ザボさん、新番組お疲れ様でした。 本格的な番組の開始は来年の1月ということなんですけれども、今日はね、一足早くお楽しみいただけたということで、ちょっとね、得した気分ですけれども。
さてここからは、私と一緒にジャズの入り口を覗いてみましょう。
ジャズの入り口案内所、案内役のフランクナッパです。 この番組は、毎回様々なあとびだから、
ジャズの入り口をご案内するラジオです。 さて今回は、ポッドキャスト20周年記念配信リレーの6日目。
大人な雰囲気ということで、本日お届けしておりますけれども、ジャズというとですね、皆さん大人な音楽というイメージをね、持たれている方もたくさんいるかなぁと思うわけですけれども、
それと同じくらいですね、ジャズって難しいなぁとかね、敷居が高いなぁなんてことをね、思っている方もいるんじゃないかなぁと、
そんなことを思いますので、今日はね、浅瀬でチャプチャプとジャズの入り口をね、覗いていただいて、ジャズに興味を持っていただけたらいいなぁと、そんなことを持ってね、やっていきたいと思っております。
またですね、トークテーマがね、いくつか設けられているのですけれども、私はその中からですね、
ポッドキャスト20周年の20、こちらをね、テーマにして今日トークをしていきたいと思っております。
ということで、今日は私が20歳、20歳の時に初めてホールコンサートへ行った思い出の池尾寺UKロックアーティスト、
スティングの名曲についてお話をしていきたいと思います。 それでは、Englishman in New York
クエンティングクリスプとスティングの扉を開けてみましょう。 20歳の時のね、コンサートちょっとだけね、振り返ってみたいと思うんですけれども、
当時ね、大学2年生だったかな、スティングがね、私の住んでいる大学の近く名古屋にね、やってくるというね、深夜のテレビコマーシャルを見ましてですね、
今なら特別S席の予約ができるっていうことで、ちょっとね、思い立って、思い切ってね、今まで行ったことがなかったわけですけれども、
これを逃したらね、行く機会がないかもしれないということで、何の予定もなく2枚のチケットを予約しましてね、
で、もう1枚どうしようかなって思ったんですけど、たまたま優しい大学の後輩の女の子がね、
いいですよって言ってくれてね、とても素敵な顔屋らしい女の子だったわけですけれども、特別ね、そういう恋愛感情とかはなかったですけど、とてもね、
いい子で、でまぁ行く前にね、スティングの私が持っているCDを全部押し付けるように貸してですね、
これ聞いて、よかったら聞いといてということでね、お渡しして、でまぁ当日ね、名古屋の会場の方へ行きまして、
で私、そうは言ってもね、初めてのホールコンサートでね、ちょっと自分自身がドキドキしているものの後輩の子がいるのでね、
ちょっとそこはね、ピシッとしなきゃいけないという変な緊張感を持って行ったわけですけれども、
ステージ始まって、すぐ私の目の前のおじさんがいたんですけど、そのおじさんがですね、もう全力でこのスティングの歌を拳を突き上げながら歌ってるんですね。
で私初めてでしたから、そうか、こうやってコンサートに乗るのかと思ってですね、私もその全力で、
えー、汚い英語でなんとなくですけどね、歌える曲はほぼ歌っていて、後々考えるとね、そんなことしなくてもよかったのになっていうかね、
隣に誘った後輩の子いるんだからね、もうちょっと違った楽しみ方をすればよかったんですけど、
まあまあまあまあそんな甘酸っぱい思い出というかね、コンサート自体はとても良くてね、今でも思い出に残っております。
もちろんね、今日紹介するイングリッシュマンインニューヨークもその日歌ってくれた、そんな思い出がありますけれども、
私はね、そうやってスティングのことをとても大好きなんですが、皆さんね、スティングについてあまり知らない方もたくさんいると思うので、
少しね、お話をさせていただければなと思います。
まずスティングですけれども、彼はロックミュージシャンなんですけれども、ただね、音楽キャリアのスタートは実はジャズのベーシストだったんですね。
このジャズのベーシストとして、ジャズバンドで演奏している姿を見たポリスのメンバーにですね、スカウトされてぜひとも一緒にやろうということで、ロックグループのポリスを一緒に結成して、
1977年から1984年までの間、大人気ロックバンドポリスの一員、ベースボーカルとして活動を続けていきます。
このポリスではね、ものすごい人気でして、大成功を収めるわけですけれども、やはりね、長く同じグループにいると、いろんなことがあるということでね、解散の日を迎えると。
