にすごいなと、
僕はそれこそこういう形で本をいただけたのが初めてだったので、
素朴にめちゃくちゃテンションが上がりました。
いいなと思いながら。
ちょうど下北沢での初売りの日に仕事だったんですけど、
どうにかこうにか都合をつけていけないかなっていうのをめちゃくちゃ拡散している時期にご連絡をいただいたので、
すごいこう、あ、じゃあこの頑張りはしなくていいやみたいなところも含めて、
個人的にすごいいい体験でした。
っていうのは別にいいんですけど。
なんかあれだったんですよ、検本してもいいですかっていう問い合わせを皆さんにしたのが、
結構僕もすごいバタバタしてて、結構聞くのが遅れたんですよね。
もう本が出てきちゃうぐらいの時期に初めて見たから、
結構もう予約販売を始めてる本屋さんもあって、
1:24:00
もう予約販売で買っちゃったよって言われるかなって思ったら、
意外と皆さん、ぜひありがとうございますって言ってくださって、
結果的にほとんどの方にはちゃんと送ってきたのでよかったですね。
なるほど。
いいですね。
いや、だから、いやーすごいなー。
成り立ちも含めて非常にいい本だなっていう風に思ってるんですが、
若書さんとして、
はい。
なんだろう、それこそやっぱりこう、ご自分でランバダシリーズであったり、
本作ってきて、
多少そのこう、なんだろうな、ご自分でいろいろ届けてきてっていうところとは、
やっぱりまたその中では届かないところにまで届くようなものになっているわけじゃないですか。
はい。
なんか、だめだな、すごい雑な聞き方になっちゃいますけど、
どうですかっていうか、
今、なんだろう、なんていうのかな、
やっぱりその自分一人でこう、世に問うときと全然心持ちが違うと思うんですよ。
そうですね。
なんか例えばそれ、なんだろうな、今本当に、なんだろうな、めちゃくちゃ調子乗ってますとかでもいいんですけど、
なんか今どういう感じなんだろうなっていうのが聞きたいなと。
そうですね。
めちゃくちゃ調子に多分乗ってると思うので、
調子に乗ってたら、調子に乗ってるなと思っていただければ。
真面目な話をすると、
やはり今回、このウロン機構が取り扱いただける本屋さんがたくさん、
もう先行販売書店の本屋さんだけ、書店の皆さんだけでも、
もうかなりのテンポに上がっていて、
もうこれはもう友田さんの人徳だなと本当に思っていてですね、
すごいなと、私はなんかそこに、言い方悪いんですけど、
ただ乗りさせていただいたような気持ちが、
友田さんの今までの行いにただ乗りさせていただいたような気持ちにもなってるんですけど、
やはりちょっと思うのは、
もうこの本がウロン機構が出た時点で、
この本は私だけの本では絶対にないので、
もう関わっていただいた方がたくさんいらっしゃって、
もう奥づけにも載ってますけど、
1:27:04
注文書をデザインしていただいた飯村さんとか、
本当に関わっていただいた人がたくさんいて、
もうこれを売って、この本はもう売ってくださる、
その書店の皆さんの本でもあると思いますし、
読んで感想を言っていただいたり、
というよりも手に取っていただいた方のものでもあると思うので、
そういった人たちに、今後これだけじゃなくて、
今後何かを返していきたいというか、
今まではもう一人で自分勝手にやればいいなと思ってたんですけど、
そうじゃなくて関わっていただいた人に、
何かポジティブなフィードバックができるようにしていきたいなっていうのは、
最近特にそう思っております。
すごくいいこと言っちゃいましたね。
でもやっぱり素朴にそうなりますよねって。
そうなりますね。
すごい思います。
僕が聞きたかったのは、
それこそその著者プロフィールのところに、
作家って書かれてるじゃないですか、
ポエティックラジオに和歌書文庫さんに初登場していただいたときは、
インディード作文家だったじゃないですか、
すごいそこに僕はこのウロンキコウっていう本の、
僕最後にこの著者プロフィール見たときに、
なんか一回最終章迎えたのにもう一回最終回来たみたいな感覚があったんですよ。
インディード作文家から作家にこう、
作家っていうこの名前を引き受けてきた。
そこにねやっぱりこうなんだろう、
結構な覚悟というか、
なんかジャンプがあったんじゃないのかなっていうのを、
勝手にこう感じて、
はしゃいでたんですが、
これはやっぱり本を作っていく中で、
こういうプロフィールにしようって決めてた感じなんですか。
そうですね、最初はインディーズ作文家ってここに確か入ってたんですよね、
入ってたんですけど、