で、翌1985年にブルータートルの夢というアルバムで、スティングはソロ活動を始めます。このブルータートルの夢のレコーディングの際、スティングはね、ある挑戦的なことをします。
それは何かというと、それまでロックバンドとして活動してきたスティングが集めた、今回のソロデビューのバックバンドメンバーが、全員有名なジャズミュージシャンだったんですね。
ちょっとそのメンバーを紹介しますけれども、ドラムにオマー・ハキム、この人は当時大人気フュージョングループのウェザーリポートに在籍してました。さらにキーボードにケニー・カークランド、サックスにブランフォード・マルサリスを迎えます。
この2人はブランフォードの弟であるウィントン・マルサリスのバンドにいました。このウィントン・マルサリスっていうのは、当時めちゃめちゃ人気のサックスプレイヤーですね。ジャズのサックスプレイヤー。ですから第一線級のバンドにいた2人を引き抜いてくるわけです。
さらにベース。スティングはポリス時代ベースを弾いているわけですけれども、あえてそこにジャズベースのダリル・ジョーンズを引っ張ってきて、自分はギターに変更します。このダリル・ジョーンズっていうのは知っている方も多いと思いますが、あのマイルス・デイビスのバンドに在籍をしていました。
つまりですね、このスティングが集めたメンバーというのは、何も駆け出しのミュージシャンというわけではなくて、すでに自分の確固たる地位を築いていたトップミュージシャンをジャズの世界から、当時在籍していたバンドから引き抜いて自分のバンドメンバーに加入させたということなんですね。
じゃあなぜその一流のジャズミュージシャンたちがスティングの元に来たのか。
これはこのスティングのブルータトルの夢からしばらくの間、その様子を追ったドキュメンタリー映画がありまして、その中でいくつかの言葉が残っております。
スティングの言葉ではですね、ポピュラー音楽界は反動的で人種差別的な世界だと、ブラックミュージシャンの音楽っていうのは宣伝の機械さえ奪われている。
スティングのバンドは人種混合、つまりスティング以外はみんな黒人なんですね。
これっていうのはこの業界のシステムに対する挑戦だというふうにスティング自身が言っています。
他のメンバーもですね、ジャズマンがポップスを演奏することに対して否定的なジャズファンがいるかもしれないけれども、音楽家ならね、どんな音楽にだって挑戦するべきだ。
それからスティングの音楽っていうのは最高のものなんだと。
問題意識のあるミュージシャンっていうのはほんの一握りでみんなの頭にあるのはね、金のことばかりだ。
スティングは悩んでるんだ。
悩んでるんだ。このバンドを作ったことがその証拠だというようなお話をしています。
つまりね、このスティングがやろうとしていること、この考えている問題意識みたいなものがこのメンバーの心に火をつけた。
このメンバーたちの心を揺さぶったということが言えます。
このスティングという人は先ほどから出てきているような人種差別だとか政治的な問題に対して色々な意見を持ったり考え方を持って、
時には自身の楽曲でそのメッセージを伝えるということもたびたびしております。
スティング自身がね、僕らの音楽は決してジャズじゃないと言えばですね、
ドラムのオマーハキムがジャズやロックといったジャンルの壁を打ち破るんだというような言葉も残しております。
それまであった既成の音楽の概念みたいのを打ち壊して新しい自分たちの音楽っていうものを表現していくっていうような、
そういう挑戦的な考え方に共感したという部分も少なからずあるのかなというようなことを思います。
そんなポリシーを掲げて臨んでいたスティングのセカンドアルバムが、
今日の紹介するイングリッシュマンインニューヨークの入ったアルバム、
1987年に発表されたNothing Like The Sun、
こちらの3曲目、イングリッシュマンインニューヨークの話をしていきたいと思います。
ではこのタイトルにあるイングリッシュマンというのは誰なのか。
私は当時、20歳当時聞いていた感覚で言うと、これスティングのことだと思ってたんですね。
このスティングという人がイギリス、イングランドからアメリカのニューヨークに行って、
文化の違いだとかいろんなことの違いがあって非常に苦労したりとか、
イギリスの方がいいんだ、素晴らしいんだみたいな、
イギリスのプライドみたいなのを歌っている曲なのかな。
ニューヨークに行ってちょっといろいろ大変だったことを歌った、
疎外感がある孤独感の歌なのかなって思ってたんですが、
どうやらそういうことだけではないようですね。
ここで言うイングリッシュマンっていうのは、実はスティングとは別の人物、