誰がインディーズ作文家の本を買うかという話になって、
読んで、こんなに立派な想定で結構な分量もあって、
一番最後にプロフィールのところでインディーズ作文家ってあったりしたら、
やはりしらけるでしょうし、
本屋さんでパラパラパラって手に取って最後に見てインディーズ作文家ってあったら、
1:30:00
買わないんじゃないかっていう助言もあって、
私としてはかなり抵抗はあったんですけど、
ここで作家として、
この最後のこれも本当に何にするかすごく迷ってたんですけど、
そうですね、こういった著者プロフィールに、
作家、1991年北海道生まれ、好物はウニというプロフィールになっております。
なるほど、
そう、この著者プロフィールが僕はすごい好きで、
ありがとうございます。
作家っていう肩書きをある意味自分に引き受けていくっていう覚悟を感じつつ、
最後に好物はウニで、外していくこと自体は外しはするっていう、
ある意味精一杯の抵抗というか、
はぐらかしみたいなもののさりげなさも含めて、
すごい良いなぁと、
今見るとツイッターのプロフィールも、
そうなんです。
変わっているんですね。
なるほど。
本当はここで、都内で猫2匹と暮らすとかにできたら良かったんですけど、
猫を飼ってないんで、できませんでした。
ここに書くために、
でもそれ、猫2匹を飼って暮らすって書けば良かったよね。
嘘ですか?
飼ってないじゃんっていう、知ってる人は飼ってないじゃんって褒める。
でもちょっと嘘はつけないので。
そうですね、プロフィールですからね。
そうですね、ウニは好きなので。
なんかこれね、諸行のゲラが出て、
後世者からの後世をどうするかっていうのの打ち合わせを、
渋谷のルノワールかなんかで、
ずっと丸1日やってた日があって、
その時最後、プロフィールどうしますかねみたいな話になって、
仮で入れてるこれはどうしますかって。
インディーズ作文化って他に名乗ってる人もいないし、
本人もすごい気に入ってるプロフィールっぽかったし、
僕もいいなと思ってたから、
残してもいいかなと思ったんだけどどうかなって結構悩みましたね。
悩みましたね。
なんか文筆化にするかとか色々と案があったんですけど、
そうですね、なんかここで何かの賞を取ってたら、
賞取ったって入れられるのになーって私は帰り道思って、
何か賞ないかなって思って、
賞、賞って思いながら帰りました。
1:33:03
今後賞を取ることがあれば、ここのプロフィールが十半で、
そうですね、変わっていくかもしれないですね。
変わるっていうことはある。
じゃあちょっとあらゆる賞を狙っていきたいと思います。
協合大賞とか。
いいですね。
ちょっと本当に今後このウロン機構をきっかけに、
様々なメディアや賞が若塩文庫さんのことを見つけていくと、
よりこのプロフィールが豪華になっていく。
確かにね、若塩文庫さんに最初に賞をあげた賞っていう風になるわけですよね。
それはとてもすごいということになりますからね。
とてもすごいということになりますね。
なるほど、いいお話ですね。
ここもすごい良かったです。
どんどん活躍していただきたいですね、他のメディアとかでもね。
ありがとうございます。
これで消えていかないように、もがいて。
本当にこの本を読むと、作家っていう肩書きに非常に説得力があるというか、
本当ですか。
きちんと作品だっていうと変な言い方なんですけど、
作家の仕事なんですよね、このウロンキコ自体がやっぱり。
それはすごい感じました。
それこそやっぱりランバダと流通形態だったり、本の形がどうとかっていうことだけではなくて、
やっぱり何かしらある一定の強度を持った作品に文章自体がなっているっていうのも含めて、
やっぱりこれは作家になった、作家の仕事なんだなっていうのをすごい読んでいて思ったんですよね。
ちょっとあんまりうまく言えないですけど、
僕はもう堅くないずっと会社員っていう肩書きを使い続けていくんですけど、
やっぱりこれちょっと自分の話になっちゃってあれなんですけど、
やっぱり日記で毎日書いてるって、やっぱり会社員でもできる仕事なんですよ。
誰でもできる仕事なんですよ、日記書くって本来は。
だからこそ桓松プロフィールとかにも、これは会社員が書いた日記なんだとか、
それはミュージシャンが書いた日記なんだとか、猫屋敷に住んでる人が書いた日記なんだとか、
1:36:00
何でもいいんですけど、こういう人の生活が覗き見れるんだなっていうものとしても、
プロフィールとして会社員ってつけることにかなり意味があると思ってつけてるんですけど、