クエンティング・クリスプという人に影響を受けて、
スティングが彼のことを歌った歌だというふうに言われています。
このクエンティング・クリスプって誰なんですかという方がたくさんいると思います。
少しクエンティング・クリスプについて紹介します。
1930年代、まだイギリスでは同性愛というのが法律に違反するというふうにされていた時代、
このクエンティング・クリスプは同性愛者への差別が激しい中、
女装をする芸として街を活歩して、
差別や偏見に対して堂々と抗議した伝説的な人物として語られています。
この人、1970年代から80年代に大変大きな影響力を持った活動家であり俳優であり作家です。
具体的にこの歌詞の中を見ていきたいんですけれども、
私英語ができないものですから、
本当に色々な人の和訳を見させていただいて、
解釈も人それぞれだったんですけれども、
ここからは私が読み取って、私が咀嚼をした歌詞の世界観だったり考えというものを
私の解釈に基づいて今日はお話をしていきますので、
この解釈が絶対ということではないので、そのあたりご了承の上に聞いていただきたいわけですけれども、
まずこの歌のサビの部分からいきなり見ちゃうんですけれども、
このエイリアンという言葉が出てきます。
映画で有名なエイリアン。
エイリアンというと宇宙人というイメージだと思うんですけれども、
実際は外国人とかよそ者というような意味なんですね。
今回のこのI'm an alienという歌詞ですけれども、
これはいわゆるスティングの言葉を借りると移民とかね、
そういうようなニュアンス。
さらに言うと、おそらくこのクエンティンの部分で言うとね、
移民プラスゲイという性的マイノリティのことを指しているんじゃないかなというようなことをね、
私なんかは感じます。
さらにね、リーガルエイリアンということで合法的な外国人という言い方もその後で繰り返し言うんですね。
ですからこのただのエイリアンの後に合法的な外国人という言い方をしているあたりですね。
どうもこのもともとよそ者であり移民であるんだけれども、
マイノリティであるんだけれども、
例えばそれがね、合法的に認められたとしても、
やっぱりね、よそ者、外国人なんだっていう、
その自分のアイデンティティっていうんですかね、
自分の立ち位置、自分の存在っていうものに対して、
どこまで行ってもね、
それはあくまで外国人だっていうところでね、
ちょっと皮肉めいたことを表しているのかなっていうようなこともね、感じます。
さらにですね、この社会の偏見や固定概念、
よくスティングがその前の時から言っていた、
そういった問題意識なんですけれども、
こちらについてもね、歌われています。
実際ね、歌詞の中で歌われている内容はですね、
礼儀だとかマナーだとか、こういったものが人を作るとしたらば、
そういった礼儀やマナーをわきまえた、
彼こそが今の時代のヒーローだ。
彼こそが今の時代のヒーローだ。
彼というのは当然クエンティン・クリスプのことですね。
で、このマナーをわきまえたっていうこのマナーとか礼儀っていうことですけども、
これは何のことかというと、
このクエンティン・クリスプ自身がですね、
マナーについての著書、マナーズ・フロム・ヘブンという著作を残しています。
で、この中でクエンティンはね、
良い人間関係を作るための公式は単純で、
たとえ対岸の舵であっても、
決してその舵を他人ごとと扱わない、
軽く扱わないことが重要だということをね、言っています。
つまりここで言う礼儀、マナーっていうのは、
古いイギリスの慣習だとか価値観、マナーにとらわれるのではなくて、
このクエンティンの考える礼儀についてわきまえている、
それが大事なんだっていうことをね、スティングが言っています。
ですから、あんにここでね、
今社会が持っている常識的な価値観だとかマナーっていうものをね、
あんに否定をしているわけですね。
クエンティンなんかで言うとですね、
困っている友達を聞いてやることが非常に大事なんだっていうのはね、
ことを言っていますね。
だからそういう些細なところから、
人の礼儀っていうものをね、
捉えているクエンティンの人柄というか考え方っていうのがね、
ものすごくよくわかると思います。
さらにですね、こんな歌詞があります。
一人前の人間だったらば、
人のですね、他人から行われるこの無知な行いというか、
無礼な行い、
いわゆるクエンティンがこれまで受けていたような失礼なですね、
差別的な行為、
これに対しても笑ってね、見せる。
そういうことがね、大切なんだと。
誰に何を言われても自分らしくあればいいんだ、
っていうようなね、歌詞が出てきます。
さらにこのイングリッシュマンインニューヨークの