それこそやっぱり、今後何かしら、どっかで原稿を書かせてもらえないかなとか、
何かまた他の本とか出したりできないかなみたいなことを考えるときに、
やっぱり肩書きってすごい誘惑で、僕も作家って名乗っちゃえばいいんじゃないかって思ってた時期もあるんですけど、
やっぱりこのウロンキコを読んで、そうじゃなかったなって、
やっぱり作品を作って初めて作家になるんだなっていうのを、
すごい納得したんですよね。
やっぱり作品を作るからこそ作家になるんだなって、
やっぱり日記が全部作品じゃないというわけでは、もちろん言うつもりもないんですけど、
やっぱり納得のいく、自分でこれは自分の作品だって言えるようなものを作ってみたいな、みたいな気持ちにさせられて、
それはだから単純に個人的にこの本から受けた影響があるとすると、
なんかちょっと作家への憧れが初めて出てきたというか、
これはまだ戦略的に会社員であることを利用して書いていこうと思ってたんですけど、
作家と名乗るに足る作品、作りたいなあっていう気持ちにさせられたのが、
結構、僕としては嬉しい読書体験でした。
私もとても嬉しいです。
もともと私は書きなりさんは、会社員という肩書きを使う実質作家だと思っていたんですけど、
いずれその戦略的に作家と名乗る瞬間をずっと見張ってますね。
見守ってだといい感じになりすぎるので、見張ってますね。
わかりました。緊張感は持ってますね。
男の選びが堅いですね。見張っているっていう。
1984みたいな感じですね。
いいなあ。本当にこれからの活躍を祈りつつ、
ちょっと僕もなんで、多少本気で悔しがりつつ、
和歌唱文庫さんに少しでも追いつき、追い越せの精神でやっていければなというふうに思っております。
1:39:05
というところなんですが、この中で、なんだろう、和歌唱さんから、僕ばっかり質問だったりしちゃいましたけど、
和歌唱さんからこのタイミングで友田さんに聞きたいこととか、
友田さんから和歌唱さんに聞いておきたいこととかなんかあったりしますか?
そうですね、私はあったんですけど、この間聞いちゃったんですよね。
なので、どこまで聞けばいいのか、あれなんですけど、
ちょっとざっくりと、これから代わりに読む人は、次の打ち手みたいなのは構想をねってたりされているんですか?という質問を聞きたいです。
そうですね、いろいろ考えてはいます。
一つは、まだちょっとこれもどうなるかわかんないんだけど、やっぱりいろんな人が自分が興味あるものを読んでるつもりを築いたら全然違うものと出会うっていうためにはやっぱり雑誌が必要だなっていうふうに思っていて、
もちろん雑誌はもういっぱいあるし、どうすればいいのかわかんないんですけど、ただやっぱり代わりに読む人としての雑誌をやっぱりやりたいなっていうのが一個思っています。
もう一個は、やっぱりちょっとおかしなユーモアのある文芸書っていうのを掲げているので、文芸書、私の本じゃない本は続き出していきたいなというふうには考えて、いろいろどうしようかなとか今考えたりしているところですね。
ありがとうございます。
この間聞いちゃったんでって、何聞かれたんだっけって今思いました。
何聞かれたんですか。
だから今のね、次どういうアクションするかの、もう少しちょっとここでは言えないことも若干あるかもしれないものも含めて思います。
そうかそうか、いやー楽しみですね、それも。
まずは。
いろいろ秋以降に、ごめんなさい、秋以降に何かお知らせはまああるかもしれません。
ルンバが今喋っちゃった。
何かと思いました。
結構長く喋るんですね、ルンバ。
一瞬のピーポーだけだったので、結構長文を喋っちゃう。
そうか。
いやー楽しみだな。
多分この録音が公開されて、その次の週ぐらいには一般販売という形になるんだと思う。
1:42:01
ぜひぜひ、代わりに読む人にウロン聞こう。
これを聞くような人たちは、そもそももうみんな読んでるんじゃないかっていう気もしますが、
まだお手元にない方はぜひチェックしてみてください。
お願いします。
お願いします。
というところで、長い時間ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ポケティックラジオ、お相手は私、柿内翔吾と、実はゲストでこのお二人でした。
和歌書文庫でした。
友田敦でした。
どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
01:43:20

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